10ハロンの暴風   作:永谷河

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誤字脱字の報告、ありがとうございます。
あとランキングに入ったみたいです。誠にありがとうございます。


日本ダービー

東京優駿【日本ダービー】

日本でこの競争が行われたのは、昭和7年のことである。当時は「東京優駿大競争」と呼ばれ、戦前から行われていたのである。現在は、皐月賞、菊花賞と共に、3歳牡馬クラシックを構成しているレースである。

 

もとは、英国エプソム競馬場で行われる「ダービー」を参考にしている。距離は2400メートルで、東京競馬場で開催される。今日では、3歳馬の頂点を決める競争であり、すべてのホースマンが目指すべきレースであるといわれる。

 

「日本ダービーは最も運のある馬が勝つ」と呼ばれる。昔のレースの映像を見ればわかるが、かつては20頭以上が同時に発走するレースであった。そのため、枠順の良さが勝利に直結していたのである。本当に強い馬には関係ないのかもしれないが、内枠の勝率が高いのは事実である。

 

皐月賞で2着となったテンペストクェークは、第72回東京優駿に出走することを表明していた。皐月賞でディープインパクトを猛追した脅威の末脚を期待するファンも多かった一方で、父方の血統的に距離が長いのではと囁かれていた。

そして、枠順が決まる日、オーナーの西崎は、電話の前でうろうろとしていた。藤山調教師が枠順を教えてくれることになっていたため、会社の自分の部屋で大人しくしていたのである。

 

 

「はい、西崎です。はい、はい。わかりました……」

 

 

電話を切り、机の上に座って手を組んで沈黙する。

 

 

「8枠18番か……」

 

 

テンペストクェーク、距離不安に加えて大外枠になったのであった。

 

 

「これは天がダービーは走らせるなっていう啓示なのかねえ……」

 

 

藤山調教師やテンペストクェークと日本ダービーについてよく聞いていた。

馬の消耗や勝ち目を考えると見送ってもよかったかもしれない。

ただ、日本ダービーというレースを、今後の自分が選んだ馬たちが走ってくれるのかわからない現状、そのチャンスを逃すという選択は自分にはできなかった。

ただ、無理に一着は狙わなくていいとお願いはした。

 

 

「騎手にも伝えておきます。ただ、相手は馬です。テンペストは結構負けず嫌いなので、無理をしてしまうかもしれません」

 

 

「ただ、皐月賞以降、高森騎手に信頼を寄せるようになったので、指示は聞いてくれる可能性が高いです」

 

 

あ~やっぱ出走しなければよかったかも……

悶々とした思考は行動にも現れ、秘書や部下たちに不審な目で見られた一日となった。

 

 

 

 

 

「8枠18番か~」

 

 

「やはりダービー走るなって啓示なのかもしれないです」

 

 

「不吉なことを言わんでくれ」

 

 

「すいません……」

 

 

枠順が決まり、最後の調整を高森と藤山は行っていた。

 

改まった口調になると基本的に「騎手」と「調教師」という仕事の関係になる。

 

 

「距離についてですが、おそらく2200~2300あたりで失速すると思います。馬次第ですが、無理は厳禁です」

 

 

「わかりました。脚が鈍った瞬間、減速するように指示します」

 

 

こうしてダービーの作戦が決まった。

もしテンペストクェークが2400メートルまであの末脚で走り切れるなら問題はない。皐月賞のようにディープインパクトを猛追あるいは先に仕掛けて逃げ切ればいい。

途中で足が鈍ったら無理はさせない。

勝つ気では走らせる。

でも馬の寿命は削らせない。

 

 

「なかなか難しいなあ……」

 

 

久しぶりのダービーの騎乗は、何とも言えない難しさのある騎乗であった。

 

 

 

 

 

 

2005年5月29日第72回東京優駿

 

 

『……ファンファーレが鳴って第72回日本ダービーが始まります……』

『注目のディープインパクトですが、ゲート付近では落ち着きを取り戻しております』

 

『しっかりとゲートインしました』

 

『第72回日本ダービー、スタートしました……』

 

『ディープインパクトは後方から。それにテンペストクェークも続く……』

 

『……第三コーナーを回ってディープインパクトが上がってきた。テンペストクェークも続きます……』

 

『第四コーナーを回って直線に入ります。ディープインパクトが上がってきた。大外からディープインパクトです……』

 

『……先頭はインティライミ、これはもうディープインパクトが躱していく。ああっとテンペストクェーク猛追、インティライミも粘る……』

 

『……ディープインパクト先頭、後続を引き離す。これは圧勝か……』

 

『……ディープインパクト先頭でゴールイン。圧勝です。強い強すぎる……』

 

 

 

『やはりディープインパクトが強かったですね。ふたを開けてみれば圧勝でした……』

 

『……6着のテンペストクェークでしたが、やはり距離が長かったのだと思います。ラスト200くらいで失速し始めてしまいましたからね。ただ、それまでの猛追は目を見張るものがありました。これは今後が期待できそうですよ……』

 

 

 

 

 

 

 

「負けました。長かったです」

「負けてしまいましたね」

「やっぱり長かったね」

 

 

騎手、馬主、調教師がそれぞれダービーの感想を話す。

新聞やテレビは二冠馬の誕生に沸いていた。

単勝倍率1.1倍。単勝支持率73.4%。

14万人の前で、怪物は最高の走りを見せた。

 

 

『5馬身差の衝撃』

『三冠目前』

『レコードタイ記録』

 

 

テンペストクェークは、中団で待機して、最後の直線で末脚を炸裂させた。残り300メートルまではディープインパクトに肉薄していたのだが、ラスト200メートルを過ぎたあたりから失速し、後方を走っていたインティライミらに差し切られ、6着となった。

 

 

「脚が鈍った時点でテンペストも自分の力が尽きたのをわかったのか、無理はしませんでした」

 

 

油断騎乗と思われないように、明らかに力を抜かせるような行為はしなかった。まあ無理するとわかっていたら戒告覚悟で止める予定だったようだ。

 

 

「そのおかげか消耗は激しくなかったです。入着が争えたのは、テンペストの能力が高いからが故でしょう。これから秋までゆっくり休ませます。そして秋、来年度の競馬に耐えられる体づくりをしてもらいます」

 

 

「そうなると、一度島本牧場に帰りますね」

 

 

「あそこは、放牧地の手入れもしっかりしていますし、スタッフの意識も高い。安心でしょう」

 

 

「次への準備、というわけですね」

 

 

「ええ、秋からが彼の本番です。札幌記念、毎日王冠、富士ステークスそして、天皇賞・秋、マイルチャンピオンシップ。古馬との戦いが本格化しますが、彼なら勝てます。絶対に勝たせます」

 

 

「ええ、秋からもテンペストクェークをよろしくお願いします。藤山先生、高森騎手」

 

 

 

 

テンペストクェーク

2004年

12月12日 2歳新馬戦[中山5R 2000m] 1着 700万円

2005年

1月30日 セントポーリア賞(3歳500万以下)[東京9R 1800m] 1着 1038.5万円

3月6日 弥生賞(GⅡ)[中山11R 2000m] 2着 2216.6万円

4月17日 皐月賞(GⅠ)[中山11R 2000m] 2着 4900万円

5月29日 東京優駿(GⅠ)[東京11R 2400m] 6着 

 

 

 

 

 




この馬のモデルはダイワメジャー、ジャスタウェイだったりします。
他にも何頭かいますが……


こんなに軽くダービーを済ますなら出走しなければいいんじゃね?と思いますが、自分がテンペストクェークのような馬の馬主ならやっぱり日本ダービーを走らせたいと思ってしまいました。
ただ、勝てるほど甘くないです。

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