【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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誤字報告感謝ァ……!

 


幕間
八十二 ないんさんぽ


 

 

 

 

 

 

 目覚めは唐突に訪れるものだ。

 他の者にとってはどうであれ、ナインにとっての目覚めはそういうものだった。

 

 ぱち、と目が覚めた。

 ベッドから跳ね起きて転げ落ちながらに得物を構える。

 それは疲労が蓄積した果てに崩れ落ちる、そんな眠り方を何度も行っていた彼女の習慣に似たものだった。

 

「おはよ、ナイン。悪夢でも見たの?」

 

 そう声をかけてきたのはこの部屋の主人であるアビスだ。

 ナインは現在オペレーター契約を保留しており、アビスの部屋に居候状態で過ごしている。

 あるコータスのオペレーターは最後まで猛反対していたが、結局押し切られる形で同居が決定した。

 

「何でもねえよ。お前こそ最近秘書ばっかりじゃねえか、疲れてんじゃねえのか?」

 

「あー、うん。確かに疲れてるかもね……押しが強くて……」

 

 朝から晩まで付きっきりで秘書業務、部屋に帰ってきてからは携帯端末をずっと見つめている。

 その忙しさが悪いとは思わないが、大変そうだとはいつも感じている。

 いつか倒れてしまいそう、と思えるほどではないことが救いだろうか。

 

「朝ご飯できてるよ」

 

「オレは要らねえって」

 

「成長期にちゃんと食べないと伸びないよ?」

 

 ナインは押し黙った。

 身長が欲しいから静かになったわけではない。

 どれだけ反論を並べようと、今のアビスが引き下がることはないだろうと分かっているからだった。

 

「それじゃ、ボクは仕事に行ってくるから。ちゃんと食べておいてね」

 

 それに、アビスは余程のことでもなければ強制しない。

 家族であっても親ではなく、最後にはナインの意思を尊重する。

 そのせいでナインはやりにくさを感じることもあるのだが、基本的にはありがたい配慮だった。

 

 アビスが行った後で朝食は食べておく。

 用意されている二食分のうちどちらかが残っていると、帰ってきた時に悲しそうな顔をするからだ。

 食堂の料理と引けを取らない出来なので不満はそこまであるわけでもないが、自主性に任せてくれてもいいだろうと思うことはよくあった。

 

 

 腹拵えを済ませて早々に部屋を出た。

 

 いつもならアビスも受けていたらしいロドス塾があるのだが、今日は休日だった。

 なのでナインはロドスを見て回ることにした。

 

 搭乗してから日が浅いナインにはまだまだ知らない場所ばかりだ。

 執務室周りとあの通路、食堂に宿舎は覚えた。

 ついでに図書室や多少の娯楽施設にも顔を出した。

 そこから立ち入り禁止区画を除いたとしても、把握できているのは一割に満たないほど。

 好奇心も動こうというものだろう。

 

 

 

 最初に回るのは既に見たことのある執務室周り。

 事務作業に励む職員が廊下を行き交っていて、医療区画やエンジニア部など、色々な場所から集まっているため人が多い。

 ナインは人混みが好きでも嫌いでもないが、思っているように動けないのは退屈だ。

 

「最近、秘書が変わってないらしい」

 

「ん? ああ、仕事ができるんだとよ。確か最近事情があって前線から下げられたオペレーターだったか」

 

「最近は忙しいからな。CEOが愚痴ってたぜ、もっと頼ってくれても良いのにってよ」

 

 壁際で話をしている二人組の男。

 件の男がアビスということはすぐに分かった。

 

 どうやらアビスはデキる男だったらしい。

 ナインは少し、いやかなり驚いた。

 あの意外とポンコツで頭も決して良くはないアビスが仕事は得意だと言われても、そう簡単に飲み込めない。

 

 少し覗いてみよう、とナインは執務室を目指すことにした。

 

 

 キィ、と小さく音が鳴る。

 ナインは細い隙間から執務室の中を覗いた。

 

「─────────。」

 

「──、────。」

 

 何か喋っている。

 隣り合って仕事をしているあたり決して悪い仲でもないようだ。

 

 そして、書類が裁かれるスピードは人外だった。

 

 ドクターがぺら、ぺら、と捲る音。

 ちゃんと読めているのか心配になるくらいにペンをつけるまでが早い。

 その割には時々手を止めて考え込んでいるようで、きっと内容の理解はしているのだろう、と窺える。

 

 アビスは、もう、ギャグだった。

 すすすすす、と5センチ以上積まれている書類が薄くなっていく。

 それがゼロになった途端に目にも止まらぬ速さでまた積まれている。

 傍に積まれている書類の山が少しずつ減っていることを見れば、そこから補充しているのだろうと分かる。

 

 それにしたって規格外だった。

 仕事が出来るとかそういうレベルではない。

 それに特化して生まれた生き物と言われても理解できるレベルで化け物だった。

 

 ちなみにケルシーは同じかそれ以上のスピードが出せるらしい。

 

 一区切りついたのか、アビスが伸びをする。

 ドクターがそんなアビスに後ろから抱きつくようにして、また話をしている。

 男同士とは言え距離が近くはないだろうか、と思うところはあったが、それよりも先ほどの人外じみた動きがまだ強烈に残っていた。

 

 ナインはひっそりと扉を閉めた。

 これ以上見ていてもSAN値が削れるだけだろうと思った賢明なナインは、執務室を離れ別の場所に向かおうと考えたのだ。

 

 

 次に訪れたのは療養庭園。

 いくらか話を聞いたことがある場所だ。

 

 そしてそこは噂に違わず、清涼な空気としつこくない花の香りに包まれた陽気な場所だった。

 モルフォチョウなど綺麗な蝶も生息しているらしい。

 別段虫が苦手ではないが、好きと言えるわけでもない。

 ただ綺麗な花々に囲まれた場所に漂う蝶々は幻想的だろうと、ナインはそう思っていた。

 

「綺麗でしょう?」

 

 気が付けば、隣にはいつのまにかふんわりとした雰囲気のヴァルポがこちらを見ていた。

 

「初めまして、私はパフューマーのラナ。ここは初めてよね。案内が必要かしら?」

 

「一人で平気だ」

 

「あら、そう? それなら注意事項だけ伝えるわね。もしかして、それも既に把握済みかしら?」

 

「いや、聞いたこともない。教えてくれ」

 

「ふふ、いい子ね」

 

 余計なことを言わないで相手が望んでいる言葉を返すことが対人関係でのコツだ。

 子供扱いされていると強く感じていたが、ナインは大人しくラナの教えを受けることにした。

 

 一頻りそれが終わると、ラナは奥へと歩いて行った。

 覗きに来ただけだったのだが、ここまで雰囲気が良いと興味を唆られる。

 あの孤児院ほど居心地が良い場所にはならないだろうが、さて。

 ナインは庭園の中に足を踏み入れた。

 

 植木鉢の中に育つ青々とした苗木。

 そのすぐ後ろには、同じ種類の育ち切った老木が聳えている。

 

 花壇の中に見たことのある花がいくつかあると思えば、蔓草が支柱に絡まって上を目指している。

 

 数々の植物が生を謳歌している中で、小一時間ほど歩き回ったナインは少し疲れてベンチに寄りかかっていた。

 なるほど療養に使えるわけだ、時間だけが有り余っている病人でも回りきれないほど端から端まで詰まった大ボリュームだった。

 施設自体の大きさは規格外と言えるほど巨大ではないのだが、その密度は凄まじかった。

 どれだけの労力が使われているのかは知らないがロドスの組織力をまざまざと見せつけられた気分だ。

 

 甘すぎない花の香りがどこからか運ばれてきて顔を顰めた。

 

 良い空間すぎて居心地が悪い。

 もっとゴミが少なからず散らかっていて、植物は緑か紫ばかりで、引き抜くと臭いものが生えている、そんな場所が望ましい。

 

 ナインはスラムの住人であり、故郷がそんな具合なのだ。

 療養庭園の良すぎる居心地は返って毒だった。

 

「こんにちは」

 

 横合いから声をかけられた。

 その人物を見て、想起されることがあった。

 

 ペッローの特徴。

 少し濃い乳白色の髪。

 

 思い出す人物は一人だけ、姉と呼んで慕ったリラのことだ。

 リラの髪は卯の花色で黄色がかった髪の彼女とは少し印象が違うものの、キッカケには十分だった。

 

「どうかされましたか? ご気分が優れないとか……?」

 

「知り合いに似てただけだ。何ともない」

 

 療養庭園のスタッフなのだろうかとナインはポデンコを眺めた。

 リラは花を愛でるより外で遊ぶことに価値を見出すタイプで、ポデンコから受ける印象はその反対だった。

 

「オレに何か用か?」

 

「かわいらしいお客さんがいらっしゃったと聞いたので。それに疲れていらっしゃるようですから、これを」

 

「……香水?」

 

「アロマです。こちらがペパーミント、こちらはプチグレインです。どちらも疲労に効果があるんですよ」

 

 ナインにはアロマと香水の違いがわからなかったが、訂正されたからには何かしらが違うのだろう。

 差し出された瓶の装飾はとても簡素で商品とは思えない。

 

「オレには似合わないと思うけど」

 

「では、一度試してみませんか?」

 

 謎の圧を感じる。

 ずずいとポデンコが差し出した二つの瓶の違いはやはり分からなかったので適当に選んだ。

 

 シュッ、と音がして香りが広がる。

 柑橘系の匂いが脳に伝う。

 

「……落ち着く」

 

「ふふ、良い香りですよね?」

 

 にこにこと笑顔を浮かべるポデンコ。

 

 特に理由はない、特に理由はないのだが──ナインはポデンコに勝てるビジョンが全く浮かばなかった。

 

 

 療養庭園を出たナインのポケットに入っていたのはプチグレインのエッセンシャルオイル。

 どうやらポデンコの押しには勝てなかったようだ。

 

 次に向かうはロドスの甲板。

 まだ仄かに香っている爽やかな匂いが鼻の奥をついて、ナインは悪くないと思えた。

 

 階段を上っていく。

 ロドスにはエレベーターもあるが、他の利用者と居合わせるのが嫌だったためナインは大人しく足を酷使することに決めた。

 いくら体を鍛えていても年齢が年齢だ。

 ナインは少し息を荒げながら天辺に着いた。

 

 甲板には何もない。

 何もないからこそ、先が見える。

 その在り方はまるでナインのようだった。

 

 吹く風はかなり強く、落とした紙はきっともう二度と戻ってこないだろう。

 その代わりにと描かれた景色は壮観で、けれどそれだけだった。

 

 無意味だった。

 自然が綺麗であることなど何の意味もなく、心を揺らすわけでもない。

 馬鹿と煙は高所を好むらしいが、生憎とナインはその両方に当てはまらない。

 

 ナインは甲板に意味を見出せなかった。

 風はうざったく髪を流して、腰ほどまである長髪に引っ張られそうだ。

 

 アビスが居たとしてもきっと同じ感想を抱いただろう。

 無意味で無意義で、さっさと帰りたい。

 

「ナイン」

 

 ふと、鈴の音が耳に届いた。

 

 足が一人でに動き出して甲板の中央に躍り出る。

 肌に露出していた源石結晶が熱を放ってぼうっとする。

 

 あつくてあつくてあつくてあつい。

 脳のど真ん中に焼けた石が投げられた。

 大きな音を立てて弾けて消えて散り散りになった自分が、きっと今の意識だった。

 

「ナイン」

 

 誰かが呼んでいる。

 誰かが自分の名前を呼んでいる。

 熱にかき混ぜられたような意識の中でそれだけを認識した。

 海の中に浮かぶ流木のような一欠片だけの思考が回路を通って信号が伝わる。

 

「ナイン」

 

 嗅覚が酸っぱい香りに支配される。

 視覚が無意味なもので埋め尽くされる。

 聴覚が風の吹き付ける雑音で消えていく。

 

 音もなくアーツが発動して源石の結晶が肥大の結果ひび割れる。

 増え続ける負荷がナインの脳を更に熱くする。

 

「ナイン」

 

 オレの名を呼んでいた。

 オレの名を呼んでいたのは。

 

 オレの声で、オレの名前を呼んでいたのは、きっと、いや、紛れもなく──

 

 ナインは思わず口を塞いだ。

 熱でまともに考えられないまま、それ以上を許してしまうことがあってはならないと感じていた。

 それは冒涜で、大悪で、背徳だった。

 

「ぐぅっ……けほっ、……けほっ、けほっ!!」

 

 抑えられない咳が出る。

 篭っていた熱が頭蓋から抜けていくのを感じる。

 

 膝に力が入らず崩れ落ちた。

 階段を上った時よりもずっと体力が持って行かれていて、両手を床について這いつくばる。

 

 そして、気がついた。

 ナインの手は血で朱く染まっていた。

 

 目を見開いて仰反ろうとする。

 けれど出来なかった。

 

 口内の異物。

 咳と共に肺から押し出された何か。

 堪らず吐き出す。

 

 血と共に転がり出たその固形物。

 

 

 源石が、遮蔽のない甲板できらりと輝いた。

 

 

 

 

 今夜は上手く眠れそうにないな。

 小さく笑って、理性が発する拒絶反応に従い胃の中身を全てぶちまけた。

 

 黒い結晶は見当たらなかった。

 ナインは何度も嘔吐した。

 

 

 しばらく経って。

 ハサミが糸を切ったように、ナインの意識はぷっつりと途切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 




 
ほのぼので終わらせて堪るか。
 
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