【仮題】感情トランスポーター 作:Gensigert
放った空き缶がゴミ箱にストンと入る。
療養庭園に備え付けられたベンチに座って、私は一つ伸びをした。
立てかけてあるハルバードが上手い具合に直射光を遮っている。
業務の合間、清涼な空気を味わう。
それが最近のマイブームだ。
自分好みの服を着て、自分好みの音楽を聴き、自分好みの空間で過ごすことがどれだけ癒しになるのか。
鬱陶しく粘り着いた憎悪の叫声は届かない。
手に染み付いて離れなかった血糊が消えていく。
心が洗われる、とはこのことだろう。
だから。
「邪魔をするなよ、アビス。せっかくの雰囲気が台無しだ。それとも破壊行為に興奮する変態趣味でも持っているのか?」
「……随分な物言いだね。ただ通りがかっただけなのに」
「それなら私の向かいに座る必要もないだろう」
「嫌われたなぁ」
にこにこと笑いながらそれを言うのか。
「気色が悪いな」
「ごめんごめん、新鮮なんだよ。ここ最近距離を詰められることばっかりで突き放されることがなかったんだ。どんな気の迷いかは知らないけどね」
少し気がかりなことを言う。
私から積極的に関わろうとは思えないが、中途半端に知っているというのも据わりが悪い。
「……不快だったか?」
「まさか。嫌われてて安心したくらいだよ」
「そっちじゃない。気持ち悪いことを言うな」
そう言うと、アビスは首を傾げた。
言葉が足りなかったか。
「距離を詰められて不快だったか、と。私はそれを聞いている」
「ああ、そういうこと」
「それ以外にないだろう」
言い過ぎた、自分でもそう感じた。
だがアビスはからからと笑っていた。
本当に気持ち悪いな。
「不快だなんて感じなかったよ。不自然さが気持ち悪いなと思ったりはしたけど」
それくらいがちょうどいい塩梅だ。
私がこいつに近づいた時もかなり強引だった。
とは言ってもケルシー先生にせっつかれて御膳立てされてのことだったんだが。
この場合、強引なのはケルシー先生だろう。
私が繊細などと世迷言を言うつもりはないが。
「それで、何が蟠っているんだ?」
そう聞くと、驚いた顔になる。
「話を聞いてくれるんだね」
「いつまでも辛気臭い顔を見ていたくないからな」
「それもそうか」
アビスが笑う。
乾いた笑いだった。
きっと限界が近いんだろう、とだけわかった。
鉱石病か人間関係か、
飲みかけの飲料水を投げて渡す。
「飲め。少しは気も晴れる」
「いいの? それじゃあ君に貰うのは二度目だね。何か返した方がいいかもしれないな」
「いつか私に酒でも奢ってみせろ」
「そんな時が来るといいね」
本心から望んでいることがわかる。
けれど、きっとそれを自分が選べないだろうことも分かっているのだろう。
諦念がその目に浮かんでいた。
「……分からないんだ。分かれないんだと思う。人に近づきたいって気持ちが欠落してしまったのかもしれない」
「大切だと思っていても、か?」
「そう、大切な人。大切な人なんだ。ボクが大切だと思えた人。それなのにボクから仲を深めようと話しかけたことは、きっと両手の指で数えてしまえるくらいなんだ」
どこか遠くを見ながら、話は続く。
「ボクには分からないんだ。好意を持っている人にだって、ボクから近付くことは珍しいなんてものじゃない。以前はそれに何かしらの理由を付けて正当化していたけど、今のボクにとってそれは誤魔化しようのない違和感なんだ」
「つまり、なんだ?」
「ボクはどこかおかしいんだ。ボクすら分からないどこかに、ボクが許容した覚えのない意図が絡まっているように思えて仕方がない。まるで呪いのようにボクの行動を遮っているみたいに感じるんだ」
「それがなければケルシー先生にもっと近づいている、と?」
「──なんでここでケルシー先生が出てくるんだよ! 言っただろう、ボクはあの人のことが嫌いだ! 何もなくたって離れてる!」
「そうか」
余計なことを聞くんじゃなかったな。
神経を逆撫でするだけだった。
「第一、あの人は本当に何を考えているのか分からないんだ! 大切だとか、それ以前の問題だよ!」
やけに噛みついてくる。
もしかすれば、もしかすると。
「それなら、あの懐中時計を大切にしている理由を教えてもらいたいものだが」
「なっ、なんで知って……」
「さあな」
正直ずっと気になっていた部分だ。
口では嫌いだ嫌いだと喚いているが、本当のところどうなのか見えてこない。
少なくとも根っこから嫌いなわけではないのだろうが。
「そりゃ、ボクにとって……いや、その……」
趣味が悪いように思われるだろうが、外から眺める他人の色々は中々退屈しないな。
「……ケルシー先生は、ボクがこの世で一番大切な人を亡くしてから、優しくしてくれた二番目の人なんだ。色々気を遣ってもらって、世話してもらって、ロドスに置いてもらって……本当は嫌いたくないんだ」
なるほど、それで?
「だけどケルシー先生はボクの一番大事なものを否定してる。いや、否定じゃないのかもしれない。でもそれはボクにとってどうしても受け入れられないことなんだ」
「つまり、本当は好きだが素直になれない理由がある、と」
「要約しすぎだって!」
「間違ったことを言ったか?」
「それは……けど……」
アビスが口篭る。
ようやく素直になったか。
「結局、どうなりたいんだ。きっとお前はもうケルシー先生を説得しようと考えてはいないんだろう?」
「どうなりたいって、それは」
「『死にたい』はなしだ」
何も言えなくなったところを見ると、私に対してそう言おうとしていたってことか。
気分が悪い。
「もしそんなふざけたことを言おうものなら、お前の血を一滴残らず凍らせてやろう」
「……あはは」
「足先から少しずつ、壊死したそばから切り落としてやる」
「あの、謝るから武器は置いてくれない? いや本当に、今のボクって割と脆いらしいから──うわっ!? 今掠った! 掠ったよ!?」
「チッ」
とは言え半分以上ノリだが。
私がもし本気で言うとしたら、それはアビスが本気で死にたいと私に言った時だろう。
その時が来たら、ケルシー先生と二人でパーティーだな。
楽に死ねると思うなよ。
「ああ、でも本当に……君と話せてよかった。ボクが君との約束を果たせたら、その時はよろしくね」
「約束? 何のことだ?」
「……ボクのことを嫌いじゃなくなってくれたら、その時はよろしく」
「ああ、そうだな。その日が来ることを祈っておこう」
満足そうな顔をして、彼が席を立った。
消えゆくその背はここに来た時よりずっとしっかりしているように見えた。
残された私は伏せていた端末を裏返す。
通話中の三文字が浮かんでいる。
『アビスは行ったか』
少し驚いた。
多忙なケルシー先生のことだから、咄嗟にかけた電話はダメ元で、きっと繋がっていないと思っていた。
それほどまでにアビスを優先しているということだろうか。
『本当は好き、か。成果が出てくれて何よりだ』
自嘲するような声色。
それがどうしてなのか、私には分からない。
『フロストリーフ。私は君が羨ましい』
本当に孤独なのはケルシー先生じゃないのか?
ふとそんな問いが心中に浮かぶ。
最近ドクターとケルシー先生の仲が悪いという噂が高頻度で広がっている。
真偽はどうあれ、火のないところに煙は立たない。
何かしら問題が起きているのだろう。
『失言だったな。……これでも私は忙しい。それではな。感謝している』
プツ、と切れて何も聞こえなくなった。
アビスのことを少し考える。
私に対して悪意を求める彼の姿はどうにも歪だった。
あまり人の機微に聡くもないのだが、敢えて言うなら、背中を押してもらいたいとでも思っているように感じた。
躊躇いに引き戻されているのか──いや、推測に過ぎないか。
顔見知りに死なれるのは後味が悪い。
多少は私も考えてみようか。
考えることをやめた人間が何かを為せるほど、この世界は甘くも何ともないのだからな。