【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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七十三 目覚めて

 

 

 

 

 長く続いた浮遊感が途絶えると、いつのまにか見覚えのある光景が戻っていた。壁に描かれた扉がその帰還を保証する。

 そして目の前にいる──いや、それどころかボクを抱き留めているシー。きっと必要だったんだろうけど、距離が近すぎて少し戸惑う。

 

「……まだ、死ぬには早いわよ」

 

 そう言うと、腕により一層力が込められた。

 

 なんだかお母さんに怒られた時みたいで何も言えなくなった。それにこんなに悲しそうなシーは初めてだから、どうすればいいのかわからなかった。言ってることの意味もよくわからなかった。

 

 シーの顔は見えない。ボクより少しだけ背が低いことと、近過ぎるせいだ。

 きっと少し動けば見えるはず。今、シーがどんな顔をしているか。

 けれど、見てしまったらきっとそれだけでシーの何かを壊してしまう。何故だかそれを確信していた。

 

 シーの考えはずっと前から分からない。

 あまり言葉を話す方ではないし、ボクがシーを訪ねる時はだいたい一人になりたかったから話しかけることも少なかった。

 

 ずっと嫌われてると思ってたけど。

 今度からはもっと話しかけてみようかな。

 

「アビス」

 

「……ん、はい。何ですか?」

 

「貴方は生きなさい」

 

「こんな体じゃ無理ですよ」

 

「生きなさい」

 

 駄々っ子のように言う。

 不思議だ。こんな人だっただろうか。

 

「……はぁ。もういいわ」

 

 腕が解かれて少し押された。

 少し悲しそうな顔を見て後悔する。

 ボクは何を言えば良かったのかな。

 そんなことを考えていると、シーは呆れたように言った。

 

「自分のことしか考えられない貴方が人の考えを理解できるわけないじゃない、諦めたらどうかしら」

 

「急に毒舌が戻りましたね」

 

「貴方がそれだけ馬鹿なのよ」

 

 シーがツンと言い放つ。

 悪くないと思ってしまうのは慣れ過ぎかな。

 

「……ふふ。ええ、そうね。それがいいわ」

 

「何ですか、何も言ってませんよ」

 

「別に何でもないわ。──少しだけ腹が決まったのよ、それだけ」

 

「はあ」

 

 よくわからない。

 いきなり笑い出すから、とうとう気でも触れたのかと思った。

 芸術家とか職人ってみんなこんな感じなのかな。

 

 ロドスに変人が多いだけかも?

 うん、ちょっとありえる。

 トップの人があんな感じだし。

 

「ああ、それと私にもう敬語は必要ないわ。むしろ今までどうして付けてたのよ?」

 

「……急にどうしたんですか? まさか本当に頭がおかしくなったとか」

 

「そんなことあるわけ──待ちなさい、今どうして『本当に』って付けたのよ」

 

「言葉の綾ですね」

 

「へえ。そのツノ圧し折るわよ」

 

「ごめんなさい」

 

 うん、絶対おかしい。

 ボクと話してる時はいつも絵を描いているって言うのに、まだ筆すら取り出してない。おかしい。

 

 ボクがあの世界で何かしている間に何かが起きたとか?

 ……って、ちょっと待ってよ。

 

「あの、ちょっと聞きたいんですが──」

 

「敬語をやめたら答えてあげなくもないかもしれないわね」

 

 そんなに言うならもういいか。

 敬ってるわけじゃないんだから。

 

「聞きたいんだけど、どうしてボクはここに? そもそも何が起こったの?」

 

「黙秘するわ」

 

 答えないのかよ。

 まあ、もう、それはいいや。

 もっと大事なことがある。

 

「じゃあ、これだけは答えてくれると嬉しいんだけどさ。どうしてリラを斬ったんだ?」

 

 別に怒ってないよ。

 別に怒ってなんかないんだ。

 返答次第で殺すけど。

 

「貴方を連れ戻す必要があったのよ。別にそれ以上の意味なんてないわ。それで……それ以上は言わない。私以外の思惑もきっとあるはずでしょうから」

 

「ああ、そう」

 

 シーが自分以外の人のことを考えて動く?

 限りなく胡散臭い。

 

「何よ。少なくとも貴方よりマシだと自覚してるわ」

 

「……さっきから頭の中見透かしてくるのやめてくれないかな。それとその自覚間違ってるから」

 

「私が態々覗いてるんじゃないわよ。貴方が漏らしてるだけなのに私が悪いみたいに言わないでちょうだい」

 

 ボクってそんなに分かりやすいのかな。

 

「……さ、そろそろ行きなさい。そうね、貴方が喧嘩してる相手とでも会えば良いんじゃないかしら」

 

「喧嘩? ああ、ケルシー先生のことね。嫌だよ」

 

「必要なことよ。顔だけでもいいから出しておきなさい。もしかすると置き土産を貰えるかもしれないわ」

 

 置き土産って、誰の?

 そう言おうとしたけど、シーは強引にボクの背中を押して通路から出してしまった。

 

 仕方がないな、ナインの様子を見た後にでも寄っていくとしようか。気が乗らないけど。

 絶対怒られるだろうなぁ。

 

 

 

 ボクと時を同じくして目が覚めたらしいナインの様子を少し伺った後、重い足取りでケルシー先生のところに向かう。

 ナインやドクターを巻き込もうとしたけど、お菓子でナインを釣ったドクターに追い出されてしまった。裏切り者のナインにはあとで何らかの報復が必要かもしれない。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、不意に手を掴まれた。

 

「捕まえた。もう逃げないでよ?」

 

「別に逃げたりしませんよ。どうかしましたか、エイプリル」

 

「……あれ?」

 

 こてんと首を傾げた。

 それをしたいのはボクの方なんだけど。

 

「あ、もしかして白を切るつもり?」

 

「一体全体何の話ですか。あと手を放してください」

 

「あたしの名前、昨日まで他人行儀に呼んでたでしょ。距離も取ろうとするし、それについてはむしろこっちが聞きたいんだけど」

 

 怒った顔になったエイプリルが言う。

 その内容はやっぱりどこかおかしかった。

 

「昨日まで……? 昨日っていつですか?」

 

「はぁ?」

 

「あー、えっと、ちょっと待ってください」

 

 今のは言い方が悪かった。

 あの世界のことはどうにも説明が難しいし、別の角度から切り込んだ方がいいかもしれない。

 

「まず、ボクは龍門でナインと戦った後からずっと意識がなくて、起きたのはついさっきのことです」

 

「ふーん」

 

「だからエイプリルが言う昨日についてボクは何も知りません。何も分からないんです。ここは一つ、エイプリルの話をもう少し詳しく聞かせてください。あと手を放してください」

 

 そこまで言えば、エイプリルは胡散臭そうな目をしながらもようやく話を聞き入れてくれた。手は放してくれなかった。逃げませんって。

 

 

 そうして会話のテーブルに着いてもらって、それからが長かった。

 話せば話すほど出てくる食い違いに顔を顰めて唸るエイプリルをひたすら宥める。手を繋いでいるせいで、廊下で話していると変な目で見られるからとカフェテリアに移動。新作の飲料を奢って機嫌を取り、ようやく落ち着いた雰囲気で話ができた。

 

 エイプリルの話によると、ボクは少し前から既に活動を始めていて、何度も話したとのこと。ただ、いつのまにか呼び方や距離感が変わっていて、何かしら理由をつけて遠ざけられていたらしい。

 

 ボクの脳裏に浮かぶのはまずナインのアーツを用いた入れ替わり。けどこれはさっきまでナインが眠っていたことを確認しているからまずないと見ていい。

 次に鉱石病の影響。いつのまにか精神にまで源石の影響が出ていて、記憶だけ共有できていない二つ目の人格があるとか、記憶喪失だとか。正直これが一番ありえる。

 最後にその他。アーツの効果だとかエイプリルの鉱石病の症状だとかドッペルゲンガーだとか。

 

「もしアビスが本当のことしか言ってないなら、あたしも二つ目だと思う。でも鉱石病だからってそんな突然にそうなるのかってことも思う」

 

「まだイタズラだと思ってますか?」

 

「だって鉱石病の悪化とか信じたくないから」

 

 ぎゅ、と手が少し強く握られる。

 苦虫を噛み潰したようなエイプリルの顔に、出かかっていた言葉を飲み込んだ。

 

 ボクは鉱石病で死にたいんだから気にしないでほしい、だなんて。今だけは口が裂けても言えなかった。

 

「……気に病む必要はありませんよ。別にエイプリルを助けたくて龍門でアーツを使ったわけじゃありませんから」

 

 あくまでボクがはナインを無力化するためだけにアーツを使った。たしかに早く片付けられればエイプリルの助けになれたかもしれないけど、結局エイプリルはボクがそうするよりも早くアスランの男を倒していたわけだし。

 そんなことを言うと、エイプリルは突然噴き出した。

 

「ぷっ、あはははは! なにそれ! そんな言い方だとあたしを助けたかったようにしか聞こえないよ!」

 

「丸っきり正反対ですが!? ボクが今それを否定したばかりじゃないですか!」

 

「あはははははっ! もうダメ、テンプレートみたいなツンデレじゃん……っ!」

 

 エイプリルは腹を抱えて笑っている。

 声量は迷惑になるほどじゃないからそれは良いけど、真剣に選んだ言葉がこうも爆笑されると面白くない。

 

「……お手洗いに行ってきます」

 

「あー、ちょっと、ごめん笑いすぎたよね。ふふっ」

 

「手、放してください」

 

「それは嫌だ」

 

 捕まえられてからずっとこのままだ。ボクを捕まえていたなければもっと有意義にその手が使えると思うんだけどな。それに手を繋いでいると、なんだか変な感じだし。

 別に嫌ではないけど、片手が埋まっているのはどうも不便だ。

 

「それじゃ、そろそろ場所変えよっか」

 

「ああ、はい。どこに行くんですか?」

 

「そんなの決まってるでしょ? アビスが目を覚ました場所だよ。シーならきっと何か知ってる」

 

「そう言えばそうですね。……シーはきっとはぐらかしますよ?」

 

「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。行くだけ価値があると思わない?」

 

 うーん、それはどうだろう。あの人偏屈だし。

 ただ、普段のシーからは丁寧に教えてくれる気配なんて微塵もないけど、さっきのシーは少し様子が変だった。

 

 わかった、とボクが頷くと、意気揚々とエイプリルはいつもの通路に向かって歩き始めた。

 

 この手、いつになったら放してくれるんだろう。

 

 いつもは感じない何かが胸中を埋める。名前を知らない感情がボクの心の中で何度も弾けては存在を主張する。

 それに意識を向けていて、その小さな呟きがボクには聞こえなかった。

 

 

 

 

「シーのことは、簡単に呼び捨てで呼ぶんだね」

 

 

 

 

 きっと聞こえていても、本当の意味は(わか)れなかっただろうけど。

 

 

 

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