10ハロンの暴風   作:永谷河

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馬、連勝する

西崎は出走馬主席でテンペストクェークが走る天皇賞・秋が始まるのを待っていた。

慣れた馬主たちは談笑をしているが、今の彼は緊張でそれどころではなかった。

皐月賞や日本ダービーでG1レースは経験しているが、今回は、本当の本当に自分の所有馬が優勝するかもしれないと期待しているからであった。

 

 

「藤山先生も高森騎手もあんな自信満々なんだもの。期待してしまうよ」

 

 

そんな感じで緊張した顔をしていると、同じく不安そうな顔の女性がやってきた。

 

 

「浩平さん。私、場違いじゃないでしょうか」

 

 

彼女は西崎浩平の妻の西崎涼子である。

今まで特に競馬に興味がなかったこともあり、競馬場に来たことはなかった。しかし夫の平身低頭なお願いに折れて、一緒にやってきたのである。

ただ、彼女は一応社長夫人という肩書ではあるが、競馬場の独特の雰囲気に戸惑っていた。

 

 

「大丈夫だよ。多分……」

 

 

そんなこんなでパドックの時間になっていた。

急いで地下通路を歩いてパドックに到着する。出走馬主はパドックの内側に入れるので、普通の人より間近で馬の様子を見ることが出来る。

 

パドック周回では、秋山厩務員がテンペストクェークをいつものように曳いていた。天皇賞・秋という古馬のG1 ということもあり、強そうな馬がたくさん歩いていた。

 

 

「それで、浩平さんの馬はどうなんですか?正直私には調子がいいのかわからないわ」

 

 

「私にもわからん……ただ、落ち着いているので、ひどい事にはならないと、思う……」

 

 

しばらくすると、藤山調教師、高森騎手が現れ、簡単な挨拶をする。

 

 

「お願いします。期待していいんですね?」

 

 

「任せて下さい」

 

 

G1を一つも勝ったことのない旬などとうに過ぎた騎手の言葉がやけに頼もしく聞こえていた。

 

 

騎乗合図が出て、高森騎手とテンペストクェークは本馬場へと移動していった。

それと同時に自分たちも馬主席に移動する。

 

席に戻るころにはG1のファンファーレが鳴り響き、ゲートインが始まっていた。

 

 

「頑張ってくれ……」

 

 

ゲートが開くと、一斉に馬たちが走り始める。

テンペストクェークは好スタートを決めて、そのまま中団に待機して走っていた。

先頭は予想通りストーミーカフェとタップダンスシチーが逃げていた。

向こう正面ではゼンノロブロイの少し後ろを走っているようで、順調な走りに見えた。

 

 

『……1000メートル通過は62.4。少し遅いペースか……』

 

 

ターフビジョンを見ると確かに1000メートルの通過が62.4となっていた。

これは少し遅いのでは? 皐月賞の時は60秒を切っていたはずだと西崎は思っていた。

実際、スローペースだ。前残りがあるんじゃないかと周りで話している声が聞こえた。

 

 

彼の勝負所の4コーナー以降の直線では、外に膨れて、大外を走っていた。

この瞬間、毎日王冠の直線が頭に浮かんだ。

逃げ馬が馬群につかまり始めた残り400メートル、高森騎手がテンペストクェークに鞭を入れたのが見えた。

その瞬間、一頭だけ倍速しているような加速で、中団後方から一気に突き抜けた。

残り200メートルを超えたあたりで先頭に立つと、そのまま先頭を走っていた。

 

 

「そのまま、そのまま!!」

 

 

周りでは、差せ!だの抜かせ!だの粘れ!といった声援が響き渡っていた。

 

 

後ろからテンペストクェークにも負けないほどの脚で猛追する馬たちを後目に、彼の愛馬はゴール前でさらに加速したように見えた。

 

 

「いけ!いけ!」

 

 

そして、テンペストクェークが先頭でゴール板を駆け抜けた瞬間に、西崎は驚きと歓喜で茫然としていた。

 

 

「テンペストクェークって浩平さんの馬よね。もしかして勝ったの?」

 

 

「ああ、勝ったよ。俺の愛馬が勝ったぞ!!」

 

 

まだ確定ではない。ただ審議のランプはともっていない。

それに1馬身差の勝利だったため写真判定の必要はなかった。

 

 

しばらくするとターフビジョンに勝ち時計などが表示される。自分の馬の数字が1着の場所に表示された。

勝ち時計は1.59.8。

 

 

「大外一気で1馬身差か。本当に三歳馬か……」

 

 

「あれに勝ったディープインパクトと有馬で当たるのか……」

 

 

驚異的な末脚を見せたテンペストクェークに他の馬主たちも驚愕していた。

ちょっと居心地の悪さを感じながら、彼らは口取りに向かった。

 

装鞍所には関係者が集まっており、藤山調教師を筆頭に厩舎のスタッフ、島本牧場の二人もいた。

藤山調教師とがっちりと握手を交わし、感謝の言葉を交わした。

 

 

「先生、ありがとうございました」

 

 

「おめでとうございます。オーナー、本当に良かったです」

 

 

「天皇賞を勝てました。まさか本当に勝てるとは」

 

 

みな男泣きをしていた。暑苦しい空間に妻は少し疎外感を感じていたようである。

藤山厩舎のスタッフや島本牧場の二人と話していたら、今日の主役のテンペストクェークが戻ってきた。

 

高森騎手は号泣していた。

泣いていて何を言っているのか正直わからなかったが、感謝の言葉を言っていることだけはわかった。

 

 

「高森君は初のG1だからね。あれぐらい泣いたって許されるよ」

 

 

西崎は、その初G1にテンペストクェークが貢献できてよかったと思っていた。

 

毎日王冠でも経験した口取り。ただ天皇賞ということもあり、さらに人の数が多かった。

そして今日は天皇陛下が天覧に訪れていた天覧競馬でもあった。

口取りは毎日王冠のときと変わりはなかったが、彼の首にかかった優勝レイには「天皇賞」の文字が刻まれていた。

 

 

「それにしても全く落ち着いてるなあ……」

 

 

口取りを一切嫌がらないので、関係者は助かっていたりする。

そして必ずカメラ目線をキメてくれるので、すぐに写真撮影は終わるのである。

西崎の妻が、大きくて強いんですね、といって身体を触ったりしたが、「どんなもんだい!」といった感じで嘶き返しており、「まあ可愛い」と言っている。

天皇賞馬をかわいいか……と一同は思っていた。そして一般人が触ったり近づいても特に怒らないし、逆に人間に気遣いを見せるテンペストにみな驚いていた。

 

 

「これが天皇賞……」

 

 

皐月賞や日本ダービーでディープインパクトの表彰式を見ていたときと同じ感想が溢れた。やはりG1レースの表彰式は規模や格式が違っているなあと感じていた。

 

 

表彰式は、つつがなく進んでいき、ついに天皇賞の盾を受け取るときが来た。

 

 

「って大きいな」

 

 

写真などで見たことはあったが、想像の2回りくらい大きかった。

因みに、もらえる天皇賞の盾はレプリカらしく、表彰式の本物よりは小さい。

 

 

「ああ、これが父の見たかった景色か……」

 

 

名前を刻まれた馬服をきた自分の愛馬、そして天皇賞の盾の重さを感じながら、表彰式は終了した。

 

その日は、友人・知人、それに他の馬主や生産者の方々の対応で、いっぱいいっぱいになり、夜は、知人や部下たちと夜遅くまで宴会をしたのであった。

 

次の日の新聞には、泣きながらスタンド最上階にいる天皇陛下に対して最敬礼をした高森騎手と、彼と一緒に首を下げていたテンペストクェークの写真が一面となった。

 

 

高森康明47歳、天皇賞・秋にて初G1制覇。

テンペストクェーク、父ヤマニンゼファーと親子二代天皇賞・秋制覇。

西崎浩平、所有馬初のG1制覇。

 

 

西崎は、これが生涯唯一のG1の表彰式でもいいと思っていた。

これ以上の栄光を望むものじゃないとすら思っていた。

だからこそ、11月20日の京都競馬場で彼は自分の愛馬が想像をはるかに超える強さであったことを思い知らされたのであった。

 

 

『……大外をついてデュランダルだ……』

『……先頭はダイワメジャーだ。ダイワメジャーが伸びてくる。これは決まるか……』

『……大外からラインクラフトが来た、その後ろからテンペストクェークだ。ものすごい末脚だ、これは行くのか、行くのか……』

『……ダイワメジャーが粘るが、外からテンペストクェークだ!これは決まった!差し切ったーーー!!』

 

 

先頭を走るダイワメジャーを大外から強襲し、ゴール前で差し切ってゴールイン。彼の後ろについてきたハットトリックの猛追も躱して、半馬身差での勝利であった。

勝ち時計は1.32.0であった。

 

 

『毎日王冠、天皇賞秋、マイルチャンピオンシップの重賞3連勝。3歳馬が天皇賞秋に続いてマイルチャンピオンシップを制しました。今年の3歳馬は強すぎる!』

 

 

天皇賞の感動を返せ……と思った一同であった。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

数日前にレースを終えて、今はゆっくりと休んでいる。

さすがに最後のレースは厳しかった。

フルパワーの全身全霊で走ればもう少し余裕を持ちつつ勝利できたと思うが、これ以上負荷をかけたらヤバいとなんとなく感じた。なので、少しセーブをして走った。

勝ててよかった。負けたらマジで申し訳ないと思ったから。

 

 

「これでGⅠを2勝目か……本当に強いなあ。担当厩務員として表彰台に上がれるとは思わんかった」

 

 

いつも通り、兄ちゃんは俺の世話を真剣にしてくれる。前の前のレースを勝った時は、騎手君は号泣していた。

ずっと俺に何か言っていたと思う。

多分感謝の言葉だと思った。

騎手君が俺を導いてくれたから俺は勝つことが出来たんやで。

まあ感謝されて悪い気はしないな。

 

 

【もちろん兄ちゃんもやで】

 

 

「春まで休養って聞いたけど、牧場に戻るのかね」

 

 

「それだが、育成牧場の方に放牧が決まった」

 

 

「わかりました。テンペスト~故郷には帰れないみたいだぞ~」

 

 

「まあテンペストは場所とかあまり気にしない馬だからな……」

 

 

【もっと褒めなさい】

 

 

「まさかここまで強いとは思わなかった。体調の方はどうだ?」

 

 

「全く問題ないです。疲れは残っているので、休養出来てよかったと思います」

 

 

「検査結果とかで問題はないことはわかっていても、現場の目も気になるんだよな」

 

 

俺の脚をじろじろと見ているおっちゃん。

俺の脚は無事だぞ。鍛えていますから。

 

 

「そういえばまた取材が来るみたいだ。明日の全体会議で話すけど、いろいろと話せるようにお願いいたします」

 

 

「そういえばテンペストクェークも一気にスターホースですものね」

 

 

次のレースはいつかな……

というかあの小柄な馬に全然会わないな。あいつってこのトレーニング場にいないのかね。

黒い馬はいるんだけど。

そうそう、あいつに勝ったぜ、俺。本気の本気の勝負で勝てたのはうれしかった。

あの後、「まけたぜ」って言われた。

でも俺が少しでも油断したら負けてたから、あいつも相当強かったはずだ。

ただ、ちょっと威圧感というかそういった雰囲気が弱くなった気がする。

去年の秋ごろに見かけたときより、確実に。

 

 

【歳ってやつなのかな】

 

 

「こうやって馬房にいるときは大人しくて手がかからないな。G1ホースとは思えんな」

 

 

俺の顔をおっちゃんが撫でる。

もっと撫でなさい。おほ~

 

 

「有馬記念でディープと再び!とか言われているらしいですけど」

 

 

「人気投票だから仕方がないけど、さすがに無理だと思わないのかね……」

 

 

ふう、気持ちよかったぜ。

次も頑張るから、いろいろとよろしく頼むよ。おっちゃん、兄ちゃん。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

その後、テンペストクェークは育成牧場に預けられ、年内は休養に入った。

因みにこの歳、テンペストクェークはWTRRで123(M-I)と評価された。香港マイルを勝利したハットトリックをMCSで。インターナショナルステークスで僅差の2着になったゼンノロブロイを天皇賞・秋で破ったことが評価されての数字であった。

 

年末の有馬記念に向けて、競馬界が盛り上がる中、藤山厩舎では一息ついた形となった。

 

 

 

 

2005年 秋

10月9日 毎日王冠:1 GⅡ(東京第11R・芝1800メートル)6621.8万円

10月29日 天皇賞・秋:1 GⅠ(東京第10R・芝2000メートル)1億3582.2万円

11月20日 マイルチャンピオンシップ:1 GⅠ(阪神第11R・芝1600メートル)9790.6万円

 

賞金:2億9994.6万円

 




毎日王冠→秋天→MCSのローテを連勝したのってカンパニーやダイワメジャーがいるんですよね。
カンパニーは8歳で達成してますし、なんなんでしょうねこのおじさん……

ハットトリックがMCSで勝利しないと香港マイルに行けなさそうなんですが、この世界ではしっかりと香港マイルに出走出来て、勝利したということにしてください。
でないと産駒が消えてしまったりしてしまうので……

秋天の覇者ヘヴンリーロマンスは牝馬なので勘弁を。あの天皇賞の写真は好きです。
この数年後にムキムキの牝馬たちが牡馬を蹂躙するので牝馬の時代は彼女たちにということで。

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