【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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百三 不和不同(和せず同ぜず)蟷螂之斧(蟷螂の斧)

 

 

 騒がしい会議を経て仕事から解放されたアビス。それはそれは素晴らしい毎日が待っているものとばかり思っていたが、大きな問題が一つ立ちはだかっていた。

 

 退屈である。

 

 同居者や仲の良い友人は任務や勉強に励んでおり、時たま訪れるLancet-2は小言こそ言うものの友人のような関係ではない。そして何より彼女もまた任務に引っ張りだこだ。

 庭園を訪れようにもフロストリーフと会ってしまうかもしれないと気が進まない。ケルシーの差金ではないかという疑念が半ば確信となって彼の頭に巣食っていた。

 

 そうした熟考の下訪れたあの通路は風変わりしていた。

 閉じられた扉は普段よりどこか豪奢な装飾が施されており、その作者はどこにも見当たらない。

 何故だろうかと更なる考えを巡らせると、あの閉じられた執務室での会話が思い起こされた。丹青に招くなどと言っていた。

 

 さてはて、どうしたことだろうか。

 アビスはシーの面倒さと退屈を天秤にかけた。ここ最近の彼女はよく分からない挙動をすることが多く少し気がかりだと思い、僅かな錘が退屈さに加えられた。

 その日は面倒な思いの勝利だったが、翌日に訪れても彼女の姿が確認できなかったため、彼は扉を開くことに決めた。

 

「それで、どうしてここに居るんですか」

 

 アビスは傍の存在に問いかけた。特に何かしているわけでもないのに強い圧を纏っている彼女は、彼が師と慕うサリアだった。

 

「用がある」

 

「シーに、ですか?」

 

「ああ」

 

 アビスは特段興味もなく相槌を打った。任務か何かで外に引き出すとか、そういった具合のことだろうと推察できる。サリアの動向に関してそれ以上の疑問はない。

 

「……そっちは?」

 

「別に理由なんてどうでもいいでしょう?」

 

「Wがシーに近付くのは不安でしかないんだけど。どうせ空気悪くなるだけなんだから引っ込んでれば?」

 

「辛辣ね。酷いじゃないの」

 

 Wが肩を組もうとしてサリアに制される。睨みを効かせる——実際はただじっと見つめているだけ——サリアに怯むことはなかったが、舌打ちをして肩を竦めた。

 

「保護者でもないのに出しゃばりね。尊敬しちゃうわ、アホらしくって」

 

「アビス」

 

「ボクから近付いたことはありません」

 

「あらあら、過保護が過ぎれば子供の考えは歪むばかりよ?」

 

 サリアは不快そうに眉を顰めたが、最後には鼻を鳴らすだけに終わった。その様子の何が面白いのか、Wはケラケラと笑っている。

 

「ラユーシャはまあいいか」

 

 相変わらず引っ付いているライサは無視されるようだ。一言たりとも話さず、そして一秒たりとて離れない心意気がアビスに打ち勝ったのだろう。

 

「あんたはどうして会いに行くわけ? 風向きがどう変わったらあんなのに会いに行こうなんて思えるのかしら?」

 

「あんなのって……」

 

「まさか鉱石病から逃げるために頼る、だなんて自家撞着は言わないわよねぇ? あの利口を気取った臆病者に会う目的はどこにあるのよ」

 

 Wの思惑は分からないが、シーを馬鹿にしていることだけは理解した。それが諍いにならなかったのは単にシーの人柄だろう。「まあだいたい合ってるか」と思われてしまった時点でシーの負けだ。完膚なきまでに。

 率直に友人だから絡みに来たと言っても拗れるだけだろう。それが分かっているアビスは適当な言葉で濁しながらWを追い払った。

 

 さて、とアビスが向き直る。

 

「全く気味が悪い力ね」

 

「否定出来ないな」

 

 薄っぺらな扉は容易く開いた。奥へと続く暗闇がどこまで広がっているのか、見ることはできない。

 あの世界を訪れるに当たって、アビスとサリアの二人はこれで二度目になる。姉妹喧嘩を繰り広げていたあの日にしか訪れたことはなかったのだ。一応は勝手を理解していて、シーに一番近いアビスが先に行く。

 

 がっちりと掴んでいた手を外されたライサだが、全く意にも介していないような素振りで暗闇へと身を投じた。

 

「わっ、ちょっ、ラユーシャ!?」

 

 どうやら第三の目でも持っていたらしい。そして拘束は継続して行われるようだ。Wはそれに僅かながら不機嫌な顔を浮かべた後、隣に視線をやる。

 

「先に行け」

 

「何よ、ビビってるのかしら?」

 

「アビスに興味があると言うのならさっさと行け」

 

「いいえ、興味なんかじゃないわ。これ以上知るのはむしろ蛇足ってモノよ。野暮なこと言うのね、カタブツさん?」

 

「……」

 

「アビスの世話を焼きに来たなら御愁傷サマねぇ、だってあんたに出来ることなんて一つも残ってないわ。その凝り固まった脳味噌に人との関わり方を詰め込んでから出直すのはどうかしら?」

 

 仕方なく、サリアはWの背中を蹴り飛ばしてドアにシュートした。壁の穴に上半身が埋まっている様子はどことなく卑猥な絵面だったが、続くサリアの足がパァン!と快音を響かせ、完全に暗闇へと押し込んだ。

 肉弾戦においてサリアを超えられる存在は居るのだろうか。アビスはその暫定的な答えを知っている。何故なら訓練のたびにそれを思い知っていたからだ。

 

 横穴のように見えていた暗闇の輪郭は、しかしそうではなかったらしい。進むにつれて空間は広がっていった。頭をぶつけることもなく、狭苦しく感じることもない。全くの暗がりは伸ばされた手を無言で受け入れていた。

 

 そう経たないうちに認識が捩れる。

 意識だけが取り残され、何の感覚も得られないままに一瞬の時が過ぎていく。

 水面から顔を出す時の感覚に似ている。向こう側をハッキリとは映さない水面で視界がいっぱいになり、次の瞬間には青々とした鮮やかな世界に帰ってくる。

 

 ライサは照りつける陽光に目が眩んだ。

 全てが消失したような世界から突然に光を感じたのだから、それも仕方がないだろう。僅かに水の流れる音さえ聞こえてくるような景色は余りにも彩度が高い。

 

 次にライサが起こした行動は掴んでいたはずの彼を探すことだった。

 

 

 

 ——断裂。

 

 

 

 閃光がライサの脳に直撃する。黒とオレンジがスノーノイズのように入り混じっては光っていた。キラキラと迸る奔流は何秒か経ってもしつこく滞留していた。

 

 ライサは頭を振って追い出した。

 それよりも彼だろうと前を向く。

 

「……アビス?」

 

 口以外の全機能が停止したようだった。譫言のように彼の名前を呼んだきり、ライサは瞬きすら忘れて呆然とした。

 

 アビスとWの二人が土の上で横たわっていた。

 くたっと倒れた様子がまるで命を失った人形のようで、最悪の可能性すら浮かんでいた。冗談のようで全く冗談になっていない景色を前に動けなくなった。

 

「アビス。聞こえるか」

 

 サリアが肩を叩いて呼びかける。

 呼吸と拍動を順に確認し、小さく安堵した。

 

「外傷はない。鉱石病(オリパシー)の急性症状か、或いは他の発作か……」

 

 Wの方を確認する。全く同じように、心臓や肺は動きを止めていなかった。ただ眠っているだけのように見えるのは奇妙な話だが、同時に二人となれば確実に原因があることを推察できる。

 

「恐らくはこの世界が原因だろう。以前にはそのようなことを確認できなかったのだが」

 

 いつかと同じく自然溢れる森の中。

 体感では外の世界と変わった部分はない。

 

「ああそう、そっか、そういうことしちゃうんだ」

 

 まだ故意と決まったわけではない。しかし断定を遅らせるには、二人はシーに関して無知だった。シーとアビスの関係もまた正確に理解できているとは言いがたい。

 この場にエイプリルが居たのならまた別の結果を招いていたのだろうが、生憎と彼女は仕事中だ。最も近しいアビスはそこで寝ている。

 

 アビスを回復体位にしていたサリアが気付く。近くの木の北側、地面に途切れてこそいるが靴裏の模様が象られている。

 

「……これ、足跡?」

 

 サリアの視線に気付いたライサもまた、それを認識する。注視してようやく、足跡のような何かが薄らと浮かび上がってくるような気がする、といった具合の微かな痕跡だった。

 しかしサリアにとってそうではない。

 

「爪先にかけて不自然な途切れ方をしている」

 

 知識とは武器である。

 明晰な頭脳に蓄えられた知識は正しくその道を支えるものだった。サリアは幾重にも掛けられた英明のレンズを使いこなしていた。

 

「炎国の伝統的なブーツが作る足跡と似ている。晴天続きだとしたなら……」

 

「これを辿っていって先に居たヤツを殺せばいいってことね。簡単じゃん」

 

 結論を急ぐライサに否定が唱えられることはなかった。僅かに目を細めたものの、その結論は正しく導き出されるべきものだったため異議はない。勿論暫定的な結論ではあるが。

 アビスをここに置いておくわけにはいかないだろう。少し鍛えられているとは言えライサが背負うのは無理だろう。意識のない人体を背負うことは意識がある時より非常に難しいため、今のライサには不可能だった。

 

 サリアが二人を担ぎ上げた。

 

「……軽いな」

 

 身長は確かに低い。それにしても軽いのは間違いなく鉱石病が原因だ。彼の食事は圧倒的に糖分や脂肪分が削ぎ落とされていて、カロリーが最小限だ。

 あくまで缶詰などの補助食糧として考案されたものだったそれを改造してあるのだから、必要最低限のエネルギーしか摂取できない。

 自ずと彼の体は軽くなった。

 

 ライサでは持つことが出来るだろうか。サリアは少しの間考えたが、どちらにせよ二人とも担いでいた方が体力の消費が抑えられるだろうと思い直した。

 

 この世界に訪れた理由を果たす。

 

 それは彼が抱える精神の桎梏を外すこと。彼を死に追いやる何かの正体を突き止めること。彼の首を絞める何者かを成敗すること。

 

 歩いていると傾斜が大きくなっていった。

 森の範疇を超え、山に登っているようだった。この程度なら何度も訓練したことがある二人はスイスイと足跡を辿っていく。

 途中から足跡は鉤爪を持った未知のモノに変わっていた。以前小自在を見ていたこともあって、サリアは惑うことなく歩を進めた。

 

 急勾配を抜ければがらりと変わった。

 平野に近い水平な地面に少し遠くで流れている小川。更に遠くには小さな古屋の屋根が見えていた。

 

 足跡は雑草に紛れていた。

 視線は真っ直ぐに向いていた。

 

 ざく、ざく、と繰り返される音。

 小屋の近くは砂利が敷いてあるらしい。

 人を意識しているのだとすれば、中々に珍しい配慮だと言えるだろう。シーを知らない二人にとっては事実以上のことではないのだが。

 

「珍しい来客ね」

 

 シーは近くの木陰から姿を現した。

 何をしていたのかは想像に難くない。それは抱えられた筆と巻物がその全てを表しているからだ。

 

 「取り敢えず斬るか」と考えて飛び出そうとしたライサは手で制される。タイミングを考えたならシーが最も疑わしい位置にいることは確かなのだが、それを絶対とするほど蒙昧ではない。

 

「一つ聞きたいことがある。アビスから意識を奪ったのはお前か?」

 

「さあ、記憶にないわ。寝かせたいなら中のベッドを使いなさい。でもそっちの間抜けなサルカズはお断りよ」

 

「ここに来てすぐ、ってか入ったと同時にアビスは倒れたんだけど。お前と無関係だって証拠はないの?」

 

「荒唐無稽とでも反駁すればあなたの気が済むのかしら? 自分のご機嫌取りくらい自分でやりなさいな。巻き込まれるのは御免よ」

 

 それがシーによるものでないと証明することは不可能だ。その反対もまた然り。それならば議論は時間の無駄だろう、ということだろう。

 

 サリアは決断を先送りにしたようだ。

 小屋に入っていく彼女の背にライサは続き、力なく垂れたアビスに小さく手を伸ばした。裾のあたりを掠めて、重苦しい何かが胸を埋めて、それだけに終わっていた。

 

 何も言い返すことはできないだろう。

 ライサが自分勝手に動いている、というのは斜に構えた見方だ。しかし結果としてライサの働きはそう上手く行ったことがない。

 根本的な何かが間違っているのだろうと、変わらなくてはいけないのだろうと、曖昧な焦燥だけが心に棲みついていた。

 

「ねえ、シー」

 

「……何よ?」

 

「アビスの鉱石病は何とかできないの?」

 

 描いたモノを現実にする力。

 

 シーが持つその力は眉唾物だった。アビスから話を聞くことはなかった、もとい話を拒んでいたせいで本当のモノだとは思っていなかった。

 それを目前にして、更には体験した今。

 考えれば分かるような問いすら確認しなければ落ち着けなかった。超常の力が及ぶ高さを確かめたくなってしまった。

 

 それは最も大きな地雷だった。

 

一将功成万骨枯(一将功成りて万骨枯る)。技術、それは偉大なるモノ。多くの研鑽が成し得た叡智の産物。青、取之於藍(これを藍より取りて)而青於藍(藍より青し)。氷、水為之(これを水より取りて)而寒於水(水より寒し)。理性の探究による通過点でありながら到達点の一つとして数えられるモノ」

 

 シーは筆を一つ動かした。

 瞬く間に完成した絵は時間を費やしたそれに及ぶべくもないが、しかしその洗練された技術はまるで実体を感じさせるようだった。

 

「私は確かに超常の力を持っているのでしょうね。でも、そんなものは画用紙に線を引くよりずっと浅い力よ」

 

 シーは自身の力を誇らない。

 

 何も出来やしないその力は、多くの人々を虜にしたその技術と比べてしまえばまるで月と鼈の関係だろう。

 

「……あっそ」

 

 ライサはそれだけ言って俯いた。

 シーがもっと自分勝手なことを言って誤魔化していたなら、その方がずっと良かった。そうだったなら、この役立たずと全く変わらないからだ。

 

 何も出来やしない力を持つと言う。

 何も出来やしない頭と体と心を持ってしまったなら、それはどうすればいいのだろうか。聞いてしまいたいくらいだった。聞けなかった。

 

 それは自分に出来ることが何もないと断言してしまうことになるからだ。

 

 微かなアビスの吐息。

 その熱が、どこか冷たいような気がした。

 

 

 

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