思ひ出   作:山田甲八

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十一 表彰

 結局、その年の通常国会閉会を待って行われた衆議院の解散、総選挙で白石陣営は予想通り惜敗し、失地回復は今回も達成実現できなかった。しかし、それでも娘の見舞い方々、選挙結果の報告に来た巨漢の参議院議員の表情は明るかった。「今回負けはしたが、白石の娘婿が出る次は絶対に勝てる」と地元の士気は上がっているというのだ。僕にとっては迷惑な話だが、今さらそれは違うとも言えないまま、巨漢は帰っていった。

 一方、僕が作詞し、裕ちゃんが作曲し、キザ男に散々罵倒された曲は結局、「卒業」というタイトルでその年の九月に裕ちゃんの言った通りリリースされ、あっという間にミリオンを達成した。そして僕の下にも印税が入るようになり、僕は裕ちゃんだけではなく、自分自身の財産管理もしなければならない破目に陥っていた。しかし、公認会計士の勉強をしていた僕にとってお金の計算は比較的得意分野であり、煩わしくはあったものの政治の話をしているよりは余程良かった。

 季節はまた早く過ぎ去り、裕ちゃんの音楽人生も残り半年を切った十一月下旬の昼下がり、ダイニングテーブルの上でコーヒーを飲みながらお金の計算をしていると、ダイニングのドアが開き裕ちゃんが顔を覗かせた。

「おはよう。」

 病気は確実に進行しているはずなのだが、裕ちゃんはいつも血色が良く、元気一杯だ。ここ碑文谷の自宅兼スタジオで大好きな音楽を誰にも気兼ねせずに好きなだけ打ち込んでいられるからなのかもしれない。病気でいることなど僕の方が忘れてしまう。

「おはよう。よく眠れたかな。」

「まあね。何してんの?」

 裕ちゃんはそう言うとダイニングの僕の対面に座り、僕の飲みかけのコーヒーを一すすりした。

「ああ、お金の計算だよ。時々整理しないとわかんなくなっちゃうからね。整理していないと確定申告のときが大変だから。」

「そっか。あたし今どれくらい稼いでるんだろう。」

「興味あるの?」

「ない。お金なんてそれほどのものでもなかったね。今思うと。それだけ達観したってことかな。」

「僕が言うのもおこがましいかもしれないけど、裕ちゃん、もう自分では管理しきれないくらい稼いでいるよ。とてもじゃないけど、音楽と片手間にできる規模じゃない。専門の財務コンサルタントが必要なくらいだ。下手な、いや立派な中小企業よりも稼いでるよ。」

「そうか。よく政治家が秘書に任せていて分からないとか言って、それが何千万だったりすることがあるけどあんな感じだね。庶民感覚からは外れてるっていうのはこういうこと言うんだろうね。ありがとう。これも啓一様のお陰ですよ。」

「僕は何もしてないよ。」

「今日はレコーディングない日だよね?」

「そうだね。今日はお休みだね。まあ、野島事務所の皆さんもたまには休みが欲しいだろうしね。その代わり、今日は僕が野島社長に呼ばれてて、一段落したら六本木の野島事務所に行くことになってる。」

「啓ちゃんももう業界の人なんだからギロッポンって言って欲しいね。」

 それを聞いて僕はため息をついた。

「あのねえ、僕は業界の人間なんかじゃないんですけど。」

「あそう。こんなにあたしのことプロデュースしてるのに?じゃあ、なんなの?」

「ただの書生かな。婚約者の看病をしながら日米ダブル公認会計士を夢みてコツコツ勉強している。」

「なんか殊勝だね。まあ啓ちゃんらしいと言えばそれまでだけど、啓ちゃんの実力はそんなもんじゃないと思うけど。まあ書生でもいいけど、啓ちゃんさえ望めば四年後の今頃は左の胸に菊のバッチが光輝いていて『センセイ』って呼ばれてるんだよ。」

 それを聞いて僕はもう一度大きくため息をついた。

「だからそんなことも僕は望んでないんだってば。大体僕は政治家なんて輩ではないよ。人前で話すことだって苦手なんだから。」

「政治は啓ちゃんが考えているほど難しくないよ。政治家なんて芸能人と大差ないのかもしれない。人を幸せにするという文脈においてはね。」

「そんなもんかなあ。」

「そんなもんだよ。権蔵が参議院のドンになれたのも『神輿は軽くてパーがいい』からでしょ?まあ啓ちゃんは権蔵よりはるかに実力者だから同列には扱えないけど、神輿に乗りさえすれば後は難しく考える必要はないと思う。面倒なことは秘書や地方議員に任せればいいんだし。」

「・・・・・・」

 僕は黙った。あまり裕ちゃんのペースに乗せられてしまうと本当に政治家にさせられてしまいそうだ。裕ちゃんもなんだかんだいって本当は僕を衆議院選挙に立候補させようとしているような気がしてならない。

「で、野島さん、啓ちゃんになんの用なの?」

「さあ。会って話すって言われているんだけど・・・。まあ見当はつくけどね。」

「何?」

「裕ちゃんがいなくなってしまった後の話だよ。」

「ああ、そういうことか。」

「前にもそんなこと言われたことがあったからね。」

「なるほど。野島さんとしては版権の行方が気になるわけだ。」

「そりゃそうでしょ?裕ちゃんドル箱なんだし。」

「ねえ、啓ちゃんはどうしたいの?」

「そんなこと分からないよ。裕ちゃんはまだ健在なんだし。」

「そりゃそうだね。まあ野島さんはあたしをダシにしてのらりくらりとかわせばいいよ。」

 裕ちゃんはそう言ってもう一度僕のコーヒーカップをすすり、ニッコリ笑った。

 

 それから僕は一張羅の学ランに着替え、左ハンドルから僕の希望で買い換えた国産のハイブリッドを一人で運転し、ギロッポンならぬ六本木をめざした。ハイブリッドの前後には若葉マークが付いている。クスリを常時服用している裕ちゃんはもうハンドルを握ることができない。結局、僕が運転免許を取得して、僕は裕ちゃんの執事からさらにお抱え運転手の役回りも担うことになった。運転するのは僕だけなのでクルマについては我がままを言い、左ハンドルから右ハンドルに買い換えたのだ。

 夕方、六本木の野島事務所が入っているビルに到着し、受付で来意を告げるとそのまま最上階の社長室に案内された。事務所は借り物のようだが広く、内装にもそれなりに手が加えられている。社長室の前には美人秘書が座っていて、僕が来意を告げるとインターフォンで中のボスに取り次ぎ、ボスの「ああ、入ってもらってくれ」という声が僕にも聞こえて、美人秘書が社長室のドアを開けた。この美人秘書も裕ちゃんの遠藤マネージャー同様、なりそこないのアイドルなのだろう。

 部屋の中に入ると「やあ、いらっしゃい。この事務所に来るのは初めてだよね?」とキザ男が豪快に僕を出迎えた。赤いブラウスにブルーのサスペンダーが鮮やかで眼がチカチカする。キザ男は不敵に笑い握手を求め、僕は作り笑顔でキザ男の右手を握った。

「一度、裕ちゃんに呼ばれて、この下のロビーには来たことがありますよ。まだデビュー前でしたけど。」

「そうだったか。まあ、かけてくれ。」

 キザ男は相変わらず高飛車に席を勧め、僕はソファに座り、キザ男は僕の対面に座った。なりそこないのアイドルがお茶を持ってきて二人の前に置いた。

「こんなところまでお呼び立ていただいて、何か御用でしょうか?」

 僕はキザ男の高飛車に低姿勢で応えた。所詮は学生、背伸びしても仕方がない。

「こんなところに来るのも学ランなんだ?」

「えっ、ああ。まあ、これしか着る物がありませんから。」

「そんなことはないだろ?夏はもっとましな格好してたじゃないか。」

「まあ、この服が好きなんです。学生でいられるのも、もう半年もないですから。」

「そうか。まあ、君らしさといったところかな。なんか君を見ていると実力があるのかないのかよく分からなくなるよ。」

「実力なんかあるわけないじゃないですか。僕はそこら辺にいるただの学生ですよ。」

「そこが分からないんだ。僕が学生のときはもっと虚勢を張ったもんだけど、君はなんかわざと隙を見せているようなそんな気がするんだ。」

「何をおっしゃいます。」

「だってあのでかい親父が君の実力を認めたのは事実なんだろ?」

「ああ、まあそれはそうかもしれませんが。」

「だからなんて言うか、君と話すときは実は僕も少し緊張するんだ。下手なこと言うと火傷させられるかもしれないからな。」

「大袈裟ですよ。」

「でも、もう少し着る物には気をつけて欲しいな。裕ちゃんの婚約者なんだし。」

「でもそれは誰も知らない話なんじゃないんですか?」

「そうだ。マネージャーの遠藤も知らない。遠藤も、君のことはただの幼なじみ程度にしか考えていないよ。だから君もマスコミに追い掛け回されなくて済んでるんだろうけどな。」

「それは感謝してます。」

 僕はそう言って目の前に置かれた湯飲みを取り、お茶を一すすりした。

「まあ、前置きはそのくらいで本題に入ろう。啓ちゃん。君にとって朗報だ。君が今年の作詞大賞を受賞することが正式に決まったよ。」

「はあ?」

「なんだよ、その反応は。もっと喜べよ。みんな、何十年もコツコツやって、苦労して、報われなくて、それでも文句を言わず歯を食いしばっているのに、君は学生の分際でありながらあっという間に成功をつかんだんだぞ。」

「そうですか。ありがとうございます。スミマセン。急な話ですぐには飲み込めないもので。」

 僕は少し改まってお辞儀をした。

「まあ、僕が決めたわけじゃないからお礼は協会のお偉いさんに言ってくれよ。ともかくおめでとう。あんな状況でよく頑張ったよ。」

「僕はそんなに頑張ってもいませんけど・・・」

「分かってるならいいんだ。その通りだよ。あの作品はハッキリ言って駄作だ。裕ちゃんの作品だったからこれだけ売れたんだ。それはどうか忘れないことだな。思い上がらない方がいい。」

「はい。」

「それで、これからどうするつもりなんだ?」

「どうする?とおっしゃいますと?」

「裕ちゃんがいなくなってしまってからの話だよ。」

「ああ、そのことですね?」

「結婚はしないのか?」

「それは裕ちゃん次第です。」

「この前も言ったけど、このままだと裕ちゃんの作品は全部あのでかい親父のものになるんだぞ。」

「それは承知していますが僕の力ではどうにもなりません。」

「裕ちゃんの残していく楽譜をあの親父から切り離すことはできないのかなあ?もちろん君達がさっさと結婚するのがベストではあるんだけど。」

「そんなに裕ちゃんの楽譜が欲しいんですか?」

「あたり前じゃないか。彼女は天才なんだ。その天才が膨大な楽譜を残していくんだ。音楽プロデューサーとしてそれを望まないわけないじゃないか。君は知っているだろうけど、僕は碑文谷の彼女のスタジオに出入りしているから彼女の楽譜は全部見ている。」

「そんなに欲しいなら碑文谷のスタジオから盗み出せばいいじゃないですか?野島さんなら不可能ではないでしょう?野島さん、碑文谷のスタジオは出入り自由なんですから。」

 僕がそう言うとキザ男は大きくため息をついた。

「できることならそうしたいよ。でもそうさせないだけの良心はギリギリのところで残っているんだ。・・・いいか、啓ちゃん。今のままだとあの楽譜群はあのでかい親父が相続する。しかしあの親父に管理できるわけがない。管理は必然的に啓ちゃんってことになるんじゃないのかなあ?」

「さあ、どうでしょう。権蔵先生は僕も最近、ご無沙汰なんです。」

「一緒に手を組まないか?君が裕ちゃんの楽譜を管理する。僕が世に出す。どうだろう?悪い話じゃないと思うけど。」

「はあ。でも僕一人では決められません。裕ちゃんにも相談しないと。」

「そうか。やっぱり裕ちゃんか。」

「裕ちゃんにはその話はしないんですか?」

「裕ちゃんにはできるわけないよ。裕ちゃんがいなくなった後の話だから。」

「まあ、それはそうですけど。」

「とにかくもう時間はないからよく考えといてね。それと、これが作詞大賞受賞の案内状だ。おめかししてきてくれよ。」

 キザ男はそう言って応接のテーブルの上に案内状を置いた。

「裕ちゃんは『卒業』がミリオンを達成したけど、事情が事情だから今年の歌謡祭は全部辞退することにしている。まあ病気のことはまだ伏せてあるから、謎が一つ付け加わっただけだけどね。そんな事情で裕ちゃんの作品で今年、表彰されるのはこの作品だけだ。去年は総なめだったけどな。まあ、売れてはくれたからそれはそれでありがたいけど。」

 キザ男がそう言っている間に僕は案内状を開き、表彰式の式次第を確認した。そこで僕は軽い衝撃を受けたのだが、キザ男には悟られぬよう平静を装い、簡単に礼を言って、その場を辞した。

 

 僕は来た通りにハイブリッドを運転し、帰路に着いた。もう日は短くなっている。夜行性の裕ちゃんも活動を再開している頃だろう。今はまだ裕ちゃんがいるからなんとかなっているが、野島社長の言うとおり、裕ちゃんなき後、裕ちゃんの残していく楽譜群は僕が管理することになるのかもしれない。そうしたら野島社長は僕に一層強い興味を示すに違いないだろう。僕にそれをかわすだけの力量があるだろうか?重いハンドルを握りながら僕はそんなことを考えていた。

「ただいま~」

 ダイニングのドアを開けると裕ちゃんは僕が作っておいたハンバーグ定食を一人で食べているところだった。

「おかえり~。お疲れ様でした。ご飯、先にいただいてますよ。啓ちゃんも食べるでしょ?」

「そうだね。僕もいただこうかな。」

 僕はそう言ってキッチンに回り、汁物の入っている鍋がのっているガス台をつけ、ご飯をよそい、ダイニングの裕ちゃんの対面に座った。

「野島さんどうだった?」

「概ね、さっき言った通りだよ。裕ちゃんに言われた通り、適当にかわしといた。」

「あたしがいなくなった後の話をしたんだ。」

「まあね。」

「話はそれだけだったの?」

「いや、実はそれは本題じゃなかったんだ。呼び出された本当の理由はこれだった。」

 僕はそう言って学ランの内ポケットからさっき野島社長に渡された歌謡祭の案内状を取り出し、裕ちゃんの前に広げた。

「僕が作詞大賞を受賞することになったんだって。それでその内示というか、案内状を渡すために呼ばれたのさ。」

「ああ、そうなんだ。おめでとう。でも啓ちゃんならそれだけの価値あると思うけどなあ。あんなに売れてるんだし。」

 裕ちゃんは案内状をしげしげと見つめながらニコニコして言った。本当に嬉しそうだった。

「でもそれは裕ちゃんの実力でしょ?」

「あたしは啓ちゃんの実力だと思うけど。」

「僕に実力なんかないよ。野島さんにも散々バカにされたよ。『思い上がるな』って言われてね。」

「そんなの言わせておけばいいじゃない。啓ちゃんの実力はあたしが一番良く知ってるからね。だから浮かない顔なんだね?」

「いや、浮かないのは別に理由があるんだ。」

 僕はそう言って案内状に同封されている式次第の「司会」の部分を指差した。「司会」の欄には二人の名前がつらねてあるのだが、そのうちの一人には「黒田聡美」と記されていた。

「ええっ!聡美が来るの?」

「まあ、確認したわけじゃないけど、司会というからにはそういうことなんだろうね。彼女のいるテレビ局の公開放送になるみたいだし。」

「啓ちゃん、聡美と再会するんだ?」

「まあ、再会と言われれば再会になるのかな。最後に会ったのは成田で平手打ちされたときだからもう二年ぶりくらいにはなるけど。」

「そっか~。ねえ、啓ちゃん、モノは相談なんだけど、表彰式、あたしも行っていいかなあ?」

「裕ちゃんも?もちろん僕は拒否する権限なんかないし、『歌姫』と呼ばれている裕ちゃんはもはや音楽界の重鎮なんだから裕ちゃんが望めば協会の方が招待してくれるんじゃないの?でも身体は大丈夫?」

「大丈夫ではないけど、近場の外出くらいなんとかなるよ。まあ招待は大袈裟だからお忍びでね。ともかくあたしも聡美とはあれっきりだから結着は付けておきたいしね。」

「結着?」

「そう。誤解を解いておきたいの。啓ちゃんは、本当は素晴らしい人なんだってことを聡美には分かってもらいたい。」

「いいよ、そんなこと今さら。僕はヒールでいいよ。兄の恋人を奪い、兄を奪い、親友を奪った悪い奴ってことでさ。」

「啓ちゃんはそれでいいかもしれないけど、それじゃあ聡美が可哀想過ぎる。あたしは啓ちゃんを聡美に譲ってもいいくらいに思ってるんだから。」

「はあ?何言ってるの?」

「ゴメン。今のはいい過ぎだけど、う~ん。あまりにも急に恵まれたチャンスなんで適当な言葉が思い浮かばないぞ。」

「なんかすごく興奮してるみたいなんだけど。」

「そうだね。少し冷静になろう。・・・で、啓ちゃんの聡美に対する気持ちはどうなのかな?」

「どうなのって、別にどうも思ってないけど。」

「ああいう美人と結婚できたらいいと思わない?」

「そりゃ、僕にはもったいないくらいだよ。」

「聡美のことは好き?」

「別に好きっていうわけでもないけど。」

「じゃあ嫌い?」

「嫌う理由はないよ。てか、どうして二者択一なのかなあ?」

「じゃあ、啓ちゃんと聡美をくっつけるけど異論はないね?」

 それを聞いて僕は大きくため息をついた。

「ねえ裕ちゃん。今さら驚かないけど、あまりにも展開が急じゃない?」

「そりゃあたり前でしょ?チャンスが突然降って湧いてきたんだから。」

「聡美さんと僕でうまく行くと思うの?」

「まあ、そう嫌がらないで、とりあえずお付き合いしてみれば。啓ちゃんはともかく、聡美にとってはこんなにいい話はないんだから。」

「僕はそんなにいい男でもないんだけどなあ。少なくとも聡美さんとバランスは取れないよ。」

「端から見ればそうかもしれないけどね。まあ二人が納得すればそれでいいじゃない。まああたしからのプレゼントだよ。」

「プレゼントっていってもモノじゃないんですけど。」

「ゴメンゴメン。まあいいでないの。あたしと啓ちゃんの仲なんだからさ。」

 裕ちゃんは自分のアイデアが余程、気に入ったのかこの夜、ずっと上機嫌だった。

 

 それから一ヶ月が経過し、暮れも押し迫った十二月三十日、裕ちゃんと僕は作詞大賞を受けるために僕の運転で都心の会場に向かった。僕が冬場に学ラン以外の服装で外出するのは裕ちゃんと再会して案外初めてかもしれない。僕はまるで似合わないタキシード姿でハンドルを握っていた。助手席には裕ちゃんが座り、裕ちゃんは聡美さんにプレゼントするための大きな花束を抱えている。

 会場に到着すると裕ちゃんと大きな花束を預かった荷物持ちの僕は関係者以外立ち入り禁止の札を裕ちゃんの顔パスで次々に突破し、聡美さんの楽屋を探した。裕ちゃんは、私生活は謎に包まれてはいるものの顔は知れている。業界関係者で裕ちゃんの顔を知らない者はいない。裕ちゃんが「おはよ~ございま~す」と軽くあいさつするとどこでもストップがかかることはなかった。現場のスタッフにも少し道を尋ねながら「黒田聡美様」の貼り紙のある楽屋の前に到着した。

 部屋の前に来ると裕ちゃんがやや緊張した面持ちで「ここだね」と言った。裕ちゃんはドアをノックして「失礼しま~す」と大きな声で言い、中から「は~い」という女性の声がして、ドアが開き、同年代くらいの女性が顔を覗かせた。

「おはよ~ございま~す。白石裕子です。黒田聡美さんはいらっしゃいますか?」

 裕ちゃんが中の女性に声をかけた。

「ああ、白石さん。おはようございます。前に一度、お話させていただいたことがあると思いますけど、アナウンサーの名取です。」

 中から出てきた女性は顔だけをドアから覗かせて裕ちゃんの問いかけに答えた。着替えの最中のようだ。さすがに「歌姫」裕ちゃんのことは知っているようだ。

「お顔は何度か拝見させていただいたことがあります。その~、あたしも昔はアナウンサーの真似事のようなことをやっていた時期がありましたので。」

「そうだったんですか。黒田のことはご存知なんですか?」

「ええ。大学で同級生だったんです。」

「ええっ、白石さんって東大のご出身だったんですか?」

「ええ、まあ。で、聡美は?」

「ああ、ごめんなさい。黒田は実は今日、喉を痛めまして、私が代役を仰せつかったんです。だから・・・今日、黒田はここには来ていません。」

「ああ、そうだったんですか。」

 裕ちゃんは拍子抜けした顔で僕と顔を合わせ、すぐに代役の女子アナの方に向き直った。

「そうですか。それは残念です。聡美はあたしの親友で、でもこのところずっとご無沙汰で、久し振りに会えると楽しみにしてたんです。」

「そうでしたか。黒田にはよろしく伝えておきます。」

「ではこれを、聡美へお見舞いです。」

 裕ちゃんはそう言って僕から花束を奪い取り、代役の女子アナに渡した。

「では失礼します。」

 そう言うと裕ちゃんは僕を促し、足早に僕の楽屋へと移動した。裕ちゃんは元気なさそうだった。

 

「残念だったね。」

 僕の楽屋に入ると、僕は裕ちゃんに静かに声をかけた。

「まあ仕方ないね。友情を復活させられるかと思ったけど。まあそれは啓ちゃんに引継ぎかな。」

「僕に?」

「いつになるかは分からないけど、いつの日か、啓ちゃんは聡美と握手するときが来ると思う。そのときは聡美のことをよろしくね・・・・・・。」

「僕にできるかな?」

「まあ二人は、最終的に結ばれはしないかもしれないけどお互いに助け合う関係にはなるとは思うよ。」

「裕ちゃんの期待には応えられなかったかな?なんなら聡美さんとコンタクトをとって、別に三人で会う機会を作ってもいいんだよ。もう時間もないんだし、事情を話せば聡美さんも分かってくれると思うけど。」

「無理だよ。聡美、今日は案外確信犯だったと思うよ。」

「確信犯?」

「そう。歌謡祭の司会なんてチャンス、まだ若手の聡美にはそうそう来るもんじゃないよ。それなのに、アナウンサーにとって命の声が出ないとかでつぶしちゃうなんてプロとしてどうかと思わない?」

「よく分かんないけど。」

「つまり聡美は今日の出席者をみてわざとキャンセルしたんだよ。啓ちゃんが来るっていうんでね。」

「じゃあまだほとぼりは冷めてないってことだね。」

「そうだね。やっぱり啓ちゃんのことは殺したいほど憎んでるのかもね。」

「そっか。まあ仕方ないけど。恨まれることをしたのは事実なんだから。」

「でも残念だなあ、友情復活のお祝いに啓ちゃんをプレゼントできたら良かったんだけどなあ。」

 裕ちゃんがそこまで語るのを聞いて、僕は何か大きな誤解をしていることに気がついた。

「ねえ裕ちゃん?一つ確認していいかなあ。」

「何?」

「こないだからプレゼントするって言ってたと思うけど、誰に何をプレゼントするつもりだったの?僕は裕ちゃんが聡美さんのことを僕にプレゼントするような文脈で捉えていたんだけど。」

 僕がそう言うと裕ちゃんはゲラゲラと笑い出した。

「そうか。そういう解釈も可能だったんだね。でもあたしは啓ちゃんを聡美にプレゼントしたかっただけ。だってこんな、なんでもしてくれる素敵な人、あたしが墓場まで持って行っちゃったらもったいないでしょ?」

 裕ちゃんがニッコリ笑ってそう言うと、開演のベルが鳴り、僕は裕ちゃんに促され会場に移動した。

 

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