【仮題】感情トランスポーター 作:Gensigert
護衛依頼の任務が終わり、アビスとエイプリルはロドスへと帰ってきた。まだ寝るには早い時間帯で、食堂もギリギリ開いている。
「アビスは夜ご飯どうするの?」
「報告を終えてからですね。なので再会はまた次の依頼の時になるかと思います」
「オッケー、じゃああたしはこっち」
「ええ、さようなら」
エイプリルはロドスの食堂を小走りに目指していった。
アビスはそれを見届けると、ドクターの居る執務室──ではなく、主に手術室や研究室など医療オペレーターが使用する区画へと足を運んだ。
いつもなら挨拶をして歩いているアビスは、特に声を発さずに通路を進んでいく。だがこの付近ではそれがいつものアビスの姿だ。
アビスがこの区画に顔を出す時は、決まって挨拶をしない。
いや、しないという表現は的確でない。
できないのだ。
向かいから歩いてくるフェリーンの女性を視認すると、アビスは右手を上げた。左手は通路の壁についている。
「はぁ……またお前はアーツを使ったのか」
「少し、追い込まれて、しまったので」
「分かった、口を閉じていろ。肩を貸してやる」
ケルシーはアビスを空いている診察室へと運び込んでベッドに寝かせた。肩を貸している途中幾人かのオペレーターに見られてしまったが、それを気にしている余裕はなかった。
「アビス、今回は何人に使ったんだ。以前十人と少しに使った時はまだ自力で歩けていただろう」
「ざっと、二十や三十ほど、でした」
「私の言葉を忘れたか」
「それしか、なかったので……」
ケルシーはまたため息を吐いた。アビスの今抱えている事情を把握しているケルシーからすれば、アビスの思考回路は非合理的なものとしか映らない。
だがその根源となった事象に対してケルシーはほとんど無知だった。ただ起こったことを知っているだけで、アビスがそれをどんな状態で受け止めたのか、それをどう受け止めたのか、そんな大事な部分がごっそり抜け落ちていた。
「予定は前倒しだな。今から検査を行うとしよう」
「休む、時間は……」
「自業自得でこうなっているんだ。アビス、少しは黙って検査されてはどうだ?」
足を組んで書類を揃え始めたケルシーを止めることはできず、アビスは伸ばした左手をだらりと下ろした。
夜も深まる時間に、ケルシーは検査器具のスイッチを入れた。入職時のように戦術機動やアーツ適性などを測る必要はないため、今回アビスが受けるのは源石融合値と血液中源石密度の検査である。
アビスの腕に針を刺して、造影剤を流し込んでいく。造影剤とはX線検査の時に使用されるもので、簡単には器官をはっきり撮影するために血管に流す薬品のことだ。
台に乗せられたアビスはもう慣れたもので、全く動かずに時間が経つのを待っている。もしかしたらぐったりしているだけなのかもしれないが、まあ同じことだろう。
さて、検査の結果がケルシーの手によって記された。
「アビス、覚悟はいいか?」
「ええ、大丈夫です」
「源石融合率21%。ロドスの中では最高値だ。今も普通に活動できているのはゆっくりと鉱石病に慣れていったからで、急速にここまで上昇すれば致死は免れないだろう」
「……そう、ですか」
「血液中の源石密度はほとんど変わらず0.42だ。あまり上がっていないことを喜ぶべきか、それとも上がっていなくてもそれなりに高いことを嘆くべきか」
「……」
アビスは俯く。
膝の上に乗せた拳は強く握られていて、何かを耐えるかのように下唇を噛む。体を硬らせて、震えそうになる体をどうにか押し留めた。
「仕方のないことですね。明日からの任務に差し支えるので、もう部屋に戻ろうと思います」
薄く笑ってアビスは席を立った。そもそも診察室がこんな夜遅くに稼働していること自体おかしいのだとアビスは思う。いくらケルシーが使用者とは言え、そのケルシーに使用させたのはアビスであり、それはおかしいことなのだと。
診察室のドアを開けて外に出たところで、肩を掴まれた。言うまでもなく下手人はケルシーだった。
「ついてこい。夕食がまだだろう」
アビスは源石融合率が高く、その中でも胃の付近は相当輪郭がぼやけている。普通の人の三分の一ほどしか実質的な容量がなく、更に消化能力も低いため、アビス用に製造した圧縮ビスケットや水以外は胃に入れることができない。
当然それはケルシーも承知の上であるため、もし今の言葉が本当であるならば……
「胃の弱い感染者のサンプルとして、少し試食に付き合ってもらいたい」
「あ、ありがとうございます……!」
「いや、礼を言われることではない」
本当ならば根本的な治療をしたいものだ。ケルシーはその言葉を飲み込んで、アビスの方へと目をやった。
久しぶりに少しの塩気と仄かな甘味しか感じられないビスケットではない食事ができるのだ。いつもとは違う、年相応の笑顔で後をついてきていた。
少しだけ胸が痛んだ。
アビスはもう、半ば自身の鉱石病について諦めてしまっている。
自分は鉱石病にかかっていて、特別胃が機能を阻害されている。だからビスケットだけで毎日の食事を済ませる。
そんな普通の人が聞けば到底受け入れられない仕打ちをアビスはただ頷いてその通りに行動している。今まで一度たりとも、それを破ったことはない。あくまでも冷静に自分の現状を認めて出来る限りのことをしている。
「アビス」
「なんですか?」
「毎食、あのビスケットを食べているな?」
「はい!当たり前じゃないですか」
「そうか」
今度は強く、胸が痛んだ。
アビスが部屋へと向かい、恐らくは床に就いたと思われる頃。
ドクターは誰も居ない部屋で、端末を立ち上げていた。それはオペレーターたちのプロファイリングされたデータが保存されている端末であり、ドクターは自身の権限を以てそれを解錠していた。
「アビスは……と、これか」
ここに来た理由は、アビスのプロファイルを確認するためだった。今日の昼頃に、食堂でニェンにアビスが料理を振る舞っていたらしいと秘書だったハイビスカスから聞いたのだ。
振る舞っただけならば特段気にはならなかったが、ロドスの料理にケチをつけていたニェンが文句を言うことはなかったとなれば話は別だ。
もしかするとアビスはシデロカのような料理技能を持っていたのかもしれない。そう考えると、アビスの経歴がドクターには気になってきた。
オペレーターのプロファイルは入職時に一旦確認することが多い。その後、ケルシーが折を見てドクターの権限を強化していくのだ。
恐らく第二資料くらいまでは開示できるだろう。そんなことをドクターは考えながらアビスのデータを調べる。
プロファイルから、まずは基礎情報を出した。
【コードネーム】アビス
【性別】男
【戦闘経験】六年
【出身地】リターニア
【誕生日】4月29日
【種族】ヴイーヴル
【身長】166cm
【鉱石病感染状況】
体表に源石結晶の分布を確認。メディカルチェックの結果、感染者に認定。
「戦闘経験が六年、か……」
アビスは大凡青年と呼べる体躯をしているが、種族の寿命からしてどのくらいの年齢なのか特定は困難だろう。
アビスがヴイーヴルなのは頭に生えているツノからも大凡把握していたし、感染者なのはドクターもケルシーとの会話から知っていた。既知でなく有益な情報は、戦闘経験くらいだろう。誕生日も覚えてはおくが。
能力測定は特に知る意味がないので飛ばして、次に個人履歴を開示した。
[リターニア出身のヴイーヴルの青年。感染者として放浪していたところをロドスに保護された。短剣のアーツユニットを好んで使う以外は、特に武器の好みはない。多方面の任務で活躍している]
ドクターは少しだけ眉を顰めた。他のオペレーターの個人情報と比べて、明らかに情報が浅すぎる。
放浪していたところとは書かれているが、具体的にどこを放浪していたとか、道連れは居たのかとか、かなり曖昧だ。どんなアーツかも分からず、多方面の任務での活躍はドクターも報告書から知るところである。
少しだけ考えたが、アビスに関してはまだ知らないことが多く、深く推理するのは気が早いだろうと結論付けた。そもそも知らないことを知るためにプロファイルを覗いているのだ。
健康診断の結果を開示する。
造形検査の結果、臓器の輪郭は不明瞭で異常陰影も認められる。循環器系源石顆粒検査の結果においても、同じく鉱石病の兆候が認められる。以上の結果から、鉱石病感染者と判定。
【源石融合率】──%
【血液中源石密度】──u/L
「なんだ、これ。データを入れていないのか? いや、下にまだ何か書き込まれているな」
[源石融合率と血液中源石密度は安定しているが、アーツの過度な行使による変動が頻発している。データとしての有用性が感じられず入力は控えることとする]
ーーケルシー
ドクターは一瞬目を疑った。
ドクターは以前、鉱石病の病状はロドスの最先端技術を用いてどうにか安定させている、と医療オペレーターから聞いたことがある。
イフリータや彼女に準ずるような感染者であれば難しいとは聞いたが、余程のことでもなければ安定させることに成功していると。
だがそこまで進歩したロドスの技術でも抑えきれないのであれば、アビスはロスモンティスのような重大なデメリットをアーツの使用に抱えていることになる。それも、危険度だけ見るならロスモンティスよりも上のものを、だ。
「これは少し嫌な予感がしてきたな……」
「ほう、奇遇だな」
「おわっ、ケルシー!?」
「ああ、私も嫌な予感とやらを感じてここに来たんだ。まさか本当にドクターが何かをしているとは」
咄嗟に体で機器を隠したが、立っている場所からしてドクターの意図はケルシーに丸見えだった。ドクターもすぐに気付いて、バツが悪そうな動きで離れた。
「アビスのプロファイルか」
「少し昼の騒ぎで気になってね」
「……何かあったのか?」
「あのニェンに料理を作ったらしい。しかも全く文句を言われていなかったそうだ」
ドクターの答えに、思わずケルシーは力を入れてしまった体を弛緩させた。どうやら今日行ったアビスの検査によって少々過敏になっていたようだ。
「その程度のことか。冷や冷やさせるな、紛らわしい」
「なんだと……」
ドクターからすれば一大事である。なにせ今日も秘書を務めたハイビスカスから差し入れられた健康食によって胃の中が嵐の海のように荒れていたのだ。
食物繊維が多すぎてトイレに篭る羽目になったし、美味しい食事の大切さをケルシーに反論しようと口を開きかけた。
だがドクターはすぐに気付いた。
ケルシーはアビスが昼に騒ぎを起こしたと思ったことを、その発言が意味していると。アビスは利発な好青年で、少なくとも騒ぎを起こすようには考えられない。ワルファリンより落ち着いている。
いや、大抵のオペレーターがワルファリンよりは落ち着いているのだが。
プロファイルを作成するのはドクターよりケルシーが主体となっている。資料を確認するよりもケルシーに聞いた方が早いだろう。
ドクターはそう判断して、アビスについて聞きたい内容を頭の中で整理した。色々聞きたいことはあるのだが、やはりその中でも一番は……
「アビスのアーツって何なんだ?」
ドクターの口をついて出た言葉が、ケルシーの動きを一瞬止めた。大きい代償があることは分かったが、それならばアビスのアーツはかなり強力であると推察される。
サリアなどの使い手に依存したアーツもあるが、アビスがアーツ学の授業ではそこまで奮わなかったということを執務室で既に確認している。ならばロスモンティスやブレイズのように、観測できる事象は割合単純なアーツなのだろう。
「アビスの扱うアーツは、かなり特殊だ。多くのオペレーターのように物理現象を引き起こすものではない」
「だからこその反動ってことか?」
「いや、それが強力な訳ではない。ただ……」
勿体振るようなケルシーの様子にドクターは首を傾げた。苦々しそうな顔からして、ドクターに伝えることというよりはアビスについて言及することを躊躇っているようだった。
「……いつかは分かることだ。どうしても知りたければアビスに聞くといい」
ケルシーはドクターに背を向け、ドクターが声をかける間も無く足早に入り口のドアを開ける。
「答えが分かるとは、思わないがな」
閉められたドアが音を立てた。
一人、取り残されたドクターが端末に目を向ける。
さっきまでと同じ一人きりの状況だが、ケルシーの言葉が嫌な予感を増幅させている。
[アーツの過度な行使による──]
少し息を吐いて、端末の電源を切った。
もう資料を漁る気にはなれなかった。