JK妻(シーズン2)   作:山田甲八

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五 コラボ事件

 通常国会も閉幕し、比較的優雅な生活に戻ったある平日の朝、僕はマコちゃんと一緒に新聞を読んでいた。政治家見習いの僕が新聞を五紙、社説まで読むのは当たり前のこととして、新聞は左から読み始め次のページでおしまいだったマコちゃんが一面から熱心に読むようになったのはちょっとした驚きだった。

「随分熱心に読むんだね。今までは漫画や芸能雑誌くらいしか読まなかったのに。」

 僕はコーヒーの置かれたダイニングテーブルを前に新聞を広げているマコちゃんに声をかけた。

「マコちゃん急に売れっ子になっちゃったでしょ?テレビとか雑誌とか結構、気の利いたコメントを求められるんだけど世間に疎いと駄目なのよ。」

「なるほどね。勉強熱心になるわけだ。」

「この前も新聞の取材受けて『そういえばおたくの社説にはこう書いてあったけど』って言ったら記者さんびっくりして、『最近のアイドルは社説も読むんですよ』って言ったらさらにびっくり。お兄ちゃんの真似しただけなんだけどね。」

「ああその記事は僕も読んだよ。『社説も読むマコちゃん』っていうサブタイトルがついてたなあ。」

「でも新聞読むのは他にも理由があるの。」

「何?」

「この時間はお兄ちゃんとツーショットになれるじゃない。チャコちゃん抜きでね。チャコちゃん朝弱いから。お兄ちゃんを独り占めできる瞬間。」

 そう言ってマコちゃんはニッコリ笑った。確かにチャコがいないとこの少女の要求には遠慮というものがなくなる。まあチャコがいてもそんなに遠慮するタイプではないが。

「ねえ、それはそうとお兄ちゃんの記事が出てるよ。」

「僕の記事?」

「うん。ここ、ここ。」

 そう言ってマコちゃんは僕の記事が載っているという紙面をダイニングテーブルに広げた。記事は次回総選挙立候補予定者の各選挙区別情勢分析だった。マコちゃんが記事を読み上げる。

「『柏崎では白石権蔵参議院議員の孫娘婿で音楽プロデューサーの白石啓一以外に有力な候補者がなく、白石が圧勝の勢い』だって。お兄ちゃんすごいね。」

「僕がすごいんじゃないよ。僕は権蔵先生や裕ちゃんの残したものに乗っかってるだけさ。」

 音楽プロデューサーという肩書きにもびっくりした。僕はただ裕ちゃんの残してきたものを整理しているだけだ。でもマコちゃんとハルナをプロデュースしていることになっている僕を世間が見るとそういう肩書きになるのだろう。

「そうかなあ。あたしがここまでこれたのもお兄ちゃんのお陰だし、あたしはお兄ちゃんがすごいと思うけどなあ。」

 新聞を一通り読み終わるとマコちゃんと一緒に朝ご飯を作り、お弁当も作った。そのうちチャコも起きてきて、三人で朝ご飯を食べ、僕は双子の姉妹を見送った。僕も出かけるのだが国会は終わっているので朝は遅く、帰りは早い。

「ねえお兄ちゃん今日は何時頃帰ってくるの?」

 出掛けに玄関で妹が僕に聞いた。

「もう柏崎行きの準備くらいになってるから早いと思うよ。六時頃には帰ってこられるんじゃないかなあ。」

「そう。じゃあ今日はお仕事もレッスンもないからあたしが晩ご飯作るね。楽しみにしててね。」

 マコちゃんはそう言ってニコッとした。

「マコちゃんが?珍しい。じゃああたしも期待してるね。」

 チャコがそう言うと

「チャコちゃんの期待は裏切らないと思うよ。」

 そうマコちゃんが言って二人のポニーテールは出かけていった。

 

 夕方の六時前、僕は家路についた。

 通常国会は二週間ほど前に終了し代議士と呼ばれる人達はほぼほぼ地元に帰ってしまっていて永田町も暇になってきている。次回の衆議院議員選挙に出馬する予定の僕も国会開会中に比べると時間があるのだが、これは元来非常識な状況だ。僕はとっくの昔に地元入りし、選挙の準備をしなければならないはずなのだ。しかし、僕自身に政治的な野心がないこと、学校に通わなければならない妻と妹を放ってはおけないこと、地元の有力者から帰ってこなくてもいいと言われていることなど様々な要素が複合し、僕はなお東京にいる。

 家に着き、玄関を開けると僕はギョッとした。玄関に見慣れない靴、いや一度は見たことがあるかもしれない靴が並べられていたのである。男性用のものもあれば女性用のものもあった。今年の一月にこのような光景を僕は見ている。

 僕が帰宅したのに気付いたのかリビングから女の子が現れた。マコちゃんだった、がマコちゃんを見て僕はもう一度ギョッとした。マコちゃんは水着を着ていたのである。それで僕はこれから我が家で何が起ころうとしているのか予想がついた。

「お兄ちゃんお帰り~。今日の晩ご飯は豪華だよ。今朝あたしが作るって言ったのは嘘で~す。ホテルのケイタリングだよ。」

「なんで水着なんか着てんの。まあ大方予想はつくけどね。これからお色気作戦が展開されるんだね。」

「ああ、分かっちゃった?もう慣れちゃったかな?さあ、みんな待ってるから早く上がってよ。」

 マコちゃんはそう言って我が家のように僕を招き入れた。まあ、もうこの家に居候して数ヶ月がたつのでここがマコちゃんの家と言えなくもない。

 リビングに入ると僕がおよそ予想した光景が目の中に飛び込んできた。応接セットの長いソファの向かって左側にはハルナが座り、右側には同期生の越後屋友美ちゃんが座っていた。二人ともビキニだ。友美ちゃんはふわっとしたウェーブからラーメン頭にイメチェンしている。二人とも現役のモデルだけのことはあり、プロポーションがとても素晴らしいので目のやり場に困る。

 長いソファに座っているハルナと友美ちゃんの間はちょうど大人が一人座れるスペースが空いていて、恐らく僕がそこに座らされるのだろう。向かいには音楽プロデューサーの野島慎一氏とチャコが並んで座っている。チャコはまだ自由が丘女子高等学校の夏服のままで、今日のこのシチュエーションがチャコにとってもサプライズであったことを物語っていた。

 マコちゃんはダイニングから椅子を持ってきて端っこに座った。マコちゃんの水着はさすがにワンピースだがそれでもスクール水着の対極にあるモノを着ている。僕は観念して自分から指定席に座った。

「いやあ啓ちゃん。いや今日は白石先生にお願いがあってまいりました。」

 正面の野島氏が改まった姿勢で言った。

「野島さん、そんな言い方やめてもらえませんか?ハルナはともかく野島さんに先生呼ばわりされる理由はありませんよ。」

「そんなことないよ。大先生だ。啓ちゃんには本当に助けてもらったよ。命の恩人だよ。」

「大袈裟ですよ。」

「いや本当だよ。『スタジオL』も僕の事務所も実はもう終わりかなって思っていたところだったんだよ。それがマコちゃんとハルナの登場でチームも番組も僕の事務所もすべてがV字回復だ。ハルナは売れに売れているし、お陰で滞納していた税金を全部払えたよ。」

「そうですか。」

 僕は苦笑した。

「チャコは今日のこと知ってたの?」

 僕はチャコに振った。

「ううん。帰ってきたらいきなりハルナちゃんが水着で出てきたんでびっくりした。とうとうハルナちゃんに啓一さんを取られちゃったって思ったよ。」

 その割にはうれしそうだ。チャコはこういう非日常が好きなのだ。僕は苦手だ。ハルナにも声をかけようと思ったが直視できそうもなかったのでやめた。

「で、野島さんのお願いというのはなんなんですか?」

「うん。実は番組にチャコちゃんをチームに入れろっていうリクエストがわんさか来てるんだよ。」

「しかしそれはいくらなんでも無理ですよ。テレビに出るのだって相当無理したんですから。」

「それは分かってる。だからテレビ出演はいいからさ、チャコちゃんに『白石朝子アンドチームスタジオL』ということでチームのメンバーと一緒にCDとミュージックビデオだけでもやってもらいたいんだよ。そのプロデュースを啓ちゃんにお願いしたいんだけど、どうだろうか?」

「う~ん」

 僕は少し考えた。そして「チャコはどうなの?」とチャコに振った。

「あたしはいいけど学校が駄目だよね。」

「そうだよね。学校がネックだよね。」

 しばらく沈黙していると

「チャコちゃんのお嬢様学校が厳しいのは分かってる。でもチャレンジだけでもしてもらえないだろうか?局のお偉いさんからもプレッシャーをかけられてるんだ。駄目でもいいから挑戦するくらいはいいだろ?」

 しびれを切らして野島氏がせきたてる。

「まあチャレンジくらいはしてもいいですけど、……フロントメンバーとかフォーメーションは僕に任せてもらえるんですよね?」

「ああそれは願ったりかなったりだけど何かアイデアでもあるの?もちろんマコちゃんとチャコちゃんはフロントなんだろうけど。」

「ここにいる四人でいいんじゃないんですか?」

 僕は部屋にいる四人を見回してそう言った。

「なるほど、チャコちゃんとマコちゃんは双子で後の二人はマコちゃんの同期生というわけか。さすがだね。なかなかいいセンスだよ。とにかく選曲も含めてすべて君に任せるよ。僕は君の言うとおりに動く。じゃあやってくれるんだね。ありがとう。これで、局のお偉いさんにも顔向けできるよ。啓ちゃん、どうかよろしく頼むね。」

 野島氏はそう言って僕の前で手を合わせた。

「まああまり期待しないでくださいね。」

 僕は自嘲気味に言った。

 

 それからしばらく歓談したが、平日であり、またマコちゃんとハルナは売れっ子になったこともあり、この日は早めに解散した。マコちゃんはさっさと床に着いた。売れっ子になったマコちゃんはとにかく寝られるときには眠っておくのだ。チャコと僕も寝室で横になった。チャコも疲れたようだ。

「ねえ啓一さん?」

「ん?」

「そんなに無理しなくてもいいと思うんだけど。」

「無理って?」

「もうマコちゃんもハルナちゃんも売れてるんだしさ、別にあたしが出なくてもいいんじゃないかなあ。」

「別にマコちゃんやハルナのためにやるんじゃないよ。」

「じゃああたしのため?あたしそんなに芸能界には興味ないんですけど。」

「誰のため?って言われればさっき僕の左隣に座ってたラーメン頭のためだよ。」

「ラーメン頭って、まさか友美ちゃん。」

「そう、友美ちゃん。」

「ねえ、啓一さん。」

「何?」

「友美ちゃんに惚れた?」

「いや、別に惚れてないけど。」

「そうだよね。確かに友美ちゃんは美人ではあるけど啓一さんのタイプではないよね。啓一さんは友美ちゃんや高倉先生のような美人タイプよりもあたしやマコちゃんみたいなかわいいタイプが好きなんだよね。ハルナちゃんは中間よりやや美人系かな。」

「随分分かったように言うね。」

「まあもう夫婦になってかれこれだもんね。ねえ、啓一さんてひょっとしてロリ?」

「さあ。たぶん違うんじゃないかな。それはもっと対象年齢が下でしょ?」

「そっか。で、なんで友美ちゃんなの?」

「彼女のことどう思う?」

「どうって、いい子だと思うけど。女性誌の表紙になりそうな子だよね。ハルナちゃんと一緒で男の子よりも女の子に支持されるタイプかな。マコちゃんのファンは男の子ばっかりだけど。」

「そうじゃなくてかわいそうだと思わない?」

「かわいそう?あんなに綺麗で才能にも恵まれてるのに?」

「彼女、オーディションのときは一位だったよね。」

「うん、そうだったね。確かに一位だった。」

「ハルナとは僅差だったかもしれないけど、マコちゃん以下には大差をつけていたはずだ。」

「うん。」

「でもふたを開けたらどうだろう。一緒に合格したマコちゃんとハルナは今や女性アイドルランキングの一位と二位だよ。チームのではなく全女性アイドルランキングのね。でも彼女はチームの人気ランキングのベストテンにも入れていない。」

「そうだ。」

「じゃあ彼女に実力がなくてマコちゃんとハルナには実力があるのかというとそうでもないよね。確かに実力はあるけど売れたのはきっかけがあったからさ。マコちゃんが僕の妹でなかったら、あるいはハルナが柏崎の出身じゃなかったら、あんなには売れてなかったと思う。」

「マコちゃんはデビューも無理だったろうね。」

「かといって今の僕には友美ちゃんの面倒を見る余裕はない。選挙も近いしね。でもフロントメンバーに引っ張り出すことくらいは今の僕にもできる。だからできることはしてあげたいんだ。あの三人の友情のためにね。きっかけさえつかめれば彼女、実力は十分なんだから本当に歌が好きでこの世界でやって行きたいと思っているんだったら売れていくんじゃないかな。」

「そうか。そんなことまで考えてたんだ。やっぱり啓一さん優しいね。分かったよ。そういうことならあたしも一肌脱ぐね。あたしも友美ちゃんのことは大好きだし。」

「チャコは僕の邪魔をしないでくれればいいよ。」

「どうしてそういうこと言うかなあ。せっかく奥さんがやる気になってるのに。」

「だって、一肌脱ぐって言ったらチャコはホントに脱いじゃうだろ?」

「あっそっか。啓一さんよく分かるね。」

「まあ夫婦になってかれこれだからね。」

 僕はさっきのチャコのセリフを拝借した。もうチャコは瞳を閉じている。

「分かったよ。じゃああした、学校で先生に『相談したいことがあるから時間とってください』って言っとくね。」

「はい、よろしくね。芸能界にはあまり興味ないチャコにはちょっと迷惑かな?」

「ううん。そんなことないよ。青春の思い出にマコちゃんやハルナちゃん達とCDが出せるなんて素晴らしいよ。普通の女の子にはできないもんね。啓一さんありがとう。いつも夢見る夢子さんの夢をかなえてくれて。」

 チャコはそう言って眠りについた。

 

 次の日の午前中、チャコから「今日の午後三時半に応接室で」という電話をもらった僕はチャコの通う自由が丘女子高等学校へ出かけていった。年度が替わり、チャコが二年生になると僕はあまりこの学校には来なくなっていた。国会対応で忙しかったし、チャコもそう問題は起こさなくなっていた。

 三時半少し前に指定された応接室に着くと既にチャコと高倉女史から替わった五十代の新しい女性の担任、そしてなぜか校長先生も僕のことを待っていた。

 校長が同席しているのには少し驚いた。そういえば前回は高倉女史がこの校長のセクハラやら不倫やらを暴露しているのだ。自己防衛のため自ら処理にあたろうと出てきたのだろう。

「お待たせしました。今日は時間を取っていただきありがとうございます。朝子の夫です。よろしくお願い致します。」

 そういって僕は頭を下げたが目の前の二人が「こちらこそご足労いただきありがとうございます」と言って頭を下げた角度の方がはるかに深かった。

「今日はご相談したいことがあってまいりました。」

 僕はそう会話を切り出したが「その前に私どもから白石さんにお願いしたいことがあるのですが先にお話させていただいてもよろしいでしょうか?」と校長がとても丁寧な口調で言った。

「はあ。なんでしょうか?」

「朝子さんのことなんですが。」

「また何かやらかしましたか?」

「いいえ。朝子さんは何もしていません。学園では素晴らしいリーダーシップを発揮してくれていまして注目の存在です。三月に生徒会長の選挙があったのですが、朝子さん三十六票も獲得したんです。」

「生徒会長なんて立候補してたんだ?」

 僕はびっくりしてチャコに聞いた。

「立候補なんてしてないよ。あたしに票が入ったなんて今知った。」

 チャコが答えた。校長は続けた。

「そうです。朝子さんは立候補などしていません。それでも三十六票も獲得したのです。表向きは無効票ですがそれだけ生徒に人気があるということです。これまでもそういう事例はありましたがせいぜい二、三票です。朝子さんがテレビに出たり、妹さんが活躍されたりしているので朝子さんはどうしても目立ってしまうのです。」

「はい。」

「朝子さんには何も問題はないのですがそのことを快く思わない親御さんもいらっしゃるのです。『娘が芸能人になりたいと言い出して困っている』という相談も何件か寄せられています。もちろん朝子さんは何も悪くはありません。しかし朝子さんに原因があるのも事実なのです。とにかく今の朝子さんは他の生徒に対する影響力が強すぎるのです。これがいい方向に進んでくれればもちろん素晴らしいのですが。」

 確かにこの学園にとってチャコは諸刃の剣だ。学園の望む方向にリーダーシップを発揮してくれれば学園にとって貴重な財産だ。しかしひとたび学園の意に反する方向に進めば最大の脅威になるのだろう。

「ですから白石さん、しばらくの間は大人しくしていただけないでしょうか?朝子さんが白石権蔵先生のお孫さんであることは十分に承知しています。だからこそこれまでも大目に見てきているところはあったのです。しかしこれ以上、自由に行動されてしまうと他の親御さんの目がますます厳しくなってしまってかえって朝子さんのためにならないと思います。どうかお願い致します。」

 校長が頭を下げた。チャコと僕は黙った。確かにチャコの言うとおり無理する場面ではないのかもしれない。チャンスはまだあるだろうし、野島氏には曲の提供も約束しているのだから他の形であれ、同期三人の友情のためという僕の最終目的は達成できるだろう。何よりこれ以上学園にも迷惑をかけられない。

「分かりました。実は相談したいということもそのことだったんです。テレビ局のプロデューサーにまた難題を持ちかけられましてね。でも学園や校長先生にご迷惑をおかけするつもりはありません。いつも朝子に良くしていただきありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。どうもお時間をいただきありがとうございました。じゃあ失礼しようか。」

 僕はチャコをうながし、席を立とうとすると校長が「ご理解いただきましてありがとうございます。ところで白石さん。次の総選挙に出馬されるんですか?」と聞いてきた。

「はあ。よくご存知ですね。」

「新聞で読んだのですが選挙区では圧倒的な優勢を保っているようですね。」

「まあ新聞は色々書きますからね。それに選挙は水物ですしどうなるかは分かりません。とにかく頑張るだけです。」

「当選の暁には当学園をよろしくお願いします。」

 校長は最敬礼してそう言うと担任と一緒にチャコと僕を玄関まで見送ってくれた。去年ではあり得なかった対応だ。選挙が近付き、僕を取り巻く環境が大きく変わってきていることを感じさせられる場面だった。

 

 チャコと僕は二人で自由が丘の街を歩いた。蒸し暑い梅雨の午後で、通常ならばこれから二人で豪華おやつという展開になる。

「やっぱり駄目だったかあ。」

 僕は少しのびをしながら言った。

「残念だったね。まあ予想はしてたけどね。でもあたしそんなに人気あったんだ。」

「生徒会長選挙のこと?」

「うん、ちょっとびっくり。てかうれしいなあ。」

 チャコがそう言うと僕の携帯のバイブレーションが震えた。ディスプレイには「白石権蔵事務所」と表示してある。

「事務所からだ。」

 僕はそう言って携帯に出た。

「はい。白石です。」

「あっ若先生ですね。白石権蔵の秘書の山崎です。今、大先生に代わります。」

 山崎秘書がそう言って白石権蔵参議院議員が出た。

「もしもし啓一君か。」

「はい。どうされました?」

「今、どこにいる?」

「自由が丘です。チャコの学校の用がありまして。」

「そうか。すぐにこっちに来てもらえないだろうか。急用なんだ。」

「はい。構いませんが、なんでしょう?」

「直接話すよ。とにかく急いできてくれ。ではまた。」

 そう言って電話は一方的に切れた。

「権蔵先生からだ。」

「おじいちゃん?」

「うん。すぐに来いって。急用だって。」

「なんだろう。」

「さあ。直接話すって。」

「あたしも行っていいかな?」

「ああ、別にいいよ。」

「わ~い。啓一さんとお出かけだあ。」

 チャコが商店街の真ん中で万歳して、女の子丸出しで喜んだので僕の方が少し恥ずかしかった。

 

チャコと僕は東急と地下鉄で五十分後くらいに議員会館の目指す部屋に到着した。巨漢の参議院議員は僕たちの到着を待っていた。

「おじいちゃん、こんにちは。あたしも来たよ。」

 チャコが巨漢にあいさつした。

「ああ、朝子も来たのか。」

「ええ、学校に行っていたものですから。それで急用とはなんでしょう?」

 チャコと僕は応接に座り、巨漢と向き合った。

「実は官邸が君を呼んでいるんだ。普通ありえない話だな。君はまだ当選ゼロ回で立場上は私の秘書に過ぎないんだからな。」

「総理が私に話があるということですか?」

「そうだよ。なんの話か聞いたんだが『本人に直接話す』の一点張りで教えてくれなかったよ。そういうことですぐに官邸に行ってもらいたい。」

「はあ、一体なんの用なんでしょう?何か心当たりございますか?」

 僕に心当たりがあるはずはない。

「うん。恐らく選挙のことだと思うよ。いやそれしか考えられない。」

 巨漢は静かに言った。

「選挙ですか?」

「そうだ。国会が終わって、先日、選挙対策本部の会合が開かれたんだ。各選挙区の情勢を分析したんだがもちろん私も出席した。内容は非公開なんだが少しだけばらすと柏崎で君は有効投票の九十六パーセントを獲得するという分析結果が出たよ。もちろん百パーセント当選確実だ。」

「はあ」と僕が言うのと「啓一さんすごいじゃない」とチャコが言うのが重なった。

「それ自体はすごいが過ぎたるは及ばざるがごとしだな。幹事長が色気を出してきたんだよ。」

「幹事長さんってそっち系なの?」

 チャコが突っ込みを入れたが巨漢と僕は無視した。

「色気といいますと?」

「柏崎は別に君じゃなくても、黙っていても勝てる。君はもはや有名人だ。だからいっそのこと柏崎には別の新人を立てて、君には東京の激戦区に鞍替えしてもらったらどうかと言うんだ。できれば相手陣営の幹部クラスとぶつけたいとな。今の君の人気なら選挙区で負けても比例で復活できるだろうということだ。つまり君一人で二議席獲得できると読んでいるんだ。」

「先生はどうお考えなのですか?」

「確かに幹事長の言うとおりだろうと思うよ。私が幹事長なら同じことを考えるだろう。でもそれは駄目だ。君には私が祖父の代から継いでおきながら不覚にも失ってしまった柏崎の議席を奪還してもらわないといけない。」

「ダッカンってなあに?」

チャコが無邪気に聞いた。

「取り返すということさ。本当は裕子にやってもらいたかったんだけどな。」

 巨漢はやさしく説明した。

「だから私は幹事長の意見を一蹴した。でも幹事長もすぐあきらめるような人間ではないから総理に直接、君を説得するよう頼んだのだろう。いいか、啓一君。総理はにんじんをぶら下げてくるだろうが断固拒否してくれよ。」

 巨漢が一転厳しくそう言うと、今度は

「にんじんをぶら下げるって?」

 チャコがまた聞いた。

「美味しいポストを約束するということさ。副幹事長くらい準備してくるかもしれないな。でも拒否してくれ。こんなところで折れなくても君の実力があれば副幹事長のポストくらい取れるよ。とにかく柏崎の議席奪還は私の悲願で、もう目の前まで来ているんだ。啓一君よろしく頼むよ。」

 

 そう言われ僕は議員会館を送り出され徒歩で官邸に向かった。議員会館と官邸は目と鼻の先だ。チャコも付いてきた。チャコは官邸には入れないかもしれないがそれならそれでそのまま帰宅すると言うのだ。

「ねえ、副幹事長って偉いの?」

 チャコが聞いてきた。

「どうだろう。偉いんだか偉くないんだかよく分からないポストだね。」

「幹事長は偉いんだよね?」

「うん。党の代表は総理大臣だけど、政府の仕事で忙しいから党の仕事は実質的に幹事長がナンバーワンかな。」

「じゃあ副幹事長はナンバーツーってこと?」

「いや、ナンバーツーは幹事長代理だね。その下に副幹事長がいるんだけど、副幹事長は十五人くらいいるから。」

「なるほど、偉いんだか偉くないんだかよく分んないね。」

 そんなことを言っているうちに首相官邸に到着した。チャコが官邸に入れるとは思わなかったが不思議なことに僕のチェックは厳しかったものの、チャコは「白石権蔵先生のお孫さんですね?」ということで総理大臣執務室の前までほとんど顔パスだった。まあこの少女と瓜二つで別の白石権蔵先生のお孫さんを知らない日本国民はむしろ少数派だ。チャコと僕は階段を上り、総理大臣執務室の前まで来た。

 内閣総理大臣は日本国で一番忙しい人物だ。この人物に会いたい人間は沢山いる。この日も執務室の前の控え室には何人もの人が総理に会うための順番を待っていた。受付のようなところで来意を告げ、ソファに腰掛けてしばらく待っていると執務室からおじさんが二人出てきてしばらくして僕が呼ばれた。僕は既に待機している十数人をすっ飛ばしたわけで僕も驚いたが回りはもっと驚いた。「この制服の少女を連れてきた男は一体何者なんだ?」という視線が一斉に僕に注がれた。僕はチャコにここで待っているようパントマイムで合図し、一人でドアをノックし「失礼します」と言って中に入った。

「白石権蔵の秘書の白石啓一です。お呼びいただいたと聞いてまいりました。」

 中に入ると総理大臣は応接に座っていて僕に下座の席を勧めた。僕は「失礼します」と言って総理の前に座った。総理と僕は向き合った。

「いや、突然、呼び出してすまなかったね。これから私が話すことはどうか内密にしてもらいたい。実は君にお願いがあるんだ。」

「はあ。僕にできることでしょうか?」

「実は孫と賭けをして負けてね。孫の言うことをなんでも聞かなければならなくなったんだ。」

「はあ。」

「で、孫は何を要求したと思う?」

「さあ。」

「日米安保条約を破棄しろと言ってきたよ。」

「はあ。」

「しかしそれはいくら総理大臣でも不可能だ。それでもっと実現可能なものにしろと言ったんだ。そうしたら『チャコちゃんとチームのコラボが見たい』って言うんだよな。『チャコちゃん』とか『チーム』とか言われてもチンプンカンプンだ。それで内調に調べさせたんだ。」

「内調って内閣情報調査室ですか?」

「うん。」

 なかなか有効な税金の使い方だ。

「それで色々なことが分ったのだが、チャコちゃんというのは白石権蔵君のお孫さんで君の奥さんだそうじゃないか。随分、若い奥さんをもらったね。まあ権蔵君に押し付けられたんだろうけど。」

「はあ。」

「それでチームというグループの中にもう一人、権蔵君のお孫さんがいるんだな。この子は君がプロデュースしたそうで君がうんと言えば私の孫の願いはかなうと内調は報告してきたよ。それで君にお願いしたいというわけだ。」

 話があまりにも唐突だったがなんとか受け止めた。

「スミマセン総理。実はその妻がこの執務室の前で待っているのですがせっかくですから本人を呼んでもよろしいでしょうか?」

「なんだ、来てるのか。じゃあ呼びなさい。ちょうどいい。」

「はい。失礼します。」

 僕はそう言って席を離れ、ドアを半分開けて顔だけを出した。控え室に待機している全員の目が僕に集中した。僕はチャコと目を合わせた。

「チャコ。」

 僕はそう言ってチャコを手招きすると、チャコはビックリした様子で右手の人差し指で自分の鼻をさし、席を立って執務室の中に入った。ソファの前に立ち、僕はチャコを総理に紹介した。

「権蔵の孫で僕の妻の朝子です。」

「白石朝子です。祖父や主人がいつもお世話になっています。」

 チャコは深々と最敬礼をした。

「まあ座ってくれ。」

 総理に勧められ、チャコと僕は着席した。

「実は今日呼ばれたのは総理のお孫さんがチャコとチームのコラボが見たいと希望されているそうで、それをやってもらえないかということだったんだ。」

 僕がチャコに説明した。

「ああそうだったんたんですか。それは光栄です。お孫さんおいくつなんですか?」

 チャコは総理大臣の前でも物怖じしない。

「中学二年生だよ。それでやってくれるかな?」

「あたしは構わないんですけど……」

 チャコはそう言って僕を見た。今度は僕の番だ。

「実は総理、難題が一つあるんです。妻は自由が丘女子高校に通っているんですが、自由が丘女子をご存知ですか?」

「ああ、お嬢様学校だな。OGも何人も知っているし、あそこにお子さんを通わせている人も知っているよ。」

「学校が妻の芸能活動に難色を示しているのです。校長先生がいい顔をしないのです。実はたった今、釘を刺されてきたところなのです。」

「君たちは構わないのだな?」

 総理が念を押した。チャコと僕は顔を合わせた。

「はい。テレビ局にもお願いされていますし、僕としては妻とチームのコラボを実現させたいのですが学校にも迷惑をかけられませんので。」

「じゃあ私が直接、校長を説得するよ。いいね?」

 総理にそう言われ、チャコと僕は再び顔を合わせ「はい」と返事をした。総理は席を立ち、机の上の電話の受話器を取った。

「自由が丘女子高校の校長を頼む。」

 そう言うと総理は一度受話器を置いた。

「本当は権蔵君に頼めば良かったのだが、実は私と権蔵君はそんなに仲が良くないのだよ。だから君に直接来てもらったんだ。こんなこと権蔵君に知られたら弱みを握られてしまうからね。」

 そんなことを言っているうちに電話が鳴り、総理は受話器を取った。

「はい。……もしもし、斉藤と申します。内閣総理大臣をやっている斉藤です。……忙しいところすまないね。……お宅に白石権蔵君のお孫さんがいるね?それで権蔵君のお孫さんが『チーム』というグループと一緒に歌を歌うことを君は反対しているそうだね。……どうか認めてもらえないかなあ。元気な若者が歌を歌うだけじゃないか。……PTA?……ほかに反対している人がいるなら私が直接かけあってもいいよ。……いや、今、内閣情報調査室の分析官が説明に来たのだがコラボが実現すると五十億円の経済波及効果があるそうだ。……そう、君はデフレを脱却したいと思わないのかな?……命令なんか私ができるわけないだろう。そんな権限はない。これは総理大臣からのお願いだ。だからあくまでも君の意思で判断してもらいたい。……うん。……じゃあよろしく頼むよ。ありがとう。」

 総理は受話器を置き、ソファに座って再び僕たちと向き合った。

「これで学校の方は大丈夫だな。じゃあよろしく頼むよ。」

「……」

 僕は絶句した。それはそうだ。あまりにも予想外の展開だ。

「はい頑張ります。お力いただきありがとうございます。主人の選挙のときもよろしくお願いしますね。」

 あっけにとられている僕の脇でチャコが総理にニッコリ笑ってそう言った。

「五十億の経済効果とかおっしゃってましたけど。」

 僕が総理に聞いた。

「あんなのはハッタリだ。政治家にはハッタリが必要なときもある。」

 同じセリフを巨漢の参議院議員からも聞いたことを思い出した。

「自由が丘女子の校長が『根拠を見せろ』と言ってきたら分析官にレポートを作らせればいいだけの話だ。そんなのはなんとでもなる。それでそのCDはいつ頃できるのかな?」

「はい、お彼岸の頃までにはできると思います。」

 僕がそう言うとチャコが「できたらあたしとマコちゃんのサインを入れてお孫さんにプレゼントしますね」とニッコリ笑ってそう言った。この辺の瞬発力は下手なアイドルを上回るものがある。天性のものなのだろう。

「ありがとう。孫にも自慢できるよ。白石君、次の総選挙で君は当選確実と聞いている。何かポストで希望があれば幹事長に言ってくれ。できるだけ沿うようにしよう。私からも幹事長に言っておくよ。もっとも『大臣にしてくれ』とか言われても無理だけどな。権蔵君にもよろしく伝えてくれ。今日はありがとう。」

 そう言って総理が席を立ったので僕たちも席を立った。

「では失礼します」

 僕はそう言って深々と一礼し、執務室を出るときにもう一度「失礼します」と礼をした。チャコは僕に続いて、控え室に待機している連中に聞こえるくらい大きな声で「今日はお時間を取っていただきありがとうございました」と言って一礼した。控え室の連中がもう一度、僕たちに注目した。

 

「良かったね。これで問題解決したね。」

 官邸を出るとチャコが笑顔でそう言った。

「う~ん、確かに問題は一つ解決したけどまた別の問題が発生したね。」

「別の問題って?」

「つまり今のことを権蔵先生に報告しないといけないんだよ。なんて言ったらいいのかな。チャコがマコちゃんと並んで歌を歌うって言ったらいい顔しないだろうしなあ。選挙近いのに何やってるんだってことになるよ。」

「ああそうか。おじいちゃん芸能界嫌いなんだ。」

「そう。裕ちゃんのときもマコちゃんのときもね。それに総理にも内密にって言われちゃったし。」

「まあ、なんとかなるよ。あたしに任せてね。」

 チャコはニッコリ笑ってそう言った。チャコと僕は議員会館に戻ってきてさっきと同じように、待っていた巨漢の参議院議員の前に並んで座った。

「随分早かったな。」

 巨漢は感心した表情で言った。

「ええ。最優先でお会いできたので僕もびっくりしました。」

「朝子も戻ってきたのか?朝子も総理に会えたのか?」

「はい。白石権蔵先生のお孫さんということで僕より顔パスでした。」

「そうか。それで、なんだったんだ?要件は。」

「はあ、それが……」

 僕が口ごもっていると

「やっぱりおじいちゃんの言うとおりだったよ。東京の選挙区に鞍替えしろって。」

 そうチャコが言ったので僕はびっくりした。

「やっぱりそうか。それでにんじんをぶら下げてきたのかな?」

「うん。大臣にしてもいいとか言ってた。」

「大臣?それはいくらなんでも無理だろう。大臣政務官じゃないのか?」

「ああ、そうだったかもしれない。きっとそれだよ。」

「それでもちろん断ってくれたんだろうな。」

「もちろんよ。それで啓一さんなんて言ったと思う?啓一さん総理に『白石権蔵の娘の白石裕子をご存知ですか?』って聞いて、総理が裕ちゃんのことを知ってることを確認してから『婚約者だった、いや今でも婚約者である彼女が果たせなかった柏崎の議席奪還を絶対にやってみせると彼女に約束しているんです。ですからたとえ総理の命令であってもこれだけはどうしても譲ることができないんです』って言ったの。総理大臣を前に一歩も引かなかったんだから。ホントに鳥肌が立つくらいかっこ良かったよ。おじいちゃんにも見せたかったな。」

 そうチャコが言ったので僕もびっくりしたが巨漢の参議院議員はもっとびっくりしていた。少し間があった。

「そうだったのか。いやー、啓一君。本当に君は大した男だ。さすがは裕子が選んだだけのことはある。」

「裕ちゃんだけじゃないからね。このあたしも選んだんですからね。」

 巨漢に続いてチャコがそう言った。

「そうだな。朝子も大したもんだ。この男のこと絶対に離すんじゃないぞ。」

「もちろんよ。どこまでもこの人に付いて行きますから。」

 チャコがそう言うと山崎秘書が白い封筒を持ってきて巨漢に渡した。いつものパターンだ。

「啓一君、いつも私や裕子のことを気遣ってくれてすまないな。少ないが受け取ってくれ。まあ朝子と何かうまいものでも食べてくれ。」

 巨漢はそう言うと白い封筒を目の前のテーブルの上に置いた。

「いえいえそんな…」

 僕は辞退しようとしたが

「まあ、おじいちゃん、こちらこそいつもありがとね。」

 チャコがそう言って封筒を受け取りニッコリ笑った。

 

 チャコと僕は梅雨明け前のじめじめした街に出た。夏至が過ぎたばかりで日は長い。空はどんよりしている。でも二人の心は晴れやかだった。

「あんなんでよかったのかな?」

 僕はぼそっとチャコに聞いた。

「よかったんだよ。おじいちゃんを喜ばせるのも孫の務めだよ。どうせおじいちゃん総理には確認なんかしないんだし。これでおじいちゃんも啓一さんにはメロメロだね。もう啓一さんが何をやってもケチつけることはないと思うよ。あたしがマコちゃんの隣で歌ってもね。」

「なんか僕が一人で突っ走っちゃったような感じだね。チャコの気持ちをあまり聞いてなかったけどチャコはいいんだよね?マコちゃんと一緒に歌うの?」

「もちろんよ。マコちゃんとハルナちゃんに続いて今度はあたしが啓一さんにプロデュースされるんだから、あたし的にはうれしいなあ。こんなあたしですけど、どうぞご指導よろしくお願いします。」

 夏服のポニーテールは改まって僕に一礼した。

「これ少ないですけどほんの気持ちです。」

 チャコはニッコリ笑ってそう言うとさっき巨漢に渡された白い封筒を僕に渡した。

 

 

 

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