【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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お久しぶりです。
実はこんなに続けられると思っていなかった作者です。三章が書き上がるとは思っていなかった作者でもあります。
三章ではアビスくんが著しく弱体化します。曇らせられているのかどうか分からないのでタグの追加はやめておきます。

アークナイツの曇らせ増えないかな……


三章 生きるため
三十一 蛇の口


 

 

 水筒を傾けて中の水を飲んだ。

 口元を手で拭い、アビスは一つ息を吐く。

 またいつかのように暗い顔をしたアビスが通路に凭れて座っている。

 

「何かあったなら言えばいいじゃない」

 

 シーが扉からじっとアビスの方を見る。アビスは一度シーの方を見たが、すぐに顔を戻して俯いた。

 

「少し……悪化したんです。ボクの鉱石病は、全体から見ればすごく小さく悪化したんです」

 

 アビスが飲んだ水は食道を通り胃を通り過ぎる。その胃は現在体内の源石による圧迫や損傷を受け、容量が本来よりもずっと少なくなっている。

 

 アビスの罹患している鉱石病はオペレーターの中でもトップクラスに進行している。そしてそれは、Wへと向けられたアーツによって更に上へと押し上げられた。

 現在のアビスの血液中源石密度は0.43μ/Lであり、更に源石融合率は今や23%にまで到達していて、それはアーミヤなどの症状がかなり進んだオペレーターを一回り以上超えた数値だ。

 

「ラーヤにそれを伝えました」

 

 検査の日、丁度いいと思った。チェルノボーグ事変が起こる前に一度、大規模な検査を受けていたアビスは、ライサと会ってからも小さな検査だけで済ませていた。

 大規模な検査というのは、鉱石病による源石の侵食が集中している部位だとか、そういう鉱石病関連のものをほぼ洗い出せるものだ。それによってアビスは体全体への転移の初期段階であることを伝えられた。

 

「そうしたらラーヤはその場で泣き出してしまって」

 

 何故言わなかった、と怒るライサを想像していた。だが現実ではライサは泣いてしまった。言ってくれなかったことへの憤りよりも、予想される死の悲しみが上回ってしまった。

 それはアビスの低い自己評価から来るものだった。自分のことなどどうでもいい思いと、そして自分の鉱石病がそこまで進行している訳ではないと思いたいアビスの心情からくる自己評価。

 

「ラーヤはそれから自分の部屋に篭りました。ボクの周りにはもう鬱陶しいコータスなんて居ない。ボクとオペレーターさん達の会話に割り込んでくる、あのラーヤは部屋の中に居る」

 

 煩かった。ボクに迷惑をかけてでもボクの近くに人を近づけようとしなかった。それはどこまで行っても依存に過ぎない、ただの幼稚な独占欲。

 ボクはそれに向き合わなかった。だって当然だ、ボクがその状態でラーヤに向き合ってしまえば、それはきっとラーヤの弱味につけ込んだ卑劣な行為だから。

 

 でも、いつからだろう。

 ボクにはそれが嬉しくなってしまったんだ。

 醜い醜いボクの自尊心が高らかに声を上げた。

 

 ……そして。

 

「ボクはひどく寂しく思えてしまった」

 

 アビスの痛む心は果たして、泣かせてしまった罪悪感だけだろうか?いいや、そんな訳がなかった。ライサの感じたショックはまるでアビスのアーツでも使ったかのように強く心に爪痕を刻んだ。

 

「それだけじゃない、きっとボクは自覚したんだ」

 

 アビスの心にあるのは悲哀だけでなく、そしてそれは複雑に絡まり合っていた。しかしその中にはもはや慣れ親しんだまでに付き合いの長い感情が関係している。

 

「鉱石病が引き起こす死はボクが思っているよりずっとボクに近い。ラーヤの反応は正常で、涙の一つも流さなかったボクはそれが既に異常なんです」

 

 アビスの鉱石病は真綿で首を絞めるようにアビスの命を蝕もうとしている。徐々に強まる苦しさはいつしか恐れを削いでいて、アビスはその閉塞感を当然のものだと認識してしまっている。

 

「ケルシー先生の言う通り、ボクは鉱石病で死にたいと願っているのかもしれない。でもそれが死を和らげる訳じゃない。だからボクは死を明確に認識していると錯覚してしまっていた」

 

 死というものを知った気になっていた。当事者として真っ直ぐ見据えて、正しく恐れていると思っていた。

 だがそれはどこまでも主観的なものだった。

 

 自分は死にたいと思っているが、だとしてもそれは死の恐怖から逃れる手段にはなり得ない。

 

 それを正確に認識してしまったからこそ、死をも正確に認識した気になっていた。それらの間には明確な違いがあったと言うのに。

 死にたいと願っていても恐怖は薄れない。だから今の自分が感じている恐怖は他の人と全く同じ大きさだ。生きたいと願っている人とも変わらない。

 死にたいと願うことが恐怖を無くすことに繋がらなくとも、他の何かが恐怖を弱めることもあるということを、アビスは知っていなかった。

 

 そしてそれこそ、毒のようにじわじわと蝕む鉱石病の罠だった。時間をかけるからこそ、対処させる時間を与えるからこそ、その死は近くまで迫ってしまうのだ。

 

 気付くための機会は山ほど用意されていた。アビスがアーツユニットを翳して行使するだけで一般人は泣いて許しを請うのだから、アビスが胸の内に秘めた恐怖は既にそれだけのものだったのだ。

 アビスの持つ恐怖への耐性は遥かに高い。

 

 口調が混ざっていく。シーに聞かせているのか、それとも自分自身へと語り聞かせているのか既に分からなくなっていた。

 

「ボクのアーツは電気信号。そしてボクはそれによって、死の恐怖、大切な人を失う恐怖、大切な人との時間を土足で踏み躙られる恐怖、という三種類の恐怖をある程度まで使えるようになりました」

 

 まだ涙を流すことはあるが、Wへと向けた時のようにそれのみに集中さえしなければなんとか扱えるようになった。それは立ちはだかる敵に使うのではなく、その恐怖に慣れなければいけないという半ば強迫観念めいた思いだったが。

 それはアビスの()()()恐怖の中では一等鋭く──しかしアビスの()()()恐怖はその三種類のみである訳もない。

 

「それでも、あの恐怖を操れるようになっても、ボクはこの恐怖を扱える気が全くしない。自分を確実に蝕んでいる毒があるはずなのに、それを認識できないなんて恐怖を。ボクはこの恐怖をもう感じたくありません。今すぐにでも手放してしまいたいくらい──それは叶わないのだろうけど」

 

「そうかしら」

 

 ただ一言呟いた。

 アビスの目がシーに向いて、ようやく固定された。

 

「だってあなた、電気信号を扱えるんでしょう?拒否することだって、それを他に逃すことだって出来るはずだわ」

 

「そんなことは……考えたことも、ありませんでしたが」

 

「それはそうでしょう、恐怖を感じなくなるなんてただの馬鹿よ。命の危機が分からない、大切なものを守れない、適切な対応さえすればメリットしかないのよ」

 

「あっ」

 

 一人、そんなことを言っていたサルカズが居ることをアビスは思い出した。ただ、彼女を真面(まとも)だと言うことができないのは元から分かっている。狂信者になってしまった時点で彼女は道を踏み外した。

 それを彼女は後悔していないのだから、きっとそれで良かったのだろう。その恐怖は正しい人のために用意されている道標で、草の根をかき分けてでも自分の道を進む彼女には本来必要のないものなのだから。

 

 しかしその道標も、それ以上の意味を持ってしまうことが稀にある。

 

「でも、もし恐怖が足枷になるなら話は別よ。その鎖を断ち切ることだけを考えて、何としてでも前に進むの。背後から迫る死へと引っ張られるのなんて御免でしょう?」

 

 本来なら、恐怖は眼前の崖に落ちる自分を引き止めるためのもの。牙を剥いたなら、それはシーの言った通り迫り来る死から逃げられないようその場に拘束してしまうのだろう。

 

「それは、そうかもしれません」

 

「あと、自分が押し潰されそうになった時、真っ先に利用しようと思うのはやめなさい」

 

「でも」

 

「あなたが今耐えられているのはただ慣れているからなのよ。もしあなたが毛色の違う恐怖に出会った時、それに抗うことは限りなく難しい。それこそ、そこらの子供と同じよ」

 

 アビスがどれだけ凄絶な経験を持っていたとしても変わらないことがある。もしアビスが世界中の誰より強かったとしても、もしアビスが世界中の誰より鉱石病が進んでいたとしても、アビスは齢二十にも満たない子供だということだ。

 その精神が如何に鍛えられたからと言って、子供であることを逸脱することなんてないだろう。子供の中では強い、アビスの精神はそんなものだ。

 

(くちなわ)の口が裂けるのは、自分の出来る範囲で物事を考えなかった時。あなたの口が裂けるのはいつなのか、それをしっかりと考えなさいな」

 

 シーはそれだけ言って筆を取り出した。

 顎に手をやって構想を練っていると、アビスの目が相変わらず自分に向いていることを感じた。アビスの方を見れば案の定視線が交わった。

 

「なによ、何か文句でも?」

 

「いえ、その……ありがとうございます」

 

 少し長く話したからか、アビスの喉がまた水を欲した。

 シーはそれを見て少しだけ顔を顰め、しかし何も言うことはなくすぐに筆を取った。

 

 

 蛇の口はきっともう裂けている。

 その口に詰め込まれたのは恐怖か、それとも──。

 

 

 

 

 頭が殴られている。

 いや、殴られたような音が響いている。

 

「うおぇ……ぁあ、最悪だ」

 

 廊下の壁に手をついた。胃の中身は何も無いのに、ボクの体は吐き気なんてものを訴えている。たった二パーセントの上昇なのに、ボクからすれば一息に鉱石病が進行したような気がしている。

 

「そろそろ、サリアさんが……」

 

 ボクが今目指しているのは訓練室だ。訓練をするにしたって中止するにしたって、サリアさんに会って話をしなければいけない。

 ケルシー先生は、訓練を中止しろって言ってたっけ?よく思い出せないけど、そんな気がする。じゃあ、今日は演習記録を見るだけになるのかな。

 

「それなら、許してくれる、かな」

 

「許す訳があるか」

 

 足が地面を離れた。

 ボクの体が宙に浮かんでいて──Mon3tr!?

 

「アビス、お前は一体何をしている」

 

「考え事です」

 

「嘘をつけ、大方訓練室だろう。サリアの方には既にお前の病状と共に連絡している」

 

「……そうですか」

 

「ああ」

 

 サリアさんにもボクの源石融合率だとかを伝えられたのか。もしかしたら次の訓練はかなり先になるかもしれない。源石融合率が20%を超えるっていうのは、つまりそういうことだから。

 

 嫌だな、本当に。

 

 ゆっくりと足が地面に下ろされた。ケルシー先生は相変わらず澄まし顔で説教を言い聞かせている。誰に言い聞かせているんだろう……って、ああそうか、ボクか。

 

「聞いているのか?」

 

「はい」

 

 なんだか、さっきから頭がぼーっとしているような気がする。もしかして風邪でも引いたのかな。種族柄か、ボクは小さい時からずっとそんな感じの病気を引いたことはないんだけど。あ、いやでも一度感染症になったことはあった。あれは酷かった。安宿のベッドから転げ落ちたし。

 

「アビス」

 

「はい」

 

「白い部屋とベッドを用意するか?」

 

「そんなお手間を掛けさせられません」

 

「病人扱いされたいのか、と言っているんだ」

 

 ケルシー先生が頭を押さえて呆れたように言った。Mon3trが服の間からまたケルシー先生の中に入っていった。

 きっとそれをするだけでも痛いのだろう。ケルシー先生はその痛痒をカケラも顔には出さないけど、出し入れする時には毎回背中を抉られるように痛いはずだ。

 

「検査で不審な結果も出ている。医療オペレーターの中にはお前をさっさと寝かせろと言っている者もいる。その状──おい、何をしている」

 

 可哀想、とは思わないけど。どのような事情があったとしてもMon3trを今現在操っているのはケルシー先生で、そのケルシー先生が痛みを受け入れているならボクはそう思うべきじゃない。

 ただ、ボクはあまり感じてほしくない。辛いことを我慢はできても、それが辛くない訳じゃないって、ボクはアーツのおかげで知っているから。

 

「アビス。おい」

 

 腕が叩かれた。

 ……えっ、ボクは今何してた?ケルシー先生の頭を撫でていたように一瞬感じられたんだけど。

 

「もう一度Mon3trを出す必要があるようだな」

 

「あっ、いや、その……すみません」

 

「全くだ。真剣な話をしている最中……」

 

 ケルシー先生の目が止まった。口を(つぐ)んで通路を向こう側を見ている。何があったんだろう、通路の向こうには誰も居ない。強いて言うなら横への通路が伸びている場所があるから、そのあたりで何かあったのかもしれない。

 

「何か?」

 

「いや、なんでもない。野生のブラッドブルードに覗かれていたということくらいだ。はは、何の問題もないな」

 

 ケルシー先生の目が死んだ。ブラッドブルードがどちらを指すのかは分からないけど、恐らくロクなことにはならないんじゃないかな。

 大変そうだ。

 

「その目をやめろ。もういい、お前はさっさと部屋に戻れ。明日もう一度検査を行う」

 

 ケルシー先生が何か喋っている。

 頭が痛い。少しお腹も痛いな。ぼうっとする。

 

「本当に、無症状なんだな?」

 

「はい、問題ありません」

 

 それもきっとすぐに治る。

 いや、治らなくたっていい。

 

 この痛みは、リラの源石がくれるものだから。

 まあでも死ぬのは、鉱石病がもう少し発展してからで良いけどなぁ。

 

「……次の検査で、私は併発した疾患が発見されると考えている。お前の体にある源石が更なる侵食を遂げ合併症を引き起こしているのだと、そう思っている」

 

「そうですか」

 

「子供染みた真似はやめろ。お前を害する鉱石病はどれだけ進んでも、『彼女』とやらが与えたものではない」

 

「そうかもしれませんね」

 

「何故そうも曖昧に頷く。お前が分かっているとでも?いいや、分かっていないはずだ。お前のその痛苦が実際どのようなものであれ、今のお前は受容することを止めはしないだろう」

 

 親の話を聞き流す反抗的な子供。ボクのことを客観的に見てみればきっとそうなのだろう。そして問題は、それによって左右される命があるということか。

 

「お前の欲している所は理解されるだろう。だがそれに甘えることがいつまでも許されていると思うな」

 

 もしボクの精神が子供であろうとすれば、恐らくボクが大人になる日は存在しない。できない。

 

 約二年。

 

 それがボクの二十歳を迎えるに必要なだけの寿命だ。ボクが今鉱石病以外に病を患っているのか、いないのか。誰もそれを正確に理解していないけど、だとしても判断くらいなら素人でもできる。

 このままでは保たない。ボクはきっと子供のままに死ぬ。

 きっとそれが相応しい。

 

「『彼女』とやらを過去にする、そう言ったな」

 

「……はい」

 

「出来なかった場合の処分を言っていなかったが。今言い渡そう」

 

 Mon3trを出さないままに、ケルシー先生はボクを威圧した。戦闘能力はボクより低く直接戦闘に関してはMon3trに頼ることが多いケルシー先生。対しているのは、何年もの実践経験と、サリアさんに鍛えられた実力を持っているボク。

 

「オペレーター契約を破棄。戦場に出ることを禁止し、後方支援の職員として新たに契約を結び直す」

 

 主導権はケルシー先生が持っていた。

 有無を言わさぬ雰囲気で、それを言った。

 

「そしてお前の持ち物、あの二品を没収とする」




(くちなわ)(くち)()け】
過ぎた欲のせいで身を滅ぼしてしまうこと。欲深い蛇が自分の口より大きなものを口にしようとして、その口が裂けてしまうことから。
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