【仮題】感情トランスポーター   作:Gensigert

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九十九 抵抗作戦対応指針-フェイズ3

 

 

「どうやら警告は無意味だったみたいだね」

 

 購買部のカウンター奥でそう呟いた。

 彼女は回した手が全く結果を生まなかった事実を淡々と受け入れて諦めていた。

 

「まあ、今のタイミングならまだマシか。突然自殺されたり出張中に暴れられたら被害が大きいからね。ドクターだけが傷付くんだったら歓迎だよ。最良の結果ではないけどさ」

 

 出会いは別れを持ってくる。

 生は死を連れてくる。

 

 幸福には不幸が付いて回る。

 浅ましくも不幸を封じようとしたドクターが墓穴を掘る様は、実際に見ていたわけでもないのだが興味深かった。

 まさか警告からそう日が経たずに失敗するとは夢にも思わなかったが、まぐれの成功なら喜ぶべきことだ。今のドクターのように空回って失敗することの方が余程恐ろしい。

 

「さて、ドクターとケルシー先生の間に生まれた溝はどうやって解決するのかな。アーミヤちゃんか、それともアビスくん?」

 

 映像作品を観ているかのような言葉ばかりが飛び出してくる。無責任で、無関係で、観客のような軽々しさ。

 

「なんてね。ケルシー先生が本気になって探してる子が見つかったらアビスくんがまた揺らぐだろうし、あの人ならざる者だって動くかもしれない。これ以上予測するのは無理」

 

 六面揃ったルービックキューブを手に取ると、無作為に回して放り投げた。バラバラに散らばった六色のタイルは多様な人々が織りなす方舟の航路に似ていた。

 

「さあ、彼等はどう動くかな?」

 

 カランと鈴が鳴った。

 

「いらっしゃい、購買部にようこそ!」

 

 クロージャは人好きのする笑みを浮かべる。

 腹の内が理解できるのは、きっと彼女自身だけなのだろう。

 

 

 

 アーミヤからのメールが届いていた。

 珍しいこともあるものだと思いながら内容を覗けば、彼女らしからぬ強い口調で出頭命令が書いてあった。

 アビスは未読のままゴミ箱ファイルへと転送すれば良かったと心底後悔する。

 

「それじゃ行ってくるよ、ナイン」

 

「ああ。労わってやれよ」

 

「あはは、まるでボクが加害者みたいに言うね。分かってるよ。話を聞かないまま拒絶するようなことはしない。相手はアーミヤさんだからね」

 

「だから気にしてんだけどな」

 

 心配性だな、と彼が呆れた顔をする。

 ナインは釈然としない面持ちで頭を掻いていた。

 

「発作が起きて助けが呼べない状況なら遠慮なくブザーを鳴らすこと。カッターが付いてくれるから遠慮なく頼るんだよ。あまり気が進まないかもしれないけどさ」

 

「分かってる。そんなことにはならねえよ」

 

「それなら安心したよ」

 

 アビスが廊下へと出て行った。

 少し寂しいが、今ならそれを紛らわせることが可能だ。新薬の効果で鉱石病の症状が安定したため、多少のアーツを使う許可が降りたためだ。

 ナインの並外れた素質であれば一日中幻影を横に置いておくことが出来る。他人に見せることは負荷の面でも危険度の面でも少々目立つためアビスの視界にずっとリラを映すことは出来ないが、ナイン自身だけなら可能だ。

 

 だからカインと話している予定だったのだが。

 

「リラ姉、居るだろ。出てこいよ」

 

 ナインが自分の胸に手を当てた。

 発展途上の硬い感触が返ってくる。

 

「そうかよ」

 

 特段気にも留めていないような声色で端末を取り出す。

 

「それじゃ、アビスにリラ姉のことを知らせねえとな」

 

 直後口と手の制御が奪われた。

 二つの意思がぶつかり合っている証拠だろう、開いた口、端末を取り落とした手は震えるだけで意味をなさない。

 

 少しずつ震えが収まって行く。

 

「何を話したいの?」

 

 口に集中することで解決したらしい。

 制御が戻った手を握っては開きながらリラの問いに答える。

 

「交渉だ。オレの体を使って多少はアイツと触れ合っていい。その代わり、オレの意識を残せ」

 

「は? 嫌だけど」

 

「体を使われてるオレの方が嫌に決まってんだろ。それに分かってんのかよ、リラ姉。薬が効いてオレの体を十分に乗っ取れなくなってんだろ? 一つの部位しか動かせねえのにどうやってアイツと接するんだ」

 

「それでも、私以外が抱きついていいわけないじゃん」

 

「アイツはオレのそれを受け入れたけどな。……おい、手を奪おうとすんな。やめろ、疲れるんだよ!」

 

 暴れる手をもう片方の手で抑えるという、見るものが見れば胸に手を当てて「いててててて」と苦しみ出しそうな光景だったが、ナインは至って真剣だった。

 

「オレだってな、少しくらいのスキンシップなら許されてんだよ。アイツにキスでもしてやろうか?」

 

 ついに手が刃物を欲して腰へと向かい始めた。

 

「オレの体で甘い汁が吸いてえんだったら、オレに従え。それが出来ないならオレはリラ姉を否定してやる。消えたくなるくらいの嫌がらせをしてやる」

 

 滔々と、淡々と、言葉が口から零れ落ちる。

 しかしその声色が浮かべる感情は怒りなどではない。

 

「だから。もう、やめてくれ」

 

 少しの間迷うような素振りを見せ、沈黙した。

 それから何秒経ったのか、何分か経ったのか。

 

 口が奪われた。

 

「六年で……変わったんだね、ナインは。真ん中にある芯だけはそのままで、それ以外はもう残ってない」

 

「当然だろ」

 

「そう言われたらそうだけど。ずっと変わらない人を見続けて感覚が狂ったのかもしれないや」

 

「そうだな。アイツはそういうヤツだった」

 

 リラはナインの変化に良い感情を抱いていない。そんなことは分かった上で気を緩めていた。それこそが月日に促された変化の表れと言えるだろう。

 

 そしてリラもまた変わりつつある。

 ナインの変化に理解を示した。以前ならばそうあるべきでないなどと言っていただろうに、そう頭ごなしにナインを否定することはなかった。

 

「でもキスは許さないから」

 

 油断していたナインの顎を思いきり打ち上げた。

 

 どれだけ変わろうと芯は動かず、ナインに理解を示しこそすれど譲歩できる境界線を踏み越えたなら容赦なく断罪する心持ちのようだ。

 

「ってぇな。分かってるよ、冗談だろ」

 

「自分の手で殺されても冗談で済めば良いね」

 

「……悪かったよ」

 

「あはは。冗談に決まってるじゃん」

 

 絶対に嘘だった。

 何とかなりそうだと思っていた数分前の自分を一発殴りたいと思い、ああそういえばその制裁は今さっき受けたなぁと現実逃避に暮れた。

 

 ズキズキと痛みが残る顎を摩りながら、ナインはこれからの展望に頭を痛めた。

 

 

 

 

 

 

 それは一週間ほど前のこと。

 

「あのさ、W。この機械は何?」

 

 早朝、とある一室。

 ライサの目は猜疑で染まっていた。

 

 空挺輸送機(バッドガイ号)の中で結ばれたWとの協力関係はあくまで一時的で一面的なものだ。助力を請うつもりも道連れにするつもりもなく、ライサはWを利用し利用される関係を望んでいた。

 

「見て分からないなら黙ってなさい、すぐ分かることになるから」

 

「盗聴器ってことくらいは分かる。触ったことあるし。だから問題はWが何のためにこれを持ってきたのかってこと。結構大型だからアビスの部屋まで届くよね、それ」

 

 ライサは既に武器へと手を伸ばしていた。

 Wは余裕綽々を装いながらも、極めて自然に過去の自分を棚に上げてみせたライサに戦慄する。おまいうである。

 

「確かに子機を忍ばせたのはアビスのジャケット──確かにって言ってるんだから少しは聞きなさいよ!」

 

「死ね」

 

 余りにも直接的な言葉。

 作戦中に見ていたが、ライサは既に死を恐れる時期を過ぎていた。テロリストに襲われたことがどう転んだのか、ライサは殺傷を全く気にしない。

 帰りの輸送機で戦果が云々言っていた時は「こいつやっべーな」で済んでいたのだが、それが自分にまで向くとなるとWは少し引いた。

 

「はぁ。それで、盗聴するの? この時間帯だとアビスはまだ起きてないか部屋で出来るトレーニングか……なに、なんか文句ある?」

 

「気色悪いわね」

 

 感想はその一言に尽きる。

 ライサは「はぁ?」と詰め寄ろうとして、少しの間逡巡して、終いには武器から手を離した。

 

「いや、その……辞めるつもりだったんだけど、あのフィディアがどうしても気になって、だから……」

 

 頬を赤くしてそっぽを向くライサ。盗撮や盗聴、ストーキング行為の類はアビスからプロポーズめいた言葉を受け取った時に辞めたはずだったのだ。

 それがどうしてナインが居着いてからの生活スタイルを把握しているのか──つまりはそういうことだった。

 

 ライサが何を基準にして生きているのか全くの不思議だったが、気色悪いこと以外は静かで都合が良かったのでWは無視を決め込む。

 

 調整が終わり、Wはスイッチを押した。

 

『ふわぁ……』

 

 開幕早々、ライサはWを弾き飛ばしてスピーカーに耳をくっつけた。コータスの耳が激しく振動し、目は全開で口がわなわなと震えている。

 

『あれ、盗聴器付いてる。まあいいか』

 

 しっかりと壁に頭を打ちつけたWがゆっくりと戻り、ライサの頭を引っ叩いた。しかしライサは盗聴に集中していて全く反応しない。

 

『ナイン、おはよう。寝癖ついてるよ』

 

 ドン、と重い音が響いた。

 ライサが床を叩いた音だった。

 

『朝ごはん出来てるから食べて。ボクはあの人を起こしに行ってくるから』

 

 二人の眉が寄せられた。

 アビスとナインが共用スペースと四つの私室からなる部屋で生活していることは知っていた。アビスが一人なのは、それ以外の入居者が各支部で常駐することになったり、入院していたり、エンジニア部になったりして移籍しているからだと聞いている。

 新しい入居者が増えるのは何らおかしいことではない。これまでも何度かあったとアビスから聞いている。

 

 だがタイミングが妙だった。

 もしかして、とライサが一つの予想を立てる。

 

 嫌な予感はやはり現実となった。

 

『カッター。カッター、起きてってば』

 

『……もう朝か』

 

 随分と声が明瞭に聞こえるものだ。

 ライサが盗聴器の本体を殴りつけようとして、寸前でWに止められた。今更感はあるが、マジで危ないヤツだった。

 

「殺してやる」

 

「あんただって起こされたことくらいあるんじゃないの?」

 

「ない。アビスが近付いたら気配で起きる」

 

 それは本当に愛と呼んでいいものだろうか。

 Wは苦言を呈そうとして、面倒になった。アビスの負担を少しくらいは削いでやりたかったが、まあ何とかするだろう。どうせこの兎は彼に危害を加えないのだから。

 

『んっ……ふぅ。ロドスのベッドは寝心地いいね。体が痛くない』

 

『ああ、分かるよ。それよく思ってた。野宿とか安宿とかと比べること自体が間違いだとは知ってるけどね』

 

『アビスが起こしてくれるなら寝過ごす心配だってない。安心してぐっすり眠れるなんて、何年振りかな』

 

『別に毎日起こせるわけじゃないし、自力で起きてくれた方が助かるんだけど』

 

 ゆっくりと動いたライサの腕をWが掴んで止める。気のせいでなければ、今アーツを使おうとしていなかっただろうか。

 

「あんただって同じ部屋に住めばいいじゃない」

 

「心臓が耐えられない」

 

 めんどくせー。Wの顰められた顔は全力でそう表現していた。羨ましく思うクセにどうして一歩引いてしまうのか。暴走機関車っぷりはどこに行ったのか。

 

 アビスはカッターを連れて共用スペースに戻ったようだった。ナインと三人の会話が続く。朝餉が終わり、カッターが自室に戻って行った。

 そしてアビスが今日の予定をナインに聞かせて──ぷつりと通信が切れた。ライサは音が聞こえなくなってようやく、スイッチに手を伸ばしているWのことを認識した。

 

「なんで?」

 

「あくまで動向を探るためだけのものだからよ。これからは三十分くらい後にして良さそうね、無駄な時間を浪費する趣味なんてあたしにはないもの」

 

 まるでそのような趣味がライサにあるような言い方だったのだが、それは真実となるだろうか。

 小難しい顔して盗聴器を睨むライサがどう転ぶのか。スイッチを入れ直すのであれば正しくそうであろうし、Wが言う通りに解散するなら嘘となる。

 

「私は、私から動くって決めた」

 

 ライサの顔はきりりとしていた。

 無知で蒙昧で頑固者、しかし主体的。

 

 Wは何も言わずにその場を去った。準備していた言葉は全て不必要なものに成り下がってしまったからだ。

 ライサがその後に続いて部屋を出た。

 目指すは彼の部屋だろう。

 

 Wは彼の意思を尊重するつもりだ。

 ライサは彼の意向を無視して助けるつもりだ。

 

 Wは、何を考えているのか分からない、これからどう転んでいくのか不透明なドクターから彼を引き剥がすために駒の一つとしてライサを使った。

 ケルシーに疎まれていたWとドクターに疎まれていたライサ。ライサを通してケルシーの動向に介入可能となり、結果としてWはドクターがアビスかナインを求めていること、ケルシーがそれを強引に対処するだろうことが予測できた。

 

 二人の対立は恐らく表面化する。

 それはアビスを巻き込むもので、仲介人となる者が現れるならそれはアーミヤだろうと見当が付いている。

 

 アーミヤとドクター、そしてアーミヤとケルシーの関係はかなり近い。それならばアーミヤは一定期間(けん)に入るだろう。

 行動を起こすなら朝一で連絡が飛ぶはずだ。そうでないにしても、アビスの行動がおかしければライサからの連絡が入るはずだ。たぶん。

 

 Wの見立ては全て正しかった。

 一週間後、アーミヤはアビスを呼び出す。どういった話し合いが行われるにしても、アビスの今後を決める重要な岐路となるはずだ。

 それがどう転ぶのか。

 

「最悪は、あたしが殺してやるわよ」

 

 サルカズは同胞を尊ぶ。

 印章を持っていたのなら彼に烙印を押していたくらいには、Wは彼を同類だと思っていた。

 だからこそ、正気のままに、親愛なる同類をどうやって殺そうか考えているのだ。

 

 彼女なりの愛と呼ぶには希釈された迂遠な感情だったが、それに類する何かだということは否定できないだろう。

 

 いつかきっと、果てるその時を祈って。

 

 

 

 

 

 

 アーミヤは測っていた。

 彼女にはドクターとケルシーの諍いを止めなければならず、そのためには二人の感情が誰に向いている故か、そしてそれはどれほどの大きさかを知らなくてはいけなかった。

 

「ドクター、こちらを」

 

「動くな。それ以上こちらに身を寄せるな。机に置けばそれで済むことだろう、何を企んでいる」

 

 さりげなく触れようとして拒絶された。彼女の警戒心は並外れたもので、唯一綻びが見えるのはアビスに守られていた時だけだった。

 今のドクターは全方位に絶えず意識を飛ばしている。よくその集中が続いているものだ、と人々は言うだろうが、彼女からすればこれは当たり前のことだ。無警戒に前だけを見ていられることの方が彼女にとって信じがたい。

 

 具体的な方向性を知ることは出来なかったが、ドクターの態度を観察すれば分かることが幾つもある。アーツを使うまでもなくアーミヤはドクターの感情を考察していた。

 

「ケルシー先生。今はお忙しいですか?」

 

「ああ、かなりな。皺寄せが来ているから仕方のないことだろう。業務連絡ならメールを使うよう勧めるが、それ以外ならば私以外の者に頼む」

 

 ドクターを追い詰めたのはケルシーで、パフォーマンスが落ちたドクターの尻拭いで彼女は奔走していた。ドクターに比べて精神は安定しているようだし、アーミヤは直接聞き出すことにした。

 

「一つ伺いたいことがあります。ケルシー先生はアビスさんのことをどう思いますか?」

 

「重篤患者だ」

 

 ケルシーはそれきり書類と睨めっこを再開した。まさかたったの四文字で終わらせるとは思っておらず、続きの言葉を待つアーミヤをケルシーは追い払うように閉め出した。

 取り付く島もない。どうやらアビスだけが地雷だったらしく、彼の名前を出した途端に強い感情が感知出来た。

 

 それに加えて、ただ四文字を捻り出すために相当な労力を使ったらしかった。重苦しい意味を持ってはいるが、それと別な重圧が感じられた。

 少なくとも生半可な大きさの矢印ではなかったようだ。

 

 

 アーミヤは頭を抱えた。

 二人共、見たことがないほど限界だった。

 

 アビス以外のことであれば何でも上手く躱せるような二人なのだから、アビスが何かおかしいのだろう。アーミヤはそう結論付けた。

 ドクターが限界だったのは知っているが、同時にそれ以上悪化する余地がないと思っていた。その先などないと思っていた。心底見たくなかったが見せられてしまった。

 ケルシーに限っては何がどうしてああなったのか分からない。アビスは古株なので時間をかけてああなったのだろうか。しかし時間をかけた程度であのケルシーがどうにかなるのだろうか?

 

 アーミヤもまた、限界だった。

 こんな下らないことで煩わしいことになっていると知って堪忍袋の緒が限界だった。

 

「強引な手を使うしかありませんね」

 

 アーミヤは修羅場への招待状を三人に送る。

 ドクターは久方ぶりに会えるのかと歓喜に心が支配され、ケルシーは面倒なことだと顔を顰め、アビスは何が待っているのかと首を傾げた。

 

 そして当日。

 

「──どうして、私だけが……ッ!」

 

 感情の波が強く打ちつけた。

 その答えは、どこにもなかった。

 

 

 

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