【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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二十七 Wの忠信

 

 

 ボクの意識が浮上して一番に見えたのは、瓦礫の家だった。横向きになっていた顔を前にすると、そこには兵士を現在進行形で殴りつけるAceさんを先頭としたE1部隊の皆さんが肩越しに見えた。

 バキ、と音がして、仮面の割れる音がする。ガン、と音がして、金槌が頭部を振り抜いた音がする。

 

「目は覚めたか?それじゃ、立てるだろ?」

 

「あ、ああ……ありがとう、ございます」

 

「礼を言うのはこっちの方だ。確か、南の方を受け持った、アビスだよな?」

 

「はい。運悪く端末を壊してしまって、信号弾の方角を目指して移動中、あのドラコを見つけて参戦しました。お世話になってしまったようで、申し訳ありません」

 

「だからそれを言うのはこっちだって」

 

 フードの奥で、前衛オペレーターさんが苦笑した。ボクと彼の話し声は部隊全体に伝わったようで、後衛のオペレーターさん達はボクの方を振り返った。

 軽く会釈をすると、その方々にも返していただけた。

 

「それにしても、あの龍女をぶっ飛ばすなんてな。単独で任務を負う訳だ。俺はそろそろ戦闘に戻る、アビスはどうするんだ?」

 

「ボクは……そうですね、チェルノボーグの搭乗口がある場所さえ分かれば一人でも十分ですが」

 

 ボクにはチームワークの経験があまりない。勿論ドーベルマン教官に最低限は教えていただいたけど、ボクの戦闘スタイルは自由が過ぎる。

 一人で行動した方が、少なくとも今は良い。

 

「それなら、この道を真っ直ぐ行くだけだ。とは言っても瓦礫があるせいでいくらか遠回りをすることになるだろうが、出口は大通りの先にあるんだよ。たぶんその辺りでアーミヤさん達は待機してるんじゃないか?」

 

「了解しました。それでは、また危険のない場所で」

 

「そうか、じゃあな」

 

「はい」

 

 兵士たちが部隊の周りを囲んでいるけど、Aceさん達の突破を阻止するにはかなり不足した数であることは否めない。ドラコの女と戦闘した時はかなりの数、それも今見えている兵士の五、六倍は居たような気がするのに、どうしてこんなに減っているのだろう?

 とはいえ、その疑問はまたチェルノボーグを脱してからだ。部隊の左側で剣を振り回していた兵士の頭を蹴り抜いて建物に接近し、力の限り上に跳んだ。

 二階の窓枠に手がかかる。思いっきり振った指でガラスを砕き、掴んだ枠を全力で下へと押し込んだ。窓枠の上側を蹴って屋根に手をかける。

 上って振り返れば前衛オペレーターさんが小さく手を振っていたので、ボクも手を振って返す。

 

 彼らには余裕があった。

 実力があった。経験があった。

 

 確実にあの部隊はロドスに帰るだろう。ドラコの女が追いかけて来ることさえなければ、きっと帰ることができる。

 

 屋根の上を走りつつ、一度だけ振り返った。

 

 あのドラコの女は、ボクと同じだった。それはきっと、感じるものでさえボクと同じだった。

 でもそれだけだった。どれだけ彼女とボクが同じだったとしても、彼女はボク自身を意味しない。

 

 ああでも、確かに。もしボクがあの放浪の中で絶望してしまっていたら──ロドスを見つけることさえ出来ず、リラの源石に侵食されてしまっていたら、きっとボクは彼女と同じようになっていた。或いは、レユニオンに入っていた。

 

 今はそうじゃない。ボクはレユニオンに入っていない、ボクはロドスという月を見つけたんだ。

 

『君にとって、ここが月でもないくせに』

 

 ボクには、ロドスしかないんだ。

 

 

 

 

 

 無事に残っている建物が少なくなってきて、ボクは屋根から降りた。無事に残っている建物が少ないということは無事で済んだ兵士も少ないということで、荒れ果てたチェルノボーグには兵士の姿が疎らにしか見えなかった。

 

 しばらく兵士を尻尾で叩きつけたり締め付けたりしながら歩いていると、爆音が聞こえた。

 それはとても聞き覚えのある音で、少し前にとても近くで聞いていた音で──あのサルカズの女が使っていたグレネードの音だった。

 

 走る。体ごと回転して叩きつけた尻尾が、兵士の刃に少しだけ斬られた。傷は小さかったけど、決して少なくない血飛沫が上がる。

 頬にかかっていた血を手で拭って直走(ひたはし)る。

 

 銃撃音が耳朶に触れる。

 

 瓦礫が道を塞ぎ、幾人かの兵士がその前で話していた。

 音を殺して接近、腹に足の裏で蹴りを入れる。押し倒した兵士の剣を抜いて首を切り裂き、返す剣でもう二人の敵を切る──ことはできず、受け止められた。

 一度力を緩めた後、全力を出して強引に二つの胴へと一気に斬り込む。もう一人、二人の丁度後方に居た術師にはその二人を左右から押しつけ、奪った二つの剣を両手に持って、術師ごと二人の兵士を刺し貫いた。

 

「ボクの邪魔を、するな」

 

 瓦礫の上を進む。鉄骨がボクの足に裂傷を作り、姿勢を崩した先の礫塊が尻尾の傷口を抉る。

 自分自身の血で真っ赤になりながら、ボクは瓦礫の山を乗り越えた。向こう側に居た二人の兵士は着地するついでに頭を掴んで振り回し、背後に聳える瓦礫の山へとぶん投げた。

 

 生死の確認もせず、ただ走った。向こうに人集りと、爆煙と、黒いアーツが見える。そして、一番後ろにはライサも居た。

 

「やっぱりか──!」

 

 Aceさんの部隊を見つける前、ボクは行動予備隊A2、A4の方々と接触した。ボクよりも安定しているその部隊に、安全性を考慮してラーヤを預けることにした。

 そして、行動予備隊の方々は、ボクより先を行っていることは分かっていた。たとえAceさん達が優秀とは言え、二隊が合体した予備隊よりは歩みも遅れる。アーミヤさん達と合流するのは行動予備隊の方々の方が早かったはず。

 

 つまり、ラーヤを加えた行動予備隊A2、A4の方々は今、あのサルカズと戦っているかもしれない訳で──!

 

 

「大丈夫ですか、カーディさん!」

 

 

 兵士の頭を仮面ごと殴り抜いて振り返る。ボクの方をポカンと見ているのはカーディさんだけでなく、行動予備隊の方々だけでさえなかった。つまり、アーミヤさんやドーベルマン教官でさえボクの方を見て驚いていた。

 正直呼びかけるのに抵抗はあったけれど、呼びかけられて応える愚をカーディさんは犯さないだろう。

 

「無事だったんですね、アビスさん!」

 

「はい、なんとか!」

 

 アンセルさんが投げてくれたカプセルを手早く飲み込んで、後ろに居た兵士の骨を剣ごと尻尾で砕いた。

 カーディさんの近くに来るな、害虫が。

 

「少し、と言うには圧倒的な力を持った人も居ましたが、なんとか切り抜けられました」

 

「あ、ありがとな」

 

 ラヴァさんの前に居た兵士の腕を捻り上げて剣を奪い、足を尻尾で打って倒す。振った剣は装備のせいで止められてしまったので、刃の背を踏み意地でもダメージを通す。背骨を斬ることは出来ずとも、腹部の肉は抉れている。大方頭で動くこともできず失血死することだろう。

 

「あの、何か……怒ってませんか?」

 

 アドナキエルさんが恐る恐るといった様子でそう言った。

 

「いえ、怒っていませんよ。ただカーディさんに近づいていたので少し乱暴にお仕置きをしているだけです」

 

 ボクの方を向いた銃口に対して、同じくボクにアーツの弾を飛ばしてきていた術師を盾にして対応する。回避したらカーディさんに当たるかもしれないし。

 

「ニアールさんは……なるほど、周囲の敵を」

 

「あら、久しぶりね、アビス?」

 

「馴れ馴れしくしないでくれるかな、テロリスト」

 

 カーディさんの前で誤解を招くような物言いはやめて欲しいんだけど。ぶっ殺すぞクソアマ──っと、これはカーディさんに引かれてしまうから心の中で取っておくとして。

 

「それで、周りの兵士は貴女の指揮ですか?」

 

「そうだと言ったら?」

 

「許しません」

 

「へえ、怖いこと言うわね。あたしはただあんたが来た時のために用意してただけよ?」

 

 誰にでも分かる嘘を吐くって、つまりは殴られたいってことだよね?跪かせてカーディさんの前で土下座させてやる。あ、いや、カーディさんは心優しいからそれじゃダメか。首だけにしてゴミ箱に捨てよう。

 

「そうね、あたしは今から三つ数えるわ。三つのうちに投降すれば、そのカーディって子だけは助けてあげる」

 

「いえ、必要ありませんよ」

 

「どうしてかしら?」

 

「カーディさんの心を守るためには、誰も失わずに貴女を殺すことが必要ですから」

 

「ちょ、ちょっとアビスさん!?カーディちゃんが怖がってますから!」

 

 アンセルさん……!?

 

 何故それを示してしまったんですか?

 

 ドン、と音がして、ほぼ同時にボクの尻尾が鮮血をばら撒いた。口の端を吊り上げているサルカズの女がカーディさんを撃ち、それをボクの尻尾が間に入ったからだった。

 

「アンセルさん、カーディさんのことを敵に教えないで頂けますか?」

 

 アンセルさんの、カーディさんが怖がっているというのは嘘でなくとも、今言うのは明らかに最悪の行為だ。カーディさんだってそのことを理解して、努めて平静を装っていたと言うのに。

 何故庇うような動作をしてしまったのか。アレだけで明確にカーディさんがその人だと分かるように、どうして。

 

「カーディさんが、余りにも危険ではないですか」

 

「な、あっ……」

 

 敵対しているサルカズに自分の大切な人とその特徴を言うなんてありえない。もし本当に大切だと思っているのなら教える訳がない。だって、その人から殺されるに決まっているのだから。

 ロドスに所属しているサルカズなら、まだ良かった。だけど今ボク達の前に立ち塞がっているのはテロリストだ。許される訳がない。

 

「アンセルさん」

 

「は、はいっ!」

 

 確かにボクもカーディさんについて言及し過ぎた部分はあると思う。というかそもそもボクがあんなに言わなければこうもならなかった。

 でもこの尻尾を自業自得とするのは、些かではなく、かなり抵抗がある。ボクがそれを言わなければこうはならなかったけれど、アンセルさんが言わなかったとしても、こうはならなかったのだろうから。

 

「分かって、頂けましたか?」

 

「はい!」

 

「なら、良いんです」

 

 正論を抜きにして、本音を言おう。

 

 良い訳がないに決まってるだろ。

 カーディさんを撃って許されると思っているのか、腐れサルカズが。そんなことが頭の中で渦を巻くと同時に、カーディさんのことを何故教えたんだとアンセルさんを咎めたい気持ちが激しく昂ってくる。

 今すぐに吐露したくて仕方がない。でもそれはやってはいけないから、ボク自身でもそれが分かっているから、より多くのストレスが溜まる。

 

 ああもう、苛々する。

 

 カーディさんが近くに居て尚、ダメだと分かっているのにイライラするのが止まらない。恐怖や悲哀だけじゃなくて、怒りの制御に関しても訓練しておくべきだったか。

 

 仕方がない。さっさと次、だ。

 地面を蹴ってサルカズの女に接近する。カーディさんを撃たせないためには、カーディさんが見えないところまで追い込むか、カーディさんを撃つ暇がないくらいに攻めるしかない。

 クロスボウの矢がサルカズの女に向かって射たれた。アドナキエルさんか、クルースさんか。どちらにしろありがたい。

 尻尾の傷も、ヒーリングアーツのおかげか流血が治まってきた。アンセルさんのカプセルが効果を出しているのか、それともハイビスカスさんか。前者であって欲しい、そうでなければ簡単には許せそうにない。

 

 いや、大丈夫。きっとこのサルカズさえ倒すことができれば、結果論として何もなかったと言い訳することが出来る。

 自分自身に対して言い訳するのは、ボクの得意分野だろう?

 

 心の中で自嘲して、後ろに誰も居なくなるよう回り込みながらサルカズへと接近する。クロスボウを避けたとは思えないくらい安定した姿勢でボクに照準を付け、そして──撃った。

 

 認識した瞬間には、ボクの体は左へと回避していた。その先に構えられていた兵士の剣は尻尾が薙ぎ払い、再びボクは荒れたチェルノボーグの道路を駆ける。

 ラヴァさんの炎が(とど)めを刺せていなかった兵士の体を焼いたのを、背中に受ける輻射熱で感じる。

 

 連携というよりは、ワンマンプレーを補助しているだけ。きっとボクが居ない方が、行動予備隊の方々は苦労せずにこのサルカズを倒せていたのだろう。

 

 さっき、この集団の中に見慣れないバイザーを着用している人を発見した。きっとドクターで間違いないはず。そしてボクがこのチェルノボーグに参戦した理由は、ドクターに良い格好を見せるため。

 ボクはまだ戦術指揮官であるドクターに指示をもらっていない。対面もしていない。だからボクはまだ自由に動いてもマイナス評価は少ないはず。

 あのドラコの女を撃退したのはボクだ。でも被害者は居らず、結果としてボク一人での撃退に成功している。Aceさんの強さを知っていようとも、あのドラコの女に対して軽い評価で終わってしまう可能性は低くない。ドクターが対峙した訳でもあるまいし。

 

 これが最初で最後のチャンス。ボクがここで完膚なきまでにサルカズの女を倒すことで、ようやくドクターから高い評価を頂ける。

 

 そうして、ボクは短剣を構えた──。

 

 

 

「話は以上で、終わりだ」

 

「はあ?まだ終ってないわ」

 

「君の目的は達成できたはずだ。こんな経緯でボクはあの場所に辿り着き、ドクターから良い評価を貰いたくて刃を向けた。アーツも使って、撤退させた。それだけ」

 

 銃が構えられた。寸分の狂いもなくアビスを捉え、しかしそれをアビスが止める様子は一切ない。それどころか、不快だから殴ろうと立ち上がったライサの腕を掴んで止めている。

 Wの殺意が分かっていて、それでもだ。

 

 アビスが何を考えているのかWには分からない。そして撃つ気であるのに、殺意を持ってアビスを見ているのに、それに対して全く恐れを見せないアビスはもはや不気味だった。

 

 一人が銃器を持ち、それをもう一人に向けている。

 一方は余裕綽々で笑みさえ浮かべていて、もう一方は歯軋りしながら睨みつけている。

 

 本来なら逆であるはずの二人の状態は膠着する。Wのストレスが限界間近まで迫り上がり、それは見たアビスが嘲笑を濃くする。

 

「撃ちなよ、W」

 

「……何言ってんのよ」

 

 ライサは動かない。信頼しているからだ。

 Wは動けない。まだ目的が果たせていないからだ。

 

 アビスは動かない。その必要がないからだ。

 

「撃てばいい。ボクを撃てば、君の復讐は成功だ。後始末こそ難しいかもしれないけど、きっとロドスからも逃げ出してどこかへ消えることができるとボクは思う」

 

「だから、何を言って──」

 

「撃てよ、傭兵。本当にボクを撃って口の無い亡霊を一つ増やしたいのなら、早くそうするといい。ほら、早く!」

 

 銃声が響く。銃弾はアビスのすぐ横を通り抜けて壁に着弾した。訓練室の壁が壊れるほどの威力、しかしアビスがそれを恐れることは絶対にない。

 信じられないような顔で自分の手を見つめ、そのまま硬直するW。止まっている対象に対してたった数メートルの距離で外すなんて、少なくともWには考えられないことだった。

 

「W、君はおかしくなっていたんだ。君にとってはそれでも良いんだろうけど、救えないにも程がある、ってくらいに」

 

「……」

 

「さて、続きを話そうか──ボクはあの後、接近と回避を繰り返し、とうとう君の下まで辿り着くことができた。そこで使ったのは、ボクのアーツだ」

 

 取り出した短剣をヒラヒラと見せる。Wは何も言わないが、その視線から話は聞いているらしいことをアビスは確認できた。

 

「ボクのアーツは制御が難しくて、まあボク自身の問題もあるんだろうけど、無差別に拡散してしまう。だからボクのアーツはこの短剣の先にしか出せないよう、アーツユニットに制御機能を付けた」

 

 ヒラヒラ、揺らいでいた短剣が倒れて、アビスの手が握る。水平になったそれが指しているのは紛れもなくWだった。

 

「ボクのアーツは少し特殊で、感情を相手に伝えるもの。当たれば抗いようはなくて、これを使えばあのタルラさんにさえ効果は通る」

 

「……ああ、そういうこと」

 

 ライサが、Wの言っていた『同じ感情を共有した仲』という言葉を理解した。Wも、そこまでは分かっている。

 

「そしてその感情は、ボクの感じているものに限定される」

 

「分かってるわよ」

 

 ようやく立ち直ったのか、Wがそう言った。

 

「早く進めて頂戴」

 

 あくまで飄々と、自分のペースを崩すことなく。

 そんなWの態度は見せかけだけのハリボテだったが、それをアビスが言葉に出すことはなかった。

 

「W、一度確認しておこう」

 

 アビスが指を一本立てた。

 

「君の復讐は、『あってはならない感情をボクが伝えてしまった』から発生した。そうだよね?」

 

「そうね、間違ってないわ。あんたが鬱陶しかった、ってのも理由の一つに入るけど、そんなものね」

 

「じゃあ、どうしてあってはならなかったのか──ボクはもう知ってるけど、Wの口から聞かせてほしい」

 

「……あたしは、テレジアのために生きるって決めてたのよ。彼女こそがこのテラで一番上にあるべきで、あたしは彼女が殺されてから、その復讐のために生きようと思った。いいえ、誓ったのよ。それは彼女に、そして私自身に」

 

 狂気がWから滲み出す。

 Wの感情は、ライサのアビスに向ける感情をより濃くしたもの、と言えるだろう。同性間であったから恋愛的な感情には発展しにくかったものの、その尊敬は崇拝のレベルにまで達して狂気を獲得した。

 

 その狂気を糧にWは今こうしてテラに居る。ドクターの記憶を取り戻し、然るべき報いを受けさせるためにWはテレジアの居ない世界を生き延びていた。

 

 そしてその報復はしなければいけないことで、その道半ばで諦めること、失敗すること、それらを全て許さないのはWの定めているルールとさえ言える。

 

「だから──あんたの感情は、許されないのよ」

 

 アビスがWに対して伝えた感情は『恐怖』。

 何かを恐れて復讐への足を止めるだなんて、Wという狂信者が許す訳もなかった。テレジアを最上に掲げるWにとって恐怖や躊躇は、テレジアへの奉仕という行動を阻害する最悪の障害だった。

 

 アビスのアーツによって伝えられた感情はWの行動を一瞬だけ停止させた。そのコンマ一秒にすら満たない時間でさえ、Wにとっては許されざることだった。

 

 恐怖を感じなくて当然。

 恐怖を押し殺せて当然。

 恐怖を感じても動きを止めないのは当たり前。

 

 それをアビスは強引に打ち破った。Wが本来感じるはずのない感情をアーツによって無理矢理捩じ込んで、その強固な仮面ですら剥ぎ取って、硬直させた。

 アビスの感じる恐怖が並大抵のものではないことの証左であると同時に、Wの抱える感情がアビスのそれより一瞬だけでも遅れをとったことの証左だった。

 

「Wはボクに銃口を向けた。怒り狂った。激昂した。行動予備隊の方々を視界から除外するほどにボクを排除しようとした」

 

 結果的にそのせいで支援が行き届いて、Wは敗北を重ねることになった。だがもしそうなると知っていてもWはアビスのことしか見られなかっただろう。

 アビスの伝えた恐怖を塗り潰すほどに昂った怒りを誰が止められると言うのか。

 

 それがW()()()()()()()()復讐の全てだった。

 

 

 

 

『あんたって、やっぱりイカれてるわね』

 

 

『えぇ……あんた、それ大丈夫なの?』

 

 

『あたしに嘘をついてるでしょ』

 

 

『へえ、良い趣味してるじゃない』

 

 

『植木鉢は、ないわよ』

 

 

『そういえば、今はどうなってるのかしら?』

 

 

 いつだって、そうだった。

 アビスよりWだった。

 

『干戈の交わりは避けられない』

 

 それを言った彼女は他に何と言っていたか。

 シーから一つ、アビスは聞いたことがある。

 

 

 

 

 

「W、君はイカれてたんだよ、本当の意味で」

 

「はあ?」

 

 

 

 

 

「君は狂信者だ。本当に、そうだったんだ」

 

 

 

 

 

 アビスが椅子に座り直した。

 

「君の持つ彼女への忠信。それこそが君の頭をおかしくさせた元凶──いや、原因だとボクは思う」

 

「ケンカ売ってるなら、買うわよ」

 

 Wの冷たい殺意が迷いなく銃口をアビスへと向けさせた。アビスはそれに手のひらを翳して制する。冷や汗が垂れて、それはつまり、Wも今なら撃てるということだった。

 アビスの言っていることに興味は起きているが、それ以上に膨大な殺意が生まれ、ようやく上回ったのだ。そういう所を含めて、Wは正しく狂信者だった。

 

「ボクはアーツを使う時、ほぼ必ず混ぜているんだ」

 

「……」

 

「複数の『恐怖』をブレンドさせて、本当に純粋で暴力的なまでの感情を形作る。だからそれは似通った部分だけが表層に現れて、個々には識別できない。一等濃くしなければ、その感じる恐怖が何を恐れてのものなのか、誰にも感じ取れない」

 

 その恐怖を混ぜるという行為はケルシーの威圧に含まれるような恐怖が一種類も入っていないからこその芸当だった。アビスの恐怖はその悉くが本能的な意味を多く含み、しかしそれは複雑なそれでもある。

 故にアビスのアーツは本能的な恐怖を与えるのみに留まっている。

 

「君の一番知りたかったこと、ボクへの復讐よりも優先されてしまっていたことを告げよう」

 

 それはとてもシンプルな答えだった。

 

「ボクの扱う感情は三種類。そして君へと放ったのは、『死の恐怖』がメインのアーツだよ」

 

「……それが、何よ」

 

「そうだね、これじゃ分からないか」

 

 アビスが翳していた手を伸ばし、銃を構えるWの手に触れる。それはアビスの予想通り、震えていた。

 

「君は死を怖がっていたんだ、W。ボクのアーツは食らった相手にトラウマを刻みつける。ボクのアーツが切れたって、その傷は治らない」

 

 だから、Wは、そう。

 

「ずっとずっと、今この時まで、ボクに正体を告げられるその時まで、君は『得体の知れない膨大な恐怖』を抱え続けていたんだ!だからボクに話を強要した!自分に植え付けられた恐怖のことを知るために!知らなければ恐怖に押し潰されそうだったから、そうしなければいけなかった!」

 

 Wがトリガーに力を込めた──瞬間、脳裏に映し出されたのは自分に向けられたアビスの短剣。あの時の、自分を追い詰めたアビスの持っていた凶器。

 死の恐怖がWを刺す。それを感じるのはひどく久しぶりで、それでいてずっとそこにあったような気がした。

 

「君はボクを威嚇し終わった後も、銃を持つことで震えそうになる手を押し隠した」

 

 ずっとWは銃を持っていた。アビスが話している最中も、アビスとライサが話していた時でさえ、ずっと、いつだって、不安を押し殺すかのように武器を構えていた。

 

「君は話の合間、ずっとボクに話を振った。部屋に押し入ることなんて分かりきっていただろうに、ライサを招いた。全部、君が恐怖を知りたくないと思っていたからだ。知ってしまうことすら、恐れていたからだ」

 

『W、準備はいい?』

 

「もう思い出したくもなかった君は、トラウマを掘り起こしたくなかった君は、受け入れるための時間が欲しかった。時間稼ぎをした。だからボクは聞いたんだよ──準備はいいか、って」

 

 

「違う」

 

 

 そして、Wの仮面が剥がれた。

 笑みを浮かべたマスクが地面に落ちて四散する。素顔に浮かぶのはアビスへの怒りと、まだアビスを殺していない自分への怒りと、ほんの少しだけの恐怖。

 

「全部違う、そんな訳ない……っ!あたしはそんなものを感じてないっ、感じるはずがない──感じては、いけないのよっ!」

 

 射出されたカートリッジが数発部屋の天井を穿った。否定の言葉を自分自身に言い聞かせるように叫び、狙いもつけられていないWを見れば、誰がどう見たって錯乱していると答えられるだろう。

 

「ああ、君は否定するだろう。拒否するだろう。だって君はそれに反してずっと生きてきたんだから。それに反することは、生きる上で必要なことだったんだから」

 

 Wの心がどうなろうと、テレジアを絶対的に崇拝していることは変わらない。彼女が死んで永遠に不変のものとなったからこそ、アビスによって捻じ曲げられた彼女の心はそれに相反してしまったのだ。

 ──いや、違う。アビスによって、捻じ曲げられた訳ではない。

 

「君は、今の状態こそが正常なんだ。死の恐怖に震える今の君こそあるべき姿で、恐怖を無視して行動できていた君は本当にイカれていた」

 

 アビスのアーツはWを()()()()()()()。狂人から健常者へと、頭の中身をそのままに、心だけにショックを与えて、先に治してしまったのだ。

 だから致命的なジレンマを抱えた。恐怖を持っていながらに恐怖を否定しなければいけない、常人の情動を持つ狂人という歪な存在になってしまった。

 

 そういう意味では、確かにアビスのアーツは彼女を捻じ曲げたのかもしれない。Wを、頭と心の乖離した存在へと変えてしまったのだから。

 

「君の崇拝が間違ってるとは言わない。でもキミがもし死の恐怖を感じないと言うのなら──それは、絶対に間違っている」

 

「うるさい、うるさいうるさいっ!テレジアに会ったこともないあんたなんかに言われたくないわ!」

 

「その人が本当に優しい人なら、キミの心を治したいと思うだろうけど」

 

「あんたがっ、テレジアを語るなぁっ!」

 

 アビスに向けて何度もトリガーが引かれる。ライサが咄嗟に引っ張ったアビスの肩を一発の弾丸が掠って、しかしそれで終わりだった。

 何度も何度も自分の持つ武器の威力を見せつけていたWは、当然ながら弾丸を撃ち切っていた。

 

 Wが歯を食い縛る。その横を、その口の端を掠るように、涙が滴り落ちた。その後を追うようになぞる雫はWが追い込まれていることを示していた。

 だがそうして涙という形をとって感情が溢れ出しても、Wは恐怖を認めない。アビスに植え付けられた人のパーツを、Wは一心に否定していた。

 

「良いよ、わかった。もういい、強引にやろう。いい加減ボクも終わりにしたい。一区切りつけたいって言ったのは、本音なんだ」

 

「な、によ……っ!」

 

「君にボクのアーツの全力をぶつける。君に伝えた恐怖は、もうボクにとって辛くも何ともない。そのボクが今も尚克服できていないほどに辛く感じる恐怖を、純粋なまま君に刻みつける」

 

 アビスの鋭い目と言葉、そしてそれに乗る、最高に昂ったアビスの意思。空の銃を持つWが怯み、後退る。

 

「W、準備はいい?」

 

 短剣を取り出して、鞘をライサに預ける。その切っ先は寸分の狂いなくWを指していて、アビスの言が真実なのだと声高に主張していた。

 

 アビスが短剣をWに向けたまま、Wへと一歩踏み出した。Wの噛み締めていた力が無意識に少しだけ抜けて、それを掻き消し、奮い立たせるためにWは奥歯に力を込めた。

 嗚咽が漏れ出そうだった。絶叫が喉から飛び出しそうだった。経験したことのないほどの恐怖が頭をクラクラさせて、時々襲い掛かってくるフラッシュバックのせいで、もうどうにかなりそうだった。

 

 それでもまた、アビスは一歩近付く。

 

 短剣を見ているだけであの時の光景が蘇る。クロスボウの矢を避けた一瞬の隙を突いて、アビスは自分の喉元へと刃を当てた。

 脳髄を侵略されているかのような恐怖が自分の体を動かし、トリガーに力を込めることができた。復讐を果たすことなく死ぬなんて最悪の事態を回避できたのは、皮肉にもアビスの蘇らせた恐怖のおかげだった。

 

 壁がいつのまにか背後にあった。

 前には短剣を持ったアビスが居た。

 

 もう、どこにも逃げられなかった。

 

「うゔ、うぐぅっ……うゔぅ……っ!」

 

 復讐を決めた時から、ずっと流さずに居た涙。恐怖を失くし、自分の縋る彼女も過去へと置き去りにしたWが、流すことのできなかった涙。

 床に落とした銃が重い音を立てた。壁についた手を握りしめ、それでも纏わりつく死の恐怖。

 

 アビスの短剣がWの目の前に迫る。それを弾くような力も気力も、もう残っていない。壁に寄りかかってへたり込んだWの流す涙は止まらなかった。

 いや、Wに残っていないのは力だけだ。気力なんてものは、彼女を思いさえすればいつだって湧いてくる。

 

「やり、なさいよ……っ!あたしは、たとえ復讐ができなかったって、たとえ死んだって、絶対にこの気持ちだけは否定しないっ!」

 

 Wが流す涙もそのままに、滲む視界も厭わずに、その心に決めた矜持だけは守り抜いて、アビスへと高らかに宣言した。

 

「あたしは、この気持ちが否定されるべきなんて、絶対に思わないっ!」

 

 アビスの顔が、薄暗い部屋の更に影となり、Wには見えなくなった。

 

「そっか」

 

 アビスのアーツが、Wを捉えた。

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