スーパーカーは飛行機雲の夢を見るか。   作:にゃあたいぷ。

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もう他にはなにも来ない。
空の彼方に最後の軌跡。
コントレイル。コントレイル、やりました。
有終の美を飾ってみせました。
他馬を圧倒、完封です。


後編

 東京レース場、満席の観客席。歓声が会場全体を揺るがした。

 ジャパンカップ、出走数はたったの5人。本日もまたトレセン学園とURAの偉い人が頭を下げてのレースとなる。

 観客の期待を背負うのは2人のウマ娘。コントレイルとマルゼンスキー。

 つまり、私と彼女だ。

 

 準備運動中、私が観客席の前で立ち止まっているとすぐ後ろに誰かが駆け寄ってきた。

 振り向かなくても分かる。この世界は、私達2人で構築されている。

 私は、大歓声を送ってくれる観客席から目を離さず、彼女に問い掛けた。

 

「この東京レース場の光景は、貴女が生み出したものですね」

 

 マルゼンスキーは少し目を見開いた後、首肯する。

 

「貴女は、私が生み出した都合の良い存在じゃなかったのね」

「はい、何の因果か。貴女の夢の中に迷い込んでしまったようです」

 

 違和感に気付いたのは札幌記念。よくよく思い返してみると昔、札幌記念はダートだった。

 ジャパンカップを口にした時、彼女の世界は私の記憶で部分的に塗り替えられる。

 今あるジャパンカップの光景を彼女は知らないはずであり、私の記憶で補完された事になる。

 

「私が気付いたのは、ジャパンカップ開催が決まった時。正直、今でも半信半疑ね。具体的な条件や名称は考えてなかったけど、こんなレースがあれば良いなって思ってた」

「……あと十年もすれば、NHKマイルCっていうマル外ダービーと呼ばれるレースが開催されますよ」

「マル外? 新語? 私、ちょっと新しい言葉には付いていけないわよ」

「……海外国籍の両親を持つウマ娘でも出走できる春のクラシッククラスのGⅠレースです。ちなみに距離は1600メートル、芝です」

「えっ、なにそれ、めちゃくちゃ羨ましいんだけど?」

 

 遠い未来には国際化に伴って、ほぼ全てのGⅠレースに海外馬が出走できるようになる。

 ジャパンカップには海外馬も参戦しなくなる。それは日本の高度に整備された軽い馬場もあり、日本の舞台では海外の競走馬では勝つことが難しい為、賞金目当てに日本に来る旨味がない事が理由のひとつに挙げられる。

 まあ、そんな事を言ったところで意味はない。必要なのは、ただ一言。マルゼンスキーに向き直って告げる。

 

「私は今から40年以上も先の未来で、3冠を取った競走馬です」

「……ええ、通りで。強いと思ったわ。その時は、今よりも盛り上がっているんでしょうね」

「いいえ、無観客でした」

 

 人差し指と親指を擦り合わせて、パチン、と音を鳴らす。

 消える観客。しんと静まり返る会場、耳が痛くなるほどの静寂があった。

 唖然とした顔で世界を見上げる彼女に、私は告げる。

 

「ジャパンカップの時は、もうちょっと入っていましたけどね。でも、これが私が見たダービーの光景でした」

 

 あの時は、どうして頭を下げなきゃいけないのか分からなかった。

 手綱を引かれて、されるがままに頭を下げる。でも、今なら理解ができる。

 あの人達は、あの光景を見ていたのだ。

 私の勝利は、誰も居ずともたくさんの人に祝福されていると知った。

 それが知れただけで、私はこの夢に来る事ができて良かった。

 

「私は皇帝のように完璧じゃなかった、父のように最強にもなれなかった。世界は未曾有のパンデミック、私は誰も居ない観客席で誰かの為に走り続けた。私はコントレイル、世間では私のことをこう呼んでいます」

 

 ()()()()()()

 

「……最弱? 貴女が?」

 

 私の浮かべた笑みにマルゼンスキーが困惑する。

 それを見て私は笑みを深めて、大声を張り上げた。

 

「此処は、私が見せられる東京競馬場! とはいえ、出走頭数が5頭だけでは味気ない! ジャパンカップはもっと盛大に、壮大に行われるべきです! ジャパンカップのテーマは世界への挑戦、日本の競馬ファンは私達が世界に挑戦する姿を求めています!」

 

 もう一度、指を鳴らした。

 小気味よい音が甲高く鳴り響いて、マルゼンスキーの背後に5名のウマ娘が現れる。

 エルコンドルパサー、アグネスデジタル。キングカメハメハ、クロフネ。シンボリクリスエス。

 近年を代表する海外馬の揃い踏みだ。

 

「……なるほど。ジャパンカップは……というよりも、今回のレースはそういう催しなのね」

 

 マルゼンスキーが私を真似するようにパチンと軽快な音を打ち鳴らす。

 出現するのは、4名のウマ娘。正直、見た目だけでは分からない。

 でも、身に纏う風格から、彼女達がただものではないことを理解した。

 

「ハイセイコー、タニノチカラ、テンポイント、グリーングラス。私の記憶に強く残っている名ウマ娘達よ」

「テンポイントとグリーングラスが居るのにトウショウボーイは居ないの?」

「……知らないわよ、私との勝負を避けたウマ娘の事なんて」

 

 拗ねるように目を背ける名馬の姿を見て、私は苦笑する。

 続けて私も指を鳴らす。残り7名、東京競馬場、芝2400メートル。夢の第11Rに出走させるのは。

 

 スズカコバン、サクラチヨノオー、スペシャルウィーク。

 フジキセキ、アグネスタキオン。

 ジェンティルドンナ、キズナ。サトノダイヤモンド。

 

 父を出さないのは御愛敬、やっぱりその気恥ずかしいし。

 ……でも、この面子。私、勝てるかな?

 

「大丈夫よ。所詮、数合わせに過ぎないわ」

 

 そう言って、私に背を向けた後、高く挙げた右手の親指と人差し指を擦り合わせる。

 

「魂の入っていないウマ娘は実力の半分も出し切れないわ」

 

 そんな半端ものに負けないでしょう? と挑発的な笑みを浮かべられて、私は首肯する。

 

「このレースは私と貴女、私達2人だけの、2人の為のレースよ」

 

 パチン、と音が鳴った。

 静寂に透き通る音は、ドッ! と今まで以上の観客席で埋め尽くされる。

 会場は勿論、空気は震えて、地面すらも揺るがす錯覚。

 あまりの熱狂に、戸惑いが表に出る。

 

「ハイセイコーのレースを知っているから、それを再現してみたのよ。観客動員数は約17万7千人、最高よね」

 

 それはオグリキャップの動員数では?

 いや、この世界にあるファンは、私が居た世界よりも熱狂的だった。

 私が居た世界よりも競馬が流行っているのかも知れない。

 そもそも、人の姿になってるし。

 

「さあ始めるわよ、私達のドリームレースを」

 

 隠しきれない上擦る声、私は駆け足でゲート前まで駆け足で向かった。

 ちなみに最初に居た3名のウマ娘は、先導馬という設定に書き換えられていた。

 リズムとか、リボンとか、ジュエルとか。

 よく知らない馬だったし、まあ問題はない、と思う。

 

 世界の崩壊はもう、間もなくだというのに呑気にそんなことを考えていた。

 

 

 私、マルゼンスキーが違和感に気付いたのは、ジャパンカップが開催された時だ。

 札幌記念はまだしも、ジャパンカップなんて聞いた事も、見た事もない。そもそもだ、GⅠっていう区分がよく分からない。

 私の知らないものが混じっていたから、私はこれが夢だと気付き、この世界がもう間もなく滅びることを知った。

 

 たぶん、これが最後のレース。ゲートに収まり、鉄扉が開くのを待った。

 ああ、もっとレースがしたい。私の全力を受け止めてくれる相手は、居なかった。

 思い出す。私は有マ記念の直前に怪我をして、卒業した。

 

 全員が私を避けて、関係者に走らせて、レースを成立させてまで走り続けたいとは思えない。

 そもそも相手が逃げるなら勝負は決まっているようなものであり、だからこそ私はトゥインクル・シリーズに幻滅して卒業する。

 ただまあ、もっと抜きつ抜かれつの青春をしてみたかった気持ちがある。

 それが未練といえば、未練だった。

 走るのが好きだから走る。それは他に楽しみがなかった為、流して走れば7バ身。ちょっと本気を出せば、大差が付いた。

 そんな状態で、どうやってレースを楽しめというのか。

 

「このゲートを開くのが楽しみよ……でも、終わって欲しくないなあ……」

 

 そう呟いて、ゆっくりと構えを取る。

 心が整うと同時に、待っていた。と言わんばかりにゲートが開いた。

 今度は、コントレイルは出遅れていない。

 

「……流石に速い、わね」

 

 今日、初めて私はレースをする。

 位置はコントレイルのすぐ後ろ、初めて誰かの後ろに付ける。

 慎重な位置取り、このレースだけは万に一つも失敗したくなかった。

 

 

 今回は、きちんとスタートを切ることができた事に安堵する。

 マルゼンスキーが自分のすぐ後ろに付いたのを確認したコントレイルは、無理に先行する必要はない事を察する。

 位置は真ん中付近、今日は良い感じにレースに集中できていた。

 

 コントレイルは、あまりレースが得意な競走馬ではない。

 オグリキャップやトウカイテイオーのように、特別な何かを持っている訳でもなくて、シンボリルドルフのように完璧でもなければ、ディープインパクトのように最強という程でもない。ミスターシービーな超ド級の個性も持ち合わせておらず、ナリタブライアンのように圧倒的でもなければ、オルフェーヴルのようなポテンシャルもなかった。

 他の三冠馬として、コントレイルは地味だ。それはもう疑いようもない事実である。

 

 未曽有のパンデミックで、なんとか開催に持ち込むも無観客。菊花賞も歓声は上がらず、拍手だけで讃えられた。

 本来、受けるべき称賛を受けられなかった。翌年、長く苦しむことにもなり、SNSの普及。コントレイルは三冠馬であるにも関わらず、称賛よりも多くの罵声を浴びた稀有な競走馬であると云える。

 コントレイルは持っていない。持たずに三冠を制覇した。

 大観衆の前で多くを経験してきた競走馬よりも背負うものが少なかった彼ではあったが、それでも持ち前のポテンシャルだけで同世代を相手に勝ち続けてきた。父譲りの末脚を以て、上がり3ハロンで他馬を圧倒する。菊花賞では驚異の粘りも見せた。

 

 レースは序盤から中盤に差し掛かり、第3コーナーに入ってもまだ上がらない。

 最終コーナー、マルゼンスキーは身体を外に振る。二人は横に並んで、残り530メートル。最後の直線に差し掛かる。コントレイルには、自分の末脚に自信を持っていた。剃刀の切れ味。そう称された末脚は、ギュンと一瞬で加速して前との距離を詰める。

 コントレイルという競走馬は、その生涯において、後ろから抜かされた経験は、ただ一度もない。

 

 

 私、マルゼンスキーが意識して脚を溜めたのは初めての経験だった。

 勝手気ままに走るだけで勝利する。ちょっとやる気を出せば、相手を出場停止にまで追い込んで、要らぬ恨みを買う事もあった。

 私と同じレースに出走するウマ娘は、皆が皆、不幸だった。

 

 他人の事なんて他人事だ。私は私、私はやりたい事をやっているだけ。

 そう思わないとやってられなかった。巻き込まれた相手には、少し申し訳ないけども、私自身それ以上の理不尽を押し付けられている。唯我独尊とも呼べる自分勝手な性格に育ったのには、そんな土壌が含まれていた。例えば、ゲームが好きで好きで堪らなくて上手くなったのに、上手くなり過ぎて遊び相手が誰も居なくなる。本当は誰かと遊びたかったけど、でも、本気を出すと誰も遊んでくれなくなるから手加減をするしかなくて、それだと自分が楽しめない。強過ぎる、と非難を浴びる始末だ。

 これが子供の遊びなら良い。でも、誰が一番速いのかを競うレースで、そんな事を言われるのは違う。

 

 私は海外出身と言われているが、生まれと育ちは日本だ。

 両親の戸籍が海外にあり、人種は日本人になかったかも知れない。でも今、戸籍は日本にある。

 私の家庭事情は複雑だった。複雑だったが故に、理不尽だった。

 

 私はマルゼンスキー。レースをさせてくれないのであれば、せめて最強の証明を。

 私は日本で誰よりも速いと叫びたかった。格闘技のチャンピオンが、有望な若手から逃げるようにもどかしい。

 私は生まれも育ちも日本、日本のマルゼンスキーだ。

 

 しかし今、その鬱憤をぶつけられる相手が隣に居る。

 何処から来たのか分からない。でも、これだけはわかる。これは夢の世界。通常、決して交わることがなかった二人の優駿、遠い未来か過去か、彼女の言を信用するに未来からやってきた彼女は、最高の好敵手だった。

 脚で芝を踏み締める。二人並んでスパートの姿勢、スタートは同時に後続を突き放す。

 

「ぶっちぎるわ!」

「負けてやらない!」

 

 現在、コントレイルとは半バ身差で遅れている。

 その差は永遠よりも長く感じられた。

 

 

 スーパーカー、マルゼンスキー対コントレイル、無敗三冠馬。

 その時代を超えた異聞史の大決戦を見届ける者が居た。その者は3つの国と11の競馬場を渡り歩いて、芝とダートの垣根を超える。世界末覇王と呼ばれた前年度の覇者をも打ち倒し、付いた渾名は勇者。名はアグネスデジタル、偏在する変態。真の勇者は戦場を選ばず、世界の狭間すらも跳躍する。

 彼女は、部外者だ。どうして自分が今、この場に呼ばれたのか分かっていない。

 

 彼女が元居た世界では今、バレンタインデーの真っ只中だった。

 ダイワスカーレットとウオッカが、友チョコに赤面に悪態をトッピングして交換していた場面に出会した。トウカイテイオーもまた親友であり好敵手のメジロマックイーンに友チョコを用意していたが、先んじて渡されたチョコの豪華さに引け目を感じて渡しそびれていた場面なんて、当事者じゃないのに、もどかしくって身悶えするほどだった。ナイスネイチャとイクノディクタスが用意した友チョコを臆面もなく受け取るツインターボの満面の笑顔を見た時は、自分の卑しさに自己嫌悪し、浄化し昇天仕掛けたこともあった。

 しかし彼女は多くの戦場を渡り歩き、その結末を見守ってきた古兵だ。

 

 分かっていた結果を前に、彼女が膝を付くことはない。

 大丈夫、致命傷だ。と彼女は偏在する尊みの波動を求めて、次なる戦場へと赴いた。

 ミホノブルボンとライスシャワーをも乗り越えた彼女を殺し得たのは、意外にもアグネスタキオンだ。珈琲好きの友人の為に、好きでもない珈琲に合うチョコを延々と悩んで、やっとの思いで購入したチョコを友達に素っ気なく手渡した。そんな彼女にマンハッタンカフェは控えめに微笑んで、甘さたっぷりのホットチョコレートでお返しする。

 その一部始終を見ていた彼女は、気付けば尊死していた。

 余りの尊さに心臓発作を起こし、今現在、生死の境に立たされている。

 

 本当に、ふと気付けば、此処に立っていた。

 そしてエルコンドルパサーを始めとした海外出身のウマ娘、ハイセイコーを始めとした古のスターウマ娘。そして日本を代表する新旧のウマ娘。そんな彼女達に囲まれたアグネスデジタルは、ヒュッ、とか細い吐息を溢して夢の中で気絶する。再び目覚めた時はゲートの中に放り込まれており、ガシャコンッ! とウマ娘の本能から少し出遅れつつもスタートを切ってしまった。

 前を走る多くのウマ娘の背中を見て、アグネスデジタルは違和感に気付いた。

 

 3つの国と11の競馬場を渡り歩いた彼女の観察眼は、誤魔化せない。

 大半のウマ娘が姿見だけを似せた贋作である事を見抜き──それでも瓜二つの姿を持つウマ娘がコース上で躍動する姿は、彼女を楽しませるに充分ではあった──、その中に二人の本物を見つけ出した。スーパーカー、マルゼンスキー。それは彼女が知る姿よりも随分と若く見えた。もう一人が3冠ウマ娘のコントレイル。時代を超えた二人の激闘を見る為に、アグネスデジタルは序盤から加速する。

 アグネスデジタル。彼女は既に現役を引退しており、今は中央トレセン学園に所属するチームのサブトレーナーとして働いている。最初こそトレーナーを目指していたが、元がウマ娘オタクの私では担当に厳しく接することができないと断念し、程々に甘やかすことができるサブトレーナーという地位に収まっている。

 チームのメイントレーナーに任されて、半ば担当の形となってしまったウマ娘はディープスカイ。未勝利で伸び悩んでいた彼女に目を付けて助言し、それで毎日杯に勝ったのを契機に任された。変則二冠は、変態的なローテを組んでいた彼女だから出た発想とも云える。

 さておき、アグネスデジタルはチームに所属するウマ娘との併走機会を得る為に、最低限のトレーニングは続けている。

 

 全盛期の時には、及ばない。

 しかしマルゼンスキーとコントレイルの一騎打ちを間近で見る為に、アグネスデジタルは限界を振り絞る。夢の世界であるにも関わらず、いや、夢であるからこそ、この機会は二度と訪れない。と極限の集中力を発揮し、意図して領域(ゾーン)の中へと飛び込んだ。視覚だけではない。ウマ娘を五感で感じ取る為に覚醒させた異能は、副次的にコース全体を掌握することを可能とする。

 レース場マニアでもあった彼女は、領域に入った時、目を閉じていても自分の立ち位置が分かる程だった。

 

 もっと二人を感じたい、見守りたい。

 しかしアグネスデジタルは空気の読めるオタクだ、奥手とも云える。この一騎打ちの舞台では、自分が部外者であることは百も承知であった。邪魔することはできない。ウマ娘オタクとして、現役を退いた自分が、好敵手同士の戦いに割って入ることは、百合の間に挟まろうとする男と同じくらいの禁忌であった。

 だが、見たい。もっと間近で観戦したい、そして今、どんな表情で走っているのか知りたかった。

 此処が夢であるからに、後になってビデオで確認なんて出来ないのだ!

 

 その時、アグネスデジタルに電流走る。

 極限まで追い詰められた彼女は、此処が夢ならば、と天啓を得た。真の勇者は常識に縛られない。今まで不可能とされてきたことを打ち破り、常に進化し続ける。そして暗闇の中、目的を果たす為に絶えず手を伸ばし続けた者の事を人は勇者と呼び称えた。あの丘の向こう側の景色はどうなっているのだろうか。人は好奇心の奴隷だ、人々は歩みを止めず、地球の全貌を解き明かし、太陽系。果てには宇宙の真理にすらも手を伸ばそうとしている。

 発想を転換せよ。常識の垣根を取り払って、想像力を霹靂の晴天のように広げるのだ。

 

 此処が夢の世界であるならば、あえて一人で居る道理はない。

 

 アグネスデジタルは偏在する。

 ゴール手前の観客席に一人、実況席に一人。そしてコース場に一人。今現在、この世界にはアグネスデジタルが三人もいる。

 現役時代に培った無駄に高過ぎる行動力が、それを実現させてしまった。

 

 そして識る。世界の崩壊は既に始まっていた。

 東京レース場の外側は、地盤沈下によって崩れ始めている。まるで、この世の終末。何もない、が広がる世界を実況席のアグネスデジタルは確認し、その亀裂は東京レース場すらも襲おうとしていることを知った。この状況で、誰も慌てる様子がなく、皆がレースに熱中している。それこそが、この世界が夢である証左でもあった。

 その観客ですらも肉体を維持できず、全身に亀裂が入って、塵に成り果て朽ちていっている。

 

 このままでは、最後まで持たない!

 アグネスデジタルは自分が呼ばれた意味を考えた。このレースの結末を見たいのだ! という結論に至り、無茶無謀を押し通す。

 そうして彼女は、己の欲望に従って世界を塗り替えた。

 

 古来より、世界を救うのは勇者の役目だと決まっている。

 

 

 最後の直線。その光景を見た時、終末。の二文字が脳裏に過ぎる。

 空は赤く染まっており、観客席が崩れ落ちる。直線には亀裂が入り始めており、既に地盤沈下が起きている。

 ゴールまでの道は、もうなかった。

 

 それでも、私、マルゼンスキーは一歩を踏み出した。

 この果てなき夢に決着を。その一心で最後の直線へと踏み込んだ時、世界が一新する。晴れやかな青空が広がり、コースには青々とした芝が生え変わる。大歓声が聞こえてきた。観客席は下段から上段までびっしりと詰まっており、横断幕まで用意されている。色とりどりの紙吹雪、ちょっとやり過ぎなんじゃないかってくらいに劇的な変化を遂げた。

 勝って当たり前、そんな空気は微塵にも感じられない。熱狂が、あった。

 

『最後の直線! 無敗の3冠ウマ娘コントレイルに異次元の疾走者マルゼンスキーが追い縋る! 片やクラシックの申し子、片やクラシックに出走できなかったウマ娘! その差は半バ身、時代を超えた両者の激突は最後の直線に持ち込まれました! 無双、無敵、無限大! 苦しいか、コントレイルは苦しいか! いいや、コントレイルは此処からが強いッ!! 完璧ではなかった、最強でもなかった! しかし、令和に現れた最高の3冠ウマ娘コントレイル! 衝撃には続きがあった、果てなき夢の続きを見せてください!!』

 

 均一に整えられた高速芝、グンッと速度が乗る。

 余りにも走りやす過ぎて、加速力がダンチだ。ちょっと怖いくらいに速度が出る。

 しかし力は緩めない、絶好調以上の速度は恐怖以上に楽しかった。

 

『猛スピードで飛ばすぜハイウェイ! 前方追撃態勢だマルゼンスキー!! ウマ娘の夢だぜスーパーカー! 8戦8勝は伊達じゃない! ドンストップ、ノンストップ!! 東京レース場に法定速度は、ありません!!!』

 

 追った。追って、追い縋り、あと半バ身の差を埋めようと懸命に腕を振った。

 大きく身体を沈み込ませて、更なるスパートを仕掛ける。真っ向勝負、ただただ速度を積み重ねるゴリゴリの力押しだ。160メートルもある府中の坂を駆け登り、残り300メートルの時点で更にギアを上げる。8戦8勝、積み重ねた差は61バ身。ちょっと本気を出せば、誰も彼もをぶっち切った。途中で手を抜いて、並ばれてからでも7バ身の差を付ける。それが私、怪物マルゼンスキーだ。

 だから、最後の直線。コントレイルとの差を半バ身から詰められないのが、不思議で仕方なかった。

 

『ラスト3ハロン! コントレイルは、此処が強い!!』

 

 追いつけないのは、夢である為か。いや、違う。コントレイルは強いのだ。

 紙吹雪が舞う中、ゴールと同時に空砲が打ち上げられた。

 

『勝ったのはコントレイル! 半バ身の差を制したのは、コントレイルです!!』

 

 ああ、うん。と空を見上げる。頭上の青空には、飛行機が一筋の雲の軌跡を残す。

 初めて噛み締める敗北の味は、不思議と悪いものではなかった。

 視線を下ろすと、コントレイルが私を見ていた。彼女は、親指で自らの胸を小突いて告げる。

 

「どうだ、私だって強いんだ」

 

 そんな彼女の満面のどや顔に苦笑し、次があれば負けないわ。と負け惜しみを口にする。

 

「次……次はちょっと難しそうかなあ……」

「楽しい時間は、過ぎ去るのも早いわ」

「此処が夢の世界だからって事もあるんだろうけど……はい、本当に楽しかったです」

 

 はにかむ彼女に「私も40年後に産まれたかったわね」と零す。本当に羨ましい。

 レイパパレだけで十分です。とコントレイルは苦笑する。

 

「大丈夫ですよ、この世界の競走馬……ウマ娘は活動時期が長いんですよね? 10年もすれば、貴女を楽しませてくれるウマ娘がたくさん出てきますよ」

「10年は長過ぎないかしら?」

「それに貴女の悲願は、貴女の子が成し遂げてくれます。孫なんて二人もダービーに勝ってます」

「子供ねえ。それって私にも良い人が現れるって事しかしら?」

「確か、子は千頭……千人くらい居たはずですよ」

「千人ね……千っ!?」

 

 ああ、この世界では違いましたっけ? と、あっけらかんと零す。

 ちょっと待って、そっちの世界の私って何があったの? というよりも千名も産んだの、本当に? 何か科学的なブレイクが起きてない? 確かに私は優秀な遺伝子だろうけど、ディストピアな事になってない? 倫理とか、道徳とか、本当に大丈夫なの?

 知らない方が良かったかも知れない真実に、まあ、とコントレイルは話を切り替える。

 

「未来は、明るいです」

 

 そう彼女は告げて、そして光となって消えてしまった。

 さて、そろそろ私も行かないといけないかしらね。世界は再び崩壊を始めていたが、先程とは打って変わり、徐々に光として分解されていっている。観客席の最前列に居る桃色に近い栗毛のウマ娘が、何かをやり遂げたように満足げな笑みを浮かべながら、その身を光の粒子に変えて消えていった。

 それを見て、私もまた、この素敵な夢から目覚める。

 

 ああ、本当に良い夢だった。

 願わくば、もう一度。走りたいなあ。

 本当に、本当に楽しかった。

 レースが、楽しかった。

 

 

 夢が、醒める。

 

 

 




もうちょっとだけ続くのじゃ。

主役は一応、マルゼンスキーとして書いているのですが、
運営よりオリ主タグを付けるように警告を受けたので暫定的に付けています。
結果的に再び規約違反になりそうなので、後で運営に対応を問い合わせてみます。
とりあえず通報などはせず、放置して頂けると幸いです。
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