【仮題】感情トランスポーター 作:Gensigert
精神を研ぎ澄ませてまっすぐに見据える。
いつか対峙した時は僅かな勝機すら見えなかったけど、今では違う。
私は訓練と実践で経験を積んだ。
彼は病状が悪化して弱体化した。
それなら私が勝てない道理はない。
そう考えて息を吐いた。
次の瞬間には斬っていた。
筋力のない私でも扱えるくらいには刃渡りが短いナイフだから、必然的に大振りでもなければ当たらない。
大きく振ってしまえば彼は悠々と避ける。
だから追い詰めるように牽制する。
彼が攻勢に出ることが難しくなるように避けさせて逃げられないような攻撃を作る。
三つ立て続けに甲高い音が響いた。
一つ目は胴を薙ぎ払おうと踏み込んだ私を退かせるため振るわれたナイフと打ち合った音。
二つ目は力に任せて押し切った私が勢いそのままに一回転して逆袈裟を狙って、防がれた音。
三つ目は鍔迫り合いを受け流されて力が浮いた彼のナイフを私の二本目のナイフが斬り払った音。
彼が小さくにやりと笑う。
私の成長に笑ってくれているのだろうか。
そう思った私には一瞬の隙が生まれていて、それを自覚した瞬間に大きく背後に跳んだ。
空中に残る一本の白い軌跡。
それは彼の靴先から出ている短い刃がそこを通過したことを示している。
受け流されて体勢が崩れていたことを確認したはずなのに、その数瞬後には足を振り回してる。
これは才能じゃなくて努力の類。
考えてた手が一つ消えた。
だけどそれだけには終わらない。
彼の武器はまだ向こうに転がってる。
対して私は二本とも手の中にあるんだから恐るるに足らない──は言い過ぎだけど、攻めない手はない。
前に踏み出して突きを繰り出す。
このまま振り回してもただ避けられるだけだから、少しの搦手を混ぜる必要がある。
踏み出して突いて、を何度か織り交ぜた後に、踏み出して、突きの姿勢を崩さずに横をすり抜けていく。
ターンを決めて精一杯足を振り回す。
体を捉えたけど、威力が低い。
掴まれることはなかった。
代わりに尻尾が足に巻き付いた。
流石に反則じゃないの?
私の腕よりずっと太くて力のある、更には可動域が広い五つ目の肢体なんてバカでしょ。
とは言え頭に入れてなかったのは私。
日頃の訓練の成果か、私はその予想外に対して冷静に対処することができていた。
初見の攻撃に対しては性質を理解し最も有効である対策を立てて実行することが大切。
たとえば尻尾だったら機敏かつ正確に動けるという性質が長所であり、短所にもなりうる。
だってその性質は体の一部であるということを理由とするもので、だからナイフを突き立てて仕舞えばダメージが入る。
カウンターのチャンスでもあるってこと。
そうして突き立てようとすれば彼の尻尾が一瞬揺らめいたあとに強く撓って私を投げ飛ばした。
私が対策を分かっていると理解したからだと思う。
着地。そしてすぐ横へと転がって間髪入れずに迫り来る追撃を紙一重で回避する。
ドン、と震える訓練室の床。
容赦のない彼に口が弧を描いた。
彼の本気が自分ただ一人だけに向いていることが、私にとってはこの上なく嬉しかった。
追撃のために姿勢を崩してくれた彼に走り寄って左から中段蹴り──を受け止められる一歩手前で、足を引き戻す。
体を回転させて、地面についた左足で踏み切って右の下段蹴り。
彼の姿勢からして掴むのは難しいタイミング、ここから更に繋げることができれば、或いは。
そう考えた私は注意が疎かになっていた。
彼の体は頭の胴と四肢だけではなかったのに。
尻尾が私の右足に絡みついた。
そのまま持ち上げられて私の体が逆さまになる。
あっ──と、良かった、ズボン履いてた。
スカートだったら流石に危なかった。
「巧くなったね。尻尾を使う気はなかったんだけど、一発入ってたから解禁かなって」
へへん、使わせられるくらいにはなったってことね。
そういう見方をするなら、私のここ最近の努力は報われたってこと。
……ん? 待って?
「使う気はなかった? 一発入ったから? つまり蹴られてから使おうって判断したの?」
彼は意図が分かってないみたいだった。
一撃目を振り返ろう。
私が彼の背面を蹴っ飛ばしてから尻尾に捉えられるまで、一度の瞬きすら許されないくらい早かった。
それを彼は尻尾で対応した。
それなのにそれは反射じゃなくてしっかり頭で考えてから動いてたって何?
頭の中どうなってんの?
「ボクは多少アドリブに強い方ではあるけどそこまで得意ってわけじゃないよ。オペレーターの方なら大体は普通にこなせるだろうからね」
「そんな風に言えるほど知らないくせに」
「言葉の鋭さまで磨かなくてもいいと思う」
頭に血が下りてきた。
流石にこれをずっとはしんどい。
ダブルタップすると一旦彼はお姫様抱っこの体勢を取って──私は絶対に離れなかった。
恥や外聞は自分からゴミ箱に移り住んだ。
私は絶対ここを動かない。
「……まあ、いいか」
任務帰りで一回きりの手合わせ。
片付けの必要もなく訓練室を出ると、退屈そうに爪をいじっているWが居た。
ぴっ、がこん。
ロックの音でWがこっちを見た。
少しだけ驚いて──不快そうな目をしてる。
「あんたはいつからリーベリに生まれ変わったのかしら? それともリニューアルは頭だけ? まあどっちでもいいことだけど」
「はいこれカードキー。ケルシーに渡しておいて」
「……はぁ?」
「世間話をする気はない。だから本題があるならさっさとそれを話したらいいと思うよ」
「へえ、ああそう。見ないうちに随分とロドスのオペレーターらしくなってるじゃない」
「そっちはどうにも被弾が多いみたいだね。銃に撃たれたような節穴が顔面に二つも空いてるよ」
「どこが的外れだってんのよ?」
ピリピリしてる二人。
Wは情緒が人間のそれじゃないからまだ分かるけど、彼がこんなに敵意剥き出しなのは珍しい。
もしかして私のためだったりして。
そんなわけないか。
「以前見た時は平気だと思っていたんだけど、どうやらそう思ってしまったのは過失に過ぎなかったみたいだ」
「まさかドクターにでも何か吹き込まれたのかしら? あっはは、笑えるわね! あの臆病者が目を血走らせて保身に尽くす姿も、そんな臆病者に騙くらかされたあんたのことも!」
「騙されたって? ボクが? そんな勘違いが出来る君の頭はどうやら相当に優しいみたいだ。そのせいで現実が辛く見えるかもしれないな」
「へえ、あのドクターだってやればできるじゃない。純粋無垢で世間知らずな男の子を騙してしまうだなんて、このあたしですら到底難しくって出来ないわ」
両方とも武器に手をかけてる。
一触即発の雰囲気か。
それはちょっと嫌だな。
「ねえ、W。喧嘩は後にしてくれない? 私が万一ここから下ろされたらどう責任取ってくれるの? 私の裁量でいいなら肥溜めに突っ込んで沈めるよ?」
Wの額に血管が浮き出る。
彼の顔は普段と同じように目の保養になる。
Wの顔なんて見なくていいか。
「あたしはラーヤの言葉遣いをもう少し直した方がいいと思うわ。甘やかすだけが躾じゃないのよ」
「それはごめん」
あ、なんか弛緩した感じ?
じゃあ私はもうしばらくこのままだね。
ほっと一息。
「私、一生このままでいたい」
私がそうしみじみと呟くと、彼は少しだけ迷った後こう言った。
「ボクが先に死ぬからそれは無理だね」
油断してたせいで涙が溢れ出た。
そんなこと言わないでよ。
「そこまで言えとは言ってないわ」
「ここまでとは思ってなかったんだ」
彼の顔が潤んで見えなくなった。
ああ、こんなことしてる場合じゃないのにな。
私は、彼を。
三人で話しながら歩いて──私は歩いてないけど──いると、執務室はすぐに見えてきた。
そうなると扉の前でウロウロしている女の子の姿だって見えてくる。
「あれ、ナイン。待たなくたっていいのに」
「別に待ってねえよ」
ナインは執務室をノックした。
「返事がねえしドアノブがなくなってる。かと言って警備課によれば誰かが侵入したわけじゃないらしい。以前もこんなことがあったらしいが、とにかく入れねえんだ。オレよりずっと通ってるんだろ、何か分かるか?」
見てみると確かにノブがない。
ドクターに何かあったのかもしれない。
このまま消えていたらいいんだけど。
「ドアノブがないってなんのこと?」
「そのままの意味でしかねえだろうが。それ以外にどんな意味があるんだよ」
「いや、だから」
彼が私を下ろそうとした。
鍛えた力と体幹でどうにか抵抗しようとしたけど、残念ながら私の手は水を掴むようにするりと抜けた。
そのまま彼はドアに近付いていって、本来あるであろう場所に手をかける。
どんな種があったのかドアが開いた。
何かしらのアーツで偽装されてたのかな。
でも、誰が、どうして?
私と女の子がそんな風の表情をした。
Wだけは何か得心がいったような顔で。
次の瞬間、青に染まった腕が彼を掴んだ。
弾かれたように動いた私の手はやっぱり水を掴むようにからぶってしまって、彼が引き摺り込まれた執務室のドアは相変わらずノブが見えない。
彼が掴んでいた場所に手を伸ばしても触っている感覚なんてないし、どう見ても通り抜けてる。
ドアをぶっ飛ばそうと振りかぶって──私の手はWに掴まれた。
「時間の無駄。こうなったらどうにもならないわ」
「だからってあの年中絵を描いてる駄目人間と二人きりにさせる気なの?」
「そうするしかないんだからそうするしかないじゃない。頭の中身を落としたのなら一緒に探してあげるわよ?」
Wの言葉でようやく冷静になった。
お姫様抱っこで浮かれてはいたけど本来なら彼についていく気だってなかったんだから。
お礼に一発、受け止められるだろうけど殴っておいて、私はこれからあの人に会いに行こう。
きっとWもそう考えてるだろうから。
「危ないわね」
一発入れて。
踏み出したのに。
「ついてこないの?」
「色々あるのよ。あたしはこのままアイツを待つから、存分に動いてみればいいじゃない。──今まで動けなかったこと、後悔しているんでしょう?」
Wの言葉は正直言って信用ならない。
だけど言ってる内容は正論だから今のところは思惑通り動いてあげるとしよう。
別に私は利用されたっていい。
どれだけ馬鹿にされたっていい。
だから、彼だけは。
ピンと張った雰囲気が身を包む。
「まずは研修ご苦労様と労っておこうか。だがそれ以上私が実地任務に関して言えることはない。指揮官たるドクターと他ならぬ君が、一番にその結果を見ているだろうからな」
静かな研究室の中には私と彼の担当医を務めているケルシー先生の二人だけ。
噂ではとんでもない年齢とか言われていたけど容姿から無理して繕ってる様子は見えない。
私もこれくらい綺麗な顔になれたらいいのに。
そうなったら、いや、そうなったとしてもきっと靡いてはくれないんだろうけど。
「ケルシー先生。お話があります」
下を向くにはまだ少し早い。
私のことを見てくれる可能性だってゼロじゃないし、振り向いてくれなくたって生きていて欲しいから。
「お願いではなく、か?」
「ええ、まあ。そうとも言います。ですがお願いするまでもなく動いてくださると思ったので」
「内容次第だ。話してみるといい」
ケルシー先生は特段感情を動かさなかった。
Wから聞いていたドクターの様子を打ち明けてみても、まるで最初から分かっていたみたい。
ただ一度だけ眉を動かした時があった。
話が終わるとケルシー先生は顎に手を当てて何かを考え始めた。
言葉を選んでいるとか、何かを測りかねているとか、そういった様子じゃなくて──もっと純粋に思考をずっと先まで伸ばしているような顔だった。
「まさか彼女は……」
とうとう、小さな言葉が漏れる。
自分の口から溢れたそれに気付いた様子すらなく、それきりケルシー先生はまた目を細めて何かを考えてるみたいだった。
そうして少しの時間が経つ。
ふと顔を上げたケルシー先生は、まるで何かあってほしくない可能性を見つけてしまって、それを否定したいと思ってるような顔でこう言った。
「つい先ほどナインについて言っていたな。執務室に関して彼女が慣れ親しんでいるかのように感じたが──それは本当か? 何度も来ていたようだったか?」
「厳密には分かりませんけど、何度も来ていたことは確かだと思います。アビスと一緒に行動してますし」
あんまりあの子は好きじゃない。
詳細は知らないけどアビスが少し前から巻いている包帯はあの子のせいだって言うし、何より彼から大切にされてるから。
「そう、か。やはりか」
ケルシー先生は大きな大きなため息をついた。
「ドクターからアビスを引き離す。これは私からの要請だ。デフラグレート、協力してくれるか?」
貼り付いた無表情からは何も読み取れない。
でもそんなことはどうでもよかった。
私が、彼を、救うんだ。
それだけなんだ。