12月下旬、トレセン学園、栗東寮。
どんよりとした雲の中、一台のカローラツーリングが門前に止まった。ニシノフラワーとパパラチアのトレーナーの乗る車である。
時刻は午前8時前。
「さて・・・と」
と彼は腕時計を確認し、車の外に出る。身につけた黒色の礼服がしわになってないか少し確認し、埃を手で軽く払った。
そこで待つのは教え子の姿。
今日は表彰式。今年度のある部門のURA最優秀ウマ娘として、彼の教え子が選ばれたのだ。流石に年度代表ウマ娘ではない。因みに今年度の代表ウマ娘は、皐月賞・日本ダービーを制したトウカイテイオーである。
「お待たせ」
そうしている内に、一人のウマ娘が彼の車の前に現れる。
黄色のドレスを纏って現れたのは、黒鹿毛の長い髪をしたウマ娘、パパラチアだった。
「おはようございます」
「うん、おはよ」
とそれぞれに挨拶を交わすと、慣れた手つきで助手席に乗り込むパパラチア。
それに併せるように彼も運転席のドアを開いて、席に着いた。
パパラチアの今年度の主な勝ちレースは、安田記念とスプリンターズステークス。それをもって彼女はシニア級最優秀スプリンターに選ばれたのである。
「暖かいね、車の中」
依然として止まった車の中。そう彼女が話しかけ、
「そうですか、良かったです」
とトレーナーがにこやかに返す。
「うん。こんな寒い中、立ってるの辛いし」
と彼女は、自慢の艶のある黒鹿毛を左手で触りながら、彼女は返す。
「流石に年末になりますと冷え込みますね」
その言葉にパパラチアの視線がトレーナーに向いた。
じっと彼を見つめた彼女が
「ねぇ」
と声を掛ける。
「はい?」
とそれに返したトレーナーに
「ネクタイ、ちょっと曲がってる」
と言い、手を伸ばそうとするパパラチア。
「あ、ありがとうございます。ですけど、自分で直せますし・・・、会場前で確認しますから」
やんわり両手を前に出し、遮ろうとするトレーナーだが
「いいから」
と彼女は言うと、そのまま手を伸ばすのを止めることなく。
仕方なく諦めた調子で彼が手を下げると、そのままパパラチアは身を少し乗り出して、彼の首元に、細く透明な肌の彼女の指が伸びる。
そして彼の身につけた、青色のネクタイに手をかけて、少しだけ締め上げ、そして左右に整えた。
「・・・うん、いい感じ」
「・・・ありがとうございます」
満足そうにパパラチアはそう言い、それに少し苦笑しながらもトレーナーは言葉を返した。
そんな最中である。
「お待たせしました!」
車の外から若い女の子の声が響く。
その声の方にトレーナーは振り向くと、彼女の姿を確認し、ドアを開け車の外に再び出る。
少し駆け足気味で走ってくる彼女。桃色のドレスを身に纏った背の低いウマ娘。彼女の名はニシノフラワー。今年度の成績は4戦4勝。主な勝ちレースは阪神ジュベナイルフィリーズ。今年度のジュニア級ティアラ路線の最優秀ウマ娘に選ばれた彼女である。
「いえ、僕も今着いた所です」
とトレーナーが応対すると
「いえっ!」
と彼女は頭を下げた。
後部座席のドアを彼が開けると、自然な動作で彼女は車に乗り込んだ。
「閉めますよ」
「あっはい!」
とお互いに確認し合い、ドアが閉められる。
そんな中
「おはよ」
と助手席に座ったパパラチアが声を掛けた。
「おはようございます、先輩!」
とニシノフラワーが返す。
トレーナーも車に乗り込む最中
「すみません、遅れてしまって!」
と彼女は頭を下げるが
「全然。遅れてないし。それに・・・うん、ちょうど良いタイミングだったかな」
そう窓の外を見て、どこか機嫌よさげにパパラチアは返した。
「え?」
それに頭を傾げたニシノフラワー。
そんな最中
「それじゃ、出発しましょうか」
とトレーナーが二人の教え子に声を掛けると、二人はシートベルトを締める。
そして車は走り出す。
東京都府中市から、区内の会場へ。
暖かい車内の中で、二人のウマ娘を携えて、祝福の座へ三人は向かおうとしていた。
翌日、月曜日。トレセン学園。夕刻。
パパラチアは栗東寮への帰宅するため歩みを進めていた。
今日の練習はなし。次走の予定は3月下旬の高松宮記念とトレーナーと打合せをしている彼女である。次走までしばらく余裕がある彼女であるが、実際の所、練習が休みになったのは、今年度のレースへの出走回数からでもあった。
今年は7戦した彼女。若干走りすぎだから休んだ方がいいとのトレーナーの方針。そのため、本格的な練習は年明けからとトレーナーから告げられた彼女である。
それを若干不満に思った彼女であった。何故かと言えば、年末に出たいレースがあったからである。
しかし、トレーナーはかたくなに方針変更を認めなかった。それに渋々ながらパパラチアは折れ、現在に至っている。
そんな最中である
「パパやん」
と彼女の後ろから声が響いた。
彼女がそれに振り向くと
「や!」
と手を軽く上げたのは、彼女の親友、ミラクルウェイブだった。
「ミラちゃん」
と彼女に微笑み、歩調を合わせてパパラチアは彼女に並んだ。
「ミラちゃんも今日は休み?」
「うん。・・・っていうか、年明けまで休めって」
若干不満そうな顔をしたミラクルウェイブ。それに苦笑するパパラチア。
そして
「やっぱりダメだったんだね、阪神カップ」
「うん、出ちゃダメだって。アタシさぁ大丈夫だって言ったのに!」
口をとがらせてミラクルウェイブはパパラチアに愚痴を言った。
実はこの二人、一緒に阪神カップに出ようと密かに約束をしていた。
阪神カップは12月の下旬に実施される、芝1400mのG2レース。年末最後のスプリンターの祭典である。
しかしその「約束」は二人のトレーナーによって阻止された。
お互いのトレーナーは案じていた。走りすぎなミラクルウェイブを。今年度の4月にメイクデビューし、9ヶ月で9戦というハイペース。これ以上は脚が持たないと考えた二人のトレーナーは、ひっそりと協定を結んだのだ。「お互いのウマ娘が年内に出走したいと言い出しても絶対に止める」という約束を。
そんな事は露知らず、二人のウマ娘はそれぞれのトレーナーの愚痴を言いながらも栗東寮へと向かっていた。そんな最中である。
「あーあ、もう一回だけ、パパやんと走りたかったな」
そんなぼやきを話すミラクルウェイブ。天を視線を移しながら話す彼女に、ふとパパラチアの視線も空に向いた。ぼんやりとしたぶ厚い雲が二人の視界に入る。
もし叶っていたなら阪神レース場で、一緒に走っていた。お互いが守れなかった約束。それを思っていたパパラチアの脚が不意に止まる。
「ん?」
突然脚を止めた彼女に振り向き、
「パパやん?」
と声を掛けるミラクルウェイブ。
何かを思いついた調子のパパラチアが
「あの、さ」
とミラクルウェイブに声を掛ける。首を傾げたミラクルウェイブに
「二人だけで、阪神カップ・・・やってみない?」
と、提案したのだった。
12月下旬、土曜日、15時30分頃。阪神カップ開催日。
トレセン学園、練習コースにて。
年末の土日、レース開催日でもあって、トレセン学園に人気は少ない。
そんな最中、ウッドチップコースの上にジャージ姿の二人のウマ娘が立っていた。
一人はパパラチア。もう一人はミラクルウェイブ。
準備体操を行い、軽くアップを済ませた二人は、ゴール板まで1400m、トラックの向こう正面の地点に立っている。
コースは平坦なトラックのため、阪神レース場とは異なる。坂道もなければ、コーナーの角度も違う。足下も芝ではなくウッドチップ。二人で話し合った結果、お互いの体調と、トレーナーの教えを鑑みて、脚に負担の少ないウッドチップを選んだ彼女たち。何から何まで違う条件だが、それで二人は十分なようだ。ひとまずは今日だけは。
「来年は一緒に出れたらいいなぁ、阪神カップ」
「そうだね」
言葉を交わしながら、二人は笑顔を交わし合う。
そして
「そろそろかな」
とパパラチアは言うと、スマートフォンを取り出し、アラームをセットする。
時刻は15時36分。今年の阪神カップの出走時間は15時40分。
「じゃ、15時40分になったらアラームなるから。それで1本だけ走ろっか」
「りょーかい!」
その言葉に応じて、パパラチアは時計を再度確認する。あと2分で発走。それに頷くと、内ラチの内側にスマートフォンを置いた。
「あと2分」
とパパラチアが言うと
「よしっ!」
と元気よくミラクルウェイブが頬を両手で叩く。
そしてスタートラインに二人は立った。内側にパパラチア、外側にミラクルウェイブ。
コースは右回り。天気は曇り、バ場は良。
張り詰めた沈黙が漂う中で、アラームが鳴ったその瞬間、二人のウマ娘が一斉に駆けだした。
先手を取ったのはパパラチアである。そのすぐ外側にミラクルウェイブ。あっという間に短い直線が終わり、第三コーナーへ。順位は変わらず、二人のウマ娘がウッドチップを蹴散らして駆けていく。
第四コーナーに差し掛かり、ふとすぐ横に走るミラクルウェイブを確認するパパラチア。まだ余裕がありそうな彼女の表情を見て、
(すごいじゃん・・・ミラちゃん!)
とパパラチアの口角が上がる。めきめきと実力を付ける彼女の走り。彼女はパパラチアと同じスプリント・マイル路線を選ぶのだろう。高松宮記念や安田記念に出てくるのだろう。それを思うと、パパラチアの心がついついときめいてしまう。
そんな最中、
(あ・・・!)
第四コーナー中間点を過ぎ、ミラクルウェイブが先行しはじめた。パパラチアを抜き去り、早めのスパートをかけ始めた彼女。
その様子を見て、パパラチアの心に闘志が宿る。同じ走りをしたマイルチャンピオンシップとは異なり、今回は彼女だけの走りをしようとしているのだろう。それを思うとパパラチアの心にうれしさがこみ上げてくる。
そしてそれはミラクルウェイブも同様だった。
(着いてこれる・・・!?パパやん・・・!!!)
同じ事をしていてはパパラチアには勝てない。そう悟った彼女なりのやり方。パパラチアの前に位置取りし、ウッドチップを飛ばしていく彼女の脚色。
そして最後の直線。もう300mもすればゴールへ。二人のウマ娘の影が、二人だけの舞台に降り立とうとしていた。
先行するのは依然としてミラクルウェイブ。しかしその差は2バ身差程度。
(そろそろ・・・行くよ!!!)
気合いを十分に込め、パパラチアの脚に一層の力が宿る。
繰り出すのは十八番の直線一気。
外側に位置取りをすると、一気にミラクルウェイブにパパラチアの影が迫る。
そして残り200m、パパラチアがミラクルウェイブと並びかけ、そして、
(あれ・・・?)
一瞬でパパラチアは彼女を抜き去った。
その手応えのなさに拍子抜けする彼女。
(なんか・・・あっけない)
と思い、パパラチアは振り向いた。振り向いてしまった。
そこに映ったものを見て、パパラチアの瞳孔が開かれる。
彼女の瞳に映ったのは、苦しそうな表情とともに、崩れていくミラクルウェイブの姿。
左足をひきずるように、パンクした車のように、ガクガクと減速していくウマ娘。
それを見た途端、彼女は何も考えられずにいた。
ただ脚色を輝かせるのを止めて、ゆっくりと減速して。
(え・・・・・・)
頭が沈黙で、突然のことに何も考えられなくなる中
「ミラ・・・・・・ちゃん・・・・・・?」
と彼女が呟いたその時
「左足を地面に着けんな!!!!!」
コースの外から一人のウマ娘の怒声が響く。
パパラチアがそちらに視線を向けると、そこにあったのは青色のメッシュを入れたウマ娘、ダイタクヘリオスの姿だった。
「お嬢!!!!!早く!!!!!」
その声にようやく我に返ったパパラチアは、すぐにミラクルウェイブの方に走り出す。
コースの外にいたダイタクヘリオスも二人に向けて全速力で向かってくる。
「ミ・・・ミラちゃん!!??」
急いで彼女に駆け寄り、ミラクルウェイブを抱き留め、彼女の左腿を持ち上げたパパラチア。
そこに居たのは苦しそうに痛みに耐える親友の姿。
「お嬢!?スマホどこ!?」
「あそこ!!!1400mのスタート地点!!!」
それを聞くと、ダイタクヘリオスは一直線でウッドチップを駆け抜ける。そして携帯を手に取ると、どこかに電話をかけはじめた。
パパラチアの左手に、震えたミラクルウェイブの左足の振動が伝わってくる。そして苦しそうな吐息が彼女の耳に掛かる。
このときようやく気づいた。彼女は骨折したのだと。
そして、パパラチアは自分自身が大きな過ちを犯してしまったのだという自覚が、そしてそれに伴う大きな罪悪感が、この二つが彼女の胸に訪れるまで、どれほどの時間もかからなかった。