【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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フロストノヴァは生きていますが、原作に沿って書くことは恐らくありません。
チェルノボーグはともかく、龍門のストーリーを追うのはかなり難しそうなので。


五十四 複雑化する事情

 

 

 

 

 

「リラに会ったって……どうやったの?法は犯してないよね?」

 

「全くの偶然ですよ。それにどうやったら法律を無視した程度で探し出せるんですか」

 

「じゃあ他のことを無視したら探せるの?」

 

「知らなくても良いのではないですか?」

 

 迷惑とか後腐れとかを考えなければやり方は幾らでもある。たとえばミーシャさんの件で昔近衛局がそうしたように、ボクがオペレーターの肩書きを悪用すれば捕まえられる。感染者じゃないから、丁重に扱うことだって出来る。

 他にも情報屋にリークしてもらうとか、龍門のネットでリラさんの目撃情報に賞金をかけるだとか。探偵を雇ってもいいし、お金をかけないなら情報屋のバーに只管入り浸ることでも解決できると思う。

 

「ごめん、聞いたのナシにして」

 

「そこまで犯罪でもありませんよ。付き纏ってることにはなりますが、リラは暗殺対象ではなく、どちらかと言えば護衛対象ですから」

 

「リラ?()()は?距離が縮まったってこと?」

 

「ああ、いえ。今のはリラの方です」

 

「文脈からじゃ読み取れなかったけど、つまりそれくらい似てるってこと?」

 

「瓜二つ、合わせ鏡、そういった表現で差し支えがない程です。リラを知っていれば知っているほど、リラさんのことをリラだと思うでしょう」

 

 くどいようだけど、何度だって言う。リラさんはリラと寸分違わず一致している。だからリラを見る目がリラさんにまで及んでしまう。

 そんなことある訳がないって思うのが自然でも、ボクからすればリラさんの存在はむしろ嬉しかった。否定したくなかった。

 もしリラさんがロドスに来たなら、その時はあの思い出を話したい。きっと迷惑になるだろうから、精一杯頭を下げてお願いしよう。

 

「……()()、かぁ」

 

 エイプリルさんがボクの方を向いた。

 

「もしかしたらこれを言うのは初めてかな。あたしのことはエイプリルでいいよ、それに敬語も要らないから」

 

「そうですね、前向きに検討させていただきます」

 

「絶対ダメじゃん」

 

 まあ、今のところ敬語を使っていないのはWを除外するとラユーシャとフロストリーフだけですからね。さん付けに限ればワルファリンも──あれ?ドクターもそうだ。いつからだったか覚えてないけど、まあこの二人も入る。

 エイプリルさんをラユーシャと同列に扱うのは……いや、でも距離感としてはまだ足りないと思う。あってもドクターと同列のところかな。フロストリーフは、打ち解けた結果って訳じゃないんだよね。

 

「で、どこでそんな卑怯な言い方を覚えてきたの?」

 

「ドクターがアーミヤさんからの契約履行命令に対して返した言葉ですよ」

 

「契約履行命令……『働いてください』ってこと?」

 

「まあ、そんな感じです」

 

 

 ドクターが指示してようやく作り上げた基地の見回りから帰ってきて、椅子に座りドクターが一息つく。するとアーミヤさんが入室して、腕いっぱいに抱えた書類の山を机の上に置いたんだ。

 

『ドクター、そろそろ基地の運営にも慣れてきたと思うので、そろそろ書類に取り掛かりましょうか』

 

 ドクターは助け舟を求めるようにボクと他数人のオペレーターに視線を移した。ボク以外のみんなが視線を逸らして、少し不思議だったのを覚えている。

 そうしてドクターの口から出たのが、あのセリフだった。

 

 

「あの頃のアーミヤさんは、まだそこまで鬼でもなかったのですが」

 

 今ではあの数倍を持ってきて朝から缶詰状態だし、ドクターにはドクター自身の執務能力と合わせて憐れまざるを得ない。

 うん、今度ドクターの執務能力を底上げする訓練でもしてみようかな。まずは速読から。

 

「アビスの方が鬼って聞くけど」

 

「誰が言っていましたか、そんな戯言を」

 

「貿易所で、執務室に居たはずのドクター」

 

「またあの人は……」

 

 サボるのか陰口を言うのか、せめてどっちかにしてください。最近は薄まっていた頭痛がまたぶり返してきたように鈍痛を響かせる。

 

「ボクは少し協調性がないだけですよ、エイプリル」

 

「そういう問題じゃ──うん?」

 

「どうかしましたか?」

 

「あれ、聞き間違いかな。呼び捨てで呼んでくれたと思ったんだけど」

 

「はい、緩い言葉で話すのはまだ少し気が引けますが、呼び捨てならいいかなと思いまして」

 

「ふうん、なんでそう思ったの?」

 

「ドクターを呼び捨てで呼んでいたことに気が付いたんです」

 

「あ、うん。……えっとごめん、アビスの中であたしってどこに位置してるの?」

 

 エイプリルさん──じゃなくて、エイプリルが口をへの字に曲げてそう言った。確かに、この前ボクはラユーシャと同列に語ったからドクターと比べるのはおかしいと思ったんだろう。

 じゃあもう一度よく考えてみよう。エイプリルはボクにとってどんな人なのか。

 まずは、割と親密で、それでどこかリラと重なるところのあるってところかな。これだけでもかなりエイプリルは特別なのかもしれないって思う。

 第一印象だとかはそこまでない。アーミヤさんと同じようなもので、最初はただの『狙撃オペレーター』としか認識してなかった。

 一緒に任務へ行った(よし)みで慰めに行って拒絶されて、脱退騒ぎでハイビスカスさんに呼ばれて……あと爆笑してた。それは覚えてる。

 

 それでシーさんと三人でよく話すようになった。そのくらいからかな、ただの同僚から友人だとかそのあたりにボクの中で認識が変わったのは。

 いや、でもリラと重なったあの時はかなり動揺した。同僚って括りからは割合早く抜け出していたのかもしれない。

 

 今は、どうなんだろう。

 エイプリルについて、実はよく知らない。

 たとえばボクの過去は話したけど、エイプリルの過去をボクは知らない。ただ前から弓をやっていたことをちらっと聞いたくらいか。ハンター?って言葉も耳に挟んだ。でもそれだけだ。

 知識として見るならただの同僚程度、付き合いで見るなら友人程度、ボクの中では一応ラユーシャと同じくらい注目してる人。

 

「エイプリルは……どこ、でしょうか……」

 

「オッケー、戻ってきて。別に正確な回答は求めてなかったから。ただの知り合いって言われたら凹んでたけど」

 

 深く沈んでいた思考を引っ張り上げると、エイプリルは苦笑しながら手をひらひらと振った。

 

「それで、アビス。今日はどうするの?」

 

「いえ、まずは近衛局とどうなったかを聞いておきたいのですが」

 

「あー、えっとね。昨日は割と進んだよ。ホシグマさんって知ってる?レユニオンとのことでロドスと顔を合わせる機会もあったそうだけど」

 

「存じ上げています」

 

 確か青緑色の髪をした鬼族の方だったはず。ボクが龍門にロドス陣営として乗り込んだ時はほぼ誰とも話さなかったから相手の記憶には全く残ってないだろうけど、一応は直接見たことがある。

 

「それで、その人が主軸になってやってくれたんだ。今のところは警戒中、幹部の情報が入り次第あたしたちに連絡する、って言ってたよ」

 

「他には何かありませんでしたか?」

 

「他は……あ、そういえば」

 

 エイプリルがポンと手を打った。

 

「近衛局はレユニオンの規模を疑ってるみたい。以前行われた近衛局主導の殲滅作戦では、細々とした敵は出てきても目撃されていた大勢のレユニオンは出てこなかったから。ホシグマさんは言及してなかったけど、重盾衛士の人がそう言ってるの聞いちゃって」

 

 そう言ってエイプリルが自分の耳に手を当てる。盗み聞きなら本来はあまり誉められた行為じゃないけど、でもそんな重要な情報を聞いたなら大手柄だ。

 

「ホシグマさんではどうにもならない上からの指令で、レユニオンに割ける局員の数が減るかもしれませんね。面子を立てるためにはそう選ばない手段だとは思いますが……最悪ボクたちだけで事に対処する運びとなるやもしれません」

 

 まあボクにとっては最悪と言うより理想的な状況なんですが。近衛局が手を引くなら、その分影響力も低下する。つまりボクやエイプリルが手速く調査してその情報を纏めていれば、その分だけ亡灵(アンデッド)を横取りされる可能性は低くなる。

 アンデッドの手柄はロドスが貰い受ける。そのついでにボクはボク自身の目的も果たす。

 

 唯一気がかりなのは、近衛局に疎まれる可能性。余計な軋轢がかかるとなればドクターの方針が変わる可能性もあるし、そうなればボクとエイプリルは問答無用で引き戻される。

 時間だけが勝負。

 

「アンデッドは確かに居ます。さっさと、決着をつけるべきでしょう」

 

 これがボクに残った、最後の負債だ。

 

「ねえ、アビスって……」

 

「何ですか?」

 

「……ううん、何でもない。頑張ろうね」

 

「ええ、もちろん」

 

 これで、近衛局についてはもういいかな。積極的に動かないなら情報屋と密にしていた方が関係性とか考える必要もないし、連携を取る旨味だってない。

 

 さて、話を戻そう。

 

「今日の予定ですが、新しいプレーヤーを買いに行きましょう」

 

「うん。……うん?予定に入れてるの?」

 

「ドクターはこう仰せられました。『オペレーターとのコミュニケーションも仕事のうちだからな。今度遊びにでも行かないか?経費で落ちるぞ?』」

 

「ドクターの威厳のために最初の一文で終わらせてあげなよ、絶対その方がいいって」

 

「最初の一文だけでは本当にドクターが言ったものか分かりはしないでしょう」

 

「まあ、うん。それはそうだけど」

 

 どちらかと言えばアーミヤさんのセリフになるような気がする。ドクターは仕事で人付き合いをしているようには思えないから。その点アーミヤさんは、全部が全部本気ではないだろうけど、ボクとの付き合いは仕事だって仰っていた。

 まあ、好かれる覚えもないから当然だけど。

 

「いつ出発しようか?」

 

「準備が出来たら訪ねてきてください。ボクの方は時間がかかりませんから、何か適当なことをして待っていることにしますよ」

 

「分かった、それじゃあたしはそろそろ朝ご飯食べてくるね」

 

「はい、それではまた後で」

 

 エイプリルさんがドアから出て行く。

 適当なこととは言ったけど、何をして待とうかな。

 

 

 

 

『ってな訳でラユーシャは抑えた。そっちの首尾はどうだ?』

 

 ドクターの声が室内に響く。エイプリルは今頃朝から出される濃い味付けの料理に少し食欲を削がれているだろう。

 アビスは椅子に腰掛け、スピーカーから流れるドクターの声に答える。

 

「レユニオンと一度交戦しましたが、アンデッドの姿は確認できませんでした。しかし異常な点も多く、その存在は確定していると言って良いかと思われます」

 

『そうか、それは順調で喜ばしい限りだ。だけどな、アビス。今回の任務が終わればお前の身柄はケルシーが何としてでも確保しに動くだろう』

 

「分かっています」

 

『決着をつける。ああ、それもいい。だがそれだけじゃなくてだな、観光だってしておいた方がいいんだ。ロドスの窓から見える景色だけじゃ、物足りないだろ?』

 

「ええ、そうかもしれません。今日のところは満喫させていただきますよ」

 

『ああ、そうしとけ。……ところで話は変わるんだが、アビス』

 

「何ですか?」

 

『この流れてる曲って、名前とか分かるか?』

 

「ええ、存じています」

 

『教えてくれないか?』

 

「ああ、それなら……」

 

 アビスの声が事務的なそれに変わる。

 

「嫌です。ご自分でお探しください」

 

 アビスの返答に、ドクターが向こう側で一瞬言葉に詰まった。アビスの茶目くらいなら笑って流すことも出来そうなものだが、どうしたことだろうか。

 アビスは気づかず、音楽に耳を傾けている。感情の発露はなく、ただドクターの仮面が一瞬だけ剥がれそうになっただけのことだ。

 

『なんだよ、なんでダメなんだ?』

 

 顔を合わせていれば、もしかするとバレていたかもしれない。だが相対しているのは通話越しという情報に制限のかかる状況だったことが幸いした。

 

「いずれ、自然な形でドクターも知ることになりますよ。その時を楽しみに待ってみてはいかがでしょう?」

 

 その返答にドクターは胸を撫で下ろした。

 小さな悪戯はあったが、アビスとエイプリルの距離はそこまで近づいている訳でもないと知ったからだ。

 

 ドクターはその曲名が『エイプリル』だということを察している。だがそれを敢えて聞いたのは、アビスが現在エイプリルと過ごしたことで変化が見られるかどうかを観察するためのものだった。

 ドクターの計画は進行中だ。もしエイプリルが想定以上にアビスとの距離を縮めていたのであれば、その抜本的見直しが必要となる。

 

「そういえば、エイプリルとの仲はどうなんだ?」

 

 まあ大丈夫だろう、と送り出した質問だった。

 

「エイプリルとは、まあ上手くやれているのではないでしょうか。少なくとも険悪ではありませんし、任務に支障はありません」

 

『へえ。呼び方、変わったんだな』

 

「エイプリルに頼まれて、ボクもそれくらいならと思いまして」

 

『へえ、そうなのか』

 

 ドクターの生返事にアビスが首を傾げる。

 ドクターはまさか二度も仮面を剥がされそうになるとは思ってもみなかったために執務室の中を静かに駆けずり回っている。焦り過ぎだった。声に出さないところは一流だが。

 

「報告は以上になります。書類業務から逃げずに頑張ってくださいね」

 

『はいはい、じゃあな』

 

 プツ、と通話が切れた。

 顔を合わせていなくて本当によかった。アビスの方にドクターの動揺や焦燥が伝わることはなく、至って普通の風を装うことが出来た。

 

 

「……っはぁ!!はぁ、はぁ……ぐぅっ……!」

 

 

 そして、それはドクターのみに終わらない。痛苦を抑えつけていたアビスもまた、その制限に助けられていた。

 激痛がアビスの腹部、そして背部をも貫いて響き続ける。

 声色を無理矢理いつも通りにするのは慣れていた。オーバーフローした感情が頭を苛んでいるのと、腹痛に身悶えしているのと、どちらがより辛いかと問われればやはり前者が圧倒的で、その程度アビスには児戯に等しい。

 

 しかし今回の症状はそれに留まらなかった。

 

 脂汗が額に浮かび、アビスはサイドテーブルの上に放られた手拭いとバッグを手繰り寄せる。

 額をタオルで撫でた後、バッグから出した中身のない水筒を口元にあてがえば、源石に傷ついた胃から酸が逆流する。

 

「ぅおえぇ……ぐっ、がぁ……!」

 

 内臓が抉剔(けってき)されたような痛みが一層強い信号となってアビスの脳に送られる。警鐘が打ち鳴らされ、視界内の光量が目まぐるしく変動し、黒と白に塗りつぶされた世界がアビスの前に映し出される。

 

「ああ、ぁ、これは……ダメかもしれないな」

 

 アビスがアーツを使うまでもなく痛覚が遮断された。感じ取った信号は今まで経験したことのない動きを示している。

 神経が焼き切れそうだとは思わない。焼き切れるのは神経ではなく自分の意識の方だと理解したからだ。

 

 正常な反応を返さなくなっていく部分が増える。アビスが理解できる神経の反応は全体の僅か一部分でしかないのだが、そうして今思考できているのは無理矢理信号を巡らせているためであり、それは一時の処置に過ぎない。

 

 やりたくはなかったが、やるしかない。

 

 奥歯を噛み締めてアビスが覚悟を決める。

 本腰を入れてアーツを使うことにするが、それは鉱石病が進む最悪の選択肢で、もしかするとそちらの原因で意識を失う可能性すらある、良くて痛み分けの馬鹿らしい行為だ。

 

 どれだけ負担が減るのかは分からなかったが、アビスは内ポケットにある短剣をどうにか抜き取って、それに力を込める。

 射出することはなくあくまで自分の体の中で完結させるため本当にただの気休めでしかなかったが、アーツの安定した発動には役立つだろう。

 

 そうして信号を乗っ取ったアビスの脳には、オーバーフローしていた信号がアーツの力を乗せてより強く叩き込まれた。

 処理を終えたと認識したそばからその信号だけを消してアーツで再度送り込む。視界が明滅し、ロクな信号を受け取れなくなった左手がだらりと垂れて痙攣し始めた。

 

「がぁっ!ぐぅ、がああああ───ッ!!」

 

 痛みがようやく感じ取れるようになった。休みなく働いてきた脳は本来の仕事を再開し、復旧した部分はアビスのアーツによる補助を受けてどうにか業務を執り行うことに成功する。

 実際のところアビスがしたことは知覚神経を乱暴に出社させたくらいで、他が復帰したのはアーツによる反動で引き起こされた局所的な麻痺が偶然良い方向に転がったというだけのことだ。

 

 アーツの出力を弱めて、痛覚の大きさを調節する。脳の感じていた余りにも大きい信号はそれでようやくそれで堪えきれる範囲に収まった。

 いつのまにかアビスの体は床に転がっていて、倒れている椅子や床に落ちて中身をばら撒いているバッグがようやくアビスの目に捉えられる。それをかき集める余裕はない。椅子だけを元に戻して、アビスは倒れるように腰を下ろした。

 

 エイプリルが来るまでには回復していなければならない。

 アビスは痛む体を放置して、その瞼を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「らっしゃい、初めて見る顔だな」

 

「ああ、そうだろう。長い間スラムに住んではいるが、ここの利用は今日が初めてだからな」

 

 痩せていてまるで生気の感じられない襤褸(ぼろ)切れのような男が、閑古鳥の鳴くバーのカウンター席に腰を下ろした。

 

「頼みたいことがある」

 

 マスターは目を細くしてカウンターに置かれたものを見る。どこから盗んできたのか、それとも奪ってきたのか。くしゃくしゃになっている汚れた紙幣がそれなりの量置かれていた。

 

「金で売る商品は棚に並んでる。ここは店で、対価は俺が決めたものを支払え」

 

「何か情報を売ってほしい訳じゃない。言っただろう、頼みたいことがあるんだ」

 

 そう言う男の目は真剣で、それを見てしまうと少しは手伝ってやろうかという気持ちが──そんな気持ちはなかったものの、マスターの興味は確かに引かれた。

 元より客も他にいない、がらんどうの店内だ。早々に追い出すくらいなら暇潰し代わりに話を聞いてやってもいい。マスターはそう考えて、男に氷水を出してやる。

 

「用件だけは聞こう。この龍門幣を受け取るかはその後で判断する。いいな?」

 

「勿論だ」

 

 普段なら相談料として多少預かるのもいいが、今は別だ。初顔の客は丁寧に扱った方がいいだろうし、更にこの男はそこそこの龍門幣を無闇矢鱈と使わず、恐らく貯めてすらいる。

 果たしてスラムに同じことを出来る人間が何人居るのか。

 

「まずは、この写真を見てくれ」

 

「これは……近衛局前か?」

 

「そうだ。それで、このコータスに見覚えはないか?」

 

 男が指差した先に居るのは、アビスの『付添人』として顔を見せたエイプリルだった。

 その写真は昨日エイプリルが近衛局を訪問した際に撮影されたのだろう、その横顔からは何かしら考え事をしているように見える。

 だからこそ、写真を撮られてしまっても気付かなかったのだろうが。

 

「俺がここを訪ねたのは他でもない、シルヴェスター周りを嗅ぎ回ってるらしいこのコータスが()()()()()で近衛局に入っていったからだ」

 

「……なるほどな。お前も、ああ、そうか」

 

「使い方は指定しない。だが、俺たちにとって最良の結果にしてほしい」

 

「まあ、な。俺も他人事じゃない。最善は尽くすさ」

 

 マスターが龍門幣を何枚か摘み上げ、残りは要らないと押しやった。男は『付添人』から何かを察知し動いたが、しかしマスターはそれに勘付くことなく情報を提供してしまっていて、それはつまり少しばかりの贖罪だった。

 

「朗報を期待している」

 

 男はニヤリと笑った後、押しやられた龍門幣を回収することなく席を立った。

 

「はぁ、クソッ。料金分の働きはしてやる」

 

「……精々、上手くやれ」

 

 その客は笑った。

 だがマスターは、その顔を見て笑顔だと認識してはいなかっただろう。

 

 自分のためだけに動く。それは誰にでも平等にはたらく、この世界のルールとも言えるものだった。

 

 

 

 

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