第01話:拾われた少女
――魂とは人の存在そのもの。それは莫大な力を持つ。
(お母さん……)
――故に、魂を支配する力を与えられたお前は、この海で誰よりも大きな力を持っていると言える。
(じゃあ、なんで……)
――お前の力がこの世界を変えるのだ。
(なんで、私を……)
――お前こそが人々を救う鍵となるのだ!
(私を、捨てたの……?)
◆◆◆◆◆◆
激しい嵐が吹き荒れる夜の海。真っ暗な海は黒い渦となって暴れ狂い、まるでそこに浮かぶものを全て吞み込まんとしているようにすら思える。そんな地獄の海の上で、一隻の船が波に揺られていた。
「クソッ。今日中にマリンフォードに戻る予定だったんだがなぁ」
甲板の上でサングラスをかけた大男が愚痴る。彼の名前はゼファー。かつては海軍大将であったが、ある事件がきっかけで大将を辞め、そして今は教官として、次代の海兵を育てる立場に就いた男だ。
「この辺りの海域でこれ程嵐が激しくなるのは珍しいですね」
「ここは
「しかし本当に運が悪い。これでは船を動かせません。どうしましょう?」
彼らの乗る船は帆船だ。この嵐では、帆を張ろうものならたちまち帆が破けてしまう。そのため、船を止めて沈まないようにするのが精一杯だった。
「嵐が去るのを待つしかあるまい。下手に動いて船を傷つけようもんなら、下にいるひよっこどもが騒ぎ出すぞ」
ゼファーと航海士は二人揃ってため息をつく。彼らが乗っている船は教習艦であった。そのため乗員の大半は訓練中の海兵であり、当然、悪天候に対処した経験があるものは殆どいない。このような状況では無茶が出来ないのだ。
「あそこにいる海兵は何をやっているのでしょうかね? この嵐であんなに船の際に寄っちゃって……」
航海士が指を差す先には、甲板のギリギリのところで何かをしている銀髪の海兵と、それを止めようとする眼鏡の海兵がいた。
「ああ、あれか。どうせベルツの奴が釣りでもしているのだろう」
「この嵐の中で、ですか?」
「あいつはそういう奴だ」
ゼファーは溜息混じりにそう言った。その直後、突然激しい大波が船に打ち付けられた。甲板が揺れ、航海士はバランスを崩して尻もちをついてしまった。
「イテテテ……酷い揺れだ、このままじゃあの人たちも落ちちゃいますよ。中に戻るよう言ってきますね」
「いや、無駄だからやめておけ。あいつは言って戻るようなタチじゃない」
これだけの揺れがあったのにも関わらず、銀髪の海兵は尚も釣りを続けていて、眼鏡の海兵はそれを止めようと奮闘し続けている。
「……落ちないですかね?」
「さすがにそこまで軟な鍛え方はしていない」
「だといいんですけど……」
航海士は不安そうな目で二人の海兵を見つめる。今はゼファーの言葉を信じるほかに無さそうであった。
◆◆◆◆◆◆
殆どの海兵が船の中に避難している中で、マイペースに口笛を吹きながら釣りをする男がいた。名をエルンスト・ベルツという。
「~♪」
「おい! ベルツ! こんな天気で釣りをしても何も釣れるわけがない! 君も早く船内に避難しよう!」
眼鏡をかけた海兵がベルツを諫めるが、彼は一向に釣りをやめる気配はない。
「俺の婆ちゃんが言ってた。『釣りというのは雨風が強い日の方が魚影が良く見える』とな。だから俺はここで釣りを続ける」
「いやいや無理だって!? というか君のお婆さん、魚影が見えるとは言ったけど釣れるとは一言もいってないだろ!?」
「ごちゃごちゃうるさいなぁ……。釣れると思ったら釣れるのが釣りだ」
眼鏡の海兵が何を言っても、ベルツは聞く耳を持たないようだ。
「おっと!?」
そのときだった。ベルツは釣り竿に確かな手応えを感じた。
「これは大物が来たようだな……!」
「ついに幻覚まで見え始めたか、ベルツ」
「幻覚じゃねえよ! ホントにかかってんだって!」
ベルツは一気にリールを巻き上げる。糸が巻き上げられるごとに
「しゃあっ!! 釣り上げたぞ!! やっぱり婆ちゃんは……え?」
「おい、ベルツ……これって……」
二人の目の前には、釣り針に引っかかった少女の姿があった。年齢は5歳くらいだろうか。長く艶やかな黒髪の少女で、真っ黒な服に身を包んでいる。衰弱しているのか、ぐったりしていて、今にも事切れてしまいそうに見える。
「……子供?」
「なんでこんな海に……こんな小さな子が……?」
「とにかく船内に連れていこう」
二人は少女を抱えて、船内の医務室へと向かった。
◆◆◆◆◆◆
「お前はいつも厄介ごとを持ち込んでくれるが、今回は特に厄介だな……」
「不可抗力です、教官殿」
医務室にはゼファーとベルツがいた。傍らのベッドでは件の少女が横たえられている。
「しかしこの嵐の海で拾われるとは……この子は一体何者なんだ?」
「分かりません。身元を示すようなものは何一つ持っていませんでした」
ゼファーは未だに目を覚まさない少女に視線を向けた。さっきまでぐったりしていたのが噓のように、今は安らかに眠っている。
「命に別状は無し、か……」
「医者によれば外傷等は一切無いそうです。ぐったりしていたのも単なる低体温症だったみたいですね」
「いや、それだけじゃない。あの様子、恐らくこの子は能力者だ」
「え? 教官殿はそんなことまで分かるのですか?」
「ああ。溺れて力が抜けきった能力者は何度も見たことがあるからな」
そう言ってゼファーはベルツを見る。ベルツは気まずそうに頭を掻いた。
「いや~、その節はお世話になりました! 教官殿!」
(こいつ、全然反省してないな……)
思わずゼファーは頭を抱えたくなった。
「んぅ……」
その時だった。聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声を漏らし、少女がゆっくりと目を開いた。
「目が覚めたか」
「おおっ! 教官殿! 目を覚ましましたよ!」
目を覚ました少女は、ゆっくりと身体を起こそうとするが、しかし身体に上手く力が入らないのか、またベッドに沈む。起きたばかりで少女は混乱しているようだ。やがて少女はベッドに横になったままきょろきょろと辺りを見渡して、そしてゼファーとベルツの姿を捉えた。
「ここはどこ? あなたたちは誰?」
少女は若干怯えながら二人に尋ねた。無理もない。目が覚めて最初に目に入ったのがサングラス姿の大男なら、誰だってそういう反応をする。
「ここは海軍の教習艦だ。私の名前はゼファー。海軍で教官をしている」
「俺はベルツ。エルンスト・ベルツだ。ゼファーと同じく教官だ」
「お前は新兵だろうが!!」
ゼファーはベルツを一喝した。
「やだなぁ、教官殿! 冗談じゃないですか、冗談!」
「この子が勘違いしたらどうするつもりだ!」
「すみません、教官殿……」
少女は目の前で繰り広げられているコントのようなやり取りを見て、くすりと笑みをこぼした。少しだけ恐怖心が和らいだようだった。
「はぁ……すまないな。騒がしくしちまって」
改めてゼファーは少女に目を向けた。見た目は5歳くらいに見える。しかし、纏う雰囲気はそれよりも遥かに大人びているように感じられた。
「君はこの海で漂流していたところを俺たちに拾われたんだ」
ゼファーが少女に状況を説明した。少女を怖がらせないよう、努めて優しい声を出そうとしているが、不慣れなことをしているせいか若干声が震えている。
「ブッッ!! クフフフフッ!」
「……おい、ベルツ。何が可笑しい?」
「いや、だって! クククッ! 教官殿が似合わないことしてるから! 今ご自分がどんな声を出しているのか、自覚なさってくださいよ!」
そんなゼファーの様子に耐えきれなくなったベルツは、思わず吹き出してしまった。すかさずゼファーはベルツを睨んだが、そんなことどこ吹く風で、ベルツは尚も笑い続けている。
「ククッ! アッハッハッハ!」
「……ふふッ!」
ベルツの大笑いに釣られて、少女も笑い出した。今だけはベルツの不真面目なところがプラスに働いたようだ。ベルツを怒るに怒れなくなったゼファーは、溜息をつくしかなかった。
「ハァ……これでも父親をしていた時期があったんだがな……。まあいい。ところで、君はどうしてこんなところで漂流していたんだい?」
気を取り直してゼファーは、何故少女がこんな嵐の海に居たのかを聞いた。
「私は……私は、何で……」
少女は何かを答えようとしたが、それだけ言って黙ってしまった。何かを言おうとはしているのだが、何を言えばいいのかが纏まっていない様子だ。ゼファーとベルツは何も言わず、ただひたすら少女が次の言葉を口にするのを待った。
人は強いショックを受けた時、脳に混乱をきたし、記憶が混濁することがある。そうなった場合、部外者が無理に記憶を呼び覚まそうとしても、むしろプレッシャーを与えて邪魔にになってしまうことが多い。それを分かっている二人は、少女が落ち着くのを粘り強く待つ。
やがて、二人の思惑通り少女が落ち着いたのか、ぽつりぽつりと言葉を発し始めた。
「ごめんなさい……何も……何も、思い出せないんです」
少女は申し訳なさそうに呟いた。
「そうか。まあ、あんな目に遭ったのだから、仕方ないさ。今はゆっくり休んだ方が良い」
そう言ってゼファーは、ベルツを連れて医務室を出た。それを見送った少女は、思い出そうとすることにエネルギーを使って疲れたのか、再びベッドで眠りについた。
◆◆◆◆◆◆
翌朝、ゼファーは少女の様子を確認しに、医務室へ向かっていた。
「……ベルツ、何故お前がついてくる?」
何故かベルツがゼファーの後ろをついてきていた。
「教官殿、私はあの子の第一発見者ですよ? 最後まで彼女の面倒を見る義務があります」
「……まあいい。勝手にしろ」
ゼファーは呆れたように溜息をついた。
(しかし、まあ、こいつはこんなんでも正義感は強い方だからな)
ゼファーは知っている。ベルツは軽薄そうに見えるが、いや実際軽薄な男なのだが、その一方で彼は海兵の中でもかなり正義感が強い方でもあった。今も一見飄々とした態度を取っているように見えるが、その内心は少女の心配でいっぱいになっていた。
医務室に着いたゼファーは、ノックをしてからドアノブに手をかける。
「ゼファーだ。入ってもいいか?」
「あっ、はい……大丈夫です」
ドアを開けると、ベッドの上にちょこんと座っている少女の姿があった。昨日よりもだいぶ元気になってきたように見える。
「お腹がすいているだろう? 朝食を持ってきた」
そう言うゼファーの手にはカレーライスがあった。
「教官殿。朝ごはんにカレーを食べるような子供は幼少期のあなたくらいですよ。この子には重すぎるかと」
「……そうなのか? 気持ちのいい朝を迎えるにはこれが一番だと思ったんだが……」
ゼファーは困惑した。彼にとっては、子供の朝ごはんはカレーライスというのは、能力者が海に入ったら溺れるのとおなじくらいの常識であったらしい。
しかし、カレーの匂いにつられて少女の腹の虫が鳴った。よっぽどお腹を空かせているのか、カレーライスを見て目を輝かせている。
「この様子ならカレーでも大丈夫そうだな」
「えぇ……このまま食べさせるのですか?」
「あ……大丈夫、です。お腹はすいています」
少女自身が良いと言ったので、ベルツは諦めた。
「自分で食べられるか?」
「はい。問題ない、です」
少女はゼファーからスプーンを渡されると、一気にカレーライスをかきこみ始めた。
「おいおい、そんな食べ方をしたら喉を詰まらせるぞ」
ベルツは心配そうに言った。しかし、いつの間にか皿の上が空っぽになっているのを見て、これは心配するだけ無駄だと判断した。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
少女はゼファーに皿を返した。その表情は昨日よりもかなり穏やかになっている。どうやらだいぶこちらに心を開いてくれているようだ。
「ところで、一晩寝て何か思い出せたかい?」
少女の表情を見て、今なら何かを思い出せるのではないかと考えたゼファーはここで少女に聞いてみた。
「…………」
昨日と同じように少女が沈黙する。
(これは長くなりそうだなぁ……。教官殿についてきたのは失敗だったかな?)
一瞬そうベルツは思いかける。しかし、もし自分がゼファーについていかなかったら、この少女はサングラスの大男と一対一で尋問する羽目になっていたことに思い至り、やはり来てよかったと思い直す。
そうこうしているうちに、5分が経過していた。少女は悩みに悩んだ末に、遂に口を開いた。
「私の……名前は……ライカ。ライカだったと、思います……」
「そうか、君の名前はライカと言うのか。教えてくれてありがとう。では、他に思い出せることはあるかな?」
少女、もといライカの言葉を受けて、ゼファーが聞いた。
「…………」
三度、ライカが沈黙する。これは10分コースだな、とベルツは思った。しかし、彼の予想に反して、次の一言は数十秒後に放たれた。
「私は……親に捨てられました」
「「!」」
ライカの言葉に、ゼファーとベルツは驚いた。
「捨てられたって、どうして……」
思わずベルツが声を出す。
「それは……分かりません。思い出せません」
ライカは申し訳なさそうに言った。
「そうか。辛いことを思い出させてすまなかったな。ゆっくり休んでくれ」
「ライカちゃん、ごめんね。不用意なことを聞いてしまった」
これ以上ライカに負担をかけるのはまずいと判断して、ゼファーとベルツは医務室を退出した。二人の間に重い空気が流れる。
「……捨て子ですか。大海賊時代では珍しくないとはいえ、実際に目の前にするとなかなかきついものがありますね」
「ああ。だが海賊や天竜人に捕まらなかっただけ幸運なのかもしれない」
「海に放り出されるのが幸運ですか……本当に嫌な時代ですね」
「……ああ。本当にな」
二人の間に流れる空気はさらに重苦しくなっていった。
「彼女をどう保護するかも考えんとな」
「こういう場合、やっぱりマリンフォードで引き取ったりでもするんですか?」
「ああ。今まではそうしてきた。だが……」
「じゃあ、俺に任せてもらえませんか?」
「何?」
そこでベルツは自分が引き取ることを提案した。ベルツは自信満々に、自分ならできると言わんばかりの表情をしている。しかし、その自信が無根拠なものではないことをゼファーは知っていた。
「教官殿も知っているように、俺も今や二児の父です。もう一人増えても育てていける自信があります」
ベルツはこう見えても妻子持ちである。子供は二人いて、上の子は既に8歳になっている。だからこそ子育てには自信がある。
「しかしだな――」
だが、それでもゼファーは渋った。というのも、ほぼ間違いなくこの子が能力者であるからだ。
子供の能力者は能力の制御が利かず、暴走させがちである。突発的に能力を暴走させて周囲に被害を及ぼすことも珍しくない。孤児院ならばそういったケースに何度か対応してきた実績がある。
しかし、当然ながらベルツとその家族にそんな経験は無い。そのため、ベルツが引き取った場合、最悪ベルツの家族にまで累が及ぶ可能性があった。この少女の能力が何なのか分かっていない以上、大事を取って孤児院に引き取らせたいというのがゼファーの本音だった。しかし――
「それに、大海賊時代なら彼女のような子供は増え続けます。このままでは、孤児院だけでは立ち行かなくなります。私のようなものが子供を引き取った先例を作っておくべきです」
ベルツの言うことは尤もだった。結局大海賊時代が続く限りは不幸な子供は増え続ける。現状で孤児院が満杯な以上、早急に代替案が用意されなければならない。ベルツが子供を引き取ったという先例を作っておけば、マリンフォードの他の親切な人々が後に続きやすくなり、子供たちの助けになる。
「教官殿、ここは俺たち家族に預けていただけませんか?」
「……分かった。お前たちを信じよう」
ゼファーは遂に首を縦に振った。
「ありがとうございます! 教官殿!」
「ただし、預かったからには責任を持って育て上げろ。最期まで見捨てることは許さん」
「言われるまでもないですよ、教官殿」
ベルツは笑顔で答えた。
◆◆◆◆◆◆
ゼファーとベルツは再び医務室を訪れていた。
「――そういう訳で、俺が君を引き取ることになった。つまり、俺が君のお父さんだ」
「お父さん……? あなたが……私の……?」
「これからよろしくな、ライカちゃん。君の名前は今日からエルンスト・ライカだ!」
「エルンスト……ライカ……」
ベルツが手を差し出すと、ライカはおずおずとその手を握り返した。後に世界を揺るがすその名前、“エルンスト・ライカ”はこうして今この海に生まれ落ちることとなったのであった。
ゼファー先生
ゼファー先生ってゼットになる前からサングラスしてたっけ? うろ覚えだから分からん。でも、サングラスさせてた方がゼファー先生面白くなりそうなので、今作のゼファー先生は教官時代からグラサンってことにします。ちなみにネタバレすると、この世界線のゼファー先生はゼットにはなりません。教習艦襲撃事件は存在そのものが抹消されました。
ベルツ
オリキャラ銀髪破天荒海兵。間違いなく今後もずっと出番がある。
眼鏡の海兵
同じくオリキャラ。多分今後も出番があるかもしれない。
ライカ
主人公。明らかに謎多そうだけど全部明かすのに何話かかるんだろう(見通しゼロ)。ベルツの養子になりました。
初投稿です。独自設定、独自解釈モリモリでやっていくつもりです。よろしくお願いします。