【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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八十一 『私』

 

 

 

 

 

 

 

 ロドス本艦、執務室。

 AM 10:42。

 

「……面倒くさいな、本当に」

 

「すまないな、アビス。付き合わせてしまって」

 

 机の上にいつも通り積まれているのは変わり映えしない書類の山。

 

 アビスがこれ見よがしにため息をつくと、ドクターは太陽のような笑顔で、さも嬉しそうにそう言った。

 それを糾弾する気力もなくげんなりと顔を顰めた。

 

「今日で秘書当番三日目だよ。毎日同じ顔見て飽きないの?」

 

「唯一の友人の顔なんだ。飽きるなんてことはありえないさ」

 

 ドクターの心配をして、それから三日。

 アビスは三日連続で秘書に指名されていた。

 その中で当然のように名前呼びや料理を強請ってくるので、アビスは「放っておけば良かったな」と思う毎日だった。

 

 こんな面倒なことになるのならドクターなんて恐怖で死んでしまえば良かったんだと、半ば本気で考える。

 

 今からでも甲板から投げ捨てようか。

 本気で実行に移そうとすればやめてくれるだろうか?

 そう思ったが、そんなところが気に入られてしまったらしいので、もうどうしようもなかった。

 

「アビスが秘書だと処理能力をセーブする必要もないし殺される心配だって要らない。護衛を断った時にマンティコアが泣きそうになってたけど、まあ仕方ないな!」

 

「うわ、鬼畜外道。見損なったよ」

 

「元より私に期待もしていないんだろう?」

 

「とっても期待してるよ」

 

「嘘だな」

 

 ドクターは印鑑をアビスに投げつける。

 ノールックで受け止めてみせたアビスを口笛で囃し立てると、高速で返却されたそれに額を打たれた。

 

「自分に心底興味のない相手とする会話……やはりこれはいいものだ。不安や重圧なんてどこにもない、楽で堪らないよ」

 

「なるほど。ドクターにキョウミがアリマス」

 

「それなら業務の後も少し話そうか。嬉しいよ、私に興味を持ってもらえるなんて」

 

 ドクターがアビスの手を取る。

 即座にするりと抜けて業務に戻った。

 

 何を言っても無駄だ。

 アビスは最初の一日でそれを悟り、しかし諦め悪く抗っていた。

 ドクターはそんなアビスの様子をにこにこと眺めていたが。

 

「……ねえ、せめて仕事の手伝いはボク以外の人に頼んでもらえないかな。苦ではないけど飽きるんだよ」

 

「私にまた地獄を見せるつもりか?」

 

「だって仕方ないだろう。今朝方、大剣を持ったアビサルハンターにめちゃくちゃ威嚇されたし。ボクだって別にやりたくてやってるわけじゃないのにさ」

 

「それは申し訳ないが、目を瞑ってくれないか。私は君にとって大切な人なんだろう?」

 

「そういう意味で言ったんじゃない」

 

「えっ」

 

「……えっ?」

 

 手が止まる。

 ドクターは目を見開いている。

 

 窓から入った風が吹き抜けていって、けれど室内の雰囲気は全く変わらなかった。

 

「た、大切な人なんだろう? 私は、君にとって……」

 

 泣きそうな顔で肩を掴む。

 子供が親に縋るような様で、ドクターはみっともなく寄る辺に頼む。

 

「一旦落ち着こうか」

 

「私が居なくなったら嫌なんだろう? なあ、そう言ってくれたはずだ。私を君は害さないと、そう言ってくれていたんじゃないのか? 何が違う?」

 

 肩を掴む手に力が入る。

 いくら脆くなっているとは言えヴイーヴルであるアビスに痛痒を与えるほどではなかったが、しかし脆弱なドクターにしては驚くほどの力が篭っていた。

 

「分かった分かった、落ち着いて」

 

「その言葉に嘘はなかったから、君だけは信頼してもいいと私は思えたんだ。私の目が濁っていたのか? 本当は私を騙していたのか? 違うと言ってくれよ、なあ」

 

「面倒くさいなこの人」

 

「私が悪かったのか? ようやく拠り所が出来て、それに頼ったのはそれほどまでに悪いことだったのか?」

 

「聞かないし。ボクの言葉聞いてないし」

 

「寝る時や食事の時は離れただろう? それだけでも私の心は精一杯だったんだ、これ以上どうすればよかったんだ」

 

 ぽろぽろと目から涙が溢れ出す。

 一度居心地の良い空間を知ってしまえば、全身を刺すような恐怖などとても耐えられたものではない。

 アビスもそれは分かっている。

 

 だがそんなこと、知ったことではなかった。

 ドクターが死ねば後味が悪いのは確かだ。

 ドクターが苦しむのもまあ、片手間でどうにかなるのなら手を出すのも吝かではない。

 

 しかし、元々あった苦しみが耐えられないなどと言われても協力したくなかった。

 同情はできるが、しない。

 それは甘えだと一刀両断する。

 それがアビスのドクターに対するスタンスだった。

 

「はぁ……」

 

 吐いた深い息にドクターが身を震わせた。

 

「分かった、君は大切な人だ。ボクから首を突っ込んだことだし付き合ってあげるよ」

 

 首を突っ込んだ云々は全くの嘘であり方便だったが、それはドクターも理解していた。

 そう、ドクターはアビスが自分の()()()に折れたということを理解したのだ。

 

 ──いける。

 

 内心で高笑いしつつのしかかる。

 ドクターはアビスに流されやすい性質があることを知っている。

 それがケルシーなどの比較的情がある相手にしか発揮されないことも知っていたが、今なら自分でも行けるだろうとドクターは見積もった。

 

「目を覚まして、幼い少女の権限に私の命がかかっていることを理解してから、ずっと怖かったんだ! よくわからない女に因縁をつけられる上、龍門の上役共の辞書には友好なんて言葉がどこにもない! ふざけるなよ、私は進んでこんなところまで来たわけじゃないんだ!」

 

「ボクにどうしろと」

 

「打算塗れでいいから、いや、むしろ私が安心するために打算で結婚してくれ……」

 

「ふん」

 

「いっだぁっ!? な、何するんだ!」

 

「流石に騙されないよ」

 

「それなら、添い寝くらいは……ダメか?」

 

譲歩的要請法(ドア イン ザ フェイス)も無駄」

 

 むぅ、と頬を膨らませる。

 それでアビスが釣れるとはカケラも思っていなかったが、こういうことは雰囲気が大事なのだ。

 これを疎かにしてはいけない。

 

「はぁ、分かったさ。それにしても、勉強は嫌いなくせに心理学については多少知っているんだな」

 

「一時期お世話になっていた傭兵の人が教えてくれたんだよ。旅をする上で色々とあるだろうからって」

 

「名前は?」

 

「……それ必要?」

 

「呪いに名前は重要らしいからな」

 

「呪うなよボクの恩人を」

 

「ははは」

 

 恩人とか関係ないのである。

 アビスにドクターの事情が全く関係ないように、ドクターにもアビスの事情は関係ない。

 ドクターはただ恨めしい相手がいたから呪うだけだ。

 誰の横槍だって入れることはできない。

 

 騙すことの責任が騙した側にあるという理論に従えば、騙されなかった責任は騙されなかった側にあるはずだ。

 故にこの怒りは至極真っ当なものなのである。

 

 そんなことを考えていると、アビスがいきなり立ち上がった。

 

「さて。ボクに割り当てられた書類は全て終わった、ってことでもう帰るから」

 

「待て待て待て待て私を一人にするつもりか。昼を食堂で済ませるのも辛いんだ、それに仕事が終わったら話す予定だったろう、あ、あと秘書業務はやるべきことを終わらせたら帰るってものでもないだろう、それに……」

 

 心底困る。

 この世界には自分の姿を消すことができる人や技術がそれなりにあるのだ。

 一人で居る時間は数少ない癒しではあるのだが、それでも不安が残ることは否めない。

 それに先行きが見えない不安などは往々にして一人の時に襲いかかってくる。

 

 そんなあれこれを頭の中に並べ連ねて、けれど上手く口から出ていかなくて、更なる焦りに支配される。

 

 アビスはそれを見て、困ったように笑った。

 

「ドクター、今のはただの意趣返しだよ。そこまで焦らなくたっていい」

 

「……良かったぁ…………」

 

「まあ昼時には食堂に行ってもらうし仕事が終わってから話すこともないけど」

 

「…………」

 

「おっと。裾なんて掴ませないよ」

 

 猛ダッシュでアビスに襲いかかる。

 しかし運動不足で理性をいつも溶かしているようなドクターが身体能力でアビスに敵うはずもなく、ひらりひらりと躱されてしまう。

 

 書類などどうでもいい。

 CEOの怒りなど、いつも感じていたあの恐怖に比べれば瑣末事だ。

 捕まえたくらいで説得できるとは思えないが、だとしても第一段階には妥当なものだ。

 それが如何に難しかったとしても成し遂げなければいけない。

 

 ドクターが集中に集中を重ね、徐々に動きのキレが良くなっていく。

 アビスは小さな驚きと共に執務室を駆け回ってドクターを翻弄する。

 

 

 

 

 

「ぜはぁっ! ぐっ……はぁっ! ひはぁっ!」

 

 先に音を上げたのは──もとい、体が動かなくなったのはドクターだった。

 生活習慣、性別、種族。

 色々な理由が組み合わさって綺麗な惨敗を見せていた。

 

「うん、良い運動になったよ」

 

「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ」

 

 大の字になって寝転がったドクターにペットボトルの水を差し出す。

 訓練室の出入りが制限されていたアビスにとって、それなりに広い部屋で運動する機会は貴重だった。

 本心からの感謝と共に笑顔を向ける。

 瀕死のドクターにはそれを認識する余裕すらなかったが。

 

「……落ち着いた?」

 

「………疲れた……アビス、膝枕してくれ……」

 

「嫌だけど」

 

「それならソファに運んで、横で座っていてくれ」

 

「嫌だよ、退屈そうだし」

 

「寝ついたら帰っていい。ただ、安心して眠ってみたいんだ」

 

 泥のように纏わりつく疲労。

 鎌首を(もた)げている眠気が心地よい。

 何より、すぐ横でアビスが自分を見ているという事実がドクターを安心させてやまなかった。

 

 ひょいと担ぎ上げられる。

 

「……お姫様抱っこか」

 

「ファイヤーマンズキャリーの方がいい?」

 

「いや、私はこっちの方が好きだ。守られている感覚が強いからだろう」

 

 推論を述べるドクター。

 その真面目腐った言い方にアビスは小さく笑みをこぼした。

 

「今更だけど。ドクターのその顔でその口調って、なんか違和感あるよね。もっとかわいい口調の方がしっくり来そうだ」

 

「……私の顔はかわいいか?」

 

「リラほどじゃないけどね」

 

「魅力的か?」

 

「魅力は毛ほども感じないかな」

 

「整っていたところで魅力がなければ意味がないだろう。求めるものが靡かないようでは、な」

 

「ボクはリラ以外の人に靡かないよ。リラに似てる人が居たって、過去と重ねることがどれだけ失礼なことか知ってる。もしボクに寿命が沢山あったとしても、誰かと結婚なんてことは出来ないね」

 

「……そうでなくては、私の安心だってここにはなかった、か。君が()()だったからこそ、私は君を信じることが出来たのだから。何と面倒なことだろうか」

 

 理屈っぽい言葉の連立。

 アビスは辟易としながらドクターを下ろした。

 

 いつのまにかソファに辿り着いていたらしい。

 疲労と眠気が綯い交ぜになって夢へと駆り立てる。

 

 ドクターの手が伸びて、けれどアビスはそれをゆらりと躱した。

 その顔が小さく不安に彩られる。

 しかしそれもすぐに消えてなくなった。

 

 アビスはドクターの手を握っていた。

 ごつごつと骨ばった手が華奢なドクターの手を包む。

 

「子供みたいだね、ドクター。いつでも掻き消されてしまえる微かな命、脆弱な身体に、不安と恐怖で染められた心。本当に子供みたいだよ」

 

 そう言ったアビスの顔に嘲りの色はなかった。

 ドクターの手を握る彼の手はただただ暖かく、大きくて、まるで親のようだった。

 記憶の遥か彼方、消え去った記録の中で小さく微笑む親という存在。

 

 ドクターの胸の中で暖かい何かが増えた。

 安心とは違う、温もりを求める子供の感情。

 アビスにはもう頭が上がらないだろうな、と小さく心中で呟いた。

 

 誰か一人に寄りかかることがどれだけ愚かしいことなのか、ドクターは知っていた。

 新たに増えたその感情──依存の危険性をドクターは知っていた。

 アビスの状況を知っていて、殊更に危険な行為だという自覚がドクターにはあった。

 

 それでもやめられなかった。

 逃げたくて仕方がなかったのだ。

 一炊の夢に違いないと分かっていて、ドクターはそれを選ぶことしかできなかった。

 

「……なあ。私のことは、好きか?」

 

「全然好きじゃないね」

 

「そうか」

 

 ドクターは自嘲するように笑った。

 自分に対して何とも思っていない存在を探しておいて、次に浮かんだ欲求は何とも矛盾したものだった。

 

 好かれたい、などと。

 アビスをここまで付き合わせておいて、それを求めるのは甘すぎる。

 嫌われていない今が既に奇跡的だと言うのに。

 

「一つ、頼みがあるんだ」

 

「死に際みたいなこと言うね。聞いてあげるよ」

 

「……起きるまで私のことを守ってくれるって、嘘でもいいから言って欲しいんだ」

 

「へえ?」

 

 アビスはからかい混じりに笑った。

 

「本当に嘘でもいいんだ? 守らなくたっていいって?」

 

「……頼めるわけないだろう、私が君にそんなこと。図々しいにも程がある」

 

 目を瞑ったドクターが答える。

 今すぐにでも微睡がドクターを招こうとしていた。

 けれどそれだけでは不十分だ。

 暗闇に閉ざされた視界の中、アビスがどれだけ近くに居ようとも眠ることへの恐れが苛んでいた。

 優しい嘘をよすがにして、今日こそは。

 

 最初から小さいハードルを選んで譲らないドクターに小さく鼻を鳴らした。

 何が不機嫌にさせたのかと頭の中を巡らせようとしたが、既にドクターの思考は半分ほど埋没していた。

 故に期待を抱くこともなかった。

 あるのは重く積み重なった諦観のみ。

 

「本当は返す気なんてなかったけど、この際だから返してあげるよ。これはナイン探しに付き合ってもらった分の借りだ」

 

 薄れゆく意識の底で、それを聞いた。

 アビスの声は幼子に語りかけているような優しさを持ってドクターの耳朶を揺らす。

 

 

 

 

 

「命に代えてもボクが守るよ、ドクター」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵意と黒煙。

 チェルノボーグはそれらに埋め尽くされていた。

 幾度となく危機に晒された。

 爆炎の先に未来があると信じていた。

 

 

 私は目覚めてすぐに戦場の指揮を取った。

 冷静な頭が最適解を導いてくれた。

 私は、本当は混乱でいっぱいだった。

 

 私に信頼を寄せる少女の本意が分からなかった。

 追い込まれている苛烈な状況で、私を助けに来たと口にする彼女たちの狙いがわからなかった。

 

 私はどこまでも普通の人だった。

 ただ、昔の積み重ねを背負っているだけ。

 性能の良い頭、寄せられる信頼、それら全てが借り物のように感じられた。

 

 私は『ドクター』であって、私ではないのだ。

 私の能力など誰にも期待されていない。

 私が持つドクターさんとやらの能力を欲しがっているだけ。

 

 

 怖かった。

 恐ろしかった。

 

 すぐそばに落ちてくる火炎瓶、そこらを行き交う矢の群れにアーツの奔流、そして怒号と悪意。

 

 そして何より「私」を一欠片でも見せてしまえば拒絶されるのではないかという考えが、私を恐怖の坩堝に叩き落とした。

 

 

 そんな中で彼と出会った。

 いや、出会ったという言葉は不適切だ。

 

 ただ私の前に立ってWと戦っていた。

 それは私──いや、『ドクター』を守るための行動ではなかった。

 ただ自身の損得勘定に基づいて私を守っていた。

 

 『ドクター』の指揮能力なんて関係ない。

 『ドクター』の過去なんて関係ない。

 

 私のために一切『ドクター』を考えず戦う彼は、私の存在を肯定してくれたように思えた。

 

 『ドクター』に関心がなかった彼は、もちろん私にも関心なんてなかった。

 それでもよかった。

 居てくれるだけで良かった。

 

 ロドスを辞めると言い出した時も、私個人としては止める気なんてなかった。

 ロドスにいなくたって、彼が居たという事実だけで良かったから。

 彼にそれ以上を期待していなかったから。

 

 

 けれど、もう違う。

 

 

 

 

「……あ、起きたんだ。ドクター」

 

 

 三人分のL字型ソファ、私が占領した残りの場所にアビスは座っていた。

 どうせなら膝枕をしてくれれば良かったのだが。

 

 

「ねえ、アビス」

 

 

 格好つけて紅茶を嗜んでいるアビスに頭から突撃する。

 落ちたカップが甲高い音を立てて割れた。

 

 

「私を受け入れてくれてありがとう」

 

 

 染み付いているいつもの口調が消えていた。

 普通の少女である、私らしい口調で。

 

 

「大好き」

 

 

 

 君の横が私の居場所。

 どうか、一緒に居させて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

これで五章は終了となります。
評価をあまり気にしなくなったので本当にマイペースな更新頻度になると思います。
読んでくださる方々はありがとうございます。
……大体予定の半分が終わりました。
早く殺したいです。

 
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