誤字修正、日向@様、Hanna様ありがとうございました!
「牽くんだ!」
吠えるように叫ぶ声。大柄な女が、私に向かって声を張り上げる。
体長は優に2mを超えているだろうか。背の高さに負けない筋骨隆々とした立派な肉体。凛々しいというより雄々しいと表現するべき整った顔に刻まれた深い3本の爪痕は、彼女のただそこに在るだけで周囲の空気を歪ませるほどの存在感を更に高めている。
「その程度か! お前は、お前の力は!」
そんな見るからに人型危険生物の声を耳にしながら、足に力を入れる。
全身を縛る鎖が悲鳴を上げる。当然だろう。重さにして10数トンはありそうな、小山のような石に縛り付けられているのだから。柔らかい砂地は私の力を地面に伝える前に崩れ、ただただ砂をかくだけで前へと進むことが出来ない。
「角度をつけろ! 力を分散させれば砂をかくだけだ!」
そんな私の姿に大女が声を張り上げる。角度。力。耳を掠めるその言葉に従って、体制を低く、前へと倒す。振り上げた足を斜めではなく、横に。回転を上げて、地面へと叩きつける。
「オ……」
何度も、何度も。砂地がめくれ、徐々に地面へと体が沈み込むのも構わずに、何度も足を地面に叩きつける。
「オオオオォォォォォッ……」
前へと進むために。
「オオオオオオオオオオオオオオオッッ」
ぐらり、と大きな何かが鎖越しに動く感触。
「アアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
吠える。己の全力を叩きつけるように猛る。少しの全身はやがて確かな一歩になる。少しずつ、少しずつ前へと進む感触。
走り出せる。そう確信を持った瞬間に不意に大きな金属音が鳴り響く。いきなり無くなった抵抗感と、少し遅れてやってきた浮遊感。
気づけば私の体は砂浜の上に投げ出されていた。何が起こったかわからずに振り返ると、そこにはバラバラになった金属製の鎖が散乱している。どうやら私の力と岩の重さに鎖が耐えられなかったようだ。
「見事!! 見事だアール! やはりお前はソリを牽くべき女だ! 平地をちょろちょろ走るなんてお前にゃ似合わない!」
口の中に入り込む塩辛い砂を吐き出していると、感極まったかのように大仰な仕草で大女が近づいてくる。
「ワガココロ」
「なぁ、ばんえいに来いよ! お前ならすぐデビューできる! 賞金だって稼げる!」
「おい、ワガココロ」
「お前にはスターの器が在る! 私の重賞25勝を超えられるのはお前しか居ない! 私の後を――いや、お前が時代を作るんだ!」
興奮する大女――わざわざ北海道からやってきたバンエイ競争の女王を見上げながら声をかける。だが、彼女はよほどテンションが上ってしまっているのか私の話を聞かずに延々とバンエイ競争の魅力を語り続けている。
こいつ顔を合わす度にこうやって私をバンエイ競争に誘ってくるのだ。私と顔を合わせると勧誘するプログラムでも頭に入ってるのだろうか。しかも話始めたら満足するまで止まらないという不具合まで発生する。スイッチが入りっぱなしのスピーカーかなにかか、コイツは。
延々喋り続ける大女を無視して先程まで引っ張っていた大岩に目を向ける。
「あー。無理でありましたか。お前のバ鹿力なら行けると思ったのでありますが」
「神山教官殿。用意していただいた鎖では強度が足りません。これは砕いて小さくするのが上策かと思います」
「お前は見目も良い! お前が踊るソーラン節は全道の、いいや全国、全世界の雄を奮い立た――」
「それが出来りゃぁとっくにやってるでありますよ」
口をへの字に曲げて話しかけてきたのは軍帽のような帽子を被った女だった。彼女はトレセン学園で教鞭を取る教官の一人だ。今いる海岸はトレセン学園が管理する合宿所の一部であり、専門の合宿施設を用意できないチームやトレーナー、それに一般生徒が夏季休暇中に利用する事ができる施設だ。
最も一般生徒の場合は抽選制で、なかなか利用することが出来ない。学園では出来ないような鍛錬が出来ると言うので昨年は私も応募したのだが、その際は抽選漏れで来ることが出来なかった。
生徒会長のお達しでチームに所属することになった当初は自由に鍛錬が出来ずもどかしいと思っていたのだが、この合宿施設を利用する事が出来るようになったのは素直に嬉しい。今度あったときにはお礼を言わなければいけないだろう。
「こいつが無くなれば不自然なカーブをなくすことが出来るんでありますが」
飛び散った鎖を拾い集めながら、教官は深いため息を吐く。
ここには常に管理者として彼女のように数名の教官が常駐して、施設の維持や事故が起きないように目を光らせてくれている。そんな彼女たちにとって合宿所の一部を邪魔するこの大岩は悩みのタネだった。こいつがあるせいで砂地を使った走り込みのコースが随分と歪な形になっているのだ。
「ローカルだがマスコミにもツテがある! お前のスター性ならばこちらから話を向けてやればこぞって連中も――」
「なにをするにも予算予算。世知辛い世の中であります」
「あの学園長ならその辺ケチケチするようには思えないんですがね」
「小生もそう思うでありますよ。ただ、学園長は二つ返事でありましょうが駿川先輩がうんとは言ってくれないでありますなぁ。コイツの存在は確かに邪魔とはいえ、それなら迂回すれば良いだけの話。無理に予算を組んで処理するほどではないのがネックでありまして」
壊れた大音量ラジオの発言を耳を伏せて聞き流しながら、教官殿と並んで腕を組み頭を悩ませる。いくら力に優れたウマ娘でも下手な家屋よりでかい岩の排除は素手では出来ない。やるとすればより強力な力を、今回で言えば破砕用の杭打機辺りを用意するしかないだろう。
それを用意するにもやはり金。金と力は大体の問題を解決するってインターネットでも書いてあったがその通りだろう。
「私には見えている! お前が苦もなくあの巨大なソリを駆り、ライバルたちをごぼう抜きしていく姿が!」
「雑務をさせてすまんでありますな。沖野トレーナーたちは山間部を使った坂路鍛錬中でありますからそちらに合流してくれであります。所でこの大音量スピーカーはなんでありますか?」
「部外者です」
「……おいデカブツ。ここはトレセン学園の私有地でありますぞ。なに勝手に入り込んでんだコラ」
教官は自身より頭3つは大きな相手のスネに蹴りを入れ、ワガココロがいてぇっ!と悲鳴を上げるのを横目に大岩に目をやる。
鎖が限界を迎えてしまったため失敗したが、確かに最後の瞬間コイツを動かすことができた。つまりコイツの重量と私の力に耐えられるモノがあれば、こいつはこの場で処理できるというわけだ。
多分だが私が直接押せばイケる。教官殿が鎖を使うよう指示を出してきたのはおそらく安全面を考慮したからだろうが――軽く両手で岩を押して見る。踏ん張りさえ効けばあるいは。少しずつ、体重をかけながら体を傾けていく。重心を低く。力を前へ前へと。
目を閉じて深く息を吸い、吐き出す。砂に沈んでいく足がピタリと止まる。硬いアスファルトを蹴るような感覚。掴んだ、と思った瞬間に体重をかけていた岩が前へ前へと動き始めた。今までの重さが何だったのかというくらいにスルスルと。まるで
「あー」
目を見開くと、そこにはDEVILBATと黒ペンキで文字が描かれた赤いボディのトラックがあった。
キョトン、としていると、誰かが咳払いを一つして、声をかけてくる。
「ええと、だな」
周囲を見渡す。栗としか言いようのない頭をした巨漢とお結びくん。それに殴り合いでもしたのか顔を腫らした3人組の不良が唖然とした表情でこちらを見ている。汗臭い男集団にスクール水着の女が一人。どこぞの大人向けビデオのような絵面だな。
ふむ、なるほど。
責任者らしい小汚いおっさんがポリポリと頭をかきながら、私を見る。
「どちらさん?」
「迷子です」
どうやら私は、また夢を見ているらしい。
「という訳で二学期からお世話になる」
「ありえねぇ。ベガスで2000万稼いだ時もそうだがあいつホンモノの悪魔なんじゃねぇか?」
「つーか中途入学枠は
「私は入学から一度も登校しなかった不登校の一年生、篠原アルフちゃんらしいぞ」
「は?」
「はぁ?」
「はぁぁぁぁ?」
私の言葉に驚いたのか、はぁはぁ3兄弟は彼らにとってアイデンティティとも言えるはぁはぁ3連打を放った。どんなタイミングでも息ぴったりだな、こいつら。
一緒に米国で2000kmほどトラックを押した仲というか、彼らラインマン組とは同性の女性陣よりも近い距離で付き合えている。まぁ彼らがはぁはぁ言いたくなる気持ちは分かるよ。戸籍とかどうなってんだよって話だからな。気づけば2歳もサバ読んで高校生になる羽目になったが、この夢というやつは本当にどうなっているのか。
げんなりとした表情でラインマン組に見られる主将、ヒル魔は自分に突き刺さる視線などどこ吹く風とばかりに、クチャクチャとガムを噛みながら作戦名が書かれたカードをばら撒いている。アメリカから2ヶ月ほど接している相手だが、知れば知るほど受肉した悪魔かなにかじゃないかと思ってしまう。
流石に戸籍云々に関しては彼の仕業ではなく不可思議な夢パワーで用意されてたっぽいが、それ以外のこちらでの生活のほぼ全て、それこそ衣食住を彼に保証して貰っている。本当に高校生か? 生活抑えられてなきゃ怖くて関わり合いになりたくない――のだが、前回の長い夢の時に用意されていた一応保護者というかそちらの世界の両親が、どうも今回の夢の中には居ないようなのだ。
そうなってくると生活能力のないごく一般的な14歳の私では、こんな危険な相手でも頼らなければおまんまが食えない。どっかに14歳でも雇ってくれるプロレス団体ないだろうか。
「おい
「篠原アルフちゃんではないのか?」
「やかましい。テメー本気で試合に出る気か?」
とはいえ飯を食わせてもらう以上何かしらで返すくらいはせねば女が廃る。なにか役に立てないかと日本に来るまでの間に思案した結果、とりあえず体で返そうという結論に達した私は彼らが所属するアメフト部泥門デビルバッツに所属する旨を伝えた。
部員が足りず他所の部からの助っ人で回していたというデビルバッツなら喜んでくれるだろう……と思っていたのだが、肝心のヒル魔に微妙そうな表情で返されたのは予想外だったな。
せめて無駄飯くらいの汚名は濯いでおきたい、と伝えてようやく、渋々認めてもらうことになったが、その直前にやった栗田との腕相撲勝負が決め手だろうな。やはり力こそ正義ってはっきりわかんだね。
「……チッ。テメーはセーフティーだ。なにかあれば都度ポジションは変えて出す」
ヒル魔はどこからか持ってきたウマの人形をテーブルの上に置く。他のものは当人モデルのフィギュアなのだが。扱いの差に苦言を呈するもヒル魔は聞く耳も持たずに会議を進行させていく。
その背中に視線を送りながらふぅ、と一つため息を吐く。2ヶ月ほどの付き合いになるが、どうにも上手くいかない。距離感がつかめないというかなんというか。こうなってははやく夢から覚めてほしいと思うが、今回はどうも長いタイプの奴らしい。
前回の長い夢のときは1年ほどプロレスラーをやることになった。最高の、人生を決定づけるほどの輝かしい経験をしたあの夢と、もし今回の夢が同じようなタイプであるのなら……
「あと10ヶ月は見るべきか」
「ん? アルちゃんどったの?」
「いや。今日もここは騒がしいと思っただけだよ」
ボソリと呟くと、隣に立つ
この場に居る面々の中で一番年が近い彼女とは、会話を交わすことが多い。多分ラインマン組の次くらいには話していると思う。同じ性別という意味ならマネージャーの姉崎先輩もそうだが、彼女の場合同性の友人というより保護者のような感覚を感じて少し気後れしてしまう。
「えー、まも姉いい人だよ?」
「いい人だろうな。だがそれと気安く話せるかどうかは別だよ、瀧鈴音」
いい人である事と話しやすい相手かという事はイコールではないのだ。私の幼馴染はあれで話しやすい相手なんだが良いやつかと言われるとうんとは言い切れないしな。怪盗ゴルシマックイーンおやつ事件なんかはまさにそれだろう。あのスープレックスは痛かった。絶対に許さない、絶対にだ。
この夢を見始めて分かったことがある。
アメフトはスポーツだ。巨漢同士が全力で体をぶつけ合い、時には相手を引きずり倒し、あるいは殴り飛ばすスポーツだ。フィールドの上に立つ者たちは皆が皆己の信念と肉体を武器に鎬を削りあい、勝利へと向かって前へとひた走るスポーツだ。大事なことなので3度繰り返したが、つまり。
「素晴らしい。素晴らしいぞ、アメリカンフットボール」
ほぅ、とため息が出る。ぶつかり合うラインマンたち。ボールを受け取った
それを迎え撃つ防御側は全力で相手の攻撃を防いで潰し、自分たちの攻撃へとつなげる。
全ては勝つために。
スポーツであるというのにスポーツマンシップなんぞ望まれていない。ただ勝つために。敗北者に敢闘賞はなく、勝者のみが栄光を得る。
闘うことこそが。力と力をぶつけ合う事こそが全て。
「面白いじゃないか、アメリカンフットボール」
この世界は、私にとって非常に新鮮で刺激的な世界だった。勝つも負けるも魅せる為に存在するプロレスとは全く毛色の違う勝負の世界。エンターテイメントなんて欠片も考えていないというのに見るものを引き付ける。こういう魅せ方もあるのかと毎日が勉強の日々だ。
「
「構わんが、エースが居ない前衛は構わんのか?」
「ラインが崩れちゃ話になんねぇからな」
そんな世界に私に魅せた張本人、泥門デビルバッツ主将のヒル魔の声掛けに、私は頷きを返して人数合わせの相撲取りとポジションを入れ替える。
観客席と相手側の困惑の声が耳に入る。フィールドに入った瞬間もそうだったが、私の身長は170cm。女性としてはかなり体格のいい方ではあるが、やはり巨漢だらけの男の世界では悪目立ちするようだ。始めてプロレスの舞台に上がった日を思い出すな。あの時の歓声とどよめき声は今も忘れられない。
かつての思い出を懐かしんでいると、プレー再開のために周囲に人間が集まり始める。私の相手はもじゃもじゃ頭の筋肉もりもりマッチョマンだ。随分と鼻息が荒いし、目も血走っているようで少し不気味だ。こういう手合はプロレスをやっていた頃にもいたな。
プレー開始と同時に彼は私を組み伏せようと鼻息荒く突進してきた。その衝撃を受け止めるように体を密着させる。彼はそのまま私を押し倒すように体重をかけてくる。体が小さい相手を体重と寝技で抑え込むのは常套手段、中々分かってるじゃないか。
自然と口角が上がるのを感じながら、体を彼の下に入れ、彼の服をつかむ。力は込めすぎてはいけない。私の握力は計測器では図りきれず、予測では数トンは下らないと見られている。仮に本気で私がこの手を握れば、どれだけ鍛えた人間の筋肉もバターのようにちぎり取る事が出来てしまう。
故にこの世界でスポーツをする上で。私の身体能力を知ったヒル魔やコーチと話し合った結果、ある約束事を結ばされることになった。
プレー中、絶対に力を入れてはいけない、と。
当然、力を抜けば踏ん張りなんて効くはずもない。ウマ娘はその有り余る高効率な筋力で持って体を制御しており、自重自体はそれほどではない。もちろん同体格の女性に比べれば重量があるが、その程度では体格のいい男の圧力に抗するほどの"重さ”を持つことは出来ない。
では、頼りの筋力が使えなくなった私は、どうすればいいか。
その答えは"脱力”と"力の向き”にある。
力を抜いて、力を抜いて、力を抜く。何度も体にそう命令を下しながら、自身の重心を前へと倒す。脱力したまま、もたれ掛かるように彼に体重を預ける。いや、おそらく彼は体重すらも感じていないだろう。完全に力を消して、私はゆっくりとした動きで右手を彼の胸板に持っていき――体重や勢いといった消した力をを一箇所に纏めて
ドゴン、と音を立てて彼が吹き飛んだ。力を入れたわけじゃない。自重や勢いといったものにを一点に集中し、それをそのまま彼に返しただけだ。それだけで彼は吹き飛び、私の眼前には無人のフィールドが広がっている。彼の感覚で言えば、いきなり一切微動だにしない柱が現れて突っ込んだように感じたことだろう。
ボールに向けられていた互いのチームの視線が、私と吹き飛ばされた彼との間で行き来する。
「よくやった
そしてその一瞬の空白を。誰もが息を呑んだ瞬間を、悪魔のような形相の男はただ一人捉えた。その場の人間全てが意識を逸した瞬間にボールを確保したヒル魔は、それを的確に前線に投擲。投げられたボールに敵陣が反応する前にレシーバーの猿少年が受け取り、一気に相手ゴールまでの距離を近づける。完璧な仕事だ。これはボーナスとして今夜の入浴剤は豪勢なものにして貰わなければな。
しかし、まだ甘いな。足を上げて見ると、地面にスパイク跡が付いている。理想としては足を踏ん張ること無くすべての力を一点に集中したいのだが。まぁ、それは今後の課題として、あとは残った仕事を片付けるとしよう。未だにあっけにとられた表情を浮かべるライン組に視線を向けて口を開く。
「おい」
「あ、おお。ナイス、アル――」
「お前らは腕力だけでトラックを2000kmも押したのか? 腰が入ってないぞ、バカ共」
声をかけてきた金髪のラインマン、十文字にそう声をかけて歩く。背後ではいつものはぁはぁ3連打が飛び交っている。気合は入ったようだ、良いことだな。
「ごくろう。ラインバッカーに戻れ――
「ランニングバックじゃなくていいのか? 多少本気を出せばあっという間に逆転してやるぞ」
「いらねぇ。うちのエース様がご到着だ」
ゲラゲラと笑って指示を出すヒル魔と軽口を交わした後に前衛組へと向かう。ラインバッカーは、ボールを持って相手フィールドに向かって走るランニングバックを援護するガードマンのような存在だ。
このガードマンという点が曲者だ。力むことが出来ず、つねに脱力状態でプレーする私には少しむずかしい。正直な話ランニングバックのほうがやりやすい……だからこそ自身の研鑽に繋がるといえばそうなんだが。
まぁ押され気味になっていたライン組も気を入れ直した。見立てでは相手チームとこちらのチームの差はせいぜい体格で劣る位で、選手としての技量や尖り具合ではむしろこちらが優位と言える。後はエース様が入れば一気に決着までいくだろうなバイクでフィールドに突っ込んでそのままジャンプ&スーパーヒーローランディングは出来すぎじゃないか?
「エンターテイメントを良く分かってるじゃないか」
「やりたかったわけじゃないんですが。というかこの会話何度目……」
パンパンと泥門デビルバッツのエースの背中を叩く。一回戦でのコイツの登場シーンには思わず見惚れてしまう何かがあった。単語にするならば、そう。主人公力とでも呼ぶべきものだろうか。
極稀にいるのだ、こういう奴が。
「リングの上では私もベビーフェイスだったがあれには負ける。脱帽だよ小早川セナ。お前プロレスの才能あるよ。一度経験してみないか? 先っちょだけだから」
「いやいやいやいや」
私の言葉に全力で首を横に振るエース。ううむ、また振られてしまったか。体は確かにナヨっとしているが本格的な運動を始めてまだ半年。その短期間でウマ娘でもないのにあれだけの速度で走り、曲がる足腰の強さは天性のものだ。
鍛えれば良いところまでイケると思うんだが。もったいない。ちょうどいい高さにある頭の上に手をおいてグシャグシャとかき混ぜると、エースはひぃ~と情けない声を上げながら逃げていく。可愛いな。トレセン学園の後輩たちを思い出す。
「あ、あの!」
「うん?」
「泥門デビルバッツの、篠原アルフちゃんですよね! ふぁ、ふぁんです!」
「動画見ました! 大きな男の人をバッタバッタとなぎ倒して!」
「泥門チアーズと一緒の『うまぴょい伝説』も大好きです!歌も踊りもすごくて、アイドルみたいに可愛いのに、強くて!」
ほっこりとした気分で逃げ去るエースを眺めていると、サイン色紙を持った学生服の少女たちに囲まれる。しまったな、エースが逃げてしまったせいで虫除けが無くなってしまったか。
職業病とでも言うべきか、ファンを失望させるのはやけに気が重くなる。仕方がないので足を止めて彼女たちの持つサイン色紙にサインを書き、希望する者には2ショット写真を撮る。
彼女たちに別れを告げて足早にそこから立ち去る。この場でとどまっているとまたぞろ捕まってしまうからな。道を歩くだけで呼び止められファンサービスを求められてしまうのは、中々面倒だ。
ついレスラー時代のノリで知名度アップを。最近サービスを開始した動画共有サイトを利用した売名活動に励んでいたのだが、「あれ? 今の私だとこれ売名しても特に良いこと無くない?」と気づいたときにはすでに遅かった。折り悪くスポーツ専門誌の特集で取り上げられていたのも良くなかった。
男の園とでも言うべきアメフトのフィールドに女性が一人、しかも割りと接触の激しいポジションでドタバタしている構図が受けたのだろう。瞬く間に注目度が上がり、そして注目度が上がった所で私が動画共有サイトにあげていた米国人チアガールズと共に作った動画が発掘された。
これが当たった。もし今の職業が学生ではなくプロレスラーならば大喜びしたくらいには世間からの注目を浴びた。
同じトレセン学園の学生にもそのネット関係、SNSを駆使して数十、数百万もの人間に影響を与える者は居た。彼女たちの手管を知る身としては私が投稿した動画など大したものではない。せいぜい工夫と言えるものはレスラー時代に培った"魅せる”技術と楽曲くらいのものだが、そんなちゃちな代物でも時と場合が良ければ、というべきか。
これがバズる、か。
彼女たちは米国で芸能人になりたくて燻っていたのを悪魔主将にスカウトされて渡日してきた人たちだ。私のおまけのような扱いになっているとはいえ、今回の出来事は彼女たちにとって大きな一歩と言えるものになる……と良いのだがな。
「そこら辺はどう思う、ヒル魔先輩」
「――ッ――知らねーよっ……!」
ギシッ、ギシッと軋みを上げるベンチ台の側に立ち、ベンチ台に寝そべってバーベルを上げるヒル魔を見下ろす。お前が私を呼び出したんだろうが、とは言わない。なにせ彼はここでの生活のスポンサー様だ。スポンサーに弱いのはプロレスラーの生態みたいなものだからな。呼ばれれば飛んでいくくらいの媚は売る。
そのまま数回、バーベルを上げ下げした後に彼はラックにシャフトを乗せた。そのまま数回、横になったまま深く深呼吸を繰り返し、ヒル魔は起き上がってベンチ台に腰掛けた。
「で――――ふぅ。頼んでたモンは手に入ったのか」
「ああ。おかげでロハでテレビ出演する羽目になったが」
「ケケケッ」
私の言葉に返事をかえさず、ヒル魔は手提げ袋に入った小包を受け取った。中身は秋大会を勝ち上がってきた各チームのこれまでの試合が録画されたビデオテープだ。撮影者はこの大会で敗北した学校の生徒たち。各々が自分たちのために撮影したもの。
テレビ局に伝手が出来たと知った途端、ヒル魔は私を利用してテレビ局を操り始めた。なんせ取材という名目で接触したチームの面々は、喜んで自分たちが集めた他チームの情報を提供してくれたそうだ。担当者からはこんな簡単な仕事で出演してくれるのか、と再三聞かれるほどには楽な仕事だったらしい。
「連中にとって損はねぇからな。それにテレビ局からの取材なんざ一生に一度あるかないかだ。舞い上がっちまったんだろ」
「そんなものか」
「そんなもんだ」
手渡したスポーツドリンクを口にしながら、ヒル魔は私の疑問にそう答えた。私にとってメディアは利用し利用されるものという感覚なのだが、接点が低いとそう感じてしまうのだろうか。
水分補給を終えたヒル魔は立ち上がり、ラットマシンに腰を下ろす。広背筋を鍛える、か。少しの驚きを感じながら彼を見る。確かに
だが、一つの事実が、それを知る私に強い違和感を抱かせる。
ヒル魔は現実主義者だ。更に合理主義でもある。私に力をセーブさせるという意味の分からない指示を下す所はあるが――アレに関しては力加減を間違えて大惨事を起こしかねなかったためだとしても効率的とは思えない――アメフトに対する彼の指示はどれも的確で、正確で、広い視野で先を見通していた。
ゆえにこそ、疑問に思う事がある。
「筋トレを続けるよりも」
「――っ、フゥー」
「今渡した情報を早く纏めたほうが、勝率は上がるんじゃないか?」
ギシッ、ギシッとラットマシンが軋みを上げる。私の声に視線だけをよこすヒル魔に首を傾げながら、私は言葉を続ける。
「効率で考えるならばヒル魔先輩が優先すべきはトレーニングの強度を上げることではない。トーナメント戦だ。次の試合まで間もない現状、今手に入れた情報を分析して、1%でも勝率を上げる策を考える事じゃないか?」
私の問いかけにヒル魔は答えない。
「ギリギリ3位での関東大会出場、首の皮一枚が繋がった状況だ。だが、負ければ終わりというのは変わらない」
「――そうだ」
ギシッ、ギシッとラットマシンが軋みを上げる。
「負けりゃ終わりだ」
「そうか、良かった。私が確認していないだけで敗者復活がもう一度あるのかと思ったよ」
ラットマシンから手を放し、ヒル魔が私を見る。いつものニヤついた悪魔めいた不敵な顔ではない。ときおり垣間見える勝負師の表情だ。
「情報の纏めもやる。使える手はなんでも使わなきゃ勝てるもんも勝てねぇからな」
「ほう」
「だが、最後に物言うのは基礎トレだ。昨日より少しでも強く、早くなる。それを怠った奴に勝ちはねぇ」
ヒル魔の言葉になるほど、と私は頷きを返す。強くなることを怠る奴は弱い。どれだけ実力があろうとも、どれだけ人気があろうともそこにあぐらをかいて落ちぶれていった先人は幾らでも居るのだ。
前へ進もうとする努力は大事な事だ。それに異論はない。異論はないのだ。
「なら」
だからこそ疑問に思ってしまう。彼は非常に頭の切れる人物だということはたったの二ヶ月で把握できた。それに合理的で決断力もある。チーム戦という存在に慣れていないせいで比較対象がないが、彼が非常に有能で頼れる司令塔だ、というのは理解している。
そんな彼が。合理的で決断力もある、何よりも勝つことに貪欲な彼が。
「なぜ私を使わない?」
切れば勝てる
ギシッ、ギシッとラットマシンが軋む。
「人類最速、光速の4秒2。大したものだ。時速で言えば30kmを超えてるだろうな。100m走であれば加速の段階、40ヤードという短い時間でそこまでの速度を出すにはとんでもない瞬発力が必要だろう」
言いながら、彼が先程まであげていたバーベルに手を伸ばす。75kg。初めて会ってから数ヶ月変わらない彼の限界値。身体能力が伸びやすい成長期の男子が、限界ギリギリの鍛錬を行えば数ヶ月でなんらかの成果は見えてくる。それこそ適度に力を抜きでもしない限りは。
「一瞬の瞬発力では確かに小早川セナには劣るかもしれないな。だが私の時速はほどほどに走って50kmといった所だ」
手を抜いている? この男が? それこそ絶対に有り得ない。
「握力と腕力は測定できずデータを渡せなかったな? 私は5tのタイヤを引いて砂浜を走ることができる。速度はまぁ多少落ちるが、それでも徐行する車より早いとは言い切れる。フィールドの端から端まで両チームの全選手を引きずって走ることだって出来るぞ。もちろんボールを持ったまま」
彼が持っていたバーベルの端を掴み、持ち上げる。シャフトに特別な重りが入っているというわけでもない。通常のシャフトだ。つまり数ヶ月の間限界ギリギリの強度のトレーニングを行っても、彼の数字は変わらないという事だろう。
「基礎トレは重要だ。最後にモノを言うのは基礎トレだという言葉は、至極最もだと思う」
バーベルをプレス台のラックに戻す。
「だがどれだけ努力したって、それが実るとは限らない」
決して無駄とは言わない。成果の見えない努力を続ける精神力も素晴らしいと絶賛できる。けれど、それが正しいとも思えない。
「私を使えよ、ヒル魔先輩。私がクリスマスボウルまで皆を連れて行ってやる。神龍寺も王城も全部なぎ倒して――」
「
勝ってやる。その言葉を続ける前に、ヒル魔が私の言葉を遮った。よく通る低い声だ。
「楽だろうな、そりゃあ」
トレーニングルームに少しの沈黙が流れた後。ラットマシンに腰掛けたまま、ヒル魔は言葉を続けた。
「テメーがボールを持って本気で走りゃ誰も止められない。テメーに追われればどれだけ足が早かろうが力が強かろうが関係ねぇ。ただ蹂躙されて終わりだ。白秋ダイナソーズも似たような事をしてるみてぇだがテメーのそれはそんなレベルじゃねぇ、人間が重機相手に力勝負するようなもんだ。相手にもならないだろうな」
淡々と、事実だけを述べるように。ヒル魔は予測という体で、自分の考えを口にする。
「俺たちはボールを集めてお前に渡すだけで良くなる。それだけで勝てる。テメーにおんぶにだっこで、余裕でクリスマスボウルまで行けるだろうよ」
「なら」
「だからテメーを使わねぇんだ」
私の言葉を再度遮るように、ヒル魔は言った。
「テメー、負けたことが無ぇんだろ」
私の視線と彼の視線が交わる。何を言われたのか理解できず、数秒黙り込んだ私に彼は言葉を続けた。
「いや、違うな。心の底から悔しいと思う"負け”を経験したことがないんだろ」
「何を……何が言いたい」
「俺らはな、
ラットマシンは、もう軋まない。
「俺らは
そう言ってヒル魔はラットマシンから立ち上がる。タオルで体を拭きながら小包を手に取り、口に愛用のガムを放り込んでから彼は更衣室に向かって歩み始めた。
私はその様子をずっと眺めていた。更衣室に彼の背中が消えるまで、ずっと。
「なぁドレッド頭。ヒル魔先輩はなにを言いたかったと思う?」
「知るかアァ!」
言葉とともに間髪入れずに飛んでくる腕に押されながらそう尋ねると、メットの上からでも分かるドレッド頭が叫び声を上げる。このままでは押しつぶされそうだな、上手いこと力を逃してもその瞬間に力の向きを変えてくる。
力を抜いた状態ではこいつをぶっ倒すことは難しいだろう。反応の速さでは完全に負けているな、これがホンモノの天才という奴か。
ならば仕方ない。次善を取るとしよう。
私を腕力で押しつぶそうとするドレッド頭の腕を掴み、引く。たった一瞬だけでいい。
高速で動く以上、慣性というものがつきまとう。それはウマ娘である私でも抗えない力だ。
このドレッド頭は普通の人間ではありえないほどの反射神経と他を圧する身体能力を持っているが、人間の範疇を超えてはいない。周りから見ればどれだけ常識はずれな、急激な動きに見えようともその動きには必ず起点がある。足は二本しかない。その両足で踏ん張れなければ人は走れないのだ。
故に、それを崩す。普通の人間では動けない力の流れを、たった一瞬、押すのではなく引くように力を集中させて崩す。無理やり重心をずらされたドレッド頭がガクリ揺れる。驚愕の表情を浮かべる相手に笑顔を浮かべながら頭に腕を回し、引き倒す。
「ッ……テメェ、また!」
「どさくさ紛れに胸を揉むな」
「どうなってやがる! テメェみてぇな女、俺なら片手で――!」
いやだから胸元で暴れるなというに。文句は言うなら私の胸の谷間じゃなく顔に向かっていってくれ――と。
倒れ込む拍子に私とドレッド頭の視線の先を、細身の男が駆け抜けていくのが目に入る。投手が直接走り込む。負けがこんでいるこの段階でのそれは大博打だろう。
そして、だからこそ奇襲になる。
「――ッ! テメーが、テメー如きがッ!」
ドレッド頭が私を振りほどき、ボールを持った投手――ヒル魔を追う。だがなドレッド頭、ここからじゃ間に合わないぞ。たとえお前の反応がどれだけ早かろうが初動の体勢が悪すぎた。
「テメーのスピードは分かってんだ! 40ヤード走5秒2、この距離じゃギリギリ逃げ切れな――」
「無理だよドレッド頭」
吠えるドレッド頭の言葉に被せるように、彼の言葉を否定する。確かにお前さんの加速性能は大したものだ。10mの距離なら本気でやってもお前のほうが私より早いかもしれない。"もしもヒル魔の足があと0.1~2秒遅ければ”お前の言う通り、ヒル魔を止めることが出来たかもしれない。
だが。
「ヒル魔先輩のスピードは5秒1。1年かけて0.1秒を縮めたらしいぞ、天才」
視界の先で、たった一歩分ドレッド頭の先を行くヒル魔先輩の姿が見える。たった一歩、この一歩分を縮めるために、1年もの間成果の見えない基礎トレを彼は行っていたのだろう。
来るかもわからない、この瞬間のために。
耳に響くタッチダウンの声。
ヒル魔に飛びかかった姿勢のまま歯ぎしりを鳴らすドレッド頭から視線をずらし、ヒル魔を見る。全力疾走の後だからだろう、肩で息をしていて、吹き出した汗が見える。全力を出し切った、男の姿。
その姿に、目を奪われた。
「先輩」
「おう」
「ナイスラン」
「――へっ」
私の言葉に口を歪めて、ヒル魔先輩は立ち上がる。限界は近いだろう。元々筋力が付きづらい体質だという。細身の彼の体力は、周りが思っているよりも低い。
けれど、そんなものは彼にとって関係がないのだろう。
彼は今、文字通り、命がけでこのフィールドに臨んでいるのだから。命がけで、今の一瞬を楽しんでいるのだ。
口元がニヤけるのを感じた。心の奥が、少しずつ熱くなるのを感じた。
こんな感情は久しぶりだった。
「先輩」
「…………」
「クリスマスボウル、行きましょうね」
「――たりめーだ」
キックで同点かタッチダウンで逆転。当然、狙うのはタッチダウンによる逆転のみ。そんな最後のプレー前、すれ違いざまにヒル魔先輩と言葉をかわすと、彼は不敵な表情を浮かべてそう口にする。その横顔から視線が離せない。
この人の夢の果てが、見たくなってしまった。
胸の奥から湧き上がってくる、ワクワクとした感覚。真剣な表情の彼の横顔を眺めながら、最後のプレーが始まり、そして。
私の視界を、黒が塗りつぶす。
「修学旅行中に東京ウマ娘四天王と闘うのは中々に骨が折れたが、今から思い返すと最高に楽しい旅行だった! 私が直接対峙したのは吉祥寺のフロントタイソンと渋谷のオーガマウンドだったが、どちらも骨のあるウマ娘でな! フロントタイソンとは結局勝負がつかなかったがもう一度拳を交えたいものだそうそうその時に私はアールの奴と出会ったんだ! 【鉄人】と書かれたどてらをきていきなり乱入してきてな! 『やかましい。勉強の邪魔だ、殺○ぞ』といつもの無表情で言ってきた時は痺れた! 当時のアールはまだ本格化前でこんなにチンマイ奴だったんだがな、見た瞬間に分かった! こいつは強いとな!」
「そのままボコボコにされれば良かったでありますのに」
「その場に居た連中全員アルにボコボコにされて正座して2時間くらい説教されてたっけな。私もシャッターを切るのが忙しかったぜ! あ、八王子新聞○○年12月号で見れるから神ちゃんも見たきゃ取り寄せよっか?」
「お、おう」
目の前に広がる岩と、耳を打つ壊れた大音量スピーカーの音。
「…………は?」
ぱちくりと瞬きをして、周囲を見渡す。
「はぁ?」
神山教官とワガココロが話し合い、いつの間にやってきたのか幼馴染が茶々を入れる。
「はあぁぁぁぁぁ?」
見知った空気のその場所に私は立ち尽くしていた。
「お、アル。岩なんか見つめてどうしたんだ? 成分分析でもすんの? 塩辛そうだよな、それ」
ニヤニヤといつもの表情で語りかけてくる幼馴染の言葉に首を横に振る。違う、頭が回らなくて首を横に振ったのだ。
「山から転げ落ちたと思ったんだけどこの様子だと風雨に晒されて待て、地層を見てみるとこれはジュラ紀――おい、まさかこの石は化石じゃ!」
「ゴールドシップ」
「こうしちゃいられねぇ! 止めてくれるなアル、私は
「ゴールドシップ!」
遮るように、幼馴染の名前を叫ぶ。壊れたスピーカーと教官、そして幼馴染の視線が私に突き刺さる。
「今は、何時だ」
「華の夏休み! 中二病真っ盛りのウマ娘とウマ娘がひとつ屋根の下、何も起きないはずもなく毎日毎晩枕投げよ!」
「ぶち転がすでありますぞ、問題児ども」
「ここは何処だ」
「合宿所。トレセン学園の。老朽化がすげ~のなんのって」
「やかましいであります」
「私は」
言葉にして、ようやく頭が現実を理解し始める。
ここは
大きく息を吸って、吐き出す。
夢は覚めた。
「はっ……」
夢は覚めたんだ。もう起き上がる時間なんだ。あの時間は終わって、私は
「ははっ」
そうしたり顔で語りかけてくる自分の姿を幻視して、思わず右ストレートをぶちかます。メキリと音を立てて、右拳が眼前の岩に突き刺さった。
「はっはっはっはっはっ」
化石がぁ、と叫ぶ幼馴染の声と、呆然とする神山教官。大喜びで叫ぶ壊れたスピーカーの眼前で、岩に亀裂が走りやがてバラバラになって砕け散った。
「あっはっはっはっはっはっはっ―――――ふざけるな」
ギリギリと。ギリギリと絞った弓弦のように張り詰めた心の均衡が、ずれた気がした。溢れ出てくるドロドロとした何かが、口から言葉となって外に出る。
見たかったんだ。私は。
初めての気持ちだった。
「まだ」
誰かと共に進みたいと、初めて思ったんだ。一緒に居て、何ヶ月も共にいてやっと。
「まだ私は」
ようやくあの瞬間に、私は思ったんだ。
「まだ私は――夢を見ていないのに」
吐き捨てるように呟いて、右拳を握りしめる。ジンジンと軋む右拳の痛みが、煮立った頭を少しだけ冷静にさせる。痛みが私の正気を引き戻してくれた。
分かっている。こんな自傷行為に意味なんて無い。けれどそうせずにいられないのだ。感情が抑えきれず震える手を目の前の砕けた岩に向けようとして。
「うし、分かった」
そんな私の頭を、幼馴染が張り飛ばした。
ウマ娘の怪力だ。パアン、といい音を立てた張り手に目をパチクリとさせていると、幼馴染は私の顎をくいっと手で持ち上げると、頬にもう一発張り手を飛ばした。
チカチカと星が視界を飛ぶ。
「目ぇ覚めたか?」
あまりの事に呆然としていると、幼馴染は珍しく笑顔以外の表情を浮かべて声をかけてくる。
「お前が何を見てきたのかは知らんしちょっとだけしか興味もねーけどさ。自分に当たるんじゃねーよ」
「…………」
「お前が怪我すりゃ篠原のおばさんが泣いちまうぞ。あの人優しーから泣かしたくないんだよなぁ」
そう言ってニカッと笑う幼馴染の笑顔に毒気を抜かれて、私は「そうだな」と気の抜けた返事を返した。
あれほどまでに荒れ狂っていた感情が、収まっていく。冷静になってくると、今度はなぜあれほどまでに取り乱したのかと赤面しそうなほどの恥ずかしさが襲いかかってくる。
右拳の痛みと恥ずかしさに身悶えしそうになっていると、前触れもなく幼馴染の腕が私の首に回される。幼馴染と私の身長は同じ。その私の首に腕を巻くのはやりづらい筈だが。というかこいつは何を、と文句を言おうと口を開こうとして。
「キュッ」
グッ、と回された腕に力が入る。そのまま幼馴染は胸元に抱きかかえるように私の頭をポジショニングし、頭を固定する腕をもう一方の腕で後頭部側へと押し込んでいく。
裸絞、頭の中に言葉が浮かぶも、酸素の供給量が足りず、それ以上先の考えが思い浮かばない。
「色々思うところはあるしこれで良いかも知らねーけどよ」
耳元で呟くような幼馴染の声。
「見てこいよ。見たかったってもんを。そんで感想聞かせてくれ」
表情は見えない。けれど幼馴染はいつものようなニタニタとした表情を浮かべているのだろう。
その声音に「ばっきゃろう」と口元だけで返事を返して。
私の意識は黒い闇に飲み込まれていった。
「残り9分54秒で35-0か。笑える点数だな」
そう口にすると、突き刺さるような視線が向けられ、そして、戸惑いと歓喜の声が上がる。その反応に面映ゆさを感じ苦笑いで返しながらヘルメットを手に取った。
「私の籍はまだあるかな」
「たりめーだ。大遅刻だぞ
あの日と変わらない先輩の声に苦笑いを強くしながら、私はヘルメットをかぶって。
「クリスマスボウルはもう始まってんだ。馬車馬みてぇにこき使ってやるからな」
「ああ――楽しみだよ」
そして、私は夢を見る。
神は同僚の3女神に頼んだ
「失敗した! 何でもはしないけど助けてください!」と
3女神はバカな同僚をボコボコにしたあと哀れな魂に加護を授けた
彼女が心を持てるように