【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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六十四 閉幕

 

 

 

 

 ナインの姿が二重、三重にブレる。

 自分の体に傷がつくまで、質量ではなく『感覚』を与えてくる幻影がどれなのか全く分からない。

 

 一斉に左右と上から剣が迫る。

 もしこれを避けなきゃいけないなら、確かに少しは手間がかかるかもしれない。

 

 だけどボクはこれを弾いてもいいことになってる。カインの時に感じていた思い感触は幻影で、今のナインは体重と剣含めて50キロもあるか怪しいくらい。

 

 下から、アーチを描くように短剣を振るう。

 

 左から一つ目と二つ目の幻影はあからさまに重く感じたけど、それでも実際の動きに支障は出ない。一番右に居たナインだけが後ろに弾き飛ばされて、残りはふっと掻き消えた。

 タネが分かれば簡単なことだ。力で勝っていることは明らかなんだから、それを──

 

 

 巧妙に隠れた殺気が背を狙う。

 

 

 反射的に体が動いて、背後を水平に蹴る。

 腿のあたりが切り裂かれた。手応えはない、感触を消されているわけでもないことがアーツで分かる。完全に回避された。

 

 ブレた時の三人は全て囮、本命は透明化しての一突き。

 しかも、たぶんそれら全部が本気じゃない。ナインはリラの姿で殺すって明言していて、恐らくはまだそのつもりだ。

 

 今の攻撃はただボクをおちょくるためだけのもの。

 

「随分と余裕だね、ナイン」

 

 返答はない。ただ、代わりに一瞬だけリラが男に押さえつけられてる視界が送り付けられてきた。挑発のつもりか、それとも怒ったのか。

 

「あんまりそれ、映さないでほしいな」

 

 殺したくなるから。

 

 ナインのアーツで遮断させられていた感覚を強引に脳へと押し込んだ。何もなかったはずの空間に剣を構えるナインの姿がぼやけて見えてくる。

 

 至って普通に、接近して蹴り上げた。

 普通とは言えサリアさんと訓練中の時の普通。

 

「が、あぁっ!?」

 

 いきなり自分のアーツが手応えを失って、更に見えていなかったはずの相手から視認されて腹を蹴り上げられる気持ちなんて分からないけど、きっと良い気分ではないはずだ。

 

 でも、うん。

 挑発したのは、ナインの方だよね?

 

 浮き上がってる体を引っ掴んで膝蹴りを入れる。

 ナインが苦し紛れに痛覚を同期させてきたけれど、これぐらいの痛みならどうってことない。遮断するまでもない。

 

「げぶっ!?」

 

 地面に転がるナインが素早く立ち上がり、ボクの方を見る。けど既にボクはもうそこに居ない。

 まだダメージが抜けきっていないのか前屈みになっていたナインの頭がちょうど蹴りやすい位置にあったので、後頭部を思いっきり蹴り抜いた。

 

「ぐぅっ、クソが……!」

 

 頭がジンジン痛んでるけど、それ以上に二度も蹴られたお腹が一番ダメージも残ってるみたいだ。

 ダメだなぁ、ナイン。人と痛覚を同期させるなんて、そんなの弱点を教えてるようなものだよ?

 

 あ、ナインの姿が消えた。信号を止める力が強まっている。かなりアーツに力を割いたんだろう、負担にならない程度でアーツを扱ってるボクより余程出力が高い。

 

 でもそのせいで気配を殺す方が等閑になってる。

 

 アーツが似てることもあって、今どの感覚がどの程度弄られているのか分かる。視覚と聴覚がダメで、触覚は特になし。

 

 それなら、手応えがあれば本体。触覚が遮断されたなら、手応えを誤魔化されたってことでいいんだよね。

 

 距離を詰めれば、それだけでナインの動揺したような気配が感じ取れる。姿が見えなくて音もなくなった、()()()()で勝てるなんて思ってるの?タネさえ分かれば対処なんて誰でもできる。

 

 

「ボクのこと舐めてる?」

 

 

 強く、視線に殺意を込めた。

 

 アーツが解けて、飛び退ったナインの姿が見えている。さっきまでは肩で息なんてしていなかったと思うけど、今は必死に肺へと空気を送り込んでいる。

 

 リラを映した視界で煽られたことを思い出して、つい隠していた方の殺意も漏れてしまった。いけないな、本来ボクの方がナインに頭を下げるべきなのに。

 

 どうしようもなく怒りが湧く。

 

 ナインのことが許せなくなる。

 抑えてた分の力が、いつのまにか抑制されていたボクの力が制御を離れていくのを感じる。

 

「……オレのこと分からなかったクセに」

 

 うっ、バレてる。

 

「しゃーねぇか。こっからお前に手加減はナシだ」

 

 ナインが目を閉じて肩を竦め、やれやれとでもいった風の仕草をする。振った手の動きと合わせて剣がゆらゆらと揺れて、しかしそれはすぐにボクへと狙いが定まった。

 

 剣先がボクの方を向いて、ナインはゆっくりと目を開けた。弧を描く口元、まるで揺れていた剣のように掴み所のない雰囲気。

 

 

「さっさと来なよ、アンデッド」

 

 

「殺してやるよ」

 

 

 ナインの姿がパッとリラの姿に切り替わる。リラさんじゃなくて、ナインとそれほど背丈が変わらないリラの姿。

 今まで目の中にしか感じられなかった殺意は奔流となってボクの肌をピリピリと刺す。

 

 ナインが地面を蹴る。

 

 そしてその気配が、気配だけが四つに分裂した。

 相変わらず突っ込んでくるナインから分かれて、包囲するように殺意が動く。

 

「────ッ!」

 

 一つ目の気配は妙なブレがあった。短剣で突き刺してみれば、やっぱりその気配はすぐに消えていく。

 

 二つ目の気配を対処しようとすれば、残っていた三つの殺意が一斉に膨張した。即座に反撃を後退に転じたところで、見えているナインの刃がボクの腕を浅く斬った。

 それなら、と見えているナインの腕を掴み──勢い良く掴んだせいでボクの指は幻の中に沈み、そのまま見えていたナインは消えてしまった。

 

「はあ!?」

 

 代わりにボクのことを挟むように二つの気配がまた主張を強める。動揺で上手く狙いが汲み取れない、どこへ剣が振られているのか分からない。

 

 仕方なくボクは殺意に混ぜて、少しだけアーツを使った。ナインのアーツは強すぎて跳ね除けられないけど、今まで使っていたように放射するだけだったら自由だから。

 

 死の恐怖はもう薄れて消えた。

 三つ目は決まっている。

 

 

 一つ。リラのことを考えるだけで痛くなる胸の内と、そしてそれに伴って現れる『喪う恐怖』。

 

 

 二つ。リラのことが大切で、ボクが作り上げたリラとの思い出はボクだけのもの──『他人に知られる恐怖』。

 

 

 三つ。分かれない。分かっているのに、本当にそれが分かっているのか把握できない、『未知の恐怖』。

 

 

 少しは訓練できていた。

 アーツを使わないまま、声を殺してホテルの部屋でその恐怖を経験していた。

 けれど、それでも抑えの効かない部分が噛み締めた歯の隙間を通って漏れてしまう。

 

「────ッ!」

 

 しかしナインは一瞬怯んだだけでその殺意を曇らせることなく、むしろより一層の威圧と戦意を昂らせていた。

 そうだ、同じアーツを使っている者同士なんだ。ボクがナインのアーツを遮断出来るんだから、ナインがボクのアーツを遮断することも出来て然るべきだ。

 

 とは言え、その一瞬だけで事足りた。

 

 怯まなかった方の気配に突っ込めば予想通り消えてなくなり、もはや無駄だと理解したナインがアーツを解いてボクの方に剣を振るう。

 それなりに熟達した剣裁きをどうにか避ける。普段ならそこまで集中して避ける必要もないけど、アーツの反動で起こった頭痛がボクの思考を滞らせていた。我慢できないほどじゃないけど、それなりに痛い。

 

 距離を取った。

 リラ……違う、ナインが今度はアーツを使わずに接近戦を仕掛けてきた。

 

 斬り下ろされた剣を弾こうと短剣を振り上げて、嫌な予感が脳を伝う。感覚を弄られている状況で第六感に従うのはどうかとも思ったけど、それ以上に攻撃が不透明だ。

 一旦退避しようと手を引いて、しかしボクの指はもう既に深く抉られていた。ナインの剣はまだ振っている途中、しかし気配に変わりはない。とすれば──腕と剣だけ幻か。

 

「どう、痛い?」

 

 骨がギリギリ見えていないくらいまで抉剔(けってき)されたのだから痛いに決まってる。それでもボクの経験してきた以上の痛みを発する訳じゃなくて、だから反応するまでもない。

 

 精々が、動かす時に不快だって感じるくらいか。その程度の違和感なら無視できる、最悪この戦いさえ動いてくれればそれでいいんだから。

 

 ナインの剣がボクの首を素早く突く。

 アーツはさっきからずっと発動されっぱなしだけど、それで幻を作っているのかどうかは分からない。ナインが幻を実体に重ねている可能性があるからだ。

 

 ああ、考えるのが面倒臭くなってきた。

 

 こういう頭を使ったやり方は嫌いなんだ。格闘術はパターンの組み合わせだから別として、駆け引きは苦手だ。チェルノボーグでWと戦った時も罠に嵌められた訳だし。

 

 

 だから、こうしよう。

 

 

 剣がボクの首に刺さったくらいを見計らって、それに遅れて突き出してきた剣を払い除ける。

 大体の感覚で手首の辺りを掴んで引き寄せ、お腹に肘鉄を打ち入れた。

 

「がっ、あぁ!?」

 

 ボクのカウンターは予想外だったようで、ナインのアーツが解除される。

 手首じゃなくて腕だったけど、掴んでそのままにしていたそれと、もう一つ胸ぐらを掴んで地面に叩きつけた。軽すぎる。

 

「がぁっ……この、クソッ……!」

 

 背中から打ち付けられたナインが弱々しい動作で立ち上がる。その目の中に見える熱は鎮まりつつあって、剣を握る手にも力がない。

 

 ──と、幻に引き付けられていたボクの背へと突き立てられた剣をギリギリで躱す。

 

「なぁっ……!?」

 

 かなり危なかった。たぶん投げられたところまではアーツなしで、立ち上がった部分はもう幻だったんだろう。いやあ、全然気付けなかったな。

 

「なんで避けられんだ、クソ野郎!」

 

 ボクもそう思う。

 

「勘だよ、ナイン」

 

「はぁ?」

 

「勘で避けた。首元の剣も、背後からの不意打ちも、嫌な予感がしたから避けた」

 

「……あぁ!?ふざけてんのか!?」

 

「ふざけてないよ。ただ、ボクは死の気配に人一倍敏感なんだ。恐怖がなくなればそれもどこかへ行くかと思ってたけど、どうやらまだ精度も高いみたいで安心した」

 

「何言ってんだ、お前。オレのアーツがかかってたはずだろ……?」

 

「何言ってんの、ナイン。それを含めて死の気配だよ?」

 

「ふざけやがって」

 

「ふざけてないよ」

 

「分かってるから口に出すなイラつく」

 

 あ、ごめん。

 

 会話をしているナインを見ながら、背後にある気配を感じ取った。その気配はナインのものじゃなくて、ボクに迫る死の気配。

 リラの姿を捨てて斬りかかってきてるのは、それだけナインが余裕を失くしてるってことでいいのかな。まだ無力化はかなり難しそうだけど、頑張ろう。

 

 ナインの気配や殺気を捉えてるわけじゃないから、どこを狙われているのかは分からない。そもそも死の気配なんてないし。少しだけ毛色の違う嫌な予感をそう表現してるだけなんだから。

 

 そう心の中で呟きながら振り向けば、そこにはリラの笑顔があった。

 

 

 つい、手が止まる。

 

 

 死の気配が全身を貫く。硬直していたボクの腕が反射的に振り上げられて、それをリラの持つ剣が半ばまで斬り裂いた。

 骨のところで当たって、どうにか斬り落とされることはなかった。でもそんなことはどうでもよかった。

 

「リラ」

 

 ボクの顔が綻んでいくのが分かる。

 ああ、ダメだ。幻だって分かってるんだけどな。どうにもボクの体は止まってくれないらしい。

 

 たぶん、何度もリラの姿を見過ぎたせいだ。ボクの中でリラを求める声が強くなりすぎている。動かなくなった右腕は放っておくとして、残った左腕をリラの背中に回す。

 

「リラ」

 

 リラの顔が引き攣った気がした。それでも、別段構わない。抱き寄せて、そうするとボクの胸あたりにリラの頭がつく。

 戦ってる最中だったのに、ボクはどうしてこんなにも幸せなんだろう。

 

「は、離して……っ!」

 

 リラが剣を振り上げて、そのまま振り下ろす。

 リラを抱き寄せる腕を離すなんてとんでもない、ボクは咄嗟に口で剣を受け止めた。

 

「え、いや……はっ?」

 

 口の端が切れる。

 強く強く噛み締めて、引く。リラには悪いけど強引に手から離させて、地面に落とす。

 

「いやいや、待って、ちょっと」

 

 ああ、右腕からの出血が酷いのかな。

 頭がくらっとした。でもこんなもの、鉱石病に付き合っていれば嫌でもなれることだ。今はリラ優先。

 

「リラ、リラっ!」

 

「離して、気持ち悪いから……っ!」

 

 そ、その言葉は流石にクるものがあるよ。

 けどごめん、離せない。ずっと頭の中にしか居なかったリラと紛い物とは言え出逢えて、どうしようもなく感情が振り切れてるんだ。

 綺麗な髪。リラは手入れをサボるから、ボクがよく梳いたんだよね。本当に懐かしい、大切な思い出だ。

 

 

「いい加減に、──離せっつってんだろうが!」

 

 

 リラは消えて、ナインが現れた。

 そっか、そうだった。うん、偽物だった。

 

 紛い物だとは分かってたんだけど、それでも記憶と全く変わらないリラを装われるとつい変な期待をしてしまう。そうは言っても本物なんじゃないの、って。そう思ってしまった。

 

 ナインに突き飛ばされて、二、三歩後退る。

 

 リラが恋しくて堪らない。一度本物に限りなく近い幻覚を見てしまった分、ボクの中でリラと会いたい欲求が高まっていく。

 

 

 ナインが何かを言っている。

 もう耳に入ってこない。

 

 

 ナインが何かをしている。

 もう何も見えない。

 

 

 ナインが、スラムが、土が、ビルが。

 

 

 

 

 今や全てがどうでもいい。

 

 

 

 

 リラを思い出す。

 

 リラで脳内が埋まっていく。

 

 けれど、それで全てを塗り潰すことは出来なかった。

 

 考えなければいけない、ロドスのことだとか、ナインのことだとか、そういうものが一斉に抵抗を始めるからだ。

 

 リラが消えていく。

 

 

 ナインの剣がボクの肩を斬る。

 不快だ、払おうとして右腕が動かなかった。

 

 なら左腕でいいか。ナインの剣を握って、指の腹が切れる。まあ、掴めたのならそれでいい。ナインの腹を蹴り飛ばして、強引に剣を奪い取る。

 

 さて、ボクはどうして生きているんだろう。

 

 何かやらなければいけないことを追い求めて、生き延びてきたような気がする。

 それが何かはもう思い出せないけど。

 

 まあ、どうでもいいか。

 リラが居ない世界なんだ、何があろうとボクの知ったことじゃない。どうでもいいんだ、何もかも。

 

 剣の柄を握る。肩が斬られているせいか、流血がひどいせいか、構えた剣先は震えていた。

 まあ、どの道すぐに動かなくなるし。ボクの体がどうであろうとボクには関係ないんだ。それがリラと無関係なんだから。

 

 あーあ、本当にどうして生きていたんだろう。

 早く終わればよかったのに。

 

 無意味な人生なんて、早く終えてしまえば良かったのに。どうしてボクはここまで生きてきたんだろう。純粋な疑問とすら言えるかもしれない。

 

 狙いをつける。首に刺せば死ぬだろう。

 ボクの体はヴイーヴルだけど、脆くなってるから簡単に斬り裂けるはずだ。

 

 あれ、なんで脆くなったんだろう。

 どうでもいいか。

 

 

 リラの後ろ姿が脳裏に映る。

 

 

 どうして、居なくなってしまったんだろう。

 ずっとボクの隣に居てくれればよかったのに。

 

 

 リラがボクに気付いて、振り返る。

 

 

 リラの右手は子供の頭に置かれたまま。

 名前は、何だったかな。たしかナインと双子の子だったように思うけど、まあリラに直接は関係のないことだし、どうでもいいや。

 

 

 リラがボクを呼ぶ。

 ボクはリラの方に歩いていく。

 

 

 ヴァルポの老人が見えてくる。

 どこで会った人だろう。リラと関係のある場所で会った人だと思うけど。スラムの中に居た人、だったかな?

 

 

 リラがボクの胸に手を置いた。

 

 

「まだ来たらダメだよ。あんまり私ばっかり見てないでさ、もっと周りを見たらどう?」

 

 

 リラがボクの体を押した。

 後ろの地面はどこかへ消えていて、足を踏み外す。

 

 

 落ちていく。

 

 リラの姿が小さくなって、消えていく。

 

 

 また見られると思ったのにな。

 ボクが思い出したんじゃない、リラの笑顔を。

 

 

「もう、私が笑う必要なくなっちゃったね」

 

 

 違うよ、そんな苦しそうな声が聞きたいわけじゃなかったんだ。ボクが見たかったのはそんな暗い声じゃないんだ。

 

 

 ボクの『希望』が、見たかったんだ。

 

 

 手に力を込める。

 今度は、剣先も震えなかった。

 

 リラの笑顔が見られないなんて、生きてる価値なんかない。ただでさえ無意味でどうでもいい人生に残る、たった一つの『希望』だったのに。

 

 死んでしまえばいい。

 

 『希望』がなくなったのなら、残るは絶望だけだ。ボクの人生にリラの笑顔以外で『希望』なんてどこにもないんだから。

 

 どうして笑ってくれなかったんだろう。

 理由なんて分からない。

 でも確かに分かっていることは、リラの笑顔は、ボクの『希望』は、もう二度と見ることができないってことだけだ。

 

 どうなったって、リラは帰ってこない。

 

 ボクの『希望』も帰ってこない。

 

 

 剣をボクの首に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「約束、したよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこからか飛んできた矢が剣の腹を叩いた。

 肩の傷が影響してか、ボクの腕はいともたやすくその剣を手放してしまった。

 

 矢を放った邪魔者は近くの廃ビルの二階から飛び降りてきた。どうして入り口の辺りがあんなにも破壊されているんだろう、流石に少し気になる。

 

 

「ねえ、アビス。まだ死なないって言ったよね」

 

 

 エイプリルがボクの方を見る。

 半ばまで切り込みが入っている右腕も、指の腹や肩のあたりが斬られている左腕も、傷がある他の部位なんて目もくれていない。

 

 ただ、ボクの目を見て怒っていた。

 

 とうしてだろう、少し怖い。怒っているエイプリルが怖いんじゃなくて、もっと先のことが気になって仕方ない。

 分からない。何を感じているのか、自分自身でも分からない。またか、またよく分からない感情だ。

 

「聞いてる?おーい、アビス」

 

「どうして、邪魔したんだ」

 

 そう言うと、エイプリルがボクの頬を叩いた。

 

「ごめん、まず聞くべきことあったよね、忘れてたよ。──で、それ本気で言ってるの?」

 

「もし本気だったとしたら?」

 

「殴る」

 

 そっか、殴るのか。

 腕を広げた。

 

「いいよ」

 

 エイプリルの拳がボクの腹に入る。思っていたより踏ん張りが効かなくて、つい尻餅をついた。その姿勢でも上手くバランスが取れなくて、上半身まで地面についた。

 

「ねえ、アビス。約束覚えてないの?」

 

「……さっきまで忘れてた」

 

 無言で、エイプリルがボクの脇腹を蹴った。

 だって仕方ないよ。リラのことで文字通り頭がいっぱいだったんだからさ。うん、仕方ない。

 

「それで、なんで死のうとしたの?」

 

「簡単だよ、『希望』がなかったんだ。リラが笑ってくれなかった。悲しそうだった。それはもう、ずっとそうなんだって分かった」

 

 エイプリルはよく分からないとでも言いたそうな顔をした。抽象的な話をしてる訳じゃないんだから、すぐ分かると思ってたんだけど。

 

「えーと、どうして『希望』はなくなったの?」

 

「分からない。リラが言うには、必要なくなったんだってさ。ボクが生きるためにはどうしても必要なものなんだけどね」

 

「……必要がなくなった、か」

 

「何か心当たりでも?」

 

「あー、うーん、いや……別に、ないけど」

 

 ありそう。

 

「それで、あの子は?」

 

 あの子?

 

「さっきからあっちで震えながらこっち見てる黒尽くめの子」

 

「ああ、あの子がアンデッドだよ」

 

「はあ!?」

 

 だいぶ回復してきた。

 なんとか立ち上がって、ナインに近づく。

 

「……な、なんだよ」

 

「そんなに怯えないでよ、ナイン。っていうかどうして怯えてるの?」

 

「戦ってる相手がいきなり腕を犠牲にしながら抱きしめてきたり、剣を口で受け止めたり、ノーガードで剣を受け入れたり自殺しようとすれば誰でも怯えるに決まってんだろ!?」

 

 あ、うん。ごめん。

 

「しかもお前、オレより引きずってんじゃねえの?情緒不安定だしよ、お前本当に大丈夫なのか……?」

 

 良い子だ。

 

「頭は撫でるなよ、孤児院から連鎖的にカインのこと思い出して泣いちまうだろうが」

 

 ごめん。

 

「……まあ、いいけどよ。別にオレだってお前を本当に殺したかった訳じゃねえんだ。ただ、そう思わなきゃやってらんなかったんだ」

 

「そっか。分かるよ」

 

「いや、おう……お前見てるとオレはまだマシだったんじゃねえかと思ったりしてんだけどな」

 

「大切な人を亡くした人が感じる悲しみに、優劣や大小はないよ。ナインの感情はナインのもので、ボクの感情はボクのものだから。……頑張ったね」

 

 膝をついて、ナインのことを抱きしめる。片手しか使えないし、身体中傷だらけで血とかついてるけど、抱きしめたいと思った。抱きしめてあげなきゃいけないと思った。

 

「お前、よくもそんな恥ずかしいこと言えるよな。何かあったのか?それとも、中二病か?」

 

 あはは。

 

「いや、違うか」

 

 ナインが少しだけボクを押して、目を合わせた。

 

「変わんねえな、お前」

 

 そう言ってナインが笑う。

 まあ、ずっとリラのこと好きだし。

 

「ナインも変わらないね」

 

「はっ、そんな訳ねえだろ」

 

「だってカインのこと好きだし」

 

「当たり前だ、バーカ」

 

 言いながら、抱きしめていた腕を解いた。

 ナインの笑顔は戦う前みたいな嘲笑じゃなくて、年相応に輝くような笑みだった。

 

「身内なの?」

 

 エイプリルが言った。

 同じ孤児院の出身って、身内でいいのかな。

 

「まあ、そうなります」

 

「あ、敬語ついた」

 

 うっ。

 

「別に構わないでしょう、敬語なんて」

 

「あたしは構うんだけど?」

 

 勘弁してください。

 

「で、こいつ誰だ?」

 

「この人はエイプリル。ボクの同僚っていうか、友人。よくボクの自殺を止めるんだ」

 

「苦労してんだな」

 

「苦労とは思ってないよ。直してほしいとは何度も何度も思ってるけど」

 

 言いながらこっち見ないでください。

 

 波長があったのか、ナインとエイプリルはそれから特段蟠りもなく話し始めた。

 ナインがアスランの男を差し向けたと知れば少しは思うところもあるだろうけど、まあエイプリルのことだから、たぶん許す。

 

 

 ほっと息を吐く。

 

 

 なんとかなった。ずっと心に残っていたアンデッドのことを、どうにかすることが出来た。これでボクをこの世に縛る羈絆(きはん)がなくなった。

 

 死ぬだろうと思っていた。

 アンデッドを探して、その過程で。アンデッドを見つけて、交戦した結果。アンデッドと和解して、その後に。

 でも何故だか、ボクの心が主張するのはナインとの和解を喜ぶ感情ばかり。死にたいなんて思ってない。生きたいとも別に思ってないけど。

 

 まあ、結局ボクはリラの源石に殺されたいと思ってるってことなんだろう。

 好きな人が居るなら誰でも殺されたいって思うだろうけど、既にいなくなった人に殺されたいなんて思うのはボクだけなんじゃないかな。

 

「それでも、ボクはリラに──」

 

 

 

 ビキ、と頭の中に音が響いた。

 

 

 

 繰り返し使ってきたボクには分かる、これは体がアーツの使用に耐えきれなくなった時に響く音だ。

 

 頭が割れそうなくらいの痛みが伝う。

 

 どうしようもない。アーツを使えば、それこそボクの頭が意識障害を超えて機能しなくなるだろう。反対にアーツを使わなければこのまま意識を失くすだろう。

 折角いい感じで終わると思ったのに。

 

 

 頭痛が許容量の限界を越える。

 

 

 まるで、リラに押し出された時みたいだ。

 奇妙な浮遊感と共に、ボクの体が落ちていく。

 

 

 

 

 

 ──意識が、そこで途切れた。

 

 

 

 

 




四章完結です。
五章はしばらく時間が空くと思います。
今回は本当にギリギリなので五章の第一話も投稿しません。

危機契約して待っていてください。
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