【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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すみません予約投稿で事故りました。
まだ四十一話までしか執筆できていませんが、恐らくそれを投稿するまでには書き上げられると思います。

投稿が止まった時は許してください。


三十二 書類業務

 

 使い捨ての注射器を圧し折った。

 痛覚抑制剤の副作用が出る。いつもは普通にしている呼吸の数が自覚できるほどに少なくなり、明確に効果が出ているのだと理解できた。

 

 源石抑制剤。試供理性回復剤。

 希釈された液状源石。

 

 膨満感、と言うのだったか。お腹のあたりが引き攣ったような感覚がある。でもいつも感じる痛みや違和感と比べれば、この程度なんら問題はない。

 それに今のところ、痛いだけだ。頭がぼうっとするのは理性回復剤だとかで何とかできる。食欲なんて元から不要なもので、吐き気なんて抑え込めば割合何とかなるものだ。

 まあ本当に吐いた場合は対処が面倒だから、水筒を常備してる。喉が渇いたら水を飲んで、もし吐きそうだったら中に出す。それでどうにかなってる。

 

 キィ、と音がした。

 Lancet-2がボクの様子を覗いていた。後ろを向こうとして、折って床に落とした注射器をつい踏み砕いてしまった。

 

「アビス様、それ以上の服薬は規制せざるを得ません」

 

「分かってる。今日は特別だから」

 

「その特別な日はいつまで続くのですか」

 

 機械的なノイズの入っている特徴的な声。いつも穏やかで、みんなから親しまれている医療用ロボット。それがまさかここまで棘のある声を出せるなんて。

 

「大丈夫、ボクはヴイーヴルだから」

 

「ヴイーヴルだからと言って薬品が効かない訳ではありません。種族的特徴と言えば身体強度くらいのものでしょう」

 

 それは少しだけ違う。太い尻尾を持つ種族はその分だけ体積が増えるから、必要な薬物量も他の人より少し多い。まあそういうことを言っているんじゃないだろうけど。

 

「そうだね。気をつけるよ、ごめん」

 

「それが信じられれば良いのですが……」

 

「大丈夫だって。ドクターもこれくらい服用してるってケルシー先生から聞いたし」

 

「それは規定以上に服薬するドクター様を捕まえたという話だったはずですよ。アビス様もそうなるおつもりですか」

 

「だから、大丈夫だって。ケルシー先生が編成に組み込まないようにしたって話は聞いてない?」

 

「ええ、ですからこうして言っているんです」

 

「心配要らないよ。大丈夫。ありがとう、Lancet-2」

 

 これは本心だ。気にかけてくれてありがとう。

 でも別に要らないんだ。服薬量が度を越してるだとか、そんなのどうでもいい。きっと死にはしないだろうし。

 

 ボクにはロドスしか無いんだよ。それは絶対なんだ。ボクの寿命がいくら縮まろうと、直接死ぬ可能性が無いのならロドスの役に立たなければいけない。

 まあ、それは少し恰好を付けすぎたかもしれない。ただ単に、一度恐怖から逃げてしまえば、ボクはもう立ち向かうことができなくなってしまうだろうから。そんな程度の理由なんだ、きっと。

 

「注射器を片付けないと。掃除用具を取りに行きたいから、少し退いてくれるかな」

 

「……はい、分かりました」

 

 納得はしてない。でも行動に移すほどじゃない。

 今はそれでいいか。見える範囲で無茶をする気なんて始めからなかったし、そうすればきっとケルシー先生も出てきてしまう。

 

 まだ弱かったボクに戦う術を教えたのはロドスだ。ボクの命を繋いでいるのはロドスだ。

 

 ボクは死ぬまでロドスの下で働く。

 鉱石病に、源石に食い殺されるその日まで。

 

 

 どさ、と紙の束が木の板に置かれる。

 そして部屋の隅に置かれたデスク──つまりボクが今向かっている机の上にも、かなりの束が乗せられた。

 

 ボクの机に乗っかっている紙の束はドクターのそれより三倍くらいの厚みがある。スッと机の上に置かれたロドスの印章、朱肉、万年筆。

 ボクはそれを少しの間観察した後、自分でも分かるほどの強張った笑みで、アーミヤさんを見た。笑顔を形作っているはずなのに、何故だか光を無くした目だった。

 

「よろしくお願いしますね、アビスさん」

 

「……流石にこの量は」

 

 ずいっ、とアーミヤさんの顔が近づいた、ように感じた。実際にはアーミヤさんの纏っている圧が倍以上に増えただけで、そんなことはなかったけど。

 

「ドクターがロドスに来るまでは余裕で熟していましたよね?だから大丈夫ですよ」

 

「それはサインや押印だとかの手間がなかったからでして、これはボクでも骨が折れると……」

 

「はあ、そうなんですか?」

 

 アーミヤさんが顎に手をやって考えるような動作をする。態とらしいけど、ボクはこんな業務を回される程恨まれる覚えはない。ここに縛り付けるとしてももっと他にやり方があるはず。

 

「でも、アビスさん」

 

「はい」

 

「私が捌いていた時は、その量を強制していましたよね?」

 

「えっ」

 

 そういえばそんなこともあった、ような?

 いやでも、その時はアーミヤさんの事務能力を信頼していたし、それに自分としては分かりやすくファイリングして提示していたと思っていたんだけど……

 

「サインだとか押印の手間がある私に、次から次へと、まるで雨季に放置されたパンに湧くカビのように書類を差し出して苦しめたのは何処の誰なんでしょうか……!」

 

「あっ」

 

「ティータイムなんて必要ないのでただ只管にペースを落として欲しかったんですよ、あの時は」

 

 ……。

 

「で、では何故それを言わなかったんですか」

 

「なぁ──!?言いましたね!まさかアビスさんがそれを聞いてくるとは私でも予想していませんでしたが!」

 

 えっ、本当に心当たりがない。

 

「到着して直ぐに書類を手に取り!休憩時間など取らず各責任者へと連絡して回り!終わればさっさと話もせずに帰ったのはアビスさんでしょう!それに食堂には来ないし、一体どうやって言えば良かったんですか!」

 

「すみませんでした」

 

 そういえばボクってアーミヤさんに何の感情もないって言うくらい接触してなかった。書類業務をする機械のように見ていた節があったかもしれない。

 ドクターさんの視線が痛い。書類を一枚手に取ったままじっとボクの方を見てくるドクターさんが怖い。

 

「アビスさんは書類業務が嫌だったかもしれませんが、私もアビスさんとの書類業務は嫌でした!他のオペレーターさんは私と話をしてくれていたんです!そういう機会でもあったんです!」

 

「申し訳ありません」

 

 総責任者に近付かせる危険性を考えると、ケルシー先生はアーミヤさんと一緒の部屋で業務させることにも反対したんじゃないかな。でもそれをアーミヤさんはコミュニケーションが取りたかったから同じ部屋にした、と。

 いや、うん、まあ。ボクが人付き合い苦手だったということにすれば何とか理由もつく、かな。

 

「私が今より少し小さかった頃は話してくれていたじゃないですか!他のオペレーターさんと同じように!」

 

「あの頃は業務に慣れていなかったようでしたので」

 

 仕方なく。それにそこまで歓談していた訳でもない。他のオペレーターさんに会話を任せて適当な相槌を打ちつつ書類を捌いていた。

 ただ唯一困ったのはシーンさんと当番になった時か。レンズさんがまだ喋っていなかったのでボクがほぼ全ての会話を担当することになった。その記憶がまだ残っているのかもしれない。

 はあ、とアーミヤさんがため息を付いた。ボクの机の置いた書類の束からして、これ以上説教に時間を使うのもいけないと思ってくださったんだろう。

 

「それじゃあ今度、ご飯を一緒してくださいね」

 

「それはちょっと無理です」

 

「はい?」

 

 血管が浮き上がった。話は終わりだとばかりにボクに背を向けていたアーミヤさんは振り返っていて、その顔は笑顔だけど、吊り上がった口の端が小さく痙攣したように動いている。

 マジギレ一歩手前のアーミヤさんだ。マズい。ボクの首が飛ぶ。

 

「諸事情ありまして、その、ご飯を作る方でなら何も問題はないのですが」

 

「……そうですか」

 

 アーミヤさんの顔が徐々に冷静さを取り戻していく。良かった、もし説得できなければケルシー先生の力を借りなければいけなかった。今の雰囲気でそれをやるのはちょっと胃が保たない。

 

「あの、極東料理はやめてくださいね」

 

「どうしてですか?」

 

「いえ、極東料理の中の……『わんこ蕎麦』が書類と重なるので」

 

 もうそれはトラウマなのでは?

 

 

 

 ドクターの三倍もの厚さを持つ書類の束を抱え、それをアーミヤに抗議して打ち据えられたアビス。

 それを見ていたドクター。

 

『ああ、今日は早く上がってもいいのか』

 

 そんなことを当初は思っていた。

 しかしそれは甘い。

 非常に甘いと言わざるを得ない。

 

「ドクターさん、ボクがケルシー先生の仰裁に行っている間にこちらの書類について判断しておいてください。この付箋を使ってくださっても構いません」

 

 昼になる前には、アビスの抱えていた書類のほとんどが消えていた。机の上に残っているのはたったの十数枚、アビスでも判断ができる、十分ほどもあれば全て捌けてしまう量だ。

 幾らアビスと言えどもそれだけが残りではない。しかしそれ以外ではアビスの手にあるケルシーに回す書類、そしてドクターの目の前に置かれた書類の束くらいのものだ。

 

 三十分後。

 

「ドクターさん、書類は終わっていますか?ああ、それならケルシー先生に判断して頂いた分の書類のサインが残っているので、それまでに宜しくお願いします」

 

 四十五分後。

 

「ドクターさん、書類は」

 

 昼休憩など元から無かったかのようにアビスはドクターの方を見ている。ドクターはアビスの問いに答えず、じっと見返す。

 

「その、ドクターさん?終わってるんですか?」

 

「アビス、お前反省しような」

 

「はい?」

 

 稟議が終わっている書類の束をアビスに突き出した。ドクターの机に残っているのはあと十枚ちょっとの書類だけだ。

 

 この半日でアビスに対するドクターの評価は随分と変動した。

 まず、秘書業務の一つである書類を任されたというのは別段気にしなかった。アーミヤが書類業務を得手とするオペレーターの中にアビスの名前が入っていたからだ。

 だがアビスは二つの意味で『得手』らしいということをアーミヤの糾弾によってドクターは理解した。アーミヤの手が回らない速度で書類を突きつけるなど頭がおかしいし、そしてそのペースを相手に強いるなど得手勝手にも程がある。

 

 少しの羨ましさを胸に秘め、ドクターはしかし油断していた。その矛先が自分に向くことなどないと。

 それは間違いだった。

 

「普通は休憩するじゃん、でもまだしてないじゃん。しかももう一時前で、つまりお昼時過ぎてるだろ?」

 

「しかしドクターは普段から書類を担当しているんですよね?」

 

 頷いて、首を傾げた。

 

「……えっ、ごめんちょっと考えてみたけどどういうこと?普段からやってれば自然と早くなるだろ追いついてこいよってこと?」

 

「いえ、そこまでは」

 

「そう言ってる!絶対そこまで言ってるから!悪いね、俺の処理スピードは緩速師でも居るかのように遅いんだよ!」

 

「はい」

 

「そこは否定してくれよ」

 

「はい?」

 

「ほら、そこは否定するとこじゃん。そこまで遅くはないですよ、って」

 

「面倒臭い……何でもないです」

 

「全部言ってたぞ」

 

「もう帰っていいですか」

 

「殴るぞ☆」

 

「ボクは構いませんが、ドク──」

 

 殴った。

 

 

 

「ヴイーヴルを素手で殴打してはいけない(戒め)」

 

「だから言ったじゃないですか」

 

 

 

 午後三時。いつもなら分厚く積み上がっている書類を無視して遠い目になりながらコーヒーを啜り、秘書のハイビスカスが差し出してくる健康(殺人)的な菓子をどうにかこうにか回避している時間帯。

 もう机の上から書類は消えていた。今は決裁が終わった書類を持ったアビスが仕入れを担う後方職員や改築や改修を行う職員の下を訪ねていて、どうしようもなく暇になった。

 

「書類は片付きましたか?」

 

「ん?ああ、片付いたよ。アーミヤ」

 

「それは良かったです。明日は作戦指揮の予定が入っているので、早起きすることを忘れないでくださいね」

 

「分かってる」

 

 ドクターがアーミヤから手渡された缶コーヒーの蓋を開ける。少し強すぎるくらいに芳醇な香りが漂い、ドクターは一口飲んだ。

 

「そういえば、明日の任務は本来アビスが参戦する予定だったとか」

 

「はい。色々と考えたそうですが、ニェンさんによる説得に応じる形で参戦することが決まっていました。何かしら負い目があったようですが」

 

「ニェンが説得、ねぇ……前もニェン絡みで何かやってたな、アイツ。手料理を振る舞ったとか」

 

「料理が好きなんでしょうか」

 

「かもな。アビスは普通の食事ができないから、そういうのに傾倒する気持ちも分かる」

 

「普通の食事ができない、ですか?」

 

「ああ、鉱石病のせいらしい」

 

 コト、と缶が机と接触した。

 

「アーミヤはアビスのプロファイルを見てないのか」

 

「はい。ケルシー先生に権限を与えられても、許可を取るまでは見ないことにしています」

 

「アビスのは見ておいた方が良いと思う。少なくとも第二資料は接する上で必要なものだろうと思ってる」

 

「それが、つまりはその?」

 

「そう。症状としては中々珍しくて生死に関わるものじゃないらしいけどな。もう少しくらいなら広がっても問題ないとかケルシーは言ってたな」

 

「そう、なんですか」

 

 アーミヤが、いつもはハイビスカスの座っている椅子へと腰掛けた。手元にある未開封の缶ジュースへと視線をやっているが、ピントが合っていない。何やら考え事をしているようだ。

 

「何故ケルシー先生はアビスさんを作戦に出さないよう指示を出したのでしょうか」

 

「ああ、それな。最近は任務もなかったし、アーツを使う機会はない。あったのは精々が検査くらいだな。だから鉱石病が悪化したとは思えないし……今更何か見つかった、とか」

 

「今朝見た限りでは平生(へいぜい)の通りでしたから、そうなのでしょうか……」

 

「いいえ、いつも通りなんかじゃないわ」

 

 いつのまにか、部屋の人数は三人に増えていた。

 

「あんたの力を借りに来たわよ、ドクター?」

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