【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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四十三 Frost and Blast

 

 

 通路に響く荒い息遣い。

 膝についた手がずり落ちそうになって、それを直すついでに額の汗を拭った。

 

「はぁ、はぁ……流石にここまで来れば……」

 

「こちらに居ましたか」

 

「きゃああああああっ!!」

 

 イースチナは咄嗟にアーツを発動させた。隙間なく張り巡らされた氷の粒がそれぞれ結合し、それが一枚の分厚い壁を作り上げ、アビスの姿を視界から消し去ることに成功する。

 だがそれも数瞬経てば崩れる音が向こう側から聞こえてくる。アビスが丁寧に剥がし、壊し、抉っていく音がイースチナの居る通路にも響いてくる。

 

 本を抱き、帽子が落ちないよう手で押さえながら疾走する。後ろからすぐに聞こえてきた大きな破砕音は、即ち作り出した障壁が耐久を全て削り切られたということだろう。

 後ろにまた同じような壁を何度も作る。一応数分もすれば消えるような、無理矢理に作り出した氷の壁だが、それだけあればアビスに壊される方が先だろう。

 

 友人の恋した相手は化け物だった。鉱石病が重症だろうが関係ないと言わんばかりに、素手でアーツを打ち砕いてくるヴイーヴルだった。もうアレは身体能力に長けたウルサスの域にすらも収まるか怪しい。有鱗目とは斯くも恐ろしいのか。

 イースチナはとっ散らかった思考を振り払うと、突然に立ち立ち止まり振り返った。

 

 思考の隙間に僅かな違和感が入り込んでいた。

 

「おかしい、ですね。何故音が……」

 

 聞こえないのか。そう言おうとしたその時、イースチナは力の限り前に、走ってきた通路の方に飛んだ。

 そしてそのおかげで、イースチナの右手を狙っていたアビスの手が空振った。

 

「壁を壊されてもそこから来るとは限らないですよ」

 

「普通はそこから来ますからっ!」

 

 右手を突き出して放った氷の旋風がアビスの体を吹き飛ば──さない。アビスを巻き込んだ旋風は、竜巻のような形で氷結する。所々突き出ている氷柱は通路の壁や床、天井にへばりついて固定され、中に捕らえられた者は普通なら凍死を免れないだろう。

 

 びきっ。ばきばきっ。

 

 通路と接していた部分から嫌な音がした。もう終わりにしなければ、何かの弾みに殺されるかもしれない。イースチナは半ば本気でそう恐怖して、本を持っていない右手を前に突き出した。

 アーツユニットを兼任している重厚なボリシェヴィキの本が淡い光を帯び、今までのものよりずっと綺麗な氷の礫が空に散らばっていく。その中には全体が透き通っているものと水色に固まっているものの二つが混在していた。

 それぞれが一つ一つ規則性を持って運動し、そしてぶつかることなく端から次々と氷の竜巻に向かっていく。

 

「これで、終わってくださいねっ!」

 

 透き通るような氷が着弾した瞬間に急激な温度の低下が引き起こされ、その暴風に脆くなっていた竜巻の氷像が完全な崩壊を遂げる。だがそれも一瞬のみで、次いで飛び込んでいった水色の氷が冷やされた空気から更に熱を奪い、空気が固体を象った。

 

 氷点下200℃を下回る空気は更なる強風を生み出し、それはアーツで冷気を自分に近づけまいとしていたイースチナに対しても平等だった。

 地面に常識的な温度の氷の柵を作り、それに掴まって(しの)ごうとする。だが、その程度で止まるような空気の凝固ではない。真空が突風を以てイースチナの体を浮かせる。イースチナの制御を離れた氷の礫は次々と空気を固め、風が勢いを増していく。

 

 恐怖に思考を絡め取られていた。

 このままだと自滅する。

 

 炎のアーツを準備し、力を込めた。氷のアーツほど素養はなくとも、同じ熱を扱うアーツだ。それを制御する自信はあった。

 そしてそれを手の中で作り出し──不発に終わった。

 

「どう、して……あっ!」

 

 馬鹿なことをした。自分が一番得意なアーツで限界まで冷やした空気だ。少し熱を与えたくらいで炎を生み出せる訳がなかった。射程がないことも相俟って、焼け石に水だ。真逆の喩えではあるが。

 

 柵の根元にヒビが入る。それを補強しようと焦ったせいでアーツユニットの本を取り落とした。その本にぶつかった、最後から三番目ほどの礫が暴発し、連鎖的に全てが爆発する。

 自分を冷気から守っていたのはアーツだ。本を失くした今、イースチナにそれを行使する術など無い。足先から急激に冷えていくのを感じる。本当に液体にすらなっていないただの空気なのかと疑うほど、自分を死へと誘う風は冷たかった。実際そのあたりでも氷点下20℃は確実に下回っている。イースチナの体は既に凍傷が出来そうなくらいに冷やされていた。

 

「くっ、うぅ……」

 

 両手で柵に掴まっても、柵の強度が変わらなければ結局意味がない。そして柵を補強できるアーツは、アーツユニット無しでは使えない。

 

 そんな絶体絶命のイースチナに、一つ幻が見えた。

 

「こんなものをボクに撃っていたんですか……?」

 

 壁に手をついて自分の方に歩いてくるアビスの幻覚だった。幻聴も併発しているあたり、自分が死の淵まで追い詰められているということを自覚した。

 あの化け物も、自滅するほどのアーツを使えば殺すことができたということだろうか。先んじて死んだアビスが自分を迎えに来たのだろう。だとすればアビスも地獄行きなのか。そんな失礼なことをイースチナは考え、そこで柵が耐えきれなくなった。

 

「な、にして、るんです、かぁっ!」

 

「きゃあっ!?」

 

 アビスが突然床に伏せたかと思えば、四足歩行を始めた。歩行と言うには些か跳躍の面が強かったが、サバンナに生息する動物のような動きでアビスは通路を駆け、イースチナの手を取った。

 

「な、えっ、何を……!?」

 

「指を床に刺してるんです!ケルシー先生に怒られる時はイースチナさんも一緒ですからね!」

 

「化け物……」

 

「こんなアーツを使う方が化け物でしょう!馬鹿みたいに痛いし寒いですよ、ボクはアーツが使えませんから!」

 

 いつになく刺々しく、イースチナの手を引いてアビスが固体の空気から離れていく。イースチナもアーツが使えないためにアビスと同じかそれ以上に寒いのだが、それを指摘する余裕はイースチナにはなかった。

 

「しっかり掴まっててくださいね!」

 

「……分かってます」

 

 繋いでいた手を離し、胴の前に手を回す。

 アビスの体は驚くくらい冷たくなっていて、イースチナは心の中で一言、ごめんなさいと謝った。

 

 

 

 

 固体から液体となった空気が、更に少しずつ大気に溶け戻っていく。それを壁際に座って遠目に見ていたアビスが隣に座るイースチナへと視線を移した。

 

「それで、どうしてボクを殺そうと思ったんですか」

 

「いえ、その……怖かったので」

 

「怖かった?どこがですか?」

 

「追われていましたし……」

 

 ビキッ。アビスの額に血管が浮き出た。逃げ出したのはイースチナで、それを追うのはあの状況では当たり前だろう。そう思ったからだった。

 

「あの、世間的にダメだとは思いますが、実際問題一発くらいは殴っても許されますか?許されますよね?」

 

「他ならできますが、その、流石にそれは死にます」

 

「それさっきも言ってましたけど、ボクは化け物なんかじゃありませんよ!?サリアさんやエリートオペレーターさん各位の方が余程強いですから!」

 

「ではあなたが私を全力で殴った場合、私が生き残る確率はどのくらいあるのでしょうか」

 

「……五はあると思います」

 

「殺さないでください」

 

「全力では殴りませんよ。それに頭も殴りません」

 

「……全力なら頭を殴っていたのですか?」

 

「だって全力なんでしょう?」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

 アーツで作り出される理外の現象には、大抵の場合防御が意味を成さない。だから避けられやすい頭部や脚部を狙わず、胴を狙うのが一番だ。ゴースト兵などもそうでなければ撃ち抜けない。

 遠距離の中でも狙撃オペレーターならまた違ったのかもしれないが、生憎とイースチナは補助オペレーター。アビスの言っていることをよく理解できなかった。

 

「手加減にも色々ありますよ。全力ならしっかり構えて頭を狙いますが、適当ならその場でスピード重視の蹴りでも入れて済ませます」

 

「その蹴りを頭に入れた場合、私が死なない確率はどのくらいでしょうか」

 

「三十はあると思いますよ」

 

「……殺さないでください」

 

「いや、流石にそれはやりませんよ。生き残っても後遺症が残るでしょうし、少なくとも五十を下回るような一撃はしません」

 

「殺さないでください」

 

「少なくとも、ですよ!?大丈夫です、やるとしたら確実に死なない攻撃ですから!ギャグ的描写無しだと三ヶ月くらいベッドで過ごせば寛解しますから!」

 

「全治三ヶ月、ですか」

 

「あと、冗談ですからね?それくらい怒ってることを伝えたかっただけですからね?」

 

「こ、殺さないでください」

 

「振り出しに戻った!?」

 

 ウルサスと言うとかなり身体的に優れた種族だが、それにも個人差が存在する。しかしながら、だとしても、かつてこれまで怯えたウルサスの戦闘員が居ただろうか。

 

「……ふぅ、落ち着きました。殺す気はないんですね?」

 

「当然です」

 

「でしたら、まずは一つ」

 

 イースチナが深く頭を下げた。

 

「すみませんでした。謝って許されるようなことではありませんでしたが、しかし謝るべきことではありますので、ここに謝罪させていただきます」

 

「はい、全くその通りですね」

 

「ですが実際アビスさんなら生き残るとも思っていましたので、こう、信頼させたあなたにも少しの責任が……」

 

「はあ?」

 

「すみませんでした、ジョークです」

 

「ああ、そうですか」

 

 眉一つ動かさずジョークと言ってのけるイースチナに顔を顰める。アビスが認めていればそのまま進めたのではないだろうかと思える肝の太さだった。

 ちなみに本当は、テンパって変なことを言ってしまい内心震え上がっている子熊の発言だった。そのポーカーフェイスも顔面の表現許容量を超えてしまったからである。

 

「さて、今後の処分ですが。まずアビスさんが私を全治三ヶ月にした後、ズィマーと戦闘になるということでよろしいですか」

 

「全部間違ってますしズィマーさんは誰なんですか」

 

「私の仲間です」

 

「友情を見せる場面ならもっと選んだほうがいいですよ」

 

「それもそうですね」

 

 イースチナは軌道修正できたことに心の中でほっとする。アビスからすればそんな二つの意味でクールな無表情オペレーターは不気味でしかなかったのだが。

 ついさっきまで怯えていた姿は何だったのか。アビスがじっとイースチナの目を見つめ続けると、それに気づいた向こうは不機嫌そうな顔で睨んできた。

 

「……もういいや。なんかそっちの方が前のイースチナさんっぽくていいと思うよ、ボクは」

 

 実際のところは感情表現許容量をオーバーした後も膨らみ続けた感情が歪な形で現れただけだった。アビスの言っていることもよく分からない。よく分からないが、なんとなく弛緩した雰囲気から悪くなっていることはないように思えた。

 

「それで、どうしてボクから逃げたんですか」

 

「どうしてだと思いますか?」

 

「……Wに何か言われたから、ですか?」

 

「正解です。しかし、それに含まれたニュアンスは違いますね」

 

「はっ?」

 

「私はアビスさんのことを言われて、アビスさんから逃げたのではありません。もっと別のことです」

 

「何ですか、それ」

 

「私も言われるまでは気付きませんでした。しかしそれは今までの行動が証明していたことでもあるんです」

 

「だからそれは何だって聞いてるんですよ」

 

「分かりませんか?」

 

 イースチナは今度こそ、本当の無表情でアビスと目を合わせた。

 

「仕方ありませんか」

 

 イースチナは本を開き、集中する。

 

 イースチナの手に小さく作られた複数の氷の粒。小指の爪ほどの大きさもないそれらが通路の向こうへと飛んでいき、しばらくすると聞き慣れた悲鳴が聞こえてきた。

 それはよく聞いていたもので、しかしここ最近聞いていなかった声でもあった。

 

「ラーヤ?」

 

「おや、よくお分かりで」

 

「いだっ、いだだだだっ!何すんじゃこらー!!」

 

「……ラーヤ?」

 

 こんなことを言う人だったろうか。アビスの周りでは多くの場合怒ることをしないかマジギレなのかの二択であるため、少しふざけたようなライサの文句はどこか新鮮に思えた。

 横道から声が近づいてきて、最終的に氷の粒に追い立てられたライサはアビスの目に捉えられた。

 

「ラーヤ、久しぶり」

 

「……あー、うん。おひさ」

 

 ライサは一度だけ目を合わせたきり、視線を他へやった。それはそれはアビスがWとイチャついていた(ライサ視点)時のような低いテンションで、アビスは首を傾げた。

 

「ラーヤ?どうかした?」

 

「いやなんでもないけど……痛っ!?イースチナ!」

 

「はあ、何ですか」

 

「いやこの粒が……ぐはぁっ!」

 

「何ですか」

 

「えっ、ほんとなんで怒ってんの……?」

 

「……何でもありませんよ。自己嫌悪です」

 

「何でもないって言った後に答え言ってんじゃん。っていうか自己嫌悪に私を巻き込まないでくれる!?」

 

 へえ、とアビスは意外そうに二人を見ていた。イースチナに個室へと連れ込まれた時から、イースチナがラーヤに懐いたのだろうと無意識に考えてしまっていたが、どうやらそういう訳ではなかったらしい。

 

「それで、ラーヤはどうしてこんな所に……」

 

「それアビスに関係ある?」

 

「えっ、と」

 

「それにこんな所に居るのはアビスたちも一緒じゃん。なんで私だけ居ちゃいけないの?」

 

「そこまでは言ってないけど」

 

「そう言ってたでしょ」

 

「ストップです、ラーヤ」

 

「……りょーかい」

 

 ぷいっ、と向こうを向いて、ライサは腰を下ろした。アビスの隣の隣、つまり一番離れた場所だった。

 何が起こっているのか、そして何が起こったのか。色々と気にはなったが、どうやら今のアビスは距離を置かれているようだった。イースチナにアイコンタクトしてライサのことを聞くよう合図する。

 

 しかしそれに対してイースチナは盛大に眉を顰め、何言ってんだコイツとでも言いそうな顔を向けた。

 

「イースチナ」

 

「はい?」

 

「あの氷は一体全体何だったの」

 

「羊飼いの気分になれました」

 

「あたしは(コータス)で、(キャプリニー)じゃない」

 

「そういうことを言った訳ではありませんが」

 

「私も、そういうことを言った訳じゃない」

 

「……ふふふ」

 

「な、何がおかしい」

 

「いいえ、ただ、少し」

 

 イースチナの頭に少し前の記憶が蘇る。

 

「アビスさんとの会話を思い出しまして」

 

 芝居染みた動作で慄いていたライサの体が一瞬だけ固まり、すぐに力が抜けた。構えられていた腕は無気力さを示すように横の床についている。

 

「そう。私もWとそんな会話をした覚えがあるかな」

 

 ライサは笑った。口角を上げることが笑うということなら、紛れもなくライサは笑っていた。

 だがそれは見ている人に喜びを伝播させるようなものではなく、その真逆の効果しか持っていなさそうなものだったが。

 

「そうだ、ラーヤ。任務お疲れ様。Wとの任務だったようだけど、上手くいった?」

 

「別に、普通」

 

 とうとう視線すら寄越さなくなったライサ。思春期の高等部女子学生が父親に投げつけるような言葉をアビスに言い放つと、先程まで自分の頭を小突いていた氷を指で弾いた。

 それが照れ隠しなのか、手慰みなのか、それとも物に当たっているだけなのか。たった三つの選択肢も、今のアビスには正解が分からなかった。

 

 今までアビスはライサから目を逸らしてきた。

 自分の大切な存在は過去にしか居ないなどと妄言を宣い、いっそ盲目的なまでに自分を慕うライサを遠ざけてきた。

 

 だから分からない。

 何も分かってやることができない。

 

 

 一方、二人に挟まれたイースチナは酷くげんなりした表情で本を開いた。

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