10ハロンの暴風   作:永谷河

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第三章 反撃編
馬、秋に向けて


夏真っ盛りの北海道。

一頭の馬が島本牧場で過ごしていた。

昨年の新馬戦から日本ダービーまでを走り切ったテンペストクェークが秋競馬に備えての休養とリフレッシュを兼ねて、故郷の牧場へ帰ってきたのであった。

 

 

「まさか親父の趣味で種付けして生まれた馬が、クラシック戦線を走るとはなあ。しかも皐月賞は2着になったし」

 

 

ディープインパクトとかいうマジモノの怪物がいなければ、皐月賞のタイトルはテンペストクェークのモノだった。ただ、競馬とはそういうものだったりするので、仕方がないと割りきってはいた。

 

 

「ボーが頑張ったおかげで、妹も買ってもらえたし、本当にわからないものだな」

 

 

セオドライトの2004は、父親の知り合いの馬主にそこそこいいお値段で売られた。これも彼の活躍のおかげであった。半分ご祝儀みたいなところもあったようだが。

 

 

「ただなあ……」

 

 

哲也が見つめる先には、明らかに牧場スタッフとは異なる人であった。

もともと島本牧場は乗馬のコースなどがあり、乗馬目当ての観光客などが来ることはよくあった。ただ、今回のように1頭の馬を見るために、わざわざ北海道の辺境に来る人はあまりいなかった。

勿論うれしいことはうれしいのだが、マナーの悪い客もいるため、それを警戒する苦労が増えたともいえる。

 

 

哲也の母の、『当歳馬時代からの育成記録を写真集にでもして売れば』という提案から、作った写真集はまあまあの売れ行きであった。

これはのちにプレミアがつくのだが、この時は誰も知らなかった。

 

 

「しかし重賞を一個も勝ってない馬にしては人気だな~」

 

 

理由としては、いま競馬界を沸かせているディープインパクトのおこぼれのようなものでもあった。皐月賞の特集が組まれるたびに、テンペストクェークの強さも強調されたため、それに便乗して知名度が高まっていた。

そして、ダービー前に放送されたテンペストクェークの特集放送の内容も良かったため、意外とファンを獲得していた。

あとは、超絶エリートともいえるディープインパクトに対して、雑草魂のテンペストクェークと、判官贔屓で応援している人も結構多いためであった。

 

ちなみに彼がここに戻ってきてからの世話を担当しているのも哲也である。

育成牧場にいたときより大きくなったテンペストは、当然何倍も動くのである。

 

 

「つ、疲れた……」

 

 

「情けないな~」といった嘶きをして、テンペストは哲也の服を引っ張って先へ進もうとする。

 

 

「って引っ張るな……っていうか力強い」

 

 

こうして毎日へとへとになるまで振り回されているのであった。

よく食い、よく寝て、よく動く。

なんともたくましい馬であった。

 

 

そして、哲也も含め、スタッフたちを驚かせたのが、彼が馬を無視しなくなっていた点である。

現役競走馬であるため、繁殖牝馬や仔馬たちとは引き離しているが、それでもお互いの嘶きが聞こえることがある。

どうも1歳馬たちが、彼に興味を持ったらしく、積極的に話しかけに行ったりするようである。

哲也が聞いた話では、美浦トレセンの裏ボスとして恐れられている馬らしいのだが、特に他の馬たちを威圧することなく、仔馬たちの嘶きに反応しているようである。

 

 

「よくわからんもんだなあ……」

 

 

「何か心境の変化でもあったのでしょうかね」

 

 

後ろから現れたのは牧場スタッフの一人である大野であった。

 

 

「わかるものなんですか?」

 

 

「さあ?ただ、向こうでの生活でいろいろあったってことじゃないですか。どうも、とんでもなく賢いようなので」

 

 

「はあ……」

 

 

「それより、私は言ったでしょ。準備しておきなさいって。取材で全く話せていなかったじゃないですか」

 

 

彼は、この馬が単独取材を受けるほどの馬になることがわかっていたのか、哲也に取材があったときに、エピソードを話せるよう準備をしておけと言っていたのである。

 

 

「大野さんがいい感じに話せていたわけがわかりましたよ……」

 

 

「これから、もっとすごいことになるんじゃないですかね。次は英語の勉強でもしておいた方がいいんじゃないかな?」

 

 

言いたいだけ言ってどこかへ行く大野の後姿を見て、ため息をついていた。

 

 

「……さすがに冗談ですよね」

 

 

こうして、島本牧場での生活は過ぎていった。

基本的にどこに行ってもペースを崩さないテンペストだったが、やはり生まれ故郷は落ち着くのかのんびりと過ごしていった。

 

 

 

 

残暑が厳しい9月上旬

この時期も藤山厩舎は忙しい。

今年は管理している馬が2頭もオープン入りを果たし、1頭は重賞で入着していた。3歳馬も、全頭1勝を上げることが出来ており、ノリノリな状態であった。

そんな中、厩舎のエースが帰ってきたのであった。

 

 

「まあまあ丸くなってますが、許容範囲内でしたね」

 

 

「これくらいならこれからの調教で絞れますね」

 

 

藤山や調教助手たちが彼の体つきを見て評価する。

帰ってきたテンペストクェークはすっかり太っていたが、太りすぎといわれるほどではなかったので、一同安心していた。

 

 

「体つきもよくなったし、秋も十分戦えますね」

 

 

「そうだな。ここからが本番だ」

 

 

「馬の状態も確認しました。出走計画に変更はなさそうですね」

 

 

「ああ、ここから10月の毎日王冠を初戦として、10月末の秋の天皇賞、そして11月のマイルチャンピオンシップに挑む」

 

 

これ以外にも、札幌記念から天皇賞秋、富士ステークスからマイルチャンピオンシップ、毎日王冠からマイルチャンピオンシップなど何パターンも用意していた。

ただ、来年の春に是非とも出走させたいレースがあるため、この秋にマイル~中距離の実績を作っておきたかった。毎日王冠後の消耗を見て、天皇賞の方を飛ばすことも考えているが、臨機応変に対応する予定であった。

 

 

「香港も検討しましたけど、ちょっと日程がきついですね」

 

 

「マイルチャンピオンシップの後は来年の2月までは休みにする」

 

 

ただ、これらの計画はあくまでテンペストクェークが勝ち続けた場合の話である。情けない走りをしようものなら、またどこかのオープン戦や重賞競走で鍛えなおす予定であった。

 

 

 

藤山厩舎、テンペストクェークの3歳秋が始まった。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

夏の間は自分が生まれた牧場に戻ることが出来たので、サマーバケーションを満喫した。

さすがにキレが鈍るのは嫌なので、運動はしていたが、少し丸くなってしまった。

 

 

【ただいま】

 

 

「元気にしてたみたいだな~」

 

 

「ちょっと丸くなりましたが、健康ですよ。外厩挟まなくても問題ないって向こうのスタッフが言ってたけど確かにそうでした」

 

 

騎手君と兄ちゃんが俺の前で話をしていた。

また、闘いの日々が幕を開ける。休みボケしないように気を付けないとな。

 

 

「ダービーはちょっと残念だったが、想定内だったな。それに、彼の限界の距離を知ることもできたし」

 

 

それにしても、最後に走ったレースは何だったんだろうか?正直俺には長かった。なんというか、超えてはいけない一線のような気がする長さだったな。

騎手君やおっちゃんたちには悪いと思ったけど、最後に休ませてもらったよ。

ただ、みんな怒っていなかったので、何が目的だったのかわからなかったなあ……

 

 

「先生が仰ってましたね。2200メートルちょっとが今のテンペストクェークの距離限界だって。それ以上は馬が本能で走るのをやめてしまうのかもしれません。ただこれからもっと成長しますし、まだまだ能力の底が見えませんよ。これからが楽しみです」

 

 

「限界の限界を超えないようにできるのがテンペストの凄いところなんだよ。限界を超えてしまって故障してしまう馬も多いからね」

 

 

騎手君が俺の顔を撫でてくる。う~んいい気分。

 

 

「……ここで働いていればそういう話はよく聞きますね」

 

 

「まあこれからのレースは彼の得意な距離だからね。ただ、番組間隔が狭いから、体調や故障には要注意だね。俺も走らせ方には気を付けないとな」

 

 

「厩務員として責任重大だなあ……」

 

 

ふーむ。そろそろ俺を外に出してくれ。

 

 

「っと、テンペストが外に出たがってますね。そろそろ時間か」

 

 

「私も用事があるので、それでは」

 

 

騎手君はどこかにいってしまい、俺は部屋の外に出された。

兄ちゃんに従って外に出ると、たくさんの馬がいた。

 

 

【うーん、今日もいい天気!】

 

 

……威圧しているつもりはないが、俺が歩くと、他の馬が誰も近くに寄ろうとしないのである。

しばらく歩くと、見知った、というか一方的に絡まれた?黒い馬がいた。

 

 

「ヤバい、なんでこの場所にゼンノロブロイがいるんだよ」

 

 

他の人間が焦り始めている。

いや、さすがにこんなところでケンカはしないよ

そう思ってたら向こうから黒い馬がやってきた。

 

 

【久しいな】

 

 

【なに】

 

 

気が付くと周りから馬がいなくなってた。

 

 

「喧嘩……しているわけではないのか?」

 

 

「そうみたいですね」

 

 

【お前強くなった。走ろうぜ】

 

 

【え~まあいいけど】

 

 

この黒い馬、たぶんあの小柄な馬なみに強いと思う。ただ、どうも去年の秋ごろに比べると雰囲気が変わった気が……

 

 

「って横に並んで歩くのか……」

 

 

「秋山さん、これ大丈夫ですか?」

 

 

しばらく隣同士で歩いていると、さすがに人間の方が俺たちを引き離しにかかったので、素直に指示に従う。というかこいつも人間には従順だよな。

 

 

それからというものの、よく黒い馬と一緒に走るようになった。

それで思ったけどやっぱこいつ強い。

俺と同じくらいかちょっと小さいくらいか?

いい走り方をしている。参考にしよう

 

今日も黒い馬を後ろから追いかける練習をしていた。上にはいつもの騎手君が乗っている。結構本格的な訓練だ。

本番のように本気では走らないが、練習で出せる精いっぱいの力で走ったら、黒い馬を追い抜くことができた。

まあ、あの黒い馬も全力では走っていなかったみたいだけど。

 

 

【お前、次のボス】

 

 

【へ?】

 

 

ええ……

 

 

【アイツに似てきた】

 

 

【アイツ?】

 

 

【黒いやつ。強い】

 

 

なんかこの黒い馬にとって因縁の馬がいるらしい。

まあ、ボスになるかは別として、この馬から認められた気がしてそれなりに嬉しかったりする。

そう思っていると

 

 

【……俺の方が強い】

 

 

どっちなんだよ……

 

 

 

 




馬もそうですが、「ボス」というのは強くて威張っているだけでは務まりません。ただただ狂暴なだけではボスにはなれません。外敵から群れを守り、仲間の間の諍い事を仲介して解決するのもボスの役目です。
まあゼンノロブロイ号がボスだったかどうかは定かではありませんが、あの馬体と雰囲気で馬の社会で階級が低いということはなさそうです。

あとウイニングポスト風だと1400〜2200が現在の彼の適正距離です。

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