【仮題】感情トランスポーター 作:Gensigert
ホテルの一室。小さく纏められた荷物は一時的にベッドの上へと追いやられ、何も置かれていないテーブルを挟んで二人が向かい合っていた。
「一度整理しましょうか」
「お願い」
窓の外は既に暗い。アビスとエイプリルの関係性を知らない者からすれば誤解を招きそうなものだが、果たして二人はどう考えているのか。少なくともアビスの頭の中にそのような考えがなかったことだけは確かだろう。
龍門に来てからの二人の行動は総合してその誤解を補強しているように思える。そんな甘い関係では断じてないが、時として真実が影の中に隠れることはありうるものだ。いや、決まってるというほどでもない訳ではあるのだが。
傍らに置かれた四つの茶杯から一つを取って飲む。青茶と呼ばれる赤褐色のお茶が小さく甘味を主張する。既に中身がなくなっている茶杯は二つ、二人が一つずつ飲んだ結果であった。
三つ目の茶杯が空になったところで、アビスは聞いた情報の整理を終えた。所々穴が空いてはいるが、十分な情報は集まっているだろう。茶杯のように、一切のヒビもない推理をするには、色々と欠けるものが多かった。
「先日の午前中、業務の合間を縫ってシルヴェスターさんは本社から出かけていきました。特筆すべき荷物は持っておらず、交通手段が徒歩だったのはその健康志向が関係しているかと思われます」
「特筆すべき荷物は持ってない……荷物はなかった、もしくはごく小さいものだった。そういう認識でいいんだよね?」
「はい。そしてその荷物ですが、直前にあのザラックの男──シュエンに話している内容から、ボクたちへの手紙だったと推測できます」
言いながら、件の手紙を机の上に置く。シュエンはまだ入社から一年も経っていない社員だったようで、社長自ら気にかけていたようだ。
バリバリの経営家であるシルヴェスターから業務について教わることはなかっただろうが、シュエンは心からその配慮を嬉しく思っていたらしい。
確かに、シュエンはかなり庇護欲を唆られる見た目をしていた。ロドスに在留するショウもそうだが、何故動作があれほどまでせかせかしているのか。見上げていると首が痛くはならないのか。あと、ちゃんと食べているのだろうか。不安になる。
「また、シルヴェスターさんはスラムに入っていったとされています。手紙の配達をトランスポーターに依頼した後のことでしょう」
「そのスラムで、心臓麻痺を起こして倒れたんだよね」
「はい」
彼がスラム街に入っていった理由は分からないが、慈善事業でもしていたのではないだろうか。護衛任務中こそかなり乱心していたが、事前の打ち合わせでは物腰穏やかな老紳士に間違いなかった。
慈善事業の下見にスラムまで足を運ぶというのはかなりの行動力を必要とするだろうが、でなければ経営者として大成することもないのではなかろうか。もしそれが無関係だったとしても、シルヴェスターがそういう性分だったのだろうと納得出来る理由であることに変わりはない。
ここまで収集した情報の中に、特段引っかかりを覚えるようなものはアビスには見つけられなかった。
一つを除いて。
「心臓麻痺、それが目下一番に不審な点でしょう」
「本当に健康だったならなるわけがないもんね」
「それも、ただ歩いているだけで死ぬようでは理不尽が過ぎるというものでしょう。……何か他の要因があったと考える方が自然です」
そう言ったアビスの顔は、まるで龍門中に張り巡らされた立体道路のように複雑だった。
元より、アビスはそこまで頭が良い方ではない。ロドスで最低限の教養は身につけているが、それでも中等部を卒業する程度のレベルだ。戦闘に関する知識や諸国の言語には慣れ親しんでいるが、それもほぼ独学だ。
だからこのような腕っ節でなんとか出来ない厄介事は領分にない。感情に直結していない分、感覚的な推量も不可能だ。むしろエイプリルの方が長けているだろう。顰められた顔からもそれは窺えるというものだ。
「まずは、それが本当に疑わしいものなのかってことを証言してもらうのが良いよね。明日はシュエン以外の職員から話を聞きたいかな」
「他に客観的な立場からの証言としましては……葬儀屋でしょうか。ご遺体を見る機会があったはずですから、それについて伺いましょう」
特段異論はないという風にエイプリルが頷いた。
龍門滞在におけるアビスの狙いは『
エイプリルはアビスの裏が存在することに勘付いてこそいるが、この件に関してはドクターとアビスに巻き込まれただけだ。アンデッドのことは名前くらいしか知らない。
アビスが今シルヴェスターの真実解明について介入を始めたのは、その騒動が長引くと思っているからだ。余りにもアンデッドについての情報が不足している今、アビスに出来ることは受け手側に回ることしか出来ない。
だからアビスの目指す理想は、アンデッドの引き起こした事件にロドスのオペレーターとして解決に当たる、という構図だ。事件が起こる可能性は今のところ分からないが、報告に挙がってから何日も経つ。そろそろ何か行動してもいい頃合いだろう、もしかすると既に行動しているかもしれない。
そんな訳で、アビスはシルヴェスターの死について全力で事に当たったとしても、アンデッドが事件を起こすまでの時間は稼ぐことが出来ると考えていた。だから、こうしてエイプリルと同じ様に真剣な態度で解明に臨んでいる。
くどくど並べ連ねたが、言いたいところはつまり、アビスが真相の追求に手を抜くことはない、ということだけだ。
エイプリルが二つ目の茶杯──アビスのものを含めると四つ目──を手に取り、口に流し込んだ。
「……やっぱりこれ、美味しいね。何て言うお茶なの?」
「
そう言って、アビスもまた新しい茶杯を口に当てて傾ける。鉄観音茶も広い分類で言うと烏龍茶に属しているが、アビスの発言も一概に間違っているとは言えない。
たとえばはさみ将棋は将棋から派生して生まれた遊びではあるものの、将棋とは言えない。青茶の分類はそれでさえ将棋の一部だと位置付けるような広い区分である、つまりはそういうことだ。
「もしかしなくても、アビスって炎国に詳しい?」
「以前に何度か訪れたことがあるというだけのことです。昔の話ですよ」
「昔の話って……アビスが?」
エイプリルが目前の子供を胡散臭そうに見る。18くらいの若造が使う昔という言葉は少なからず違和感を覚えさせるものだった。
「ロドスに加入する前のことです。そして、リラと別れた後の話です」
「へえ、その頃は何をやってたの?」
「特には何もしていませんでしたよ。リラを亡くしてから、そんなすぐに立ち直ることができたと思いますか?」
エイプリルは、過去について話した後のアビスを思い出した。希薄な存在感と、異様なまでに線が細く感じたあのアビスは、現在向かいに座っているヴイーヴルと似ても似つかない。
「無理」
「そういうことです」
約三年間の放浪。初めの頃は、もはや何をしていたか思い出せないほど精神が擦り切れていた。自分の行動故にある程度までは何を考えていたか理解出来るのだが、決定付ける何かは持っていない。
そういえば、と思い出す。放浪中、アビスには世話になった傭兵が居た。料理知識の下地があったのもその傭兵が居たからこそのことだ。
今はどこで何をしているのだろう。また面倒臭いことを成し遂げようと努力しているのだろうか。ケルシーに依頼でもすればすぐ分かるのだろうが、そこまでする必要もないことだし、何よりアビスが嫌だ。
八方塞がりという訳でもない。恐らくまだクルビアのあたりをフラついているだろうから、訪ねて情報を集めればすぐに洗い出せる。良くも悪くも、あの人は傭兵としてかなり目立っていた。
「……」
エイプリルが青茶を啜る。
「ねえ、アビス」
「はい、何か?」
同じく青茶を啜っていたアビスが反応する。和やかな雰囲気の中提示される話題はどのようなものだろうか。
「なんか面白い話してよ」
とんでもないキラーパスだった。雰囲気がどうだとかはもはや関係なく、どんな状況であっても出してはいけない無茶振り筆頭第一位だった。
流石にこんな問いにはアビスも困惑して──いなかった。
「例えば、何ですか?」
「例えば!?た、例えば……あっ、そうだ。この前すっごく良い景色がロドスから見れて、その時の写真撮ってあるんだよね。見る?」
「興味はあります」
面白い、のカテゴリでいいのだろうか。エイプリルは液晶をタップしながら回り込み、アビスと自分の前に端末が来るよう差し出した。
「ほら、こんな感じ」
「これは……いつの写真ですか?」
「ロドスを出発するちょっと前だったかな。風もそれなりにあって、気持ちよかったんだ」
テラを覆い、テラに咲く、
映し出されたそれは今もなお人々を悩ませている天変地異に間違いなく、もしそれを綺麗などと言えば不謹慎なのかもしれないが──。
「どうせなら……いえ、なんでもありません」
アビスの言葉は、それよりももっと斜め上を行く答えだった。思わずといった風に発されたそれは確かにエイプリルの耳まで届き、首を傾げる。明確に何と言ったか分かるからこそ、発言の理由がより一層分からないというものだ。
「カメラとかのこと?シーンちゃんでも呼んできて撮ってもらえば良かったかな」
「撮影技術の話ではありません」
「じゃあ、どういうこと?」
ずずい、とエイプリルが顔を近付ける。ヘアフレグランスの香りが漂い、アビスは何か言いたそうに、しかし何も言わずに身を引いた。
「なに、どうしたの?」
それはエイプリルの方でしょう。アビスの口から出そうになった言葉はギリギリでストップがかかる。だが実際問題状況が好転した訳ではなく、アビスの脈が少しだけ早まっただけに終わる。
「……アレですよ、アレ。ボクがその時艦内にいたのに見ていなかったから、貴重な機会をふいにしたという意味でそう言ったんです」
「本当に?言い方が即興で嘘をつく時のそれなんだけど」
「本当です」
アビスがそう言いながら茶杯の方へと手を伸ばし──その手がエイプリルに掴まれた。ぎょっとしつつも強引に振り解くことは出来ず、何やら手首の辺りを探るように何度も掴み直すエイプリルのされるがままになっていた。
ようやく、エイプリルが動きを止めた。
「アビス、脈早すぎ。ダウト」
「……バレましたか」
「これくらいならあたしでも分かるんだよ」
何も分かっていないエイプリルの言葉に、アビスは苦笑いを浮かべて曖昧に流すことしか出来なかった。
続いて、アビスは本来目指していた茶杯を手に取った。口まで持ってきて、一口飲み込んだ。
「……」
何故かまだ手首を掴んでいる白い手をじっと見る。
「全然脈落ち着かないね。測られるの慣れてない?」
「ロドスでは医療機器で全て測られますからね」
色々と誤魔化した。脈を測られる程度で緊張はしないし、ケルシーによって昔行われたとある簡単な検査では機器など少ししか使わなかった。いや、アレは検査と言うには少々簡素極まりないものだったが。
そんな訳で、アビスはやんわりとエイプリルの手を引き剥がした。そんな訳で、とは言ったものの事実アビスがどう思ったのかは分からないが。ただ一つ言うならば、拍動はしばらく落ち着くことがなかったということくらいか。
何が目的なのか。
この一連の行動からエイプリルは何を得ようとしたのか。
アビスは人の悪感情に慣れてこそいたが、人と接する経験が余りにも不足している。ドクターの内面を見抜くことが出来ていないことと同様に、エイプリルの心情は全く見えてくることがなかった。
退室する気配がなく、エイプリルは一体何をするためにこの部屋に残っているのか。
「アビス、最近ちゃんと寝てる?」
「休息はそれなりに取っていますよ」
「それなりじゃダメだよ、ちゃんと寝なきゃ」
「そうかもしれませんね」
実際アビスは睡眠のために八時間もの時間を取っている。そのどれもが死体のような寝姿で、尚且つ疲れが取れていないことを除けば健康的だろう。
「アビス、さては聞く気ないでしょ」
「ちゃんと寝ていますから心配要りません」
「そんなに顔色悪いのに?」
「顔色の悪さは……そういう日もあるでしょう」
「それ体調が悪い日ってことじゃないの?あたしはそれについて今日三回聞いたんだけど」
ようやく、アビスはどうしてエイプリルが距離を詰めていたのか分かった。近付いたのは観察のためで、顔色が悪いアビスのことを心配していたのだろう。
症状が悪化の一途を辿っている今、アビスが日常的に服用している鎮痛剤では誤魔化しきれない痛みがある。痛みに慣れてはいるが、不快感がそれによって消えるなんてことはないのだ。
業務に支障はない。突然倒れるほど容体が悪い訳でも無し、シュエンの依頼遂行にあたってこれは障害足り得ない。
だが反対に、少し体調が悪いことを我慢するほど依頼が重要という訳でもない。アビスの目的もそこにはない。
どちらに転んでもいいと思っている分、アビスはエイプリルにしっかりとした返答が出来なかった。
「今日はもういいから、明日までに考えておいて。それが源石病の関係なら、ロドスに戻る必要だってあるんだから──なんてね。アビスは違うんだよね」
自然に出た心配りの言葉と、それに付け足された諦念が滲む後悔の言葉。エイプリルの中で形作られた心象は配慮さえも憚からせ、そしてそれの原因であるのは紛うことなくアビスだった。
ただ事実をまた一つ眼前で露わにされ、しかしアビスの中ではそれだけに終わらなかった。何度も感じているにも拘らず名前の分からないあの感情が、アビスの胸の内を占拠する。
それに気付いたエイプリルが苦笑した。
「あはは、ごめんごめん。別にアビスのことを責めようとは思ってなかったから、許して?」
エイプリルは、自身の発言がアビスに不快感を与えたのだと思ったのだろう。初めと終わりだけを切り取ればそのような解釈も出来るが、物事はそう簡単に出来ていない。
アビスが口を結んだまま首を横に振って、エイプリルは首を傾げる。許さないと言っているのではないということだけがエイプリルに伝わった。まさか、アビスもそれの全容を把握出来ていないなどとは思わないだろう。
「話、変えよっか」
「そうしていただけるとありがたいです」
「敬語やめない?」
アビスは少し考えた後、ロドス艦内の廊下を歩く時のような笑顔を顔に貼り付けてこう言った。
「さて、何を話しましょうか」
「別に距離を詰めたいって訳じゃないんだけどね」
そのまま話題を転換するつもりだったアビスの口が止まる。エイプリルのセリフは言外に、アビスが作る心理的なバリアの存在を示唆していた。
「ボクも、距離を置きたい訳ではありませんが」
「じゃあどうして?」
「……どうしてなんでしょうか。エイプリルに対して親密な言葉遣いをしたいと思う反面、どこかで抵抗があるんです。どこなのか、それは分かりませんが」
「あたしとアビスって、そんなに複雑な仲でもなくない?」
「……」
「えっ、なんで目逸らしたの」
アビスがエイプリルに対して抱く感慨はリラに対するものと違っている。しかしながら、アビスはエイプリルの中にリラの影を錯覚しつつある。
これは誰にも言っていないことだ。脊髄に化け物を飼っている研究者なら勘付いているかもしれないが、生憎とそんな存在はテラの地でも一人居るかどうかくらいだろう。
「そもそも、タメ口でお試しって違くない?」
「買い物の日のことですか?」
「そうそう、デートの日の」
「……」
「そんな反応することないじゃん!」
顰めている顔を元に戻すことなく、アビスはお茶を飲んだ。本当にやめてほしいと思いながらの行動だったのだが、果たしてそれはどんな意味が込められているのか。
「それに、そんな反応するんだったら、別に敬語なんて要らないでしょ?敬語って敬ってるポーズを示すために使う言葉遣いなんだよ?」
「エイプリルのことは尊敬していますよ」
「リスペクトは大事だけど、そういうことじゃなくて……」
分かっている。当然のことだが、アビスはエイプリルが主張せんとしている内容を知っている。エイプリルとはもっと砕けた態度で接するべきだと思ってすらいる。
だがアビスの心の中では、蟠りによく似た抵抗感が激しく実存を主張している。仲がどうだとか、任務遂行にあたってどうだとか、そういうことは全く関係がない。エイプリルと親しく話すことが、何故だか恐ろしいことのように思えてならなかった。
「まだ信頼度が足りないのかもしれませんね」
「今どのくらい?」
「140くらいではないでしょうか」
「上限はどこなの」
さあ、と肩を竦めるアビス。適当に言っただけの数字だが、どこかの企業が製作した少しストーリーがダークなタワーディフェンス型ゲームに慣れ親しんでいる者からすれば、その信頼度の値はなるほど的を射ていると言えるだろう。
話が一段落して、しばらくお茶を啜る音だけが続く。弛緩した空気が部屋の中に充満し、アビスが徐にプレイヤーを取り出した。
落ち着いた炎国風の音楽がイヤホンに伝う。シーが普段閉じこもっている世界のような情景が想起され、目を閉じて深く味わった。
鬱蒼と空を覆う木々の隙間から見えるのは、悠々と蒼天を横断する自在の姿。木漏れ日が照らす大地の香りが心の緊張を解きほぐす。
次いで映し出されたのは、穏やかな流れの河川。両脇に聳え天を衝く岩山はしかし圧迫感など与えず、むしろ安堵さえ覚えるような美しさを持っていた。川の流れには舟を任せ、心地よい揺れには体を任せ、アビスは幻想を一身に感じていた。
花鳥風月が相次いで浮かんでは消えていく。名残惜しい別れの数と素晴らしい出会いの数は全く同じであり、そしてそれは浮かぶ情景の数とも等しかった。
そんなアビスの肩が何かに叩かれた。
目を開いて片耳のイヤホンを外してみれば、エイプリルが手のひらを差し出していた。
いつのまにかエイプリルが座っていた椅子もアビスの方に寄せられている。
「……聴きますか?」
「それ以外にある?」
「ありませんね」
「それならそういうことだよ」
外していたイヤホンをエイプリルが取る。アビスは小さく笑うと、外していなかった方のイヤホンを耳から取った。
「エイプリル、付けるイヤホンは──」
「へえ、こんな曲聴いてるんだ」
エイプリルの肩がアビスの方に触れる。それぞれ外側の耳にイヤホンを付けているのだから、距離が縮まるのは当たり前だ。
「ん?アビス、どうかした?」
「……はあ。何でもありません」
「そう?」
アホらしい。
自身の当惑をそう結論付けて、アビスは流れる音楽に耳を傾けた。エイプリルがそうしているように、またアビスが先程までそうしていたように、瞼の裏に絵画の如き山紫水明を思い描く。
落ち着いた雰囲気はより一層の心地良さを作り出し、それは話していた時の雰囲気よりずっとゆったりとした空気感を感じさせる。
二人、夜が更けていった。