夢は見なかった。少なくとも、ジャックが目覚めた時に覚えていた最も真新しい記憶は、失神する直前の、遠ざかっていくゴンドノビッチたちの後ろ姿だった。
全身を走る痛みは、無視はできないがどうにもできず、いつも通りに時と自己治癒力に任せることにした。
次いで、見馴れない室内にしばし戸惑い、『モーフ医院』の一室であると理解できると、傍らで椅子に座って寝ているエアデールの姿を目にとめた。
「姉ちゃん?」
「おー、起きたか」
帽子をかぶった白髪、白髭の老人医・モーフが、サイネリアを伴い部屋に入って来た。
偏屈な物言いと行動から誤解されやすいが、医師としては間違いなくラジアータ1と衆目が一致するところである。
「くたばらずに済んだようじゃな」
「へいへい、おかげさまで……」
エアデールを見やるジャックに気づいて、サイネリアが説明を代わった。
「ジャックさんが運ばれて来てから、ずっとここで看病してくれてたんです」
「どれくらい、俺はここにいたの?」
「2日じゃな」
2日。その間、何もなかったのだろうか? 聞きたいことが山ほどある。
「明日まで寝とれ、面会も謝絶じゃ。薬も飲むんじゃぞ」
「苦かったら甘いのに変えてあげるわ」
「子供じゃねーよ」
「ん……」
会話を聞きつけたのか、エアデールが目を開いた。それを合図に、モーフたちは部屋を出る。
「ジャック……」
「よ、姉ちゃん。おはよう」
その時のエアデールは奇妙だった。しばしじっとジャックを見つめて、深く深く息を吐いた。
「姉ちゃん?」
そしてそのまま、ベッドに上半身を預けて泣き出した。
ジャックは困惑した、彼にとって姉は、厳格な母親代わりの女性であり、涙や弱さとは無縁の存在だったからだ。
故に、どうすればよいか皆目見当もつかず、ただ傍観するしかなかった。
しばらくして、顔をあげた彼女はいつも通りの姉へ戻っていた。
「無茶して周りに迷惑をかけちゃダメよ、ジャック」
「迷惑って……俺は色々――」
「ジャック、私にはもう、あなたしかいないの」
そう言われると、ジャックは弱い。物心ついたころからジャックには姉しかいなかったが、エアデールにはケアンと、そして母のがいた時期がある。
一人、また一人と先立ち、残るは弟だけだ。
「どうしても、あなたがやらなきゃいけないの? 龍は……戦争は、まだ続くんでしょ?」
「……」
「ここに運ばれたあなたを見た時、死んでしまったんじゃないかって思ったわ。血まみれで、痣だらけで……戦争が続けば、またそんな目にあうとも……」
「やらなきゃ、ダメなんだ」
姉の気持ちは痛いほどわかる。
だが、絶対に譲れない思いも、また、ある。『リドリー』の正体を確かめるまでは、舞台を降りるわけにはいかない。
「ごめん、姉ちゃん」
沈黙が部屋を支配した。
さきに折れたのは、姉だった。
「わかったわ、でも、約束して。絶対に、帰って来るって」
「うん」
ごく、軽い会話だった。それこそ、遊びに行く子供へ言い聞かせるように。
「さ、休みなさい。お医者様の言う通り」
「わかったよ」
姉弟にとってそれは、何よりも重い誓いだった。