【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

91 / 104
九十一 猫医者抵抗作戦-フェイズ2

 

 

 

 

 

 

 

 

 これで今日の業務は終わり。

 ボクはとっとと帰らせてもらおう。

 

「急く必要はないだろう」

 

 席を立ったボクをドクターが捕まえる。

 まるでそうなると分かってたみたいに。

 

「今日ばかりは譲れないよ」

 

「駄目だ。嫌だ。行かないでくれ」

 

「予定があるんだ」

 

「その予定より私を優先してはくれないのか?」

 

「しない」

 

 ぶんぶん振ってもドクターは手を離さない。

 どれだけ捻っても最適な躱し方で掴み直される。

 

 

 今日はエイプリルと約束をした日だ。

 待ちに待った──とは言わないけど、それでも楽しみにしてた自分がいるのは確かだ。

 それに一度ボクの都合で延期してもらった手前、ドクターを優先することはありえない。

 自殺しそうな雰囲気はもうなくなってるし。

 

 

 そう思ったのも束の間、とんでもない量の感情がバイザーの奥から伝わってきた。

 

「アビス、どうかお願いだ。今日だけでいい。今日だけでいいから私のそばに居てくれ。明日は秘書を休んだとしても構わない、今日だけは私の隣に座っていてくれないか」

 

 握る手に力が籠る。

 

 その目に映るは莫大な恐怖。

 捉えているのは、全てを考えずにはいられない優秀()()()()()()()頭が作り出した可能性の一つ。

 ドクターの静かな震駭に共感を覚えるボクもまた、その感情の所有者だった。

 

 そんな視線に思わず手が止まった瞬間、ドクターがボクの方へと飛び込んでくる。

 溢れんばかりの、その華奢な体が潰れてしまいそうなほどの感情を乗せて、ボクにしがみついて離れない。

 

「どうして今日なんだよ」

 

「分かっていたら、苦労などしていない。私にはどうしても君が必要なんだ、抑えられないんだ。何もかもが危険なようにさえ見えている。どうかこのまま、ここにいて欲しい」

 

 ドクターが俯いて寄りかかる。

 淡々と吐き出された言葉は、けれど相当な熱を持っていた。

 きっといつもと同じだ。

 ボクを縛りつけるために泣いて縋ってる。

 自分からトラウマのスイッチをつけて追い込むんだ。

 それが唯一ボクを止められる方法だから。

 

 毎度毎度嫌になる。

 本当ならさっさと振り解いて離れたいんだ。

 

 それでもボクの心はNOを言えない。

 どろりとした重いものが肺に溜まって、同情が募っていく。

 きっとそれは、ドクターの感情が意図的に生み出されたとは言っても、偽物だったことは一度もないからだ。

 

 でも。

 

「今日は無理。それより優先するべきものがあるんだ。泣くなら一人で泣けばいい」

 

 二度も約束を蔑ろにするわけにはいかない。

 分かってるだろう、ドクター。

 

「ああ、分かっている、分かっているが、退けないんだ。きっとこれから先、私より他の何かを優先しているこの事実が、楔のように心へと打ち立てられるのだろうと分かっている」

 

「しつこい」

 

 ドクターは「うぐっ」とだけ声に出した。

 本当に刺さってるのかな、この言葉の刃は。

 

「あ、ああ、そうだ。それなら、私を連れて行ってくれよ。ロドスで何をしているか、素行調査のような名目で……」

 

 今まさに思いついたとでも言わんばかりの言い方だ。

 どうせエイプリルより自分を優先させることが出来なかったからその次善策に切り替えただけなのだろうに。

 

 そういうところが絶妙に胡散臭い。

 その全部がボクをこの場に留めるためのものだと分かっていても、どちらかと言うと気持ち悪い。

 

「──約束は、破れないのか。私より、優先するものなのか。私などより、ずっと大事なのだと、そう言うのか」

 

 分かりきったことを聞く。

 ドクターはそんなボクを理解して、離れた。

 

「もう行っていいかな」

 

 ボクの問いかけにドクターは弱々しく頷いた。

 

 案外あっさり離れてくれた。

 少しだけそれが引っかかった。

 

 

「これ以上は、私を嫌いになるだろう?」

 

 

 小さく、ぽつりと呟いた。

 弱々しい声だった。

 

 どうせ計算して出しているはずだ。

 意識的でないことの方がおかしいだろう。

 そう分かっていて、なのにそれは普段の演技とは全く違った本心のように思えた。

 

 ボクはドアを開けて振り返る。

 ドクターにギリギリ聞こえるような声量で。

 

「嫌いになんかなれないよ。また明日」

 

 さあ、エイプリルの部屋に行こう。

 約束が待ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あー、この人のこと忘れてた。

 

「業務は終わったのか?」

 

 無視して横を通ろうとすれば、それがまるで分かっていたかのように塞がれる。

 

「業務は終わったのか、と聞いている」

 

「終わったよ。終わったからこうして自分の使いたいように時間を使ってる。それに何か文句でもある?」

 

「いいや。大いに結構だ」

 

「それなら通して欲しいんだけど」

 

 喧嘩腰で口を開いてる自覚はある。

 それでも、だって、しょうがないだろう。

 ただでさえドクターに時間を持っていかれたんだから、まだ約束した時間より早いとは言え、ボクの予定を乱されてるんだ。

 

「定期検診を受けてくれ。治療の準備は整っているんだ。ようやく空いた時間だろうが、それを私に預けては──」

 

「無理。予定あるから」

 

「私の方から説明をしておく。それでいいな」

 

 掴まれて、すぐに振り解く。

 どうしてこう人の話を聞かないのか。

 いや、聞いてるんだろうけど、その上で自分本位に動くのはやめてほしい。

 

 ボクが言えることじゃないけど。

 ボクが言えることじゃないけど!

 

「お前の生に意味などないと言ったのはお前自身だ。その予定は例外なのか? お前にとって無意味でないと切り捨てられるほど特別なものなのか?」

 

「ボクの気分だよ、優先させたいだけ」

 

「私に文句を言われることよりも、明確な理由なく選んだ選択肢を貫けないことの方が嫌か?」

 

「そう思うなら、そうなんじゃない? 一貫性の原理とか、ケルシー先生への反抗心とか。黙って受け入れる方がおかしいかもしれないね」

 

「口論を望みはしない。……ただ、君の理解を欲する所ではある。ドクターの束縛を離れた貴重な機会だ。逃すわけにはいかない。──どうか私の手を取ってはくれないか。準備は既に整っている」

 

 ケルシー先生が真っ直ぐにこちらを見つめる。

 

 ボクのため、なんて解釈はしてやらない。

 ケルシー先生の行動はどこまで行ってもケルシー先生がやりたいだけのこと。

 ボクのためを思うならさっさと葬送の準備をして欲しいし、それ以外に出来ることはない。

 

 だから当然、答えはNOで──。

 

「リラと言葉を交わした」

 

 開いた口が固まる。

 今、なんて言った?

 

「お前の体を治して欲しいと、そう頼まれた」

 

 話す。語る。

 ケルシー先生の口が開く。

 理解できない言語が耳に入ってくる。

 

 誰もいない廊下。

 静かな言葉が脳を侵す。

 

 話す。語る。

 ケルシー先生が説得する。

 理解したくない言葉が耳障りだ。

 

 誰の影も見えない廊下。

 

 話す。騙る。

 ケルシー先生は、ボクを騙している。

 

 そうとしか、考えられない。

 

「Mon3tr」

 

 放った蹴りは背から伸びる何かで防がれた。

 即座に体勢を戻そうとして──足が掴まれて振り回される。

 

 すっぽ抜けて放物線を描いた。

 龍門でナインに斬られた部分がまだ完治していなくて、痛む節々に顔を顰める。

 体勢を立て直してなんとか着地。

 

 ──足に違和感。

 

 掴まれた時に捻ったのかもしれない。

 五体満足でも負けそうなのに、運が悪い。

 

「疑っているようだが本当の話だ」

 

 そう嘯く。

 リラの名前は龍門に行っていたことを咎められた時につい漏らしてしまった。

 だから嘘じゃないことが証明できない。

 ……っていうか、嘘に決まってる。

 

 死人が蘇るのは夢の中だけだ。

 龍門での出会いは、リラさんがボクのことを知らない様子だったからまだ納得しただけで。

 ボクのことを知ってるリラなんてどこにも居ないんだよ。

 

 それを何年も何年も繰り返し頭に刻みつけてようやく受け入れられたボクに言うのってさ。

 デリカシーないと思わない?

 

「いつにも増して短絡的だな。そのように挑発したことは確かだが、まさか突然危害を加えようとするとは思ってもいなかった」

 

「それ、ジョークにしてもタチが悪いね。あ、いや、冗談のつもりじゃないんだよね? だとしたらケルシー先生がタチ悪いんだ。当たり屋かな?」

 

 思い通りにいかない。

 それはずっと分かっていたことだけど。

 揶揄うまでいくとは思わなかったよ。

 

 ボクが一つため息をつくと、ケルシー先生と動作がシンクロした。

 

「どうせ、来ることはない、か」

 

 重い息を吐き切ったケルシー先生の顔は全然すっきりなんかしてなかったけど、それでも区切りが一つ付いたようだった。

 

「君にとって今から大事な予定が入っていることは理解した。しかし私の立場からして、一刻も早く君の体を治したいと思うことは仕方がないことだと理解してくれ」

 

「分かってるよ。それで?」

 

「これから私はドクターと話を付ける。その時は必ず私の治療に付き合うと約束してくれ。今この場は、君に譲ろう」

 

 ケルシー先生にしては随分と理性的だ。

 ボクを理解したってわけじゃないことだけは確かだろうけど。

 

 それに、この様子だとドクターのことも分かってないな。あの人は多少下手に出られたところでボクを手放さない。

 

「いいよ、約束しよう。ただ一つだけ、ドクターがケルシー先生の言葉を何から何まで突っぱねたなら、ボクはケルシー先生に協力なんてしない。それでいいよね?」

 

「ああ、それでいい」

 

 道が開いた。

 それ以上の言葉は要らなかった。

 だから何も言わなかった。

 

 一人分の足音が響く。

 

 白髪が後ろに流れて消える。

 振り払って前へと進んだ。

 

「アビス」

 

 立ち止まる。

 かつ、かつ、と足音がした。

 ケルシー先生の視線がボクの背にぶつかる。

 

「──絶対に、死なせはしない」

 

 確固たる意思が込められた声。

 ボクの心を真っ向から押さえつけるような。

 

 けれど。

 その声は、どこか。

 勘違いかもしれないけど。

 

 自分自身に言い聞かせているようだった。

 

 

 

 

 

 執務室の扉が開いた。

 少しの驚きに心が染まる。

 まさかノックもせずに入ってくるとは。

 

 私は書類を捌く手を止めずに聞いた。

 

「さて。気分はどうだ?」

 

 聞くまでもないだろう。

 何年も寄り添ってきたはずの彼への理解で私に負けているなどと、到底認められるものではないだろう。

 避けていた相手から手を差し伸べられるなど屈辱でしかないだろう。

 愚かな私に見下されるなど堪え難いだろう。

 

 それを分かっていて聞いた。

 ただの嫌がらせだ。

 私から彼を奪う忌々しい猫への嫌がらせだ。

 どうして私が彼から離れる策謀を巡らせなければいけないのか、理解はしていても虫唾が走る。

 

 そんな私の抵抗が効いているのかいないのか。

 ケルシーは何も言葉を発さなかった。

 

「嘸かし良い気分だろう。踏ん反りかえっているだけで私のような他人に問題を解決してもらえるのだからな。ああ、積年の努力が報われているんじゃないか。重役らしく人任せに、して……」

 

 嘲りの言葉が途切れた。

 無意識にすら動いていたはずの手が止まった。

 

「そんな顔ができたのか」

 

 ケルシーは逡巡していた。

 何が、とは聞くまでもないだろう。

 彼のことに決まっている。

 

 初めてだ。

 

 彼女が懊悩を押し隠すことなく私に見せるのは。

 私より、とは言えないが……ケルシーは溜め込みやすい性質だったはずだ。

 それをこうして見せるとは余程堪えたのか。

 

 

 気に入らない。

 

 

 私から彼を奪っておきながらその顔か。

 ただ意思を見せるだけで何も出来やしないお前が、私から彼を奪って、尚煩悶しているのか。

 

 その苦しみは私のものだ。

 お前が持っていて良いものではない。

 何もかもを任せたお前に、苦しむ権利などない。

 楽な道を選んだのだろう。

 苦労を背負う権利を放棄したのだろう。

 

「笑うといい、ケルシー。全ては君の思い通りだ。彼を存分に直してやるといい。どうやら都合のいい現実が転がり込んできたようだからな」

 

 この感情の一割、いや三割、もしかすると半分以上は八つ当たりなのかもしれない。

 だがそれはどんな意味を持つだろうか?

 

 私の主張には正当性がある。

 ケルシーがそれを認めている限り私の正しさは保証されている。

 私の行動には動機がある。

 ケルシーが不自然だと思わないほど筋の通った判然たる理由がある。

 

 ならば私の感情などどうでもいいだろう。

 ()()()()()()()()()とは言え、私に不利益がもたらされたことには決して間違いないのだから。

 

 ……ふん。

 辛気臭い顔だ。

 

 床を蹴るようにして席を立つ。

 休憩室の冷蔵庫から一つ取り出してきて、ラップを取った。

 

 山吹色の上に張ったカラメルの層。

 実食すれば口の中に広がる程良い甘味が私のストレスを和らげてくれる。

 彼が私のために作ってくれたという事実だけで満足してしまいそうなほどだったが、信頼できる人が作った食べ物は中々どうしてこんなにも美味しいのか。

 食堂で同じものを食べたとして、胸の内に湧く感慨は毒が入っていないことへの安堵が大半だろう。

 

 彼が料理に凝っていることは知っていた。

 そしてそれが、自分には食べられないものだから、せめて作る側に立って楽しみたいからだとも。

 それが理由なら料理だけでなくお菓子だって作れるだろうと思い頼んでみたのだが、どうやら正解だったらしい。

 

 何でもするから、一緒に居てくれないだろうか。

 紅茶だけが私の価値ではないはずだから。

 

 そう考えて──肩を落とす。

 

「……私程度が繋ぎ止められるのであれば、ああまで無関心なこともなかった、か」

 

 小さく、小さく、呟いた。

 

 何度辿ってもその結論に落ち着く。

 私を好きになるような人なら要らないんだ。

 私を好きにならない人だからこそ、好きになって欲しいと願わずにはいられない。

 矛盾しているようでもそれが本音だった。

 抗いがたい私の渇望。

 

「ドクター」

 

 私を呼ぶ声がする。

 気付かないふりをしてフードを被った。

 

「君はアビスに何を見出している?」

 

 彼の話題か。

 いや、違うな。

 

 これは彼の話題に()()()()()()()話だ。

 

「内在する理由とは限らない、とだけ言っておこうか」

 

 ケルシーの眉が微かに動いた。

 

 ケルシーは私とアビスのことを知らない。

 兼ねてから彼に注目していたこと、彼が救いとなりうること、そして『私』が彼に露見していること。

 

 だから私が彼を特別視する理由が分かっていない。

 私に何らかの異変が起きているのか、それともケルシーに対する嫌がらせなのか。

 恐らく彼に依存しているなどという考えには思い至らないだろう。

 

 つまりこの「何を見出しているのか」という問いは可能性を潰すためのものだろう。

 もしくは、そうであってはいけない、と考えた故のことか。

 恐れることはない。

 今の心理的に耗弱しているケルシーが真実に辿り着く可能性などゼロに等しい。

 

「元よりプライベートなことまで話して君に協力する義務なんてどれだけ探しても見つからないだろう? それを理解出したならばさっさと診察の準備なりすればいい」

 

「そうか」

 

 何故か、生気を取り戻した様子だった。

 

「それでは一つ聞かせてもらおうか」

 

「……拒否する」

 

「〝次〟はいつを予定している?」

 

 あぁ、ケルシー。

 君がそんな人間だとは思わなかった。

 

 ため息をついた。

 恐らく理解してはいないのだろう。

 その上で、この切り替えだ。

 

「診察結果次第だが二週間後程度だ」

 

「最低ラインは十日だ。それでいいな?」

 

 

 

 本当に、大嫌いだ。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。