ジャックがラジアータへ帰還したことで、彼女には以前同様に彼の家の監視任務が課せられた。『定位置』へ、いつも通りに座っていなければならない。
加えて、今日はジャックに伝言があった。
「リンカ姉さまも、自分で言いに行けばいいのにさ」
姉貴分のリンカから頼まれたものだ。
花火大会に際して、彼女の息子であるコテツが、帰って来たガンツと一緒に行きたいと切望しているのだ。彼が出奔する前は、亡くした父と重ねて懐いていた相手である。
リンカもそれを叶えてやりたいが、騎士団に復帰した貴族というガンツの身分がネックであった。彼は気にしないだろうが、公然と『ヴォイド』の人間が会える相手ではない。もし、実行すれば、ガンツに反感を持つものに、恰好の攻撃材料を与えてしまうかもしれない。
というわけで、ジャックを介して意志を伝える道を選んだ。同じ騎士の団長と副団長、そして、それ以上に個人的にも親しい間柄であるし、リンカとも顔見知りであった。
確かに、フラウの言うとおりに自分で言いに行けば良い。が、彼女は結局照れ臭かったのだ。個人的に抱く、ガンツへの感情が素直さを阻害していた。
泣く子も黙る女盗賊にも、可愛い所がある。半ば口に出しかけたところで、フラウはそれを振り払った。
信頼する姉貴分であるし、その気持ちがわからなくもないからだ。
「ま、ついでだし……」
彼女の場合、『その相手』は誰か? 自身もまだわかっていない。
だが、ついで、そう、ついでに、リンカの願いを伝えた後、花火大会に暇をしているだろうあの青年を誘ってみようか。と、懸想していた。
「げっ」
その声が出たのは、ジャックの家に先客がいたことと、その先客が好ましからぬ人物であったのが要因である。
「あなた……」
エレナ。『オラシオン教団』の司祭にして、アナスタシアの腹心である少女だ。
好戦的で高慢、エレナの性格もフラウの好むところではなかったが、問題は彼女の崇拝するアナスタシアにあった。
フラウの生は、『オラシオン』の前に、へその緒がついたまま捨てられていたところから始まる。
それを発見したのが、当時教団へ入信したばかりのアナスタシアだった。
信心ではなく、教団を介して発生する権力に目覚め入信した。当時から存在した批判をかわすためか、あるいは気まぐれか、彼女は赤子を拾い育てるようになった(善意によってとは未だかつて評されない)。
フラウ、と名づけられた赤子は、少女へと成長するまで、王侯貴族とまではいかないが、空腹とも惨めさとも無縁の日々を送ることができた。
だが、アナスタシア、そしてドワイトら新体制派の在り様は、間近で見ながら育った彼女に、感謝よりも嫌悪の感情を強く育ませた。
その感情が和らぐことはなく、ある日、限界を迎えた彼女は庇護のもとを飛び出すと、そのまま『ヴォイド』へ身を寄せた。以来、盗賊一筋で今日まで至る。
アナスタシアからの愛情を感じる場面はなかったが、物質的には満たされていたし、彼女がいなければ赤子のまま生を終えたかもしれない。飛び出す直前に贈られた、青い余所行き用の洋服、これだけは捨てずにいる。
しかし、彼女と支持者、引いては『オラシオン』への反発心は終生消えることはなかろうと断言出来た。
エレナ、アディーナ、弟は……ナルシェといっただろうか? 彼女たちとの面識は、アナスタシアの元にいた時には存在しない。
当時彼女らは、従者となるべく、英才教育を受けていたからだ。
アナスタシアほどの権勢家であれば、フラウがどこで何をしているか、当然把握しているはずである。同じ町で、ギルドにも所属していれば猶更だ。
にも拘らず、飛び出して以降、彼女から何かしらの接触があったことはない。予想していたとはいえ、愉快ではなかった。
宗教組織への嫌悪感、育ての親への複雑な感情、自己評価への戸惑い。それらが合わさって、寂しがり屋でありながら、容易に人を信用できないフラウの精神が形成されていた。
それを溶かせたのは、リンカ、コテツら『ヴォイド』の面々と、ガンツ、そしてジャックだけだった。