黒いショートヘアーに透き通るような白い肌。そして淡い緑色の瞳。
鏡で見た自分の容姿を見る。整った顔立ちだとは思っていたが、どうにも私は人のオスを誘惑する外見をしているらしい。
数ヶ月前。如何にも俺たちゃワルだぜ、と全身で主張する二人組に絡まれた経験と、その後も数回起きた似通った案件。所轄ナンパを受けて私はそう自身の容姿に関して結論をつけた。
これが同年代ならば子供同士のかわいいやり取りで済むのだろうが、私に声をかけてくる男は大体が高校生以上で、中には明らかに社会人であろう男性も混じっていた。同年代に比べて体格も大きく、胸や尻についた脂肪も多い私は実年齢より4,5歳は老けて見えるらしい。
前世が無機物であった弊害か、そういった異性とのやり取りというものには未だにピンと来るものがないのだが、まぁ私側が特に望んでいなくても、相手側が望んでやってきてしまう以上対策は取らなければいけない。
警察官である今生の父親に相談しようとも思ったのだが、折り悪く彼は長期の出張に出ており。また、心配性な母親にこの事を伝えると大騒ぎになるのは目に見えている。
そこで両親以外で懇意にしている大人で、体力錬成についても相談している幼馴染の母親に事情を打ち明け、自身が取るべき対策を尋ねた。
「……見た目は確かに高校生ぐらいに見えるけど。良い歳した大人がアルちゃんに声かけるのはねぇ」
「はぁ」
呆れたような幼馴染の母の言葉に、気の抜けた返事を返す。自覚しているとはいえ、自分の容姿について言及されるのにはなんというか違和感がある。前世ではよくかっこいい、という言葉を投げかけられていた気がするのだが、今生では真逆の評価をもらっている。
「話はわかったわ。アルちゃんの場合、技術がないと相手の方に大怪我させる可能性もあるしね。良い機会だと思いましょう」
「と、いいますと」
うんうん、と頷いてそう口にする幼馴染の母に問いかけると、彼女はにっこりと笑顔を浮かべて「ついてきなさい」と私を促す。前に立って歩く彼女についていき――
「良い、アルちゃん。関節技こそ王者の技なのよ」
「えぇ……」
「本当よ? 慣れれば打撃技より加減も簡単だし。その分、きっちり技術がないとぶっ壊しちゃうかもしれないけどね」
幼馴染の母はそう言ってにっこりと笑顔を浮かべた。
いい笑顔だ。腕を決められてうぎゃあああぁと絶叫を上げる幼馴染が視界に入らなければ、なんて優しそうな人だと思ってしまったかもしれない。実の娘に腕挫十字固を仕掛けながら、言うべき言葉ではないと思うのだが。
体力錬成について相談に乗ってもらっている身ではあるが、奇行を繰り返す娘のほうがナンボかマシだなんて思う日が来るとは思わなかった。正直この母子のやりとりにはついていけない部分がある。
「うーん、良いわね。前はこのバカ娘がなにしてもツーンとした表情だったのに。最近のアルちゃん、私好きよ?」
「この状況で言われても困惑しか返せないのですが」
「そこは素直にドン引きだこのババアっていぎゃぎゃぎゃぎゃ」
余計な一言を口にする前に幼馴染がギリギリと締め上げられる。雉も鳴かずば撃たれまいに。
「このバカ娘は兎も角。どう、やってみる? 丁度いい木偶もあるし」
「力加減が分からないのに実践は少し怖いのですが」
「あら、頑丈よ? 産んだ私が保証してあげる」
いや、キツイっす
最近学んだ若者言葉を思い浮かべながら首を横に振ると、幼馴染の母は残念そうな表情で五体のあるカカシのような人形を家の中から持ち出してきた。それがあるのなら実の娘に技をかける意味は無かったのでは。
「あら。物は壊れたら直すのが大変でしょ?」
「先生、者は壊れたら治るか分からないのでは」
私の問いかけにキョトン、とした顔で小首をかしげる幼馴染の母に戦慄を覚えながら、教わったばかりの
なぜ痴漢に襲われる前提の護身術に相手と密着する技を教えるのかとか問いたいのだが、まぁ所詮は素人意見だ。幼馴染の母にもしっかりとした考えがあるのだろう。
「そうそう、しっかりと相手の腕を伸ばす! これが大事よ」
「はい、先生」
幼馴染の母の助言に頷きを返し、言われたとおりに体に力をいれる。成程、こうやって相手の筋を伸ばしてぶっ壊、いや違う。少し幼馴染の母の口調が移ってしま――
そこまで考えた時。ふっと意識が飛ぶような感覚が訪れ、チカチカとめまいのような闇が視界を覆う。突然の違和感にぱちぱちと瞬きをし。
あ、これはまた。と思った瞬間。
ワアアアアアァァァァァッッッッ!!!
空気が、爆発を起こした。
『おぉっとこれはキマってる! キマってるぅぅ! マスクマン、抜け出せないぃぃぃぃぃぃ!!!』
ドン、と物理的な衝撃すら伴う歓声の声。スピーカーから流れる、マイクにがなり立てるアナウンサーらしき男の声。どんどんとリングマットを叩く怖面の男たち。
そして腕挫十字固をかける私の太ももの下で、荒い呼吸を吐きながら唸り声をあげるマスクをかぶったオッサン。
『耐える、しかし耐えるぞマスクマン!! 麗しき美脚に抑え込まれながら耐えているぞマスクマン!!! そこを代われマスクマンッッッ!』
投げ込まれたタオルに試合終了を叫ぶ審判らしき男性の声を耳元で聞きながら、私はようやく事態を飲み込んだ。
ああ。
どうやら、私はまた夢を見ているらしい。
「いい試合だったぞ、サンデー!」
「あ、はい」
リングを降り、控室のような場所にやってくると、豪華そうなスーツに身を包んだ名乗る顎の長い男に肩を叩かれ、頭をクシャクシャに撫でられる。
「お前には華がある! ただの腕挫十字固で会場を爆発させるほどの! 俺や斗羽さんのようなスターダムに駆け上がる圧倒的な華が!!」
「……はぁ」
別にスターダムに駆け上がりたいわけではないのだが、社長と呼ばれた男の唾を飛ばすような激しい口調に押されてつい頷きを返す。社長はそれに嬉しそうに笑顔を浮かべて、私を高い高いの要領で抱き上げた。
「それで、社長。次のマッチングは」
「ああ。1週間後に。メディア各社にはガンガン電話を入れろ! 初動でガッチリと――」
社長にブンブンと振り回された後、案内された女子用の更衣室へと向かい、服を普段着に着替える。その間に社長は次のマッチは、だのメディア露出は、だのという不安すぎる単語をマネージャーらしき人物と話し合っていたらしく、私が更衣室を出た頃には次の相手と日取りまで決まっていた。私の予定は一体。
――まぁ、この夢を見るのにも少しは慣れてきた。恐らく長くてもあと数時間で現実に戻れるだろう。
どうせなら珍しい経験をしたと考えて、ショービジネスの裏側を色々見ておくのも良いだろう。雑学に堪能な幼馴染に伝えれば、喜んでくれるかもしれない、か。
そう気を取り直して社長の後についていく。夕飯を奢ってくれると言うので社長おすすめの焼肉店に連れて行ってもらった。ありがたく社長の財布を空にしたら爆笑されもう連れて行かないと言われた。なぜだろう。
正面から相手の両足首を掴み、自身よりも巨体の相手を肩の上まで担ぎ上げる。抵抗する相手を力づくで押さえつけ、ロープを利用してコーナーポストへと駆け上がり、跳躍
『で、ででで出たぁぁぁぁぁ!!』
そして勢いのまま。実はちょっぴり減速をかけて、相手をマットに叩きつける。
『決まった、これは決まった! 決まったぁぁ! サンデー篠原の、ウルトラタイガードロップだぁぁぁ!!!』
動かなくなった相手の上に優しく覆いかぶさる。レフェリーの3カウントを聞きながら、歓声を上げる観客に視線を向け――腕を高々と振り上げる。
『高々と掲げられる手! 無敗王女、サンデー篠原がついに! チャンピオンベルトに手をかけました!!』
「サンデー! よくやった!!」
係員が持ってきたチャンピオンベルトを受け取って、ジャージを着た顎の長い社長がリングに駆け上がってくる。そして彼は私にベルトを――あんたが巻くんかい
その様子に場内が爆笑に包まれる中。社長はパチリと私に向かってウィンクをし、ベルトを外して私の腰に巻き付ける。たった一瞬で場内の空気を持っていく。流石はスター、流石はアントニオ猪狩というところか。
とはいえ。
『おおっと、サンデーがマイクを手にとった! そう、彼女といえば、彼女の勝利といえばこれだ!!』
ただただ空気に流されるようでは三流。アントニオ猪狩に師事する以上、求められるのは一流以上。満面の笑顔を浮かべる師――社長を一瞥し、マイクに音を吹き込む。
『ウィニングライブの時間です!!』
ところですぐ帰るどころか一年経っても夢から覚めないんだがこれ、私は起きられるのだろうか。
【新女王誕生!】
『しまる、しまる! 締めたあぁぁぁ! これぞ王道! これぞ基本にして究極! サンデーの裸絞が、世界王者を絞め落としたぁぁぁ! 泡を吹いています濱口! レフェリーが止めに入って、これで! ――男女混合王者の座を、サンデーが手にしました!』
【無敗神話継続――サンデー篠原、その輝かしき軌跡】
『これは! これは、まさかの! キン肉バスターだぁぁあ! 持ち上がるのか、上げてしまうのか! 200kgの体重を誇るビッグフットを、アメリカからの刺客を! 小兵サンデーが! サンデー篠原が持ち上げ、ああ! 飛んだ、そして――落としたぁぁ!!』
【闘魂の後継 女子プロ新時代突入!】
「ビューティービューティー」
「「ビューティーペア―♪」」
【歌でも最強!? サンデー篠原、ビューティーペアを上回るミリオンヒット達成!!】
「はい、全ては社長のご指導の賜物です。紅白? 大晦日は試合があるので参加の予定はありませ――会場から中継? え、なにそれ聞いてな」
慌ただしく駆け抜けて、気づけば一年。
1年で50戦。これが多いのか少ないのかは兎も角、その間一度も負けずに私は闘い続け、気がつけば国内だか世界だかのチャンピオンベルトを巻く事になった。ぶっちぎり最年少の王者誕生だが世間的には受けが良いらしい。義務教育? ああ、うん。奴は強敵だったね。
あの過保護な両親がいれば間違いなく大騒ぎになっていただろう……二人は元気だろうか。
過去の経験上、夢が覚めれば恐らく元の時間軸に戻るのだろうが、それでも1年もの間彼らと離れたのは初めての経験だ。少しの、胸の痛み。これが寂しいという感覚だろうか。衣食住と不安はないが、やはり両親の庇護下から強制的に離されるというのは、生身には堪えるらしい。
……話を戻そう。齢10にして両親の庇護下から強制的に離された私は、社長率いるプロレス団体の社宅のようなものに住まわせてもらっている。
顎の長い社長は非常に目立ちたがりでお金が好きで目立ちたがりで派手なことが好きな目立ちたがり屋だが、それと比するくらいに面倒見のいい人だった。この夢を見始めてからほぼ毎日、忙しい身であるというのに彼はなにくれと私を気遣ってくれる。
プロレスの技術も、観客に対するパフォーマンスも、ウマ娘としての力をセーブして生活する術すらも、彼は私に教えてくれた。幼馴染の母が体作りの師であるなら彼はそれを補う技術の師というべきだろう。
前2つはともかく、ウマ娘としての力のセーブについては手探りのようなものであったため、多大な犠牲を社長と社員と社長の財布が払うことになったのは、正直心苦しい。
実験台になってくれた社長他の諸先輩方には感謝しかない。ガキは気にするな、という彼らの言葉がなければご飯も3杯までしか食べられないくらいには気を病んでいたかもしれない。
この夢は前世の私が製造された日本のようにどうもウマ娘という概念が存在しないらしく、ウマ娘というエンゲル係数を破壊するために生まれてきたかのような存在を生活させるための各種手当や保証、食材の流通などが整備されていない。会社で食べさせてもらえなければ恐らく私はまともに生きていくことも難しかっただろう。
アイドルレスラーとしてのプロデュース全般も含めて、この一年社長にはお世話になりっぱなしである。お給料ももらっている。食費を除いて手取りで月給30万円。大昔の大人気アイドルレスラーにあやかった値段らしい。印税はもらってない。
特に使う当てもないので大体はマネージャーさんに管理してもらい、必要な分はその都度お小遣いとして頂いている。ウマ娘にとっていちばん大事な食費は社長にタカっているので問題はない。今日はお肉が食べたい気分だ。
「おかげで常に札束を持ち歩くハメになった」
「お財布にBig Moneyを入れておくのが成功者の義務なのでは」
半分愚痴るような社長の言葉にそう返答を返すと、頭をワシャワシャと撫で回される。社長が喜びそうな語録を調べてきたのだが、間違えていたのだろうか。いや、世界のYA○AWAがそう言っていた気がするので間違えるわけがないのだが。○沢が間違えることがあってもYAZ○WAは間違えない。
前世でインプットされたデータにはそう載ってあった。
「ところで社長。当面の目標だった混合王座の奪取に成功したわけですが、次はなにを目標にすればいいのでしょうか」
「……そう、だな」
「マウント斗羽の首を狙うならお任せください」
「急に物騒になるな」
社長の反応に首を傾げて返すと、社長は分かった分かった、と苦笑を浮かべながら首を横に振る。折に触れてマウント斗羽を見かける時の社長の目が幼馴染がやらかした時の幼馴染の母の視線にそっくりだから、相当複雑な感情を抱いているのは間違いないのだが。
――ああ、、むしろ「俺がやるから余計な真似はするな」という事だろうか。社長の性格的にはそちらがあっているような気もする。
まぁ差し当たってやるべきことがないなら暫くは防衛戦に専念して英気を養うというのも。いや、この期に新しい技の開発に着手するのも良いかもしれないな。
普通の人間には難しくてもウマ娘の身体能力ならば出来る技も多い。キン肉バスターやウルトラタイガードロップを使った時のメディアや観客の反応の良さは異常だ。日本人は皆アニメや漫画が好きなんだろう。
普段はプロレスに興味がない層が会場に足を運ぶきっかけになるのなら、どんどん新規技を開発していくのもありだろう。
「というわけで社長。予定がないのなら私は山ごもりをしているという事にして少し期間をください。現在開発中のエアスピンドライバーを完成にまで持っていきたいのです」
「それは人間に使っても良い技だろうな?」
「地獄の断頭台より生存性は高いかと」
社長の問いかけに客観的な事実で答えると、にべもなく私の申請は却下された。投げと極めを同時に行うまさにプロレスのための技だと思うのだが……解せぬ。
「お前は……真面目なんだがちょっと考える方向がなぁ。真面目なんだが」
「はぁ。ありがとうございます」
「……おう」
ため息をつきながらそう口にする社長に礼を言うと、社長は苦笑をうかべながら私の頭をワシャワシャと撫で混ぜる。
「ガキがそんなに気を回すんじゃねぇよ」
私の髪をぐちゃぐちゃにしながら、社長はそう言ってふっと笑顔を浮かべた。
「なぁ、サンデー」
「はい」
「楽しいか、その。プロレスはよ」
その問いかけに小首をかしげると、社長はポリポリと頬をかいた。普段ははっきりとした口調で話す人が、どうしたのだろうか。
「そうですね……楽しい、のだと思います。以前はあまり勝負事に熱中するタイプではなかったのですが」
「……そうか」
「はい」
どこか安心したような社長の言葉にそう答えると、社長は一つ頷きを返した。
実際にこれは嘘ではない。最初はどうかと思っていたが、互いに技をかけあい、受け合って、観客の声援に応えて、歌を歌う。今の生活に、私は満更でもない思いを抱いている。
どうにも言葉にするのは難しい。なんとかして社長にそれを伝えようと頭を捻っていると、社長はその様子に何を思ったのか。ギシッと椅子を軋ませてから口を開いた。
「次の予定はもう決まってる。来週の日曜日、場所は東京ドームだ」
「東京ドーム……? 今年の導夢興行はもう終わってるのでは。それに、日曜日は野球が」
「心配するな。話は通ってる――次の相手は、過去最強の相手になるだろう。準備だけは怠るんじゃないぞ」
社長は私の言葉を遮り、そう言いきった。そこまで断言されたなら、私も言うべきことはない。彼が出来ると言うならばそれは“出来る”のだ。それを信じきれるだけの信頼が彼には在る。
であるならば。彼の弟子であり社員であるところの私が取るべきことは、唯一つ。
「分かりました。勝利を貴方に」
ただ当たり前に闘い、当たり前に勝つ。それが私に求められているものであり、それだけが私が彼に返すべき結果だ。
私の言葉に社長はニィっと笑顔を浮かべ、そして無言のまま頷きを返す。
さて、彼にここまで言われた以上は万全を期さなければならないだろう。万が一にも調整不足なんてお天道様が許しても私自身が許せない。
であれば、だ。
「……あ、その。社長」
「うん?」
「に、日曜日の件、準備を怠るなとの事ですが……調整のために、組手をお願いできませんか」
少しどもりながらの問いかけ。彼が忙しい身であることは承知しているが、他ならぬ社長の望みである“準備”には必要な事だ。彼は間違いなく社内最高のテクニシャン。彼との組手はそこらの相手とリングで一戦交えるよりも高い経験値を私に与えてくれる。次戦に向けて万全の体制を整えるためには、彼との組手は必要不可欠。太陽が西から登って東から落ちていくくらい当たり前の出来事だ。違う、飛騨市から登ってニシンから落ちるだ。
「お邪魔なら、勿論、その」
「……ったく。そんなに気を使うんじゃねぇって」
尻すぼみに小さくなっていく言葉。どうにも最近、社長に何かを頼む時、特にトレーニングを頼む時は言葉がうまく口から出てこない。
もしや何かしらの故障を起こしたのかと女子プロの先輩にも相談してみたら、「茨の道」だ「年の差」だときゃあきゃあ騒いだ後「もっと素直になればいい」というが。その素直に言葉を吐く事が難しいのだが。
私の言葉を聞いた社長は、ふぅ、と小さなため息をつく。失望されただろうか。暗い考えを表情の下に押し殺して、私は伺うように社長の顔色を見る。
「少し仕事を片付けてからになる。アップしとけ」
「――はい!」
頷いて、私は社長室のドアを開ける。ジャージに着替えて、少しランニングをして、柔軟を行い。頭の中で出来得る限り効率的な調整を思い浮かべて部屋を出ようとすると、背後から社長が声をかけてくる。
「サンデー…………闘いを楽しめよ、サンデー」
「……? はい」
かけられた言葉がよく分からず、漠然と頷きを返す私に社長は小さく頷き自身の椅子に深々と座り直した。これ以上は社長の邪魔になる。一礼し、社長室のドアを閉め――
「っし」
ぐっと右手を握りしめる。最近、私のスペシャルマッチの影響か社長とのトレーニングが余り出来なかった。トレーニングは欠かしていないし諸先輩方にもお世話になっているのだが、社長から受けた教えは他の誰に習うよりも早く確実に私の血肉となってくれる。
――そういえば、幼馴染の母が言っていた。かつてトレセン学園に所属し、ターフを走っていた彼女はその時の経験を娘と、ついでに私に語ってくれた。
『どれだけ効率的なトレーニングも、どれだけ科学の粋を集めた最新鋭の機材も、どんなに凄い先輩の教えも。信じて全てを預けられるトレーナーとの二人三脚に勝るものはなかった』
その言葉を聞いた時はそんな馬鹿なと思った。ヒトの性能を上げるには、その人物が持つ特性――才能を如何に効率的に鍛え上げるかにつきる。勿論彼女が活躍していたレースに関しては走る相手やバ場の状態、天候などという様々な要因が結果に結びつくが、性能が上の方が優位である事に変わりはない。
効率的な機材を用い効率的に鍛え上げる。本来ならば最適解であるはずのソレは、私の考えは、しかしこの世界で過ごした一年であっさりとその考えは覆された。
100kgのベンチを担いで100回スクワットをするより社長を肩車して10回スクワットするほうが明確に力が上がったのを感じるし、誰か先輩に技を教わるよりも社長に一度技をかけてもらう方が覚えが良い。明らかなまでの差がそこには存在した。
もしかしたら。彼が、社長こそが私の。
そんなよもやま話を思い浮かべながらトレーニングルームにたどり着く。まずは着替えて、ランニングに行って。プロレスラー、サンデー篠原へと意識を切り替えながら、私は更衣室へと足を向けた。忙しい社長に迷惑をかけるわけには行かない。彼が来る前に、きっちり体を温めておかないと。
ワアアアァァァァァァッッッ!!
『ナックルアロー一閃! 闘魂の一撃が、サンデー篠原の顎を突き刺したァ!!』
歓声が聞こえる。揺れる視界、ぼんやりとした視界を焼くまばゆいライトの輝き。砂地に紛れた固形物――恐らく欠けた歯や骨――の感触を背に感じながら。
顎を叩かれ脳が揺すられた私は、夢見心地のような状態で周囲を見渡した。
「シャイッ!シャイッ!シャイッ!シャイッ!シャイッ!シャイッ!」
耳に入る声。社長だ。社長が、観客を盛り上げるように煽り立て、観客はそれに答えるように声を張り上げる。イガリコール。なんどもなんども彼の登場の際に耳を打ったそれを聞きながらようやく揺れが収まってきた視界をそちらに向け。
髪を引っ張られ、強制的に立ち上がらされ――後頭部に衝撃。再び揺らされた脳。地面を転がる感触。
「ここは東京ドーム地下6階。日本の――いや、世界の格闘家の聖地、地下闘技場だ」
「……社ちょ」
「今日のスペシャルマッチのために、ここを借り切った。喜べ、サンデー。今日、ここのメーンイベントは俺とお前だ」
『延髄斬りだぁぁ!』と喚く実況の言葉をどこか遠くで聞きながら、私の耳は社長の言葉を一つ一つ、確かめるように捉える。振り落とされる踵。地面と社長の足に挟まれ、地を跳ねる私に数度振り落とされる彼の足。
腕を掴まれ、引き立たされる。そのまま闘技場の壁の縁に投げつけられ、背を打たれ――社長のドロップキックが、私の胸に突き刺さる。
胸を蹴られ、大きく息を吐きだした私に。ゆったりとした動作で立ち上がりながら、社長はいつもと変わらない口調で話しかけてくる。
「今日のスペシャルマッチにお前が勝てば、お前は家に帰れる。おっ父さんとお袋さん。それにダチに会いたいと言っていたな。夢が叶うぞ」
壁にもたれかかる私の腕を取り、社長はそう言いながらその腕を担ぎ上げた。
『おおっとこれは、この形はっ!!!』
「ただし、俺が勝った場合その話はナシだ。お前は一生俺の下で、俺のプロレスラーとして働くことになる。当然、両親とも、ダチとだってもう二度と会えない」
「社チョ……」
言いながら、社長は私を前屈みにさせぐいと足を私の足に絡ませてくる。レスラーとして体に抑え込まれた感覚が、自分が今から何をかけられるのかを訴えかけてくる。視界を覆うように私の頭に絡みつく社長の足。社長――アントニオ猪狩の代名詞。
『タコのような柔軟さで絡みつく!!
「あの実況、分かってねぇなぁ」
私に技をかけながら、溜息をつくような社長の声がする。その声が。普段と、全く変わらない声音が、私の心を強かに打ち付けて、砕く。
「おい、サンデー」
ギチギチと私を締め上げながら。全てを見透かしたような社長の声。
その先を。言わないでくれと言葉にしたくても、言葉には出来なかった。
それを、社長は望んでいない。彼が自身のレスラーに求めるものは。私に求めるものは、一つしかないのだから。
「ガキが、大人を気遣ってんじゃねぇよ」
いつもの嗜めるような、教え諭すような言葉が。私の耳を打ち、砕け散りそうな心を弾けさせた。
右腕の力を抜く。急に無くなった抵抗感に、私の上に乗る社長の体が不安定になり、揺れる。緩まった拘束から頭を抜き――私は社長に掴まれていた右腕を、全力で振り抜いた。
「グォッ!?」
2m近い巨体が飛ぶ。拘束していた右腕から手を離し、数mほどを転がって、止まる。
上体を起こし、彼を見る。水滴で歪むレンズごしにみるようにぼやけた視界の中、投げ飛ばされた彼は息を整えながらゆっくりと立ち上がった。
「……対戦中にレスラーが、泣いてるんじゃねぇよ」
呆れたような社長の声に、私は初めて自身が涙を流していることに気づいた。ゴシゴシと、汚れた腕で目元を拭う。クリアになった視界に映る社長は汗と砂に塗れた姿で、私に向かってファイティングポーズをとる。
「闘いを楽しめ、サンデー。お前には、教えた。お前なら、出来るはずだ」
そこまで……ここまで来てようやく、私は彼と闘うのだという事実を飲み込むことが出来た。目の前に立つ、自身に闘志を向ける燃える闘魂の姿を目にして、ようやくそれを実感することが出来た。クリアになった筈の視界がまた滲んでいくのを知覚しながら、その事実を飲み込みながら。
「……無理だよ」
いやいやと駄々っ子のように首を振って、それが嘘である事を願いながら。
私は、もっとも口にしたくない言葉を口にした。
「……全然痛くないんだもん」
「…………へっ」
「社長の攻撃……全然痛くないんだもん。殴られても、蹴られても……極められたって、全然痛くないんだもん」
ポロポロと頬を伝う涙。胸が張り裂けそうなほどの苦しみ。
彼は敗北の美学なんて高尚なものを持つ人間ではない。リングに立った以上、彼の頭にあるのは勝利の二文字のみだ。ココに来るまでの間、彼は目の前に立つ
それでも、そこまでやっても無抵抗な私に痛痒を与えることすら出来なかった。
それは、つまり。
「
グスグスと鼻をグズらせ。
「私――勝っちゃうよ?」
彼には、万に一つの勝利の可能性もないという事だ。
問いかけるような私の問に、社長はニィっと笑顔を浮かべて無言で拳を放つ。
ナックルアロー、トレーナー《社長》の代名詞の鉄拳。トレーナー《社長》以上の大型レスラーですらも沈めるその拳を左手で止め――私の
グラリと揺れる巨体。その場で垂直跳びの要領で飛び上がり、両足をトレーナー《社長》の胸に叩き込む。
ドゴンッ
大凡人体がたててはいけない音を出して、壁際から壁際まで蹴り飛ばされたトレーナー《社長》の姿に、それまで湧いていた観客が静まり返る中。
ぐすりぐすりと鼻をならしながら、私は壁にもたれかかった彼へと歩み寄っていく。
「げふっ」
吐血。恐らく肺を傷つけたのだろう。両胸にくっきりと残る足型を撫ですさりながら、トレーナー《社長》はよろよろと壁に手をかけて立ち上がろうとする。
その姿に。駆け寄ろうとした私を手で制して、彼は揺れる眼に力を込めた。
「たとえそれが」
ゼー、ヒュー、と呼吸を繰り返しながら。口の端から血を流しながら、両足を震わせて彼は立った。立ち上がった。
「たとえそれが親兄弟であろうと。恋人であろうと。親友であろうとも」
立ち上がって、構えを取り。
「……師であろうとも、リングで相対したならば叩き潰せ。喜んで、全力で。お前には、そう教えたはずだ」
そう口にして、いつものような微笑みを浮かべる。
「最後の授業だサンデー……楽しめよ、闘いを――――楽しめッ! アルッッッ!!」
「ッ~~~~~~~~アアアアァァァ!!!」
師の叫び。魂を震わせるほどのそれに、心を震わせて。
私は師に、再び鉄拳を振るう。
『再びの、サンデー篠原のナックルアローッッ!! 崩れた、猪狩が! アントニオ猪狩が、燃える闘魂が崩れ落ち、そしてッッ!』
トレーナー《社長》の頭を抑え、前屈みにさせる。足と足を絡め左足で頭を押さえる。
この技しかない。極めるならば、決めてしまうならば。
貴方に教えられた、この技で。
『オクトパスホールド《卍固め》が!!! 師の代名詞が、今ッッ!! その弟子によってッッ!!』
実況の叫び声。爆発的な歓声。身を乗り出して食い入るように見る観衆たち。
その全てが私と、トレーナー《社長》に注がれる。世界の全てが、自分たちを見つめているかのような感覚。
これが、闘い。
これが、ショービジネス。
これが――プロレス。
――たまんねぇなぁ、アル
言葉にはならない、口元だけの呟き。根っからのプロレスラーのそれが、耳元で聞こえたような気がして。
パンパンと2度、足を叩く軽い衝撃を感じながら。
私は小さく頷きを返して。
消え行く意識の中、涙を零した。
ガチャリと玄関のドアを開ける。懐かしさすら感じるその感覚に、ふわふわとした気分のまま玄関をくぐり、室内へ。
「あら、おかえりなさいアルちゃん。ステイゴールドさんは――」
居間からこちらを覗くように声をかけてくる母親の声。言葉が終わる前に、彼女へ歩み寄り、抱きしめて。胸元へ顔を埋める。
今の顔を、何故か見られたくなくて。そんな小さな羞恥心と、この顔を見せるのは彼にだけだ、なんていう小さな自負があって。
とめどなく涙を流す私の背中に、母の手が回される。
その晩は、久しぶりに母と共に眠った。抱きしめられて――夢すら見ないほどに、深い眠りに落ちようとした時。
迷わず行けよ
誰かの声がかけられたような。
そんな気がした。
推奨BGM:違う、そうじゃない(鈴木雅之)
この作品は悪ノリを主成分として構成されています()
ノルマ的なものは達成したのでこれからは好きな作品をクロスしていきたい
人物紹介
リングネーム:サンデー篠原(アルちゃん)
生年月日:秘密
出身地:八王子
身長:165cm
体重:53kg
足のサイズ:25cm
血液型:秘密
デビュー戦:199✕年✕月✕日
○マスクマン(5分43秒、ドロップキック→
得意技:ウルトラタイガードロップ、キン肉バスター、卍固め、コブラツイスト
タイトル歴:
第✕代✕✕✕世界ヘヴィー級王者
第○代○○○女子世界
世紀末を制するために燃える闘魂が生み出した怪物。超重量級のパワーとタフネスに軽量級の敏捷さ、そして師から受け継いだ技術を武器に最強の座を射止めた新時代のシンデレラ
ゴールドシップ
幼馴染。アルが泣いているシーンを初めてみた。2,3日声をかけるのを戸惑ったが4日めに一念発起し北海の幸で元気づけようと旅に出る。
幼馴染の母
思った以上に筋が良いのでこのまま熨斗つけてトレセンに放り込んだら面白そうだな、と画策中。行方不明になった娘は帰宅してすぐに〆た。