JK妻(シーズン2)   作:山田甲八

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三 忍者事件

 ゴールデンウィークも過ぎたある平日の午後、僕は参議院議員会館の一室で妻の祖父にあたる巨漢の政治家を待っていた。ついさっき、急にこの部屋に呼び出されたのだ。このようにこの政治家に急に呼び出されて野暮用を押し付けられるのは慣れてはいるが本人の口から直接指令が出るのは珍しい。通常は秘書経由だ。余程、自慢したいことでもあるのだろう。二時間くらい待っていると事務室に巨漢が現れた。

「やあ、啓一君。忙しいところすまないね。実は頼みたいことがあるんだが。」

 巨漢の参議院議員は余程暑いのだろう、扇子であおぎながらあまりすまなくはなさそうに言った。

「なんでしょうか?」

「実はね、今さっき決まったんだけど政府特使としてアフリカに行くことになったんだ。」

 これが自慢したかったんだなと僕は思った。チャコやマコちゃんや裕ちゃんもそうだったが白石の家系は分かりやすい人が多い。ここはおもいきり誉めて気持ちよくさせてあげなければならない。

「政府特使ですか?それはすごいですね。総理大臣並みじゃないですか?アフリカのどちらに行かれるんですか?」

「ああ、なんとかと言われたけど国の名前は忘れてしまったなあ。初めて聞いた名前だった。レアアースというのを知ってるだろう?貴重な鉱物資源だ。なんでもその某国でなんとかという貴重な鉱物資源が取れるのだが最近、輸入が滞っていて、もっとスムースに輸入できるよう事務方と一緒に交渉に行くんだ。その国、何年か前にクーデターで全権を掌握した軍人出身の大統領の独裁で、この大統領を説得することが鍵だそうだ。政治家の出番というわけだな。で、国会も終盤なんで大物で一番暇そうな私が選ばれたって訳だ。急な話で準備ができ次第、政府専用機で出発する。しばらく日本を離れるよ。」

 巨漢は大層自慢気に言った。

「大変名誉なことですね。素晴らしいじゃないですか。」

「そうだな。私も政治の世界では主役級ということだ。そこで君に一つお願いがあるんだ。今年も昨年同様、今度の日曜日に新任の駐日大使館員の職員の皆さんをお誘いしての東京バスツアーが予定されているんだ。そういう事情で私は今年も参加できなくなったから私の代役を君にお願いしたいのだがどうだろう?」

「はあ。今度の日曜日でしょうか?」

「そうだ。今度の日曜日なのだがもう予定が入ってしまっているかな?君も忙しくなったからな。」

 僕の予定は大丈夫だがチャコが出かけると言っていたはずだ。

「また和服の婦人同伴ということになりますでしょうか?」

「そうだな。大使館の皆さんはご婦人が着物を着てくるのを楽しみにしているからな。」

「先生。大変申し訳ないのですが、今度の日曜日はチャコに先約が入っていたと思います。僕は構わないのですが、夫婦同伴は難しいと思います。」

 僕は巨漢の政治家に申し訳なさそうに言った。

「ああ、それなら別に朝子でなくても構わないよ。着物を着たご婦人が同伴すればいいのだから別に妻である必要はない。真子でもいいし、私が行くわけではないから幸子でも構わないよ。君と幸子でもそんなに釣り合いが取れないということはないだろう。」

「はあ。」

 確かに九歳年下で現役女子高生のチャコよりも九歳年上で童顔のチャコの母親の幸子さんの方が僕の妻として釣り合いが取れていることに間違いはない。

「あるいはなんとかという真子と一緒に歌っている背の高い女の子でもいいよ。君の一番弟子なんだろう?」

「ハルナですか?」

「そう言ったかな。あの子の方が見栄えがいいかもしれないな。」

 それはそうだろう。ハルナはモデル出身なのだ。

「まあ同伴者は君に任せるよ。とにかく引き受けてもらいたいのだがいいかな?」

「はあ。なんとかやってみます。」

「じゃあよろしく頼むよ。……ところで話のついでに真子のことなのだが。」

「はあ。」

「秘書に聞いたのだが、君は最近、真子を居候させているそうだな?」

「はい。先日お話したとおりマコちゃん売れっ子になってしまったものですから、本人の希望もあって僕のところに下宿しています。」

「そうか。まあ君のことだから間違いはないと思うが真子には気をつけた方がいい。あの子は朝子と違って幸子に似てしまったからな。朝子は裕子に似てやさしい子だが同じ顔をしていても真子は幸子似のしたたかな子だ。私にもなつかなかった。火傷させられないようにした方が身のためだぞ。身内のスキャンダルも政治家の命取りになるからな。」

「はい。気をつけます。」

 僕は素直に返事をした。この巨漢に言い訳をしても得るものは何もない。

「それでなくても最近、真子のことが盛んにマスコミに取り上げられているし、真子が私の孫であることも、私と裕子が親子であったこともばれてしまっている。私も忙しいのに最近は芸能記者の相手もしなければならなくなってしまった。まあ秘書に任せてはいるが。」

「すみません。ご迷惑をおかけします。」

 僕は深々と頭を下げた。

「まあ迷惑という程のことではない。煩わしいのは事実だが、これも君の作戦なんだろう。君の名前も選挙の近いこのタイミングで全国区にのし上がってきたからな。」

 それは確かにその通りだった。僕が何かの意図を持っていたわけではない。僕はハルナに歌わせるために裕ちゃんの曲を十一曲、野島プロデューサーに渡しただけだ。僕はてっきりアルバムが一枚リリースされ、野島氏が適当に二曲シングルカットすると考えていたのだが、野島氏はハルナを自らがプロデュースする音楽情報番組「スタジオL」のレギュラーにしてしまい、毎週一曲ずつフルコーラスで歌わせるという戦略に出たのだ。これは大当たりし、「スタジオL」は視聴率をV字回復、マコちゃん同様、ハルナも一躍スーパーアイドルの座を獲得した。そしてマスコミの注目を浴びているこの二人が頼みもしないのに僕のことを持ち上げたため、マスコミも裕ちゃんと僕、そしてチャコの物語に注目し、否応なしに僕の顔は全国区となってしまったのだ。

「ただでさえ白石権蔵の孫娘の婿には勝てないと二の足を踏んでいる相手陣営にとどめを刺したと言ってもいい。選挙が近いというのにまだ公認が決まらないよ。今解散しても君の圧勝は間違いないな。すべては計算づくなんだろうが、君もしたたかというかここまで来ると恐ろしいほどの野心家だな。昔、サッカー日本代表のゴールキーパーからこんな話を聞いたことがあるよ。『本当に優秀なゴールキーパーとは打たれたシュートをすべてファインセーブするキーパーではなく、ディフェンダーに的確な指示を出し続けてシュートを一本も打たせないキーパーである』とね。私は選挙に強い政治家というのは投開票で圧勝する政治家だと思っていたが、君を見ていて考えが変わったよ。圧倒的な力を見せ付け相手陣営に対立候補を出馬すらさせない政治家が本当に選挙に強い政治家なんだな。私もしたたかな方だが君の足元にも及ばない。君が敵じゃなくて本当に良かったよ。」

 巨漢はそう言ったがそもそも僕には政治的野心などないのだ。すべては偶然でこの巨漢の政治家が勝手に誤解しているだけなのだ。

「じゃあ私は次の約束があるのでこれで。」

 そう言うと日本でも有数の多忙な政治家は事務所から出て行った。

 

 僕は夜の七時頃碑文谷の自宅に帰った。選挙が近付いているのを代議士達も感じているせいか、目が地元の方に向いてしまっていて終盤国会はそれほど忙しくない。延長も予定されていない。自宅ではチャコとマコちゃんがダイニングでテレビを見ながら僕の帰りを待っていた。僕が帰宅して、着替えて、それから晩ご飯が始まった。ダイニングでの三人での食事にも随分なれてきた。ダイニングではチャコと僕が並んで座り、マコちゃんが対面に座る。

「今日、権蔵先生に会ったよ。」

 晩ご飯が始まると僕はその話題から始めた。

「そう。じゃあまた難題を押し付けられたのね?」

 チャコが答えた。チャコも僕の立場を随分と理解できるようになってきた。

「まあ難題といえばそうだね。今度の日曜日、また今年も在日大使館の新任職員の皆さんとのバスツアーがあるんだけど今年も自分の代わりに僕に参加してくれって。今年は権蔵先生、アフリカに出張なんだって。」

「へえ~。何しに行くの?」

「交渉団の団長みたいな役回りなんだって。だから向こうの偉い人とご飯食べるのがメインじゃないかな?僕もよく分からない。」

「そう。で、今年も夫婦同伴?」

 チャコが確認する。

「うん。でもチャコは何か予定が入ってたよね?」

「うん。恵子ちゃんの誕生パーティーに招待されてるの。恵子ちゃんにはお世話になってるし、恵子ちゃん、正真正銘のお嬢様だからどんな誕生パーティーになるのか興味あるし、行きたいんだけどなあ。でも啓一さんがどうしてもって言うなら啓一さんの方優先するよ。」

「チャコに先約が入ってることは権蔵先生にも言ったんだよ。そしたら和装の婦人同伴であればいいので妻でなくてもいいんだって。マコちゃんでもいいんだって。」

「えっ、あたしでも?」

 それまでテレビの画面に集中していたマコちゃんが急に食いついてきた。

「そう。それからこれはびっくりしたんだけど自分が行くわけじゃないから幸子さんでもいいんだって。」

「お母さんでも?おじいちゃん丸くなったね。今まではお母さんの名前なんて口にも出さなかったのに。」

 チャコが感慨深げに言った。マコちゃんもびっくりしていた。

「そう?それでさらにびっくりしたんだけどハルナでもいいんだって。」

「そっか。選り取りみどりだね。で、啓一さんは誰がいいの?」

 チャコがいたずらっぽく聞く。

「お兄ちゃんは当然あたしを指名してくれるよね?このかわいい妹を。」

 マコちゃんが言った。

「マコちゃんかなあ?あたしだったら絶対にハルナちゃんだけどな。だってハルナちゃんモデルさんだよ。和服姿綺麗なんだろうなあ。」

 チャコが言うと

「でもハルナちゃんはお勧めしない方がいいよ。」

 そうマコちゃんが言った。

「どうして?」

 チャコが不思議そうに聞く。

「それは今、チャコちゃんが言ったようにモデルさんだからだよ。さすがのお兄ちゃんもハルナちゃんの和服姿見たらクラクラってきちゃうんじゃないかな。」

「そう言ってマコちゃんは自分が着物着たいだけでしょ?啓一さんとデートもできるし。」

 話が随分ずれてきた。

「まあ、とにかくみんなのスケジュールを考えようよ。三人とも駄目かもしれないし。幸子さんは駄目だよね?お店あるし。」

 僕が会話を修正した。

「まあそうだね。」

 チャコが答えた。

「マコちゃんはどうなの?」

「あたしも今度の日曜日は予定があるの。チームの夏のコンサートの説明会があるの。企画の人がどういう内容にするか発表してチームのメンバーで練るんだ。一日仕事になるね。」

「じゃあハルナも駄目だよね。」

「そういうことになるね。でもあたしなら抜けられるんじゃないかな。あたしどうせまだ下の方だし、一人くらいいなくてもなんとかなるよ。それに野島先生もお兄ちゃんの用があるって言えば聞いてもらえると思うし。野島先生、お兄ちゃんには逆らえないからね。」

 マコちゃんが言った。

「野島さんには僕の名前結構使ってるの?」

「う~ん、一応お兄ちゃんは切り札なんだけど切り札にしては使ってるかも。」

 マコちゃんはこういう少女だ。でもチャコには予定通り行動して欲しいし、ここはマコちゃんにお願いするのが、迷惑が一番少ないと思った。

「じゃあマコちゃんにお願いしよう。いいかな?」

「ほいほ~い。じゃああたしハルナちゃんやお母さんやチャコちゃんにも勝ったんだね。」

「そういう問題じゃないんだけど。で、和装なんだけど、できるかなあ。去年、チャコがやってるし、変なところでマコちゃんにも着物着てもらったから大体分かるとは思うんだけど。分からなかったらチャコに聞いてね。」

「それは大丈夫。こう見えてもあたし女優だからね。で、お兄ちゃん。別に振袖でなくてもいいよね?」

 マコちゃんに聞かれたが、僕は着物のことはよく分からない。

「うん。和装であればなんでもいいんだと思う。まあ、僕はよく分からないからマコちゃんにお任せするよ。」

「はいは~い。じゃあ詳しいスケジュール後で教えてね。日曜日が楽しみだなあ。」

 マコちゃんはそう言ってニッコリ笑った。

 

 それから数日がたち、日曜日がやってきた。着付けのあるマコちゃんが一番最初に出発し、次に僕がチャコに見送られた。

「じゃあ、啓一さん頑張ってね。」

「頑張るっていうほどのことはやらないけどね。」

「それとマコちゃん、楽しませてあげてね。今日のこととっても楽しみにしてるから。啓一さんとお出かけできるのとってもうれしそう。」

「着物が着られるのがうれしいんじゃないの?」

「それもあるけどマコちゃん最近、本当にブラコンだから。だから妹さんのこと大切にしてあげてね。」

「は~い。チャコも楽しんできてね。」

 僕はそう言って駅まで徒歩で移動し、東急と地下鉄を乗り継いで集合場所の二重橋前に到着した。

 

 集合場所にはバスが一台待機し、三々五々、参加者が集ってきていた。僕はアテンド役の外務省の人にあいさつし、ホスト役の日本人や大使館の新任職員の皆さんにもあいさつしてまわった。

 そんなふうにしばらく時間が過ぎていると突然、大使館の新任職員の皆さんがざわつき始めた。遠くの方を見て、指をさしたりしている。指のさされた方向を見て僕もびっくりした。なんと二重橋前に忍者が現れたのだ。全身黒装束だ。しかもその忍者は僕の方に向かってくる。僕は緊張した。そして忍者は僕の目の前に立つと恐ろしい言葉を口にしたのだ。

「お兄ちゃん、お待たせ!」

 そう言って覆面を下にずらすと中からマコちゃんの顔が現れた。

「マコちゃん!なんでそんな格好してるの?」

「なんでって、お兄ちゃんが和装で来いって言ったんでしょ?」

「それはそうだけど……。」

「それで、『あたしが振袖じゃなくてもいいよね?』って聞いたら『マコちゃんに任せる』って言ったじゃない。だからお任せされたの。どう?似合ってる?忍者やってみたかったんだあ。本物の衣装屋さんに頼んだからね。小道具も本物そっくり。」

 この少女は限度というものを知らないことを思い出した。僕はあきれた。みんなが二人に注目している。

「電車で来たの?」

「そう、原宿から地下鉄乗ってきたよ。この格好でね。でも覆面してるからマコちゃんとは誰も気付かなかったよ。」

「そんな格好で皇居前でよく職務質問とかされなかったね。」

「されたにきまってるじゃん。駅降りてからここにくるまでに三回も職務質問されちゃった。最後のおまわりさんはマコちゃんのこと知ってて、『これから撮影で~す』って言ったら『頑張ってね』って言われちゃった。」

 そんな会話をしているうちにも大使館職員の皆さんが「オ~!ニンジャ!」とか言って騒ぎ始め、マコちゃんに話しかけた。アテンドの人が通訳をしてくれていて会話は成立しているようだ。アフリカ系の青年が僕に話しかけてきた。

「イズ シー ア ニンジャ?(彼女は忍者ですか?)」

「ノーノー シー イズ アン アクトレス。(いいえ、彼女は女優ですよ。)」

「グッド。ウッジューマインド イフ アイ テイク ア フォトグラフ?(それはいい。写真とってもいいですか?)」

「オフコース ノット。(もちろん構いませんよ。)」

「ベリー グッド。アクチュアリー マイ ファーザー ライクス ニンジャ ベリー マッチ。(とても素晴らしい。実は私の父は忍者が大好きなんです。)」

 そんな会話があって、バスの出発前に忍者との大撮影会が開催された。マコちゃんはとても楽しそうだった。撮影が一通り終了し、参加者が全員集合したことを確認してバスは出発した。

 バスの中でもマコちゃんは大活躍だった。バスガイドさんは一応いるし、アテンドの方もいるのだが狭いバスの中を精力的に動き回り笑顔を振り撒いた。バスは東京の名所を巡り、浅草でお昼ご飯となった。お昼ご飯の会場に着席すると僕のはるか彼方で活躍していたマコちゃんは僕の所に寄ってきて、僕の隣に座った。十人くらいで同じテーブルを囲むのだ。席は決まっていて、僕の同伴者であるマコちゃんは当然、僕の隣に座る。

「ねえお兄ちゃん、ここに何分くらいいるの?」

 マコちゃんが聞いてきた。

「ご飯は四十分の予定だけど、それから少し自由行動があって、みんながそろっていることを確認して出発になると思う。」

「じゃああたしちょっと席をはずすけどいいかな?」

「なんかあるの?」

「フフフ、それは秘密。」

「まあいいけど時間までには戻ってきてね。」

「ほいほ~い。」

 そう言って忍者は僕の視界から消えていった。

 僕は大使館員の皆さんとお昼ご飯を食べながら談笑した。皆さん「あの忍者はどこにいったのか?」と心配していた。しばらくするとまた周囲がざわつき始めた。みんなが何かに注目しているのである。その注目の方向を見ると赤い着物を着た日本髪の若い女性が立っていた。赤い着物と言っても日常目にするレベルのものではない。時代劇かあるいは結婚式で見られるような幾重にも重ねられたもので、お姫様の格好である。マコちゃんであることはすぐに分かった。日本髪はかつらだ。マコちゃんは僕の隣に座った。

「お待たせしました。今度はお姫様で~す。」

 マコちゃんが明るい笑顔で言った。アテンドの人が通訳する。皆さんが一斉にスマホを構え、他のテーブルの人達も寄ってきた。

「どうやって着替えたんだよ?」

 僕は呆れ顔でマコちゃんに聞いた。

「実はね、どうしてもお色直しをしたかったんでロケバスを一台チャーターしたの。皇居前からこのバスを追いかけてたんだよ。原宿から地下鉄は嘘で~す。」

「ええっ?随分お金かかってない?」

「まあね。まあ気にしないで。こういうことは参加する人が楽しまないとね。」

 結局再び大撮影会が開催され、出発は十五分程遅れてしまい、アテンドの外務省の皆さんが少しイライラした。午後はウォーターフロントの方をまわった。お姫様姿のマコちゃんは午前中よりも機動力は落ちたものの相変わらず笑顔を振り撒いた。そうやってゲストの新任大使館員の皆さんが大満足するうちにバスツアーは終了した。ただホストの一人の奥様が独り言とは思えないほどの大きな声で「奥様に忍者の格好をさせて参加させるなんて非常識だ」と言っていたのが僕の耳に残った。確かに非常識だと言われればその通りだ。権蔵先生の耳に入ったらただではすまないだろう。外国に行っていてくれていて少し安心した。

 

 それから数日が経過した。僕はいつものように永田町の議員会館に出勤し、いつものように事務所のドアを開け、中に入ってびっくりした。まだアフリカにいると思っていた白石権蔵参議院議員がそこに座っていたのだ。心の準備ができていなかった。

「あっ先生、おはようございます。帰国されていたんですね。」

「ああ、今朝、帰国したばかりだ。啓一君、まあかけなさい。」

 そう言われて僕は巨漢議員の前のソファに腰掛けた。

「啓一君。さっき聞いたのだが、君は朝子に忍者の格好をさせてバスツアーに参加させたようだな。」

「はあ。」

 いきなり直球、ストレートだ。僕は観念した。不幸中の幸いはこの孫思いの祖父に双子の区別がつかないことだ。バスツアーに参加したのがチャコだったことにすればマコちゃんには火の粉が降りかからない。

「全部君が仕組んだことだな?」

 巨漢は「鬼の権蔵」の目で僕を見た。

「そうです。」

 ここで僕が全部かぶれば僕が怒られるだけですべては丸く収まる。僕はそう思った。

「そうだろうと思ったよ。……君は本当に大した奴だ。」

 巨漢はにっこり笑ってそう言った。

「はあ?」

「某国、もう名前も忘れてしまったが、そのアフリカの某国に行って独裁者である大統領の執務室に案内されてな。部屋に入ったらでっかいパネルが飾ってあるんだ。なんでも息子さん、まあ息子さんといっても何人もいるんだがそのうちの一人が先日、駐日大使に任ぜられて東京に赴任したそうなんだ。その息子さんが今朝、東京から送ってきた写真がこれだというんだがその写真を見てびっくりしたよ。息子さんの隣に忍者が写ってるんだ。その写真を見て大統領はご満悦だったよ。大統領は日本の映画とかドラマが好きで特に時代劇が大好きだったんだ。そして忍者に強い関心を示していて国軍に忍者部隊を設置しようとまじめに考えているそうだ。その忍者を見て私はもっとびっくりしたよ。忍者は朝子だったんだな。それでこれはバスツアーの写真だなとピンときたんだ。そこからは私もしたたかな政治家だからな。『なんと偶然、隣に写っている忍者は私の孫です』と言ったんだ。大統領もびっくりしてな。『あなたのお孫さんは忍者か?』と聞くので『もちろん違いますが、この孫の婿が閣下の息子さんの次くらいにできる男できっと閣下が忍者好きなことを知っていて妻に忍者の格好をさせたのでしょう』と言ったんだ。もちろんはったりだが政治家にははったりが必要なときもある。すると大統領が『お孫さんに会いたい』というので『閣下がお望みなら孫ではなく、本物の忍者を連れてきますよ』と言ってやった。大統領はえらく喜んでな。その後の事務方の交渉は一時間もかからずに終わったよ。日本の主張を全部認めてくれた。役人も喜んでな。主席随行の官房審議官は『先生のような人に大臣をやっていただきたい』と言ってくれたよ。今さっき、官邸に行って総理にも帰国の報告をしてきたところだ。総理も喜んでたよ。」

「そうだったんですか。」

 あの青年、大使だったのだ。大使にしては若すぎるが独裁者の息子とあらばありえない話ではない。僕は全身から力が抜けていくのが分かった。まあホッとした。

「啓一君。君には申し訳ないが今回のことは全部私の手柄にさせてもらったよ。さっき総理にも全部計算づくだったと自慢してきたところだ。」

「ええ、それはもちろん構いません。」

 構うはずはない。僕には元々政治的な野心などないのだ。反対に目の前の巨漢は野心の塊だ。

「悪く思わないでくれ。君は有能な男だ。まだこれからチャンスはいくらでもあるだろう。まあお礼は言わせてもらうよ。それと朝子にもお礼をしないといけないな。」

 そういうと巨漢は秘書の山崎氏に何か合図をした。

「実はそのことなんですが、写真の女の子はチャコではないのです。この前も言いましたが、チャコは先約があってバスツアーには参加していません。写真の女の子はマコちゃんだったんです。」

「そうか。真子だったのか。まあいい。いずれにしろ君の力だ。外務省の連中も喜んでいたよ。忍者の登場で大使館の皆さんとても喜んでいたとね。……なあ、啓一君。この前、私は君に真子のことで少し意見したけれどあれは忘れてくれ。君に意見する必要なんかなかったんだ。全部君に任せておけばいいんだ。君に任せておきさえすればすべてうまく行く。これからも朝子、それと真子のこともよろしく頼むよ。真子はあの馬鹿な両親のところにいるよりも君のところにいる方がずっといいかもしれないな。」

 そう言うと山崎氏が封筒を持ってきて巨漢に渡した。巨漢はその封筒をそのまま僕に渡した。白い封筒は福沢諭吉先生のブロマイドが十枚入っているくらいの厚みがあった。

 

 その日、僕はいつもよりも少し早めに帰宅した。まだ夕食前で双子の姉妹はリビングで向き合い、談笑していた。僕はスーツ姿のままチャコの隣に座り、マコちゃんと向き合った。

「今日、権蔵先生に会ったよ。今朝帰国したんだって。マコちゃんのこと喜んでたよ。バスツアーのことね。外務省の人にも褒められたんだって。」

「へえ~、あたしは結構、自分で楽しんだだけだったんだけどなあ。でも良かった。お兄ちゃんにも貢献できたよね。」

 マコちゃんはまんざら悪くもないようだった。

「そうだな。ありがとう。で、これを権蔵先生から預かってきたよ。マコちゃんにお礼だって。」

 そう言って僕は封筒を出し、マコちゃんに手渡した。

「なんだろう、これ。」

 マコちゃんがそう言って封筒を開けると中から福沢諭吉先生のブロマイドが現れた。

「まあ、こんなにたくさん。……ありがとう。……でもこれは受け取れないよ。お兄ちゃんが受け取ってよ。」

 マコちゃんが珍しく遠慮する。

「そうはいかないよ。権蔵先生には『真子に渡すように』って言われてるんだから。」

「じゃあ受け取るけどお兄ちゃんにあげるよ。お兄ちゃんにはいつもお世話になっているし、ほんの気持ちです。」

 そう言うとマコちゃんはお金を白い封筒に戻し、そっとテーブルの上においた。

「まあ珍しい。マコちゃん成長したね。大人になったね。」

 チャコがびっくりしてそう言った。

「まあね、あたしもいつまでも子どもはやってられないよ。ところでお兄ちゃん。」

「何?」

「もう一つ渡したいものがあるんだけど。……これ、受け取ってください。」

 そう言ってマコちゃんはもう一つ別の封筒を僕に手渡した。

「何これ?」

「ちょっと恥ずかしいもの。じゃああたしはお風呂入ってくるから。」

 マコちゃんは照れくさそうにそう言うと立ち上がってリビングから出て行った。チャコと僕が残された。

「なんだろうこれ。」

 僕がチャコに言った。

「開けてみなよ。きっとラブレターだよ。そっか、マコちゃん啓一さんに本当に惚れちゃったんだ。まあ正妻の座は渡せないけどマコちゃんなら側室くらいにはしてあげてもいいかな。」

「何言ってんだよ。」

「ねえ、早く開けてよ。」

 チャコがせかす。僕は封筒を開けて中身を見た。隣からチャコがのぞき込む。そしてびっくりした。中には一枚の紙が入っていてその紙には請求書と書かれてあり、五十万円という数字と「衣装代他」とか「忍者一式」とか「姫一式」とか「ロケバス一台」という言葉が書かれてあった。あて先にはなぜか僕の名前が書かれていた。

 

 

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