11月下旬、京都レース場。
日曜日、第10レース。G1、マイルチャンピオンシップ。芝1600m。
天候は晴、バ場は良。
控え室にて。
担当のウマ娘たるパパラチアの前に座ったトレーナーは、レース前最後の打合せに臨んでいた。
「さて、今日のレースで一番警戒すべきウマ娘ですが」
「ん」
彼の目の前にいるウマ娘の名はパパラチア。安田記念・スプリンターズステークスを制した、G1二勝、本レース1番人気のウマ娘。
自然と彼女の瞳にもレースの前の緊張感か、闘志が静かに宿っている。
そしてそれはこの大舞台のせいだけでなく
「ミラクルウェイブです」
「はい」
彼女の友人、9月から一緒にトレーニングに励んできたウマ娘、ミラクルウェイブが本レースに出るからでもあった。
前走のスワンステークス、中段に付けたミラクルウェイブだが、その位置から見事に抜け出して1着。
9月から共同でトレーニングに励んだ彼女。心を許せる数少ない友達。メイクデビューが今年の4月と大幅に遅れたにも拘わらず、G2タイトルまで手に入れた、まさに奇跡のようなウマ娘。
そんな彼女が遂に、パパラチアを追い詰める場所までたどり着き始めたのだ。
「彼女も貴方をマークしてくるでしょう。ですからお互い、ベストなレースができるようにしましょうか」
「はい!」
自然と彼女の声にも張りが出る。顔にはやる気を、そして喜びを。
そんな表情を笑顔で見守るトレーナーだったが、一縷の不安を抱いていた。
それは教え子のパパラチアにではなく、ライバルのはずのミラクルウェイブに対して。
10月下旬、G2、スワンステークス。
マイルチャンピオンシップの前哨戦とも言える本レース、彼女は二着とクビ差とはいえ、見事一着入線。G2タイトルを手にした。
次走をマイルチャンピオンシップに定めると知ったトレーナーは、今までは単なるオープンクラスの凡百いるウマ娘であるという認識を改め、彼女の事、そして前走の記録をことつぶさに調べた。
「なんだこれは・・・」
その結果、彼は驚愕の事実を知ることになる。
ミラクルウェイブ、スワンステークスを含めたここまでの成績は8戦5勝、二着2回。1回しか連帯を外した事の無い成績も驚くべきものだが、彼が顔をしかめたのは別の部分である。
彼女のメイクデビューは、今年の4月。そして現在は10月下旬。つまり、6ヶ月で8戦しているのだ、そしてそのうち、7月と8月は夏合宿で全くレースに出ていないことを鑑みると、実質、4ヶ月で8戦している。
(間隔が短すぎる・・・)
トレーナー室でそれを知ったとき、つい彼は頭に手をやった。
レースはウマ娘の体力や身体を想像以上に消耗させる。偶にやたら頑丈なウマ娘がいるのだが、彼女の場合、どちらかというと身体が弱い方。にも拘わらずこの連戦だらけのレースへの出走記録。明らかに消耗していることは、担当をしていない彼でさえ想像できた。
しかし共同練習をしている際にはそのような素振りは全く見せなかった彼女である。本来の性格の明るさがもたらすものか、それともやせ我慢か。はたまたそれを彼女自身にも感じさせない、麻痺させている何かがあるのか。
それは彼にも分からない。だが
(一度・・・ちゃんと話を聞く必要があるかもしれないな)
と彼は思い、スマートフォンを手に取り、どこかに電話をかけ始めるのだった。
「どうしたんや、急に」
電話をした相手が彼の目の前にいる。アポイントを取り、彼が訪れたのはミラクルウェイブのトレーナー室だった。
「いえ、少し話を伺いたくて」
そう断っているうち
「ま、座り」
と言われ、応接ソファーに腰掛ける二人のトレーナーである。
向かい合った格好となり、少し沈黙が流れるが
「出るんですね、ミラクルウェイブさん。マイルチャンピオンシップに」
と切り出したのは、パパラチアのトレーナーだった。
「ん・・・まぁ、な」
と少し視線を逸らして彼は応じる。
また、お互いが話さない時間が流れる。鈴虫の声がどこか、窓の外から響いている。それをお互いに認識できるほどに透き通った空気の中で
「しゃあないやろ、アイツ、どうしても出たいって言うんやから」
と全てを悟ったようか声つきで、どこか諦めたような声色で、ミラクルウェイブのトレーナーはそう言った。
「どうしても・・・」
と彼が切り出したその瞬間
「あーもう!」
とミラクルウェイブのトレーナーが吠えるように声を出す。
また沈黙がお互いに訪れるが
「・・・すまん」
と彼は続ける。そして
「調べたんやろ、あいつの出走記録」
と、か細い声色で、どこか震えた声でそう彼は言った。
その時、パパラチアのトレーナーも気づいた。この目の前の関西弁のトレーナーも、担当のウマ娘であるミラクルウェイブをレースに出したくないんだと。
だが、彼は目の前のトレーナーに同情をしなかった。何故ならば、お互いがお互い、ウマ娘を教えともに歩み、そしてその命を預かる職に就いているのだから。、
だから
「はい、調べました」
と毅然と言い放った。
その声色を聴き、ぎろりと目を彼の顔に向けるミラクルウェイブのトレーナー。しかし、すぐにため息をつくと
「おかしいやろ?」
と一言。
「9月からが特に」
とパパラチアのトレーナーは言うが、
「その通りやな・・・」
と深々と同意するように、ミラクルウェイブのトレーナーはうなだれた。
あまりこの時点で彼は深追いすることはしたくなかった。しかし、自分の担当するウマ娘と、同じ練習をともに過ごしてきた彼である。だから追い込むのをやめなかった。
「何があったんですか?」
短い問い。しかし強い語気。全ての意図が詰まったその問いに対して、ミラクルウェイブのトレーナーは天を仰ぐ。
しばらくの沈黙の後
「お前ん所のお嬢ちゃんが・・・その理由や」
とミラクルウェイブのトレーナーは続けた。
その言葉に少し面食らったかのように目を見開くと、
「パパラチアさん・・・が?」
と言葉を発する彼。
未だその顔は、何が何だか分からないといった感じである。
それに深く頷くと、ミラクルウェイブのトレーナーは手を組んで床に視線を移し、語り始めた。
「お前の所の嬢ちゃん、パパラチアとうちの子は仲いいやろ?」
「あ・・・はい」
「あいつはな、パパラチアに追いつきたいねん」
「追いつきたい・・・」
そこで少しだけ彼の頭の中でふんわりと像が描き初められていた。それに構わず、ミラクルウェイブのトレーナーは言葉を続ける。
「身体が弱くてな、あいつはまともなメイクデビューすら、今年の4月にしかできんかった。入学して早々、日本脳炎にかかるわ、メイクデビューに出ようとしたら骨折するわ・・・もう踏んだり蹴ったりや」
「それは・・・存じ上げています」
「そんなあいつがな、諦めずにずっと頑張ってこれたのは、お前のパパラチアのおかげやねん。あの子に励まされて、あの子のレースを何度も見て、いつか一緒に走りたい、いつか自分もターフに立ちたいって、あいつはずっと言ってた」
その言葉に、パパラチアのトレーナーは返す言葉もなかった。
そんな中
「それで、6月の安田記念や。パパラチアが遂にG1を取った。もうあいつが、ミラクルウェイブが、パパラチアと一緒にレースに出るんやったら、同じ立場・若しくは挑戦者として相応しい立場にならないとどうしようもなくなった」
と彼は続ける。
「腑に落ちました。それでこの出走ペースなんですね」
静かに問いかけられるその言葉に、彼は静かに頷いた。
そしてそれは確かに実を結んだのだ。G2レース・スワンステークスで優勝。文句なしでG1レースに挑戦できる立場を、彼女は自分自身の手で手に入れたのだから。
だからである、ここから、二人のトレーナーはお互いに何も言えなくなった。
パパラチアのトレーナーからすれば、ここで「ミラクルウェイブにマイルCSに出ないで欲しい」とは言えない。何故ならばパパラチアも同レースに出走するからだ。そんな事を言ってしまえば、裏から圧力をかけたも同然。
つまりミラクルウェイブのトレーナーに全てが掛かっている訳だが、彼が担当のウマ娘を止めることが出来るかどうか、それは二人にしか分からないこと。
そう、最初から、パパラチアのトレーナーに出来る事は何一つ無かった。
だから
「すみません。お邪魔しました」
と彼は席を立ち
「どうか、良いレースを」
としか言えず、彼の部屋を後にしたのだった。
場面は京都レース場に戻る。
『1600m!最速の称号の座をかけて・・・ゲート開いた!!!』
遂にマイルチャンピオンシップが始まった。
京都レース場、第二コーナー・スポットから始まる本レース。600m近い長い直線が15人のウマ娘の前に現れる。
『先頭はナルキッソス!レーダーガールがそれに競りかかる!パーシングも加わるがどうか!?』
最初は長い平坦な直線なだけあって、先頭争いが自然に激しくなる。
そんな中で
『ダイタクヘリオス、外目から徐々に上がって参りました!』
「あっはー♪」
今日も飛んできたギャルウマ娘のダイタクヘリオス。楽しそうに笑いながら三番手に位置して直線を駆けていく。
(あのバカ・・・今日も・・・)
それを後ろから後方から眺めていたのはパパラチア。
思い出すのは札幌記念で負けた苦い記憶。しかし、それ以上に逃げ先行一辺倒の彼女に少々安堵していた。
何故ならば、彼女は前走のスワンステークスでバテて大敗している。
(この調子なら・・・どうせ最後には垂れるでしょ)
と少し余裕を持つ反面
(それより・・・)
と警戒しているのは後方だった。
『今回がG1初挑戦のミラクルウェイブは後方から!』
そう、そこに居たのは彼女の友人、ミラクルウェイブ。
調度パパラチアの後ろに入り、スリップストリームで体力を維持する姿勢のようである。
それより彼女が気になったのは、その位置取りだった。徹底マークされているのは分かるが、差し・追い込みが得意なパパラチアよりもさらに後方というのが正直気に掛かる彼女である。
(ミラちゃん・・・過信しすぎじゃない?)
少しひりついた心が持ち上げてくる中、淡々と彼女は直線を駆けていく。
後方からの位置取りで、最後に差しきるつもりなのかもしれないが、直線一気に自信のある自分に追いつけるのか。その疑問を彼女に面と向かってぶつけたくなるパパラチア。
しかし、
「遂に一緒に走れる時が来たんだよ!パパやん!」
レース前の彼女の笑顔。ひまわりのようなそんな明るい彼女の顔が、彼女の脳裏についついこみ上げてくる。
実際にパパラチアも一緒にレースに出られると聞いた時は心が躍ったものである。
一緒にレースへ出られる事への喜びと、絶対に勝ちたいという勝ち気な気性が混ざり合う中、
『ホームストレッチ中間!ここからは坂があります!』
淀の坂が15人のウマ娘の前に立ちはだかろうとしていた。
まずは走り出して約100m弱。そこに現れた2mの高低差の坂を上り進めるウマ娘たち。息が乱れていく中、パパラチアとミラクルウェイブは比較的余裕をもち、坂を駆け上がっていく。
一緒に行った坂路トレーニング。この成果が如実に出始めていた。
そして傾斜が若干ゆるくなり、京都・外回りの第三コーナーの急カーブが現れる。
(よし・・・ここで息を入れて・・・!)
坂道にあり、角度のきついカーブなだけあって、全体のスピードが徐々に落ち始める。そして第三コーナー真ん中、遂に坂の頂上。ここからは第四コーナーまで下り坂。スピードが乗りやすく外に膨らみやすいため、抑えながら走る二人。
そしてあっという間にバ群が一段となる中、先行ウマ娘達が、第四コーナー出口に殺到し始めた。
横いっぱいに広がり始めたウマ娘の壁。それを見て
(それならっ・・・!)
臨機応変に外に出たのはパパラチア。
それに続くように
(パパやんっ・・・!アタシだって!!!)
全く同じ位置取りで、パパラチアも彼女の後ろにつく。
汗だくになったパパラチアが後ろを振り向き、そしてその顔を見てにやりと笑うミラクルウェイブ。
(勝負だよッ!!!)
とミラクルウェイブが心の中で答えかけ
(望む所!!!)
とパパラチアも応じる。
『さぁ、一番人気のパパラチアが中段に上がってきた!!!それをマークするようにミラクルウェイブ!!!』
残り400m。最後の直線が、二人のレースの最終局面がもうすぐそこまで近づいていた。
『最後のホームストレッチ!!!ダイタクヘリオスが先頭!!!ダイタクヘリオスが先頭か!?』
先頭をかっ切るダイタクヘリオス。平坦な直線でぐんぐんとスピードを乗らせていく彼女。
『しかしパパラチアが来る!!!パパラチアが来る!!!さらにナルキッソスにジョージアウェルチ!!!』
十八番の直線一気で駆けていくパパラチア。先行ウマ娘達をどんどんと抜いていくが
『パパラチアの内からはミラクルウェイブ!!!ミラクルウェイブもいい脚だッ!!!』
それに食らいついていくはミラクルウェイブ。
(私が勝つ!!!)
(アタシが勝つ!!!)
肩を並べて走り抜ける二人のウマ娘。どちらも譲らない一進一退の攻防。
まるで同じ戦法。まるで同じような動き。
そんな二人がゴール板を目指して一気に走り抜けていく。
しかし回りのウマ娘の脚色も決して悪くない。ここはG1、マイルチャンピオンシップ。先行ウマ娘達も差し替えそうと必死である。
だが、彼女たち二人には、パパラチアとミラクルウェイブにはお互いがお互いしか見えていなかった。
他のウマ娘などどうでもいいと、お互いが意識し合う中。
それは起こった。
『先頭はダイタクヘリオス!!!ダイタクヘリオス!!!完全に抜けた!!!』
というよりも、400mを切った時点で起きていた。
ダイタクヘリオスが全く垂れない。脚色が全然衰えない。
「あ」
「あっ」
それに気づいた思わず二人が声を出す。
しかし
『残り200!!!』
もう既に時間は残っていなかった。
それどころか
「「「あっ」」」
他のウマ娘達にも似たような子達が多数いたようである。
思えば今回のレースパパラチアは一番人気。皆が皆、彼女の最後の直線一気を知っている。だから脚をある程度貯めていた。
しかし、そんなことを一切考えていなかったウマ娘が一人だけ居たようである。
それは
「ウェーイ☆ウェーイ☆」
笑いながら走るウマ娘、ダイタクヘリオス。
(・・・・・・ヤバい!!!ヤバい!!!ヤバい!!!)
ようやくダイタクヘリオスに気づき、大急ぎで脚を輝かせるパパラチア。
(ちょ・・・!!!待って待って!!!)
そしてそれに食らいついていくミラクルウェイブ。
他のウマ娘も必死に脚を輝かせる中で
『ダイタクヘリオス完全に抜けた!!!二番手が大接戦!!!ダイタクヘリオス!!!ダイタクヘリオス!!!一着でゴールイン!!!』
この日、ダイタクヘリオスは、初めてのG1タイトルを手にしたのだった。
マイルチャンピオンシップが終わった。
「やったー☆マジアガるっしょ!!!」
ターフの上で笑顔をふりまき飛び跳ねるダイタクヘリオス。
それに答えて歓声を送る観客達。そんなレースの余韻覚めやらぬ観客席にて
「意識しすぎましたね、ミラクルウェイブさんを」
と苦笑するトレーナーと
「残念でした」
とため息をつくニシノフラワー。
結局、パパラチアは二着、そしてミラクルウェイブは三着。
そしてその差は2と1/2バ身差。見事なまでの完敗だった。
当の本人、パパラチアといえば、第1コーナーをクールダウンしていたが、とたん背中が丸くなり、足取りが重くなって、その場に手を突いてへたり込んでしまった。
別に身体に異常がある訳ではない。
異常があるのは精神の方。
つまり
「あんんの・・・あのバカに・・・また負けた」
という気が滅入るような後悔が彼女の心に立ちこめていたのだった。
思い出すのは惜敗した札幌記念。
そしてこの後はすぐにウイニングライブ。つまり、パパラチアはダイタクヘリオスのバックダンサーになる。それを考えるだけで
「バカ・・・、私の・・・大バカ・・・!!!」
深刻な表情で自分をなじる彼女である。
そんな中で
「パパやんどうしたの?」
と話しかけてきたのはミラクルウェイブ。彼女はといえば、初めてのG1レースで三着になれた達成感が勝っているのだろう、汗だくになりつつも、どこかあっけらかんとした表情をしている。
そんな彼女を見て
「ミラちゃぁん・・・」
と涙目になったパパラチアが彼女に抱きついた。
「ちょ・・・なにさー!」
「あのバカに負けた・・・あのバカの後ろで踊りたくない・・・」
とぐずり始めるパパラチアである。普段の凜とした姿はどこへやら。
そんな最中
「お☆お嬢様、アタシのこと呼んだぁ?」
と、どういう地獄耳かダイタクヘリオスが二人に駆け寄ってきたが
「呼んでないわよバカッ!!!」
そんな彼女に目を怒らせて威嚇するパパラチア。
「ちょ!!!えぇーーー!?!?」
困惑のダイタクヘリオスの声が響き、京都レース場の観客席から笑いが生まれる。それに続けてミラクルウェイブもついつい吹き出してしまった。晴れやかな11月の空に、太陽が高く空に浮かんでいた。