【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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七十五 自己嫌悪

 

 

 

 

 

 

 彼は自分を望まない。

 幻影がその目を濁らせる限り。

 

 彼は自分を罰さない。

 彼が孤立した存在である限り。

 

 彼は自分を殺さない。

 絡まる思考が阻んでいる限り。

 

 

 彼は希望を欲さない。

 それが偽物だと知っているからだ。

 

 

 夢の残滓を追いかけて、彼はいくつもの国を巡った。

 彼女のルーツを知りたかったのだ。

 

 彼だけではクルビアから脱することすら成し得なかっただろう。

 彼女の手助けがなければ、きっと。

 

 霧の中を進んで数年が経った。

 諦めかけていたその矢先、彼は私に拾われた。

 彼からはただ入ったという認識だけなのだろうが、実際には違う。

 表面ばかりを取り繕ったボロボロな彼は当時の状況から受け入れることが難しかった。

 反対意見そのものは出ていなかったが、確かにそういった雰囲気が蔓延していた。

 これ以上の受け入れは無理だと。

 

 それでも私は引き入れた。

 アーミヤが理想論者であったことも強く作用した。

 無理を通す私たちの姿は結果的に士気を上げて、ロドスの安定に貢献した。

 離れる者の姿も見られたが。

 

 私が彼を担当している理由もそれだ。

 医療関係が滞っていて、私もいくらか受け持つ必要があった。

 彼以外の患者はとっくに病状が安定し、ロドスから離れて生活している。

 

 今はきっと他の者に彼を任せるべきだろう。

 そして数ある問題を解決することに心血を注ぐべきだ。

 そう考えたことは一度や二度ではない。

 メリットも十二分に理解している。

 

 それでも私は面倒を見たかった。

 彼から目が離せなかった。

 少しでも放っておけば勝手に死んでしまいそうな彼に頭を悩ませられることが好きだったのだろう。

 

 きっとその時から私は何も変わってなどいない。

 私は私だ。

 きっと変わらない。

 

 そして、彼も彼なのだろう。

 分かっている。

 

 

 

 

 分かっているから、それでいいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かな会議室。

 彼はドクターと共に入室する。

 二人が席についたところで時計の針が定刻を指した。

 彼はどうやらこれが何の会議か知らされていないらしい。

 

 さて。

 始めようか。

 

「お前に通告がある」

 

 声を出すと彼が警戒する。

 相変わらず私のことを疎んでいるようだ。

 随分と嫌っていることは以前から知っているし、それはそう誘導した結果でもある。

 だからどうと言うこともない。

 

「お前は現在療養中のはずだった。艦内のみでの活動を許していたが、外に出ることは一歩たりとも許されてなどいなかった」

 

「ええ、そうですね」

 

 平気そうに言い放つ。

 よくもまあ、言えるものだ。

 本気だと言うのだから傑物だろう。

 それに私の──いや、これは私情か。

 

「それを無視した結果、お前は龍門から昏睡状態で移送された。この会議はその処分を巡ってのものだ」

 

 彼は何も答えない。

 私の回答が予想通りで、言い訳が無駄だと知っているからだろう。

 

「端的に言おう。医療オペレーターの間では無理矢理にでも入院させるべきだという意見が主流だ。自室に帰すこともないだろう」

 

「言うことを聞かなければ軟禁ですか?」

 

「そういう契約だ」

 

「待て、ケルシー。俺たちにオペレーターの行動範囲を規定することはできないだろ。ルール上は艦外から通勤したっていいことになってるんだ」

 

「オペレーターには保護を受ける権利があり、そしてロドスには保護する義務が生じている。義務の履行のためであれば多少の不自由を強制することも仕方がないだろう?」

 

 ロドスは合法的な組織ではない。

 と言うのも、ロドスが創立された国であるカズデルはとっくに崩壊の一途を辿っている以上、もはや所属している国があやふやになってしまっているからだ。

 ロドスで問題が起きたとしても、それは内々で解決されてしまう。

 

 ロドスは言わば都市国家なのだ。

 艦の中に成立している移動都市国家。

 法の名は採用契約。

 

 ただの住人(オペレーター)である彼には、私が下す措置を受け入れる他ない。

 ドクターの手助けさえなければ。

 

「義務は必ずしも他のルールに優越しない」

 

「しかし、奨励されるべき義務を果たさなければ上役として示しがつかないな」

 

「デメリットを度外視しているように感じられるが?」

 

「いいや、鑑みてもメリットの方が大きいだろう」

 

 ドクターは尚も食い下がる。

 君は彼を殺したいのか?

 そんな言葉が頭の中に浮かび、しかしそれは飛躍が過ぎると思い止まった。

 鉱石病を扱う組織はロドスに限らない。

 規模や理念の一貫性でロドスに比肩するものはまだ存在しないが、ロドスから離れたとて少しの間くらいは生きながらえることができるだろう。

 無論、彼がそれを選ぶことなどありえないが。

 

 何故理解しない?

 何故彼は死のうとしている?

 

 理解はできる。

 私にも彼らの感情は理解できている。

 だが彼は余りにも──そう、余りにも無責任だ。

 彼は私たちのことを全く考慮に入れようとしない。

 きっと『彼女』と呼んでいた存在に比べれば虫と同程度なのだろう。

 

 私は彼の目に入らない。

 私は彼の世界に存在しない。

 三年もの間近くにいた私ですらそうだ。

 

 

 悲し過ぎるだろう、そんな生き方は。

 

 

「ドクター」

 

「何だよ?」

 

 君は分かっているだろう、私のことなど。

 分かっている上で、君は君の目的のためだけに動いている。

 私の思いは切り捨てて、いや、利用して、君は君の目的を果たそうとしている。

 

「……分かってくれ」

 

 ドクターが息を呑んだ。

 君はやはり、私がどんな思いで彼と接しているか分かっているんだな。

 薄情者、と罵ることはできないか。

 君は余裕がないのだから。

 他人のことなど二の次だろう、理解できるさ。

 

 だとしても、どうか。

 

「分かるわけないでしょう。分かってやれるわけないでしょう、ケルシー先生」

 

 含ませた言葉の意味をどう受け取ったのか、彼は怒りを滲ませながら言った。

 

「この話し合いは対等であるべきです。ボクとドクター、ケルシー先生はそれぞれ対等であるべきなんです」

 

 素っ頓狂なことを言う。

 対等でないのならば私は元より頭ごなしに入院の命令を出している。

 私にはそれをやれるだけの権限があり、ドクターの駄々は半分以上越権行為だ。

 話し合いの場を設けた以上は対等な交渉にしたいと思っている。

 

 その上で、叩き潰す。

 彼を救ってやる。

 それが私の目的で。

 

「だから、その目をやめろって言ってるんだよ」

 

「……おい、アビス?」

 

「聞こえてないのか、ケルシー。ボクやドクターを憐れむなって言ってるんだよっ!」

 

 ドクターが慌てて彼の肩を掴む。

 落ち着かせようと宥めているが、聴いていないな。

 

「もう限界だ、ボクのことをずっと下に見ているあんたの話を聞くのはもう限界だ!」

 

 実際、同情するしかないだろう。

 客観的に考えてみるといい。

 言ったところで火に油を注ぐことは目に見えているので、黙って聴いておく。

 

「ボクは世界一幸せだ! リラと出会えて世界一幸せなヤツなんだ! それをあんたなんかに可哀想だなんて思われてたまるか!」

 

 部屋から一旦出ようとドクターが彼を精一杯引っ張っているが、鍛えられた彼が動くことはなかった。

 それにしても、リラ、か。

 もしその名が『彼女』を指すのであれば、あの人格は記憶の中の理想像なのだろう。

 消す手段はありそうだな。

 現実的ではないが。

 

「……クソッ!」

 

 ドクターを押しのけて彼が私のすぐ前にまで近づく。

 一度落ち着けばどうにかなるだろうか?

 アーツを使えば不可能ではない。

 

「どうしてだ、どうしてなんだよ!」

 

 何のことだ?

 心中で首を傾ける。

 

「どうして、そんなにボクのことを想ってくれているのに、敵になろうとするんだよ……っ!」

 

「味方になったとして、お前は聞き入れたか?」

 

「違う、そうじゃない!」

 

 ふむ。

 

「アビス。お前が言う味方とは、何もかも自分に同意してくれる都合のいい存在のことか?」

 

 彼が絶句する。

 しかしそうだろう、彼が話す敵とは自分の事情を理解しながら自殺を止める存在のことだ。

 それは少し前のラーヤに対する接し方からも分かっている。

 

「黙って頷いてもらえると思っているのか? 自分の意思が何でも通ると本気で思っているのか?」

 

 だから。

 

「だからお前は子供なんだ、アビス。だからお前を導く存在が必要なんだ」

 

「……それが、ケルシーだって?」

 

「ああ。お前はただ自分の主張を通したいだけの存在に過ぎない。お前からすれば私も同じようものに映るのだろうがな」

 

 一呼吸置いて、思考がクリアになるのを待ってやる。

 

「私がお前の思い出を憐れんだように思ったのなら謝罪しよう。だが、私はあくまでお前がその思い出から離れられていないことを憐れんでいただけだ」

 

 話し方一つで印象は変わる。

 視野は狭いが馬鹿ではない彼のことだ、ここで間でも置いてしまえばすぐに謝罪するだろう。

 

 そんなこと、許しはしない。

 

「アビス。ロドスはお前の味方だ。お前を思っての指示だ。素直に従ってくれると、こちらとしては嬉しい」

 

 彼を抱きしめてやる。

 反応が良いことは以前知った。

 

 謝罪など許さない。

 お前には罪悪感を背負ってもらう。

 勘違いして自分勝手に怒鳴り散らしたんだ、それなりに揺れるだろう。

 

 自分から、「ボクが間違っていました」と言わせてやる。

 お前のことはどうなろうと徹底的に叩き潰す。

 別に嘘をついているわけではない。

 お前を叩き潰すことだって、お前のための行為なのだから。

 

「ああ、そうだ。話し方はそのままで構わない。私とお前は対等だ、そうだろう?」

 

 距離を積める。

 耳触りのいい言葉を並べる。

 彼の頭を胸に寄せる。

 

「謝罪は要らない。ただ、もう一度考えて欲しい」

 

 ドクターは静かにこちらを見ている。

 してやられた、とでも思っているだろうか?

 

「約束、しただろう?」

 

 彼が過去を私に話した日。

 それを振り切ると約束した。

 忘れたとは言わせない。

 

 

 私の話が終わって、彼はすぐに離れようとしたが、強引に抱きしめておく。

 長ければ長いほど好意を抱きやすくなる上、彼のような青年であれば余裕を失わせることができるからだ。

 ペースも乱れる。

 

「ドクター。今日の会議は中止だ。業務に戻るといい」

 

「……わかった」

 

 ドクターが出て行った。

 もがいても無駄だと知った彼はすっかり大人しくなっている。

 腕力はどうやら私程度の力で抑え込めるほど弱くなっているようだ。

 やはり、今までのような戦い方はもう難しいだろう。

 

「ロドスは家ではない。私はお前の家族ではない」

 

 言い聞かせる。

 優しい声を無理に出しても疑われるだろうから、いつも通りの声だ。

 

「だが、私はお前の保護者だ。少しくらいは親代わりになってやる」

 

 ああ、反吐が出る。

 私の擦り切れた感情が大いに抵抗する。

 だがそれは理性を決して上回らない。

 私の理性はこれが最善で裁量だと答えを出している。

 私は彼を懐柔して、捻じ曲げて、そして私が求める答えが出るように作り上げる。

 

 ああ、反吐が出る。

 実行しておいて嘆くなど。

 こうなることが分かっていながらに行動して、その上で愚痴を吐くなど。

 

 

 

 

 ああ、全く。

 最悪の気分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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