【仮題】感情トランスポーター 作:Gensigert
絶叫が響いたのと、部屋のドアが吹っ飛んだのはほぼ同時だった。ガヴィルの体が宙を舞い、それを追いかけるように何かが部屋から飛び出した。
跳躍と共に突き出された足は正確にガヴィルの顎を狙うが、それよりも先に天井へと伸ばされていたガヴィルの足がついて、辛うじて回避することに成功した。
転がるように床に着地したガヴィルの姿は決して健常とは言い難かった。唇の端から血を流し、右腕には裂傷が目立ち、脚部には青あざがいくつもできている。
そしてそれの下手人たるサリアは、少しのダメージこそあれど、戦闘には全く支障がない範囲だった。
跳躍していたサリアは体を回転させてガヴィルのように天井を蹴り、まるで追尾するミサイルのように正確にガヴィルへと跳んでいった。
迎え打とうとするガヴィルだが、サリアが手刀を構えているのを見た瞬間に体から力を抜き、スピードに緩急をつけて前へと屈みながら回避した。
当然ながら、サリアの攻撃はそんなものでは終わらない。手をついてハンドスプリングのような動作で跳ねた後壁に到達し、また壁を蹴り、ピンボールのように天井を経由してガヴィルを狙う。
大きく仰け反ったガヴィルの首元には少しだけ届かなかったように思われたが、サリアにはアーツがあった。指先から少しだけ伸ばされたカルシウム合金の刃は、首に一筋の赤い線を刻みつけた。
「止まれ、サリア」
付けられた傷に怯んだ一瞬の隙をついて後ろ側に回り込んでいたサリアの尻尾が止まった。それはまるで蛇のようにガヴィルの手に巻き付こうと撓んでいて、反対側からは指先から出ていたカルシウムの薄刃が牽制するように突きつけられていた。
「許せることではない。何か違うか?」
「合っているが、取り返しもつくだろうが、だとしてもそれ以上は駄目だ」
「ほう、殺害予告をされておいて過剰だとは驚きだ」
「いいや、それでもだ。何故ならば全ての元凶は、そこに居るドクターとワルファリンなのだからな」
サリアがワルファリンを睨む。まるで人外の戦闘を見せたサリアの構える手刀に震え上がった。
次いでドクターを……
「コイツは生きてるのか?」
「ぴぃっ!?」
「この矢はお前か」
「ち、違うの!全然殺すつもりなんてなくて、ただアビスが死にそうだって聞いて正気じゃなかったっていうか……」
「ふむ……仮面を貫いてはいるが、顎下を掠めているだけのようだな」
「えっ?そうなの?」
「ああ、だから」
サリアが矢を仮面から抜いて、狙いをつけるようにゆっくりと腕を上げていく。
「少し痛い目を見せてやろう」
痛みに目を覚ましたドクターの絶叫が響いた。
ほとんど何も悪くなかったが、ケルシーの手を煩わせてしまった為に起こった勘違いの悲劇だった。
ドクターはちゃんと自分を悪役に考えて自分を納得させようとしたが、いかんせん突出した悪いところが見当たらなかった。だからここまで主犯格と見做されるのは些か遺憾である。
首を捻りでもすればその十倍を軽く超える捻りをサリアから与えられるかもしれないので控えておいたが、ケルシーの前で平伏して謝罪した時でさえ割と疑問でいっぱいだった。
悪いとは思っているのだ。ドクター自身、ケルシー率いるオペレーター達を押し返してやろうと全力で指揮した訳で、そこに手抜かりは一切なかった。ケルシーからすればいい迷惑だろう。
そしてそれ以前に大声でケルシーを侮辱するような発言をしてしまっている。売り言葉に買い言葉で、出来もしないことを言って中傷した。
でもそれはそんなに悪いことだろうか?少なくとも殺されそうになって、事実一歩間違えれば死んでいた恐怖を味わい気絶して、起きるのを待つことすらなく矢で顔を抉られた。感染症などを考慮すれば、いくら医療オペレーターの前とは言えとんでもない暴挙だった。
恨みがましくサリアの方に顔を向けようとして、サリアと目が合った。誇張でもなんでもなく仮面越しに視線が交わり、ついでに「下手なことを言えばまた抉る」という意志も確認できた。
「ど、どうも」
「チッ」
サリアが舌打ちしながら威嚇した。
ドクターはもう言葉を発しないことを決めた。
一方、ワルファリンは震えていた。視線を足下に固定して、未だ自身を襲っていない暴力に恐怖していた。
チラッとベッドで体を起こしているアビスの方を見やった。サリアの方を見るのは勇気が必要だが、アビスの方は大丈夫だった。
「何か、聞きたいことでも?」
ダメだった。アビスの目はコードネームを体現するかのように真っ黒に塗りつぶされていて、輝きというものが一切合切抜け落ちていた。
前情報ではこんなことはずではなかったのだ。アビスはどんなオペレーターとも仲良くやれる好青年で、そのアーツが気になったからちょっかいをかけただけだったのだ。
ガヴィルの暴走はワルファリンからしても完全に予想外であり、そもそも拘束とかしなくてもアーツくらい見せてもらえんじゃね?という想定が打ち砕かれたことすら予想外だった。
アビスは体の中でも大事な骨ばかりを折られたばかりだ。しかし一般的なロドスのオペレーターのように鍛えているのであれば、アビスはワルファリンの首をきゅっと握るだけで、致命傷を与えられるのだ。
ワルファリンのそんな想定は、当然ながら無意味だ。アビスがそれを可能なのか不可能なのかはともかく、しないということを信頼しなければいけない。
銃を持った人間が銃口を自分に向けないだろうと思うように、同僚がアーツロッドでいきなり自分を殴る訳がないと思うように、アビスがその腕でワルファリンを殺さないだろうと思うことが大切なのだ。
その点で言えば、ワルファリンは落第ものだった。ドクターの仮面の内側を真っ赤に染めたサリアならともかくとして、何もしていないアビスにまで警戒している。
自分が害意を持たれるようなことをしたのだという自覚は尊いが、それを予見した上で主導したワルファリンはアビスにとってクソだ。間違いなく敵でしかない。
「な、なあ、アビス」
「なんですか」
「怒っておるか?」
「はい。とても、すごく、かなり」
アビスは憤激して当然だった。なんとか押し留められてはいるようだが、自白剤を用いて自分の一番話したくないアーツのことを無理矢理に吐かされるかもしれなくて、更にそれは人命救助などとも関係なく単なる好奇心によるもので、更に更に廃人若しくは死人に行き着くのみだったアビスは正直言って骨折させる勢いで二、三発殴っても許された。
それをしなかったのはアビスが殴りたくなかった訳ではなく、ただ状況説明を優先すべきだと感じたからだろう。何せアビスの視点ではガヴィルに詰め寄られて、サリアがキレて、それだけなのだから。
「チッ」
サリアはまだキレているが、アビスはそれを黙認することにした。罪悪感なんて毛ほども感じなかった。
「それで」
ワルファリンとドクターが肩を跳ねさせた。
「説明してくれますか?ケルシー先生」
「ああ、どれだけ二人が悪辣だったのかを二割増くらいで伝えてやろう」
「……嘘だろ?」
「勿論冗談だ」
「ほっ」
「変えなくても十分悪辣だからな」
ワルファリンはまた床へと目を落とした。スカジの肉体強度に目をつけた時は本当に運が良かったのだ。情報が漏れて、計画段階で止められた。そこでブレーキをかけられたのだ。
だが今回は計画を立てて、武器を振るって、殺害予告をして、負けたのだ。テロリストとほとんど変わりがない。
そして更に目をつけた先は気のいいオペレーターの闇であり、触れないよう気を遣っていたケルシーのことなど全く知らずにその壁をぶち抜いた。
ワルファリンに下される処罰は一月の減給程度で済む訳がない。
「まず、ワルファリンは私がアビスを検査した機器のログを遡り、その結果を盗んだ。プロファイルとしても開示されていない以上、それは個人情報の窃盗と変わらない」
ワルファリンの一つ目の罪、窃盗。
国によって個人情報は窃盗の対象にならないこともあるが、そんな言い訳をされたところでロドスはどの国にも所属しない自治組織である。そのトップが罪科を決めて何が悪いのか。しかもそれは罰されて当然の所業だった。
「次にワルファリンはアビスの検査結果から不自然な融合率の上昇を確認し、そこに添えられた私のメモを見てアーツが原因なのだと知った。これは私の不手際でもある。すまなかった」
「いえ、閲覧される訳がない資料に何かを書き込んだとして、誰も責めることはできません」
「ありがとう。そしてワルファリンは次にアビスのアーツについて嗅ぎ回り、結果としてエイプリルからその一端を聞き出すことに成功した。これは立派なストーカー行為だ」
二つ目、ストーカー規制法違反。こちらも国によって存在の有無からしてまず違うが、ヴィクトリアの王都などでは公然に罰される行為である。常識的に考えてノーだ。
「あとエイプリルからはまた後で謝罪したいと言伝を預かっている。彼女としても、本意ではなかったんだ」
「ボクもそれについては言っておくべきでした。謝罪は受け取って、こちらからも歩み寄るつもりです」
アビスのヘイトはほとんど二人に向いている。それをどう思うかは立場によって違うが、エイプリルに限ってみればそれは朗報だった。
尚、この場には悲報となる者が二名存在する模様である。
「そして続いてワルファリンはアビスのアーツを研究することを決めて、それの有志に声をかけた。そこで登場するのがドクターだ。ワルファリンはその場で医療オペレーター及び術師オペレーターを煽り、ドクターはそれに同調する形で私への名誉毀損に相当する発言を行った」
三つ目、民衆煽動罪。
ドクターは一つ目、名誉毀損罪。
「次に、ワルファリンはケガをしているアビスを前にして不謹慎な発言を繰り返し、ヒーリングアーツをかけず、あろうことかサリアに怒鳴った、当然私にもだ。また、アーツの意図的な引き伸ばしはロドスとの契約違反とも取れるが……そこまでの思考能力がなかったことは私とサリアが保証しよう」
四つ目、脅迫罪または恐喝罪。思考能力の低さを肯定されたワルファリンは肩を震わせて小さくなっていた。
「ちなみにドクターは過剰にワルファリンを制止しようとしたらしい。まあ、致し方なしと言えよう」
「よし!」
「ふん」
ようやくサリアの怒りは収まってくれたようだ。
「そして、次。ガヴィルらの奮闘により部屋から押し出された私の前でドクターはオペレーターを集った。そしてそのままオペレーター達を指揮した訳だが、これは言うまでもなく教唆にあたる」
二つ目の罪、犯罪教唆。
「ワルファリンは鎮圧しようとしたオペレーターにまずは拳で以って抵抗の意を示し、それから開戦した」
五つ目の罪、暴行罪。もう少しだけ追求すれば、戦争犯罪を犯したとも言える。
「そして二人が主導した果てには、あのガヴィルの放送だ」
三つ目、六つ目の罪、殺人未遂ないし強要罪。
「さて、何か弁明は?」
「わ、妾は、その……」
「そうか、弁明するのか。これまで醜態を重ねてきたのだから、もう一つ増えるくらいならどうでもいいのか?」
「う、うぇえ……」
ドクターが過度なストレスにより吐き気を催していた。
ワルファリンは完全に固まって、言い訳をするどころか満足に物も考えられないほどだった。
「しかし、ここまで言っても全てはロドスという組織内で完結したことだ。被害者や巻き込まれた者達が笑って許せば処罰すらなくとも見逃されるだろう。まあ、そんなことはないだろうが」
ケルシーはアビスを見た。
「ボクは、またこんなことが起こらないことと、ケルシー先生から罰を受けてもらえれば言うことはありません」
意外そうにドクターが顔を上げた。サリアが舌打ちした。ドクターは顔を下げた。
「ではワルファリンには適当な難題を幾つか押し付けた上で半年間の減給をしよう。それと研究用の機器はその間没収させてもらう」
「寛大だな、感謝するぞ……」
「ドクターは給料の九割カットと勤務時間の延長と指揮者の育成と研究と治験の手伝いをしてもらおう」
「それ死ぬやつ」
「チッ」
「分かりました」
「アーミヤにも説明しておく。これで話は終わりだ。迷惑をかけてすまなかった、アビス」
ケルシーが頭を下げようとして、アビスはそれをやんわりと制止した。ケルシーに責任はないし、ガヴィルだって本当に危険な自白剤に手を出すとは思えなかった。
ちなみに今は
もうほとんど解散ムードになった室内。
そう、きっとあと一分も経たずに解散していたのだろう、それくらいの弛緩した雰囲気だった。
だからこそ、壊されたのだが。
「これはただの興味なんだが、ケルシー先生はアビスのアーツを知っているのか?」
アビスの視線が静かにケルシーを貫いた。
ケルシーはワルファリンを完全な無表情で見つめた後に、全力でドクターの方に顔を逸らした。
「えっえっ、な、なんすか」
ケルシーはドクターの神算鬼謀に期待していた。最悪の雰囲気を迎えることがほとんど内定したこの部屋を救ってくれるのはきっとドクターなのだと、そう思って見つめた。
「ドクター、ボクのアーツについて、なにか?」
「いや俺に聞くなよ、俺は嗅ぎ回ってた側なんだから。ケルシーの方が詳し──なんでMon3trを出してるんですか?」
「どうか打ち所悪く死んでくれ」
「ちょ、やめ──!」
Mon3trの体当たりはドクターの体を最も容易く吹き飛ばし、強かに壁へと体を打ち付けたドクターは、そのままくたっと脱力した。
アビスの視線は再びケルシーに向いた。