【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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六 格闘術訓練

 

 

 突き出した右の拳が悠々と躱され、崩れたガードの隙間を縫うように蹴撃が顎目がけて放たれた。

 

 体を右に半回転させて左足にスピードを乗せ、その蹴撃を側面から叩いて弾いた。しかし相手はその弾かれた勢いに乗って回転し、撓る尻尾が襲い来る。

 尻尾の攻撃を始めた時点で相手の視界から自分は消えていたはずだが、その尾は正確に右腕のガードを巻き取って引き倒そうとした。

 

 踏ん張って耐えたアビスは逆に引っ張ろうとしたが、その力が伝わる前にはもう右腕の拘束は外れていた。

 

 相手が距離を詰めてくる。挨拶代わりに放たれたただのストレートがアビスの油断をガード上から吹っ飛ばして、訓練室の床を背中が擦る。すぐに起き上がって横に転がり追撃を回避し、立て直す。

 だがその追撃に隠れていたのか、いつのまにか巻き付いていた尻尾がアビスの左足を大きく揺らして体勢を崩させる。更なる追撃の拳をどうにか読み切って上半身だけで躱す。アビスの尻尾で相手の尻尾を打ち叩こうとするが、やはり後手に回れば回避される。相手は尻尾と共に大きく飛び退った。

 

 ダメージを碌に与えられないままのアビスと、着実に追い込みつつある相手。

 その相手は同じヴイーヴルの女性であるサリアだった。

 

 構えながら、アビスはそっと息をついた。深く観察してみてもサリアが疲れていたり、息切れしている様子は見受けられない。

 

「今の二つが尻尾で巻き取る場合の扱い易い使い方だろう。ヴイーヴルの利点を活かすにはこれぐらいの技巧は必要だな」

 

「二度目、タイミングすら分からないんですが……」

 

「経験で覚えろ」

 

「はい」

 

「行くぞ」

 

 開幕直後、アビスの顔を目掛けて尻尾が突き出された。回避は恐らく容易だが、避けた先でサリアの殴打を喰らうよりは耐えた方が合理的だ。アビスは左手のガードを尻尾の方向に翳して、右足でサリアの胴を狙う。

 当然の如く掴まれた中段の蹴りと左腕を打つ尻尾の衝撃が同時に襲いかかってくるが、なんとか歯を食いしばって冷静な思考を取り戻す。

 

 今までの行動からしてサリアの次の行動は、右足を捻ってアビスをひっくり返すか、距離を詰めて胸部を狙った掌底か拳骨。

 

 アビスは裏を掻くべく尻尾で床を打って横に回転し、足の拘束を強引に解除した。空中にて、その足を掴んでいた左手の手首を尻尾で巻き取った。

 着地してからは尻尾で掴んだまま大きく動いてサリアの左手を引っ張り──サリアの手に力が入って、アビスの足が床から離れた。

 

 胸部に掌底が突き出されて肺の中の空気が圧迫され、アビスの口から呻くような声が漏れた。上半身が後方に倒れ込み、アビスは地面と並行になる。

 容赦なく、次は床と垂直に繰り出された腹部への肘鉄。頭を下にして落下しつつあったアビスの体が強く床に打ちつけられ、そして跳ねた。胸、腹、背の三箇所に強いダメージを負ったアビスが胸と腹を押さえてのたうち回る──訳ではなく、床を蹴ってまた退避した。

 

 アビスの打ち付けられていた場所を踏みつけて空振りするサリア。だがその勢いが削がれることはなく、響き渡るような震動が床を伝播する。

 

「ごほっ、ごほっ……」

 

「かなりいい」

 

「ありがとう、ございます」

 

 ロドスの医療は高水準だ。

 たとえば艦内で起きた怪我ならば、即死でもなければ大抵を治してみせるのではないだろうか。

 

 サリアが動きの鈍っているアビスの後ろ側へと回り込み、尻尾を掴んで引っ張った。成す術なくアビスは後ろ側に重心が寄ってしまい、背中を思いっきり蹴り飛ばされた。

 だが吹き飛ばされることはできない。尻尾を強く引き戻されて、背中に掌底が打ち込まれた。

 

 その後すぐに尻尾が離されても、インパクトの瞬間に体を駆け巡った衝撃はどこへやらと既に消えていた。床へとへたり込み、更にはその場に蹲ってしまい──蹴り飛ばされて床へと転がった。すぐに立ち上がって、なんとかサリアと向かい合うことに成功する。

 

「尻尾を掴まれないように気をつけることだな」

 

 返事を言うことができず、アビスは首だけで頷いた。追撃の容赦がないことに色々と言いたくなったが、この訓練を願い出たのはアビスの方だ。

 

 回り込まれて尻尾を掴まれては敵わないので、アビスは自分から距離を詰めて攻めることにした。踏み込んだ足はガタがきていて、震えるのをなんとか押さえつける。

 握りしめた右拳を直線的に振る。サリアはそれを左手で払い除けようとしたが、アビスの伸ばした尻尾がその手を妨げる。

 サリアの右手がアビスの右腕を掴んで止め、その隙に戻した尻尾を再度中段に突き刺すようにして伸ばした。今度はサリアの尻尾がアビスの尻尾を寸前で止める。

 

 クロスして拘束された腕のせいで、サリアの左腕は対応が一歩遅れる。更に、サリアの思わぬところで尻尾を出させてみせたため、重心が後ろに寄っていて足が動かせないだろう。

 左足に全力を込めて、アビスはサリアの脇腹を振り抜いた。強引に回避しようにも、このように複雑に絡み合った状況ではサリアより幾分か小柄なアビスの蹴りの方がスピードが速く、最悪蹴りを食らった上で追撃される恐れがあった。

 

 サリアが顔を歪める。

 

 だが次の瞬間には掴まれていたアビスの左腕が握りつぶされて悲鳴を上げ、尻尾は絡め取られて距離を取れなくなっていた。脇腹への蹴りは強力だったが、あそこまで両者の行動が制限されているのであれば、次に攻撃が来る場所は簡単に推測できる。

 実戦でサリアに防御されないということは、完全な不意打ちでの攻撃や人質を取ってのものでない限り不可能である。物理的な拘束はアーツによって切り裂かれ、攻防によって生まれた隙はサリアが一番把握している。

 

 掴んでいたアビスの右手を、サリアは自身の右後方へと流す。尻尾の拘束も解いて、サリア自身はターンしながらアビスの左を抜けて──

 

 痛烈な回し蹴りがアビスの腹を正面から捉えて、数メートル先の訓練室の壁上方に衝突した。

 

「……無事か?」

 

 返事はなかった。

 

 

 

 わなわな、と震え始めた。

 ドクターは『それ』に対して関わりたくないと思いつつも、勇気を振り絞って肩を叩き、注意を向けさせようとした。

 

 トントン。

 

 わなわな、わなわな。震え続ける『それ』は、恐らく準備期間を取っているというよりは、溜めているのだろう。降って湧いた幸運に対して最大声量で歓喜の叫びを上げられるよう、自身の中で溜めを作っているのだ。

 ドクターはもう一度、今度は強めに肩を叩いた。

 

 パンパン。

 

「おい、何をしている?」

 

 『それ』の餌を持ってきてしまったオペレーターが怪訝そうに尋ねた。餌である彼はもうベッドに乗せられていて、後は『それ』がアーツをかけさえすればいい。

 

 ゴン、と拳が肩を叩いた。

 

 『それ』が再起動した。

 

「やりおったわあああああっ!!」

 

「喧しいな」

 

「すまん、耐えてくれ」

 

 ガン、と『それ』の側頭部に拳を振った。

 

「ぐおっ!? よ、よし! そなたは早く他のオペレーターを呼んでこい! 妾は今は歓喜に打ち震えるので忙しい……ああ、素晴らしい! ケルシー先生に見つかるのではと、ここ数日で何度思ったことか! 初めてだ! 初めてこんな気持ちになったぞ!」

 

「頼んだ手前言いたくはないが、何をしている」

 

「すまん、すぐ静かにさせるから」

 

 ドン、とドクターのゲンコツが頭頂部に下されて、『それ』は……ワルファリンは涙目になって振り返った。

 

「なんだそなたは! 人が折角勝ち取った成功を噛み締めているというのに、なぜそうも邪魔をする!」

 

 ジンジンしている頭を抑えてワルファリンはドクターに噛み付いた。サリアがまた煩いと言いたげに顔を顰めたので、ドクターがサッと腕を上げれば、ワルファリンもサッと身を翻して距離を取った。

 

「あっ! さてはそなた、アビスのアーツの情報を独り占めするつもりだな! 研究者としての風上にも置けぬ、暴力を振るうことしか脳のない畜生の所業よ!」

 

(かしがま)しいのが平常運転なのか?」

 

「ああ、普段から騒がしいぞ」

 

 ワルファリンが先ほどから文句をつけてくるサリアへと顔を向けて、そちらにも食ってかかる。

 

「うるさいうるさいとやかましいのはそなたの方だ! そなたこそ人の幸せを邪魔しておるだけではないか!」

 

 そして開いている扉の方へと視線を向けた。

 

「それに! 妾のことをロクに知らぬ他人に、そんなことを、言われ、たく、は……」

 

「ああ、すまないワルファリン。喜んでいたところを邪魔しては不味いと考えて全て扉の側で聞いていたんだが……さて、説明は不要だろう」

 

 とても綺麗な笑顔をしたケルシーがMon3trを召喚した。

 エネミーはワルファリンとドクターの二人。

 

「え、ちょっ、俺は聞いてただけ……」

 

「そう言えばラヴァが言っていたんだがな?」

 

 ビクッ、とドクターの体が震えた。

 

「私の怒り程度お前一人で十分らしいな。そうなのだろう? そう言ったのだろう? なあ、ドクター」

 

「いや、それは言葉の綾と言いますか──」

 

「少し眠れ」

 

 Mon3trが動き、二人の意識を刈り取った。

 

 

 

 ゆっくりと瞼が開いた。

 見える景色はやけにぼやけていて、何がどうなっているのか分からない。頭の奥から感じる鈍痛は、水の中で耳を澄ませた時のようで、どこか遠くの他人事だった。

 

 アビスはしばらくぼうっと中空を眺めていた。段々とピントが合ってからも、頭、背中、腹部、尻尾、それらから発される痛みと、それを上回る虚脱感に身を任せていた。

 

「サリアさん、近くに居ますか?」

 

「目が覚めたか」

 

 左側、椅子に座ったサリアがアビスの顔を見下ろしていた。

 

「少しやり過ぎてしまったな、すまない。背骨と肋骨、それと尾椎のあたりにヒビが入っているらしい」

 

「いえ、怪我は承知の上ですが、ご迷惑をおかけしました……そうなると、医療オペレーターの方はどうされているんですか? いえ、急かしている訳でも強要する訳でもないのですが……」

 

「あれを見ろ」

 

 アビスが顔を左に向けた。

 

「妾は諦めんぞ! アーツ学に進歩があるのかもしれんのだ、引ける訳がなかろう!」

 

「しゃあ! かかってこいやMon3tr!」

 

 ワルファリンとガヴィルの両名を中心としてロドスの医療オペレーターや術師オペレーターが部屋の入り口に集まっているのが見えた。会話の流れからするに、ケルシーと争っているようだ。

 アビスはサリアに従ってその様子を観察していたが、結局何も理解できなかった。

 

「えっと、すみません。まだ視界が僅かにぼやけてしまっていて、イマイチ細部が把握できないのですが」

 

「まあ、見ての通りだ。ワルファリンやガヴィルはお前のアーツに興味があるらしくてな、ケルシーを撃退し続けている」

 

「見ての通り……?」

 

 この状況に陥った理由の解説がなかったあたり、サリアもあまり詳しい訳ではないのかもしれない。もし彼女たちが一人のオペレーターのアーツに目をつけた途端この状況に自然と陥るのであれば納得はできるが、やはり理解はできない。

 まあ、きっと、たぶん、何かしらあったのだ。アビスはそう思うことにした。

 

「ぐわああああっ!!!」

 

「なっ、ガヴィルがやられた!? くっ、致し方ない! 抜けた穴を埋めるぞ! かかれぇーっ!」

 

 ワルファリンたちが次々とドアから飛び出ていった。

 

「アーツはどこへ……?」

 

「よお、アビス」

 

 腹部を抑えていたはずのガヴィルがすっくと立ち上がり、悪戯っぽい笑顔を湛えて手を上げた。

 

「お怪我は大丈夫なんですか?」

 

「それをお前が言うか? アタシはそんなにヤワじゃねえんだよ。アーツかけるまでもねえな」

 

「それなら良かったのですが」

 

「で、アビス」

 

 ガヴィルが何の気無しにアビスのベッドに腰掛けて、体を捻って覆い被さる。怪我人に気を使いつつ、逃げられない布陣を敷いたのだった。

 

 そしてアビスは悟った。

 

 

「お前のアーツって何だ?」

 

 

 平穏が崩れつつあることを。

 

 

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