【仮題】感情トランスポーター 作:Gensigert
起き上がる。
今日は珍しくツノが枕に突き刺さっていた。随分前にはそれが毎日で、あの頃のボクはどこか不幸なきらいがあった。枕にツノが突き刺さるほど不幸だったのか、それとも不幸だったから枕にツノが突き刺さったのか。
どちらかは分からないけど、もしかすると今日のボクは厄日だったりするのかもしれない。
「おはよう、Lancet-2」
「おはようございます、アビス様。今日の予定はアーミヤ様の手伝いです。大変ではありますが、頑張ってくださいね」
「うん、ありがとう」
どうやら本物の厄日だったようだ。アーミヤさんのことは特段嫌いではないけど好きでもない。着任した当初のアーミヤさんのまま自分のイメージが固定されているからかもしれない。
ともかく、アーミヤさんのことは好きでも嫌いでもない。そんな人と一緒にデスクワークをするんだから特段事務仕事は楽しくもない訳で、ボクくらいの年頃だとデスクワークは好きになれないのは当然──いや、たぶんみんな嫌いなんだろうけど。
あと何故かボクが担当することが多くてケルシー先生に愚痴を言うといつも逃げられる。『ロドスでの勤務歴が長く、デスクワークに時間を割けるオペレーターは少ない。あとお前は中々事務能力が高い』だとか。それって関係ないよね?
まあ、ただ嘆くのは無意味なことだ。建設的な意見だとか反論が浮かばない以上は──いや年齢は考えたほうがいいと思うんだけどな。
どうしてボクが企業の根幹の一端を支えなきゃいけないんだ。
といった思考も、やっぱりアーミヤさんの前では出せない訳で。いや、まずそんな思考をする暇もないくらい机の上には書類が分厚く積み上がってる。
「これとこれとこれが研究機器の経費で落としていいものです。あとこっちは優先度が低いですが、民間薬品のサンプル収集を拡大した規模で──」
「ああ、それはケルシー先生への仰裁を伺う必要のある束ですので、先にこちらの訓練室の補修経費について──」
「一段落しましたし、ボクはケルシー先生にこちらの書類を回してきます。帰ってくるまではティータイムでもしていてください。では失礼します」
ああ、手が足りない。頭も足りない。
というかボクがもう一人くらい欲しい。
ロドスはとんでもないほどの大企業だ。移動都市とほぼ同レベルの艦体を持ち、それを一企業のみで動かせるように全ての分野での技術者が存在する。
ロドスを動かすエンジニアとロドスのオペレーターに配布する機器を作るエンジニアは違う。武器を作る人も防具を作る人も、それを改良する人も修理する人も違う。
日常生活に関わるものは他から取り寄せられるとは言え、それをロドス内に行き渡らせるための職員も居る。なんなら戦闘に出るオペレーターが手伝え、なんて指令すらよく下る。
故に、それを管理するアーミヤさんは毎日膨大な書類を捌いている。本来なら三人くらいでも一昼夜必要な書類をアーミヤさん一人とその補佐一名で回している。
正直、ここまで育つとはケルシー先生も思わなかったと思う。アーミヤさんの業務がまだ拙いからと三人くらいついていたあの頃のロドスはどこへ行ったのか。
まあ、別にどうでもいいか。融合率とかからして、きっとボクは近いうちに死ぬんだろうから。
「今日はアビスの日だったか」
書類の束を受け取ったケルシー先生が途轍もない早さで目を通していく。表に来ていた紙を只管後ろへと回して、十分と経たない内にケルシー先生の目が止まる。
一通り見終わったのだろうとペンを差し出すと、しかしケルシー先生の手はそれを受け取らない。
いつもならここですぐにペンを受け取るんだけど、今日は少しだけ眉根を寄せて一枚の紙を見つめている。
「どうかしましたか?」
仕方なくペンを懐に戻すと、ケルシー先生はボクを押し退けて部屋から出て行った。研究室に居た他の医療オペレーター方は、またかとでも言いたそうな表情で職務に戻っている。
はぁ、どうやら本当に厄日だったようだ。
執務室の扉を開くと、アーミヤさんの机に手をついて何か言葉を交わしているケルシー先生の後ろ姿が見えた。
「──いことは確かだ。私たちは三年間努力を続け、行動予備隊を結成するにすら至った。だが私たちが見据えているのはもっと先の未来だろう」
「それでも!」
議論は白熱しているようで、ボクが割って入る隙間は見たところ存在しない。ただ何について話しているのかは少しだけ理解できた。
恐らく、『ドクター』と呼ばれる男のことだ。
ケルシー先生とアーミヤさんが偶に口に出す以外では、エンカクさんの言及している部分も聞いたことがある。ボクは情勢に疎い部分があると自分でも理解できるほどだけど、それでも彼の情報はよく入ってくる。
曰く、優秀な神経医である。
曰く、大賢な戦術指揮官である。
曰く、天災、鉱石病研究のスペシャリストである。
アレほどケルシー先生やアーミヤさんが口に出していること、そしてロドスでもその存在を肯定するオペレーターが少数でも居るあたりから、オペレーターの中で一種の都市伝説となっている。
件の人物が現在どこに居るかは定かではないけど、ボクとしては直ぐにでもロドスに来て欲しい。なぜって?
書類業務を押し付けたいからだよ!
「あ、あの……」
声を掛けられた。
誰にだろう?誰にかな。
この声は──カーディさんだ!
「カーディさん!どうかしましたか?何か困りごとですか?何でも言ってくださって構いませんよ!」
「ひぅ、ケ、ケルシー先生とアーミヤさんに、伝えたいことが……その、あって、です」
おっと、カーディさんの邪魔をしてしまっていたのか。すぐにその扉を譲ると、カーディさんはほっとした様子で部屋の中へと入っていった。
カーディさんの様子が変なのは何故だろうかと今一度考えてみる。ボク以外の人に対しては活発で社交的な少女だと聞くのに、ボクに対しては内気で吃りがちな少女になる。
やっぱりボクの対応が怖いのだろうか。ボクは『彼女』とカーディさんを無意識に重ねてしまっているのだろうか。
確かに、一度ケルシー先生にカーディさんのことが恋愛的に好きなのか聞かれたことがある。アンセルさんが同席していた。
『カーディちゃんにだけ対応が眩しい』だとか『あからさま過ぎる差にカーディちゃんが怖がってる』だとか言っていたような気もするけど、まあ、無意識なのだから仕方ない。仕方ない。
……少し中の話が気になる。
ああ、断っておくけど、カーディさんの告げる内容に興味があるだけだ。カーディさんを見ていたいなんて不純な理由じゃない。
「チェルノボーグに天災が、わーってなるそうです!」
「政府側は何をしている」
「えっと、期待できないそうです!」
「分かりました。行動隊並びに行動予備隊の方々は準備を──」
「待て」
「ケルシー先生っ!」
「分かっている、いや、分かった。だが、ウルサス政府に勘付かれないための準備が必要だ。具体的に言えば二日は取りたい。天災トランスポーターに事実確認する時間も必要だからな」
チェルノボーグ……そういえば、最近暴動が散発してるって聞いたことがあるな。名前はあまりよく覚えてないけど、なんとかムーブメントって名前だったような気がする。
いや、それ以前に、今ケルシー先生は何と言った?ウルサス政府に勘付かれないため?何をするつもりなんだ?
──って、ケルシー先生がこっちに来る!?
「待機していたか、よし。アビス、早くて二日、遅くとも一週間後には大規模な作戦を開始する。それまでに仕上げておけ」
「それは、ウルサス政府を相手取るということですか?」
「聞いていたのか」
「もし本当にそのつもりなら、ボクは反対です」
ケルシー先生の目が細まって耳が微かにピンと立つ。開いたドアの向こうでアーミヤさんが椅子を立つのが見えた。
「ウルサス帝国、いえ、国を相手取る、なんて。今までロドスが一番取ってこなかった手段のはずでしょう。ボクはロドスの為に命を懸けていますが、だからこそ言いましょう」
ふざけるな。
「──ボクはその作戦に命を賭けられません」
そんな作戦に身を投じて死ぬなんて馬鹿げてる。もし無理矢理にでもボクを作戦に組み込むと言うのなら、それ相応の扱いをしてもらわなきゃ割に合わない。
「もしもの時の単独での面制圧能力に期待していたのだが、ふむ。そこまで言うのなら仕方がない──カーディ」
「は、はいっ!」
呼び寄せたカーディさんに何かを耳打ちするケルシー先生。
カーディさんに何をさせるつもりだ?
もしかしてボクの代わりに行動予備隊を酷使すると?それともボクが居なければカーディさんに被害が及ぶとでも言いたいのか?
ケルシー先生、あなたは何がしたいんだ。
「あ、あの……」
「なんですか?」
「ぃ、一緒に行ってくれませんか?」
「……」
「う、うぅ、ケルシー先生……」
はぁ、本当に。
「ケルシー先生」
掌を出した。
「なんだ?」
分かっているのに分かっていないフリをするつもりだろうか?いや、まあ仕方がないのかな。
「訓練室の鍵を貸してください。作戦に出る気はありませんが、万が一に備えることだけはします」
「ほう、何が欲しいんだ?昇進か?」
「何も要りません。そんな物で命を賭けさせられるなんて思われるのは心外ですから」
ボクはまだ、命を懸けるつもりなんてない。ロドスのために粉骨砕身はしても、自己犠牲なんて下らないことはしたくない。
「ぇ、でも私には……」
「何でしょう?何でも仰ってください」
「あっ、えっと、ちがっ……なんでもないです!」
「そうですか……」
スパコン、と軽快な音でボクの後頭部が叩かれる。
「半端な練度ではそれ以前の問題だが、どうする?」
「カーディさん、それでは失礼します。訓練室の鍵を」
ケルシー先生が真鍮のキーリングから一つ鍵を取り外した。それと重ねて、懐からカードキーも差し出される。
「ヴイーヴルやウルサス用に調整してある訓練室がこの前時代的な鍵だ。カードキーの方ではアーツの訓練でもしておけ、内側からロックも掛けられる」
それは、ありがたい限りだ。
ボクのアーツは電気信号。自分の感情をコード化して射出して、それを受信してしまった相手にその感情を強制する。
放射された信号は物理的な障壁があればボクに返ってきて、際限なくボクの抱える感情を強くする。それは近距離で誰かにアーツを当てた時でさえも、ボクに少しは雪崩れ込む。だから訓練が必要だった。自分の感情を押し殺すための訓練が。
ケルシー先生の顔は少しだけ曇っている。それは当然だ、だってボクがアーツを使えば、ボクの体を蝕んでいる源石病の進行を促すことになる。ボクのアーツは、つまりはボク自身を犠牲にした一種の必殺技なのだから。
訓練中も、もしかすると小数点以下では収まりきらないくらいに融合率が上昇してしまうかもしれない。それが意味するのは間接的なボクの殺害で、それでも正規軍を見据えた訓練ならそれを覚悟する必要がある。
勿論アーツに頼らない戦闘もある程度はできるけど、今さっき言ったように軍隊を相手取るならそれ相応の覚悟が必要だ。格闘技術だけでなんとかできるのは、一握りの者だけだ。
ボクにはアーツしかない。ボクはロドスに所属している他のオペレーター達とは違って技術がない。武器の心得もないし、あるのは純粋な腕力だけだ。
どうしてそれでアーツを使いたくないなどと宣えようか。
ああ、いや、違うな。
ボクは
怖いんだ、ただ純粋に。
ケルシー先生やロドスに責任を押し付けたいんだ。
ボクはボク自身の責任で死にたくない。ボクの今の生活は彼女なしには成り立たないもので、ボクはそれを大切に扱おうとしている。
だからこそ、ボクはこの命を他人に預けたい。ボクの命を握らせて、言い訳塗れの逃げ道を作りたい。
ロドスで働けば、ボクは真綿で首を絞められることになる。ただそれ以上にロドス以外の所で生きようとしてこの命を無駄にしてしまうことこそ、ボクの中では避けられるべき未来だった。
もっとも、それに付随する責任こそをボクは恐れているんだろうけど。
「あんたって、やっぱりイカれてるわね」
「頭に浮かべるだけなら別段気にしないけど、口にするならそれは失敬だって分かってる?」
「はいはいそーね」
非難を適当に流しながら、Wはアビスと視線を交わらせる。アビスはWの瞳の奥底にある冷え切った殺意を、Wはアビスの心中を大きく占める誰かへの狂愛を感じ取った。
汚辱に塗れた傭兵がやることは決まって復讐だ。それはとてもありがたいことにテラの歴史が証明してくれている。
だから、アビスが何を話そうがそれはWの持つ煮え滾る害意と凍り付くような殺意に終わることは分かりきっている。
そして、それでも尚。
「あら、頭のネジが外れてるわ。捻じ込んであげましょうか?」
「いいや、ボクは健常者だ。もし君達からしてボクが異常者であると言うならば、君達が全員異常者だ」
「これって喧嘩売られてるのかしら。もし売ってるなら買うわよ?」
「じゃあ非売品だから手を出さないでくれるかな」
「ハッ。盗ってでも手に入れるわ」
飄々と嘯くWを前に、アビスの態度は一貫して変わらない。Wの殺意を感じ取って尚ならば、それはきっと、Wの持つ感情が一時たりとも変わっていないことを知っているからこそだろう。
ずっとずっと、アビスの危機感が疲弊するほどに深く強く、Wの殺意が肌を刺している。鋭く、それでいてねっとりと心臓を撫でるような殺意。目の奥に隠されても、表情からは一切感じ取れずとも、Wの持つ感情は常に憎悪で、向けられているのは殺意だ。
それを理解して、納得して、受け入れているからこそ、アビスは態度を変えることがない。もしこの瞬間だけを切り取ってみたならば、Wの一番の理解者は、もしかするとアビスなのかもしれなかった。
「なんでチェルノボーグに来たのかは分かったわ。あんたがカーディとか言うペッローを可愛がってることも」
銃口のあたりを下にして、人差し指でバランスを保つ。数秒後、指先で跳ねさせた銃が座っているWの両手にすっぽりと収まり、また口を開く。
「次はあんたが訓練を終えた頃の話でもしなさいよ」
「分かってるよ」
はぁ、最近過去の話ばかりしているような気がする。
アビスがそうボヤいてWに睨まれる。銃弾は勘弁とでも言うように手を振って、次を話し始めた。
あるオペレーター → カーディ
前書きは固く感じたりしますか?