一月二十四日の夜、僕は柏崎の白石本宅で夕食をとりながらテレビを見ていた。画面では缶飲料のCMが流れている。缶飲料を手に持った二十人くらいの晴れ着の少女が歌って踊っている。一番前の真ん中にいる少女はマコちゃんでマコちゃんよりやや後ろ左側にハルナが、右側に友美ちゃんがいてその後ろに大勢の晴れ着の少女が踊っている絵だ。マコちゃんを頂点に二等辺三角形が形成されている。歌っている曲は裕ちゃんの作ったお正月ソング「ア・グッド・イヤー・フォー・ユー」だ。
マコちゃんと僕は年が明けてから今日までちょっとした冷戦状態に入っている。事の発端は些細といわれれば些細だ。アイドルナンバーワンのマコちゃんはハルナと共に大晦日恒例の国民的歌謡番組にあたり前のように出演した。その番組の中でこの時代劇オタクのバカな妹は全国向けの生放送であるにもかかわらず「ハルナちゃんはお兄ちゃんの側室」と発言したのだ。これは芸能界を越えて少なからぬ衝撃を与え、年が明けてから僕は女性団体の抗議を受けた。党本部からも注意され、火消しが結構大変だった。それにもかかわらずマコちゃんはケロッとしているので少し本気で怒った。それ以来、冷戦が続いているのだ。
「どうぞ。」
そんなことを考えていると横からすっとお茶が出て来た。お茶を出した手の元を見るとさっきテレビの中でマコちゃんの左後ろで踊っていた女の子がいた。なぜかメイド服を着ている。今日から僕はこの少女と呼ぶにははるかに大人の女性とこの家での生活を始めることになる。
今日の午前中に衆議院は予定より四日遅れて解散し、事実上、選挙戦がスタートした。僕は着物姿のハルナと二人で東京を発ち、柏崎入りした。柏崎では白石権蔵先生、裕ちゃん、そしてチャコのお母さんの幸子さんの実家でもある白石家の本宅に滞在することになっている。そして選挙期間中、ここ柏崎でハルナは僕の「奥さん役」を務めることになっているのだ。ハルナと僕は選挙が終わって東京に戻るまで同じ屋根の下で暮らすことになる。
チャコが夏休みにその話を初めてしたとき、僕は軽いジョークと思っていた。しかしハルナを管理する野島慎一プロデューサーが「それ面白い」と食いつき、「どうせ芸能活動を休むんだったらそれくらいのことはしよう」ということになってスペシャル番組が作られることになったのだ。そしてスーパーアイドルの普段の姿が見られるということで柏崎ではちょっとしたブームが起きようとしている。いつものことだが僕がコントロールできない状況で物事は進んでいく。
「なあハルナ。」
僕は夕食の準備を全部してくれたハルナに声をかけた。
「はい?」
「いつまでその格好してるの?」
ハルナは柏崎に帰ってからずっとメイド服を着ている。
「スミマセン。着るもの、ほとんど実家の方に送ってしまったものですから。」
「あしたもその格好なの?」
あしたから僕はハルナを連れて有力者にあいさつ回りをしなければならない。僕の「一番弟子」ということになっているハルナは一応「妻役」なのだ。未成年で選挙活動に参加できないチャコの代わりだ。
「あしたは着物の予定です。」
「一人で着付けられるの?」
「はい。これでも私、モデルですから。」
「ならいいんだけど。……ねえ、メイド服、嫌じゃないの?」
「いいえ。……むしろ好きかもしれません。自分では結構似合っていると思ってるんです。でも野島先生はあまりいい顔しないんです。」
「なんで?」
「野島先生は私に裕子さんのイメージを求めているんです。裕子さんお嬢様でしたから。お嬢様にはさすがにメイド服は似合いませんからね。」
確かに裕ちゃんはお嬢様だ。白石家は柏崎の名家だし、ここ白石本宅は裕ちゃんの実家でもあるが周囲を見下ろす豪邸で、家の中には使用人部屋まであるのだ。裕ちゃんは使用人部屋のある家で育った正統派のお嬢様であり、メイド服が似合うはずはない。
「それにこの服、結構、思い出深いんです。……実は私、先生に隠していることがあるんです。」
「何?」
「私、……昔、メイド喫茶でバイトしていたことがあるんです。」
それを聞いて僕は軽いため息をついた。
「あのねえ、ハルナ。ハルナがメイド喫茶でバイトしてたことは新聞にも載ってたし、インターネット百科事典にも載ってるよ。」
「ああ、じゃあ先生もご存知だったんですね?」
「まあ、ハルナに少しでも興味のある人はみんな知ってると思うよ。」
「そうだったんですか。先生はどう思われました?」
「どうって、まあ、ハルナも苦労したんだなあと。そうだったんでしょ?」
「ええ。まあ辛くなかったといえば嘘になりますけど、……でもそんなにひどい話ばっかりじゃなかったんですよ。私がメイド喫茶にいたころからずっと応援してくれている人もいるんです。」
「へー、そうなんだ。じゃあハルナの本当のファンだね。まあファンに本当も嘘もないけど。」
「ちょっと自慢しちゃいますけど私のファンクラブもあったんですよ。」
「それはすごいね。既にアイドルだったんじゃない。」
「『ハルナクラブ』っていう名前で時々ファンの集いとかもやってました。」
「ハルナも参加して?」
「はい。実はチームに入ってからもしばらくは参加してたんです。野島先生には内緒ですけど。『ザ柏崎』が始まるとさすがに私は参加できなくなりました。でも『ハルナクラブ』の皆さんは今でも集まっているはずです。」
「いい話だね。」
「はい。私の一番辛かった時代を支えてくれた人達ですから私にとっては宝物です。もう昔みたいにお会いできないのが残念ですけど。」
ハルナは大人しい子で自分からはあまり積極的に話さない。そのハルナが自分からニコニコしゃべるのだからよほどうれしい思い出なのだろう。ハルナは僕の一番弟子ということになっているが僕はハルナとはあまり話したことはないし、ハルナのこともよく知らない。そんなハルナの昔話を聞きながら柏崎一日目の夜は更けていき、僕は二階の寝室で、ハルナは一階の使用人部屋で寝た。
次の日、僕はいつものように早起きし、リビングのドアを開けたがリビング、ダイニング、キッチンいずれもハルナが起きている気配はなかった。ハルナを起こすのもかわいそうなので僕は一人でコーヒーを入れ、新聞を取ってきてコーヒーを飲みながら読み始めた。スポーツ紙の芸能面はハルナと僕が揃って柏崎入りしたことを写真つきで報じていた。記事ではハルナを僕の「側室」と表現していた。僕程度の力ではペンの力を抑えることはできない。地元紙の社会面も小さく扱っていた。
しばらくすると廊下でドタドタする音が聞こえ、リビングのドアが開き、見たことのない女性が顔を覗かせたので僕はビックリした。
「おはようございます。スミマセン。寝坊しちゃいました。」
見たことのない顔の女性がそう言った。僕は黙ってその女性を見つめた。しばらく間があって
「先生、どうかされましたか?」
目の前の女性が言った。僕はもうしばらく黙ったままその女性を見つめた。
「先生?私の顔に何かついてます?」
「ハルナ?いや、何もついてないんじゃないかと思うんだけど。」
そう言うとハルナは目だけを残し両手で顔を覆った。
「スミマセン。私、すっぴんですね?」
「どうもそのようだね。」
「どうしましょう?先に朝ごはんの支度をした方がいいでしょうか?それともお化粧をした方がいいでしょうか?」
「じゃあ化粧の方を先にしてもらえないだろうか。朝ごはんは僕が作るから。」
「それでは先生にあまりにも申し訳ありません。」
「いいよ。碑文谷じゃ朝ごはんはいつも作ってるからさ。その方が僕も落ち着けそうだ。」
「分かりました。ではお言葉に甘えさせていただきます。失礼します。」
そう言うとハルナは僕の視界から消えていった。それから僕は朝ごはんの準備をし、ご飯やら焼き魚やらを並べているとダイニングのドアが開いて着物に着替えたハルナが登場した。最初に登場した女性とはやはり全然違う。現役のモデルにしてスーパーアイドル、そしてファッションリーダーは「先ほどは失礼しました」としおらしく言うと、優雅な身のこなしでダイニングの僕の対面に座った。そして静かに朝ご飯を食べ、迎えに来た秘書のワンボックスに乗り込んだ。
ハルナと僕は柏崎の有力者や支持者の集会を回った。訪問先ではどこに行ってもハルナは大人気で、あちこちで写真を撮られた。柏崎一日目は無事終了し、午後六時頃には白石本宅に帰宅した。ハルナはやはりメイド服に着替え、夕飯の準備のためキッチンに立ち、僕はリビングでコーヒーを飲みながら夕刊を読んだ。しばらくするとリビングの電話が鳴り、キッチンのハルナが手を止めて電話に向かおうとしたので僕は「ああ、いいよ」とハルナを制して受話器を取った。
「はい、白石です。」
「ああ啓一さん?あたし。チャコです。」
「ああ、チャコ。お久しぶり、でもないか。どう?今朝は起きられた?」
「マコちゃんに起こしてもらったよ。まあ実家にいたときもそんな感じだったけどね。マコちゃん啓一さんのベッドで寝てるよ。啓一さんのパジャマ着てね。」
「そう。」
「どう?そっちは。」
「まあ、お蔭様でうまく行ってるよ。」
「ねえ、啓一さん。今朝、ハルナちゃんのすっぴん見たんだって?」
僕はビックリした。ハルナから報告があったのだろうか。
「なんで知ってるの?ハルナから一々報告があるの?」
「啓一さん甘いなあ。今の世の中高度情報化社会だよ。人の噂なんてライトスピードだよ。インターネットニュースにお昼頃出てたよ。『春菜、師匠にすっぴん見られる』って。」
僕はさらにビックリした。一体、誰がリークしたのだろう。この家に監視カメラでもあるのだろうか。
「……分かった。ネットニュースは後でチェックしておくよ。で、週末はこっちに来るのかな?」
「金曜日の夜は無理そうだけど、土曜日にはそっちに行けると思う。まあハルナちゃんとの新婚生活をせいぜい邪魔しに行きますね。」
「またそういうことを言う。第一、新婚生活って言うけどハルナはずっとメイド服だし、新妻っていうよりメイドっていう感じだよ。」
「へー、スーパーアイドルがメイドなんだ。啓一さんのリクエストなの?」
「まさか。本人の趣味みたい。」
「じゃあハルナちゃんの個性だね。」
「個性?」
「うん。ハルナちゃん東京じゃ事務所の干渉が結構厳しいからさ。生まれ故郷で羽根伸ばしてるんじゃないかな。啓一さん優しいし。」
「そういうもんかなあ。」
「ねえ、ハルナちゃんと同じ部屋で寝てるの?」
「なわけないでしょ。ハルナは一階の使用人部屋だよ。」
「ああ、当直の秘書さんの泊まる部屋か。なんだつまんない。」
僕は軽くため息をついた。話題を変えた。
「マコちゃんは元気かな?」
「マコちゃんのこと心配なんだ?」
「まあ、冷戦状態のままこっちに来ちゃったからね。」
「マコちゃんにしては落ち込んでるかな。大好きなお兄ちゃんにあんなに怒られたんだもん。マコちゃんには伝えとくね。啓一さんがとても心配してたって。」
「はいはい。なんでもいいよ。」
「じゃあ週末楽しみにしてます。選挙頑張ってね。お休みなさい。」
「はい、お休み。」
まだ話したくはあったがニュースの方が気になったのでさっさと電話を切り、キッチンのハルナに「書斎にいるから」と声をかけ、書斎に入ってパソコンの電源を入れた。インターネットを立ち上げ、ポータルサイトを見ると、なるほど総合ニュースのところに「春菜、師匠にすっぴん見られる」というタイトルが掲載されていた。「もっと見る」に入ると「芸能活動を休止し、新潟県柏崎市で師匠の手伝いをしているスーパーアイドル鈴木春菜が今朝、『師匠にすっぴんを見られた』と自身のブログで公表した」とあった。
(「ブログか!」)
そう思った僕は検索エンジンでハルナのブログを探した。僕はハルナの師匠でありながら弟子のブログを見に行ったことは一度もない。検索は一発でヒットし、すぐにブログにたどり着いた。今日のブログには次のように書いてあった。
おはようございます。みなさんお元気ですか?
今朝、春菜は不覚にも寝坊してしまいました。師匠よりも遅く起きてしまいました。そしてあろうことか先生にすっぴんを見られてしまいました。(恥ずかしい)
今日は着物で~す。先生とあちこちあいさつ回りに行ってきま~す。
そして今日の着物姿の写真が添えられていた。自分で自分に携帯を向け、撮影したような写真だった。アップされたのは十時九分。ちょうど、クルマで移動している時間だ。そういえばハルナは携帯をカチャカチャ操作していた。
ハルナのブログをしばらく見ていると書斎のドアがノックされた。「はい、どうぞ」と言うとメイド服のハルナがドアを開け、顔を覗かせて「先生、マコちゃんのおじいちゃんからお電話です」と言った。参議院の大物もハルナからしてみれば相棒のおじいちゃんに過ぎない。
「はい。今行きます。」
僕はそう言ってリビングに向かい、受話器を取った。
「もしもし。」
「ああ、啓一君。私だ。今、広報室から連絡があったのだがまた君は世間を騒がしてくれたそうだな。」
苦言を呈しているがあまり怒った口調ではない。失笑している。
「はあ。申し訳ありません。」
「まあいいよ。私は何も心配していない。君のことだ。何か計算があってのことだろう。しかしだな、官邸の方がカンカンのようだ。」
「総理ですか?」
「いや、総理は君のことを信頼しているからそうでもないようなのだが総理の取り巻きに一人うるさいのがいるようなんだ。『側室』騒ぎがあったばかりだからな。総理自ら注意すべきだと強く申し入れたそうで今度の土曜日、総理が急遽柏崎で直接、君に意見することになったそうだ。」
「はあ?総理が柏崎にいらっしゃるんですか?総理もお忙しいでしょうに?」
僕はビックリして大きな声を出した。
「確かにそうだが今度の土曜日、総理は金沢、岐阜、名古屋で街頭演説の予定なんだ。まあ柏崎で途中下車するということだ。すごい話だな。県庁所在地でもないのに。ひょっとして啓一君。君は総理を選挙期間中、柏崎入りさせるためにわざと騒ぎを起こしているんじゃないだろうな?」
「いえいえ、そんなことありません。」
「そうか。まあ君ほどの野心家ならそれくらいはやりかねないんだろうけどな。君の野心の百分の一でも私にあれば、私も総理大臣くらいにはなれたんだろうけどな。まあ君のペースでやってくれ。私は君のことは何も心配していない。ただ、総理が来るわけだから対応だけはよろしく頼むよ。まあ君は初めてでよく分からないだろうから後で私から直接、伊藤に電話して指示を出しておく。」
「はい。よろしくお願いします。」
「私は期待しているぞ。頑張ってくれ。じゃあ。」
「はい。失礼します。」
そう言って電話は切れた。えらいことになったと思っておでこに手をあてながら後ろを振り向くとすぐそこにメイド服のハルナが立っていてビックリした。
「どうかされたんですか?」
ハルナが心配そうに聞く。
「大したことじゃないよ。その……今度の土曜日、総理が柏崎に来るそうだ。」
僕はハルナに心配させないよう言ったつもりだが声のトーンは低かったようだ。
「私が今朝、ブログにアップしたことが問題になっているんですね?」
「ハルナのせいじゃないよ。ハルナは気にしなくていい。」
「申し訳ありません。」
ハルナはそう言って深々と頭を下げた。泣きそうな声だ。ハルナに原因があるのは事実なのだから慰める言葉も見つからない。
「ハルナ。……鍋がかけっぱなしのようだけど。」
僕がそういうとハルナは「あっ、スミマセン」と言ってキッチンに小走りで戻っていった。慣れない生活でハルナも緊張しているのだろう。僕はハルナのことが少しかわいそうになった。
それからしばらく着物姿のハルナを連れて支援者にあいさつ回りする日々が続いた。総理来訪の準備は僕が指示を出すこともなくテキパキと進められているようだった。来訪を翌日に控えた金曜日の夜、夕食を済ませた後、電話のベルが鳴り、ハルナが出た。ハルナは「少しお待ちください」と丁寧に応対し、僕に「秘書の伊藤さんからお電話です」と告げた。僕は「はい」といって電話口に向かい、受話器を握った。
「もしもし。」
「あっ、若先生。お休みのところ申し訳ありません。」
「どうかされましたか?」
「はい。今、総理秘書の永田氏から電話がありまして、あしたの総理来訪の打ち合わせをしたいそうです。」
「これからですか?もう柏崎にいらしているのですか?」
「はい。準備のために一足先に来たとおっしゃっておられました。」
「分かりました。では今から事務所に向かいますね。」
「いえ、永田秘書は若先生と二人だけで打ち合わせをしたいそうです。これからそちらにお邪魔されるそうですので若先生はそちらでお待ちください。」
随分急な話だが先方は不意打ちを食らわせる作戦なのかもしれない。
「はあ。分かりました。」
「若先生は既にご存知かと思いますが永田秘書はやり手です。今回も永田秘書が総理を説きつけて柏崎で若先生を叱責する日程を無理矢理組み込んだと噂されています。もちろん同じ党の仲間ですから極端に足を引っ張ることはないとは思いますが、お気をつけください。」
「分かりました。ご面倒をかけて申し訳ありません。」
「いえいえ。面倒なんてとんでもありません。先日、大先生からお電話をいただいたのですが、大先生は今回のこと、若先生が『陣営を引き締めるためにわざとやっている』とおっしゃっておられました。」
「はあ?」
「確かに野党第一党が対立候補の擁立を正式に断念してから陣営はたるんでいました。選挙は水物であることは十分承知していなければならないのに。さすがは若先生とみんな感心しています。」
なるほど、そういう解釈も可能なのか。どおりで地元で誰一人、僕に文句を言ってこないはずだ。
「そんなこともありませんが。とにかく色々ありがとうございます。ではまたあしたよろしくお願いします。」
「はい失礼します。」
そう言って電話は切れた。確かに永田秘書という名前は聞いたことがある。あまりいい印象は持っていないからきっと、僕にとって好ましい相手ではないのだろう。どうしようかと思って振り返るとそこにメイド服のハルナが立っていてビックリした。手に何か持っている。
「先生。永田様という方がお見えになりました。応接間にお通ししています。」
そう言って手に持った名刺を僕に渡した。名刺には「内閣総理大臣秘書 永田守」と書いてある。
「じゃあお茶をお出しして。」
僕はハルナにそう言って応接間に向かった。急な話だがここはあたって砕けるしかない。
応接間のドアは開いていた。「お待たせしました」と言って中に入るとソファに座っているはずの永田氏の姿が見えない。おかしいなと思っているとソファの横から「白石先生、申し訳ありません」と声がした。声のする方を見ると大の大人が僕に向かって土下座をしていた。
「どっ、どうされました?」
ビックリして僕は土下座の主に声をかけたが土下座の主は顔を上げない。
「申し訳ありません。私は白石先生をペテンにかけるようなことをしてしまいました。どうかお許しください。」
僕はなんのことか理解できなかった。僕は永田氏の近くで膝を折った。
「永田さん、とにかくこのままではお話できませんからお顔を上げて椅子に座っていただけませんか?」
僕がそう言うとようやく土下座の主は顔を上げた。年は四十半ば。本当にいいおじさんといった感じの人だ。
「はい。失礼します。」
そういって永田氏はソファに腰掛けた。そしてまた頭を下げた。
「今回はこのようなことになってしまい本当に申し訳ありません。お詫びのしようもありません。」
「永田さん。スミマセン。僕にはなんのことかまったく理解できないのですが。」
そんな会話の間にハルナが入ってきてテーブルの上にお茶を置いた。それからハルナが僕の後ろに立ったまま下がらないのでハルナに「あっハルナはもういいよ」と言った。すると「スミマセン。ハルナちゃんにも同席してもらいたいのですが」と永田氏が言った。
いきなりハルナを「ちゃん」付けで呼んだので僕は違和感を覚えたが同席させない理由もないので「じゃあ、ハルナ」と言って僕は隣の席を指さした。ハルナは「失礼します」と言って僕の隣に座った。
「では最初から説明させていただきます。私が内閣総理大臣私設秘書、正確には私設第一秘書の永田守です。」
永田秘書は大きく深呼吸して説明を始めた。
「学生時代から斉藤総理の秘書を始め、秘書歴はもう二十五年になります。私も本当は白石先生のように政治家を目指していたんです。ちょうど、三年位前が転機でした。斉藤が総理大臣になりまして、私としては公設第一秘書が総理大臣秘書官になって順送りで私も公設秘書になれると思っていたんです。」
「はあ。」
僕はなぜこの人の身の上話を聞かされなければならないのか、よく分からなかったがとにかく耳を傾けた。ハルナも真剣に聞いている。
「ところが総理はご親族を総理大臣秘書官に抜擢してしまいました。私は私設秘書のまま。それで私は政治の世界では一生私設秘書のままで終わるんだということを観念しました。くやしくて仕方ありませんでした。しかし子どもはまだ小さいし、今の仕事を辞めるわけにはいかないし、本当に怒りの持って行き場がなかったんです。」
「はい。」
「そんなとき、私の心の隙間を埋めてくれたのがハルナちゃんだったんです。」
「はあ?」
「最初はたまたまでした。普通の喫茶店だと思って入ったのがメイド喫茶だったんです。ハルナちゃんは私に本当に優しくしてくれました。それから私はハルナちゃんのいるメイド喫茶に通うようになりました。もちろん私には妻も子どももいる身です。変な下心があったわけではありません。ただ、とても癒されまして、純粋にハルナちゃんのことを応援するようになったんです。私と同じ境遇の人がもう何人かいて、自然発生的にハルナちゃんのファンクラブができました。私が代表になりました。」
「そうだったんですか。」
ようやく話の筋が見えてきた。僕は隣に座っているハルナを見た。ハルナは「私の一番辛かった時代を支えてくれた人達ですから私にとっては宝物です」と言ったときの目で僕を見た。永田秘書は続けた。
「それからハルナちゃんはチームのオーディションに合格し、白石先生に見出されスーパーアイドルへの階段を上っていきました。もう私の手の届かないところに行ってしまいました。もちろんそうなるべく応援してきたわけですから一ファンとしてはとてもうれしいことです。でも寂しさもあるんです。」
「よく分かります。」
「もう昔みたいに会うことはできないんだろうなと思っていたのですが、今回の総選挙でハルナちゃんは芸能活動を休止して白石先生のことをお手伝いするということを聞きました。それでまた昔みたいにハルナちゃんに会えると思ったんです。」
「はい。」
「しかし、うまく行かないものですね。選挙となると総理大臣秘書の私は総理と一緒に全国を飛び回らなければなりません。なんとか柏崎に行っていただけないだろうかと思っても柏崎の白石先生は公示前から当選確実。とても総理が応援するべき候補者ではありません。」
「そんなこともありませんが。」
「『やっぱりハルナちゃんには会えないんだ』と思っていましたところ先生が『すっぴんスキャンダル』を起こしてくださいました。『側室スキャンダル』から間がないですから永田町にも先生のことを好ましく思っていない空気が流れています。それで私の方から総理に白石先生に直接意見するよう申し入れさせていただきました。総理にはあることないこと話しています。本当に申し訳ありません。でもお蔭様でこうやって柏崎に来てハルナちゃんにも会うことができました。」
僕はため息とも深呼吸ともつかない息遣いをした。そして
「総理には何をお話になったのですか?」
「色々ですがとにかく白石先生は女癖が悪いと。……申し訳ありません。そんなことはないことは重々承知しています。白石先生には本当に申し訳ないことをしてしまったと思っています。それで……こんな状況のときに申し訳ないのですが、先生に一つお願いしたいことがございます。」
永田秘書はもう一度頭を深々と下げた。
「なんでしょう?」
「明日、メイド喫茶時代のハルナちゃんのファンクラブ、『ハルナクラブ』のメンバー全員、全員といっても七人ですが、ここ柏崎に集結することになっています。そこで久しぶりにクラブの会合を開くのですが、その席にはぜひハルナちゃんにも参加してもらいたいのです。ハルナちゃんが成功してからハルナちゃんは本当に遠い存在になってしまいました。でもせめて一度だけでいいです。みんなで『よかったね』と言ってあげたいんです。東京じゃこんなことできないですから。」
僕はもう一度ハルナを見た。ハルナはもう一度「私の一番辛かった時代を支えてくれた人達ですから私にとっては宝物です」と言ったときの目で僕を見た。
「あした、僕はどうすればいいんですか?」
僕は永田氏に視線を戻して聞いた。
「総理の柏崎滞在は二時間くらいです。その間、総理は先生のことを叱責し続けると思います。総理は普段は温和ですが怒らせるととても怖いです。私は今まで何度もサンドバッグ状態を経験しています。」
「とてもそうは見えませんが」
「外面はいいんです。でも、本当に怒ると言葉だけではなく、手も飛んできます。足だって飛んできます。コーヒーカップが飛んできたこともありました。」
「……僕がサンドバッグになればいいんですね?」
僕は自虐的に言った。
「本当に申し訳ありません。それと明日は奥様も柏崎にいらっしゃいますね?」
「その予定ですが。」
「総理は奥様にも立ち会っていただきたいとおっしゃっています。白石先生と奥様と三人でお話をされたいそうです。場所はここの応接間がいいと思います。」
女癖が悪いということだから総理は妻の監督責任も追及するのかもしれない。チャコは巻き込みたくなかったが行きがかり上、止むを得ない。
「分かりました。いいですよ。ハルナもお貸ししましょう。」
そう言って僕はハルナの方を向いた。
「あしたはチャコも来るし、ハルナは休みをとって実家に帰るということでいいよ。せっかくだからのんびりしてきなよ。」
僕がそう言うと、ハルナは無言のままニコッとし、小さくうなづいた。
「クラブの集まりは総理がお帰りになった後です。私は『後片付けをする』と言って柏崎にしばらく残る予定です。ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。」
永田氏がそう言って頭を下げ、ハルナも「ありがとうございます」と小さな声で言い、ペコリと頭を下げた。
次の日、僕は柏崎駅の下りホームで総理の到着を待った。僕の周りには柏崎警察署長を初め、制服、私服の警察官が集結している。午前九時過ぎに金沢方面の特急が到着し、総理が降りてきた。僕は一番最初に総理を出迎え、「白石です。ご無沙汰いたしております。本日はお忙しいところご訪問くださいましてありがとうございます」と言って総理と握手した。総理は「ああ、ご苦労さん」というようなことを言った。そしてSPに周りを囲まれ、僕の目の前を通り過ぎた。そのまま会談場所の白石本宅に向かうようだ。そんな総理の後姿を見送ると誰かが僕の背中を指でツンツンつついた。振り返るとそこに見覚えのある藍色のオーバーを着た少女が立っていた。チャコだった。
「チャコ!」
「啓一さんお久しぶり。元気そうだね。」
「総理と一緒だったの?」
「うん。あたしもビックリしちゃった。長岡から乗ったんだけど何か物々しくて。そしたら『チャコちゃん』って声かけられて、誰だろうと思ったら総理だったの。」
チャコと僕は二人で並んで総理ご一行の後を追った。
「そうだったんだ。何か話した?」
「したっていうか、ここに来るまでずっと隣の席で総理としゃべってたよ。」
「そうなんだ。なんの話したの?」
「ほとんどおじいちゃんの悪口かなあ。総理もすっきりしたみたい。」
「そうか。で、今日の総理の件なんだけど、実はね……」
「あたしも同席するんでしょ?」
「聞いてるの?」
「さっき、総理本人から聞いたよ。」
「ごめんね、チャコまで巻き込んじゃって。」
「いいよ。別に啓一さんが悪いんじゃないんでしょ。それに啓一さん、総理の弱点知ってるんだから総理もそんなに強くは出られないと思うけどなあ。」
「それとこれとは話が別だと思うけど。」
そんな話をしながら白石本宅に到着した。家の周囲は機動隊までが出動し、警備が物々しい。玄関を開けて「ただいま~」と言うとメイド服姿のハルナが小走りで現れた。
「お帰りなさいませ。もうお見えになっています。応接間にお通ししています。」
ハルナがそう言うとチャコが
「ハルナちゃん!かわいい~。とっても似合ってるよ~!」
そう言うとハルナはニッコリ笑い、メイドモードから女の子モードに切り替わった。
「ありがと~!チャコちゃんお久しぶり。お蔭様でなんとかやってるよ。」
僕は「まあ二人のガールズトークはまた後ということで」と言って二人を制し、チャコと一緒に応接間に向かった。
ノックして「失礼します」と言い、応接間に入ると総理は既にソファに座っていて「まあ、かけたまえ」とチャコと僕に椅子を勧めた。チャコと僕は失礼しますと言って対面に座った。ドアがノックされ「失礼します」と言ってハルナがお茶を持って入ってきて、総理と僕たちの前に置き出て行った。
「今のが鈴木春菜さんだね。」
総理が言った。今回の騒動の張本人をこの目で確かめたといった口調だ。
「はい。今回はお騒がせして申し訳ありません。」
僕はそう言って頭を下げた。
「まあ騒ぎというほどのことでもない。で、また君にお願いというか相談したいことがあるんだ。これから私が話すことは内密にしてもらいたい。」
いきなり総理がそう言ったので僕は思わず「はあ?」と言った。
「孫のことは知っているな。この前、七月だったと思うが、官邸で話したとおりだ。」
「はい。」
「あの孫、『チーム』というグループに完全にはまっていて、最近はさっきの鈴木春菜さんにお熱のようだ。鈴木さん、チームに入る前にメイド喫茶で働いていたことがあってそのときの写真に相当高い値段がついているそうだな。」
「はあ。」
「孫は鈴木さんのメイド服姿の写真が欲しいそうだ。しかし売れてからは事務所の方針なのか、メイド服姿はお目にかかれない。でも今は芸能活動を休止して柏崎でメイド服姿を披露しているそうじゃないか。」
「いや、外に出るときはほぼ和装ですが……」
僕がそう言うとチャコが「でもゴミ捨てに行くときとかは案外、メイド服だったりするんじゃない?それがカメラ小僧に目撃されてたりして」と言った。総理は続けた。
「うん。だから今ならメイド服姿が撮れるから写真を撮ってきてくれって言うんだ。」
僕はあまりにも急激な展開についていけなかった。
「随分、おませなお孫さんですね?」
僕は思わずぽろっと独り言のように言った。しばらく間があった。
「……白石君。」
「はい?」
「君は誤解しているようだけど孫は女の子だよ。」
「……」
「そうだと思いました。ハルナちゃん男の子よりも女の子に人気があるから。」
僕が絶句しているとチャコがすかさずフォローを入れた。
「それで写真を撮らせて欲しいのだがいきなり『メイド服姿の写真を撮らせてくれ』と言ったらあまりにも不自然だ。どうしたらいいのか孫はちゃんと指示してきたよ。私が柏崎に応援演説に行く。柏崎の候補者は君だから君が当然、私の脇に立つ。鈴木さんはチャコちゃんの代わりにここで君の奥さん役をやっているという話だから鈴木さんも脇に立つ。そのときメイド服を着てもらえれば写真は撮れるというわけだ。でも問題が一つある。柏崎の君は公示前から当選確実。とても私が応援に行く候補者ではない。どうしたものかと思っていたら幸か不幸か、君が騒ぎを起こしてくれた。私はまったく問題にしていなかったが秘書の中に『総理が直接、注意すべきだ』と意見するものがいてな。渡りに船とはこのことと、今日、こうして柏崎にやってきたというわけだ。」
「昨日、永田さんに総理はカンカンだと聞かされましたが。」
「カンカンな振りはしていたよ。でもそういう事情だから。まあ、人に聞かれたら申し訳ないが『総理にたっぷり絞られた』と答えておいてくれ。もちろん私は何も怒っていない。」
身体から力が抜けた。そう言えば最初からおかしな話だった。まあ総理大臣と秘書の信頼関係なんてこんなものなのかもしれない。
「それでやってくれるかな?」
総理は念を押した。
「僕は構いませんが、ハルナが人前でメイド服を着てくれるかどうかです。事務所の社長にメイド服を止められているようですので。」
僕がそう言うとチャコが
「でも今日はいいじゃん。今は奥さん役なんだし、野島さんも強くは言えないでしょ?」
「でもこっちで僕と一緒に外出するときはいっつも着物だよ。いきなり、しかも総理のいるときにメイド服じゃおかしいんじゃない?しかも総理に説教された後だっていうのに。」
「じゃあ、『今日は本物の奥さんが来てるのでメイド役で~す』ってハルナちゃんに言わせちゃえば。そうすればみんなそういうもんかと思うんじゃない?それで演説の後で『せっかくだから記念撮影しましょう』って言って写真をバチバチ撮ればいいよ。ハルナちゃんのワンショットもね。」
「よし、じゃあそれで行こう。」
総理が一言、そう言い、僕が意見する余地はなく、結論が出た。それから僕は事務所に電話して街頭演説の準備を依頼し、ハルナにはメイド服のまま街宣車の上に乗るように言った。ハルナは躊躇していたが「野島さんには僕の方から言っておくから」と言うと笑顔で「はい!」と返事をした。まんざら悪くもなさそうだった。
総理とチャコと僕はしばらく白石本宅で談笑し、三十分くらいすると「街頭演説の準備ができました」と言って秘書が呼びにきたので総理と僕はメイド服姿のハルナを連れて家を出た。チャコは「あたしが行くと選管が騒ぐかもしれないから」ということでお留守番になった。
街頭演説会場の柏崎駅前は準備時間が三十分しかなかったのに既に黒山の人だかりだった。永田秘書の仕切りで僕、ハルナ、総理の順で街宣車の上に上り、まず総理がマイクを握り「白石君の弱点は若さだがそこが強みでもある」というようなことを言い、十五分くらい、今回の総選挙の争点について自説を述べた。そして、僕が少ししゃべり、その後仕切り役の永田氏が「ではせっかくですから鈴木春菜さんにも一言いただきましょう」といってハルナにマイクが渡った。
ハルナは「今日は先生の本物の奥様がいらしているので私はメイド役で~す」と言い訳し、「せっかくですから一曲歌わせていただきます」と言った。僕はビックリしたが「天使の翼」の前奏が始まり、ハルナは総理と僕が乗る街宣車の上で「天使の翼」をフルコーラス歌った。「あなたのどりょく、てんしはみている」のサビの部分では手のひらで総理を示すおまけもつけた。僕はヒヤッとしたが総理が終始笑顔だったのでこれでよかったんだなと思った。街頭演説は大成功に終わり、僕もなんだか本物の政治家になったような気分がした。
それから事務所に戻って「せっかくだから記念撮影をしましょう」と言って写真を何枚も撮った。メイド服のハルナはモデル、スーパーアイドルそしてファッションリーダーらしく何枚もポーズに応じていた。内閣広報室のカメラでワンショットも撮った。
そして総理一行は柏崎駅に引き返し、金沢方面の特急に乗って、慌しく次の目的地に向かった。大勢の市民が総理を見送り、電車がホームを離れるとみんなそれぞれの持ち場に戻っていった。駅には永田氏とハルナと僕が残された。
「うまく行きましたね。とりあえずホッとしました。」
僕は永田秘書に言った。
「総理はいかがでした?」
永田氏が心配そうに聞いた。
「たっぷり絞られましたよ。」
僕は若干の笑みを見せて言った。永田氏は神妙になった。
「白石先生。本当にお詫びの言葉もありません。私にできることであればなんでもさせていただきます。なんでもおっしゃって下さい。」
「では早速お願いしたいことがあるんですがよろしいでしょうか?」
僕は間髪入れずに言った。
「はい。どのようなことでしょうか?」
「この次に開催される『ハルナクラブ』の集まりに僕も呼んでいただきたいのです。できればその次も。」
「はい。それは構いませんが。」
永田氏が不思議そうな表情で答えた。
「呼んでいただければ後はハルナのスケジュール次第ですが、ハルナが空いていれば僕の鞄持ちとしてハルナも連れて行きます。僕が『ハルナを同伴したい集まりがある』と言えば所属事務所の社長も嫌とは言えないでしょうから。」
「……白石先生。……そんなことまでおっしゃっていただけるなんて……ありがとうございます。」
「いえいえ。お礼を言いたいのは僕の方です。今まで僕はハルナが成功できたのは全部白石裕子の力だと思っていたんです。でも違いました。白石裕子の力は確かにあったかもしれませんが、それ以上に永田さんのような熱心なファンの方に支えられたからだということが分かりました。これからもハルナのことよろしくお願いします。」
「もったいないお言葉です。……正直言いますと私、先生がまだそんなにお若いのになぜ総理の信頼を得られているのか不思議で仕方なかったんです。でもよく分かりました。白石先生こそこれからのリーダーにふさわしいお方です。」
「いえいえ、それは大袈裟ですよ。」
「そんなことはありません。私は総理の傍にいる者です。きっと先生のお力にもなれると思います。何かございましたらなんなりとお申し付けください。今日は本当にありがとうございました。」
永田氏はそう言って深々と頭を下げ「では失礼します」と言ってメイド服姿のハルナを促した。ハルナもペコリと頭を下げ、二人は僕から離れていった。そんな二人の背中を僕は見送った。少し晴れやかな気分だった。
僕は事務所に戻り、スタッフの皆さんにお礼を言った。今日のスケジュールは総理来訪のためすべてキャンセルになったのでこれでおしまいだ。それから徒歩で柏崎警察署に移動し、署長以下、皆さんに警備のお礼を言ってから白石本宅に帰宅した。安心したのとお昼時ということもありお腹がペコペコだった。きっとチャコが餃子でも準備しているのだろうと思った。玄関は空いていた。
「ただいま~」といって玄関を開けるとメイド服姿のハルナが出てきて「お帰りなさいませ。今日はお疲れさまでした」と言ってペコリと頭を下げたのでビックリした。
「ハルナ!『ハルナクラブ』の会合に行ったんじゃなかったの?」
僕がそう言うと奥から永田秘書が現れて「スミマセン、お邪魔しています」と言って頭を下げた。その後に今度はメイド服姿のチャコが現れてさらにビックリした。
「お帰りなさい。お疲れさまでした。うまく行ったみたいだね。よかったね。」
「どうなってるの?」
「うん。あたし、『お留守番する』って言ったけど実はお忍びで街頭演説見に行ったの。その帰りにハルナちゃんが見知らぬ素敵な男性とツーショットで駅から出てくるの目撃しちゃったの。そっとしておいてあげてもよかったんだけど声かけたら『これからメイド喫茶時代からのファンの集いがある』っていうじゃない。だったらうちでどうぞって言ったの。カメラ小僧とかに追い掛け回されたりするとまた厄介じゃない。」
「うん。」
「お話は全部二人から聞いたよ。啓一さんやっぱり優しいね。でね。今度東京でファンの集いをやるときは碑文谷のおうちでやればいいと思うの。ハルナちゃん、碑文谷のおうちに来るんだったら野島さんも文句言えないもんね。」
僕は永田氏とハルナを見た。ハルナは「私の一番辛かった時代を支えてくれた人達ですから私にとっては宝物です」と言ったときの目で僕を見た。そしてニッコリ微笑んだ。僕も微笑んだ。
「そうだな。チャコ、さすがだね。」
「さあさあ、皆さんお集まりなんだから啓一さんもご挨拶してよ。一応、ここでは啓一さんがハルナちゃんの夫役なんだからさ。」
「その服はどうしたの?」
僕はチャコのメイド服が気になった。
「マコちゃんに借りたの。あたしもメイド服とやらを着てみたいと思ってね。ハルナちゃんとのお揃いのがあったの。似合ってるかなあ?で、今日はハルナちゃんが奥さん役だからあたしはメイド役に徹するね。ガンガン料理作りまっせ!」
チャコはそう言って満面の笑みでニッコリ微笑んだ。