八月十四日のお昼前、僕は僕の後援会長が経営する会社の応接室で後援会長の愚痴を聞いていた。後援会長は女性ながら柏崎の地元法人会会長を務める人で、内装工事や不動産賃貸など手広く商売をしている。一目で「この人はやり手だなあ」と思わせる人でスーパーオバタリアンといった感じの人だ。僕はなぜかこの人にとても気に入られていた。
この日の午後、柏崎には「ザ柏崎」の二人、マコちゃんとハルナがやってくる。そして明日は柏崎市始まって以来の一大イベントになると言われているコンサートが行われるのだ。市民会館から佐藤池球場に変更になったはずのコンサート会場はさらに手狭だということで中央海水浴場特設ステージに変更されていた。
女性アイドルランキング第一位と第二位のスーパーアイドルをこの柏崎に迎え入れるというのに後援会長は不機嫌だった。理由は分っている。このユニットが滞在中、一日警察署長と一日消防署長をやることが気に入らないのだ。後援会長は法人会の会長で法人会は税務署の協力団体である。なぜ一日税務署長をやってもらえないのか法人会の役員や税務署の幹部に嫌味を言われているそうである。でもそれはテレビ局の企画なので僕は愚痴を聞くくらいしかしてあげられない。
後援会長はしばらく愚痴愚痴言っていたが、時計を気にし始めたので僕は少しホッとした。この柏崎財界事実上のナンバーツーも忙しい身なのだ。後援会長が「じゃあ私は次がありますので」と席を立ったので僕も席を立とうとした。
「ところで若先生。」
僕が席を立つと後援会長は一言付け加えようとした。
「はあ。」
「選挙期間中、朝子さんはどうされるのですか?」
「まあ学校がありますから平日こちらに来ることはできないと思います。」
「やはり学校優先なんですね。」
「こっちに来たところで未成年者ですから選挙の手伝いもできませんし。」
「そうですか。困ったものですね。」
後援会長は嫌そうな顔をした。選挙期間中のチャコの行動は僕も気になってはいた。内閣支持率が低迷しているためか衆議院の解散は当初の予想より大幅に遅れていた。
「やはり問題ですか?」
「今までそういうことはありませんでしたから。」
総選挙の候補者の妻が未成年者だということも通常はないだろう。後援会長は続けた。
「朝子さんの事情は理解しているつもりです。しかし奥の方を誰に仕切ってもらおうかということで結構、頭を抱えているんですよ。通常は候補者の奥さんですからね。私でもいいんですけど私だと他の支援団体がやっかんだりするものですから。やはり候補者の身内の方がいいかなと。」
「はあ。」
「そのことで若先生のお母様とお話したこともあるんですよ。」
「おふくろ、ですか?」
「でもお母様には全然その気がありませんでしたけど。」
それはそうだろう。おふくろは決して社交的な人間ではないのだ。僕もその血を引いている。
「まあ、選挙までにはどうするか考えておきますので若先生も承知しておいてください。」
「はい。いつもご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
僕は後援会長に頭を下げた。
「いえいえ、迷惑だなんて。私は若先生の後援会長でいられることで結構鼻が高いんですから。ではまた後ほど駅でお会いしましょう。」
「はい。失礼します。」
後援会長は、最後は笑顔で見送ってくれた。
僕は後援会長の会社を出て、徒歩で白石本宅に戻った。夏休みに入ってから北は北千住から南は九州鹿児島まで全国を僕はチャコと二人で応援行脚し、今年は五日前に柏崎入りしたばかりだった。
柏崎では昨年同様、白石権蔵大先生、裕ちゃんそしてチャコのお母さんである幸子さんの実家でもある白石本宅に滞在していた。白石本宅ではチャコがお昼ご飯の特性餃子定食を作って僕の帰りを待っていた。チャコと僕はお昼ご飯を挟んで向かい合った。秘書の皆さんは「ザ柏崎」訪問の準備のために借り出されている。
「餃子定食とはうれしいなあ。ちょっとへこんだところだったから。後援会長に愚痴愚痴言われてね。」
僕は早速、餃子にパクついた。
「それはそれはお疲れさまでした。で、後援会長さんどうしたの?今柏崎がこんなに盛り上がってるのは啓一さんの力でしょ?」
「それはそうかもしれないし感謝もされてるけど、あの二人が一日警察署長と一日消防署長やるのが気に入らないんだよ。」
「へえ~。後援会長さん警察や消防が嫌いなんだ。」
「そうじゃなくて、後援会長さん法人会の会長なんだよ。」
「それは知ってるけど何か関係あるの?」
「法人会って税務署の協力団体なんだよ。」
「協力団体って?」
「まあ応援団みたいなもんだよ。警察と防犯協会みたいなもんかな。」
「なるほど。税務署に協力する団体ってわけね。」
「そう。だから一日税務署長をやらないのがつまらないんだよ。」
「ああ、そういうことか。じゃあ一日税務署長もやってもらえばいいじゃない。」
「無理だと思うけどな。テレビは映像メディアだからね。」
「映像メディアだからどうだっていうの?」
「つまりテレビ局は別にあの二人に一日署長をやってもらいたいんじゃないんだよ。制服を着せたいだけなのさ。警察官と消防士のね。」
「税務署には制服がないからテレビはやらないってことか。なるほどね。……ねえ、啓一さんも制服の方が萌える?」
「さあ。僕は制服着てるチャコばっかり見てるからちょっと感覚が麻痺してきてるかな。」
そんな話をしながら昼食を済ませ、一服してからチャコと僕は駅に向かった。
スーパーアイドルを迎える柏崎駅は騒然としていた、と言いたいところだが整然としていたといった表現の方が正しい。おびただしい数の市民が出迎えに来ていたものの、ボランティアが整然と整理し、市民の皆さんも協力し、集団としてまとまりがあった。駅前にはあちこちに「おかえりなさい」とか「春菜、おかえり!」といった横断幕が掲げられていた。柏崎出身のハルナにとっては凱旋帰郷だ。
チャコと僕は顔パスで駅の構内に入り、テレビ局のクルーと共にホームで待機した。普段は閑散としているこのローカル駅にも人があふれていた。市長や商工会議所会頭や僕の後援会長もやってきてチャコと僕はあいさつをした。午後二時過ぎに大阪方面の特急が到着し、「ザ柏崎」の二人とテレビのクルーが降りてきた。テレビカメラが回っている。
「お兄ちゃん!」
僕に気付いたマコちゃんがそう言って手を振った。妹キャラで売っているマコちゃんに「お兄ちゃん」と言わせるのもテレビの演出なのだろう。チャコと僕はマコちゃんとハルナを出迎え、市長や財界首脳を紹介した。二人のスーパーアイドルは一人ずつ握手した。
それから裕ちゃんのお墓参りをするため菩提寺にクルマで向かった。二人のスーパーアイドルとチャコと僕のほか、テレビカメラも乗り込むので大型のワンボックスに乗り移動した。
菩提寺の前は僕たちの到着を予期してか既に黒山の人だかりだった。白石家のお墓の前にはマスコミ関係者が整然と並んでいて、何台ものカメラが向けられていた。チャコが先導する形でハルナ、僕、マコちゃんが続いた。
「裕ちゃん、また来たよ~。今日はいっぱい人が来ててびっくりでしょ?」
チャコが自然に裕ちゃんに話しかけた。カメラは意識しているようだ。シャッターを切る音があちこちから聞こえた。
「それから今日は珍しい人を連れてきたよ。この人」
そう言ってチャコはハルナをお墓の前に引っ張り出し
「鈴木春菜ちゃん。啓一さんが裕ちゃんの後継者に指名したんだよ。」
そうチャコが言ったので僕はビックリした。僕はハルナに裕ちゃんの作品は提供してきたが、後継者に指名したことはない。
「すごい美人さんでしょ。歌もすごくうまいんだよ。裕ちゃんには申し訳ないけど裕ちゃんより上手だよ。さあ、ハルナちゃんも裕ちゃんにあいさつしてよ。」
チャコはハルナを促した。ハルナはお墓に向かって一礼した。
「初めまして。鈴木春菜です。裕子さんの歌、大切に歌わせていただいています。先生にはとても大切にしてもらっています。これからも頑張りますので天国で聴いていてください。」
そう言ってもう一度一礼した。ハルナは感激しているようだ。目がウルウルしている。シャッターを切る音は一段と大きくなった。
「ハルナちゃんの登場で啓一さん、鼻の下伸びまくってるよ。おっかしいでしょ~。分りやすいよね。でも安心してね。啓一さんのことはあたしがちゃんと監視してるからね。」
チャコは余計な一言を付け加えた。それから僕たちはお墓を掃除し、僕、チャコ、マコちゃん、ハルナの順で一人ずつ手を合わせた。
それから「ザ柏崎」の二人は市長表敬があるというので市庁舎に向かった。チャコと僕は菩提寺から白石本宅にいったん帰宅した。まだ日ざしの暑い午後だ。夜は柏崎の重鎮を集めての大歓迎会が行われる。僕もその重鎮の一人ということになっている。というよりも立場上、一番上座に座らされるかもしれない。
菩提寺と白石本宅は歩いて移動できる距離だ。柏崎では大抵のところを徒歩で移動できるので便利だ。
「なんであんなこと言ったんだよ?」
僕は帰り道でチャコを軽くなじった。
「あんなことって?ああ鼻の下伸びまくってるってこと?」
「そうじゃなくて、それもあるけど、ハルナを後継者に指名したってことだよ。僕はハルナを後継者に指名したことなんてないぞ。」
「いけなかった?」
「別にいけなくはないけど。」
「じゃあいいじゃない。もう裕ちゃんの後継者みたいなものよ。」
「僕は裕ちゃんの正統な後継者はチャコだと思ってるんだけど。」
「まだそんなこと言ってるの?だからあたしは無理だって。」
「それは分ってるんだけど。」
「ねえ、啓一さん。あたしがこっちでみんなになんて呼ばれてるか知ってる?」
チャコは突然話題を変えた。
「若奥様じゃないの?」
「それはお偉いさん達よ。街の人達から。」
「さあ?」
「『朝子姫』って呼ばれてるの。『姫』だよ、『姫』。あたし小さいころから将来はお姫様になりたいと思ってて、保育園の卒園アルバムにもそう書いたくらいなんだけど本当になったんだよ。啓一さんのお陰でね。」
「うん。」
「だからこのままお姫様でいたいの。歌は歌唱力抜群のハルナちゃんにお任せするよ。あたしは政治家の妻の部分だけ裕ちゃんの後を継ぐから。あたしは裕ちゃんみたいに才能もないし、器用でもないからなんでもかんでもはできないよ。」
「う~ん。」
僕はうなった。ハルナもいいがチャコにも裕ちゃんの歌を歌ってもらいたい。でも嫌がるチャコに無理をさせたくもない。僕は複雑な気持ちだった。
「啓一さん。わがまま言ってごめんなさいね。でも政治家の妻としてできることは一生懸命やりますから許してね。」
そう言われるともう僕は何も言えなかった。まだ高校生なのだ。僕の方が大人にならないといけない。
その日の夜は歓迎の大晩餐会があり、会場で「ザ柏崎」のミニライブもあった。ハルナは裕ちゃんの歌も歌った。その日、ハルナは自分の実家に帰り、マコちゃんはチャコと僕と一緒に白石本宅に泊まった。白石本宅でも撮影の続きがあるはずだったが、早寝早起きのアイドルは疲れたのか早々に眠ってしまい、寝顔だけ撮ってテレビクルーも早めに引き上げた。
次の朝、僕はいつも通り早く目が覚めた。応接間を覗くと、既にマコちゃんは起きていてコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
「おはよう。旅先だっていうのに早いね。」
「あっ、お兄ちゃんおはよう。今、コーヒー入れるね。」
「大丈夫?」
「うん。去年もここにしばらく泊めてもらってるからね。」
そう言って妹は席を立ち、台所でコーヒーを入れて戻ってきた。
「はい、どうぞ。久しぶりだね。お兄ちゃんとモーニングコーヒーだなんて。」
マコちゃんはうれしそうだ。
「そうだね。この前は福岡だったね。」
「そうだったね。福岡は濃かったね~。お兄ちゃんと寝室を共にしちゃったし。まあ、あたし的にはベッドを共にするでもよかったけどね。」
僕は早々に話題を変えた。
「柏崎では予定どおりなの?」
「三日目の一日署長と四日目のスイーツ巡りが入れ替わっただけかな。あしたがスイーツで明後日が一日署長になるよ。」
「で、どっちが警察官でどっちが消防士になるの?」
「それは当日、くじで決めるんだって。でね、来署者の皆さんと記念撮影会やるんだけどハルナちゃんとバトルがあって、多く記念写真を撮られた方が勝つっていうルールなの。それで負けた方に何か罰ゲームさせることができるんだって。」
「へ~っ。色んなこと考えるんだね。」
「もしあたしが勝ったらハルナちゃんには何させようかなあ。お兄ちゃんにチューさせちゃおうかな。」
マコちゃんはいたずらっぽく言った。僕はさらに話題を変えた。
「で、何かビッグニュースでもある?」
「うん。昨日のお墓参りの記事が出てるよ。」
そう言ってマコちゃんは僕にスポーツ紙の芸能面を開いて見せてくれた。大見出しで縦に「春菜、歌姫継承」と書いてあり、横に「本日ファーストアルバム発売」と書いてあった。僕は熟読した。あたり前だが僕がハルナを後継者に指名したことになっていた。
「あたしはとっくにハルナちゃんが裕子叔母さんの後継者になってると思ってたよ。」
マコちゃんがポツリと言った。
「ねえ、マコちゃん。」
「ん?」
「マコちゃんはハルナのことどう思う?」
「う~ん、裕子叔母さんに似てきたかな。」
「そう?」
「うん。チームのメンバーもそんなこと言ってる。でもお兄ちゃんはそうは感じないかもしれないけどね。お兄ちゃん裕子叔母さんの傍にずっといたし、裕子叔母さんのことよく知ってるから。」
「うん、あんなに背は高くなかったしね。」
僕は頭の中で裕ちゃんとハルナを比べてみた。やはり似てはいない。チャコの方があたり前だが断然裕ちゃんに近い。テレビのワイドショーも各局、昨日のお墓参りのことを伝えていた。
それからテレビ局のクルーが迎えに来て朝ご飯前にマコちゃんは会場に向かった。朝からリハーサルがあるそうだ。本番は夕方六時半頃からでそれまでお昼のインターバルを挟み延々とリハーサルをやるのだ。まあ「ザ柏崎」の二人にとってはぶっつけ本番のようなものなので仕方ない面もある。このコンサートは市民参加型で、本番では地元の高校のブラスバンドや市民オーケストラ、児童合唱団、和太鼓チームなど音楽にまつわるあらゆるチームが参加してくる。オリンピック開会式のような一大企画なのだ。
しばらくしてチャコが起きてきて朝ご飯を食べ、僕たちも徒歩で会場入りした。まだ朝の比較的早い時間だ。中央海水浴場には特設ステージが設けられていた。ステージの背後には「『ザ柏崎』コンサート」という看板が掲げられていたが、頭に「白石啓一プロデュース」という枕詞がついていたので僕はビックリした。チャコはきゃっきゃきゃっきゃ女子高生のように騒いでいた。まあ現役の女子高生なのではあるが。
話には聞いていたがかなり大掛かりなモノだった。僕が会場を見るのは今日が初めてだ。会場では色々な人に声をかけられた。それはそうだろう、自覚はないが僕が総合プロデューサーになっているのだ。マスコミにはハルナの「歌姫後継」についてさんざん質問された。僕よりもむしろチャコが饒舌に答えていた。そのうち
「啓ちゃん!」
そう呼ぶ声がしたので振り返ると野島プロデューサーだった。
「ああ、野島さん。いらしてたんですね。」
野島氏に会うのも福岡以来だ。
「昨日、お墓参りにも行ったんだよ。気がつかないとは冷たいなあ。」
「それは失礼しました。」
「まあこの規模じゃ仕方ないけどね。自分がなんだか小さく見えるよ。」
「僕もこれだけ大掛かりになるとは思いませんでした。」
「昨日の後継宣言といい、君はやることが一々素晴らしいよ。」
僕はそれに対して特にコメントしなかった。ちょうど、市の幹部に声をかけられたので野島氏とはそれきりになった。
お昼前にいったん白石本宅に戻りチャコはお昼ご飯の準備をした。スーパーアイドルの二人が今日はここでお昼ご飯を食べ、テレビの撮影もあるという。チャコが特性餃子定食を完成させるころ、マコちゃんとハルナはテレビ局のクルーと共に現れ、ランチの撮影をした。チャコはこの特別番組では脇役に違いないが中々の存在感を示していた。
午後もコンサートの準備とリハーサルが延々と続き、チャコと僕は会場で色んな人に声をかけられた。ステージの前には貴賓席が設けられ、その後ろに柵が施され、その後ろはオールスタンディングになるそうだ。続々と人が集りだし、開演を待った。貴賓席にはお偉いさん達や関係者が陣取った。ハルナの家族もいる。
コンサートは六時半きっかりに始まった。僕は貴賓席に留まらず、チャコと一緒にステージの裏側も含めあちこち歩き回った。ステージではゲスト出演した地元の音楽チームの代表者がそれぞれあいさつした。僕もビックリしたが、あいさつした人は全員、裕ちゃんとなんらかのかかわりを持っていた。そして裕ちゃんのことに触れ、地元が生んだ新しい「歌姫」ハルナのことを持ち上げた。観客も一々それに応えた。さながら裕ちゃんからハルナへの歌姫継承式のようだった。地元音楽家とのコラボはステージを素晴らしく飾った。
八時頃、最後の歌が終わり、アンコールの嵐が吹き荒れた。五分位してユカタに着替えた二人が手をつないで再登場した。チャコと僕はステージの袖で二人を見守った。二人があいさつしてアンコール曲、尋常小学唱歌、高野辰之作詞、岡野貞一作曲、「故郷」のピアノ前奏が始まった。ピアノだけでハルナは歌い始めた。
「うさぎお~いしかのやま~♪……」
そのうちピアノの音も消え、完全にアカペラになった。それでも圧巻の歌唱力だった。僕ですら「ああ歌姫が継承された」と思ったくらいだ。マコちゃんは傍に立っているだけで、聴衆は最後を飾るこの静かな曲に聞き入っていた。舞台の袖からふと貴賓席に座る野島プロデューサーに目をやると、野島氏が泣いているのが見えた。二人が歌い終わって「今日は本当にどうもありがとうございました」といって一礼するとそれを合図に花火が打ちあがり始め、大花火大会に移行した。花火は十五分くらい打ち上げられ続けた。この大イベントの最後を飾るにふさわしい感動のフィナーレだった。
花火が終わるとマコちゃんとハルナのところにいたチャコが僕のところに駆け寄ってきた。
「ねえ、啓一さん、今日、ハルナちゃんのおうちでお泊りしてもいいかな?」
「えっ?」
「誘われたの。今日はマコちゃんもハルナちゃんの実家にお泊りするからチャコちゃんもどうぞって。」
「ああ、僕は別に構わないけど。」
「じゃあそうさせてもらうね。啓一さんは一人になっちゃうけどご自由にね。若い女の子連れ込んでもいいからね。」
「チャコより若い子を連れ込んだりしたら僕は確実に犯罪者だよ。」
「ああそうか。でも明後日はマコちゃんかハルナちゃんが警察署長なんだから捕まってもすぐに釈放してもらえるんじゃない。じゃあね~。」
チャコはそう言って手を振って、テレビ局のクルーが乗ったワンボックスに乗り込み、僕は中央海水浴場から一人徒歩で家路についた。とても気持ちのいい夜だった。昔、花火大会か何かの帰りだっただろうか、裕ちゃんに手を引かれて二人でこんな夜道を歩いたことがあることを思い出した。お盆だったからか裕ちゃんを近くに感じた。
次の朝、七時半頃僕は目を覚ました。前の夜があんなに大騒ぎだったのにそんなに疲れていない。何か充実感に満ちた爽やかな朝だった。チャコはいないので一人応接間でコーヒーを飲みながら新聞を読んだ。地元紙の一面トップは昨夜の出来事だった。それはそうだろう。柏崎にとって世紀のお祭りだったのだ。
新聞を読みながら朝ごはんはどうしようかな?とか考えていると玄関のチャイムが鳴った。チャコが帰ってきたのかなと思い、玄関に行きドアを開けた。
「やあ、啓ちゃんおはよう。昨日はお疲れ様でした。」
野島プロデューサーだった。大きな荷物を持っている。
「ああ、おはようございます。どうしました?こんな早くから。」
「東京に急遽帰ることになってね。東京の状況が一変しちゃったんだ。事務所の電話が鳴りっぱなしなんだ。」
僕は野島氏の言っていることの意味がよく分った。「後継者」効果が出たのだろう。
「だからまだ途中なんだけど朝一で東京に戻ることにした。お世話になった啓ちゃんに一言あいさつして行こうと思ってね。」
「それはわざわざスミマセン。お忙しいでしょうに。」
「君にあいさつしないで帰るわけにはいかないよ。本当にありがとう。じゃあハルナのこと置いていくけどよろしくね。」
「駅まで送りますよ。」
「いいよ。忙しいだろうし。」
「まだチャコも帰ってきてないし、駅はすぐそこですから。」
僕は駅の方角を指さし、そう言ってつっかけを履き、野島氏と外に出た。もう既に外は暑い。
「東京の方、忙しくなったんですか?」
僕は歩きながらポツリと聞いた。
「ああ。ファーストアルバム、初回プレスは昨日、完売したよ。」
「ええっ、たった一日で?」
僕はびっくりした。
「僕も信じられない。裕ちゃんのパワーってすごいんだね。で、事務所の方にも化粧品とかアパレルとかこれまでなかったところからのオファーが来てるんだよ。」
「そうですか。」
「これも啓ちゃんのお陰だよ。八月十四日、アルバム発売の前日に裕ちゃんのお墓の前で後継宣言をするなんて、君は本当に野心的なプロデューサーだ。……ハルナは、人気は出てきたけど本当にハルナの歌を聴いてほしい人達、二、三十代の女性からは支持されてなかった。支持されてないどころか冷たい目で見られていたよ。くだらないアイドルグループのメンバーだってことでね。でも啓ちゃんの後継宣言のお陰で彼女達がなだれをうってハルナの支持にまわったってことだ。啓ちゃんは分ってたんだろ?」
「いや、あれはチャコが……。」
「チャコちゃんは君が後継者に指名したって言ってたよ。テレビカメラの前で確かにそう言ってた。昨日のワイドショーはどこもその映像を流していたよ。ファーストアルバム、アルバムとしては異例のミリオンに達するかもしれないね。」
僕は何も言い返せなかった。チャコはすべて計算していたのだろうか。野島氏は続けた。
「ねえ啓ちゃん。昔、…裕ちゃんと一緒の頃、啓ちゃんいつも学ラン着てたよね?」
「ええ、裕ちゃんが健在の頃、僕はずっと学生でしたから。」
「それでも学ラン着てる大学生は珍しかったよね?」
「まあそうですけど。」
僕は体育会系でもないのに学ランを着ている珍しい学生だった。他に着るものがなかったし、学ランが好きだったということもある。
「実はあの頃、僕は君の事を本当は馬鹿にしていたんだ。『なんでこんなダッサダサの男が裕ちゃんの婚約者なんだろう?もっといい男他にたくさんいるじゃないか』って思ってたんだ。」
「そうですか。」
僕は苦笑した。
「僕だけじゃない。あの頃の音楽仲間はみんなそう思っていた。裕ちゃんに『あんな男と一緒に住むのはやめろ』と言った奴もいる。でも昨日のステージを見ていてそんなことを考えていた自分が恥ずかしくなったよ。やっぱり裕ちゃんは間違ってなかった、っていうか人を見る目があったね。君は本当にすごい。まだ二十六歳だっていうのに。コンサートを見て泣いたの何年ぶりだったんだろう。」
「たまたまですよ。幸運が重なっただけです。」
「幸運を重ねるのも実力のうちさ。これは僕の想像だけど、裕ちゃんも分っていたんだろうな。自分がいなくなった後、自分の残していくものが啓ちゃんの手でこうやって世の中に出ていくってことが。ハルナもいい師匠に出会えて幸せだ。」
「師匠って言っても僕は何もしてませんよ。ハルナを育てたのは野島さんじゃないですか。」
「確かに育てたのは僕だけど川で溺れているかわいそうな子猫を助けたのは本当に君だ。」
「大袈裟ですよ。」
「君にとっては大袈裟かもしれない。でもハルナにとって君は本物の神様だよ。……ちょうど一年前の今頃、まだオーディションの前だ。ハルナはメイド喫茶でバイトをしていた。もちろんもう僕の事務所にはいたし、雑誌のモデルとかはやっていたけどとてもそれで食える状況ではなかったからね。そういう時代もあったんだよ。あんなに才能に恵まれていて、それでいて誰よりも努力家で、僕はそんな彼女に十分な仕事を与えることができなかった。くやしくてね。でもハルナは文句一つ言わなかったよ。その頃のことを思うと本当に夢のようだ。」
野島氏はそう言って上を見上げ、少し涙ぐんだようだった。
「実はね、僕は啓ちゃんが本当にハルナの面倒を見てくれるとは思ってなかったんだ。」
「でも面倒を見てくれって最初に言ったのは野島さんですよ。」
「ああ。もしそうなったらいいなとは思ったけど、まさか本当にやってくれるとはね。だから……本当に啓ちゃんには感謝の言葉もないよ。シンデレラストーリーなんてこの国にはないと思ってた。でもあったんだ。」
「僕は何もしてませんよ。」
「これで君には莫大な印税が転がり込んでくるだろう。でもそれくらいじゃ僕の気がすまない。だから恩返しというわけでもないけど、選挙のときはハルナに君の鞄持ちをさせるつもりでいる。」
「まさか……。ご冗談を。選挙のときって言ったって……解散から投開票まで四十日間はありますよ。その間、売れっ子のハルナを柏崎に置いておくわけにはいかないでしょう?」
「大丈夫だよ。さすがにコンサートは代わりがきかないけど、テレビとか雑誌とかの契約は『衆議院総選挙の期間中は代役をあてる』という条項を入れているんだ。もちろんギャラは下がっちゃうけど、それはそれでそんなにマイナスじゃない。選挙期間中はハルナにはずっとこっちにいてもらうつもりだよ。『スタジオL』は収録でしのいで、どうしようもなくなったら柏崎から中継するよ。」
「それはいくらなんでも。だって彼女、今やアイドルランキングの……」
「不動の二位だよ。だから営業的には確かにマイナスにはなる。でもここまで来られたのは啓ちゃんのお陰だし、啓ちゃん、何も要求してこないじゃないか。ハルナの儲けの半分を寄こせって言われても僕は逆らえないくらいだ。でも啓ちゃんは何も要求してこない。だからこのままだとバチがあたるんじゃないかと思ってね。それにハルナだけじゃなくて友美とか他の子も売れてくれないと困るしね。まあいいじゃない。どうせチャコちゃんもマコちゃんも学校があって選挙の手伝いはできないだろ?未成年者だし。だから君の一番弟子のハルナの出番というわけだ。悪い話じゃないと思うけど。」
「それはそうですけど。」
「ハルナにとっても悪い話じゃない。話題作りになるしね。女性アイドルランキング不動の一位で、妹キャラが売りのマコちゃんのお兄さんの選挙の手伝いをするんだ。手弁当でね。」
そこまで話すと柏崎の駅前まで来た。
「じゃあここでいいよ。君も忙しいだろうし。……啓ちゃん、いや白石大先生。本当に色々ありがとう。これからもハルナ、チーム、そしてもしよかったら僕のこともよろしく頼むね。」
そう言って野島氏は切符を確認し、改札に消えていった。僕は後姿を見送った。
僕はそのまま歩いて白石本宅に帰った。帰ると玄関の鍵は開いていて、チャコの靴があったのでチャコが帰っていることが分った。「ただいま~」というと奥から「おかえりなさ~い」とチャコが現れた。
「帰ってたんだ。」
僕は自由が丘女子高等学校の夏服を着たポニーテールに声をかけた。
「うん。今さっき。すっごく楽しかったよ。ありがとね。」
「あの二人はもう出かけたんだ?」
「まだハルナちゃんの実家でうだうだしてたよ。あたしだけ一足先に失礼した。啓一さん出かけてたんだ。」
「うん。野島さんが来てね。これから東京に帰るって言うんで駅まで送っていった。」
「そうか。まだ途中なのに帰っちゃうんだ。忙しくなったんだね。」
「チャコは分ってたんでしょ?分っててお墓の前で後継者宣言なんかしたんでしょ?」
「まあね。啓一さんあたしに未練があるみたいなこと言ってたからまあダメを押しておこうかなと。」
「ハルナのファーストアルバム、初回プレスは完売したんだって。」
「ひぇ~、初日で?じゃあ裕ちゃんの本当のファンがなだれ込んできたんだね。でもハルナちゃんなら歌姫になる資格があると思うけどなあ。」
「そうかもね。で、野島さん、お礼といってはなんだけど選挙期間中はハルナに僕の鞄持ちさせるって言ってた。信じられないよね?超売れっ子なのに。」
「それって選挙中、ハルナちゃんがこっちで啓一さんの奥さん役やるってこと?」
「そこまでは言ってないよ。僕もよく分らない。野島さんはとにかく鞄持ちって言ってたから選挙の手伝いであることには違いないと思うけど。ウグイス嬢でもやらせるのかな。」
「へ~っ。スーパーアイドルのウグイス嬢なんだ。すごいね。でもそれってギャラ、億を超えちゃうと思うけど。」
「手弁当なんだって。」
「そりゃまた気前いいね。でも手弁当じゃないと本当のお弟子さんとは言えないか。お弟子さんが師匠のために尽くすのは当たり前なんだから。そっか~、じゃあ選挙期間中はここのおうちで啓一さんはハルナちゃんと愛を育むんだ。」
「そんなこと言ってないよ。手伝いに来るって言ったって実家から通ってくるだけだろ?」
「いいじゃん。奥さん役やってもらえば。その方があたしも安心だし助かるなあ。」
「助かる?チャコが?」
「うん。こっち来てからもう色んな人に『選挙中、奥さんはどうするんですか』って聞かれてるの。もう二百人くらいに聞かれたかなあ。学校があるからこっちに来られないじゃない。未成年だから選挙の手伝いもできないし。『学校じゃ仕方ない』って言ってくれる人もいれば、『学校はお休みできないのか?』って言う人もいるし、『いっそ、こっちの高校に転校したらどうか』って言う人もいる。もちろん笑顔で答えてるんだけどさすがに疲れてきてね。ハルナちゃんなら一番弟子だし、人気者だし、柏崎の出身だし奥さん役として十分だよ。じゃあこれからそういうこと聞かれたら『選挙期間中は一番弟子で二十歳のハルナちゃんが奥さん役を務めま~す』って言っとくね。」
「待てよ。相手のある話だろ?」
「ハルナちゃんなら大丈夫だよ。ハルナちゃん、啓一さんの言うことには絶対に逆らわないよ。それにハルナちゃん、マコちゃんみたいに積極的じゃないけど啓一さんのこと大好きだよ。プロフィールの『好みのタイプ』にも石水啓一さんって書いてあったでしょ?」
「あれは野島さんとかチャコやマコちゃんに書かされたんでしょ?」
「あたしもマコちゃんも何も言ってないよ。きっと野島さんもね。昨日もガールズトークしてたんだけど、ハルナちゃん裕ちゃんに思い入れがあるみたいだね。それは啓一さんも気付いてるでしょ?」
「うん。」
「ハルナちゃん裕ちゃんにぶつけられなかった思いを婚約者だった、……今でも婚約者である啓一さんにぶつけたいんだよ。だからまあ短い間だけど純粋な師弟愛を育んでね。」
チャコはニッコリ笑って言った。僕は深く深呼吸した。
「うらやましいなあ。モデルさんと同棲生活か。啓一さん、鼻の下伸びまくってますよ。」
「またそういうこと言う。」
僕は嫌な顔をした。
「今のは冗談。啓一さんが奥様のこととても愛していらっしゃること、ハルナちゃんのお色気に耐えることは十分実証済みですからね。あたしもその方がうれしいや。後でハルナちゃんに言っとくね。『主人のことよろしくお願いします』って。でも一緒にお風呂に入るのだけは勘弁してね。さすがにハルナちゃんのプロポーションにはかなわないから。」
返す言葉がなかった。僕は話題を変えた。
「ところで今日なんだけど、あの二人追いかけて僕たちもスイーツ巡りとかやる?」
「実はね、今日は予定があるの。」
「チャコが?珍しいね。ってか柏崎来て初めてじゃないの?チャコに予定があるなんて。いつも僕にくっついてくるばっかりだったのに。」
「そうだね。今日は啓一さんについてきてもらいますからね。」
「まあいいけど、どこ行くの?」
「税務署だよ。」
「税務署?」
「そう。実はあした、あたしが一日税務署長やることになったんだ。」
「ええっ?なんでまた?」
「昨日、ハルナちゃんのおうちでテレビ局のディレクターさんに『なんかもっと面白いことできないかなあ』って言われて、『じゃああたしが一日税務署長やりますんで三つ巴の戦いにしますか』って言ったの。そしたら『それ面白い』ってことになって、すぐに後援会長さんに電話したら後援会長さんもノリノリで、話はトントン拍子。それで今日、十時に税務署で打ち合わせすることになったの。」
「チャコ……」
やっぱりこの子にはかなわない。
「後援会長さんとっても喜んでたよ。これで不機嫌は解決だね。」
「チャコ、……ありがとう。でも大丈夫?」
「大丈夫だよ。あたしはっきり言って勝ちに行くからね。なんてったって柏崎じゃあこの朝子姫が女性アイドル人気ナンバーワンなんですからね。」
夏服のポニーテールはそう言って満面の笑顔で大きく伸びをした。