【仮題】感情トランスポーター 作:Gensigert
ドクターに連れられて会議に参加したアビス。
会場となっていた小会議室の扉に彼は寄りかかっていた。
「…………」
彼は感情が読み取れない思案顔。
俯くその目が床を捉えていないことは確かだ。
彼が見つめているのは何だろうか。
ケルシーとの関係か?
それともロドスとの付き合い方か?
いいや、違う。
そんな具体的なものではない。
彼にはただぼうっとする時間が必要だっただけだ。
ケルシーの変化に動揺していては弱味を見せるだけだと、そう思い、整理する時間を必要としただけだ。
アビスは少しだけ前を向いた。
何も考えず、行き交うオペレーターを眺めている。
何度か見たことがあるようなオペレーターが居れば、その一方で全く記憶にないオペレーターも歩いていた。
エーギルの医療オペレーター、リーベリの前衛オペレーター。アヌーラの狙撃オペレーターにウルサスの……商売人?
こんなに人が居たのか。
小会議室はアビスの行動範囲外にあり、見慣れないオペレーターたちを前に驚嘆する。
仕事に励む彼らはとても精力的に見えて、一人貯蓄に頼って仕事の一切を行わない彼に罪悪感が浮かぶ。
このままでいいのか。
どんな意味でそれを自問したのか彼自身でもわからないまに、その問いはゴミ箱へと投げ捨てられた。
何も変わる必要などない。
自分はずっと変わらない。
それでいい。
「──暇か?」
そんな思考を切り裂いて、怜悧な声が耳を刺す。
それと同時に、冷たい何かが首の後ろに押し当てられた。
「うわぁっ! サ、サリアさん!?」
「今は暇か?」
「……まあ、暇ですね」
首の後ろに当てられたていペットボトルの水を受け取る。
自販機で買ってすぐなのか、キンキンにひえている。
中身が水であるのは病状を知っている故の気遣いか、それとも特に考えていなかったか。
「ついてこい」
サリアが早足で歩き出した。
当然ながら拒否する選択肢はないので素直に後ろを歩く。
サリアはオペレーターの中でも有名で、アーツ学や格闘術について尋ねてくる人も多い。
医療の方面にも顔は広く、各方面から師事されている。
そんなサリアが廊下を歩いているのだから、話しかけられずとも目線がこちらを向くことは多い。
アビスは彼らの怪訝そうな視線に居心地の悪さを感じながら、サリアの一歩後ろを付き従った。
そうして連れて行かれた先はサリアの私室だった。
何故と思いながら足を踏み入れる。
内装は、トレーニング用品の他に学術書が並んでいたり、コーヒーメーカーが置いてあったり、サリアらしいものだった。
静謐な空間に足音が響く。
奥から客人用らしき椅子を引っ張り出してきて、サリアとアビスは対面に座った。
挟まれたテーブルの上には経済雑誌や学術雑誌がいくつか置かれていて、サリアらしいと心中で呟く。
「さて。何を話そうか」
「……
「?」
サリアが首を傾げる。
ややあって、発言の意図に思い至った。
「特段用があって誘ったわけではない。空いた時間ができたからトレーニングでもするかと考えていたらお前が目についたからな」
暇か、と聞いたのは他に用があればそれを優先するべきだと思ってのことだとサリアは言う。
相変わらずだ。
彼はずっと何を言われるか戦々恐々としていたと言うのに。
まあ、自分が色々とやらかしている自覚があるからこその思考回路だったので、サリアに非は一切ないのだが。
二人が顔を合わせるのは実に何日ぶりだろうか。
訓練室が爆破されて少し後からずっと会っていなかったので、それなりの日数離れていたことになる。
「雑談か。何を話すべきだろうか」
まず
「ああ、鉱石病の様子はどうだ?」
初っ端の話題にしては重すぎないだろうか、と。
そんな配慮ができるものなら、きっとサリアは同僚とああまで拗れていない。
しかしまあ、アビスにとってその話題は重くも何ともないのだから、結果的には無難な話題だったが。
「どうにも、体全体が脆くなっているようです。お腹周りを除く他の器官はまだ不全にまで至ってはいませんが、影響は出ているようです。今後それがどうなることか、といった具合ですね」
種族柄なのだろうか、アビスは傷の治りがいくらか早い。
だが龍門でナインから受けた傷は未だ痛痒を生み出し続けている。
治療は受けられていたはずなのだが、ナインの攻撃を無防備に受けた両腕は完治に程遠い。
以前であればもっと和らいでいただろうに。
それが鉱石病の影響によるものとすることは、断言こそできないが、可能性は高いだろう。
「それでいいのかもしれません。もう、必要もありませんから」
ナインと戦い話を聞いた。
まだすっきり片付いたとまでは言えなくとも、力が必要な段階にはもうないだろう。
頭の中では、そうだった。
「そうか」
「はい」
「訓練はやめるのか?」
言葉に詰まる。
返す文言に悩んでしまう。
理性では、意味のない訓練などやめてしまえばいいと考えている。もう死んでしまうのだから。
しかし感情面ではそうもいかないこともある。訓練の時間が好きだった、サリアが頼りになる存在だった、他にも色々な感情を彼は持っていた。
軽率に捨てることなど出来なかった。
そんな彼を見て、彼女は思う。
やはりケルシーが言っていた通りではないのかもしれない、と。
少し前にケルシーが持ちかけてきた話をサリアは疑っていた。
サリアが受けていた印象とは節々が違っていたのだ。
だがそれだけなら、自身の人間関係に関する能力が低いのだと納得できていただろう。
それが今話したことで、些細な疑念は確信に変わった。
「都合が良ければ来ると良い」
「……サリアさんが、そう仰るなら」
彼は彼の意思で死を選んでいない。
口先だけの妄言だ。
しかし彼は実行するだろうし、意地を張って下らない嘘を突き通すような類ではない。
サリアが下した結論は──「誰かに唆されている」というものだった。
もちろんそれの現実性はほぼない。
人が適当に唆されてはい死にますとなるわけがない。
最低でもロドス内に居ることが必要条件で、となれば実現は不可能だ。
不可能であるはずだ。
彼を縛るものは呪いのようだった。
だがその呪いをかけた術者が見当たらない。
まるで冥府から死人が手招きしているかのような状況だ。
サリアはそこに薄気味悪さ──ではなく、強い憤りを感じていた。
とは言え、それを表に出すことはしない。
何故ならそれは彼のプライベートを無遠慮に侵犯する行為だからだ。
以前シーを殺そうとしていた場面に立ち会ったことがあるサリアは、何に気をつけるべきか大凡把握できていた。
少なくとも手遅れになる危険性が低いうちは胸の中だ。
そう決めていた。
さて、と他の話題を探す。
数秒の思索の後、思い当たる。
「ところで、アビス。これは小耳に挟んだ程度の噂だから気にするものでもないのだが……」
「何でしょうか?」
「ロドスに幽閉されているレユニオンの首魁が、どうやら面会を求めているらしい」
「面会ですか? ……ああ、近衛局督察隊の隊長ですか?」
作戦行動中に少しは事情を知った。
面会を求めるとするならばあの人だろう。
そんなアビスの推察は、しかし間違っていた。
「いいや、お前だ」
「……マジですか?」
サリアは答えない。
答えるまでもない問いだからだ。
「確度は高いのでしょうか?」
「言っただろう、噂程度だ。心当たりがないのなら杞憂に終わる程度のな」
心当たり。
──レユニオンに入らないか?
とてもあった。
すごくあった。
堪らず頭を抱える。
サリアは本当だったようだと心中で呟きながらコーヒーを口に含んだ。
面倒ごとの予感が胸を埋め尽くした。
アビスは突っ伏して、ため息をついた。