終夜探偵事務所はスタッフ2人の小さな事務所である。本物の探偵を目指す終夜は、事件にかかわるために悪戦苦闘していた。そんなある日、信じられないほど大きな事件の調査依頼がくる。たった2人で複雑に入り組んだ事件の真相に迫ることができるのか。
法的根拠と探偵の実態に基づいた「リアルミステリー」第一弾!
大手出版社の書評をいただきました。


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ミステリーを書き始めて2本目の作品です。
続編と外伝もあります。


リアルミステリー

「ほら。情報があったレストランはここだよ」

「うわあ。高級だなこりゃあ。金ないぞ」

「ねえ。経費で出してよ」

「今回は依頼を受けてないんだ。タダ働きだ。矛盾しているけど、事件にならなかったら、何にもならないのが辛い所だな」

「ほらあ、あの人じゃないかなあ。始まっちゃうよ」

「はあ。しょうがないな。入るか。ええい、ままよ」

 2人は恐る恐る店内に入り、ウエイターに促されてテーブルに着いた。

 ここは東京都の赤坂である。軒並み物価が高い街だ。

 フレンチレストランに来るのに、まったくの普段着で来てしまった男は、終夜翔琉(しゅうや かける)という。29歳で私立探偵を名乗っているが、ロクな仕事が来ないので名前を上げにきたのである。

 グレーのパンツの上に青いシャツを出して、まるで貧乏大学生のような雰囲気の服装で、髪はボサボサだった。入口で入店を断られてもおかしくないカジュアルさである。

 活発な女の方は、同じく29歳。戸佐花音(とさ かのん)という。赤いシャツの上にグレーのジャケットを羽織り、下はタイトなスカートという出で立ちで、目を引くファッションである。髪は肩の下まで伸びた艶やかなストレートだ。

 コンピュータに精通した彼女はエンジニアカフェに通い、ホワイトハッカーから指導を受けている。

 今日は花音がカフェで仕入れた情報を元に、犯罪を水際で防ぐためにやって来たのだ。

「花音、あのテーブル席に1人で座ってる人がターゲットなんだね」

「間違いないよ。どうやってスキを作るのかな」

「手筈通り、まずは静観だ」

「警察に連絡するタイミングは私が判断するわ」

「たのむから犯罪になってから連絡してくれよ」

 ウエイターがグラスを運んできた。ミネラルウォーターを50センチくらい上からドバッと注ぎ始める。翔琉はビックリして声を上げそうになったが1滴もこぼれなかった。こういうものなのか、と自分の無知を恥じた。

「本日のおすすめは、こちらのファアグラステーキでございます。新鮮なダチョウの肝臓をご用意いたしました。赤ワインと良く合いますので、ご一緒にいかがでしょう」

 あまりこういうレストランに馴染みがない様子なので、難しい言葉を使わずにわかりやすく説明してくれたようだ。メニューに書かれた料理は、名前からどんな料理かわからないものもある。

「ちょっと考えさせてください」

 と言い、時間を稼ぐ。

 できれば注文する前に警察が踏み込む事態になって欲しい。

 しばらく待つと、ベビーカーを押した女性と男性が入って来た。

「なんて、あからさまな窃盗団だ」

 翔琉は視界の隅にそれを捉えると、頭を動かさずに目で追った。

 花音はトイレに立つといった雰囲気で立ち上がり、その男女の近くを通り過ぎ、すれ違いざまに鋭い視線を一瞬ベビーカーに向けた。

「明らかにおかしいな」

 テーブルに1人で座っていた女性がベビーカーの赤ちゃんを認めると、目が釘付けになった。

「あらあ。可愛いわねえ。何か月ですかあ」

 50歳前後と思われるその女性は、表情を蕩かせて尋ねた。

「8か月なんです」

 ベビーカーを押す女性は30歳くらいだろうか。

 男性の方は20代中ごろに見える。テーブルの奥まで歩いていくと、また戻って来た。

「花音。頼むぞ」

 と呟くと、入って来たばかりの男女は引き返して出て行ってしまった。

「チッ。感づかれたか」

「あんな堂々とした置き引き、日本では珍しいね」

「すいません。急用ができたので退席します。また後ほど来ますので」

 翔琉と花音は先ほどの男女がいないか表通りを見まわしたが、姿をくらましていた。

「大体なあ。フレンチレストランに赤ちゃんって。ないわなあ」

「あの調子だと次の標的を探しそうだね」

「ああ。ちくしょう。早く実績が欲しいものだなあ」

「共犯者がSNSか何かで、次の標的を探して情報流しているはずだよ」

「もっとそっちの勉強をして、情報戦に備えないとなあ」

 翔琉は顔を顰めた。

 終夜探偵事務所は、看板を掲げたはいいが依頼があるのは遺失物やペットを探す仕事が多い。これでは探偵というより便利屋である。たまに身辺調査から刑事事件が明らかになると、警察に情報提供する程度である。

 酷いときには、噂を聞きつけた近所の人から草取りとか、引越しの手伝いの依頼がくる。

 だからこうして、ホワイトハッカーを介して犯罪がありそうなポイントに足を運んで、事件に関わろうとしているのだ。

「実際さあ、ミステリー小説みたいに、そこらで殺人事件とかないよなあ」

「名探偵は次々と殺人事件に関わっているイメージだよねえ。窃盗にも関われないとは。運にも見放されたね」

 にべもなく言った。

 翔琉は空を見上げて息をつく。

「俺はね。事件さえ起こればこの推理力で頭角を現すはずなの」

 こめかみを指さして言った。

「まるで世間が悪いみたいだね。まあ、私も一蓮托生だから、何とかやってみるよ」

「今日は俺の下準備が足りなかったな。情報をキャッチしてからすぐ急行したから仕方ないが。あからさまに怪しいのは俺も同じだ」

「探偵は風景であれ。の原則に反していたね」

 これ以上窃盗団を追う手段がないので、事務所に戻ることにした。

 事務所は埼玉県川越市の観光地に近い場所にある。

 周辺は平日でも観光客で、ごったがえしている。夜になると近くに歓楽街が出現し、客引きが路上に現れる。活気があって様々な人と接触する機会があるので、探偵事務所の立地としては良いと思っている。

 3階建てのオフィスビルの一角を借りている。オフィスビルと言っても、3階は居住スペースになっている。そこの2つの物件を借りて、手前のワンルームに花音が住んでいる。

 そして奥の物件に翔琉が住み、内緒で探偵事務所として使用している。

 オフィスビルの中に居住スペースがあることにあまり気付かれないので、広告チラシも自治会の集金も来ない。

 日本の探偵事務所は仕事の大半が浮気調査などの身辺調査である。浮気調査は法律事務所も警察も扱わないので、探偵の独占市場だ。便利屋が参入することもあるが、さすがに素人の調査手法に探偵が後れを取ることはない。

 大手の探偵事務所はたくさんのスタッフを抱え、大抵は弁護士が顧問についている。法律業務に結び付けて利益をあげるようになっているのだ。

 また探偵は常に軽犯罪を犯すので、警察ОBが顧問に就くこともある。警察と太いパイプを作っておくことによるメリットは計り知れない。

 だが翔琉はそんな普通の探偵に甘んじるつもりはない。難事件を次々に解決へと導く名探偵を本気で目指している。

 翔琉と花音はデスクに着くと、パソコンを起動した。インターネット上に終夜探偵事務所と題した立派な自社ホームページを持っていて、アクセス数は1日数十万件ある。高度情報化社会の流れに乗って、ICTを最大限活用し、人脈を広げているのである。

 毎日翔琉と花音がブログをアップして、とりとめもない探偵の日常を綴っていることが人気の秘訣だ。すでにほとんどの検索エンジンにはAIが搭載されていて、更新情報と人気のキーワードがヒットすると検索結果の上位に表示される仕組みになっている。またブログの内容を複数のSNSに自動でアップするようにプログラミングしてある。2人はそれを常に意識して更新作業をしている。

「おおっ。ホステスが金貸してくれって言って来たぞ。この貧乏人に」

「こっちは近所の外国人がうるさくて困ってるってさ」

「はあ。しょうがないな。だが彼女たちとの付き合いが、どこで事件に繋がるかわからないから、丁寧に対応しよう」

「わかったよ。外国人の件はマンションなら管理組合または管理会社へ連絡、一戸建てなら自治会を通じて対策を立てるか、警察に通報する、でいい? 」

「ちょっとまて。近隣トラブルもバカにできないぞ。殺人事件の原因になりうるし」

「なるほどね。身辺調査でも近隣の噂話が決め手になることもあるよね。就職試験の身辺調査で、いつも家から大声が聞こえるとか、お金にだらしないとか女性関係のもつれだとか、噂話で落とすこともあるから、大事だね」

「一応、解決できないときはもう一度連絡をください、と言っておいてくれ」

「犬、猫を探してという依頼がまた来てるよ」

「重要な案件があって今は他の仕事をお受けできない状況です、と言ってくれ」

「単価が安い仕事は断っていいね」

 犬、猫を探す仕事は多い。引き受けても見つからないこともあるし、次から次へときりもなく依頼が来るので、ほぼ断っている。悪質な便利屋は、犬を盗んでおいて依頼させている。そこまで落ちぶれたくない。

 こうして地道な作業を繰り返すことによって、あらゆる業種に及ぶ人脈だけはどこにも負けないと自負していた。

「今日も大きな仕事はないか……」

 翔琉はしばらく黙り込んだ。

「たまには、こう、血が騒ぐような依頼がないものか」

 半ば諦めて今日は一区切りつけようとしたとき、花音が大きな声を上げた。

「あっ。ねえねえ! 企業秘密に関する調査依頼があるよ」

 花音がパッと表情を明るくしていった。

「ほう。事件の匂いがするな」

 翔琉も目を輝かせると、考え込んだ。

 早速花音が分析を始めた。

「そうね。企業秘密が漏洩した場合、名簿など関連する情報がディーラーに流出する場合があるわ。それと当然だけどライバル会社に窓口になる人物がいるはず」

「スパイ合戦になるな。腕が鳴るぞ」

 握りこぶしを固く握り、突きあげる。

「まずはクライアント企業がどの程度の対策を取っていたかを聞き出し、ゾーニングや配達物の管理、メール、SNSの管理、ファイヤーウォールなど情報セキュリティの指導をしましょ」

「張り込みと尾行の準備もな。今回はビジネスマンを装って行く。花音もスーツを着てくれ」

 急に事務所が活気づいた。

「そうね。わかったわ」

 ミッションインポッシブルなどハリウッド映画で変装するシーンがあるとシリコンゴムのような仮面を被っている。実際に探偵は変装をするが、それとは違う。探偵は周りの雰囲気に馴染むように変装をするのである。これを「探偵は風景であれ」の原則という。

 クライアント企業の本社前にやってきた。この㈱エイ・エス・エイ機工は東京都千代田区丸の内に10階建ての自社ビルを持つ東証1部上場企業である。

「終夜広告です。宮川社長から見積もりの依頼を受けました。役員室に来るように言われています」

 守衛室もなく、ビルの中の受け付けに直接声をかけた。

「ここも指導の対象だね」

 役員室は9階にある。エレベーターで昇ると目の前が役員用の応接室である。

「この会社は情報セキュリティが甘いだろうな。入口に守衛がいないことでそれがわかる」

「社内に犯人がいるだろうから、調査に工夫が必要だね」

 応接室で待っていると社長がやってきた。64歳の実直そうなエンジニアという風体だった。手は分厚くて大きく、スーツよりも作業服の方が似合いそうな感じがする。

「㈱エイ・エス・エイ機工代表執行役社長の宮川藤次です」

「早速ですが、なぜ当事務所にご依頼を……」

「お恥ずかしい話ですが、役員も信用できない状況でして、大手の探偵事務所さんを頼ると感づかれる可能性があると思ったからです。プロの先生を相手に憚られますが、評判を調べさせていただきました。終夜探偵事務所はとても実直で仕事に理想を抱いておられるとお見受けしました。そのようなところに、当社の命運を賭けた大事件の調査をお願いしたいと考えた次第です」

 話半分だが、これほどの大企業が弱小探偵事務所に依頼した理由の一端はわかった。だがどう考えても大手に依頼した方がたくさんのスタッフがいるし、早期解決を図れる。何か裏があるはずだ。直観だが、ただの情報漏洩だけでは済まないのかもしれない。

「ありがとうございます。信頼に応えられるように全力を尽くします。さて、依頼内容をお聞きいたしましょう」

「当社の開発部門で発明したある技術が漏洩して、ライバル会社の㈱黒森機工で近々同じ技術を使った製品を市場に投入するという情報がありました。それと同時に開発部の社員にヘッドハンティングの電話がかかってきているようなのです」

「すると、開発部の社員が犯人である可能性が高いですね。中途採用や派遣社員を調べましょう。最近退社した社員は要注意です。派手なスポーツカーや高級車を持っている社員も疑うべきです。この手の犯人は金銭感覚が破綻している場合があります。そして社員名簿が流出していることは間違いなさそうです」

「まずは、当社の情報セキュリティを指導していただけるということでしたので、私が社員教育を兼ねてご案内いたします」

 社長にレクチャーを受けながら社内を丁寧に見て回る。時折社員に声をかけている。やはりゾーニングが甘い。鍵もピンシリンダー錠が多い。鍵穴の中にたくさんのピンが出ていて、順番に押していけば開いてしまう。これでは素人でもピッキングできる。

「情報セキュリティの観点では、3段階にゾーニングするのが一般的です。まずは来客があったときにビルの外の守衛室で応対して用件と会社名、氏名などを記録し、防犯カメラで顔を撮影し、面取りもできるようにします。そして談話スペースに通します。他の社員と直接接触できないように、オフィスエリアと明確に区別します。機密情報を保管する部屋へは役員など限られた社員だけが入れるようにします。ID カードでロック解除する鍵にしてください」

「わかりました。オフィスエリアをカウンターで区切り、鍵を至急交換するよう手配します」

「特に重要な企業秘密は、すぐに重要情報があるとわからないラベリングをしてください。ゴミ捨て場はどうなっていますか」

「外部に委託していて、外の物置に集めています」

「先に拝見しましたがゴミ捨て場に鍵がかかっていないようです。早急に手配を」

 規約の見直しや、インターネット関連、郵便物の管理など他にもあるが追々言っていこう。花音が調査方法を説明する。

「まず疑わしい社員を身辺調査いたします。その後私と終夜が潜入調査をいたします。私がシステムエンジニアとして開発部に、終夜は人事部に派遣社員として潜入します」

 事務所に情報を持ち帰り、すぐに疑わしい社員や元社員のリストを作成した。20人ほどいる。

「まず住所をあたり、住居と車などから資産状況を推定しよう」

 2か月前に退社した社員が2人いる。規約では退社後同業種に2年間再就職できないことになっていた。この2人が最も怪しい。手分けして入念に調査することにした。

 名簿流出については、知り合いの名簿ディーラーに問い合わせたら一発でわかった。このような名簿はディーラー間でデータをコピーして共有するため、調べればすぐにわかる。

 その名簿を㈱黒森機工の押田剛志(おしだ つよし)が買ったことも突き止めた。こちらの調査は後回しだ。

 まずは張り込みである。翔琉が担当する男は、元開発部課長の石川達夫(いしかわ たつお)である。不動産屋のサイトで調べたところ、リビングと他に2部屋ある家賃9万円程度の小さな物件である。

 石川が部屋から出てきた。平日の昼間だが普段着である。仕事はしていないようだ。車に乗り込むと近所のスーパーに買い物に出ただけだった。1時間ほどで買い物袋を下げて帰宅した。買い物の量が少ない。

 郵便物とゴミを確認すると、やはり1人暮らしで間違いなさそうだ。

 石川は年齢43歳。中肉中背で、エンジニアらしく知的な印象を与えるが、オタクのような感じはしない。溌溂とした印象を受ける。無職で怠惰な生活をしている人間ではないと感じた。

 資料では妻と子ども2人がいたはずだが、家族は別のところに住んでいるのだろう。夜になっても窓に家族の姿が見えないし、声もしない。外から部屋を観察するだけでも家族構成や性格など、かなりのことがわかるものである。

 しかし無職で家族と別に暮らすのはおかしい。離婚したか離婚を前提とした別居かも知れない。不倫をしているなどの事情があれば別居するだろう。

「かなりの違和感があるぞ。当たりかもしれない」

 聞き込みに移る。同じマンションの住人をあたる。30件ほど回ったところ、2年ほど前に引っ越してきたこと、家族が訪ねて来た様子はないことがわかった。2年前に離婚したか別居し始めた可能性がある。

 会社に問い合わせ、家族の住所を調べた。そこへ向かい、社員を装って直接聞いてみたが妻ははっきりと答えなかった。周辺への聞き込みに移る。すると、石川は不倫をして別居していることが判明した。現在裁判所で離婚調停中らしい。近所には情報通のお年寄りがいるものだ。意外なほど他人の家庭内に詳しい。探偵顔負けだ。不倫だとすれば石川本人をさらに洗えば愛人にあたるはずだ。

 事務所に戻り、花音の報告を聞く。独自の暗号化SNSで逐一報告しているが、対面でも詳細を聞くのである。ターゲットの内田正行(うちだ まさゆき)は元開発部社員で、当該発明に関わっていたようだ。こちらも仕事をしていない。

 年齢32歳。有名国立大学卒のエリートである。近所を聞き込みしたが、ギャンブルや夜遊びもしないようだ。日曜日に自ら主宰する「少年少女発明スクール」をずっと続けているらしい。実直な人物像が見えてきた。

 家族はなく、ワンルームマンションに一人暮らし。交際している女性がいて、時々訪ねてくる。

 この2人は終夜が引き続き調査をすることにした。

「花音は潜入捜査をしてくれ。まずはエサをまき、同僚の聞き込みをたのむぞ」

「じゃあ盗聴機とピンホールカメラでの撮影の下準備をするね」

 開発部に潜入した花音は、機密情報エリアの前に「機密情報(廃棄文書)」と書いたエサを置き、社内に設置されているスプリンクラーに似せたカメラを天井に設置する。1ミリほどの穴があればCCD カメラで充分撮影できる。

 設置してすぐに獲物がヒットした。20代の男性社員がエサの段ボール箱を持ち去ったのだ。だがすぐに戻ってきて元の場所に戻した。中身は大半が新聞紙である。早速社長を通じて調べると開発部の国田益夫(くにだ ますお)27歳だった。そして国田の席を狙って監視カメラを設置する。

 国田は派遣社員である。開発部の3割程度は派遣社員が占めている。また派手な赤いコルベットで通勤している。窓はオールスモークだった。ますます怪しい。

 監視カメラに、同僚の机をあさる様子が写っていた。車ででかけてすぐに戻って来ることが度々あった。

 一度車を尾行すると、近くのファミレスの駐車場で車に人が乗り込んできて、すぐに出ていった。なにか取引をしたのだろうか。

 社員に聞き込みをすると、気になる情報があった。㈱エイ・エス・エイ機工では数百件に及ぶ特許を取得しているが、発明に貢献した社員への報酬が充分ではない。特許法では明確に規定していないため法律に触れてはいない。しかし、社員の頑張りを正当に評価しない企業だという噂が流れてしまうだろう。そうなれば優秀な社員は辞めていくし、新卒者も敬遠する。結果的に企業の体力を落とすことになるのである。

 また特許は維持費用がかかり、出願から20年という期限がある。また訴訟リスクも高いため、特許出願をせずに企業秘密として管理する場合もある。

「もしかすると、企業秘密が漏洩した背景に報酬が充分でなくて社員の不満が高まっていたことがあるのかも知れないね。そうなると、大々的に調べて社員の不満が噴出することを社長は恐れて、うちに依頼したのかも知れない」

 これは花音の直観だが、理由の1つだと考えて間違いないだろう。あとは女性問題もあるような気がする。こちらはもっと不確かな直観である。そして依頼にはない部分だ。だがこの調査は情報漏洩だけに留まらないと仮定して進めるべきだという方針て始めていた。

 宮川社長の尾行も開始した。プロの尾行はドラマとはまったく違う。コートを羽織った刑事が電柱の陰に隠れるシーンを想像すると笑ってしまう。これは尾行を象徴的に表現したに過ぎない。こんなことをやったら周りの人に、怪訝な目で見られるだろう。実際には尾行の成功率は意外なほど低いものだ。また初めての土地ではあまり成功しない。だから事前に通りそうなルートを想定して下調べをするのが通例である。またターゲットを見失うリスクよりも見破られることを恐れて慎重に行うものだからである。見つかったら2度と尾行できないし、相手が暴漢なら襲われるリスクがあるからだ。

 車を用意して、社長の退社時間に合わせて追跡を開始する。ルームミラーにはっきり写る距離に近づいてはならない。ターゲットが路地を曲がってからスピードを上げ、直線で距離を詰める。交差点を曲がるとき視界の隅に入る瞬間に見つかることが多いからだ。見失ったと思った時はスピードを上げて直進すれば6割くらいの確率で見つけられる。見失ったら後日またやり直せばよい。

 自宅とは違う方向にあるラブホテルに直行していた。花音は駐車場には入らず、付近に路上駐車して徒歩で入口へ向かう。近所の人に通報されて、違反切符を切られるかもしれないが、そんなことは言ってられない。場合によっては車を乗り捨てることも想定している。宮川社長が1人で入っていくところを確認した。このタイミングでは部屋番号まで確認することはできない。

 張り込みを開始してすぐにもう一台入っていった。中から女性が1人で現れた。隠しカメラでナンバーと車種を録画し、顔を面取りする。素早く入口に入り、部屋を探している振りをしてどこへ向かうか観察する。そのまま同じエレベーターに乗ってしまう。そして、

「何階ですか」

 と堂々と聞き、同じ階だったというジェスチャーをする。上級者はターゲットの視界に入り、接触しながら尾行をするのだ。風景に溶け込んでいれば、前を歩く人やエレベーターでたまたま一緒だった人をいちいち覚えないものである。

 ターゲットを先に下ろし、反対側へゆっくりと歩きながらどこに入るか確認する。

 狭い廊下で張り込むのは危険と判断して、外に出た。監視カメラに注意しながら車の外観と内部を撮影する。車種とナンバーはわかっているから30メートルほど離れた路上に待機して確認することにした。2,3時間で出てくるだろう。

 まず愛人の車が出てきた。こちらを尾行する。

 途中スーパーで買い物をする。一緒に駐車場には入らず、外で待つ。

 自宅マンションに着くと、入口に1人で入ったことを確認し、どの部屋に電気がつくかを外から確認。しばらく観察すると、夫と成人した子どもがいると思われる。丁度空き室があったので不動産屋を介して物件を見にくる。藤崎と表札が出ていた。

 聞き込みをすると藤崎奈津子(ふじさき なつこ)48歳は専業主婦であることが判明した。50歳の夫はIT企業の役員で、いつも帰りが遅い。息子が19歳で、自宅から有名私立大学に通っている。夫婦は仲がいいとはいえない。夫婦喧嘩が絶えない家庭のようである。噂では夫の父親が莫大な遺産を残して亡くなり、相続問題でもめているようだ。

 藤崎奈津子は浪費家である。ゴージャスと形容するのがぴったりの貴金属を身に着け、有名ブランドの服を着こなしている。これなら宮川社長に何かプレゼントされてもまったく気づかないだろう。

「こう派手だと、他にも愛人がいるかも知れないね」

 と思い、数日宮川を尾行した。するとスナックのホステスとも愛人関係があった。

 こちらは久藤雪乃(くどう ゆきの)38歳である。

 ワンルームマンションに住んでいて、時々宮川が訪れているようだ。

 小学校へ通う息子がいる。久藤良(くどう りょう)10歳。ひょろっとしていて、背は中くらい。大人しそうで、宮川には似ていない気がする。法的にこの子が宮川に認知されていれば相続の対象になるわけである。

 人事部に潜入している翔琉に報告すると、

「そうか。久藤は石川の愛人だぞ。もしかして宮川とお互いに知っているのか。鉢合わせしたことがあるのかな。子どもがいればトラブルになりそうだな」

「久藤の人物像をもっと調べる必要があるね」

「ここが調査の肝になるかもしれない。俺が調べる。花音はまだ調べていない社員を頼む」

 翔琉は早速久藤が勤めるスナックに聞き込みをする。あまり金に困った様子はなく、週2回程度のシフトのようだ。2人に養われていれば、ほとんど働く必要がないだろう。

 四国の香川県出身だということが新たにわかった。そろそろ田舎に帰りたいと言っているらしい。まとまった財産が手に入ればそれが可能になる。勘ぐり過ぎだろうか。

 事務所兼自宅へ戻りブログを書こうとしたところ、トップニュースに目が留まる。

「㈱エイ・エス・エイ機工代表執行役社長宮川藤次64歳が遺体で発見された。警察は犯人の行方を追っている。今日午後22時ごろ東京都八王子市の山中に遺棄された遺体を通行人が発見した」

「花音! すぐ会社へ戻るぞ」

 本社にはパトカー3台が止まっていた。警察官の中に知り合いの刑事である、大川越夫(おおかわ えつお)警部がいた。声をかけると、

「やあ。終夜。もしかして㈱エイ・エス・エイ機工の調査を」

「そうです。調査が中ほどまで進んでいるのですけど。突然でびっくりしました」

「情報提供してもらえると助かるな」

「もちろん。では車の中で」

 翔琉はこれまでの調査結果をまとめた書類を持ってきていた。それを手渡し、詳細を説明した。

「なるほど。すると久藤は財産目当ての線で疑わしい。石川、内田は企業秘密漏洩で莫大な損害賠償請求をされる可能性がある。国田は社員名簿流出の件で疑いがかかっている。藤崎、押田も事情を聴くことになるだろう。捜査本部でも裏を取るが君の調査なら間違いないだろう」

「実はもう一つ調査してない線があります」

「ほう。興味深いな」

「過去にも発明に関連した別の事件があったと思っています。確証はありませんが、調べれば何か出てくるはずです」

「わかった。なにか提供できる情報があればすぐ連絡する。そちらも頼む」

 捜査本部は麹町警察署にあるとのことだ。

 探偵と警察は、もちつもたれつの関係を築いている。探偵が逮捕されることもしばしばあるが、収監はされない。探偵は警察の監督の下で活動するという営業許可がでているから、連携するのは当然のことだ。

 

 8年前、㈱エイ・エス・エイ機工本社。

「はい。私は特許が取れる発明をして貴社に貢献する所存です」

 冴島俊城(さえじま としき)22歳。㈱エイ・エス・エイ機工開発部の求人票を見て、第一希望に決めた。面接で言った言葉にウソはない。発明をして特許を取ることがライフワークだと思っている。待遇よりもそこを基準に選んでいた。

 有名国立大学工学部4回生で、卒業論文に取り組んでいる。テーマも熱伝導に関する新しい構想だった。㈱エイ・エス・エイ機工開発部は競争率56倍という狭き門だったが、内定を勝ち取ることができた。

 卒論を無事に完成させ、大学を卒業すると入社式の日がやってきた。

「我が社は世界中の人々の暮らしを発展させ、新たな価値を生み出すことを目指しています。若い君たちの情熱とチャレンジ精神が未来をつくるのです」

 社長が熱っぽく企業理念を語った。大学の学長の挨拶はあまり心に響かなかったが、さすが大企業の命運を双肩に担う社長の言葉には迫力があった。

 入社して1年間は、あらゆる仕事を一通りこなすことになっている。営業や総務はもちろん、それこそ掃除や警備まで。すべての社員がイノベーションを支えているという創業者の信念を受け継いだものだ。

 2年目に念願の開発部へ配属になった。石川達夫さんという大先輩がリーダーの開発グループで新製品開発の仕事に関わることになった。同じグループに内田正行もいた。

 それから2年間先輩から指示された単純作業をこなす毎日だったが、特許技術を開発するためには1にも2にも地道な作業の繰り返しなのだと、骨の髄まで叩き込まれた。

 退社時間後には自分の研究をすることも許されていた。冴島は思う存分に研究に打ち込んだ。

 入社4年目、26歳になると後輩が入ってきて、指導しながら研究を続ける。

 そんなある日、独自の研究をしている最中に、偶然にも熱伝導に関する時代のパラダイムシフトを起こすほどの発明を完成させてしまう。

「早速特許出願しよう。この発明は人類にとって計り知れない利益になるはずだ」

 石川も喜んだ。この発明によって、熱伝導の効率が数百倍向上し、あらゆる業種に取り入れられていくはずである。

 この発明が認められた冴島が、大抜擢されてさいたま支社の新しいショールーム立ち上げのスタッフに加わった。取引先企業はもちろんのこと、新規の市場開拓が期待される肝入りのプロジェクトだ。

 広報活動や設置する製品の選定、試作品制作など、業務はあらゆる内容が含まれ、連日プレゼンテーションと会議に参加した。会議資料作成やプレゼンの準備で寝る時間がまったく取れなくなり、会社に着替えを持ち込んで自宅にも帰らない日が多くなっていく。

 同居している彼女がいて、心配してSNSを送ってくる。大野舞子(おおの まいこ)という同じ大学出身の24歳だ。

「最近顔色が悪いみたいで心配です。仕事を切り上げられるときは早く帰ってね」

「心配してくれてありがとう。今仕事が面白くてしょうがないんだ。でも今日は早く帰るよ」

 こんなやりとりを何回しただろうか。半病人のような顔をしてはいるが気持は昂り、もっと働きたいと意欲に燃えていた。

 そんなある日、石川に呼び出された。

「冴島の様子が社長の耳にも入ってね。最近の時間外労働時間が異常だ。君の身に何かあったら会社の責任を問われる事態になりかねない。しばらく休んでから、開発部の新製品開発グループに戻ってくれ」

「そんな! 私1人で準備してきたようなものですよ!? 他人に引き継ぐことはできません」

 冴島は目を血走らせて食い下がった。プレゼン資料作成はほとんど冴島一人でやっていた。思い入れが人一倍強い仕事で、絶対に成功させると燃えに燃えていた矢先である。

「社長の指示だ。従ってもらう」

 その日、顔面蒼白で目が虚ろな冴島が帰宅した。玄関で靴を脱ごうとして、そのままつんのめって倒れた。舞子は驚いて抱き起こした。

「俊くん。ちょっと! 大丈夫? ねえ! 」

「ごめん……おれ……プロジェクトから外された。もういらないみたいだ……石川さんから、社長の指示だって言われた。もうだめだ……」

 その夜、舞子が寝静まったころを見計らって、部屋を抜け出した。冴島はスマートフォンでタクシーを探す。

「㈱エイ・エス・エイさいたま支社ビルまで」

 というと、黙り込んだ。目からは涙が止まらなかった。大学時代からずっと夢見てきた技術を、社会人4年目にして完成させた。もちろん会社の設備を使わせてもらい、さまざまなスタッフが支えてくれて実現した快挙だ。だが自分の信念を企業という組織の中で押し通すことは並大抵ではなかった。

 冴島は夢物語みたいな研究に、会社の設備と時間と金を無駄遣いしている、と白い目で見られ続けていた。大発明をするには、周りから孤立して変人扱いを受けながらもやり通す強い意思が必要なのだ。

 そんななか石川は冴島の研究を理解して、よく声をかけてくれた。先輩の内田は研究に必要な機材を融通してくれた。そして研究が成功し、新規ショールーム開設に携わることになった。自分の頑張りを会社が評価してくれたと感じて、とてもうれしかった。

 文字通り寝食を忘れて、コンセプトを練りそれを形にするべく毎日悪戦苦闘を続けた。今までにないアイデアを次々に出し、理解を得るために必死に分厚い資料を作り続けた。

 そしてその先に待っていたのは真っ暗な闇だった。自分を全否定されたと感じた。新しいことをする人間はいらないのだ。イノベーションなど絵に描いた餅だったのだ。自分の発明も企業に利益をもたらすことが目的で、世の中のためと思っていた自分とは、温度差がかなりあることはずっと感じていた。自分は青臭い異端児だった。発明を完成させたからといって社内で拍手喝采を浴びるわけではない。依然として白い目で見る人はいる。異端として始まり、迷信として終わる。これが新しい真理のお決まりの運命だ。

「俺は、何をしていたのだろう。何のために生きてきたのだろう」

 極度の疲労と睡眠不足からくるメンタル不調によって、心理的視野狭窄が起きていた。そして今まで抱えていた疑問がすべて噴き出していた。

 ㈱エイ・エス・エイ機工さいたま支社ビルは間口が狭く奥行きがある。5階建てになっていて、1階が自分の命を削って思い描いたショールームになるスペースである。しばらくビルの前に佇み、完成したショールームを頭の中に描いた。

「大人から子どもまで、世界を変える新技術を体験するスペースがきっとできあがる。俺の仕事はもう終わっている。こうして目を閉じればその光景が見える」

 家族連れが体験コーナーで試作品で遊び、煌めく笑顔で語り合う光景が見える。しばらく理想郷のような明るい世界に浸った。とても充実した気分だった。

「俺は世界を変える、大きな仕事を成し遂げた。とても意味深い崇高な仕事だった……」

 そして決然と目を見開く。通用口に入り、屋上へ上る。

「小さい頃、俺は鍵っ子で1人で機械をバラして遊んで怒られたことがたくさんあったな。小学校ではサッカークラブに入った。計算がクラスで一番速くて、算数が大好きだった。中学校ではテニス部に入り、県大会まで行ったっけ。学区でトップの高校へ進学して、予備校で必死に勉強して大学に入った。サークルには入らず、自分の研究のことばかり考えていた。㈱エイ・エス・エイ機工の開発部に就職できたおかげで、研究が一気に形になった。考えてみると、自分の人生はここで完結している。良い人生だった……。舞子。母さん。父さん。ありがとう……」

 冴島は笑顔を浮かべて目を閉じ、頭から身を投げた。

 

 遺族は、会社を相手取り過労死による損害賠償を請求した。

 会社側は、過労死を認めたものの、発明の報酬に関しては、うやむやなままになった。なぜなら、特許出願はせずに企業秘密として管理することに決めたからだ。特許を出願しないのだから職務発明の条文は適用されない。この方が長年にわたり発明を独占できるという判断である。

 舞子は冴島の忘れ形見ともいえるこの画期的な大発明を冴島の研究成果だと認めさせ、遺族に対価を払わせるべく、弁護士を立てて会社と争ったが無駄だった。

 そんなある日、偶然目にした業界誌で冴島の発明が、㈱エイ・エス・エイ機工執行役常務宮川藤次の指導の下で発明したことになっていた。宮川はノーベル賞級の発明をしたという栄誉により各メディアで取り上げられ、一躍時の人になった。

 舞子は居ても立ってもいられなくなり、宮川に詰め寄るべく会社へ乗り込んだ。

「冴島俊城の発明の件で、大野舞子が会いに来たと常務の宮川さんに取り次いでください」

 荒っぽく受付に告げると、しばらくして宮川が直々にニコニコと笑いながらやって来た。

「大野さん。しばらくですね。ここでは何ですから、場所を変えましょう」

 と言われ、都内のとある料亭に連れていかれた。ここは政治家や企業の接待に使われ、外で語れないような話をできる、秘密が守られる料亭だった。

「マスコミに連日報道される内容を聞くと、毎日心が痛みます。真実を明らかにしてください」

「大野さん。冴島くんの発明は素晴らしい。世の中を一変するほどの大発明だ」

「そうです。それは私と冴島俊城の誇りであり、命の結晶です」

「冴島くんは気の毒でした。働き過ぎが祟って……」

「会社のために命を投げ出したのです。ですから、発明を彼のものとして世間に公表して墓前に報告したいのです」

 宮川の目が一瞬鋭くなった。そしてにこやかな顔に戻る。

「いくらですか」

「は? 」

「あなたが納得すれば済む話です。いくらお支払いしたらよろしいでしょうか」

「ですから、お金の問題ではないと申し上げています」

「そんなことないでしょう。一生遊んで暮らせるくらいお支払いしますよ」

「私は冴島俊城を心から愛していました。発明に対するひたむきな気持ちと、信念の強さ。そして私に対してはいつも優しい、かけがえのない存在だったのです。本気で世界を変えるイノベーションを信じ、同僚から白い目で見られながらもやり通したのですよ。あなたは何もしていないでしょう」

「でも、もういない。あなたもいつまでも、引きずるべきではないのではありませんか」

 宮川もイライラしてきた。

「よくもそんなことを! 恥を知れ! 」

 舞子は立ち上がりざま、コップの水を宮川に浴びせた。

「あなたのことは、調べさせていただきました。私生活もかなり乱れているようですね。こんな人に冴島の発明を蹂躙させない」

 捨て台詞を吐き、その場を後にした。

「あんなヨチヨチ歩きの子どもに何ができるか……」

 宮川が目を不気味に煌めかせ、不敵に笑った。

 数日後、

 舞子は知り合いの雑誌記者に冴島の発明のことをリークした。最大手の文芸誌で特集記事が組まれ、冴島のことが綴られた。1度は話題になったが、決定的な証拠がないため信憑性に欠ける、と評価された。

 そんなある日、冴島の遺品を整理していた。葬儀の後も弁護士と打ち合わせたり、いろいろと忙しかったので、ほったらかしになっていたものを処分するつもりだった。

 遺品の中に外付けハードディスクが数台あった。丁寧に中身を確認すると、その中の一つに特許出願のために作成したと思われる、要約書と図面があるのを見つけた。発明の詳細をまとめたレポートもあった。

 舞子は暗く嗤って呟いた。

「俊くん。残しておいてくれてありがとう。これが最後の切り札になるわ。㈱エイ・エス・エイ機工に溜まった膿を取り除いて、あなたが描いた理想の企業に作り変えて見せるからね」

 早速それをクラウドにコピーした。

 

 4年後。

「聞き込みから冴島俊城という人物が浮かびあがったよ」

 花音が翔琉に言った。

「こっちもだ。石川がほのめかした情報を元に調べたところ、雑誌のバックナンバーに書かれていた」

「冴島の発明に関する企業秘密が、どこから漏洩したのかを確認しなくてはいけないね」

「もっと大きな問題があるぞ」

 翔琉はうつむき、深刻そうに暗い目で花音を見ている。

「なあに」

「依頼主が亡くなった。報酬をきちんと確保しなくてはタダ働きになるぞ」

「わあお」

「個人的な依頼という形だったから、宮川社長が亡くなった時点で契約解除したことになってしまう。次の株主総会まで副社長が社長代理を務めるはずだ。交渉も兼ねてこれから会いに行く」

 ㈱エイ・エス・エイ本社ビルへ着くと、役員応接室へ通された。

「どうも。調査の件は宮川から伺っておりました。㈱エイ・エス・エイ機工の命運がかかっております。報酬の件はご心配なく。始めから会社として契約していたとして、改めて契約書を交わしましょう。ですから、今後とも存分に調査してください。頼りにしていますよ」

 ㈱エイ・エス・エイ機工執行役副社長の藤田和夫(ふじた かずお)は物腰が柔らかい。エンジニアというよりも営業畑の匂いがする。年齢は60歳。気品がある老紳士といった風体である。代表執行役の宮川社長が亡くなったため、事実上執行役がそれぞれ会社経営の責任を負うことになった。

 企業秘密漏洩によって数百億以上の金が動くだろう。探偵の調査費用など蚊に刺されたほどにも感じない。

 翔琉と花音は分担して調査結果を詳細に報告した。契約になかった宮川の身辺についても守秘義務付きで報告した。

「なるほど。宮川さんはいろいろなところから恨みを買っていました。一国一城の主というものは、清濁併せ呑むものです。誤解を受けやすい人でしたが、エンジニアとしては超一流の腕を持っていたのです。ただ、不器用な方でしたからね」

「1つ素朴な質問があります。私共の探偵事務所は2人しかスタッフがおりません。このような大企業から依頼があるはずがないのです。なぜなのでしょうか」

 翔琉はずっと心に引っかかっていた疑問を投げかけた。何か新しい事実を聞き出せるかもしれないと感じたからだ。

「お察しのことと思いますが、開発部のなかには会社の待遇に不満を抱く社員が多く存在します。だから大規模な調査は控えたと考えられます」

 さらに食い下がった。

「他にも理由があるはずです。どう考えても大手の探偵事務所の方が早期解決を図れます。企業秘密漏洩は、会社倒産の危険さえある大事件です。社員の不満などと言っていられないはずです」

「そうですね。これは私の私見ですが、冴島さんの事件が絡んでいると思います。宮川はいつも大野舞子さんを恐れて、度々悪夢を見ていたようです。ああ見えてデリケートなところもありましたから。大野さんの宮川に対する悪意は並大抵のものではなかったようです。心に刷り込まれた恐怖がそうさせたのだと思います。そして当社に対する憎しみも消えたわけではないでしょう」

「冴島さんの発明についてはどうお考えですか。大野さんは宮川社長に手柄を横取りされたと考えていると思いますが」

「発明は素晴らしいものです。当社としては、この発明を社外に流出させることだけは避けなければなりませんでした。そのためには発明した者を明確にする必要があるのです。宮川が恨まれ役を買って出て、1人で矢面に立ってくれたと考えています。誰かが大野さんから恨まれなくてはならなかったのです」

「㈱黒森機工が当該発明を実施しようとしていることについてはどうお考えですか」

「差し止め請求か損害賠償請求をするつもりです。つきましては不正競争防止法等に基づく訴訟準備を進めたいと思います。情報を不正な手段で入手した証拠を揃えてください」

 秘密録音なども、裁判上は証拠能力がある。探偵の出番である。

「方針は概ねわかりました。こちらは今までと同じ方針で調査を進めます。ご協力のほど、よろしくお願いいたします」

 その足で麹町警察署の大川警部を訪ねた。小さな取調室のような部屋に通される。

「すまないね。取調室しか取れなかった」

「冴島俊城と大野舞子は捜査線上に上がってきていますか」

「終夜が言っていた、他の線について聞き込みをしたら浮上したよ。探偵の勘は鋭いな」

「大野は㈱エイ・エス・エイ機工に深い恨みを持っています。会社が冴島の発明を横取りしたと思っているのではないでしょうか」

「そうだな。そして死んだ宮川が冴島の発明を自分の手柄のように言い、マスコミに取り上げられた。だが宮川を昔から知っている人たちは、そんな人ではない、と口をそろえて言っている。エンジニアとして開発部で活躍し、百件以上に及ぶ発明に関わったそうだ。真摯な態度で寝る間を惜しんで新技術を次々に発明した伝説の人物で、多くの社員から尊敬されているようだ。きっと企業運営のために、宮川が大野から恨まれることを承知で泥を被ったのだろう」

「こちらも藤田副社長から同様のニュアンスのことを聞きました。しかし大野は納得しないでしょう」

「大野が宮川に恨みを抱いていた。殺人の動機は充分だな。どう思う」

「可能性はあります。ですが、決め手になるかどうか」

「捜査本部ではこの線が本命になりそうだ。他の線を探っているなら急がないと大野が逮捕されるぞ」

「久藤が宮川の財産目当てで殺した線も濃厚だと思います。息子の久藤良を宮川が認知したかを調べます」

「わかった。こちらもその線を探ってみる」

 翌日、市役所で久藤の戸籍を閲覧した。親族を装い、委任されたことにすれば簡単である。やはり久藤良は宮川から認知されている。これなら遺産相続の対象になりうる。

 すぐに大川の携帯電話にかけた。着信音5回ででた。

「久藤雪乃にも事情を聞こう。後は企業秘密と社員名簿漏洩の調査かな」

「そっちが依頼された仕事ですから」

「またどこかで線が交わるかも知れない。報告をよろしく頼む」

 企業秘密漏洩の件に大野が関わっている可能性が高いと翔琉は見ている。聞き込みから得た情報で、都内でIT関係の仕事をしているとわかった。朝は同じ時間に家を出て駅まで向かうはずだ。花音に接触してもらうことにした。尾行するよりも友達になる方が簡単だし、より多くの情報を聞き出せる。

 駅で電車を待つ大野舞子にさりげなく近づく。

「あの。私四国の香川から出てきたのですが、丸の内三丁目へ行くにはどうしたら早いのでしょう」

 花音はおどおどして困ったように装い、すがるような目つきで助けを求めた。

 大野は丁寧に複数のルートを示して、どれが早いか教えてくれた。そして乗換案内のアプリのことなども紹介した。

「そ、そんなアプリがあったのですか。おおお。凄い。うわあ」

「これに出発駅と到着駅を入力して検索ボタンをタップします。すると最短ルートと時間、料金がでるんですよ。私は方向音痴なのでこれで迷子にならなくてすんでます」

 そのまま電車に乗り、話を続ける。

「私、今度香川からこちらへ引っ越すんです。こっちには友達がいなくて不安で。あっ。そのストラップ、レアなんですよね」

 大野がスマートフォンに付けている4つ葉のクローバーをあしらった、ピンクのかわいらしいストラップを指して言った。

「え? そうなんですか。もらいもので、珍しいとは知りませんでした。よろしかったら差し上げましょうか」

「いいんですか? 物欲しそうにしてしまってすいません。遠慮なくいただきます」

 花音は自分のスマートフォンに取り付けて満足そうに見つめた。

「ふふ。そんなに喜んでもらえると嬉しいわ」

 乗換駅で降りて電車が発車するのを確認してから㈱エイ・エス・エイ機工へ向かった。

 夕方、大野が務めている会社前で張り込む。退社時間になり、パラパラと社員が出てきた。根気強く顔を確認して探す。

 2時間ほど待つと大野が現れた。尾行を開始する。まっすぐ最寄り駅に向かっている。途中で人ごみに紛れて追い抜き、先にホームで待っていた。移動手段を変える地点へ先回りすると尾行の成功率が上がる。

「あっ。朝親切にしていただいた方……ですよね」

 花音は朝貰ったストラップを見せて言った。

 ここでは偶然を装うと効果的である。人間は、偶然の出来事にも意味があると解釈する傾向がある。例えば調べ物をしていて、たまたま目についたものに惹かれて横道にそれてしまうことがある。そのようなとき、目的の事柄よりも偶然見つけたものに意味深さを感じる心理が働くからだ。ストラップというキーアイテムも運命を感じさせる役割を果たしていた。

「あら。偶然ですね」

 大野はにこやかに笑って見せた。

「実は私、こっちに友達がいなくて。SNSのやりとりしませんか」

 というと、QRコードで登録した。

 その夜、とりとめもない趣味の話などをやり取りした。

 大野のことを「まいちゃん」花音は「のんちゃん」と呼ぶことにした。これも心理的距離を縮めるために有効である。

「私は、好きな人がいるんだけど、まいちゃんはいる? 」

「私もいるよ。のんちゃんがご執心な人は香川にいるの? 」

 こんなやり取りをして、冴島の話題に持っていこうとしたが、あまり焦らず時間をかけることにした。聞き方を充分考えてからでないと、あっという間に関係が壊れてしまいそうだ。

 

 翔琉の携帯電話が鳴った。大川警部からだ。

「宮川社長殺害の件で、石川に事情聴取をすることができた。久藤雪乃の子、久藤良は、どうも石川の子らしい」

「どういうことですか」

「まず宮川と、石川、久藤は三角関係だ。DNA検査を久藤雪乃が拒むので決定的証拠がないが、どう見ても宮川には似ていない。だが久藤は財産目当てで宮川に認知させたようだ」

「そうなると久藤が宮川を殺害する動機を裏付けられます」

「そうだ。久藤が宮川を殺害すれば息子に遺産相続権が生じるわけだ。久藤は事情聴取に応じない。この線で逮捕状を取る方針になった。終夜はどう思う」

「宮川殺害の件は、久藤が濃厚だと思っていました。㈱エイ・エス・エイ機工に対する怨みという感情だけで判断しようとすると、大野が疑わしいと考えるのが自然です。しかしこの事件は企業秘密漏洩と切り離して考えるべきです。大野舞子はIT関係の仕事をしていて、知的で理性的な性格です。冴島の無念を晴らすために殺人まで犯すとは考えにくいと思います。ただ、企業秘密を誰かに売り渡した可能性はあります」

「もったいつけずに教えてくれ。石川と内田に売り渡したのだろう。㈱黒森機工の押田が内通していて、謝礼を受け取っている」

「ちょっと違います。石川と内田に売り渡したとは思いますが、㈱黒森機工の中にもっと地位の高い内通者がいるはずです。㈱黒森機工に再就職するつもりだと仮定すれば、石川と内田は2年間、同業種に再就職できませんから当面の生活費として、最低でも1000万ずつ合計2000万は要求すると思います。それだけの金を若い平社員である押田が渡すとは考えにくい。恐らく押田は㈱エイ・エス・エイ機工の国田と通じて社員名簿を売り買いしたコソ泥だと思います」

「大野が石川と内田に、冴島の発明である企業秘密を売り渡した根拠は」

「冴島は個人の端末にデータを残していた可能性があります。社内サーバからコピーした形跡があればすぐに追跡できますが、アクセス履歴が見つからなかった。ハッカーでもこうはいきません。冴島の個人端末からデータをコピーした大野から流出したのです」

「なるほど。線になってつながったな」

「恐らく石川と内田は独立起業の準備をしていると思います。調査を進めるなかで2人の人物像をイメージすると覇気があり、なにか新しいことに取り組もうとしているような、溌溂とした人物だと思うからです」

「警察よりも探偵の方が密着して細かなことまで調べ上げる部分もあるからな。終夜の推理が正しいのだろう」

「私が警察ではなく探偵の道を選んだのは、個人の直観に従って動けるからです。警察は上意下達の縦割りです。刑事は独自の判断で動きにくい。また何でも会議で決めるから間違った判断をすることがあるのです。多すぎる話し合いは迷走の元です。個人の直観の方が信用できます」

「はは。痛いところを突かれたな。俺も探偵になろうかな」

「大川さんは大事な協力者です。辞められたら困ります」

「宮川殺害の件は久藤を逮捕すれば真実が明らかになるだろう。捜査本部はそれで解散だ。企業秘密と社員名簿漏洩の件は、民事が先になりそうだ。警察は民事不介入。探偵さんに任せようかな」

「捜査は大詰めです。また報告します」

「今後ともよろしくな」

 

 花音は1日数十件のやり取りをして、SNSで大野から冴島のことを聞き出していた。思い切って大野に聞いてみた。

「私、まいちゃんの力になりたいの。冴島さんの無念を晴らすために何かできることはある? 」

「のんちゃん。ありがとう。私とのんちゃんの仲だから言うけど、絶対秘密だよ。実は発明のことを俊くんが残していてくれたの」

 核心に迫ることができた。花音は小さくガッツポーズをした。

「それは凄いね。㈱エイ・エス・エイ機工に使われるより、同業者に売った方がましかもね」

「うふふ。ある人を通じて黒森機工の常務に持ち掛けたのよ」

「まいちゃん、さすが。きっと冴島さんも天国で喜んでるよ」

 早速やり取りを動画に記録して終夜に送信した。

 

 翌日、翔琉と花音は㈱エイ・エス・エイ機工副社長藤田和夫に報告した。

「大野から㈱黒森機工取締役常務木山仁志(きやま ひとし)へ冴島の発明に関する情報が提供されたものと思われます。㈱エイ・エス・エイ機工開発部社員の国田益夫が社員名簿をディーラーに売った件と、㈱黒森機工社員の押田剛志が名簿を買った件も明らかになっていますので、警察に通報することをお勧めいたします。また会社としての対応方針が決まった時点で、社内説明会を開くべきです」

 翔琉は報告書を広げ、事件の全容を詳細に説明した。

「社内にこの件の委員会を立ち上げ、民事上、刑事上の責任を追及していきます。またご指導を仰ぐかも知れませんが、そのときはよろしくお願いいたします」

 藤田は深々と頭を下げ、翔琉と花音に握手を求めた。

「今回、終夜探偵事務所にお願いして良かったと思っています。社員の動揺を最小限に抑えて事件解決の糸口を掴むことができました。ありがとうございます」

「では、またお困りのときはご相談ください」

 探偵は依頼された仕事を終えたら、後の成り行きにはかかわらない。

 翔琉と花音は事務所へと帰っていった。

「さてと。調査結果と会計書類をまとめたら、乾杯といきますか」

「そうね。終夜探偵事務所が手がけた事件のなかで、一番大きなヤマだったね」

 ノンアルコールビールをワイングラスに注ぐと、ささやかな打ち上げパーティーが開かれた。探偵たるもの、いついかなるときに事件に遭遇するかわからない。警察官には非番があるが、終夜探偵事務所のような小さな探偵事務所にはない。1年365日年中無休である。

「今回は大きなヤマだった。半年分くらい報酬を受け取ることができた。これくらいの規模で定期的に仕事があれば、スタッフを5,6人雇える。志を高くもって、今後も頑張ろう」

「いえーい。かんぱーい」

 こうして一息ついたときに限って何かが起こるものである。翔琉のスマホが鳴った。大川警部からだ

「大野舞子が失踪した。何か手がかりはないか」

「自宅にも実家にもいないのですね」

「そうだ。大学時代の友人など、交友関係を調べればと思ったのだが」

「花音が接触してSNSを交換しています。調べてみます」

「本当か。いや。さすがだな。何かわかったら教えてくれ」

「というわけだ。花音、大野のSNSはどうなってる」

「一昨日からロムってるわ」

「会話してみてくれ」

 花音はスマホを取り出すと、大野のトークを開いた。

「あ。会いたいって書いてあるわね」

「マジか!? どんだけ親しくなったんだよ。ちょっとまて。よく考えよう」

「私、仕事と割り切ってるつもりだけど、罪悪感と同時に友達に信頼された嬉しさを感じてしまったわ……」

 社会人になると、職場の人と親しくなることはある。だがインフォーマルな場面で腹を割って話せる友人がそんななかで、できるだろうか。大学や高校など学生時代の友人とは損得なしの付き合いができても、社会人になってからの友人には距離があるものである。

 花音の心理作戦によって大野が社会人として抱える寂しさ、心の隙間を埋めるかけがえのない存在に昇華されていたのであろうか。

「私、会ってくるわね。探偵として警察に協力しなくちゃ。友人としても放っておけない」

 探偵としては友人などとは言わずに、仕事に徹するべきなのかも知れない。しかし、花音の実力を信頼している翔琉は、任せることにした。

「そうだな。これは大野を確保する千載一遇のチャンスだ。失踪者の末路は悲惨な最期になることがある。警察にも来てもらっていいな」

 探偵は失踪者の捜索をすることが多い。探す側も必死だが、探される側も悲壮な覚悟である。自殺を遂げていたり、クスリ漬けになっていたりすることもあるのだ。

「まいちゃん。思いつめないでね」

 都内某駅前のカフェが指定された。外には刑事3人が表通りを、2人が裏通りを見張っている。

「あっ。のんちゃん。来てくれてありがとう」

 花音はアイスコーヒーを頼んだ。大野もアイスコーヒーを頼んでいて、氷がほとんどなくなっている。かなり前から来ていたのだろう。

「まいちゃん。悩みがあるのね。顔に書いてあるわ。私で良ければ話して。ね」

「私……、死ぬつもりだったの……。でもいざとなったら、まいちゃんの顔が浮かんだの」

 大野はハンカチを取り出すと、涙を拭った。

「死ぬなんて。絶対だめだよ」

 花音は動揺していた。

 思った以上に感情が昂り、冷静な判断ができなくなりそうだった。

 だがかけがえのない友人として、正しい行動をとれば間違いないはずだと思った。

「自分が大変なことをしたことはわかっているの。たくさんの人が私のせいで路頭に迷うかもしれない。私、宮川さんを恨んでいるわけではないの。会社の事情があることくらいわかるわ。でも、俊くんをもっと褒めてあげて欲しかった。それだけ」

「まいちゃん。人間は、過ちを犯すものだよ」

 大野の涙にぬれた瞳が花音の胸を穿った。

 花音も涙が頬を濡らした。

 大きく息を吐き、顔を上げて言った。

「のんちゃんは……」

 少し間をおき、何かを決意したように言った。

「探偵なんでしょう」

 花音はハッとして、大野を真っ直ぐに見つめた。

「すごい腕前の探偵に、きっとなると思うわ」

 長い沈黙が流れた。

 何度も話を繋ごうとしたが、言葉が現れては消えていった。

「私、のんちゃんに出会えてよかったわ。ターゲットを前にして泣いてるようじゃあ、だめだぞ。探偵さん」

「ごめん。まいちゃん。私。何も言葉が見つからなくて……」

「俊くんのところに行くのも悪くないと思ったけど、それじゃダメね。のんちゃんの泣き顔をみて気持が変わったわ。生きていくことに決めたわ」

 大野は憑きものがとれたように、晴れやかな笑顔に変わっていた。

「のんちゃんを見ていてわかったの。本当に価値のある仕事をする人は、ハートが熱いってことを。俊くんも熱い人だったよ。私はただ傍にいたかったの。熱いエネルギーをもった人の傍にいれば、自分もそうなれるから。俊くんも、のんちゃんも大好きだよ」

 しばらくじっと、花音を見つめていた。

 心の奥底まで見通すような、まっすぐな澄んだ瞳だった。

「さてと。そろそろ行かなくちゃ。罪を償ったら、またお茶しましょ」

 花音はやっとの思いで声を絞りだした。

「まいちゃん待って。これを持っていって」

 始めて会ったとき、大野にもらったストラップをスマホから外して渡した。

「同じストラップを探して、私もつけるからね」

 

 その日、トップニュースに㈱エイ・エス・エイの一連の事件が報道された。

 宮川藤次殺害の容疑で、久藤雪乃が逮捕された。

 企業秘密漏洩の件では開発部課長の石川達夫、開発部の内田正行、㈱黒森機工取締役常務木山仁志、そして大野舞子が逮捕された。

 社員の個人情報漏洩の件で社員の国田益夫と㈱黒森機工社員の押田剛志が逮捕された。

「この事件は3つにわかれていたんだね。始めは情報セキュリティの脆弱性を指摘して、犯人を探せば終わりかと思っていたよ。こんなに大きな事件は扱ったことがなかったから全体像が掴めなかったわ」

「2人で調査する規模ではない事件だったな。実際、調査に時間がかかってしまった。スタッフを雇いたいところだが、人数が増えるなら住居兼事務所というわけにもいかない。オフィスを借りるとなると、もっと利益を上げなくてはいけない」

「そうなると他の事務所と連携するのが現実的だね」

「そうだ。しばらくは2人で頑張るしかないな。まとまった資金と実績ができるように、よろしく頼むよ。花音」

「私は楽しんでるから。大丈夫だよ」

 大川警部から着信があった。すぐに取る。

「宮川殺害の容疑を久藤が認めた」

「そうですか。差し支えなければ動機と事件当時の様子を教えていただけますか」

「動機は君の推理が概ね当たっていた。金目当てだ。だが息子を認知させたとはいえ、実際相続できるかは別の問題だ。かなり揉めるだろう。久藤は、はじめから殺害するつもりではなかったようだ。金のことで揉めて、突き飛ばしたところ宮川が躓いてテーブルの角に頭をぶつけた。当たりどころが悪くて頭がい骨骨折と脳挫傷により死亡したのだ」

「なるほど。これですっきりしました。情報をありがとうございました」

「しかし、2人だけでよくここまで真相に迫ったものだと、素直に感心しているよ。よほど手際が良いのだな。今度刑事部の研修を頼もうかと思っている。今後ともよろしく頼む」

 

 いつものように、ブログを書いていると、

「おおっ、個人情報漏洩の調査が2件きてるよ」

「㈱エイ・エス・エイの事件から噂が広まったのかもしれないな」

「よおし。景気よくなってきたあ」

「よし。手分けして依頼を聞きに行こう。応援が必要なら知り合いの探偵事務所に声をかける」

「忙しくなりそうだね」

 

 

 

この物語はフィクションです。

 

 




最後までお読みいただきありがとうございます。
どんどん書いていきますので、お楽しみに!

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