【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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十 逃れられない変化

 

 

 硬いものが割れる音。

 いつもより大きく廊下に響いて、シーは筆を動かす手を止めた。視線の先にはいつもの携帯食糧を齧るアビスの姿がある。

 

「酷い顔してるわね」

 

 いつもの携帯食糧を食べ、しかしアビスの様子はどこから見てもいつも通りではなかった。

 髪の寝癖がそのままだとか、肌が荒れているとか、そういう目に見える特徴ではない。普段あまり人と話さないシーにもわかるくらいに暗い雰囲気を全方面に射出していた。

 

 シーの気遣うような視線を正面から見返すことはなく、アビスは黙々と口を動かして、飲み込んだ。

 

「酷い目に遭いましたから」

 

 視線どころか口以外の全てを微動だにさせずアビスはシーにそう返した。自分以外には上手くやっているのだろうが、それにしたって目が濁り過ぎではないか?シーは問いかけようと口を開いてみたが、アビスが素直に返すとも思えず沈黙した。

 また一つ、硬いビスケットが割れた。

 そしてその音に隠れるようにして──とはまた違うが、とある硬質な音がその割れる音と同時に鳴った。

 そしてそれは規則的に響き、またその大きさを増している。

 

「よぉ、アビス」

 

「おはようございます、ニェンさん。先日ぶりですね」

 

「そんなん『よぉ』でいいじゃねぇか。なあ、シー」

 

「えっ、あっ、うん。そうね」

 

 マジかコイツ、とアビスを凝視するシーにアビスは首を傾げる仕草を以て答えた。陰鬱な雰囲気は綺麗さっぱり消えてなくなり、(にこ)やかに笑いかける姿は本当の好青年宛らだった。

 シーの様子に内心疑問を覚えながらも、ニェンの目はアビスを捉えた。表情こそ闊達な笑顔だったが、その瞳の奥からはロドスのエンジニア達と話す時のような鋭さを感じられる。

 

「なぁ、アビス。とっとと本題に入ってもいいか?」

 

「ああ、そうですね。ボクが居てはシーさんと……」

 

「いいや、話すのは私とお前だ」

 

 ニェンが一歩前に出てつまらなさそうな顔をする。シーの方はと言うと画材を横に、筆をパレットの上に、そして膝の上に肘をつき、顎を手で支えて聞く気が津々といった様子だった。

 アビスは一瞬だけ胡乱気な目をして、すぐにまた元の笑みに戻してニェンを見た。

 

「何かありましたか? ああ、ボクのアーツについてですか?」

 

「いいや、私が話すのはそんな堅苦しいことじゃねぇ。ただのお前自身の話だよ」

 

「答えられることでしたら、なんなりと」

 

「じゃあ、そうだな……」

 

「──ニェン、待ちなさい」

 

「お前はどうしてアーツの根本を隠してんだ?なぁ、お前が必死に隠し通してるその『  』を、なんで他のせこせこ働いてるヤツらに言ってやらねえんだ?」

 

 アビスの目が見開かれたまま固まって、口元も震えるばかりで意味を成さない。掠れた声は意味ある言葉を紡ぐことなく掻き消えていく。

 シーは唇を噛んでニェンの方を向いた。

 

「何のつもりで、こんなことをしたの」

 

「お前には分かってんだろ?」

 

 短く切り返されて、シーは歯軋りをした。

 自分は理由をこそ聞いたが、それが本当に意味しているのはただの非難だ。ニェンに対してその行為の是非を問いているのではない、明瞭なその悪意を咎めているのだ。

 

 そしてそれを受けてのニェンの返礼は決して良いとは言えない。真面目に取り合おうとすらせず、視線は一遍もシーにやることなく、ただ笑みの消えた表情でアビスの表出するであろう感情を観察しようとしている。

 アビスに関してだけは真面目なことを、シーは喜ぶ気にもなれない。逆方向へと真面目に引っ張られているようなもので、それはアビスにとって最悪な行動だった。

 

「は、な……なん、で」

 

「おいおい、分かってねぇなぁ。そうだ、こういう台詞知らねえか?『質問を質問で返すなあーっ‼︎』ってんだけどよ」

 

「あなたねぇ……っ!」

 

「うるせぇ、黙ってろ。私が用あんのはアビスで、お前じゃない」

 

「だからって見過ごせるとでも思ってるのかしら?」

 

「思ってねぇよ。じゃあ私とアビスが場所を移せば満足か? そんでも突っかかって来るんだろ? それじゃあなんだ、私はアビスと話もできねぇのか」

 

「話してること自体がダメだなんて言ってないじゃない。ただ、アビスを追い詰めようとしてるから口を挟んでるの」

 

 未だ動揺の渦中から帰ってこないアビスが、膝の支えを失った。距離を詰めようとしたニェンをシーが睨みつけながら腕で制した。

 ニェンはそれを気にする素振りも見せず突っ切ろうとして、シーが無理矢理にでもニェンを押し返す。

 

「なぁ、お前の主張はいいからさ。私のことは邪魔しないで自分だけの世界に篭ってろよ」

 

「私の主張を認めるならさっさとアビスから手を引きなさい」

 

「なんでそんなことをしなきゃいけねぇ」

 

「……あぁ、ボクは」

 

 シーが振り返ると、アビスは顔を手で覆って天井を仰いでいた。

 

 風がシーやニェンの頬を撫でる。

 空気中の温度が下がって、次の瞬間には加熱されて膨張する。アビスの周りにノイズのようなものが走り、ニェンとシーはこれから起こることを理解した。

 

 

 アーツとは、アーツ学などという言葉があるように学問として広く扱われるほどに利便性が高い。アーツユニットさえあれば誰だって使えるようになり、それによってある程度までは加熱、冷却、そして果てには他の物理現象さえ引き起こせるのであれば誰だって一度は志すものだ。その大半が素質の無さに落胆する訳だが。

 そう、アーツはその素質や環境に強く影響される。アーツの素質と環境が噛み合ったものがアーツ術師であり──いや、ともかくとしてアーツは素質が無ければ強く使えないし、それを学ぶ環境が無くとも同様だ。

 

 そこでアビスに焦点を当ててみよう。まずアビスのアーツは感情をコード化して発信し、受信した相手はその感情をダイレクトに受け取ってしまう、というものだった。

 感情のコード化と言うとかなり難しく感じるが、しかし彼はそのコードを       作っているため、発信する時くらいしかアーツを使う必要がなく、また単純なものである。

 

 だからアビスが『【アーツ適性】欠落』であっても、そのアーツの行使には全く問題なかった。

 

 アビスから発信されたコードが通路の壁を跳ね回り、シーとニェンを囲み──抵抗させる間も無く侵入した。

 

「ひぁ……ク、ソッ! 私が、こんなモンに負けるかぁ!」

 

「……はぁ、面倒ね」

 

 だが、それはこの二人には効かなかった。

 

「嫌だ、あぁ、どうして。どうしてキミは……っ!」

 

 アビスの出力する感情が更に大きくなり、ニェンの脳を揺らす。握りしめた拳の中から血が滴り落ちて、それでもまだアビスへと手を伸ばし──震えていた足が力を失った。

 

「だから言ったじゃない」

 

 そんなニェンの姿を見ているシーはまるで絵の構想を思い描いている時のように普段通りだった。その身に降りかかる恐怖へと抵抗せず、全て諦めてしまったが故の平常だった。

 

 だがアビスのアーツは、何も恐怖だけではない。

 

 ニェンの足が震えることをやめ、しかし今度は体全体が震える。視界が歪み、抑えきれない嗚咽が出そうになって、ニェンは頭を強く壁に打ち付けて我慢した。

 シーの目からも、ニェンと同じように雫が落ちていく。儚く、それでいて綺麗な景色が伝えるような途方もなく大きい悲哀。

 

「絵が描きたいわ」

 

 シーが振り上げた腕には、いつのまにか筆が握られていた。

 

「そうね、今度は桃源なんてモノを描いてみるのがいいかもしれないわ。だって、ほら……」

 

 軽く筆の尻骨でアビスの肩を叩くと、アビスは一秒と耐えられず後ろに倒れた。シーは言葉の続きを、誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。

 

 襟首を引っ掴まれてアビスは運ばれていく。

 

 

 また、ニェンは扉の前に取り残されていた。

 

 

 

 ドクターが端末を立ち上げた。

 いつかの日と同じような、オペレーター達が寝静まった深夜に、ドクターはまたプロファイルの保存されている端末にアクセスしていた。

 ID認証、パスコード認証、指紋認証、声帯認証。厳重に保管されている個人情報を開示するためには仕方のないことと言えど、ドクターはその長い認証時間にやきもきしていた。

 

 ケルシーは妙に勘が鋭く、ドクターの考えていることを稀に当てることすらある。情報網も不思議なくらいに広く、国際情勢についての知見は見事なものだ。

 

 だからそんな長い認証の末にドクターは端末へと手を早々に伸ばし──硬い何かに手が触れた。

 

 黒くて、ツルツルで、黄緑色もあって……

 

「Mon3tr!?」

 

「全く、懲りないな」

 

 振り向けば眠そうに目を擦るケルシーが佇んでいた。恐らく運動したくなくてMon3trを使ったのだろう、そんなことのために脊髄から出すなとは思うが、ドクターはあくまで被告の側である。

 

「どうして分かったんだ?」

 

「アクセスを検知すれば私に連絡がいくようにしていた。閲覧を制限する訳にもいかないからな」

 

 ケルシーはMon3trを戻すと、ドクターを押し退けて端末を操作し始めた。

 

「え、ちょっと」

 

「問題ない。権限についてはドクターの物のままだからな。ただ私は自分の知らないところで知られることが嫌だっただけだ」

 

 ケルシーは操作を終えて、ドクターに端末の前を譲る。

 

「これが、第二記録までのアビスのプロファイルだ」

 

 

【基礎情報】

 

【コードネーム】アビス

【性別】男

【戦闘経験】六年

【出身地】リターニア

【誕生日】7月29日

【種族】ヴイーヴル

【身長】166cm

【鉱石病感染状況】

体表に源石結晶の分布を確認。メディカルチェックの結果、感染者に認定。

 

【能力測定】

 

【物理強度】優秀

【戦場機動】標準

【生理的耐性】普通

【戦術立案】優秀

【戦闘技術】標準

【アーツ適性】欠落

 

【個人履歴】

[リターニア出身のヴイーヴルの青年。感染者として放浪していたところをロドスに保護された。短剣のアーツユニットを好んで使う以外は、特に武器の好みはない。多方面の任務で活躍している]

 

【健康診断】

造形検査の結果、臓器の輪郭は不明瞭で異常陰影も認められる。循環器系源石顆粒検査の結果においても、同じく鉱石病の兆候が認められる。以上の結果から、鉱石病感染者と判定。

 

【源石融合率】──%

 

【血液中源石密度】──u/L

 

[源石融合率と血液中源石密度は安定しているが、アーツの過度な行使による変動が頻発している。データとしての有用性が感じられず入力は控えることとする]

ーーケルシー

 

【第一資料】

精神的にかなり成熟している好青年。誰とでもある程度は上手くやれるようだが交友範囲はあまり広くなく、任務でも単独行動が多く社交的とは言えない。

しかし身嗜み、他者への態度や姿勢、カウンセリングなどにおいて問題は見つからず、アビスはそれに満足しているようだ。

 

【第二資料】

アビスの体を蝕む鉱石病の進行率は見る者の予想を遥かに超えている。体表に露出している源石結晶は普通服の下に隠れている上、アビスは自身のことをあまり多く語らないために知る人は少ないが、アビスは一般的な食事を消化できないほどに消化器官が源石に侵食されている。

そのため彼はいつも人通りの少ないとある路地で、とあるオペレーターと共に特別な食事を摂っている。そのとあるオペレーターとの仲は何故かあまり良くもないらしい。

 

彼を知っているが面と向かって話したことのないオペレーターは多い。過去そうだったエイプリルはこう語る。

「話してみると、思ってたより丁寧で、几帳面で、でももっと話してみると砕けていて、大雑把で……なんていうか、想像とは全然違った。一度話をする機会を取ってみる価値はあると思う」

彼がどのような人間であるかは、恐らく彼と関わった人間のみが適切に知ることができるのだろう。

 

 

「特別な食事?」

 

「これのことだな」

 

 ケルシーが取り出した圧縮ビスケットを見ると、ドクターは口とお腹を押さえて悶えた。

 

「栄養バランスがいいからって、砕いて混ぜてジュースにするかよ普通……」

 

 どうやらドクターに体に良い食材や料理を見せるのはNGのようだ。ハイビスカスの作る栄養食はドクターの精神を病ませつつある。

 ケルシーは端末にロックをかけようとして、そんなドクターの姿をもう一度見た。

 

「ドクター、もし閲覧したいのであれば第三資料を私の権限で開けよう。アビスの食事が質素に過ぎると知ることが、今のドクターに価値があったとは思えないからな」

 

「……本当なら俺は断りたい。でも俺がそのプロファイルを開けるほどの信頼を積み重ねる頃には、その資料の内容をもう知っているような気もする。そして、何故それを知らなかったのか未来で後悔するような確信みたいなものがある」

 

「では、どうする?」

 

「勿論、見るさ。見るしかない」

 

 伸ばした腕で小さく端末を操作する。

 

 そうしてドクターはアビスのアーツを知った。

 

 

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