――すごいでしょ! こう見えても強いのよ! 私は!
そう言って目の前の女性は私を縛る縄を解く。正義の字が刻まれたコートが風に靡いて揺れる。
――怖い思いをさせちゃったわね。ごめんなさい。私がもっと早く気付いていたら……
女性は屈んで、私と目線を合わせる。しかし、女性は真っ白なフードを目深に被っているので、顔はよく見えない。
――さあ、お家に帰りましょう! ライカちゃん! 家族は一緒に暮らしてこそよ!
そうだった、私は――
「私は……誰なんだろう」
朝日が差し込む布団の上でライカは呟いた。未だに思い出せない過去の記憶。別に今早急に思い出さなければいけない理由があるわけじゃない。しかし、ライカは最近、自分の中の
「私は……」
過去について考えようとすると突然頭の中に靄がかかる。まるで『絶対に思い出すな』と言われているかのようだった。そのくせ、過去から意識を逸らそうとしても、心の奥底から過去を知りたいという欲求が溢れてきて、抑えられない。まるで『早く思い出せ』と言われているかのようだった。相反する二つの感情に挟まれて、ライカはどうすればいいのか分からなかった。
◆◆◆◆◆◆
ライカが初めての友達を得てから早一年。ライカは6歳になり、ベルツは正式に海兵となった。ライカはマリンフォードの学校に通うようになり、ベルツは海軍の任務で家を空けがちになった。そんなある日のことだった。
ライカは国語の授業を受けていた。ライカは身体能力だけでなく知能面でも通常の6歳児を凌駕していたので、授業で苦戦したことはない。しかし、今回だけは別だった。
「じゃあみんな、今から配る紙に将来の夢を書きましょう!」
配られた紙を見て、ライカは困惑する。
(将来……?)
今まで考えたこともなかった。自分はずっとこの家にいて、ベルツや近所の人たちに守られながら生きていくのだろうとしか思っていなかったからだ。そのため、今のライカに明確な将来の夢は何もなかった。
取り敢えず書いてみるかと、ペンを手に取る。しかし、何も思いつかず、ペンを置いてしまった。白紙で提出するわけにはいかないと考えて、再びペンを握る。しかし、やはり何も思いつかず、ペンを置く。そうしてライカはペンを持っては置く、持っては置く、という奇行を繰り返していた。すると、隣の席に座る女の子――名前はミミという――が話しかけてきた。
「ライカちゃんは将来何になりたいの? やっぱりお医者さんとか?」
「うーん……よくわからないけど、お父さんみたいな人になりたいかなぁ」
咄嵯に思いついたことを口に出してしまったが、自分でもそれがどういう意味なのかはよく分かっていない。
「そっか! ライカちゃんはパパのこと大好きなんだね!」
「うん!」
しかし、そこだけは自信をもって答えられた。ライカはベルツが大好きだ。能力の訓練にいつも付き合ってくれるし、優しいし、ユーモアもある。また、困っている人を放っておけない性格で、街の人からも慕われている。そんな父親に憧れる気持ちは確かにあった。しかし、父親のようになりたいとはっきり言い切ってしまうのはなんだかむず痒く感じられた。
結局ライカは暫く悩んだ末、苦し紛れに『お父さんのような人になる』と書き、そのまま先生に提出した。しかし、自分が何になりたいのかは最後まで分からないままで、心の中に漠然としたモヤモヤが残った。
放課後、家に帰ったライカは兄妹に聞いてみることにした。
「ねえ、クルツ兄さん。兄さんは将来なりたいものとかあるのかな」
「え? 僕? 僕は将来政府の役人になりたいな」
突然の質問に戸惑いながらも、クルツははっきりと答えた。
「今の政府の治め方は完璧じゃない。高すぎる天上金で苦しむ国もあるし、そういうのを内側から変えたいって思っててね」
(……兄さんは本当に9歳なの?)
自分も本当に6歳なのか疑わしいような人間であるのに、ライカはまるで他人事のようにそう思ってしまった。しかし、少なくとも、兄が自分よりも遥かに明確な将来の夢を持っていることが分かった。
続いてライカはアルフにも聞いてみる。
「将来の夢? あたしは医者になりたいな。医者になってパパが絶対死なないように治してあげるんだ!」
「お医者さんかあ……お父さんが、死なないように……」
(
思わずそうライカは思ってしまう。訓練で何度も自分の父の超人ぶりを見せられてきたライカからすれば、ベルツが死ぬなんてことは想像すらできなかったことだった。
(あれだけ強いお父さんが死ぬはずがない。というか、そもそも“死”ってのが正直よくわからな――)
そこまで考えた瞬間、ライカの脳内に自分が死にかけたあの日の記憶がありありと蘇ってきた。濁流に吞み込まれて上下すら分からなくなり、体温が奪われて身体の芯から凍えていく。意識は闇の中へと溶け落ちてゆき、恐ろしい暗闇の中へと引きずり込まれていく。そんな恐るべき記憶が。
(死ぬ……? お父さんが……? あの闇の中にお父さんが連れていかれるの……? やだ……そんなの嫌だよ……)
拾われる直前の、荒波に揺られていたときの記憶。それの存在を認識した途端に、彼女の中に死への恐怖が芽生えた。それは一度思い出すともう止まらなかった。
「……やだ」
今まで無意識の内に考えないようにしていた可能性。大海賊時代に海兵なんてやっている以上、ベルツが死ぬ可能性などいくらでもあることは分かっていたはずだった。しかし、それでもライカは、それがどこか遠い世界の出来事だと勝手に思い込んでいた。しかし、一度蘇った死の恐怖は、それがあり得ることだと、むしろ珍しくないことであると、そうライカに語り掛けて来る。
恐怖に震えるライカは、ただ俯いて黙ることしかできなくなってしまった。
「……どうしたの? お姉ちゃん」
急に黙ってしまったライカを心配して、アルフは声をかける。ライカはハッとして慌てて返事をする。
「……ううん、何でもないよ」
それからというもの、ライカは死のことばかりを考えてしまうようになった。自分の将来について考えるたびに、必ず『ベルツの死』を連想してしまう。最早将来の夢どころではなかった。
◆◆◆◆◆◆
明確な夢も決まらず、いつか来るかもしれないベルツの死に対する恐怖をどうにかすることも出来ず、何も出来ないまま三か月が経った。この日、海兵の任務で家を空けていたベルツが帰ってきた。
「お父さん!!」
ライカは玄関まで走って出迎えた。
「おお、ライカか。元気にしてたか?」
「うん! お父さんこそ、大丈夫? 海兵なんでしょ? 怪我したりとかは……」
「ははは、心配するな。俺は強いぞ?」
「でも……」
言い淀むライカの頭を、ベルツは優しく撫でる。
「ライカ、お前は本当に優しい子だな。大丈夫だ。お前を遺して死んだりはしないよ」
「お父さん……」
ライカの目尻に涙が浮かぶ。その涙を拭って、ベルツはライカに小指を差し出した。
「約束しよう。俺は絶っ対に死なない。もし死んだりしたのなら、針千本飲ませてくれたって良い」
「……死んだら針飲ませられないじゃん」
「ハハハ! それはそうだった!」
二人は顔を見合わせて笑う。ライカはおずおずと小指を差し出し、ベルツがそれを結んだ。
「「指切りげんまん! 嘘ついたら針千本飲ーます! 指切った!!」」
二人の小指が同時に離れ、そして同時に声をあげて笑い合う。それは傍から見たら無意味なやり取りかもしれない。約束なんてしたところで、この大海賊時代では死ぬときは死ぬのだ。しかし、そんな無意味なやり取りは、間違いなくライカの心の中の不安を少し和らげたようだった。
◆◆◆◆◆◆
翌日、ライカはベルツと一緒にマリンフォードの街に出掛けていた。ライカは長らく大好きなベルツと離れていたので、今日はなるべく一緒にいたいとベルツに言っていたのだった。そのため、今日は二人でどこかに出掛ける予定になっていた。
久しぶりに父と一緒に外出できて、ライカは楽しそうだ。そんなライカを見て、ベルツは微笑んだ。
「お父さん、今日はどこへ行きたい?」
「ああ。折角の休日だし、新しい服でも――」
その時だった。マリンフォードの街中に、電伝虫を介して警報が鳴り響く。
『緊急事態発生! 緊急事態発生! マリンフォード市街地に向けて海賊「破天荒のアストン」が侵攻中! 住民は速やかに避難せよ! 繰り返す! 住民は速やかに避難せよ!』
「これは!?」
マリンフォードと言えば海軍本部のある島であり、例えその市街地であろうと、侵攻するような馬鹿は殆どいない。しかし、
特に、かつて金獅子のシキがマリンフォードの街を襲撃し、壊滅させてからは、その噂を聞きつけて海軍を過小評価し、襲撃をかける海賊が度々表れていた。そのどれもが海軍によって鎮圧されたが、今回は一味違う。
「おっしゃぁ!! 海軍の雑魚どもに目にもの見せてやるぞ!!」
「「「「「ウオオオォー!」」」」」
懸賞金7000万ベリー、“破天荒”のアストン。中将、大将クラスなら一捻り出来る程度の小物ではあるが、並の海兵では骨が折れる相手であった。
「ライカ! 避難経路は分かっているな! 今すぐ避難しろ!」
「待って! お父さんは?」
「俺は海兵だ。こういう時に戦うのが俺の仕事さ」
「そんな!? 危ないよ! お父さん!」
ライカがベルツの服を引っ張る。しかし、ベルツはその手を振りほどかず、腰を下ろしてライカと目線を合わせた。
「大丈夫だ。俺はまだまだ針千本飲んでやる気は無い。絶対に帰ってくる。だから、その手を放してくれないか?」
「……分かった」
ライカは俯きながら、渋々といった様子でベルツから手を離す。それを見届けてから、ベルツは立ち上がった。
「よし、いい子だ。じゃあ行ってくる。いい子で待ってるんだよ」
ベルツは何処からともなくコートを取り出し、羽織る。その背には「正義」の2文字が刻まれていた。ベルツは士官学校の出だ。そのため新兵でありながら階級は既に少尉であり、このコートを羽織ることも許されている。
「気を付けてね!」
「ああ! ライカも早く避難しろよ!」
ライカは心配そうな表情のまま、ベルツを見送った。だんだんと小さくなっていく正義の2文字を、ライカはいつまでも見つめていた。
ベルツ
ついに正式に海兵になりました。
ミミ
前話のミミと同一人物です。
ライカ
ファザコン気味。まあ一回親に捨てられてますし、しょうがないね。
“破天荒”のアストン
詳細は次回。
ということで、次回、ついに「はじめてのせんとうシーン」です。乞うご期待。ところで戦闘描写ってどうやって書けばいいんですかね(初心者並みの感想)。