ライカたちが士官学校に入学してから早1年が経とうとしていた。その間、ライカとギルバートは順調に強くなり続けて、最早お互い以外に勝負が成立する相手がいなくなっていた。勿論、この二人以外の訓練生たちも強くなってはいる。しかし、この二人は成長速度も異常なのだった。そのため、彼らに追いつけそうな者は一人もいない。
「魚人空手!“百枚瓦正拳”!」
「“
ギルバートの水を纏った拳と、ライカの電気を纏った拳がぶつかり合う。
「ハァアアア!」
瞬間、ライカの手から放たれる電気の量が一気に増えて、ギルバートの身体を感電させる。
「う、ぐっ!」
ギルバートは何とかそれに耐えていたが、やがて限界に達し、拳を弾かれる。そのままライカの拳が、ギルバートの腹に沈んでいった。
「がっはぁあああ!?」
ギルバートは吹き飛ばされ、訓練場の床を3回ほどバウンドしたところで止まった。
「そこまでだ。今回の模擬戦はライカの勝ちだ」
ゼファーが審判を下して、この戦いは終わりを告げた。この戦いの一部始終を見ていた訓練生たちは、あまりのレベルの違いに皆唖然としている。
今日は武器を失ったときを想定して、素手での戦闘訓練を行ったのだが、やはりこの二人だけ圧倒的にレベルが違う。これには、「あいつらは武器に頼ってるだけ」「素手なら俺の方が強い」などと、彼らに陰口を叩いていた連中も閉口するしかない。
「人間武器が無くてもこれくらい出来るんだ。お前らもあいつらを見習って、もう一度基礎から体を鍛え直せ」
ゼファーは、ギルバートを介抱するライカを見ながらそう言った。
◆◆◆◆◆◆
「クソッ、今日はお前の勝ちか」
「昨日のリベンジは果たさせてもらったわ」
食堂でライカとギルバートが話している。相変わらず二人の周りだけポッカリと空席が目立っている。
ギルバートは元々ライカ以外の人間に避けられていたが、ライカも、ギルバートと仲良くなるにつれて他の訓練生から避けられるようになっていった。そのため、今の士官学校では、この二人はだいたいいつもペアで行動している。
「明日も勝ち越させてもらうからね!」
「……明日は訓練は無いぞ」
「あれ? そうだっけ?」
ギルバートはライカと過ごしていて気付いたことがある。それは、この女が実は結構なうっかりさんであることだ。間違いなく頭は良いのに、こういう日常的な場面では度々こんなうっかりを引き起こす。
(こいつ、本当に座学2位なのか……?)
それは抱いても仕方のない疑問であった。
「あ、そっか! 明日は『洗礼』だっけ?」
士官学校には、「洗礼」と呼ばれる行事がある。それが「世界貴族の護衛」だ。毎年1学年の訓練生全員が参加
トーマスとその取り巻きたちのように、天竜人について何も知らない者はこの行事を世界最高の権力者にお近づきになれるチャンス程度にしか思っておらず、行事に参加できることを喜ばしく感じていたりする。
しかし、ライカのように、ゼファーの再三にわたって「天竜人には絶対に逆らうな」「奴らが何をしても絶対に見てない振りをしろ」「この行事で見たことは絶対に部外者に漏らすな」と注意されて嫌な予感を感じている者や、ギルバートのように、天竜人の所業について端から知っている者は、憂鬱な気分になっていた。
「ねえ、ギル。あなたが言ってた、天竜人の所業って――」
「残念ながら、全て事実だ」
大っぴらに天竜人の批判をすると、不敬罪となり罰される。そのため、天竜人の所業は公には口にしてはいけないことになっている。しかし、人の口に戸は立てられない。ギルバートのような既に知っている者や、既に「洗礼」を受けた士官学校の先輩からその噂は漏れていて、訓練生の大半は何故この行事が「洗礼」と呼ばれているのかを察し始めている。
「虐げられる人を、見て見ぬ振りしなければいけないなんて……」
「今回ばかりはお前の正義感も封印しろ。清濁併せ吞むのも必要なことだ」
残酷なことを言うようだが、しかし、実際そうなのだから仕方ない。天竜人に歯向かおうものなら、海軍大将やらCP0やらが派遣され、まず間違いなく捕えられるか殺されるかされることになる。殺されたのなら、まだ幸運だ。しかし、捕えられようものなら、死ぬまで生き地獄を味わうことになる。天竜人ほどの残虐な者たちが、自身に害をなす不届き者に容赦などするはずがないからだ。
「どうして……私はヒーローになりたいのに……」
「お前はヒーローである前に海兵だ。諦めろ」
ライカはそれでも納得できなかった。しかし、いくら駄々を捏ねても、現実は変わらない。だから、ライカは黙って歯を食い縛ることしかできなかった。
◆◆◆◆◆◆
「今年もこの季節がやってきてしまったか……」
ゼファーは自分の部屋で独り言ちた。人を守る海兵に、人が傷付くのを黙認させるという狂気。それが当たり前のように罷り通る世界に、ゼファーは嫌気がさしていた。
(ライカの奴は大人しくしていられるだろうか?)
ライカは今期の訓練生の中では人一倍正義感が強い。そんなライカに、天竜人の暴虐を見て見ぬ振りするという真似ができるかどうか、ゼファーは不安に思っていた。
(しかし、ここでやらせておかなければなるまい。あれだけの強さを持つのなら、間違いなく
そもそも「洗礼」の目的は、早い内から天竜人の傍若無人さに慣れさせることにある。海軍という組織は、天竜人の権力の支配下にある。そのため、海軍はしばしば天竜人の我儘を聞かなくてはならない。当然その中には、奴隷の捕獲やら殺害やらなど、非人道的なものも含まれる。だから、ゼファーの管理の下で一度それを経験しておくことで、
また、もう一つの目的として、天竜人と関わることになる海兵を守るというものがある。海兵が何も知らずにいきなり天竜人と関わったら、ほぼ確実に彼らの残虐な行いに反発するだろう。そして、人の心など持たない天竜人は、その海兵に二度と太陽も拝めなくなるような仕打ちをするに違いない。
それを防ぐために、海兵にはあらかじめ天竜人に慣れさせておく必要がある。そして、ゼファーの管理下は、そうさせるのに最適な環境であった。これは、ゼファーの管理下なら天竜人に反発する人間が現れるようなことは
(正義感故に巻き起こった激情を、あんな
だからこそ、ゼファーは天竜人に反発しようとした訓練生を
(それとギルバートの奴もだ。そのまま洗礼に参加させたら天竜人どもが何を言ってくるか分かったもんじゃない。どうしたものか……)
もともとゼファーは、ギルバートを洗礼に参加させるつもりは無かった。天竜人は、魚人に対して非常に強い差別意識を持つし、何なら日常的に魚人の奴隷を虐待していて、魚人族に対して容赦がない。そんな者たちが魚人の奴隷を引き連れて進む光景など、ギルバートに見せる訳にはいかない。そのため、ゼファーは自分の一存で、ギルバートだけは不参加にさせようとしていた。
しかし、世界政府がそれを許さず、結局ギルバートも強制参加になってしまったのだ。
(世界政府はそんなに魚人が嫌いなのか?)
前途多難なギルバートのことを思うと、ゼファーは頭を抱えずにはいられなかった。
◆◆◆◆◆◆
洗礼当日。ライカたちは軍艦に乗って、シャボンディ諸島に向かう。訓練生の約二割ほどは浮かれたような笑みを浮かべているが、残り八割は悲痛な表情であった。
「
トーマスのお気楽な片言も、ライカたちの耳には全く入ってこなかった。昨日と同じように、ライカは苦痛に溢れた顔で、ギルバートは無表情でいる。いや、昨日と同じではない。ライカの顔は昨日よりもさらに絶望的になっている。
「ライカ、そう難しく考えるな。目の前の悲劇をただ見逃がすだけさ」
見かねたギルバートが慰めの言葉をかけるが、それは逆効果でしかなかった。
「それが一番難しいのよ!! 私は誰かを守りたくてこの学校に入ったのに!! あなたはどうしてそんなに割り切れるの!?」
ライカは堪えきれずについに大声を出した。周りの訓練生がライカの方を見るが、文句は言わない。彼らもライカと同じ気持ちなのだろう。
「別に俺も割り切れちゃいない」
「じゃあ、なんで――!」
「諦めただけだ」
そう語るギルバートは、必要以上に感情がそぎ落とされたかのような無表情で、しかしその目にはどす黒い何かを溜めていた。それを見てしまったライカは、思わず彼に恐怖を覚えてしまった。
「諦めた、って……」
「どうせ嘆いたって変わりゃしないんだ。なら、黙ってことが早く終わるのを願う方が有意義ってもんだ」
現実問題としてそうなのだから、仕方ない。天竜人は、世界政府ができた800年前から頂点として君臨し続けている者たちである。それだけ長く続いた支配体制を、一訓練生でしかない自分たちがどうにかすることなど不可能なのである。
しかし、そうだと理解していても、やはりライカは納得できなかった。ギルバートは、憤怒に顔を歪めるライカを見ていて、危うさを感じた。
「いい加減割り切れ、ライカ。それができないなら海兵になるのを諦めるか、あるいはいっそのこと――」
「シャボンディ諸島に着いたぞ! 全員準備しろ!」
ギルバートの言葉は、ゼファーの号令によって遮られた。どれだけ嫌でも、教官に逆らうことはできない。ライカたちは嫌々準備を始めた。
◆◆◆◆◆◆
船を降りて、シャボンディ諸島にて訓練生たちが待機している。
(ライカの奴、無事に終えられれば良いが……)
フードを目深に被り、肌を見られないようにしているギルバートは、心の中でライカを心配していた。彼がこのような恰好をしているのは、天竜人に彼が魚人であるということを気付かせないためである。先述した理由から、この場に魚人がいることがバレるのは好ましくないので、ゼファーがこうさせたのだった。
(何だか嫌な予感がしやがる。何なんだこの胸騒ぎは!?)
ギルバートがフードの下で物思いに耽っていると、訓練生たちがざわめき始める。ついにその時が来たようだ。
「総員跪け! 天竜人の御成だ!」
ゼファーの声が訓練生たちに響く。それと同時に、訓練生たちは事前の打ち合わせ通り、一斉に地面に頭を付けた。
「ご機嫌麗しゅう、ジャルマック聖。お待ちしておりました」
ゼファーが膝をついて、そのジャルマック聖と呼ばれた天竜人の前で恭しく跪いた。訓練生たちは跪いているので、ゼファーが今何をしているのかを見ることはできない。しかし、声だけでも普段とあまりにも雰囲気が違い過ぎていることが分かった。あのゼファーにこのような態度を取らせていることから、天竜人という存在がどれほど絶対的なのかが察せられた。
「ふん。お前たちがわちきの護衛かえ?」
「はい。
あまりにも腰が低すぎる。訓練生たちはそう思わざるを得なかった。天竜人に最大級の敬意を払わなければならないとは聞いていたが、ここまでしなければならないのか。それが全員が抱いた感想であった。
「分かってると思うが、わちきに傷一つ付けさせるでないえ? 何かあったら、この場にいる全員に首を斬ってもらうえ!」
「はい。存じております。誠心誠意、護衛を務めさせて頂きます。総員! 配置に付け」
ゼファーの号令と共に、一斉に訓練生たちが立ち上がり、所定の配置に着く。訓練生たちは、そこで初めて件の天竜人の姿を見ることができた。その姿は異常の一言に尽きた。
まず、彼は宇宙服のような服を纏い、頭にはシャボン玉のようなヘルメットを被っている。そして、その顔は欲望に塗れていて、酷く醜悪であった。
しかし、そんなことが気にならなくなるくらい異常であったのは、彼が乗っている
ライカは思わず顔を顰めたくなったが、そんなことをすれば不敬罪で罰せられてしまう。だから、表情には出せなかった。
「精々頑張るがいいえ。お前たち、わちきのために死ぬ覚悟くらいあるだろうなえ?」
ジャルマック聖は、周囲の訓練生たちを見渡してそう言った。あまりにも傲慢な発言だが、皆努めて無表情を作る。
その時、ジャルマック聖の視界にライカが映った。
「ふ~ん? 戦うしか能の無い猿ばかりかと思ったら、それなりに可愛い奴もいるじゃないかえ」
突然ジャルマック聖に声を掛けられ、ライカの中で急速に嫌な予感が膨れ上がった。
「お前に、今日一日わちきを傍で守る栄光を与えるえ。感謝するんだえ?」
「……はい。恐悦至極に、存じます」
心にも無いことを真顔で答える。今、ライカの人生で最悪の一日が始まろうとしていた。
ゼファー
反発を事前に察知して止めるしかないとかいう地獄。要するに見聞色使って事前に鎮圧してます。
ライカ
素手でも強い女。次回尊厳が破壊されます。
ギルバート
素手でも強い男。次回はあんまり出番が無いかも。
ジャルマック聖
オリジナル天竜人を出してもいいんだけど、名前を考えるのが面倒くさかったのでサボの船を砲撃した彼を借りました。他の天竜人の例に漏れず、人間の屑。
という訳でついに来ました「洗礼」回。第9話「前日」でダスティの部下が言ってた「洗礼」はこれのことです。次回でやっとあのワンピ名物「尊厳破壊」を見せられると思います。