【仮題】感情トランスポーター 作:Gensigert
数日間に渡る任務が終了し、ロドスに数十の影が搭乗していく。
多くのオペレーターが航空輸送で帰投してきたものの、その中にはロドスの地上にある搭乗口を利用して乗り込んでくるオペレーターも存在する。
その搭乗口付近にて、アビスは角からそっと顔を出した。
「やっと着いたわね。あんたはこれからどうすんの?」
「これメンテに出して、あとは色々」
ぞろぞろと艦内に乗り込んでくる作戦を終えたオペレーターたちの中、ライサとWは二人で話しながらその波に流されていた。アビスの居る場所には声こそ届かないものの、あの刺々しかったライサの態度が改善されていることは理解できた。
「あんたの色々って何?」
「まあ、こう、音声の確認とか画質の確認とか」
「……程々にしときなさいよ」
「大丈夫。アビスなら許してくれる」
「そういう問題じゃないのよね」
Wはライサより良識がある。少なくともWの心酔していた彼女さえ関わらなければ、それは正解だった。
ライサとWの様子を覗いていたアビスが顔を元に戻した。
「それなら、今はいいか」
「何がいいんだって?」
ひょい、とドクターがアビスが覗いていた角から顔を出した。特段驚いた様子もないアビスの隣に回り込み、向こう側から見えない方の隣に凭れて立った。
「執務室に向かわなくていいんですか?」
「オペレーターとのコミュニケーションも仕事のうちだからな。今度遊びにでも行かないか?経費で落ちるぞ?」
「遠慮しておきます」
「けっ、真面目くんめ」
「ワルファリンと共謀した件は忘れていませんからね。サリアさんでも呼びましょうか」
「マジすんません勘弁してください……って、ワルファリンはさん付けじゃないのか?」
「付けるだけ無駄でしょう」
「あっ、はい」
思っていたよりもアビスが辛辣だった。ドクターは自分の評価がどうなっているのか気になったが、ワルファリンのような扱いをされたら立ち直れないかもしれないのでやめておいた。
だがアビスにそれを聞いたとしてもそこまでショックを受ける内容が返ってくることはないだろう。戦術指揮官としてのドクターが優秀であることはアビスも認めている。
ケルシーの評価は、聞けば立ち直れないだろう。
「それで、こんなところで何してたんだ?」
「何でもありませんよ」
「ラーヤちゃんの方を見てたような気がするけど?」
「……あの、その呼び方は?」
「ラーヤちゃんのことか?」
「気持ち悪いって言われませんでしたか?」
「言われたけど何か???」
ドクターは両手を広げて戯けてみせた。一筋の涙はバイザーに隠れて見えず、アビスの目にダメージを受けつつやり過ごしてみせた。
理由もなくそう呼んだ訳ではない。全てどうでも良さそうに振る舞うライサの態度を軟化させようとどうにか繰り出した呼び名だった。消費した素材は勇気と評価だ。
「で、ラーヤちゃんを見てたろ?何か用があったんじゃないのか?」
「いえ、用がある訳では。ただ少し話す時間を取ろうと思っていたので、また後でコンタクトを取ることにします」
「告白でもするのか?」
「似たようなことをします」
「えっ」
アビスから視線を外していたドクターが勢いよくアビスの方を向いた。悠然としているアビスを見ると、それが本気なのか嘘なのか一層分からなくなる。
「告白、とは少し違いますが」
「そ、そりゃそうだよな」
「はい」
あはは、あはは。未だ動揺の渦中に居るドクターの声が虚しく響く。少し話していただけだが、オペレーターたちはもう搭乗口付近から居なくなっていたようだ。響いたドクターの声に反応はなかった。
「……さて、アビス。用事がある訳じゃないんだろ?執務室に着くまで話し相手になってくれよ」
「構いませんが、態々口に出すようなことでしょうか?」
「そりゃ確認は大事だからな」
ドクターが先導するように前を歩き、アビスはそれについていく。搭乗口は暫く使われないのか、付近の施設からも音が聞こえることはなかった。
「最近どうだ、アビス」
「最近ですか……」
『私はお前が嫌いだ』
『あ、と、で、せっ、きょ、う、ね』
『何もかもが誤っている。お前には大切な人など居ない』
「……」
「えっ、なにその顔。どしたん話聞くよ?」
特段傷つくような言葉ではない。フロストリーフの言葉に至っては感謝すらすべき状況での言葉だろう。だが思わず渋い顔をしてしまう程度には、客観的に見たその状況は酷いと言わざるを得ない。
それもそうだろう、医者に嫌われ、感情が重い後輩に威圧され、初対面の同僚に怒鳴られたのだから。
「何でもありません。ただ、考えることが多くて参りそうなんですよ」
「考えることって、鉱石病か?」
「それはどうでもいいんです」
「でもドクターストップされたんだろ?」
「ケルシー先生の過保護は今に始まった事ではありません。今回も、事態は重いと思ってらっしゃるようですが、そこまででもないんですよ」
「そこまででもない、ねぇ……」
ドクターの脳裏に過るのはとあるサルカズ。執務室にまで押しかけてきた彼女は、アビスのように事態を軽く見ていただろうか?
執務室へと徐々に近づき、ちらほらとオペレーターや職員の姿が見えてくる。中には通路を小走りで移動している忙しない者も居る。確かロドスが保護した感染者の対応を担当している職員だったか。
ドクターの目が、再度アビスの方を向いた。小さく笑顔を浮かべながら通路を行く職員に挨拶している。愛想笑いができるくらいには余裕を持っている。
だがそのアビスこそ、ロドスの手厚い治療を受けているにも拘らず未だ悪化の一途を辿っている感染者の一人だ。そこまでは知らないにしても、ドクターは感染状況を現在下働き中のブラッドブルードから聞いている。それがどれほど危険であるのかも、知っているつもりだった。
「アビスって戦場で死にたいとか思っちゃう系?」
「何ですかそれ」
「いや、この前サルカズの傭兵と話す機会があってさ」
「Wはそんなことを宣う人ですか?」
「宣うってお前……Wじゃない。男」
「存じ上げませんね」
最近開国したばかりのアビスの情報網は無いに等しい。すれ違った人に挨拶はしても、その相手の名前を覚えていないことの方が多い。医療オペレーターの方では最近になってようやく挨拶が馴染んできたようだ。
「その人がどんなことを考えていらっしゃるのかは知りませんが、ボクにそんなつもりはありませんよ」
「じゃあなんで訓練ばっかりやってるんだ?」
「力が必要だからです。自分の意思を貫くには力が必要で、ボクの目的はその例に漏れず強さを要求しています」
「目的」
「えぇ、まあ。どうしても気になることがありまして」
「それって、レユニオンのことか?」
アビスの足が止まった。ニコニコと、アビスの顔は不自然なほどその表情を変化させない。ドクターがそれをなぜ知っているのかと全力で頭を回している訳だが、当然そのソースは一つに限られている。
「Wですか」
「ああ。確か
「……そこまで話したんですね、
控えめに言っても薔薇の棘より鋭かった。アビスの背後に赤黒いオーラが見えそうなくらいにはWに対して怒っていたが、今ここでそうしても仕方がない。
一つため息を吐いたアビスは眉間を揉み、それが終わる頃には怒気もすっかり消えていた。
「少なくとも直接確認する必要があって、それはとても大事なことなんです。ボクの人生はそれほど長くもありませんが、だからこそ一つ一つがボクを構成する大きな要素となっています」
「本当にやらなきゃいけないのか」
「はい。それが終わるまでは、ボクもそう易々と鉱石病にやられる訳にいきません」
見えないはずのドクターと目があったような気がした。アビスの数歩先に立つドクターが何を考えているか全く分からない。
もしドクターがアンデッドに関してのことを知っていなければ、アビスは何も言うつもりなどなかった。だがWから情報を入手されているとなれば、邪魔されない可能性が一番高いのはこうして自分の口から説明することだった。
Wには後で釘を刺しておくつもりだ。
「なるほどな」
ドクターはまた執務室の方へと歩き始めた。頭の後ろで手を組み、いつもと変わらない態度でアビスの言葉を受け止めた。
アビスはそのドクターをじっと見つめている。ドクターが軽薄なのは知っているし、そしてその一方で真面目に事を考えられる人だということも知っているからだ。
「ケルシーは?」
「反対されました」
「だろうな」
足音が止んだ。ドクターはアビスの方に振り向き、何でもないような仕草で言い放った。
「よし、俺は協力することにしよう。お前にとってそんなに大事だって言うなら、反対できる立場じゃない」
「いいんですか?」
「ケルシーのことなら、まあな。医者の立場なら反対しなきゃいけないこともあるんだろ。だけどそのケルシーと違って俺はお前の医者じゃないんだ。そんな責任はないんだから、応援してもいいだろ?」
「それは、ありがとうございます」
「礼なんていいって。ケルシーも頭固いよな」
「正直そう思うことはよくあります」
「やっぱりそうか。そういえばあの時も──」
「この間のことなんですが──」
アビスとドクターは、足並みを揃えて執務室へと向かって行った。それは果たしてドクターが協力する姿勢を見せたことが理由なのか、それともケルシーの悪口で盛り上がったことが原因か。
真相は二人の秘密ということだろう。
ドクターを送った後、アビスは庭園へと足を運んでいた。搭乗口にまで足を運んだ当初の目的を果たすため、つまりはライサの影を探してフロストリーフと話をした場所まで戻っていた。
庭園に入れば、いつものように暖かく、また微かに花の香りが漂ってくる。入口から見渡してみれば、近くのベンチに座っている人を見つけることができた。
「こんにちは、えっと……」
「今はナイトメアよ」
「ナイトメアさんでしたか。それではナイトメアさん、寛いでいる所を申し訳ありませんが、ラーヤの姿を見ませんでしたか?」
「見たかもしれないし、見てないかもしれないわ」
「分かりました、見ていないということで」
「ちょっと待ちなさい」
一瞬の躊躇いもなく背を向けたアビスの襟を、ベンチに膝立ちになって掴む。アビスは実のところライサ以上にナイトメアの扱いを心得ていた。
何しろアビスにはこれといった弱点を不用意に晒すことがなく、頓着しない性格であるためナイトメアのような掌握したい人種からすれば非常に接しにくいタイプの人間であるからだ。
「私は否定してないはずよね?」
「ですが肯定もしていません。もし本当に見かけていたのでしたらそれとなく餌を提示するのではないですか?」
「たった一回の問答で餌を提示するなんて無茶じゃない」
「ではもう一度聞きましょう」
アビスの襟から離した手をベンチの背凭れにつく。
「ラーヤを見かけましたか?」
「少し前にコータスの娘を見かけたかもしれないわね」
どうにかこうにか取り戻した余裕をふんだんに用いて、ナイトメアはどこか不安にさせる怪しげな笑みを浮かべてそう言った。
胡散臭い。アビスが感じたのはその一点だった。
「ご協力感謝します。それでは」
「ちょっと待ちなさいっ!ああもう、まさかついた手を五秒で離さなきゃいけないなんて考えもしなかったわよ……」
「まだ何かあるんですか」
「まだ何も言ってないじゃない!」
「見たんですか、見てないんですか」
「そんなの見──た、かもしれない、わね……?」
「見てないでしょう」
「うっ」
見てないのに思わせぶりな態度を取ろうとするからですよ。アビスにそう言われたナイトメアがぷいっとあらぬ方向に顔を向ける。
目的の見えないナイトメアの嘘をアビスは訝しんだが、内実ライサのことを手玉に取って遊んでいる。恐らくはその対象に自分もなってしまったのだろう、と納得した。
「はぁ……それじゃあボクはラーヤを探しに行きますので、見つけたら声を──いや、何もしなくて結構です」
「そんなに信用ないのかしら、私って」
「いいえ。ただ、そういうことをする人ではないでしょう?術師としては信用していますよ、ラヴァさん並に」
「予備隊の子じゃない……」
「いえ、そういう意図では」
「はいはいそうね。分かったわ、もう行っていいわよ」
「そうですね。また会いましょう」
「ええ、また」
アビスが去って行く。ライサの行きそうな場所と言えば後はどこかと思案しながら歩いているため、もう気付くことはないだろう。
近くの木に隠れていたライサが出てきても、もう気づきはしないだろう。ナイトメアが声をかけると、複雑そうな顔をしながらライサはベンチに座った。
「私の演技はどうだったかしら?」
自信たっぷりにナイトメアがそう言うと、ライサはまるで見栄っ張りな子供でも見るような目をして疑わしいと口に出す。
「あれ演技だったの?」
「あら、まさか私がそう簡単にペースを崩されるような人だと思ってるのかしら?心外ねぇ、こんなに頑張ってるのに」
「……ありがと」
「ええ、どういたしまして」
アビスの言う通り、情報を持っている場合はその断片で釣ることなどナイトメアには容易いだろう。だが情報を持っていない場合でも、ある程度上手くやることは出来る。少なくともアビスを騙くらかす程度は難なくやり遂げられる。
実際ナイトメアが見ていないと嘘を吐いたとしても、アビスがすぐに帰る可能性はかなり低かった。ナイトメアのリアリティを出す手腕をライサやアビスは真似できないだろう。
ナイトメアが隣に座るライサとの距離を詰める。
「それで、何があったのかしら?私に全部教えて頂戴」
「いや、別に何でもないから」
「本当?」
「ノーコメント」
適当な返答をするライサに、しかしナイトメアの余裕は崩れない。
「何も無いのよね?」
「だからそう言ってるじゃん」
「それならアビスは何故あなたを探してたんでしょうね」
「ぎくっ」
「ぎくっ……?」
ナイトメアは素で首を傾げた。冷や汗を滝のように流しながら視線を外すライサにはミスリードの可能性さえ浮かぶが、しかしながら今はライサがアビスから隠れるという非常事態であり、それに比べれば自然と言えた。
「もしかして汗の匂いでも気にしてるのかしら?」
「いや、全然」
「そうよね、あなたの体臭もここでは花の香りに掻き消されるもの」
「ちょっと待ってそんなに臭いの?」
「さあ、どうかしら」
「もし嘘だったらその指噛みちぎるから」
「えっ?」
ライサは懐から取り出した香水を一吹きさせると、端末を弄り始めた。「冗談よね?」と問いかけるナイトメアに一言も返さず、特に何の表情も浮かべないまま操作している。
勿論ライサの言葉は冗談だ。ああ、ナイトメアの言葉が真実であったなら冗談で済んでいただろう。それに指を噛みちぎっては後処理が色々と面倒だし、口の中が汚くなる。ライサがナイトメアの指を噛みちぎること
「血抜き……処理……へえ、人の体って簡単に溶けるんだ」
「ラーヤ、私が悪かったわ。だから私の殺害計画を立てるのはやめなさい。アビスも悲しむわよ」
「アビスはきっと分かってくれる」
ぐるん、とライサの頭が回転して視線が合う。少しばかり方向性や種類は違うものの、Wと同じ括りに入れても問題ないのではないだろうか。狂信者という括りに。
中々ライサの感情は振れ幅が大きいようだ。真顔で噛みちぎるなどという冗談を言ったり殺害計画を立てたり。いや、感情の振れ幅が大きいというよりただ危ない人ではなかろうか。
「それで、本当はどうして避けてるのよ?」
「えっ、いや、何でもないから」
「そんな訳がないでしょう。別に私はあなたを匿っている必要なんてないのよ?ただ、突き出して理由が聞けなかったら面白くないからって理由だけ、あとは暇潰しね」
「悪趣味フェリーン、グロリアさんの付属品」
「何とでも言うがいいわ」
「いつか殺す」
「フフフ、そんなに睨んでも何も出ないわよ?」
「……どうしても話さなきゃダメ?」
「ダメ」
「だよねー」
ライサがカラカラと笑う。その笑顔は自分の感情をどうにか紛らわせるための虚しい努力だった。ナイトメアはそれに気付いていたが、それを指摘するほど畜生ではなかった。
「あのさ、あの……いやでも……」
暗転している端末の画面に自分の顔が映っている。気恥ずかしくて口元がもにょもにょと動いている。
横を見た。ナイトメアは凄く良い顔でライサを見ていた。
「アビスが、私に告白するって、聞いたの……」
「………………へえ?」
「いや本当に盗み聞きするつもりはなかったんだけど、ほら私ってコータスじゃん?だからこう、どうしても気になっちゃって」
「ええ、そうね」
「だってアビスとドクターが私のことを話してたんだよ?っていうかアビスが私のことを見てたって言うんだよ?そんなの聞くしかなくない?」
「そうかもしれないわ」
「それに最近引きこもってたし迷惑かけちゃったしなんかイースチナとのこととかもあるしで不安だったの。アビスに嫌われてなくても悪口とか言われてたら八つ当たりで庭園を燃やしてたかもしれない」
「そうよね──ちょっと待って今何て言ったのかしら」
「Wには冷やかされるし、ちょっと汗臭いかなっていうのは私でも気になってて……」
「それは謝っておくわ。だから庭園に手を出す必要はないじゃない。ねえ、聞いてるのかしら?流石に私もここは気に入ってるのよ?ねえ?」
「ねえナイトメア、私はどうすればいいの?」
「話を聞きなさい」
「分かってる、アビスの言葉はちゃんと受け止めるつもり」
「……庭園じゃない場所で話しなさい」
「それに何の意味があるの?」
「心の安寧が保証されるわ」
「分かった」
「あとは言うことなんて何も無いわ。あなたがアビスをどう思ってるかぶつけるだけよ。だから、早く庭園を出て会いに行くべきよ」
「……そっか。そうだよね」
「ええ。ほら、さっさと行きなさい」
「でも、あの、この気恥ずかしさってどうすればなくなるの?それだけ教えてもらったら行けそうな気がする」
「そんなのどうでもいいわよ!アビスのことでも考えれば解決するんじゃないかしら!!早く庭園から出て行きなさい!」
「オッケー、行ってくる。ありがと!」
「はあ……ラナに話して出入り禁止にするべきかしら」