【仮題】感情トランスポーター 作:Gensigert
「よし、揃ったか。それでは始めよう」
最後に入室し椅子に座ったドクターを確認して、ツノの無いサルカズが壇上に立った。何が起こるのかと周りを見回してみたが、ドクターの他は医療オペレーターが多く、その誰しもが真剣な顔をして座っている。
恐らくは鉱石病に関する何かなのだろう。そうドクターは結論付けて、椅子へと座り直した。
だが直後に二度見した。何故かハイビスカスの隣にラヴァが座っていた。ラヴァからハイビスカスに近寄ることはあまり考えられないので、ラヴァ自身も呼ばれているのだろう。
もう少し見渡してみれば、術師オペレーターの姿もどうやら多いのだと分かった。
「諸君。今回集まってもらったのは、実は医療に関することではない。もし気が乗らなければ席を立ってもらっても構わない」
ドクターはワルファリンの方に思いっきり振り向いた。
本当に医療じゃないのかよ、そんなツッコミをワルファリンに放とうとしたが、視界に入ってきた真剣な顔に思わず毒気を抜かれる。
「だが!研究者として、非常に興味深いテーマであることは保証しよう。ケルシー先生による罰則を容認できるほどのものであると!」
罰則あるのかよ。ドクターがそう心中でまたツッコミを入れて、席を立つことを決意した。正直言って鉱石病に無関係な分野に顔を出してケルシーに怒られるなんて余裕は存在しない。
今だってあの小さい最高責任者が書類の束を持ってドクターを探しているのかもしれないのだから、それもまた優先事項だ。付き合ってられない。
だがそんなドクターが腰を上げようとした時、ラヴァの声が室内に響いた。
「待ってくれ、アタシはなんで呼ばれたんだ?そこもちゃんと説明してくれよ」
「ちょっとラヴァちゃん、ワルファリンさんはちゃんと意味があってラヴァちゃんを呼んでるの。ちょっとだけ、もう少しだけ静かにしていて」
「……ふんっ」
ハイビスカスは大凡の見当がついているのだろう。
ラヴァからしてもワルファリンが優秀な医師であることは知っているし、ロドスの医療オペレーターの中でも異色な存在である。聞いておく余地はある。
でもなんか採血された後の血の行方が怖かったりするのでラヴァはワルファリンが苦手だった。奇行で中々有名なので、目をつけられたくないと思ったのだ。
「ふむ……確かにラヴァの発言は尤もであろう。妾たちは時間を無駄にはできない、鉱石病と毎日奮闘しておるのだからな。ならばやはりさっさと本題に入るとするか」
ドクターは話を聞くか、それとも仕事に戻るか悩んだ。脳裏に書類の束とそれを机にどんどん追加するコータスの姿。
迷いなく、ドクターは深く椅子に座り直した。もうワルファリンの馬鹿騒ぎを息抜きとして見物しよう。そう決めた。
ワルファリンが壇上の机から何かを取り出して掲げる。
それは仮面越しには少し見にくかったが、どうやらアーツロッドらしいことがドクターにも分かった。
「これが何かわからぬ者は居らぬな?」
普段使っている輸血パックの付いたものでない以上、アーツユニットであることを示しているのだろう。後ろの席に座っているオペレーターに対して示すかのように、ワルファリンが軽くヒーリングアーツを自分にかけた。
「深刻な感染者は除くが、このアーツユニットを使用しなければ普通、大規模なアーツの行使が不可能となっておる。これは当然周知の事実であろう」
アーツロッドを壇上の机に置き、次にワルファリンは天井に取り付けられていたプロジェクターの電源を入れて横に逸れる。
白いスクリーンにパッと表示された人物は、ドクターも昨夜調べていた人物。つまりアビスに他ならなかった。
「知らない者はいるか? この男は、いや青年はコードネームをアビスとしている。中々どうして青年らしい名前だな」
「ワルファリン、もしかしてアビスのことが主題なのか?」
ドクターの問いにワルファリンは首肯した。
マズい。かなりマズい。
一昨晩のケルシーの様子から察するに、アビスの個人情報に触れるのは恐らくタブーだ。ドクターは彼のアーツに関して無知であるが、無知であることが正しいのだと、あのケルシーの様子からそれを知った。
やはりワルファリンを止めるべきだろう。アビスの情報が本人の許諾無しに流れるのは許されることではない。
しかし続いたワルファリンの発言にドクターは呆然として、その制止せんと開かれた口からは声が出なかった。
「みな驚くだろうが、アビスの源石融合率は21%、血液中源石密度も0.42u/Lと高く、ロドスの中でもトップクラスに病状の進んだ感染者だ」
ケルシーがプロファイルにデータを入力しなかったのは、まさかこれを秘匿するためなのか?ドクターの脳裏には、あのプロファイルに追記されていたケルシーの文言が映し出された。
アーツ行使によって感染が進行するのであれば、アビスは中々病状の進んだ感染者だろう。
そうは思っていたが、まさかイフリータよりも高い融合率を持つとは思わなかった。
後ろで椅子の倒れる音が聞こえた。
見れば、ラヴァが興奮した様子で立ち上がっている。
「おい、待てよ。そんな数値はありえない」
「そうか?」
「アビスは体のどこにも源石なんか出てない。どう考えてもどっかで間違えてるに決まってる」
「残念だが、これは一昨晩に行われたケルシー先生による検査の結果だ。偶然資料を見つけ、そこの記入者名を確認するまでは、妾も嘘だろうと思っていた」
「ケルシー先生が、って……いや、でも……」
「嘘ではない。そしてこれは秘匿されていた情報だ。そうだろう、諸君。アビスがこのような状態であることを知っていた者がいるのか?」
誰も手を挙げられない。
「隠匿されていた事実こそが裏付ける証拠ではないか?」
ワルファリンは返事を必要としない。
これはまだワルファリンの主張であって、会議ではない。更に付け加えれば、主張の中でも前提とされる前知識として流布しているに過ぎない。
プロジェクターと同期させているらしい端末をタップして、スクリーンに映っていたアビスの写真が消える。
代わりに現れたのは、何かの表のようだった。一番上は5と0.19から始まっていて、下は21と0.42……つまりは、時系列順に並べられたアビスの検査結果だった。
だがどうやら間の時間をかなり空けているらしく、所々の数値がかなり大きく変動している。
ドクターがまた嫌な予感を感じ取った。
もし、ドクターの懸念が真実となるならば、あれは……
「注目していただきたい点はここだ。12%から14%へと一気に上がっておるな?」
嫌な予感がはっきりとドクターを襲い、今すぐに耳を塞いで席を立ちたくなった。だが、嫌な予感の実態を掴むことからずっと逃げることはできないだろう。いつかは追い詰められるはずだ。
覚悟を決めたドクターを、ワルファリンの言葉が殴りつけた。
「この間には二日しか存在しない。任務先でアーツを行使した結果が、この2%もの増加というわけだ。恐らくはその時アーツロッドを偶然所持していなかったのだろうが、それを鑑みても、異常だな」
「んなバカな……」
ラヴァの呟きが聞こえてきて、ドクターもそう言いたい衝動に駆られた。世迷言だろうと一蹴してしまいたかった。
だが既にプロファイルからそのような情報を得てしまっている。ケルシーの様子を見てしまっている。ドクターには否定する要素は見つからず、肯定する記憶しか持っていなかった。
なんとか、質問を絞り出す。
「なあ、ワルファリン。この検査結果はどうやって見つけたんだ?」
「一昨日の夜にケルシー先生が診察室からアビスと共に出てくるのを見かけて、そのログを遡っただけだ」
「どうしてそんなことを?」
「アビスとは、妾も昔からの付き合いである故な……ああ見えてもそれなりに古株であるのだぞ?」
また新情報が増えた。ドクターは頭を抱えたくなるのを抑えてどうにかワルファリンに真偽を問いたが、どうやら設立してからすぐの拡充にて引き入れられたオペレーターらしい。
「それに彼奴の血は中々に甘露……っとと、概要は飲み込めたか?妾が言いたいのは、ここまで源石の進行を助長させるアーツはどれほどのものなのか、ということだ」
ワルファリンがまた端末をタップした。
「妾が昨日行った聞き込みの結果、アビスと共闘し、更にはアーツを見たという狙撃オペレーターを見つけることができた。彼女の言では、『何が起きたか分からなかった』そうだ」
何が起きたのか分からない、という言葉から連想されるのはニェンやシーの扱う不思議な術だった。だが彼女らとは違って、アビスが使ったのはオリジニウムアーツだろう。
アビスがアーツを使ったことは一つ前に映っていた画像が雄弁に語っていて、それが嘘であればいいのにと願ってしまうのは、ドクター自身には止められそうになかった。
「だがその後探しても他にアビスのアーツを知るオペレーターは見つけられず、アビスのアーツは一度見た程度では理解することが難しい、ということしか判明していない」
「ハッ、そんなの調査が甘かっただけじゃねぇの?」
詰る声が投げかけられて、ドクターはワルファリンと共に声のした方向へと顔を向けた。
だがその顔は両者の間で大きく違って、ワルファリンは口をへの字に曲げて面倒そうで、ドクターは目玉が飛び出すほど驚いていた。
「なあドクター、お前は知ってんのか?」
ありえない。
ありえないはずだった。
「ガヴィル、静かにできるようになったのか……」
「お前アタシのコト何だと思ってんだよ!!」
今まで気づかないほど静かにしていたガヴィルの存在をなんとか飲み込み、答えを捻り出す。
「いや、悪い……アーツに関しては俺も知らない。全く、なんのヒントも持ってないな」
そしてドクターはガヴィルからドヤ顔のワルファリンへと目線を移した。
「あとワルファリン、丁度いいから忠告しておく」
「なんだ?」
「アビスはやめておいた方がいいかもしれない。ケルシーがデータを隠匿したなら、それに比してなお劣らない理由があったはずだ。俺もそれを少なからず感じたことがある」
忠告するドクターに、ワルファリンが腕を組んで思案気にした。アーツロッドを指先で弄り、「ふむふむ……」と声を漏らしながら壇上を練り歩いている。
真剣な面持ちでドクターは答えを待ち……遂にワルファリンが納得した様子で口を開いた。
「そなた、もしかしてチキっておるのか?」
ドクターはプッツンした。必ず、かの浅薄な医療オペレーターに教えてやらねばならぬと決意した。ドクターには記憶がない。石棺から目覚め、CEOにこき使われてきた。けれども自身を侮る浅慮たる発言に対しては、人一倍敏感であった。
「はあ!? チキってねえし! おうおう上等じゃねえかよ、ケルシーの落とす雷なんて俺一人で十分だからなぁ! 戦術指揮官としては一応安全な道を用意したけど、俺からすれば茨の道こそがむしろ丁度いいっていうか!? 余裕すぎてマジつまんねぇっていうか!?」
「ああ、そうだな。ではチクるのか?」
「チクる訳ねえし!」
「ふむ。そなたはそうだと妾は分かっておったぞ」
どうやらワルファリンは自身の過ちを認められたようだ。そう分かれば、ドクターがそれ以上舌鋒を発揮することはない。なぜならドクターは煽られても矛を抑えることのできる大人であるからだ。
「ドクター、お前マジかよ……」
ガヴィルに引かれたが、ドクターは侮られることが許せないだけなのだ。ちょっと傷ついたが許容範囲であろう。
「ハイビス、アタシはそろそろロドスから抜けた方がいいじゃないかと思えてきたんだが」
「えっ、どうして?」
「今の見てたろ?」
「……?」
「よし、今度頭の医者に連れてってやるよ」
「本当? ラヴァちゃんありが──頭の医者?」
ガヴィルとラヴァの猛攻によって、ロドスの戦術指揮官であるドクターの心はボロボロになった。
ドクターの弁舌はワルファリンから侮られてしまう事態は避けられたが、他のオペレーターからの信頼度はかなり下がってしまったようだった。ドクターは仮面の下で泣いた。
さて、そんなドクターを他所に、ワルファリンはその語りを更に熱くさせる。
「源石病に侵されながらも行使され、果てにはその命さえをも削る強大なアーツをほとんど漏らさず秘匿し続けたアビス! ドクターさえも把握できず、任務に一人で赴いてはほとんど無傷で帰ってくるその秘密を、そなたらは知りたくはないか!」
「だが、ワルファリン。どうやって……」
「経口睡眠薬を使用するつもりだったが」
「!?」
「アビスは料理に造詣が深いと聞く。粉末状のものを溶かしても最悪見抜かれるであろう」
「いやそこまでは化け物じゃないと思うんだが」
「注射麻酔薬か、物理的な拉致の二案でいこうと思う」
「マジでか」
ドクターは少しだけ、止めなかったことを後悔した。
「麻酔は五人分程度のものを用意してある」
「もう、この子ほんとバカ……」
ドクターは止めなかったことを深く後悔した。