10ハロンの暴風   作:永谷河

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文字数が少し多くなったので、2話に分けて投稿します。
いつも誤字脱字、感想ありがとうございます。


馬、砂の国へ

2006年2月26日、中山競馬場開催のGⅡ中山記念がテンペストクェークの4歳初戦となった。

育成牧場から帰ってきたテンペストクェークは、体のキレが鈍ることなく順調に調教をこなし、中山記念へと挑んだ。ドバイからの招待状を受け取り、出走を表明しているテンペストクェークにとっては一種の叩きレースであった。

中山競馬場での競馬は、1着1回、2着2回と良好な成績であったこと、得意な距離であったこと、調教、パドックの仕上がりが良好だったこともあり、1番人気でレースを迎えた。

 

レースでは、抜群のスタートを決めると、いつものような後方待機策ではなく、そのまま先頭集団にとりついて走った。最終コーナー付近で一気に加速して、先頭を走っていたバランスオブゲームをゴール前100メートルほどで追い抜き、そのまま1馬身差でゴールした。バランスオブゲームも後続を置き去りにするほどの加速をしたが、それを上回る脚でテンペストクェークがゴールを駆け抜けた。

雨の中、馬場状態は重であったが、それを全く感じさせない走りであった。

 

 

レース後の騎手のコメント

『先頭集団で走るのは初めてだったが、問題なかった。最後も素晴らしい加速で走ってくれた。道悪を苦にしないことはわかっていたが、それを結果で示してくれた』

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

今、俺はまた見知らぬ場所に来ていた。

 

冬の間世話になった牧場からいつものトレーニング場に戻って、身体を鍛えぬく毎日を送っていた。

ちょっと前には、去年の春に走った競馬場で走った。

レースは、雨のせいで、芝がぬかるんでいたけど、特に問題なく走ることが出来た。

結果は勿論1着である。

結構走りにくそうにしている馬が多かった。その一方で、伸び伸びと走っている馬もいて、芝の状態一つで、得意不得意が現れるんだなあと思っていた。

俺はどうかって?俺はどっちも問題ない。

これは俺にしかできないことかもしれないが、普通の芝と、雨が降った後の芝では少し走り方を変えている。

そうしないと、うまく地面を蹴り上げることが出来なかったり、滑ったりするからだ。

この辺は何というか、絶妙な調整が必要だから、説明が難しい。

 

あと、あの黒い馬がどこを探してもいなくなっていた。

どこか別の場所で走っているのか。それとも引退してしまったのか。俺にはそれを知るすべはなかったが、きっと彼ならどこでもやっていけるだろう。

 

まあとにかく、俺は前のレースも勝利して、しっかりと騎手君や兄ちゃんたちを喜ばせることが出来たのだ。

そして、疲れを癒していたら、俺はまたトラックに乗せられて見知らぬ場所に連れてこられたのである。

 

 

【ここはどこだ……】

 

 

「さすがのテンペストも初めての場所だから少し緊張しているかな。それでも落ち着いているけど」

 

 

それと俺と同じように連れてこられた明るい茶色の馬。この馬もどこかせわしなさそうにしていた。

 

 

【落ち着け。ここは大丈夫だ】

 

 

【……そうだね】

 

 

そういえばこの馬は、去年のレースで一緒に走ったな。

 

 

「アサクサデンエンの方も落ち着いているのでよかったです。テンペストも威張り散らすタイプではないので、大人しい馬とは相性がいいのかな」

 

 

【まあよろしく】

 

 

【うん、よろしく】

 

 

この馬は特に攻撃的でもないし、ガツガツしていないな。俺やあの黒い馬よりも年上かもしれん。まあ、俺の方が強いと思うが……

 

 

見知らぬ場所は、俺が過ごしていたトレーニング場と同じような場所だった。やたらと俺の行動や状態をチェックする人がいる以外は普通にトレーニングを行っていた。

なんかやたらと注射で血を採られたりするし、獣医?のような人もいるんだけど、俺ってなんかやらかした?

もしかして俺が人間並みの頭脳を持っていることがバレたのか。解剖は嫌だな……

 

そんなことを思っていたが、特に危害を加えられることはなく、ちょっと変わった日常を味わう程度で何日が過ぎていった。

 

 

そして、再びトラックに乗せられた先は、空港であった。

目の前には飛行機が鎮座していた。

俺に耳あてのようなカバーをかぶせたのは、音対策のためか。確かにうるさい。

最初に俺と一緒にやってきた馬も怯えている。

周りを見渡すと、他にも馬がいる。俺と同じレースを走った事がある馬もいれば、初めて出会う馬もいた。

ただ、全員怖がったり、不快感をあらわにしていた。

 

 

【怖い怖い】

【なんだこれは、食われる】

【うるさい!】

 

 

【まあ、頑張れ……】

 

 

俺にはどうにもできないので、とりあえず頑張って耐えることを伝えておいた。

馬にはこれは厳しいのかな。

 

そんな感じで俺は飛行機に乗り込み、空の上で過ごした。メシや水は完備されていたし、温度もちょうどよかったので意外に快適だった。ただ文句があるとするならば、横になって寝そべりたかった……

一緒に乗っていた馬は爆音などの不快感のせいか、かなり大変そうであった。ただ、お世話の人間もいたので、慣れたころには、落ち着いていたのでよかった。

 

 

 

 

そして飛行機から降ろされた場所は、見たこともない場所だった。

いや、基本初見のところばかりなんだけど、なんというか空気感が日本とは違うのだ。

ここはいったいどこの国だろうか。

 

ただ、わかることがあるとすれば、俺は世界と戦うことになるだろうということだ。そうなると、俺は騎手君やおっちゃんたちだけでなく、日の丸を背負って戦うことになる。

俺が情けない走りをすれば、それは日本の馬全体がバカにされることになる。

 

 

【絶対に勝つ】

 

 

【疲れた】

【眠い】

 

 

おい、同志たち、君たちももっとやる気を出したまえよ……

馬に国家は関係ないか。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

テンペストクェークは、3月25日にドバイで開催されるドバイDFに出走するため、検疫を受けることになった。同じく美浦所属で、ドバイDFに出走予定のアサクサデンエンと共に、栗東の厩舎で検疫を受けつつ調教を行った。

そして、検疫期間終了後の3月16日、関空から、ドバイミーティングに参加する馬と共にドバイへと旅立ったのである。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

西崎にとって海外旅行はそこまで身近なものではなかった。

経営者で普通の人よりは資産があるが、仕事も海外に関係するものではなかったうえ、特に海外志向もなかったので、家族旅行などでしか海外には縁がなかった。

そんな彼は今、砂の王国、UAEのドバイにやってきたのであった。

 

今回のレースで招待されたのは西崎と妻の涼子だけであった。用意された飛行機もホテルもしっかりとしたものであったため、金持ちの国ってすごいと二人で感嘆していた。

因みに、会社の競馬好きの部下たちを招待することはできなかったが、彼らは自費で応援に行くと言い張り、テンペストクェークのファンたちを巻き込んで、応援ツアーを勝手に企画してついて来ているらしい。

今回のドバイミーティングに出走する馬は、日本で優秀な成績を残している馬が多い。

ハーツクライのようなクラブ法人の馬もいるが、西崎と同じ個人馬主が所有している馬もドバイに来ていた。

 

 

「カネヒキリとユートピアはあの馬主の馬か。ディープインパクトだけでもすごいのになあ……」

 

 

自分では到底たどり着けない境地だなあと考えていた西崎であった。

最初の所有馬でドバイまで来ている西崎も幸運を超えた豪運でもあるが、それを指摘する者はこの場にはいなかった。

 

 

滞在するホテルからそう遠くない場所に、テンペストを含めた日本馬たちがいる厩舎があるとのことだった。特にやることもないため、妻を連れてテンペストに会いに行くことにしたのである。

 

テンペストの馬房がある厩舎では、ドバイで走る日本の馬が過ごしていた。暑い国の配慮なのか、エアコンが効いていたため、心配された暑さは問題なかった。

実際の競馬も夜なので、そこまで気にする必要はないと聞かされている。ただ寒暖差が激しいため、調教などで調子を落としてしまう馬もいるとも聞いていた。

 

 

「テンペストの調子はどうですか」

 

 

「ここに来たときは少し緊張していたようです。ただ、慣れたのか今はゆっくりしていますね。飛行機でも食って寝てを繰り返していましたし、精神的にも肉体的にも全く問題は起きませんでした。これなら十分戦えると思います」

 

 

厩務員の秋山が自信をもって答えた。彼はテンペスト専属の厩務員として、この地にやってきたのである。

 

 

「それは心強いです。テンペストも異国の地で戸惑っているかもしれませんが、安心できるようによろしくお願いします」

 

 

「わかりました。まあ、こいつはいつも通りやってくれると思いますよ。な、テンペスト」

 

 

秋山が馬房から顔を出していたテンペストの首をさすると、ヒンッと軽く嘶いて、秋山の帽子を咥えて馬房の奥に引っ込んだ。

 

 

「って、返せ」

 

 

「可愛いですね。テンペスト、こっちに来れますか?」

 

 

帽子を奪って笑っているテンペストを涼子が呼んだ。すると、涼子の頭の上に帽子を被せて、そのまま馬房で横になって寝始めた。

 

 

「可愛い~」

 

 

歳も考えないで可愛いと連呼している妻を横目に、二人は、やっぱりこの馬には中に人間が入っているか、あるいはロボットなんじゃねーかと思っていた。

それと同時に、いつものペースを全く崩さないテンペストに、確かな自信を感じ始めていた。

 

 

その後、数日間ホテルで過ごしたあと、主催者によるパーティーなどが開催された。

最初は、雑多な馬主の一人ですよ~といった顔をしていた西崎夫妻であったが、同じ日本人のグループにつかまり、毎度のように大物馬主や生産者たちとパーティーを過ごしたのであった。

因みに島本牧場からも牧場長の島本親子が生産者代表としてドバイ入りをしていたが、慣れない環境と飛行機で完全にグロッキーになっており、この場には参加していなかった。

 

 

開催日が近くなると、騎手の高森もドバイ入りして、調教の手伝いやテンペストの状態確認などを行っていた。またナド・アルシバ競馬場は初めてであるので、過去のレース映像の確認などを行っていた。

 

 

「よし、これで大丈夫だ」

 

 

「調子がいい。馬体も昨年よりもさらに進化している。というか本当にすごいな……」

 

 

彼の身体はピカピカに輝いていた。あの貧乏くさいと呼ばれた姿を微塵も感じさせない仕上がりであった。

その様子に、他の日本馬の陣営も、ヤバいと感じ始め、彼を遠巻きで観察していた他国の陣営も、なんだあの馬はとひそかに話題になっていた。

気が早い関係者などは、水面下でテンペストクェークのことを狙っていたりしたが、西崎の馬主ネットワークのあまりの弱さに、挫折していたりもした。

 

 

ドバイでの時間はあっという間に過ぎ去り、3月25日、ドバイミーティングが開催された。

 

 




ラジオNIKKEIの記事が正しいのであれば、
角居厩舎所属
カネヒキリ(ドバイWC)
フラムドパシオン(UAEダービー)
ハットトリック(ドバイDF)
橋口厩舎所属
ハーツクライ(ドバイSC)
ユートピア(ゴドルフィンマイル)
にアサクサデンエン(ドバイDF)が一緒の飛行機に乗っていったようです。
6頭以上乗せれるのかわかりませんが、テンペストもこの馬たちと同じ便でドバイに行きました。

ハーツクライの応援に、のちのジャスタウェイの馬主も行っているようなので、もしかしたら彼と西崎は交流していたかもしれません……

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