ニシノフラワーの怪文書   作:富岡牛乳

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3.ケイコ

4月上旬、トレセン学園、トレーナー室にて。

「これからよろしくお願いします!」

そう元気溌剌に、ニシノフラワーはトレーナーにそう告げた。

「こちらこそ、よろしくお願いしますね、ニシノフラワーさん」

トレーナーはそれににこやかに応える。

入学して早々、彼女のトレーニングが始まろうとしていた。普通のウマ娘は選抜レースを経てトレーナーにスカウトされるもの。しかし彼女は飛び級の特待生。既に入学する前からトレーナーが決まっている。その時点で他のウマ娘とは差が出来る。一刻も早く練習が出来るということは、それだけ早くメイクデビューが出来るということ。メイクデビューが早いということは、それだけ多くのジュニア級のレースに出られるということ。ジュニア級のレースに多く出られるということは、クラシックに向けた経験や実績を積むのにチャンスが多いということ。素質だけの問題でなく、他のウマ娘と比較して、余裕の面でも時間の面でも、見えない差が既に彼女と他のウマ娘の間には生まれていた。

「こちらですが、僕の受け持っているウマ娘のパパラチアさんです。貴方からすると先輩に当たりますね」

「どうも」

そう紹介されたパパラチアが軽く手を振った。その顔には笑顔などなく、どこか冷たげな彼女の目つきがニシノフラワーに向く。

しかし

「よろしくお願いします!パパラチア先輩!」

ニシノフラワーは何の気なしに、輝いた瞳をそのままに彼女に元気よくそう告げる。

「せん・・・ぱい・・・」

その言葉に少し、硬度の高い彼女の切れ目が少し緩んで、目が見開かれた。

初めて先輩と呼ばれた事。気高い孤高の令嬢たる彼女の心が若干動揺した瞬間だった。

それを横目で見て、少し目元を緩ませたトレーナーだったが

「さて。それでは今日のケイコを始めましょうか」

と、ニシノフラワーに告げる。

途端、ニシノフラワーが

「ケイコ?」

と首をかしげた。

「あ・・・」

とトレーナーが言いよどみ

「トレーニングの事だよ」

とパパラチアが補足した。

「この人、トレーニングの事、ケイコって言っちゃうの。昔は皆そう言ったらしいんだけど、何か癖で未だに言っちゃうみたい。あんまり気にしないであげて」

どこか知ったような口ぶりで、そうパパラチアは話し、トレーナーは

「まぁ、そう言うことです」

と苦笑しながら同意した。

「ケイコ・・・」

とニシノフラワーはその言葉を復唱し

「いいですね!お稽古!」

どこか楽しそうに二人に言い放った。

天気は晴れ。穏やかな陽気の差す午後。

外は絶好の練習日よりだった。

 

 

「さて、それでは準備運動から始めましょうか」

トレセン学園、グラウンドにて。

トレーナーは、ジャージ姿の二人のウマ娘、、パパラチア、そしてニシノフラワーを前にそう告げた。

屈伸・深脚・肩回し・腰回し。ある程度の一般的な体操が終わり、深呼吸。

「はい、結構」

と、トレーナーが告げ、手を叩いた。

「それじゃバランスをやりましょうか。フラワーさん」

「はい!」

「すみません、片足で立ってみていただけませんか?」

「はい!」

ニシノフラワーは左足を軸に、右脚を浮かせて見せる。

「ここからどうしましょうか?」

とニシノフラワーが告げ、

「そうですね。10秒キープして貰えませんか?」

とトレーナーが指示を出す。

「では行きますよ・・・。いーち、にーい・・・」

トレーナーが秒数を数え、ニシノフラワーとパパラチアは片足で姿勢を保ち続ける。

「きゅーう、・・・じゅう!はい、よろしい!」

と言い、トレーナーが手を叩くと、二人のウマ娘が地上に両足を付けた。

「ふぅ・・・」

転ぶことなくバランスを保ち、目標の秒数をこなせたことに安堵したからだろう、少し息を整えるニシノフラワー。それに対して、トレーナーとパパラチアの目が合い、二人は静かに頷いた。

「次の課題ですが、いいですか、ニシノフラワーさん?」

とトレーナーが話しかけ

「あ、はい!」

とニシノフラワーがトレーナーの顔を見る。

「それでは、少し肩の力を抜いて下さいね」

そうトレーナーに言われ、肩の力をすっと抜くニシノフラワー。

そしてその瞬間、

「ごめんね」

と言う声が彼女の背中の方から聞こえたかと思うと、突然、彼女の背中に軽い衝撃が走る。

「わっ!!!!!」

ニシノフラワーは思わず叫んだ。突然後ろから軽く突き飛ばされたからだ。

驚いたニシノフラワーだが、その力は軽い。右脚を出してすぐに踏みとどまったニシノフラワーだったが

「えっ!?・・・・・・えっ!?えっ!??」

と驚いたように後ろを振り返り、そして後ずさる。

そこにいたのは彼女の先輩、パパラチア。憮然とした、どこかきまりの悪そうな顔で彼女はニシノフラワーから視線を逸らす。

ニシノフラワーが高鳴る心臓の音を抱えている最中

「すみません」

と謝ってきたのはトレーナーだった。

そして

「僕が指示をしました。パパラチアさんは悪くありませんよ」

と言葉を続ける。

意味が分からず、何故こんなことをされたか分からず、驚きと困惑と興奮が胸をかき乱す中

「ご説明しますね」

とトレーナーは告げた。

 

「貴方を突き飛ばさせたのは、どちらの脚が自然に前に出るか、それを見たかったからです」

とトレーナーは話す。

「貴方はパパラチアさんに突き飛ばされ、とっさに右脚を出しました。つまり、いざというとき自由が効くのは、右脚ということです」

とトレーナーは告げ、思わずニシノフラワーは自分の脚を見る。

確かにそうだった。右脚を出した靴の後が地面に残っている。

「そして覚えていますか?片足バランスをお願いしたとき、貴方は左脚を軸に、右脚を浮かせました。つまり、普段バランスを取っているのは左足ということです」

ニシノフラワーはその時の事を思い出す。しかし、自分が左足で立っていたかどうかの記憶がなかった。無理もないだろう、無意識だったのだから。

「本当に私、左足で立ってました?」

「立ってましたよ。あとから試してみるといいかもしれません。右脚で立ってバランスを保つより、左脚で立ってバランスを保った方が、どこか安定感がある感覚が得られると思います」

とトレーナーが告げる。

「ウマ娘に限らず、僕達、人間もなのですが、利き足というものがあるんです。一般的には自由に動きやすい脚を利き足と呼びますね。ニシノフラワーさんの場合、右脚が利き足です。こちらの方が動かしやすい。そして左足は軸脚となり、自由に動かすことは右脚より劣りますが、その分体重を支えるという立派な役目をもっています。まず、練習を始める前に、どちらが効き脚かを知ることが重要だと僕は考えています」

トレーナーはそう告げ、二人のウマ娘に地面に座るように促した。

そしてペンを手に取ると、地面に楕円をがりがりと書く。

「レース場には、二つの回り方があります。パパラチアさん、なんでしょうか?」

そうトレーナーに問われ

「右回りと左回り」

と答える。

「正解です」

とトレーナーが言い、ペンを先ほど書いた楕円に向ける。

「右回りの場合ですと、当然、右脚に力がかかります」

コーナー右回りに指し示しながら彼は言う。

続いて

「左回りですとその逆ですね。左足に力をかけて回った方が回りやすい」

と言い、先ほどとは逆に、左回りにコーナーを指し示す。

「さて、ではニシノフラワーさん。質問です。直線ではどちらの脚に負担がかかりやすいでしょうか?」

とニシノフラワーに問いかける。

途端、彼女は頭を傾けて宙に視線を泳がせた。

直線はその名の通り真っ直ぐ。それであれば、どちらにも力は加わりにくく、均等に力がかかるのではないか。そう考え

「両方に・・・均等に力がかかるのでは・・・ないのでしょうか?」

と少し自信なさげに彼女は答えた。

それを聞いてトレーナーが微笑み

「そう思いますよね。ですが不正解です」

と告げた。

「正解は・・・、パパラチアさん、お願い出来ますか?」

とパパラチアの方を向き

「効き脚」

と、彼女は迷い無く告げ

「正解です」

それにトレーナーも頷く。

「へぇ~・・・」

と感心するニシノフラワー。その視線を感じてか、パパラチアは照れ隠しのように視線を外に逸らす。

そんな最中、

「ニシノフラワーさん」

とトレーナーは彼女の顔を見て

「は、はい!」

と慌てて彼女は返事をし、トレーナーの方を向いた。。

「貴方は、効き脚が右でした。つまり何も考えず右回りのコースを走ると、右脚ばかりに負荷がかかります。実はこれが厄介で・・・片方の脚ばかりに負荷が掛かると、そちら側の脚の骨折や怪我のリスクが格段に上がるんです。僕達・・・人間は、そこまで速く走れませんので、そんなに気にする必要はないのですが・・・貴方達ウマ娘はそうではありません。時速60kmを超える速度で走っていますからね」

そう告げ、ペンを再び、地上の楕円に向ける。

「ですから右回りのコースの場合、コーナーは右脚を中心に使い、直線に向いた瞬間、左足を中心に使うような感覚を意識づけてください。これを僕達は『手前を変える』と呼んでいます」

コーナーをなぞったと思えば直線をなぞり、彼は目の前の入学したてのウマ娘に説明する。ふと顔を上げ、ニシノフラワーの視線が地上のペン先に向いていることに彼は満足すると、少しだけ微笑んだ。

「『無事是名バ』という言葉があります。いくら速くても、いくら素質があっても、重篤な怪我をしたら意味が無いということです。中々この手前を自在に変えるというのは難しく、すぐには身につきません。ですが、貴方たちウマ娘が安全に怪我無くレースに挑むに当たって、最も重要な技術のひとつがこれです。いきなり出来るようになれとは言いません。ですが、これからケイコをしていく中で、意識の片隅に置いて臨んで下さい」

そう彼は告げると同時に立ち上がる。

それにつられるように、二人のウマ娘が立ち上がると

「いいですか?」

と首をかしげてみせた。

それに

「「はい!」」

二人のウマ娘は元気よく返事をし

「いいですね」

とトレーナーは頷いた。

「それでは本日のケイコを始めましょうか」

「「はい!」」

再び二人のウマ娘が元気よく返事をした。

初日の練習はまだまだこれから始まったばかりである。

 

 

4月中旬。

トレセン学園、トレーナー室にて。

今日のトレーニングは座学である。

ホワイトボード近くにはトレーナー。それを見るように、二人のウマ娘が会議机にノートを広げ、パイプ椅子に座っている。

「ニシノフラワーさん。突然ですが、レースに勝つにはどうすればいいでしょうか?」

突拍子のない問いをトレーナーは彼女に問いかけた。

「えっと・・・?」

と頭を悩ます彼女。心当たりが多すぎる問いのため致し方ないといった所だろう。

「誰よりも多く・・・お稽古をする」

「そうですね、大事なことです。他には?」

「展開を・・・色々考えてレースをする」

「確かにそれも大事です。後はなんでしょうか?」

「・・・体調を整えて・・・すごくいい状態でレースに挑む」

「おっ」

その答えにトレーナーが少し弾んだ声を上げた。

「一番大事な答えの一つが出ましたね。パパラチアさんはどう思いますか?」

「えぇ?」

突然話を振られた事に、少し不満気な声を出すパパラチア。

少し髪を触った後に、トレーナーから視線を逸らして

「・・・勝てる・・・ジンクスを作る」

と呟いた。

「ふっ・・・」

その答えに思わずトレーナーが吹き出すと

「何?文句あるの?」

とパパラチアの視線と苛ついた声がトレーナーに向かった。しかしその顔は、どこか気持ち赤らんでいたのだが、ニシノフラワーはどうしてそんな顔をしているのか、理解がいまいち及ばず、思わず首を傾けてしまった。

そんな最中

「いえ。すみません」

とトレーナーは謝り

「話を続けますね」

と二人に向き直る。

「これは僕なりの答えなのですが、『勝てるレースをすること』だと思っています」

「答えになってないじゃん」

と間髪入れず、パパラチアが茶々を入れた。先ほどの復讐のつもりなのだろうか。

「まぁ、最後までお願いします」

と、彼は苦笑すると、言葉を続ける。

「『勝てるレース』とは何か、ですが。まずは、勝てる準備をすること。これはニシノフラワーさんが言いましたケイコ、そして体調管理ですね。そして勝てるレースを選ぶこと。ここが難しいのですが、距離適正や自分にあったレース場を選ぶこと、です。右回りか左回りか、直線が長いか短いか、コーナーは小回りか、大回りか、スパイラルか。・・・この辺は僕の仕事でもありますけどね」

彼はそう言うが、肝心な事を敢えて一つだけ言わなかった。勝てないウマ娘とは戦わないこと。これはウマ娘である、レースに真剣に挑む彼女たちのモチベーションに関わるものだから、言葉にすることはない。ただ、普段から心の奥底で思うに留めている彼である。

「そしてレース本番では、勝てる展開を考える事、また自分の得意戦法をあらかじめ自覚すること。バ場のコンディションや天候なども、重要となりますが、この辺は現場で考える事ですから、アドバイスや下調べをする僕の仕事でもありますね」

ここで彼は一息つき、二人を見据えた。

「ウマ娘である貴方達には、まずは自分の距離適性と得意戦法を早めに自覚してもらうこと。自分の長所は何かを分析すること。これがレースに挑むにあたって、一番大事なことかもしれません。ケイコだけですと機会がどうしても少ないので、中々手探りになりがちではありますが・・・」

とここまで言い

「ニシノフラワーさん」

と、トレーナーは彼女に向き直る。

「あ!はい!」

一生懸命、トレーナーの言ったことをノートに書いていたニシノフラワーの顔が上がった。

「一ヶ月後の日曜日もケイコにしたいのですが、大丈夫ですか?」

と言われ

「あ、はい!お願いします!」

と気合いたっぷりにニシノフラワーの弾んだ声が響く。

「ありがとうございます。日曜日のケイコも座学ですが・・・」

と言い、続いて彼が向いたのは、パパラチアの方だった。

彼の瞳に映ったのは、どこか決まり悪そうに、艶がかった黒鹿毛の髪を左手でくるくるといじり回すウマ娘の姿。

「パパラチアさん」

「・・・何よ」

「次のレース、頑張って下さいね。後輩が見てますよ」

その言葉に沈黙するパパラチア。

「え?」

とニシノフラワーが首をかしげる中

「その日の座学は東京レース場にて行います。芝1400m。京王杯スプリングカップ、G2レース。そこでパパラチアさんが出走します。ニシノフラワーさん、先輩のレースを見て勉強しましょう」

トレーナーがそう言い、二人に微笑みかけた。

「そうなんですか、先輩!?」

少し興奮気味に目を輝かせるニシノフラワー。

その大きな瞳に、きらめく輝きに

「うん・・・まぁ・・・」

と視線を逸らしたままに、パパラチアが返事をするが

「まぁ・・・頑張ってくるね」

ちらとニシノフラワーの方を見て、少しだけはにかんでみせたパパラチアなのであった。




参考文献
https://company.jra.jp/equinst/magazine/pdf/paddock_50.pdf
https://company.jra.jp/equinst/magazine/pdf/paddock_51.pdf
http://nichiju.lin.gr.jp/mag/07004/a2.pdf

実際の競走馬は
・半手前の脚の方が負荷が掛かってる
・でも手前前脚の方が重篤な骨折になりやすい
みたいです。

間違っている所もあると思いますので
寛大な生ぬるい視線で適当に読んで下さいませ
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