【仮題】感情トランスポーター 作:Gensigert
「言ったでしょう、私は言わない。元々私とあなたとの問題でもないのに、どうして私が横からそれを攫わなきゃいけないのよ」
存在しないはずだった『昨日』のボクを巡って、ボクとエイプリルはいつもの通路に訪れていた。
シーはいつのまにか元に戻っていた。会話中もせっせと黒で世界を塗っている。ボクにとってそれ自体はどうでもいいことなんだけど、今回に限っては残念だった。
あの甘そうなシーであれば、喋ってくれることを少しは期待できたんだけど。
ケルシー先生のところに行けば答えのようなものがあるってわかったのは良かったけど、あの人に会うくらいだったらシーの口から聞きたい。
「いくら言っても答えが変わらないことくらい分かりなさいよ。それに、私がどういう人間かってことはよく知っているでしょう?」
「引きこもりの天邪鬼ってこと?」
「うぐっ……ええ、そうよ。私は引きこもりの天邪鬼なの。分かってるならさっさとどこかへ行きなさい!」
「ただの冗談だよ。別に拗らせた面倒臭い引きこもりとか思ってないから」
「……それは思ってる時の台詞よね?」
「さあ、どうだろう」
ロドスのオペレーターは往々にして精神の桎梏を抱えている。だから仕方がない、なんて言うつもりはないけど、シーのそれをボクはある程度受け入れてる。
拗らせた面倒臭い引きこもりだけど、良いところなんて他に沢山あるんだからそう気にすることはない。
別にボクはシーのこと好きじゃないけど、むしろ嫌いだけど、頑固で
「アビスとシーってこんなに仲良かった?」
突然エイプリルが口を開いた。
「仲が良いってどういうことよ」
「仲が良いってどういうことですか」
「……うん。自明じゃない?」
シーと思わず顔を見合わせ、余りにもその顔が豆鉄砲で撃たれた鳩と似ていたから噴き出してしまった。きっとボクも同じような顔をしてたんだろう、シーが笑ってる。
「多少はそうなのかもしれませんね。ボクとシーが似ているだなんて考えたこともありませんが」
「ふうん、今日はなんか素直だね」
「ボクはいつでも素直ですよ。シーと似てるなんて言われた手前説得力がありませんけど」
抗議するような視線を無視して言う。
シーとボクは似てるかもしれないけど、決定的なところでは違っている。そう思ってるからだ。
「まあ、間違ってないと思うわよ。あなたの考え方はむしろニェンの方に似ているもの」
「え、あれ、あたしの耳が悪いのかな。アビス今何か言ってた?」
「この人が頭の中を読んでるだけです」
「以心伝心!?」
シンパシー極まりすぎじゃない!?
そう言って喚いているエイプリルの方をシーが一瞥し、ようやく
言及しようか迷ったが、その視線に気づいたアビスが誤解されてはたまらないと弁解する。
「これはエイプリルが離してくれないだけだよ」
「ちょっ!?」
アビスが見せつけるように上げた、繋がれている手を急いで元のように下ろす。どうやら他に見られるのは憚られるようだ。
皮肉にもその行動こそが誤解を助長させてしまうのだが。
「あたしは別に逃げられたくなかっただけ!」
「言い訳になってないわよ」
「えっ!? あ、いや、えっと……シーは昨日までのこと分かってる、よね?」
「ええ、分かってるわ。それで?」
「それで避けられてたから、何とかしようと思って……」
「それならどうして今も繋いでいるのかしら」
「目を離したらまた逃げそうだったし、この方が確実かなって……」
何を聞いても尻すぼみになるエイプリルの言葉。
流石にこれ以上追求するのは酷かと、シーは質問を切り上げる。
「納得しておいてあげるわ」
アビスは首を傾げた。
エイプリルの主張に何かおかしいところでもあったのだろうか、手を繋ぐなど離れ離れにならないようにという意味以外にありはしないだろうに。
シーは改めて二人を見て、大げさにため息をついた。
「逃げませんから。手、放してくれませんか?」
「あ、はい」
妙な関係になっているものだ。
シーはそれがどのような形であれ落ち着いてくれることを望んでいた。
色恋で終わろうが友人で終わろうがどうでもいい、仲さえ良ければ。
ようやく自由になった手を握っては開いているアビスを見るに、色恋とつながる可能性はどうにも低そうだ。
まあ、いい。
シーは止めどない思考を切り捨てた。
放置していた場合の想定は関係がないのだ、どうせ自分がテコ入れを行うのだから。
シーは心底疎んでいる存在からアビスを取り戻した時に決意した。
アビスにここまで情が移ったのだから、どうせならその最期を出来る限り延ばしてやろうと覚悟した。
それはつまりケルシーの方針に同調することとなる。
もしそれが知られればアビスはそれなりに驚くだろうし、もしかすると疎み嫌うかもしれない。
だがそれはシーにとってどうでもよくなっていた。
見返りなど期待しない。
余計なお世話を焼いてやる。
嫌われることと、あの存在に連れていかれることと、比べてしまえば取るべき選択肢は最初から一つだったことに気がついた。
これは相手がどうなるか、という問題ではない。
これは自分がどうしたいか、どんな自分で在りたいかという問題だ。
そうした単純化の結果シーの食指は驚くほど簡単に片一方を指し、今に至る。
シーの覚悟は不動のものとなった。
そんなシーをジト目で見る兎が一名。
「今度は何よ」
「別に。なんでこんなに対応の差があるんだろうなーってだけ」
「アビスに聞きなさいよ」
「え、ボクが何だって?」
先ほどからずっと解放された手を見つめていたアビス。
やはりと言うべきか、話を聞いていなかったようだ。
「なんであたしには敬語外してくれないのかな、って。シーにはどうせすぐ折れたんでしょ?」
「どうせって何ですか、どうせって。シーが譲らなかったんです」
「じゃあ、あたしも譲らない」
「はあ、そうですか」
「あれれ〜、話が違うよ〜?」
「笑顔のまま手首捻りあげるのやめてくださ──いたたたたたたっ」
ドーベルマン教官直伝の締め上げがアビスを襲う。
いくつか対抗策も教えられているが、それを共有している者同士の戦いは、先に抜けられない状態にまで持ち込んだ方の勝ちだ。
つまりは先手を取って技を完成させたエイプリルに分がある。
「ぐぇっ……流石にやりすぎじゃないですか!?」
「アビスだって流石に拒み過ぎじゃない?」
「それとこれとは、話が、違います……!」
背中に乗られて腕は拘束され、動くものは足だけ。
蹴って強引にどかすことはできないので、アビスはもうじたばたともがくことしか許されていなかった。
「私は関係ない立場だからそう言えないけれど、無駄な抵抗は自分の首を絞めるだけよ?」
「うるさい、なぁ……!」
タメ口かよ。
関節が軋みを上げる。
「ぐぅっ……分かった、分かったから! 放して!」
「最初からこうしておけば良かったかな」
「ボクに恨みでもあるの!?」
「散々断られた恨みならあるよ」
「逆ギレって言うんだよ、それ」
いててて、と零しながら立ち上がる。
なんとなくずっと抵抗があったのだが、いざ話してみれば驚くほど自然に会話することができた。
何故あんなブレーキがあったんだろう?
彼は考えを巡らせるが、生憎と答えは見つからなかった。
唯一考えられたのは、後輩の女の子が怒り狂いそうだからというものだったが──まあ、ないだろう。
「ふふ、いいね。やっぱり」
「何が? って、分かるけどさ。分かるけど、そんなものかな」
「あたしにとってはそんなものなの。分かってよ」
「だから分かってるってば」
「……ふふっ。いいね」
理解は出来るけど納得は出来ない。
微笑むエイプリルのことをアビスはそう評した。
きっとそもそもの性根が問題なのだろう、アビスは早々に理解以上の共感を諦めた。
微笑ましいやりとりを静観していたシーが口を開いた。
「彼女のところにはもう行ったのかしら?」
「ん? ああ、まだ行ってないよ。向かっていたらエイプリルに捕まったからね」
「逃したらしばらくチャンスなさそうだったから行くしかなかったの。だからあたし悪くない」
「別に責めてないわよ」
「シーって基本発言にトゲあるよね。あと雰囲気とかも怖いし」
「どうやらツノが惜しくはないみたいね」
今朝言っていた脅しは本当だったようだ。
アビスの真っ黒なツノをシーの両手が掴む。
「待って待って本当に圧し折れるから」
「流石に素手じゃ折れないわよ!? ……折れないわよね?」
「試さないで、ちょっ、軋む! 鉱石病のせいで脆くなってるから付け根あたりが軋んじゃってる!」
「尻尾はどうなんだろ」
「やめて、尻尾を触られてる時は傷つけないように集中しないと──そろそろツノ痛いよねえ分かってるよねシー流石にそれ以上は曲がんないし限界がいたたたたたたた」
「……このくらいにしておこうかしら」
「割とあったかいんだね」
「この自由人共めっ!」
吐き捨てるようにアビスが言う。
言葉とは裏腹におとなしい尻尾を触る彼女や定位置に座り直している彼女には全くと言っていいほど効果がなかったようで、彼は軽く絶望した。
そんな中、ポケットの中の端末が震えた。
「あ、ドクターからだ」
「何かあったの?」
「呼ぶことになるって話は聞いてたよ。いつかは知らなかったけど、今日のことだったみたいだね」
「あら、そう。ならエイプリルを責めることにするわ」
「なんで!? あと何を!?」
「シーはどうして呼び出されるのか知ってるの?」
「ドクターに聞きなさいな」
また人任せか。
アビスはそう思ったが、シーはそれを分かっているのか分かっていないのか、無視して話を続けた。
「たとえ一本であろうと線を人に委ねてしまえば、一人だけの絵ではなくなってしまうのよ」
よく理解できなかったが、とりあえず頷いておいた。
「あなたの考えに余計な線を書き出したくないの。それだけよ」
「尊重してくれてありがとう、かな?」
「理解できていないのならお礼なんて要らないわよ。助言なんて役に立たなければただの無駄口だもの」
「シーってアビスと同じくらい照れ隠しが下手だよね」
「……」
「メイクが崩れちゃうから髪と顔だけはやめて! あと服も!」
墨に浸けられていた筆がしばらく虚空を彷徨った後、シーはエイプリルへの罰をデコピンで済ませた。
恨みが二つもあったのでそれなりに強く弾いたため、エイプリルは額をさすりながら目に涙を浮かべている。
「……二人に比べれば、ボクとシーが仲良くなる速度なんて気にならないと思うんだけどな」
どうして今回だけエイプリルは過剰に反応したんだろう?
アビスは少しの間頭を悩ませていたが、答えが出なかったので忘れることにした。
三人は相変わらず仲が良い。
きっとそれが長くは保たないと知っていても、彼らはその関係を続けるのだろう。それが彼らの、彼らなりの答えだった。