「う~……、遅くなっちゃったな」
その夜、ダニエルは帰路を急いでいた。鍛錬に身が入りすぎて、気づけば『テアトル』に残っていたのは自分だけだった。
イザベラがすっかりお腹を空かしているはずだ。すぐに帰りたかったが、途中で買い物を思い出し、遅くまで営業している『奈落獣』の店まで足を運ばねばならなかった。
買い物を済ませて店を出ると、慣れない道が妙に暗く見えた。夜と欲望の黒街には、任務でもなければ足を踏み入れたことがなかった。何しろ、『ヴォイド』の面々に裏社会の人間がひしめいている。自由に出入りできるのは、構成員かジャックくらいだろう。
もう少し行けば、奈落へと向かう小径から、水と英知の青街まで抜けられる。あそこなら、治安は悪くないし明かりも一杯―
「ん?」
誰かが歩いて来る。かなり大柄だ。『ヴォイド』のならず者だろうか? 斧に手が伸びるダニエルだったが……
「え?」
何かがおかしい、輝いている。いや、装飾品だろうか? ド派手な服をまとい―
「キャー‼」
真っ白な顔には、巨大な笑みを浮かべる口だけが浮いていた。
「絶対にお化けだよ!」
翌朝、ダニエルは『ヘクトン』の隊室でジャックとナルシェに訴えていた(ジャーバスは二日酔いで欠勤)。
「お化けなんていないよお」
「いや、あれは絶対にお化けだよ!」
ナルシェは懐疑的で、ジャックは何とも言い難い顔をしていた。城のトレニア、ゴーブリと幽霊の知り合いがいるため、存在を否定できないためだ。
「あの巨体、真っ白な顔、歯並び……ひいいいいいい!」
「でもよ、何かされたわけじゃないんだろ?」
遭遇後、ダニエルは無我夢中で走って、気づいたら家にいたという。少なくとも、怪我はしていない。
「何にもしなくても怖いよ! 退治しなきゃ!」
「『奈落獣』にいかなきゃいいんじゃない?」
ナルシェは、エレナ、アディーナから、治安が悪いからと『ヴォイド』の近くへ行くことを禁止されていた。
「そ、それはそうだけど……でも、引っ越して『テアトル』の近くに来るかも」
「幽霊が引っ越し……?」
「依頼が来る前にやっちゃおうよ! ね⁉」
結局、ダニエルの熱意に押されて、ジャックとナルシェはその夜、黒街で張り込みをすることになった。
「あれ~? まだやってんの~?」
「見回りだよ」
「ふ~ん、ご苦労様~」
数時間が経った、行き来する人々の姿もまばらになり。中心街へ行ったヘルツが戻ってきて、からかいながら3人の目の前を通り過ぎる。
「ダニエル、そろそろ帰ろうぜ。幽霊もきっと今日は休みだよ」
「いや、きっとくるよ」
ジャックはそれほど気乗りがしなかった。姉には仕事と説明したが、遅くなるとまた説教されるだろう。
ナルシェは、幽霊は信じていないがうきうきしていた。厳しい姉たちの前では中々夜更かしはできず、立ち入りを禁止されている区画へ足を踏み入れているのに興奮しているのだ。
ダニエルは真剣だった、幽霊がいるとわかっていては夜もおちおちトイレに行けない。かつ、一人きりではとても立ち向かう勇気がないのだ。
「絶対に―」
と、通行人がやって来るのが見えた。それはー
「あ、あれだよ!」
「マジかよ⁉」
昨夜の幽霊だ、巨体を着飾り、顔が暗闇の中でもわかるように真っ白だった。
「ジャ、ジャック! やっつけよう!」
「待て待て、そんないきなり斬りかかるなんてー」
「あれ、一人じゃないよ?」
巨体のそばに、2つの人影があった。
「さささ、三人も!」
「あ~、そこの人~? 幽霊じゃなかったら返事をー」
「んま~! 何かしら道の真ん中を塞いでる無礼者は?」
「アナスタシア様、私がすぐにどかしますから……ジャックさん?」
「ああ……そういうことね」
ジャックは全てを理解した。
要するに、幽霊はアナスタシアなのだった。ややこしいのは、元々の彼女がかなり個性的ないで立ちであり、かつ、顔に美肌パックをつけていたため真っ白で、小さな目が闇夜ではほとんど消失するように見えたのだった。
確かに、闇夜でいきなり遭遇したら、幽霊と見間違うだろう。
一人きりでこんなところを歩いていたのは、健康と美容のために夜の散歩を楽しんでいたからだった。『東方山猫家』の当主へ手を出そうとするものは、この危険区域でもそうはいない。
「アータシの周りには常に誰かいるから、一人になりたい時もあるのよ」
そうはいっても、従者であるエレナとアディーナは主を一人きりにはできない。彼女の一人きりの外出を知って、ついて来たのだった。
これで事件は解決……といいたかったが。
「夜遊びに誘うなんて何を考えてるんですか!」
「い、いや、夜遊びじゃなくてな」
「ナルシェも! きちんと断りなさい!」
「ご、ごめんなさい」
「そもそも! ジャックさんあなた自覚が足りないんじゃないですか⁉ 仮にも騎士で隊も持ってるのにこんなところに出入りして!」
エレナの猛烈な説教が待っていた。ナルシェは勿論、ジャックにも飛び火したそれは終わりが見えない。
「いや~、幽霊じゃなくてよかったよ」
「肝っ玉が小さいのね」
「そうだわ、今度はアータシ専用の散歩道を作ろうかしら」
この騒動の張本人のダニエルはすっかり安堵し、のほほんと夜空の星を見上げるのだった。