【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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二 午後の職務 上

 

 

 アビスは充電中のLancet-2の居る私室から離れて、またあの通路へと向かって行った。引き出しから取り出した圧縮ビスケットにまた何か言いたそうなレンズをしていたような気がしたが、クロージャには知られている。

 Lancet-2ならばクロージャ以外にそう易々と触れ回らないだろうし、その問題の人物はまだ誰にも言っていないようだった。

 

 アビスがいつもの通路に入ると、そこには今さっきまで頭の中に描かれていたブラッドブルードに並ぶと名高い変人の訪問者が向こうから歩いてきていた。

 

「こんにちは。ニェンさん、ですよね?」

 

「……なんだよ、その目は」

 

 開幕一番、アビスはチンピラに目をつけられたことを悟った。ニェンの目が鋭くアビスを突き刺し、気圧されて二歩ほど後ずさる。

 彼女が自由人ではあるということは噂に聞いていたが、粗野だという声は届いてこなかった。シーの姉であるからして扱い辛い人物だとは分かっていたが、どうにも乖離している。

 

「何かお気に触ることでもありましたか?」

 

「ああん? てめーのしてることだろうが」

 

「理不尽じゃないですか!?」

 

 もはや何を言っているかすらよく分からない。アビスはこの場をどうにか穏便に済ませ、立ち去ることにした。

 ケルシーからは好きにさせろとは言われているし、知りもしないことを改善することはできない。特にこれまで付き合いもなかったニェンの言葉を真面目に取り合う必要はない。

 彼女と付き合いのあるオペレーターとは拗れるかもしれないが、その場合は時間を置くしかないだろう。

 

「えっと、すみません、お気を害してしまったようですね。すぐに捌けます」

 

「はあ? 今のはどう考えても私が悪いだろうが。何言ってんだお前舐めてんのか」

 

「えぇ!? こっちのセリフですけど!?」

 

「随分言うじゃねーか。常識人ぶりやがってよぉ」

 

 本気なのか冗談なのか分からないアビスは、当然ながら戸惑った。何しろニェンの言葉こそ冗談のようではあるが、未だに顔や口調は刺々しいのだ。側から見ても意味が分からない。

 

「まずは、アレだ。昼飯食いに行こーぜ。お前財布な」

 

「え、あ、はい。それくらいなら……」

 

 結局は何の目的があって自分に声をかけたのか分からなかったが、一食分であれば払えるくらいの額が財布には入っている。

 ニェンも財布だと呼んだのであれば自分と食事がしたくて声をかけたのではないだろう、とアビスは推測した。

 

 ……ニェンの名誉のために一応言っておくが、財布呼びは冗談である。目的はアビスとの食事による接近であり、本当にしたいことはアビスにアビス自身のことをもっと能く伝えろと言うことだった。

 

 

 数十分後、ガツガツとアビス作の激辛カレーを食べるニェンと、それをニコニコと見つめるコック帽を被ったアビスの姿が食堂で見られたと言う。

 補足だが、食べ終えたニェンは盛大に頭を捻っていた。味は中々良かったらしい。

 

 

 結局会話がほとんど噛み合うことのなかったニェンとの接触が終わり、ようやくアビスは一息ついていた。ポケットの中には依然として圧縮ビスケットの感触が残っているが、午後の任務に間に合わせるためには切り捨てなければいけない。

 

 午後の任務は要人の護衛任務だ。龍門近衛局よりは権力も小さいが、龍門市内ではそれなりに名の通った人物から護衛の依頼が入ったらしい。

 龍門には最悪夕方頃に着けば間に合うのでそこまで早く出立する必要はないが、だとしても出来る限り早く動くのは大事なことだ。

 間に合わなくなっては遅い。

 放っておいて、気づいた時にはもう何もできない。そんな状況にだけはしたくなかった。

 

「なに険しい顔してんの?」

 

「何でもありません。あなたが任務で協力するエイプリルさんで間違いありませんか?」

 

「うん、正解。話すのは初めてだよね」

 

 ドクターの指令によりロドスへの依頼を受けることになったアビスは、同行人であるエイプリルと合流した。彼女の背にはお洒落なデザインの短弓が見えていて、アビスの意見は確かにドクターへと届けられていたことが伺えた。

 

 アビスはこれまで、戦闘を主な手段に取る任務では、他のオペレーターを同伴することがなかった。それはアビスの力を十全に引き出す上で不必要であったし、更に言えば錘となる。

 だが護衛任務ではそうもいかないことをアビスは前回の任務にて強く思うこととなった。

 それまで受けていた護衛対象は接敵する前に逃走することが主だったが、その時の依頼主はその敵をしっかり処分するまで見届ける意思を示した。

 それだけならば然程問題ではなかったが、それをアビスに伝えていなかった。だからその後、アビスが殲滅を完遂した後に彼は精神病院へと送られたのだ。

 

 何はともあれアビスはエイプリルと簡単な擦り合わせを行い、問題がないことを確認して龍門へと向かった。

 

 

 アビスとエイプリルに回された護衛任務は、午後七時頃から開かれる会食の時間を護衛期間と定めている。会食が終わるのは遅くても午後十時頃になり、ロドスに戻るか龍門で宿やホテルに泊まるのかは各自の判断に委ねられていた。

 午後四時、依頼主との顔合わせを行い、会食の会場の見取り図を確認した。その際にアビスから依頼主とエイプリルへの注意事項を伝えた。

 依頼主であり尚且つ護衛対象であるのは、白い髭の目立つ老紳士だった。

 

 三時間弱経過し、時刻は午後七時を迎えた。

 会食はバイキング料理の形式となっており、アビスは他の護衛と同じように壁際に立って脳内でシミュレーションを重ねつつ襲撃を待っていた。

 エイプリルは別の壁際に立っている。流行りの服や着けていたカチューシャを取り外している彼女の姿や雰囲気はいつもとは大きく違っていて、格式張った近寄り難さを醸し出していた。

 

 依頼主は今のところ大きくは動いていない。事前に伝えた通り窓に近付き過ぎず、他者の目が最も集まっている中央で会話を済ませている。

 

『あー、あー。聞こえる?』

 

「聞こえます。何かありましたか?」

 

 インカムから聞こえるエイプリルの声からは全く緊張が感じられなかったが、一応の意味でそう言葉を返した。緊急用に渡したインカムの用途としては間違っているが、雑談に使うのも良いだろう……と、アビスは判断を下したが。

 

『うん、ヤバい。なんかアーツだと思うけど体動かない』

 

「どの程度ですか?」

 

『首とか腕が動かしにくい。精度は大丈夫だけど、射るのに時間がかかりすぎると思う』

 

「なるほど、分かりました」

 

 アビスはそう言うと、一目散に護衛対象目掛けて走り出した。インカムではエイプリルが騒いでいるが、今の最優先事項は説明ではない。

 

 何故、()()()()()()()()()()

 答えは簡単、アビスとエイプリルの護衛対象が狙われているからだろう。

 

 敵がアーツを掛けてきたということは、今から仕掛けると予告しているも同じことだ。距離を取っているため連携もしていないだろうとでも思ったのだろうか。

 そして、アビスとエイプリルの二択でエイプリルを狙ったのは恐らく遠距離攻撃の手段を減らすため。相手は対象への接近を終えているか、近接戦闘に自信があるかだ。

 果たして、アビスが走り出して五歩の時点で、一人のサングラスを掛けた男が壁から離れて護衛対象へと迫っていくのをアビスは中央に居る護衛対象越しに視認した。

 

 用心棒に扮した暗殺者──大々的に行動しすぎてそう呼ぶには些か抵抗があるが──だったのだろう。会食への入場は招待を受けた参加者からの身分の証明がなければできなかったはずだが、いつのまにか紛れ込んでいたのか。

 男は取り出したナイフを手に護衛対象の男へと駆けていく。他の参加者は自分がターゲットではないのをいいことに我先にと逃げ出して道を開けていた。

 

「邪魔しないでください!」

 

 参加者が一斉に男から逃げ出したせいで、アビスの道を塞いでしまった。邪魔だからと言って切り捨てる訳にもいかず、強引に押し退けては、転んで後から走ってくる参加者に踏まれる可能性がある。

 

「仕方ないので許してくださいね!」

 

 アビスは一旦後ろに飛び退ると、一気に跳躍してテーブルの上へと着地した。護衛対象は男から逃げようとしているため中央よりもややアビスの方に居る。

 男は広い会場の半分ほど、つまり先程まで護衛対象の立っていた場所まで既に距離を詰めていて、アビスは追いつくことが難しそうだ。

 

 アビスは皿の一つを拾うと、その上に乗っていた料理をテーブルへと全て落とした。そのまま後ろに振りかぶり、フリスビーを投げる時のように横にしてぶん投げた。

 風を切り、護衛対象の頭スレスレを通過してなお飛んでいく円盤は、暗殺者である男の手によって側面から容易く粉砕された。

 

「……っ!」

 

 だが後を追うように続いた二皿目は身を屈めて対処した。今度の皿は料理を装う皿ではなく、料理が積まれている大皿だ。二回り以上大きい円盤は咄嗟に回避してしまうほど圧迫感を与えたのだろう。

 

 だがそれでも、男の方が護衛対象に早く追いつく。アビスは大皿を投げた分だけ相手を遅らせたが、アビス自身の行動も遅らせてしまう。

 しかし、それでいい。

 これは男対アビスの戦いではない。

 男対アビスとエイプリルの戦いだ。

 

 男が突然ジグザグに体を傾けながら走り始めた。テーブルを跳ね上げて障害物にしようともしている。

 恐らくは男こそがエイプリルにアーツをかけた張本人なのだろう。身体の動きを阻害するのであれば、相手の動きを感知できたとしても意外ではない。エイプリルが矢を番たことを感知できているのだ。

 

 だがそれでも、エイプリルの矢は男の左肩に突き刺さった。突き刺さるだけではなく貫通していて、堪らず男は呻き声を上げた。感知できるだけで躱せるほど、ロドスの狙撃オペレーターの技量は低くない。

 

 男は左肩を押さえると、すぐにまたナイフを構えて駆け出した。だがもう遅い。もう時間は稼ぎ終わった。

 

 アビスがテーブルから跳躍して護衛対象の前に着地し、そのまま男の腹へと右足を叩きつける。

 

「ごふっ……!」

 

 アビスの体勢が整っていなかったため、男が床に膝をつくことはなかった。だが蹈鞴を踏んで脇腹を手で押さえて顔を顰めている。

 感触からして骨を折った訳ではない。すぐに男はナイフを振りかざして──そのナイフがエイプリルの矢によってアビスの方へと弾き飛ばされた。

 

「降伏してください」

 

 ナイフを拾い上げると、やはりそれはアーツユニットだったようで、グリップの部分にその界隈では有名な企業のロゴタイプが入っていた。

 これでエイプリルの動作を阻害されていたアーツは弱まり、それは即ち男が完全に勝ち目を失ったということだ。

 

 アビスはナイフを男の方に突きつけて降伏を迫る。目はサングラスに隠れて見えないが、口元からして悔しそうな表情が察せられる。

 両手を上げた男をエイプリルが弓を構えて牽制し、その隙にアビスは先程まで立っていたテーブルのテーブルクロスを引き裂いて縄を作り、男の手足を縛り上げた。

 

「これで、一件落着……とは、ならないんですよね」

 

「よくやってくれた。アビス殿、エイプリル殿」

 

 振り返れば護衛対象の男がほっとした顔で歩み寄ってきていた。周りに目を向ければ、他の参加者たちも壁まで退避していたところから戻ってきていた。

 迷わず彼は護衛対象をエイプリルの近くへと押し退けて、ナイフを構えた。

 

「そこの男を引き入れたのは誰ですか?」

 

 参加者たちは足を止め、一様に首を振った。

 だがその中の一人、ヴァルポの老人が一人の婦人を指差した。

 

「待て、私は見たぞ。男を連れていたのは貴女だろう」

 

「えっ!? そんな訳ないじゃない!」

 

「見たものは見たのだ」

 

「そういえば、私も見た記憶がありますね」

 

「ああ、言われてみれば彼女だった」

 

 アビスの記憶によると、ヴァルポの老人はこの会食の挨拶を行っていたようだ。恐らくはこの中で一番影響力のある老人なのだろう、同調して首を縦に振る者が次々と現れた。

 

「う、恨むわよ……!」

 

「話は近衛局に聞いてもらいなさい。アビス……で、あってますかの。さっさと捕縛していただきたい」

 

「ええ」

 

 残ったテーブルクロスで縄を用意しつつ、アビスはナイフで威嚇する。婦人は潔く両手を挙げて膝をつき、だがその目には諦めの色が欠片も混じってはいなかった。

 婦人を拘束するアビス。

 

「ちょっと、何してるの!?」

 

 エイプリルがそう言った。丁度アビスは婦人の腕を縛り終えたところで、ゆっくりと立ち上がった。

 

「エイプリルとやら、弓を下ろしなさい」

 

 アビスの背後から聞こえた老人の声に、未だ状況を掴めないまま仕方なく弓を下ろす。

 突きつけられた金属の冷ややかな感触がアビスの首筋に伝い、それは老人の持つ刃物と、確かな害意を示していた。

 

 

「さあ、アビス。降伏していただきましょうか」

 

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