【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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六十八 調停者

 

 

 

 

 

 彼の顔が痛苦に歪む。

 切断された左腕が元に戻ることは決してない。

 今のところは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる少女が横にいるため心配は要らないのだろうが、それは逆説的に少女がいなくなった途端生活が瓦解するということでもある。

 ヴイーヴルの種族特性を以てして、しかし予断は許されない状況にあった。

 

「⬜︎⬜︎……ぐすっ、どうして⬜︎⬜︎がぁ……」

 

「リラ、くすぐったいよ」

 

「私ってこんな純情な時代あったんだね」

 

「今も割とそうだと思うけど」

 

 ナインと幼いボクたちの間に入ってから、三時間ほど経った。感情を爆発させていたナインはボクやリラの方を見てすぐに逃げていて、行方もわからない。叱られるとか、そういうことを気にしたのではきっとないのだろう。

 

「さて、リラ。ボクはここで何をすればいい?」

 

「私とイチャつけばいいんじゃないかな」

 

 そういう答えは今求めてない。

 

「ごめん、そんな苦虫を噛み潰したような顔されるとは思ってなかった」

 

「そこまでじゃないけど」

 

 やるべきことがあるならやっておきたいんだよ。その後帰るかどうかは別として、って話で。

 

 リラが何の意味もなくボクを呼ぶわけがないんだ。ボクがただリラに囚われることを、きっとリラは拒むだろうから。

 

「何をして欲しいか、だよね。端的に言うとナインの治療かな」

 

「治療?」

 

「メンタルの方ね。今のナインは長年抱え続けた恨みで心が擦り切れちゃってるの。その上であんな不完全燃焼だったわけだから、仕方ないよね」

 

「……何の(わだかま)りもなくなるなんて夢物語は見てなかったけど。それにしても、見事に最悪な方向へ転がったのか」

 

「だからこそ、ここを用意したの。──じゃなくて、いや、えっと、違くて。こんなお誂え向きの場所があるんだから、治したいなーって、そう、そんな感じ」

 

 リラが慌てたように訂正する。

 別にそんな些細な嘘吐かなくていいのに。リラがナインのために頑張れる人だってことくらいずっと前から分かってたよ。

 

 ほっこりしながら見つめていると、訂正が何の意味もなかったことを理解したのか、悔しそうになる。

 

「うぐっ、うぐぐぐぐ……話はもう終わりっ! さっさとナインをどうにかするよ!」

 

「ところで説得の目処は?」

 

「……」

 

 ばってんを指で小さく作る。

 一々かわいいなこの人。

 

「とりあえず全力でぶつかるしかないか」

 

 正直、成功する気は全くしないけど。

 

 

 ちら、と向こうを見る。泣き止んだリラとボクが仲良さそうに何かを話していた。

 既にこの孤児院にはナインやカイン、アルやお爺ちゃんたちは居ない。

 

 ボクの思い出、宝物。

 

 ナインからすれば、許し難い罪科。

 

 大切に思うこの感情をナインとは共有できないんだと強く思わされて、ボクは堪らずため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 空き瓶が好きで、よく集めていた。

 

 空っぽの中身を見るたびに安心できるからだ。

 閉じる蓋もない孤独さを感じられるからだ。

 

 失ったことを共有した気になれるからだ。

 

 

 私はずっと弱かった。

 体とかアーツとかの話じゃなくて、心の話。

 

 親に捨てられたあの日、涙の(せき)がどこかへ行ってしまったみたいだった。

 とめどなく溢れて、零れ落ちて、私という存在が減っていく。

 

 世界は涙で薄まって、感じていたはずの悲哀が小さくなる。

 だから泣くのが嫌だった。

 お母さんとお父さんの記憶が、泣くたびに、胸の痛みが小さくなるたびに、遠くへ行っているようだった。

 

 

 

「……寝ることも、出来たんだな」

 

 心底意外な風の声が出た。

 地面についていた髪がガサガサで気持ち悪い。

 敷かれた雪は、何故だか髪も体も濡らすことがない。

 

 立ち上がって、少し歩いて。

 立ち止まって、しゃがみ込んだ。

 

 スラムの喧騒がいやに耳障りだった。

 元気いっぱいに怒鳴りあっている馬鹿がほんの少しだけ羨ましくなった。

 

 幸せなんだ、きっと。

 スラムの外で精一杯に生きるより、諦めてここで生活した方が幸せなんだ。

 だって私たちは──オレたちはそうして生きてきたんだから。

 

 

 オレにはそれができなかった。

 壊したのは、⬜︎⬜︎だ。

 

 

「チッ」

 

 舌打ちを一つして、オレは壁を叩いた。

 ⬜︎⬜︎が居るってことを認識すると、途端に感情が抑えられなくなる。今すぐ孤児院に殴り込んで、胸ぐら引っ掴んで怒鳴ってやりたい。

 

「ああクソッ、イライラしやがる……!」

 

 頭を掻きむしる。こんな非現実的な世界で暴れたってカインは帰って来ないんだ。分かってんだよ。

 

 ⬜︎⬜︎は腐っても家族なんだ。

 オレにとっては、孤児院が家なんだ。

 

 カインは帰ってこない。

 絶対の絶対に。

 

 だから、これだけは。

 何も出来なかったオレは、ただ逃げるだけで何も守れず、あまつさえその責任をなすりつけてるオレは。

 

「大人になれよ……」

 

 格好だけでも、付けたいんだ。

 

 

 

 

 

 グルグル回る頭が痛い。

 頭脳労働なんてしたことがないんだ。仕方がない。

 

 何をすればいいか分からないままにこの世界の針は進んでいく。

 いつになればタイムリミットなのかわからないが、いつかは必ず、夢から覚めるみたいに吐き出される時が来るはずだ。

 だからオレはその時まで耐え凌ぐ。

 この感情を抑え込んで、いつか来るその時まで。

 

「見つけたよ、ナイン」

 

「リラ姉か」

 

「⬜︎⬜︎じゃなくてがっかりした? ごめんね、あの人私のこと大好きだから」

 

「なんで今オレ惚気られてるんだ?」

 

 リラ姉が苦笑する。

 全く、冗談のギアが最初からトップなのか?

 

「冗談……?」

 

「えっ」

 

「えっ?」

 

 リラ姉が首を傾げる。

 

「……気を取り直して、だ。何の用だよ」

 

「警告」

 

「はぁ?」

 

 澄まし顔で言ってのけるリラ姉。

 警告するなら普通オレじゃないだろ。リラ姉が好きで好きで堪らない⬜︎⬜︎にでもしていればいいはずだ。

 

「戻って来ないと、ナインが死ぬかも」

 

「それはどういう冗談だ?」

 

「この世界は源石術(オリジニウムアーツ)で作られた世界。迷い込んだ被術者( アウトサイダー)は、登場人物( キャラクター)に殺され得る」

 

 初耳の情報がてんこ盛りだった。

 だが、それでも足りない。

 

「片腕のガキに何ができる」

 

 子供のアイツは大して強くなんかない。況してや片腕で、オレなら不意打ちされたって対応できる自信がある。

 

「そっちはもう死にかけてるよ。幻肢痛とかいきなり現れたナインへのストレスだとか、冬の寒さだとかで低下した免疫につけ込まれて、死にそうになってる」

 

「それで?」

 

「私は殺せるよ。あの私は既に、ナインを殺せる」

 

 思わず目を合わせた。リラ姉が殺しに来る理由はわかる。⬜︎⬜︎が死ぬからだろう。十分な動機だ。

 自暴自棄になってオレを探して見つけるかもしれねえ。

 

 だが、アイツよりも弱かったリラがオレを殺す?

 出来ねえな、絶対に。

 

 勘定を終えて視線を寄越してやれば、琥珀色の目は強い意志を宿していた。

 本当にそれが起こると確信しているようで、オレ自身が舐められたようで、イラつく。

 

「大体、お前は何なんだ?」

 

 目前のリラをもう一度見る。

 170くらいの身長。本来あり得るはずがない、仮定を重ねた未来の姿。

 

「この世界が⬜︎⬜︎のアーツだってことは分かった。それで、どうしてお前がここにいる? アイツが自分で作ったってのか?」

 

 そんなわけがない、と笑う。

 

「アーツの制御をアーツロッドに任せきりだってのはすぐ分かった。出来るはずもねえな」

 

 ついでに言うならこいつは意思を持ってる。会話が一人芝居だってなら引くだけだが、それじゃ説明がつかないほど自然だった。

 

 まあ、とにかく、色々な理由を踏まえて。

 

「まず話してみろよ。お前は何なんだ?」

 

 リラ姉は口を開かない。

 

登場人物(キャラクター)か? それとも、本来の意味で部外者(アウトサイダー)か?」

 

「……どれでもないよ。全く、ナインは頭が良くて困っちゃうな。⬜︎⬜︎には追及されなかったのにさ」

 

「アイツは妄信的すぎるんだよ」

 

「恋は盲目ってやつだね」

 

「さあてな、誰かのアーツかもしれねえ」

 

 軽口を叩きながらも最大限の警戒を。

 術中にハマっておいて遅いかもしれないが、警戒はしておいて損がない。

 

調停者(フィクサー)、かな」

 

「へえ、黒幕か」

 

「待って待って武器構えないで! ちょーてーしゃ! 調停者の方だから! 仲介人とかもそう!」

 

 なんだよ、気が抜ける。

 

「んで、正体は?」

 

「リラですけど!?」

 

「ほら、真面目に答えろや」

 

「本当の本当なんだってば! 私はリラ! これ以上疑うならナインの恥ずかしい過去を暴露してやる……!」

 

「……」

 

 本当の本当、ねぇ。

 疑わしいものは疑わしい。

 

「抱きつける大きくて柔らかいものがなかったから、たまに⬜︎⬜︎を抱き枕にして昼寝を──」

 

「オーケー、分かった。もういい」

 

 クソッ、リラ姉に見られてたのかよ。

 

「拗ねたカインが、今度は私の方を抱き枕にしようとしてさ」

 

「あ?」

 

「もちろんお断りさせていただきましたよ! はい!」

 

「それならいい」

 

 カインはオレのだ。

 誰にも渡さねえ。

 

「うわー、愛重すぎ」

 

「リラ姉に言われたくねえよ!? 死んでも出てきやがって!」

 

「死んだ後からが本()みたいなところある」

 

「暴論のはずなのに、なんだこの説得力!?」

 

「それが私の能力(アーツ)ッ!」

 

「堂々と嘘ついてんじゃねえよ」

 

「あいたっ!? ぶぅ、叩くことないじゃん」

 

「言ってろ、バーカ」

 

 少しだけ、心のうちが軽くなる。

 止められなかった思考がようやく速度を落とす。

 

「バカとはなにさー! どうせナインもまともに勉強とかしてないくせに!」

 

 リラ姉が持ってる魅力の一つだ。

 話していると不思議なほど落ち着く。

 

「さて、行くか」

 

「え、どこに?」

 

 能力(アーツ)だなんて大層なものじゃないが。

 リラ姉が持つ、立派な素質だな。

 

「どこって孤児院だよ。手遅れになる前に行こうぜ」

 

「……うんっ!」

 

 あ、おい頭撫でるのはやめろ!

 泣くって言ってんだろうが!バカ!

 

 

 

 

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