【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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三十四 嫌悪

 

 

「今日行うのは、超音波(エコー)検査だ」

 

 いつも通りのケルシーが入室したアビスを迎え入れた。

 だがそれは細部まで全く同じという訳でもなく、少し多めに塗られた目元のコンシーラーが僅かな違和感となって現れる。エイプリルやオーキッドなどが見れば、隈が化粧品によって隠されていることなど一目瞭然だったろう。

 

「そこの診察台に寝そべってくれ」

 

 だがアビスはケルシーの変化に気付かない。そも、顔すら見ていない。この検査で引っかかるだろうことは予想できていて、隠していた分だけバツが悪いからだ。

 

「ああ、その前に胸と腹を出してくれ。露出している結晶が全て見えるくらいまででいい」

 

 気不味いとは言えども、指示には従う。いつも自分から恐怖の中に突っ込んでいるアビスは、きまりが悪いからと言ってその作業に澱みが出るほど胆力がない訳ではなかった。

 アビスが裾を捲れば、腹筋の少し上あたり、数えると六つほど源石結晶が現れていた。

 その露出している結晶は大小様々であるが、それは見た目通りの訳がない。今見えているのは慣用句的に氷山の一角と表せるが、浮いている体積から全体を推定するに必要な浮力なんてものが当然のことながら存在していないからだ。

 現にアビスの見せる結晶は他の感染者とほぼ変わらない。変わらないが、実際のところは臓器に影響を与えるまでに規模が拡大している。

 

 ケルシーが探触子(プローブ)を腹に当てた。源石結晶は硬いが、人の体内で生成された不純物を多く含む源石だ。骨よりも強度があるという訳ではなく、超音波検査においても差し当たり問題にはならない。

 モノクロの画面。古い型の液晶媒体が見せる砂嵐──スノーノイズのようなものが、辛うじて輪郭を形作っている。

 

 当て方を変え、探触子の形状を変え、何度も試行する。源石に邪魔されているのか、ノイズは僅かばかりの変化を見せるだけで、著しく読み取りにくい。

 

「……ああ、何故考えが至らなかったのか」

 

 ケルシーは感情の起伏を少しも感じさせない声でそう呟いた。鉱石病によって死の淵まで追い詰められているアビスよりも余っ程病人染みた声をしていた。

 

 ようやくアビスがケルシーの異変に気付くも、起き上がったアビスに服を手渡した後はすぐに端末を使って誰かと連絡を取り始めた。

 いつになく鈍かったアビスが次々と異常を見つけていく。ケルシーの動作、仕草、それらのほぼ全てが何か違うと指し示している。ちなみにコンシーラーには気付かなかった。

 

「宜しく頼む。──さて、アビス。超音波検査が失敗に終わったため、他の機器を使用して再検査を行う」

 

「分かりました」

 

「十分もすれば準備ができる。その時までには、ここの隣にある部屋で待機していてくれ」

 

「了解です」

 

「何をしていてもいいが、それ程時間がある訳でもない。それを念頭に入れて、時間までに来い」

 

 ケルシーはアビスが頷いたことを確認した後、部屋を出た。十五歩程度歩いた先の大型医療用機器が利用できる部屋の扉を開ける。小さく開けたからか、背後から伸びた手が閉まる扉の動きを阻止した。

 

「何故ついてくる」

 

「何かしたいことも思いつかなかったので」

 

 ケルシーの目が僅かに気力を取り戻すが、それは生気という訳ではなかった。ただアビスの言葉が不快で、鋭くなっただけだ。

 

「ならば部屋の外で待っていろ。まだ準備中だと言っただろう、今ここに居る必要はない」

 

 部屋の中ではワルファリンが平職員のようにちょこちょこ動き回っていた。デフォルメすれば口が正三角形になるだろう、そんな具合だ。

 確かに準備中ではあったが、それは設備の話だ。部屋に入れない訳でなく、現にスツールが幾つか空いたスペースに置いてあり、座っても邪魔にはならなさそうだ。

 

「ここで待っていても困ることなどないでしょう」

 

 だが実際、常識として考えるとアビスの方が間違っている。上司の言葉に逆らい、医者の言葉に反する。そんな者が居たならば即ち、待っているのは周囲の冷たい視線だろう。

 ケルシーがアビスに室外での待機を強要する必要はないが、アビスもまた、それを拒否する必要がない。

 

 唯一、ケルシーが異常だという点を除いて。

 

「何をしていてもいいんでしょう、この部屋で準備が終わるまで見学でもしています」

 

 だが距離を詰めるにしても言葉の選び方が悪かった。

 

「……お前が、見学だと?」

 

『ボクに手間取られて──』

 

 お前に未来
「それに意味
      
は無いだろう。必要もない。お前に手間を取られるなど許容できない、さっさと部屋から出て行け」

 

「ですが」

 

「Mon3tr」

 

「……分かりました」

 

 喉元に向けられたMon3trの爪。殺す訳がないと知っているのに、それにはどうしてか殺気が篭っていたように感じられた。

 

「失礼しました」

 

 アビスが部屋から退出したところで、ケルシーはようやくMon3trを元に戻した。その顔は先ほどまでアビスに見せていた怒りとは違い、何か後悔しているように見える。

 

 息を吐いて、スツールに腰を下ろした。ワルファリンの手伝いをすれば少しは早く終わらせられるだろうが、それをするにしては少し、自己嫌悪が強く残ってしまっていた。

 

「珍しいな」

 

 ワルファリンが作業の手を止めてそう言った。

 

「そなたがそこまで他者を嫌うなど珍しい。それも扱いやすくなった好意的な者に対して、とは」

 

 ワルファリンはアビスについて、ほとんどのことを知らない。そしてその中でよく記憶に残っているのは、ケルシーに対して殺気を撒き散らしながら尋問した場面のみだ。

 ワルファリンからすれば、上司に逆らう一匹狼気取りの青年をケルシーは手懐け、そしてそれにMon3trの爪を向けたということになっているのだ。

 

 反省こそすれど、アビスはワルファリンにとって減給処分の発端となったオペレーターで、そして更には大きな怪鳥に掴まれて空の旅へと連れていかれたのだ。悪印象が残るのは仕方がないことだろう。

 もしそれがなければ、ワルファリンがこうして準備に時間を割くこともなかっただろう。だからある意味必然ではあったのかもしれない。

 作業に戻り、されど口は止まらない。

 

「Mon3trまで差し向けるのならば、いっそ遠方の任務に派遣するのはどうだ?鉱石病が心配であるならば龍門に常駐させるという手もある」

 

 ケルシーの目がワルファリンを捉えた。その双眸は見開かれ、何を考えているのか全く読み取れない無表情でワルファリンを見つめている。

 少なくとも驚きでないことだけは確かだろう。

 

 数秒後、ゆっくりと声を発する。

 

「黙って手を動かせ」

 

「相分かった」

 

 幸福にもワルファリンは気付かなかった。ケルシーの目が青年に向けていたものより一層人を殺しそうなものになっていたことに気付かなかった。

 声は完全に通常のそれを装うことができたが、ワルファリンの方を見る目は見開かれたままになっている。

 

 ワルファリンの発言は仕方のないことだろう。任務を禁止したことがそこまで伝わっている方がおかしいし、況してや下働きで時間を圧迫され続けているワルファリンが聞いている訳もない。病状が不安定で、いつ倒れてもおかしくないことを伝えていない。

 だからそれについては納得している。ケルシーの焦点は別の所に当てられていた。

 

 

 

 

 

 私は今、何を考えた。

 

 

 

 私は今、もしかして──どうか目の届かぬ場所で勝手に死んでくれと思ってしまったのか。

 本来ならば切って捨てるべきワルファリンの提案が魅力的に聞こえてしまったのか。

 

 

 テレジアの言葉を気に入っていた

 

 つもりだった。

 

 

 子供のことは大切に、慎重に、丁寧に扱い、そしてそれがそうあるべきだと認識していた

 

 はずだった。

 

 

『ボクみたいな患者に拘うのは時間の無駄です』

 

 

 頭を殴られたようだった。

 アビスのことは理解している、もし救われることが出来るのならば救われたいと素直に願う性格だと知っている。だがアビスは差し伸べられたロドスの手を振り払った。

 

 アビスにとっての救いは、もうこの世に残っていなかったからだ。

 

 私では救いになり得ない。

 いや、『彼女』とやらが死んだ時点で、私のみならずこの世の全てがアビスを救うことのできない、アビスからすれば無力で無価値な存在と成り果てた。

 

 だから、なんだ?

 

 私はアビスを切り捨てるのか?

 

 アビスの言ったように、既に救いを見つけられなくなってしまった感染者は見殺しにするのか?

 

 違う。

 

 違うはずなんだ。

 

 違うはずだったんだ。

 

 私はアビスのような感染者も救おうとしていた。いや、それも違う。アビスのような感染者も救えると信じてきた。だが実際には、アビスの救いになど私たちは端からなり得なかったのだ。

 

 きっとアビスは鉱石病に大切な何かを奪われた人々の中でも一等拗れてしまった部類なのだろう。それは分かっていたが、だとしても救われようとしない人すら存在するというのは、殊の外ショックに感じられた。

 しかしだからと言って突き放す気は毛頭なかったのに、アビスの言った『見学』という言葉は何故だかどうしようもなく私の神経を逆撫でた。

 

 救われようとしなかった、未来を拒絶したアビスが後学のために何かするなどと全くおかしいではないか。

 

 私の手を取らなかったアビスが、見学など。

 

 いいや、分かってはいたのだが。アビスは救われようとしないのではなく、救われることができないのだと、分かってはいた。だが何故だか、抑えきれなかったのだ。

 

 私が悪いことは分かっている。例えアビスが私の手を拒絶しても、それに対して激昂するなどまるで子供のような行いだ。況してやアビスの死を望むなど以ての外だろう。

 しかし──

 

 思考の渦は、ワルファリンが作業の終了を告げるまで拡大を続けた。その殆どが都合の良い言い訳ばかりで、とても外に出せたものではないが。

 

『ボクみたいな患者に拘うのは時間の無駄です』

 

 何度もその言葉が脳内を反芻した。諦めたように笑っていたアビスのことが許せなくて、やるせなくて、そして救いたくて、救えないことに気づく。

 こんな私のことを、アビスは格好いいなんて言ったのか。お前を救えない私のことを。

 

「妾が入れと言っておいた方が良いか?」

 

「いや、必要ない」

 

 ああ、なるほど。そうか。

 私は、アビスに八つ当たりしていたのか。

 私を自己嫌悪させたアビスが嫌だった。ただそれだけの理由で私はアビスに殺意さえ向けたんだ。

 

 ワルファリンが部屋を出て行った。

 立ち上がれば、体がいやに重く感じた。自分で断った手前そう思うのは嫌だが、ワルファリンに頼んでいた方が良かったのかもしれない。

 だがしかしこうも思うのだ。八つ当たりをしてしまいそれを後悔したのであれば、私はそれ以上拒絶してはいけないだろうと。後悔は次に繋げてこそ意味があるのだと、それは昔から言われていることだ。

 

 ドアを開け、一歩外に踏み出した。

 廊下の壁に寄りかかっていたアビスが私の方に顔を向けている。

 

「準備が完了した。入れ」

 

「あの……いえ、なんでもありません」

 

 私の顔は今どうなっているんだろうか。

 自己嫌悪と、それを表に出したくない感情と、そしてその自己嫌悪を前面に出してアビスのことを勢いのままに突き放したい感情。それ以外にもあると言うのに、その三つだけで既に容量はギリギリだ。

 

 触れられなかったことに安堵しつつ、私はアビスを部屋の中に入れた。

 壁にある棚の中から一つ瓶を取り、アビスに手渡した。

 

「えっと、これは何ですか?」

 

「造影剤の一種だ。今回は経口投与を行う。飲め」

 

「あ、はい」

 

 アビスが瓶の蓋を開けて一息に飲み干した。いつもはこうして聞き分けも良いのだが、何故あのような大切な所で意固地になるのか。少し不思議だと思ったが、その答えは恐らく、それが格好良いからなのだろう。

 迷惑な生き方だ。せめてもう少し待っていてくれれば、大人になっていれば、私も今のように悩むことは無かったろうに。

 

「二十分待機時間を取る。今のうちに所持している金属製品をそのカゴの中にでも入れておけ」

 

「二十分、ですか」

 

 ああ、確かに先程渡しておけばよかった。

 だがそのことに思い至ったとしても、私はきっと渡せていない。段取りを悪くさせることになろうとも、私はそれ以上にアビスから離れたかったのだから。

 

「ケルシー先生、これもダメでしょうか」

 

 アビスが手に持っていたのは私が没収しようとしている『二品』のうちの一つ──つまりは黒く輝く石が繋がれたブレスレットだ。

 黒曜石は確か流紋岩の一種だったはずだ。まあ石だと名前からしても明言されている訳だが、今から行う検査に支障が出ないとも限らない、か。

 

「念のため外しておけ」

 

「……取らないでくださいね」

 

 

 どうせお前は居なくなるだろう。

 

 

「ああ。今はまだ、な」

 

「そう、ですか」

 

 心の中だけに押し留めたつもりが、少し外に出てしまっていたようだ。アビスから目を外し、関係のないどこかへと目を滑らせる。

 奇妙な沈黙が部屋の中に居座った。微かな揺れによって生じる衣擦れの音でさえも耳に残る。

 

 少しして、アビスはまたポケットに手を入れた。

 

「これも、ですか」

 

 そう言ったアビスへと目を向ければ、アビスは私の方を向いては居なかった。問いかけではなく、ただの独り言だったのだろう。つい口を衝いて出たのだろう。

 だが、何故それなんだ。何故それを持って寂しそうな表情を浮かべている。

 

 それは、私の贈った懐中時計だろう。

 

「あ、いや、独り言ですよ。すみません」

 

 照れた様子で、恥ずかしそうにその懐中時計をカゴの中に置いた。その動作だけでもそれを大切に扱っているということが分かってしまって、辛かった。

 自己嫌悪の八つ当たりをした相手が、それでも尚自分を気遣い自分の贈り物を大事に扱うなど、皮肉以外の何者でもない。

 

 ベルトを外したアビスはとうとう全ての確認が終わったようで、私の横のスツールに座った。

 

「……」

 

「……」

 

 今度は秒針の音が部屋を満たした。

 造影剤の待機時間は五分から三十分ほど取ればいいのだが、一度の検査で終わらせるには最低二十分は取りたい。アビスとそれ以上二人で待ちたくなかった私の判断だが、それでも長過ぎる。

 時計を見た。まだ十分しか経っていない。アビスの方は私に話しかける勇気が出ないようだが、だとしても期限が来るまでに口を開くだろう。それは分かっている。

 

「アビス」

 

「は、はい」

 

「検査について話しておく」

 

 すまないが、アビス。

 私はお前と話したくないんだ。

 

「今回は造影CT検査を行う。伴うリスク、発見されると思っている病名を幾つか挙げておく」

 

 

 だから、早くどこかへ行ってくれ。




 
ロドスを立ち上げたほぼ初期からのメンバーになる子供が最近ロドスを脱退しようとして重めの過去を暴露し、
しかもそれに重なってブラッドブルード騒動とか身元調査とかプロファイル編集とか訓練室爆破事件とか重なり、
加えてその子供を救おうとして浸っていた自己陶酔が治療の拒否によって打ち砕かれ命さえも救わなくて良いと言われ、
更に更にそれによって子供に過ぎないオペレーターを嫌悪しつつあるという自分に対しての自己嫌悪が芽生えてしまったケルシーは泣いていい。
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